「さあ、他のお客様もいらっしゃいました」
本殿から次々と馬車がやってくる。
「皇妃陛下この度はお招きいただきありがとうございます」
「けど驚きましたわ。急に会場変更だなんて」
「それにこの服装。一体どういうことですの?」
「初めて開かれるお茶会にしては、冒険が過ぎませんかこと?」
慣れないながらも皇妃が一生懸命に誘った、有力貴族やの夫人や令嬢が続々と集まってくる。
そのほとんど全員が、皇妃の貸した腰の絞りがないドレスを着ていた。宮廷では普段着ない装いに戸惑い、皇妃の真意を掴みかねている様子だ。
「確かに慣れない格好ですが、皇妃様と同じお召し物を着せていただけるなんて嬉しいですわ!」
「私もです!それに東苑に入るのも初めてですので、少しわくわくしていますの」
女性たちの全員が、皇妃を不審の目で見ているわけではなさそうだった。中には意表をついた趣向に目を輝かせているものもいる。
彼女たちの名前と顔は覚えておこうとアンナは思った。貴族の慣習に縛られないものとして、今後なんらかの形で味方にできるかもしれない。
「それではみなさん、どうぞこちらへ。池のほとりに席を用意してます」
アンナは夫人たちを案内する。テーブルにはすでにお茶と菓子を用意していた。
「馬鹿な、菓子をどうやって準備して……」
思わずこぼれた独り言に気づいて、グリージュス夫人ははっとして口をつぐむ。
聞かなかったことにしてやろう、とアンナは思った。これほど迂闊に秘密を漏らすとは、目論見が外れて焦っている証だ。ならばこの女にできることは、もはや何もない。
「これは……」
貴族の女性たちはテーブルに並んだ見慣れぬ菓子に戸惑っていた。彼女たちが慣れ親しんだケーキやビスケットとは色も形状も異なったものだ。
「へ、陛下? これは……?」
「私からご説明しましょう」
そう言うと皆の視線がアンナに集中した。
「皆様、本日用意したのは"大地のケーキ"と呼ばれる帝都下町の菓子でございます」
「下町の……?」
貴婦人たちがざわつく。
大地のケーキは、下町の子どもたちが大好きな駄菓子だ。もちろん子供時代のエリーナも好きだった。
精製していない全粒粉に蕎麦やキビなどの雑穀や、糖蜜漬けの果物の皮などを混ぜて焼いた簡素な甘味。
もともと春の訪れとともに、冬に残った保存食を使い切るために作ったものが起源とされていて、この季節の風物詩でもある。
「そ、そんな下賤な食べ物を私達に食べさせようというのですか!?」
グリージュス夫人が金切り声を上げる。
「ええ、これが本日の趣向です」
眉ひとつ動かさずにアンナは答えた。
「何しろ、近頃お祝い続きでしたでしょう? 皇帝の小麦を使った贅沢なケーキは皆様食べ飽いてる頃かと思いましたので」
わざとらしくグリージュス夫人を見た。お前たちが高級菓子を買い占めるために、クロイス派貴族たちは、無駄な祝い事を繰り返してきたんだろう? という無言の問いかけと共に。
「折りしも本日は、このように暖かな陽気。帝都市民のようにピクニックに洒落込むのも一興かと思いましたの」
「なるほど……」
「確かに、たまにはこういうのも刺激的かもしれませんね」
物珍しさに物怖じしている人はまだ多いが、何人かは興味を抱いているようだ。
「まぁ、懐かしい!」
そんな中、声を上げたのはエスリー子爵夫人。隣国"銀嶺の国"から嫁いできた女性だ。
「私の故国にも似たようなお菓子があります。貴族も平民も皆好きな、故郷の味です」
「どうぞお召し上がり下さい。今、熱いお茶も入れさせます」
給餌が熱々のお茶を参加者たちのカップへ注いでいく。
「う~ん、これこれ! 帝国のお菓子はどれも美味しいですが、私はやっぱりこれが好きなんです」
山国である”銀嶺の国”は帝国よりも冬が厳しい。だから春の訪れを祝うこのケーキは、あの国の人々にとっては何よりの楽しみだったのかもしれない。
エスリー夫人が口いっぱいに茶色いケーキを頬張る様子を見て、他の皆も恐る恐る下賤な菓子を口へと運んでいく。
「まぁ」
「これは……」
「意外と、悪くないですわね」
