あの日──。
空っぽの頭でどうにかパンケーキを作り、後夜祭が始まる頃に再び屋上へ向かった。既にそこには、何組かのカップルがいて、一人でいる私は目立っていた。だけど、そこにはちゃんと高村くんがいた。
「倉木さん」
「私、高村くんの未練を晴らすよ」
決意を固めた私は高村くんから目を逸らさない。いつまでもこの世界に高村くんを縛り付けてはいけない。高村くんとは、もう二度と会えなくなってしまうかもしれない。
それでも、私に出来ることと言えば、きっと高村くんの遺志を繋ぐことだけ。
「ありがとう」
それからどのようにして世間に高村くんの遺志を繋ぐか、二人で話し合った。
高村くんの遺書は、学校で探してもどこにもなかったらしい。卯月先生の元へ行っても、当たり前だが卯月先生に高村くんの姿は見えなくて、遺書がどこにあるかの手がかりはないらしい。
私たちが決めたのは、高村くんの遺志と私の思いを小説に綴ることだった。調べたところ丁度、十代限定の小説コンクールがあり、そのテーマが「命の大切さ、尊さを物語に表そう!」というものであったため、そのコンクールに応募してみようという結論に至った。もちろん、優勝の書籍化なんて難しいに決まってる。だけど、それでも応募してみないことには何も始まらないと思い、夏休みを使って小説を書くことにした。


夏休みに入ってからは、補習もとらずにひらすら文章を書いていた。最初は、プロットを構成し、大まかなストーリーの内容を決めた。この非現実的な事実を、誰も実話であるとは思わないと勝手に考えているから、私はありのままの現実を小説に綴ることにした。
スランプに陥ってしまったのは、文章を書き始めてから四日目のことだった。
もともと、進研模試の偏差値で国語は五十あるかないかくらいの私にとって、作文は難しく感じた。国語が得意な風花ちゃんに協力を頼もうか考えた。だけど、それは、高村くんの名前を出すことになるだろうから、避けたかった。
布団に横たわり天井を見つめる。
そういえば、一学期は結局、卯月先生と和解することができなかったな。
ぼんやりとした頭で考えて、気付いたら眠っていた。
「澪」
お母さんの声で目覚めたときには、時間軸は夕方の四時頃だった。
「おばあちゃんの病院行くけど、一緒に行かない?勉強ばかりも疲れるでしょ」
「……うん」
気分転換に、外に出よう。夏休みに入ってから、まだ一度も外には出ていなかった。
おばあちゃんは、癌で入院している。そのお見舞いとして、たまに春芽咲総合病院へ向かうことがあった。今日は、高校二年生になってから初めてのお見舞いだ。
病院のエントランスに入ったとき、私は驚いた。高村くんが、そこにいたから。
高村くんもこちらに気付いて、どうやら驚きを隠せないみたいだった。私たちは目が合って数秒、固まっていた。
「澪?どうしたの?」
そうだ、お母さんには高村くんのことが見えていないんだ。
「ごめん、知り合い見つけたから、先に行ってて」
「そう?わかった」
お母さんと別れると、真っ先に高村くんのところへ向かった。
「文化祭ぶり、だね」
そう言うと、高村くんは手招きをする。ついてこい、ということだろうか。
高村くんのあとを着いていくと、そこは病院の屋上だった。誰もいない屋上でなら、気楽に話せる、ということだろう。
「僕、ここの三階の病室で眠ってるんだよね」
唐突な事実に、口が開いてしまう。
「そう、なんだ」
「倉木さんがいてびっくりした。今日はなんでここに?」
「おばあちゃんのお見舞いで」
「なるほど」
昨日が雨だったために、屋上には水溜まりがチラホラできていた。
「小説、調子どんな感じ?」
「うーん……書きたいことがたくさんあるんだけど、文章書くの苦手でまだ全然って感じ」
「そっか」
