現在の話をするにあたり、ペティア夫人は場所の移動を申し出た。彼女の屋敷に、彼女の話を裏付ける証拠があるというのだ。
アンナは、ベレスとペティアの2人を監獄から出すことに戸惑いを覚えたが、厳重に見張りをつければ問題なしと判断した。どのみちペティア邸と彼女の実家であるノユール邸は、家宅捜索をしなくてはならない。その際には、彼女を臨場させる必要も出てくるだろうから、やることは変わらないのだ。
「どう思う、マルムゼ?」
移動中の馬車内で、アンナは同じホムンクルスの同志に尋ねる。
「にわかには、信じ難い話です。しかし、夫人の言葉には不思議と説得感があります」
「同感ね。あれだけ荒唐無稽な話にも関わらず、辻褄は合っている……少なくとも、自分の罪を軽くするための苦し紛れの弁明とは思えない……」
「それに我々は、この国の玉座がいとも簡単に盗まれてしまう事を知っています。かの黄金帝が、マルムゼ=アルディスと同じ手口を使ったとしても、不思議はありません」
「確かにそうね……」
その場合、マルムゼ=アルディスや彼の主人、そしてサン・ジェルマン伯爵が、黄金帝の模倣犯ということになる。
それはもしかしたら、真の王の側に立つ彼らが、簒奪者の血を引く者たちにした意趣返しなのかもしれない。
「私はこの肉体を得て、私自身の復讐の機会を与えられたと思っていたけど……」
アンナは言う。
「どうやら百年以上昔の、他人の復讐の手駒にされているみたいね……」
不愉快な話だ。けど、今はそれよりも好奇心が勝っていた。
もしそうだとすれば、アンナ・ディ・グレアンという駒の役割は何なのか? 復讐者は、私に何を期待してエリクサーを飲ませたのか?
いつのまにかアンナは、馬車がペティア邸に到着するのを楽しみにする心持ちになっていた。
* * *
「こちらです」
ペティアに案内されたのは、地下の書庫だった。
その部屋に入った瞬間、清涼な空気を感じた。地下室特有のじめっとした雰囲気がない。室温も適温に調整されている。
「錬金工房が開発した空調設備……あれを入れているのですか?」
「よくお気づきで。その通りです」
「大掛かりで維持費もかさむ設備です。皇宮わ政府機関でも、ごく一部の施設にしか導入されていないものですが……」
「ペティア、ノユール両家の領地収入の大半をこの書庫にあてています。空調だけでなく、害虫や小動物の対策や、劣化した資料の補修も含めて」
「大半? そこまで……」
「そこまでしても守りたい宝がこの書庫には納められているのです」
アンナは書架に収められている本を見る。背表紙に書かれたタイトルは、いずれもアンナが目にしたことのないものばかりだ。
「なるほど。確かに貴重な書物のようですが」
「いずれも帝位簒奪前の宮廷や魔法について書かれたものです。彼らによる焚書を免れたものを我が家の者たちが、代々保護・回収を続けてきました」
「つまり、先ほどのあなたのお話を裏付ける証拠品……」
「はい。そして私がまずお見せしたいのが、あちらです」
ペティアは奥の壁に貼られた地図を指差した。ごくありふれた"百合の帝国"の地図だが、そこに一本のピンが立てられている。
「このピンは……」
アンナはその場所に何があったか思い出そうとする。帝都からはかなり離れている。南西部のなだらかな丘陵地帯だ。南部の主要都市ビューゲルからも遠い。他の大都市も周囲にはなく、従って大きな街道も通っていない。まるで帝国の交通網から忘れ去られた真空地帯のような土地だった。
「クロイス公爵領の一部ですが、当の公爵もこんな場所は知りもしないでしょう。ごくごくありふれた田舎の農村。およそ宮廷の権力闘争とは無縁の地。名をサン・ジェルマンと言います」
「サン・ジェルマン!?」
その名前は実はたいして珍しくはない。悪しき竜が倒され、この地に帝国が築かれた時代に実在した聖人の名前とされており、それにあやかった地名は帝国中にある。
帝都でも、その名がつけられた通りや街区が複数あるほどだ。