反応は上々だ。
「全粒粉と雑穀を使っているので、大地のケーキはお腹に溜まりやすいです。ですから本日は皆さんにコルセットを外して頂きました。どうぞ、ごゆっくりお寛ぎ下さい」
「なんと、服を着替えたのはそういうことだったのですね」
「皇妃陛下のお心遣い、誠に感謝いたしさます」
いいぞ、どんどんと風向きはこちらに変わってきている。
ただ一人、コルセットをはめた参加者だけが面白くなさそうな顔をしているが……。
「それに、この場所もとても素敵です。今日のようなゆったりとした会にはぴったりで」
参加者の女性の一人がそんな事を言ったときに、すかさずアンナは隣に座る皇妃の背中を軽く叩いた。
「そ、そうなんです! 私も最近知ったのですけども、この場所が気に入ったので皆様にも一緒に楽しんでほしいと思いまして……!」
皇妃は嬉しそうにそう話す。
「この花畑は、風がとても心地よいのです。それに聞こえてくる音や、花々の香りも……」
「皆さん、どうぞ目を閉じてみて下さい」
アンナは参加者たちに言う。
「目を……?」
「そう。皇妃陛下と同じように」
その一言で、誰もが真意を理解したようだ。貴婦人たちは目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。
風が吹いた。木々がそれに揺られ、葉っぱが擦れてカサカサという音がする。更にどこかでは小鳥がさえずり、人造池の水面では水鳥が羽ばたきの音を立てる。
地面をかすめる一陣の風が、花々を花粉を巻き上げその香りがふんわりとその場にたゆたう。
人工的な美しさで固められた王宮の応接室とは真逆の美が、この場所には満ちている。彼女たちはそれを全身で感じ取っていた。
「なんと言いましょうか……とても落ち着きます」
「ええ。普段の気疲れから解き放たれるよう……」
「皇妃様は普段、こんなにも豊かな時間を過ごされていたのですね」
そんな言葉が出てきたのが、成功の証だった。グリージュス夫人の、そしてクロイス派の目論見は完全に失敗した。
盲目の皇妃による風変わりなお茶会は、大成功だった。
「本当に、本当にありがとうございました、グレアン伯爵!」
お茶会が終わった後、アンナは皇妃の私室へと通された。この部屋にはいるのは初めてだ。もちろん寵姫だった時代にも入った事はない。
「いえ、私はできる範囲のことをしただけです」
「それにしても、大地のケーキとは……あのようなものを用意する気転はさすがでした」
「大したことではございません」
本当に大したことではない。この時期、帝都の駄菓子屋に行けばどこででも手に入るものだ。
今回の参加者の人数分程度なら、一切れのケーキを作る分量の皇帝の小麦だけでもお釣りが来る。
「けど、皇妃様の主催する会で下賤の菓子を出してしまったことに、お怒りになる方は多いでしょう。いかような処分もお受けするつもりです」
例えば、何よりも宮廷の秩序を重んじる、宮廷女官長ペティア夫人などは発狂するに違いない。
「処分など! そんな事気にしないで下さい。宮廷の規則やマナーなんかよりも、ひとりひとりが何を感じたかのほうが大切です。皆が満足して帰ってくれた。それでいいではありませんか」
「……ありがたきお言葉です」
「本当、あなたのような方に会えて良かった。グレアン伯爵……いいえ、どうかアンナと呼ばせて下さい」
「なんと! そのような恐れ大き事を」
主君に家名や爵位ではなく、名前で呼ばれる。それは主従の関係から友人へと昇格したことを意味する。
「いいえ。あなたはそれに値するものを、私に与えてくれました。頂いただけのものを、私は返さなくてはなりません」
「皇妃様……」
「アンナ、私はあなたは次の宮廷女官長に推挙したいと思います。ペティア夫人は厳格な方ですが、規律に頭が凝り固まっているところがあります。あなたのように機知に富んだ方にこそ、私に仕えていただきたいのです!」
* * *
「それは、おめでとうございます」
「気が早いわよマルムゼ。もちろん断りました」