小説を応募するにあたっての条件として、一万字以上から三万字以内の文章であること、というものがある。だけど、高村くんの遺志を繋ぐには、それなりの文字数が必要であり、正直収まりそうになかった。
「僕のことを覚えてくれている人って、どれくらいいるんだろうね?」
「え?」
高村くんが、ぼんやりと一点を見つめて言う。
「僕ね、ずっと死にたいとは思ってた。だけど、どうして僕が死ななきゃいけないんだろうって思いもどこかにあった。やりたいこととかたくさんあった。それなのに、周りから罵倒されて、傷つけられて……やりたいことなんて、一切見えなくなった」
高村くんが、生前を思い出すかのように語る。そんな思いを抱えた高村くんを、私は知らなかった。ずっと一人で苦しい思いをしていたなんて、そんなこと知らなかった。
「……高村くん。絶対、絶対に優勝して書籍化するからね。だから、私が小説を書き終えるまでに、高村くんのやりたかったこと、全部しよう?」
私の決意を、高村くんはいつも笑顔で聞いてくれる。
「ありがとう。……そうだね、折角肉体はここにあるんだし、最期だと思ってやりたいこと全部やるよ」
そんな高村くんのやりたいことは、たくさんあった。焼肉食べ放題に行きたい、水族館で海月を見たい、花火大会に浴衣を着て行きたい、学校をサボってみたい………希望を語る高村くんのひとみは、コバルトブルーのラメが凝縮されていた。
小説を差し置いて、次の日から高村くんのやりたいことを成し遂げて行った。
今日は、花火大会。浴衣が家にあるかどうかお母さんに聞いてみたら、おばあちゃんの白の花柄の浴衣があると言われた。着付けをしてもらい、髪もまとめてもらった。青い簪をつけて、私は夕方の街へと出かけた。
駅に着くと、浴衣姿の高村くんがいた。その綺麗な顔立ちに、とても似合っている。思わず見惚れて、声を出せないでいると、高村くんがこちらに気付いた。
「似合ってるね」
「ありがとう……高村くんも、すごく似合ってる」
傍からみたら、私は一人で浴衣を着て、一人でお祭りを楽しんでいる変人だ。だけど、実際には、隣に高村くんがいる。
「人、多いね」
「そうだね、はぐれないようにしなきゃ」
と言っても、私たちは手を繋ぐことさえできない。触れたいのを我慢して、隣をキープする。
「何食べたい?」
「チョコバナナ」
高村くんのチョイスは意外で、思わず笑ってしまった。
「チョコバナナふたつください」
一人なのにも関わらず、ふたつ頼む私を見て、屋台のおっちゃんが目を見開く。
「四百円ね」
チョコバナナを両手に持ち、人目のつかない場所へ移動する。
「おいしい」
チョコバナナなんて、食べたのは何時ぶりだろう?多分、小学生以来だ。少し幼い味を存分に楽しむ。
「ほっぺについてるよ?」
じっと見つめられた矢先に言われたその言葉に、口を手で覆う。そんな私の姿に笑みを浮かべる高村くんと、もうすぐ会えなくなるかもしれない事実に背筋が凍る。
「倉木さんはさ」
もうすぐ花火があがる、というアナウンスとともに人々の熱気が籠る。
「好きな人とかいないの?」
「えっ!?」
高村くんはいつも突然だ。私は大袈裟すぎるほどの反応を示してしまって、周りの人からチラチラと見られてしまった。
「いないよ、好きな人」
人生で一度も、異性を好きになったことがなかった。だから私は、好きという気持ちはどんなものであるのかがイマイチわからない。
「高村くんは?」
「……いる、かな」
「えっ、そうなの?」
それなら、私ではなくその好きな人と花火大会に来るのがよかったのではないだろうか。なんだか申し訳なくなり、俯いてしまう。
そんな私に気付いた高村くんが心配そうに声をかけてくる。
「倉木さん?体調悪い?大丈夫?」
「ううん……なんか、申し訳なくて」
「え?」
「花火大会、私が誘ったから断れなかったんだよね?本当はその子と行きたかったよね?」
私の台詞に、高村くんの瞳孔が大きくなる。そのひとみに映る私が歪んでいく。