けど、今ここで明かされるサン・ジェルマン村の名前が、あの錬金術師と無関係であるはずはない。
「お察しの通り、かの錬金術師の生まれ故郷です。そして……」
ペティア夫人は、続けて地図の横に飾られた1枚の絵を示した。
「真の皇帝とその一族が眠る墓所の地であります」
その絵は色付けなどもされていない簡素なスケッチだった。山に囲まれたのどかな景色。一本の大木の下に、きれいに整えられた石柱が立っている。
確かに墓のように見えるが、碑銘などが刻まれている様子はない。
「どういうことです? 先程のお話では真のリュディス帝は、バティス・スコターディ城に幽閉され、そこで生涯を終えたのではないのですか?」
「陛下ご自身は。しかし、そのご子孫が城から脱出することに成功したのです。詳しい経緯は不明ですが……」
「それで、このサン・ジェルマン村に落ち延びたと?」
「ノユール家の6代前の当主は、サン・ジェルマン伯爵から直接そう伝えられたそうです」
「本人? いや、しかし6代前というと……」
「混乱されるのはごもっとも。それがあったのは96年前、偽帝リュディスが死んだ年と伝えられています」
「ありえない……いくらあの錬金術師でも」
アンナは、エリーナだった頃サン・ジェルマン伯爵と会ったことが何度かある。今にして思えば、年齢不詳な容貌をしていたが、100歳を越えるような老人ではなかった。
「ではこちらをご覧ください」
ペティアは地図の下に丸めて置かれていた羊皮紙を手にした。縁の変色具合を見るに、この羊皮紙もかなりの年月を経たもののようだ。
「古いノユール家の系図です。公式の記録は、偽帝リュディスの時代に改ざんを命じられましたが、こちらは正しい歴史を伝えております」
羊皮紙を受け取ったアンナは、それを広げる。一番上にノユール家の紋章が描かれ、その下にいくつもの名前が並ぶ。それらは親子関係を示す縦線と、婚姻を示す横線で結ばれ、あるときは他家の紋章とつながり、ある時は養子縁組とおぼしき不規則な線で結ばれてる。
そして、歴代当主の名前には在位していた年代が刻まれている。その年代が問題だった。
「なに、これ?」
異様に長生きの当主がいる。在位期間だけで70〜80年はざらであり、ある者などは120年もその座についている。そのためこの家は、"百合の帝国"建国以来の名家にもかかわらず、歴代当主の人数が異様に少ない。
「真の皇帝がもつ魔法のひとつに、命を永らえるというものがあります」
羊皮紙を眺めながら呆然としているアンナに、ペティアは言った。
「ご自身の血を飲ませることによって、強い魔力を与え、その者の寿命を伸ばすのだそうです。代々、侍従長を務めていたノユール家当主たちは、宮廷を守るため歴代皇帝陛下の血を飲む栄誉を与えられていました」
「では、サン・ジェルマン伯爵も?」
「はい。ですから、彼の存在自体が皇族がバティス・スコターディ城を脱出した証となるのです」
サン・ジェルマンは、血液に魔力の源があることを突き止めていた。そしてそこから着想を得て、ホムンクルスを生成し、それに「異能」と呼ばれる擬似的な魔法の付与に成功している。その着想の源泉が、彼自身が飲みこんだ血液というのは、大いに考えられることだった。
「96年前、当時のノユール子爵にサン・ジェルマンは命じたそうです。侍従長でありながらみすみす簒奪を許した償いとして、真の皇族への支援を」
「それが、あなた方がしていた送金の正体……?」
ペティアは頷いた。
「はい。それも必ず宮廷や皇帝の資産からそれを用意するようにと。それで、歴代ノユール家当主や、彼らの遺志を継ぎ女官長となった私は、宮廷費からその金額を用意し続けていました」
確かに、横領された金額は、片田舎でひとつの家が不自由なく暮らせるくらいの額だ。
それにしても、それを宮廷費から出させるというところに、情念を感じる。サン・ジェルマンは旧帝室に並ならぬ忠誠をもつ男だったということか。
「そしてさらに、いずれ真の皇族が宮廷へ返り咲いた暁には、彼らへ協力するようにとも命じたそうです。そして伯爵自身、そのための陰謀をめぐらせていました」