帰宅後、アンナの執務室。調査より戻ったマルムゼに、今日の出来事を語っている最中だった。
「残念ながら、今の皇妃に宮廷人事に口出し出来るような影響力はないもの」
結婚後まもなく目を患い、長らく表に出てこなかった女性だ。
今回だってグリージュス夫人がそそのかさなければ、お茶会の主催などやらなかっただろう。そんな人が、宮廷女官長を変えたいなどと言っても、誰も耳を貸しはしない。
ただ推薦されたアンナ自身の立場が悪くなるだけだ。純真な皇妃様はそこに気がついていないようだが……。
「しかし、あなた様が女官長となれば、目標の達成は早まりますな」
「それはそうね。確かにあのポストには興味がある」
女官長は、皇族の世話をする全ての者の頂点に立つ存在だ。ある意味ではヴィスタネージュの影の実力者であり、皇帝や皇妃の命運を左右することだって不可能ではない。
けども、無理にペティア夫人に成り代わろうとしてはならない。
彼女は中立を装っているが、下手に排除しよう動けば、クロイス派と結びつくだろう。もしそうなれば、新参者で立場の弱いアンナの方が追い落とされてしまう。
「今回のお茶会で、これはと思う女性が何人かいました。うまく味方につければ、皇妃派を立ち上げることができるかもしれない」
「なるほど。直接権力を奪うのではなく、クロイス派に対抗できる派閥を作ろうと?」
「まだ先の話ですけどもね。女官長の座に興味はあるけど、焦ってはいけないわ。そこについては、私にも少し考えがあるの」
「ほう?」
マルムゼの目が一瞬、怪しく輝いたように見えた。その目を見ると、自分の鼓動が少しだけ強くなるのを感じる。
どうやら私は、この男との悪巧みをするのを、事のほか楽しんでいるようだ。
「さて、この件に関しては後回しでも構わない。それより、あなたの報告を聞きましょう」
「かしこまりました」
マルムゼは姿勢を正し。クロイス家が買い占めた皇帝の小麦の行き先について報告を始めた。
「……なるほど。それにしても、まさかあそことはね」
「私も盲点でした。しかしこの帝都の近辺で大量の物資を隠すとなると、確かにあそこは絶好の場所です」
「わかりました。じゃあ、ここからは私達の番ね。グリージュス夫妻に自分たちのした事を後悔して頂きましょう」
皇妃に恥をかかせるなんて馬鹿げたことのために、帝都市民の生活を脅かしたのだ。相応の報いは受けてしかるべきだ。
「マルムゼ、帝都軍事総監と話がしたい。手配していただけますか?」
「すでに準備を始めています。近日中に面会の場を設けましょう」
「ふふふっ! マルムゼ、あなた最高ね。私の望むことを私が望む以上の速さでやってくれる」
「あっ、ありがとうございます!」
マルムゼの目が嬉しそうな光を帯びる、まるで愛玩犬が主人に褒められてはしゃぐ様子みたいだな,と思う。
先ほどの怪しい輝きとは真逆。けど彼のこんな表情もまた、別種の高揚をアンナに与えるのだった。
* * *
帝都軍事総監ラルガ侯爵は、かつてフィルヴィーユ派の政敵と目された人物だ。
かといって、クロイス公爵の息がかかった大貴族とも違う。軍人上がりの実直な政治家で、貴族の権力闘争とも距離をとっていた。
彼がエリーナたちの提言する政策に反論し続けたのは、性急な改革が社会に与える影響を危惧したためであり、決して自己保身や平民階級の軽視からではない。むしろフィルヴィーユ派が壊滅した今、宰相クロイス公爵の政権内では孤立し、政治の舞台であるヴィスタネージュを離れ、帝都の防衛を押し付けられるという有様だった。
帝都が外敵の侵入にさらされるなどということは、建国以来ただの一度もない。よって帝都防衛総監という立場も、名前の響きほど重要性はないのだ。
「グレアン伯アンナと申します。突然お呼び立てして申し訳ありません」
そんなラルガ侯との面会は、帝都郊外の小さな別荘で行われた。マルムゼの主人が所有している物件のひとつだ。
「お飲み物は何がよろしいでしょう?」
「いえ結構。非公式ではありますが、公務で来ております。饗応を受けるわけにはいきません」
