さて、食うぞ。
 夕飯はお家で食べる予定だった。献立は、餃子の皮にケチャップとチーズとベーコンを乗せた、ピザに見立てた物と、冷凍してあったクルミパンをこんがりオーブンで焼くつもりでした。
 給料前のためコツコツと節約していたのですが、今日は、もう、ばーんっと食べたい気分です。
 雨のせいでヒヤリとする外気を振り払い、真っ赤な傘を、ぽんっと広げ差すと、しとしと雨の中、ご飯を食べる思いが逸り、体がほんのり火照る。
 嫌なことは食べて忘れるのが一番です。
 ごはん。ごはん。
 私は駅前をうろうろと放浪する。焼肉屋。うどん屋。カツ丼屋。見かけるのですけど、どれもここではないっと、何故かこだわりが邪魔をした。
 疲れて鉛のように体が重い。なかなか決まらず、どうしようかと思ったとき。胃袋を鷲掴む最強のカレーの香りが鼻を掠め、心をぐぐっと奪われました。赴くままに進むと、ある店に行き着く。
「気まぐれ飯屋、まほろ」
 こんなところに、こぢんまりとしたご飯屋さんなんてあっただろうか。私は小首を傾げる。
 少し離れたところに大きな挙式上があり、明かりはすべてそちらに注がれるなか、暗がりの路地に挟まれるように、まほろは佇んでいました。
 柔らかな黄金色の提灯に格子の引戸。木造作りの和風な店はどこか優美で格式高く見えた。
「お値段高いかな。でもカレーの匂い嗅いだら食べたくなっちゃったよ。大丈夫だよね」
 言い聞かせ、傘を畳んでガラリと引戸を開く。中に入る。柔らかな橙色の照明にほっとした。真ん中には回転寿司のようなカウンター席がひとつ、ぽつりとあった。
 えっ!
 客が誰もいない。店員さんもいない。静けさに私は息を飲んだ。これは営業外だったのだろうかと不安に陥る。慌てて踵を返そうとしたところ、ゴトンっと音を立ててカウンター席の前のベルトコンベアーが運転しだしたのです。驚く。体が強ばる。そして、すっと流れてきた、習字書き。

ーーいらっしゃいませ。どうぞお好きな席にお座りくださいーー

 なんじゃそりゃ。
 達筆に書かれた習字書きが、ベルトコンベアーの上に乗って、からくり人形のようにカタカタと通りすぎていき、私は呆然とした。
 どこかに、防犯カメラがあるのかと私は、不信感たっぷりで辺りをキョロキョロとした。
 かたん。
 またしても目障りな音をたて、ベルトコンベアーが流れてくるスタートラインの上の壁が開いた。いえ、小窓っといったほうが正解でしょうか。
 上半身から上が小窓から見えました。頭にくるくるハチマキをしている。髪はショートカットで、目が三日月のように細い。少しぽっちゃりして……。
 あれは、男だろうか?
 たまに、見た目で性別出来ない人いますよね。それだ。
 男だか女だかわからない店主は、ヘコヘコと頭を下げ、身振り手振りでジェスチャーで座れと促した。
 変な人だ。
 しかし、これであとに引けなくなりました。兎に角、この普通じゃない、不気味なご飯屋をビール一杯でも飲んでさっさと出て行こうと思いました。
 私は渋々と誰もいないカウンターに座る。落ち着かない。なんだかお尻のあたりがそわそわする感覚に襲われました。
 しまったな。あのまま家に帰って自分で料理でも作っていた方が良かったかもしれない。
 後悔先にたたずです。
 そこに、またしてもベルトコンベアーから習字書きが流れてきました。私の前で止まった。
 おい。店主は恥ずかしがりやなのか。近くにいるんだから出てくればいいのではないだろうか。
 口から出そうになる言葉を私は、すんでのところで飲み込み。まぁ、いいや。っと小さく深呼吸をすると習字書きを読んだ。

