なんて線の細い子なんだろう。
これが私のローゼマリーに対する第一印象だった。
王都に近い影響もありうちは公爵家でありながらそれほど広大な領地を持っているわけではない。
むしろ宝石商や画商で富を得ている伯爵家や侯爵家のほうが領地が広いだろう。
そんな領地の中で修道院は一つだけ存在していた。
これもまたそれほどの規模ではなかったが、身寄りのない子が三十人ほど暮らしている。
ローゼマリーもその一人だったのだが、私が彼女の存在を知ったのは火事で修道院が燃え尽きた時だった。
明け方に出火したとみられる火はおそらく葉巻の吸い殻の不始末が原因ではないかと見られている。
私は父上から見せてもらったその報告書を見てため息をついた。
「ラルス様、やはり近隣住民も何度かシスターが葉巻を吸うところを見ていたようです」
「ではやはり火事の原因はその可能性が高いな。シスターの行方は?」
「はい、ようやく見つかりまして隣町の空き家を勝手に使用して住んでいるようです」
私はその発言を聞き心からシスターのことを軽蔑した。
子供たちを導き救うべき立場のシスターがそのような振る舞い許されるわけがない。
「それからラルス様のご指示通り調査しましたところ、やはり子供たちはみな教育なども受けておらず修道院でも度を超えた労働をおこなわせ、体罰は日常茶飯事のようでした」
「わかった、資料をまとめるので少しだけ待ってもらえるか?」
「かしこまりました」
私は調査報告書として父上に提出する資料のまとめの続きを書き始めた。
書き始めて私は念のため、目の前にいるロルフに確認をする。
「ローゼマリー以外の子供たちはやはり」
「はい、全員死亡との見解となりました」
「そうか」
私は腹立たしさでペンを折ってしまいそうになる。
現場の状況からシスターは子供たちを置き去りにして逃げたと見られている。
子供たちはどれだけ辛かっただろうか、苦しかっただろうか。
ローゼマリーはどれだけ怖い思いをしたのだろうか。
想像をしただけで痛々しく思う。
報告書を書く右手のすぐ横にはローゼマリーの書いてくれた手紙があった。
『らるすさま、ありがとうございます』
まだ拙い文字でお世辞にも綺麗とはいいがたい文字だが、それでも必死に書いている彼女の姿が目に浮かんでくる。
彼女は私のたった一人の義妹となった。
必ずあの子は私が守って見せる。二度とあのような辛い思いはさせない。
「ロルフ、これを父上に」
「かしこまりました」
私は修道院に関する調査結果をまとめた資料を渡す。
さあ、そろそろローゼマリーとの勉強の時間だ。
ちらりともう一度彼女からもらった手紙を一瞥すると、私は彼女のもとへと向かった──
数日後、シスターは公爵家所属の警備隊に捕縛され、父上から王命の処罰が言い渡された。
シスターの資格剝奪ならびに国外永久追放。
彼女は泣きじゃくって言い訳を並べながら国外へとほうり出されたという。
『これからは私は君の兄になる。血は繋がっていないけど、君が心を許してくれたら、家族のように思ってほしい。ゆっくりでいいから』
そんな風にラルス様が言ってくださった翌日のことです。
私は幸いにも身体をあまり怪我していなかったようで、すぐに立ち上がったり歩いたりすることができるようになりました。
まだ朝日が昇ってすぐでしょう。
修道院にいた頃の癖のようなもので、普通のひとよりも早く起きてしまいました。
そういえば私が一番早起きで、掃除や洗濯、朝ごはんなどもよくおこなっていました。
みんなもいつも手伝ってくれたのですが……みんなは無事に逃げられたのでしょうか。
私みたいに良い場所で無事にいるでしょうか。
少し心配です。
さて、じっとしていられませんね。
このお屋敷でお世話になるのですから、早く朝のお掃除から始めないと。
そう思ってお部屋を見渡しますが、どこを探してもお掃除道具は見当たりません。
う~ん。こちらにも……こちらにもありませんね。
廊下にほうきなどがしまってあるのでしょうか。
そう思って私はドアを開けて外を覗いてみました。
「──っ!」
「きゃっ!」
私は何かにぶつかってしまったようで頭をなでなでします。
「まあ、申し訳ございません! 私の不注意でっ! お怪我はございませんか?」
「(こくこく)」
私は目の前のメイドさんに慌てて頷いて答えます。