相変わらずの堅物ぶりだ。が、だからこそこの男を信頼できる。
「では早速本題に入りましょう」
「はい。あの書簡に書かれていたことは事実ですか?」
書簡とは、マルムゼが侯爵に宛てたものだ。その内容は、近いうちに帝都で小麦の価格が高騰する事を示唆している。
「最初はただのイタズラ手紙かと思いました。ですが確認したら確かに等級の高い小麦で不自然な値動きがあった。あなたはどこでそれを知ったのです?」
「ご説明しましょう」
アンナは先日の皇妃主催のお茶会の件を説明した。ラルガ侯爵は、彼女の話を聞きながら次第に表情が変わっていく。
「なるほど。彼らならやりかねない……皇妃陛下を貶めるなど、本来あってはならないことですが……」
「さらに、グリージュス公爵は皇帝の小麦の高騰に便乗して私腹を肥やそうとしています。息のかかった業者を動かし下位等級の小麦の価格も釣り上げる動きがあるのです」
「それで、あの書簡を私に送ったのですね」
それこそが、マルムゼの調査で手に入れた情報だった。権力闘争の副産物として、ついでに自分の財布も重くしておこうというわけだ。
いや、本命である権力闘争が失敗した以上、こちらで元を取ろうといっそう躍起になるかもしれない。
「皇帝の小麦の保管場所や、価格操作を目論んでいる業者は、こちらで見つけ出しています」
アンナはマルムゼが作成した調査報告書をラルガ侯爵に渡す。
「すでにここまで……!」
「あとは指揮下の軍を動かし、立ち入り捜査を行えば、全てを白日に晒すことが可能です」
「ううむ……」
侯爵は資料を睨みながら、考え込んでいた。アンナの目から見て、マルムゼの調査はほぼ完璧だった。
あとは侯爵の決断ひとつで、帝都の混乱を未然に防げるはずだ。
とはいえ彼も、その決断を安易に下すわけにはいかない。それについてはアンナも理解していた。
「お悩み、ですか?」
「正直申しまして、用意が良すぎます」
「と、言いますと?」
「お話を伺う限り、あなたは皇妃様の一友人でしかない。小麦の値動きや帝都の混乱などどうでもいいはず。なのにここまで周到に話を進めているとなると、2つの疑念が出てくるのです」
流石だ。この人は、陰謀渦巻く貴族社会をよく知っている。
アンナは彼の懸念を答えてみせる。
「ひとつは、私がクロイス派を陥れるために、あなたを利用しているのでは、という疑念。もうひとつは、私こそがクロイス派と繋がっており、あなたを陥れようとしているのでは、という疑念。違いますか?」
ラルガ侯爵は大きく目を見開き、驚愕な表情で応えた。
「これは……失礼ですが、そのお歳でしかも女性で、よくぞそこまで……」
「詳しいことは教えられませんが、私も綺麗事ですまない世界のことを多少知っておりますので……」
ラルガ侯爵に年数こそ満たないが、エリーナとて権謀術数の中で生きてきた人間なのだ。
「お疑いになるのは無理もありません。なので私も誠意を見せたく思います」
「それは、どうやってですか?」
「もし侯爵が調査隊を組織するというのなら、私自らその陣頭に立ち、グリージュス公爵の悪事を暴きましょう!」
「あなたが陣頭に!?」
「ええ、そしてもし私に不審な様子があるなら、即刻お斬り捨て下さい!」
無人の旧職人街は完全な暗闇に覆われていた。
月光と建物から漏れ出るランプの灯りのみを頼りに進んでいた捜査隊も、流石にこのエリアに入ると足が止まる。
「なるほど、こっから先は完全な闇。ランプを使えば、あの小屋からすぐにわかると……考えてるな」
エイダー男爵は目を凝らしながらつぶやいた。
広大な更地の中央部に、丸太や石灰などの建築資材と小さな作業小屋がある。星のかすかな光でようやく視認できるほどのおぼろな影だ。
「あそこに積まれた丸太の影に地下道への入り口があります」
マルムゼが言う。入り口の所在までは確認済みなのだ。
「どうやって進みますか、男爵?」
「……」
エイダーは考え込み、返事をしない。資材置き場までは何も障害物がない更地。這って直進すれば、灯りなしでも到達可能に見える。