「……するとあなたは、先帝アルディス3世の身に何が起きていたかもご存知だったのですね?」
「ここまで来れば、隠し立てするつもりはありません。私は全てを知っていますし、アルディス帝を入れ替わりに直接関与していました」
その言葉を聞いた時に、アンナは全身の産毛が逆立つのを感じた。
この老女もエリーナの恋人を殺した下手人の一人ということだ。つまり、アンナの復讐対象に他ならない。
しかし……。
「ではあなたに尋ねます。真の皇族による復讐とその手段は正当なものであると考えていますか?」
「……正直わからなくなっています。私はノユール家に伝わる真の歴史を聞いて育ちました」
ペティアは言った。
「偽帝リュディスとその子孫への敵意は消しようがありません、しかし……アルディス3世はまぎれもなく名君でした。それに引き換え、あの方を殺め成り代わったホムンクルスは、クロイス公の専横を許し貴族の腐敗を加速させた……」
その声は頼りなさげに震えていた。
「だから、本当にあれで良かったのかと、今でもそう考えています。だからこそ、誰かにこの秘密を打ち明け、楽になりたかったのかもしれません」
「……わかりました。私が聞きたかった言葉です」
本当に、先祖以来の想いに応えるのならば、彼女は自らの命もベレスの命も平然と投げ出せていただろう。それができず、これほどの重大な秘密をアンナに話そうとしたのは、彼女がこれまでの自分の行いに疑問を持っているからに他ならない。
だからアンナは、ペティア夫人の名を復讐対象者のリストに入れないことに決めた。
「ペティア夫人。私は過去に何も持たない人間です。ですから、あなたやノユール家の理想とは違う結果を導き出すことになるかもしれない。しかし、約束します。あなたの打ち明けてくれた呪わしい真実を知った上で、必ず民とこの国の幸福につながる未来を用意することを」
「……ありがとうございます。私も、そのお言葉を聞きとうございました」
ペティアと、彼女とともにいたベレス伯爵は、揃ってアンナに頭を下げる。
後に、ペティア夫人とベレス伯爵は釈放。そのまま隠居を命じられた。
ペティア邸はその大掛かりな書庫や収蔵品とともに、宮廷に移管され、その管理維持はグレアン侯爵家が担うことになる。
2人の老貴族の男女はこうして歴史の表舞台から姿を消した。しかし2人の交流は、その生涯を終えるまで続いたという。
アンナは、ベレスとペティアの2人を監獄から出すことに戸惑いを覚えたが、厳重に見張りをつければ問題なしと判断した。どのみちペティア邸と彼女の実家であるノユール邸は、家宅捜索をしなくてはならない。その際には、彼女を臨場させる必要も出てくるだろうから、やることは変わらないのだ。
「どう思う、マルムゼ?」
移動中の馬車内で、アンナは同じホムンクルスの同志に尋ねる。
「にわかには、信じ難い話です。しかし、夫人の言葉には不思議と説得感があります」
「同感ね。あれだけ荒唐無稽な話にも関わらず、辻褄は合っている……少なくとも、自分の罪を軽くするための苦し紛れの弁明とは思えない……」
「それに我々は、この国の玉座がいとも簡単に盗まれてしまう事を知っています。かの黄金帝が、マルムゼ=アルディスと同じ手口を使ったとしても、不思議はありません」
「確かにそうね……」
その場合、マルムゼ=アルディスや彼の主人、そしてサン・ジェルマン伯爵が、黄金帝の模倣犯ということになる。
それはもしかしたら、真の王の側に立つ彼らが、簒奪者の血を引く者たちにした意趣返しなのかもしれない。
「私はこの肉体を得て、私自身の復讐の機会を与えられたと思っていたけど……」
アンナは言う。
「どうやら百年以上昔の、他人の復讐の手駒にされているみたいね……」
不愉快な話だ。けど、今はそれよりも好奇心が勝っていた。
もしそうだとすれば、アンナ・ディ・グレアンという駒の役割は何なのか? 復讐者は、私に何を期待してエリクサーを飲ませたのか?