そうするとメイドさんは安心したように胸に手をあてて、はあ~と息を吐きました。
「もう起きていらっしゃったのですね。どうかなさいましたか?」
言葉で思わず答えようとしますが、もちろん声は出ません。
ごめんなさいの意味もこめて何度かお辞儀をしたあと、ほうきを探しているということを伝えたくて、ほうきを掃く様子をやってみます。
「ん?」
何度かほうきの形を手で作って、そのあと掃く動作をしてみるのですがやはり伝わりません。
では、これはどうでしょうか。
「お嬢様っ! 何をなさっているのですか?!」
私は雑巾がけを示したくて部屋の床を手でずしゃーっと拭く動きをしてみます。
部屋中を走り回る私をメイドさんは慌てて止めて、私の手についた埃を払ってくださいます。
「お嬢様、そんな汚いことダメです! 綺麗な手が汚れてしまいます!」
私の手は黒くなっていて、でもいつも修道院で掃除するよりも綺麗な手でした。
たぶんこのお部屋はどなたかが毎日ピカピカにお掃除なさっているのだと思います。
私は掃除がしたいということを伝えたくて、メイドさんをじっとみながら何度も雑巾で拭く動きを見せました。
「もしかして、お掃除するものが欲しいのですか?」
「(はいっ!!)」
やっと伝わったことで嬉しくてうんうんと激しく頷いてしまいます。
「もしかしてどこか汚れていましたでしょうか?! 私の掃除が行き届かず申し訳ございません。すぐに掃除をいたします!」
そういってお部屋を出て行かれようとするので、私は慌ててメイドさんの腕を掴んで引き留めます。
あっ! やってしまいましたっ! 汚い手でメイドさんの腕を掴んでしまいました……!
私は慌てて手を離して、何度もごめんなさいとします。
きっと怒られてしまいます……。
痛いお仕置きが来ることを覚悟した私ですが、その痛みはいつまでたってもきませんでした。
「なにか違うことをお伝えになりたいのでしょうか?」
「(ふんふん)」
もう一度目をみて伝えようとします。
するとメイドさんは、はっとした様子で私に尋ねてこられました。
「もしかして、ご自分でお掃除がしたいのですか?」
「(そうですっ!!)」
私はようやく伝わって嬉しくて笑顔を見せました。
でもメイドさんは少し考えたあとで、メイドさんより背丈の少し小さい私に目線を合わせて言います。
「お嬢様。もうあなたはここのお屋敷のご令嬢です。あなたの境遇は旦那様より伺っております。もうあなたは掃除も洗濯もしなくていいのですよ?」
私の頭はその言葉で止まってしまいました。
もしかして、用済みということでしょうか……。
それとも私ごときではやはりお役に立てなくて、お邪魔にしかならなくて……。
そう考えていると、メイドさんが「違いますよ」とお話の続きをされました。
「あなたがいらない人なのではなくて、あなたが必要だから。あなたにはもっと今からたくさんの幸せを感じてほしいのです。その幸せのために働けるのが、私たち使用人の幸せなのです。だから、このお屋敷にいる間はわたしたちにお任せ願えませんか?」
そんな風に言われて私は言葉を失いました。
声が出ないからではありません。絶望したからでもありません。ただ、なんて優しい言葉をくださるんだろうと嬉しかったからです。
ラルスさまのお名前が書けるようになって、私はみなさんのお前が書きたくて聞いて回りました。
公爵さまは「ふりーど」、メイドさんは「くりすた」と書くみたいです。
本に書いてある文字と自分の文字を見比べると、なんとも不格好な字。
はあ、まだまだうまく書けません。字は難しいです。
紙をたくさんもらったので、何度も何度も練習して書いていきます。
『ローゼマリー』
あっ! 今日は自分の名前がよく書けました!
そんな風に朝からいつも毎日練習するのですが、あっと言う間にいつもお昼になってしまっていて、今日もクリスタさんに肩をとんとんと叩かれて初めてランチの時間だと気づきました。
クリスタさんに連れられて私はダイニングに向かいます。
食事は公爵さまとラルスさまと私でとることになっているのですが、お二人はお仕事で来られない時もあります。
そんな時は私は一人でいただきます。
パンをスープに浸して食べて、サラダはフォークでさして食べます。
でも食事の真ん中くらいにくる少し大きなお皿にのったお肉やお魚の食べ方は、今でもよくわかりません。