「違うよ」
夜空に彩られていく花火の綺麗さをいつまでも目に焼き付けるべく、私たちは空を見上げる。
「僕は倉木さんと来たかった」
花火の音に掻き消されて、高村くんが何か言っているけれど聞こえない。
「僕は、倉木さんのことをずっと好きだから」


八月も終わりに近づいてきた頃、私は花芽咲総合病院に来ていた。
小説は、ある程度完成している。
だけど、どうしても最終章だけを書き切れずに、私は高村くんの病室の前に来ていた。
「高村 彗」
ネームプレートに書かれた名前を見つめるも、病室の扉を開ける気にはなれなかった。
立ち止まっていても、廊下を看護師さんや他の患者さんたちがすり抜けていくばかりで、周りが気になってしまう。
(やっぱり、完成してから来ようかな)
そう考えて踵を返そうとしたとき、扉が開いた。
「……」
そこには、やつれた女性がこちらを見上げて立っていた。目元が、高村くんに似ている。
「あなた……もしかして、彗のお友達?」
その瞬間に、この人が高村くんのお母さんであることを理解する。
「……はい、友達です」
「卯月先生から聞いたの?」
「えっと……おばあちゃんがここに入院していて、それでこの階を通ったら高村くんの名前があったので、驚いて……」
嘘と本当を混ぜながら語る嘘は、現実味があり相手も信じてくれやすい、と何かの本で読んだ。卯月先生の名前を出して嘘をつくと、ややこしくなりそうなので咄嗟にやめておいた。
「そう。……もしよかったら、彗に会ってくれないかしら?」
「はい。もちろんです」
そのつもりで来たもんだから、すんなり受け入れられる。心臓が、うるさかった。一歩ずつ進むのにどれだけの時間をかけただろうか。高村くんのお母さんがカーテンを開けると、そこには呼吸器をつけて眠っている高村くんがいた。
当たり前だけど寝息なんて聞こえなくい。横たわっているその手に触れると、夏なのに冷たくて、ここに高村くんは宿っていないことを暗示された。
「彗は……とっても優しい子なの。困っている人がいたら、迷わずに駆け付けてその人を助ける。自分よりも他人を優先して……だから、周りに迷惑をかけてしまうことをすごく恐れていたの。私たちにも辛そうな顔なんて見せずに、毎日学校に行って。だけど、高校一年生のときは授業には出ずにどこか他の場所で時間を潰していたらしくて……担任の先生から電話を何回か頂いたのだけれど、彗にそれを指摘するようなことはしたくなくて、気付いてないフリをしていたの」
高村くんのお母さんが話し始めたとき、窓側に高村くんがいることに気が付いた。
「だけど、彗が自殺を選ぶくらい苦しんでいたなら、選択肢をあげればよかった。親なのに、なにも気付いてあげられなかった……。本当、親失格よね」
嗚咽混じりの声に、高村くんが今にも泣きそうな表情をしている。
「そんなことない。母さんが、僕に毎日気を遣ってくれて、優しさ故に僕が話すのを待ってくれていたことなんてずっとわかってた。俺だって、話せばよかった。話せば何かが変わってたのかもしれない。母さんは悪くない……」
高村くんの声は、お母さんに届かない。どうして、こんなにも優しい人たちが苦しむ世界を神様はつくってしまったのだろう?
優しさを捨てて自由奔放に生きるあの人たちが、どうして楽に生きられる世界なんだろう。ある意味その人たちは、世界の軸から外れて自分ルールを独占しているために、周りを気にせずに生きていけるのかもしれない。
だけど、本当の優しさと真面目さと心の綺麗さを持ち合わせている高村くんや、他の人たちが死にたくなるほど苦しむ世界なんて、絶対に間違っている。
高村くんを死まで追い詰めた人達を、私はきっと一生許せないと思う。
高村くんを傷つけた人達を、私はきっと一生許さないと思う。
最終章を、書き上げよう。
私たちの物語を、完成させよう。