いつのまにかアンナは、馬車がペティア邸に到着するのを楽しみにする心持ちになっていた。
* * *
「こちらです」
ペティアに案内されたのは、地下の書庫だった。
その部屋に入った瞬間、清涼な空気を感じた。地下室特有のじめっとした雰囲気がない。室温も適温に調整されている。
「錬金工房が開発した空調設備……あれを入れているのですか?」
「よくお気づきで。その通りです」
「大掛かりで維持費もかさむ設備です。皇宮わ政府機関でも、ごく一部の施設にしか導入されていないものですが……」
「ペティア、ノユール両家の領地収入の大半をこの書庫にあてています。空調だけでなく、害虫や小動物の対策や、劣化した資料の補修も含めて」
「大半? そこまで……」
「そこまでしても守りたい宝がこの書庫には納められているのです」
アンナは書架に収められている本を見る。背表紙に書かれたタイトルは、いずれもアンナが目にしたことのないものばかりだ。
「なるほど。確かに貴重な書物のようですが」
「いずれも帝位簒奪前の宮廷や魔法について書かれたものです。彼らによる焚書を免れたものを我が家の者たちが、代々保護・回収を続けてきました」
「つまり、先ほどのあなたのお話を裏付ける証拠品……」
「はい。そして私がまずお見せしたいのが、あちらです」
ペティアは奥の壁に貼られた地図を指差した。ごくありふれた"百合の帝国"の地図だが、そこに一本のピンが立てられている。
「このピンは……」
アンナはその場所に何があったか思い出そうとする。帝都からはかなり離れている。南西部のなだらかな丘陵地帯だ。南部の主要都市ビューゲルからも遠い。他の大都市も周囲にはなく、従って大きな街道も通っていない。まるで帝国の交通網から忘れ去られた真空地帯のような土地だった。
「クロイス公爵領の一部ですが、当の公爵もこんな場所は知りもしないでしょう。ごくごくありふれた田舎の農村。およそ宮廷の権力闘争とは無縁の地。名をサン・ジェルマンと言います」
「サン・ジェルマン!?」
その名前は実はたいして珍しくはない。悪しき竜が倒され、この地に帝国が築かれた時代に実在した聖人の名前とされており、それにあやかった地名は帝国中にある。
帝都でも、その名がつけられた通りや街区が複数あるほどだ。
けど、今ここで明かされるサン・ジェルマン村の名前が、あの錬金術師と無関係であるはずはない。
「お察しの通り、かの錬金術師の生まれ故郷です。そして……」
ペティア夫人は、続けて地図の横に飾られた1枚の絵を示した。
「真の皇帝とその一族が眠る墓所の地であります」
その絵は色付けなどもされていない簡素なスケッチだった。山に囲まれたのどかな景色。一本の大木の下に、きれいに整えられた石柱が立っている。
確かに墓のように見えるが、碑銘などが刻まれている様子はない。
「どういうことです? 先程のお話では真のリュディス帝は、バティス・スコターディ城に幽閉され、そこで生涯を終えたのではないのですか?」
「陛下ご自身は。しかし、そのご子孫が城から脱出することに成功したのです。詳しい経緯は不明ですが……」
「それで、このサン・ジェルマン村に落ち延びたと?」
「ノユール家の6代前の当主は、サン・ジェルマン伯爵から直接そう伝えられたそうです」
「本人? いや、しかし6代前というと……」
「混乱されるのはごもっとも。それがあったのは96年前、偽帝リュディスが死んだ年と伝えられています」
「ありえない……いくらあの錬金術師でも」
アンナは、エリーナだった頃サン・ジェルマン伯爵と会ったことが何度かある。今にして思えば、年齢不詳な容貌をしていたが、100歳を越えるような老人ではなかった。
「ではこちらをご覧ください」
ペティアは地図の下に丸めて置かれていた羊皮紙を手にした。縁の変色具合を見るに、この羊皮紙もかなりの年月を経たもののようだ。
「古いノユール家の系図です。公式の記録は、偽帝リュディスの時代に改ざんを命じられましたが、こちらは正しい歴史を伝えております」
羊皮紙を受け取ったアンナは、それを広げる。一番上にノユール家の紋章が描かれ、その下にいくつもの名前が並ぶ。それらは親子関係を示す縦線と、婚姻を示す横線で結ばれ、あるときは他家の紋章とつながり、ある時は養子縁組とおぼしき不規則な線で結ばれてる。
そして、歴代当主の名前には在位していた年代が刻まれている。その年代が問題だった。