 なになに。
ーーメニュー。
 コースが二通りあります。
 普通コースと思い出コースがあります。
 どちらになさいますか?ーー

 まて、これはビール一杯では済ませられないぞ。そのうえなんだ。思い出コースって……。
 これはどうみても怪しすぎではないだろうか。
 頭では危険信号が鳴り響いているのだが、心は興味を惹かれた子供のように、わくわくしていた。
 二択。天国か地獄か。このくじ引きのような賭けに私は
「思い出コースで」
 と言ってしまった。
 身も心も疲れて思考力が低下していたのです。よって好奇心が脳天まで突き抜け危険信号の鳴り響くなか私は誘惑に負けたてしまった。
 いいや。もう楽しもう。
 店主が頷くと、するすると何事も無かったようにベルトコンベアーが動き習字書きが左に去っていく。代わりに右からなにやらお盆に載って、ある物が流れ、ビタンっと店主がベルトコンベアーの停止ボタンを、早押しのように押した。
 ビクリ。と私は驚く。習字書きが目の前で止まる。

ーー食前のジュースーー

「食前酒じゃないんかい」
 言いたいことは山ほどあるが、その習字書きに、突っ込まずにはいられなかった。店主は、にやっと笑い、照れを隠すように頭を掻いた。
 どうするよ。この人。マジで変だ。
 と、思いつつも、目の前のジュースを見れば、目が輝いた。
「懐かしい。ビー玉入りのラムネだ。昔よく飲んだな」
 偶然とはいえ、思い出深いラムネを見て、心が弾まないわけがない。ラムネを手に取る。ヒヤリと冷たい。こんなにもラムネの瓶が小さかったかと驚いた。子供の頃は、もっと大きく思えていたのですが。
 ぱちぱちと小気味のいい炭酸水の発泡に、気持ちが浮き足たちました。滑らかな瓶の口を傾け唇に触れさせる。すぐに喉をしゅわしゅわと甘い炭酸水が胃へと流れていく。
「美味し……」
 ドオオオオオン!
 そのときでした。突如、目の前から大量の鉄砲水が濁流のように現れ、私に向かってきたのです。
「ぎゃああああ。なんでぇぇぇ」
 いったいどこから、どうして室内に。
 それは滝の上から水が滝壺に落ちるように。頭から降りてきて簡単に私を飲み込みみました。
「がぼ、がは、ぶへ」
 そして、足元が不安定になり、ドボンと沈む。大量の水。もはやそこは水の中。右も左も上も下も水です。髪がワカメのようにうねうねとして、水が入らないようにと口を塞ぐが、息が苦しくなり大量の泡を口から漏ぼしてしまいました。どどどっと激流の川になり、溺れるように私は流されて行ったのです。
 嘘だぁ! 私、こんなところで死ぬの?
 ぎゅと拒否して目を瞑る。っと体が急に上昇した。ぷはっと水から顔を出し酸素を吸い込む。
 助かった。
 荒い息のまま、安堵すると、さんさんっと照りつける太陽の直射日光が目に染みて、違和感を感じずにはいられませんでした。私は手で眩しさを遮った。なにが起きたのかと、うっすらと目を細め、180度、見回して視界に入れる。光景に私は驚愕した。
 楽しそうにざわめく沢山の声。水着姿の人々。天まで届きそうな巨大な滑り台。ザラザラのコンクリートの地面は水を撒いたみたいに、てらてらとしていました。ここは……
「リッチランドだ」
 もう倒産してなくなった、小さい頃にあったテーマパークです。夏は流れるプール。冬はスケートリンクになる施設。子供頃しょっちゅう遊びに来ていた。
 なぜ、私がこんなところに、いるのかと水浸しになりながら唖然としていました。
──つと。
「亮ちゃん。喉かわいた」
「おう。いつもの買おうぜ」
 えっ!
 私の横を小学生二年生の自分と亮ちゃんが走り通りすぎていくではありませんか。躊躇いもなく手を繋いで。
 衝撃な光景に私は瞬きすら忘れた。昔の自分と亮ちゃんは一直線に売店に行き「おばさんラムネ2つ」と指をピースサインして二人で軽やかにハモっていたました。その懐かしさに胸がドキドキする。
「亮ちゃん。見てビー玉が綺麗」
「おう、太陽の光でピッカ、ピッカだな」
「ふふふ」
 淡く清い光を浴びる子供の頃の自分達が眩しすぎて、おもわず、思い出を捕まえようと私は手を差し出しました。瞬間。目の前が霞む。「あっ」と、か細く言葉を発すると、もとのまほろのカウンターに私は座っていたのです。掴み損ねた手が宙を寂しく行き場を失う。すっと冷静になる。
 今のはいったいなんだったんだろうか。あんなにびしょ濡れになっていた服も髪も、なにもなかったように元通りでした。
 なんだ、この店は……。違和感を感じつつも、懐かしさが胸を支配した。