「なに、これ?」
異様に長生きの当主がいる。在位期間だけで70〜80年はざらであり、ある者などは120年もその座についている。そのためこの家は、"百合の帝国"建国以来の名家にもかかわらず、歴代当主の人数が異様に少ない。
「真の皇帝がもつ魔法のひとつに、命を永らえるというものがあります」
羊皮紙を眺めながら呆然としているアンナに、ペティアは言った。
「ご自身の血を飲ませることによって、強い魔力を与え、その者の寿命を伸ばすのだそうです。代々、侍従長を務めていたノユール家当主たちは、宮廷を守るため歴代皇帝陛下の血を飲む栄誉を与えられていました」
「では、サン・ジェルマン伯爵も?」
「はい。ですから、彼の存在自体が皇族がバティス・スコターディ城を脱出した証となるのです」
サン・ジェルマンは、血液に魔力の源があることを突き止めていた。そしてそこから着想を得て、ホムンクルスを生成し、それに「異能」と呼ばれる擬似的な魔法の付与に成功している。その着想の源泉が、彼自身が飲みこんだ血液というのは、大いに考えられることだった。
「96年前、当時のノユール子爵にサン・ジェルマンは命じたそうです。侍従長でありながらみすみす簒奪を許した償いとして、真の皇族への支援を」
「それが、あなた方がしていた送金の正体……?」
ペティアは頷いた。
「はい。それも必ず宮廷や皇帝の資産からそれを用意するようにと。それで、歴代ノユール家当主や、彼らの遺志を継ぎ女官長となった私は、宮廷費からその金額を用意し続けていました」
確かに、横領された金額は、片田舎でひとつの家が不自由なく暮らせるくらいの額だ。
それにしても、それを宮廷費から出させるというところに、情念を感じる。サン・ジェルマンは旧帝室に並ならぬ忠誠をもつ男だったということか。
「そしてさらに、いずれ真の皇族が宮廷へ返り咲いた暁には、彼らへ協力するようにとも命じたそうです。そして伯爵自身、そのための陰謀をめぐらせていました」
「……するとあなたは、先帝アルディス3世の身に何が起きていたかもご存知だったのですね?」
「ここまで来れば、隠し立てするつもりはありません。私は全てを知っていますし、アルディス帝を入れ替わりに直接関与していました」
その言葉を聞いた時に、アンナは全身の産毛が逆立つのを感じた。
この老女もエリーナの恋人を殺した下手人の一人ということだ。つまり、アンナの復讐対象に他ならない。
しかし……。
「ではあなたに尋ねます。真の皇族による復讐とその手段は正当なものであると考えていますか?」
「……正直わからなくなっています。私はノユール家に伝わる真の歴史を聞いて育ちました」
ペティアは言った。
「偽帝リュディスとその子孫への敵意は消しようがありません、しかし……アルディス3世はまぎれもなく名君でした。それに引き換え、あの方を殺め成り代わったホムンクルスは、クロイス公の専横を許し貴族の腐敗を加速させた……」
その声は頼りなさげに震えていた。
「だから、本当にあれで良かったのかと、今でもそう考えています。だからこそ、誰かにこの秘密を打ち明け、楽になりたかったのかもしれません」
「……わかりました。私が聞きたかった言葉です」
本当に、先祖以来の想いに応えるのならば、彼女は自らの命もベレスの命も平然と投げ出せていただろう。それができず、これほどの重大な秘密をアンナに話そうとしたのは、彼女がこれまでの自分の行いに疑問を持っているからに他ならない。
だからアンナは、ペティア夫人の名を復讐対象者のリストに入れないことに決めた。
「ペティア夫人。私は過去に何も持たない人間です。ですから、あなたやノユール家の理想とは違う結果を導き出すことになるかもしれない。しかし、約束します。あなたの打ち明けてくれた呪わしい真実を知った上で、必ず民とこの国の幸福につながる未来を用意することを」
「……ありがとうございます。私も、そのお言葉を聞きとうございました」
ペティアと、彼女とともにいたベレス伯爵は、揃ってアンナに頭を下げる。
後に、ペティア夫人とベレス伯爵は釈放。そのまま隠居を命じられた。
ペティア邸はその大掛かりな書庫や収蔵品とともに、宮廷に移管され、その管理維持はグレアン侯爵家が担うことになる。
2人の老貴族の男女はこうして歴史の表舞台から姿を消した。しかし2人の交流は、その生涯を終えるまで続いたという。