が、更地というのがかえって怖い。落とし穴や撒き菱のような罠が仕掛けられている可能性は極めて高い。
「強行突入はどうでしょう?あえて松明を焚いて、全軍で小屋に突っ込むのです」
マルムゼが提案する。
「それは……相手に気づかれても良いと?」
「どれだけ気配を殺しても、300人が動けばどこかで必ず気づかれます。接近に時間を掛ければ、証拠品を燃やされる可能性もあるでしょう」
「なるほど……」
エイダー男爵はしばらく考えいた。
「大雑多に見えるが、案外有効な策だ。向こうはまだこちらの動きに気づいていないはず……」
300人の兵士が声をあげて突撃すれば、必ず混乱が生じる。それに乗じて、相手が証拠品の小麦を焼き払う前に、地下に到達すればいいのだ。
「なるほど、恐らくあなたが正しい。流石はもと近衛兵ですな」
マルムゼは黒と銀の近衛隊軍服を着ている。いつもは、アンナの好みの色とデザインで仕立てた服を着せているが、今日だけは例外だ。
軍人や兵士相手には、この格好の方が意見を通しやすいと考えたためだが、どうやらうまくいったらしい。軍人特有の仲間意識が良い方に働いたようだ。
「よし各小隊は小屋を囲むように展開。合図と同時に松明を灯し突撃せよ」
命令は速やかに、300名の兵士たち全員に伝えられた。そして更地を包囲するように展開する。
「全軍突撃!」
男爵の雄叫びと共に、銃剣を構えた全兵士が走り始める。
案の定、落とし穴に足を取られる者、撒き菱を踏み抜くものが続出するが、構わず突き進む。
小屋から銃声。見張りたちも応戦を始めたようだが、すでに足の速い者は資材置き場に到達していた。
「小屋にいる者は殺すな! 全員逮捕するのだ!」
生かしておけばクロイス派の悪事の証人となる。
「隊長! 地下道の入り口を発見しました」
積まれた木材はに囲われるよにして穴は存在した。台車が何台も出入できるような大きな穴だ。
木の板で塞がっているように偽装されているが、兵士が蹴破ると松明の光が届かないような黒々とした空間が現れた。
兵士たちは暗闇にひるむこともなく中へと入っていく。
「アンナ様、我々も」
「ええ!」
二人は地下へと足を踏み出した。
「奴らが隠した小麦は一掴みも残さず、全て押収せよ!」
背後で声。エイダー男爵はアンナとマルムゼのすぐ後ろにいた。兵士たちの指揮をしつつも、父グレアン侯の命令はしっかりと守っている。
厄介なお目付役だ。アンナは舌打ちしたい気分にかられた。
地上との通路を抜けた先に広大な空間が広がっていた。そこに小麦の袋が堆く積み上げられている。
袋だけではない、樽や木箱なども大量にある。どうやらグリージュス公爵が溜め込んでいた闇物資は小麦だけではなかったらしい。
「あれは!」
松明に照らされた木箱のひとつがアンナの目に飛び込んだ。
それには焼印で『陸軍第18連隊』と記されている。エリーナが生前に追おうとしていた、軍需物資の横流し問題。どうやらその実行犯もグリージュス公爵だったらしい。
「袋を焼き払わせるな! 抵抗する者には容赦無用!」
エイダー男爵自身もサーベルを抜き払って臨戦体制をとる。今が頃合いか。
「マルムゼ!」
アンナは視線で、奥に続く通路を示した。マルムゼはうなずき、二人はそちらへ向かって走ろうとする。
「お二方、どちらへ行かれる?」
エイダーが2人の行動に気がつき、制止する。目ざとい男だ。
「男爵、御免!」
すかさずマルムゼの手が伸び、エイダー男爵の体に触れた。"認識迷彩"を発動。
男爵の認識を書き換え、マルムゼとアンナが通路に入るのを見逃させようとする。
「奥へ向かうのは、この空間にある物資を外に出してからにしていただこう。それまではここで待機願いたい!」
「!!」
マルムゼの異能が効かない!?
アンナは思わず舌打ちしそうになった。その場に絶対に人がいてはいけない状況ならば、"認識迷彩"は通用しない。これは以前マルムゼが説明していたことだ。
つまりこの男は、この戦場で自分の命令なしに勝手な行動を起こす者を、一切認めてない。
いかなる例外も許さない。軍人としては完璧すぎるほどに完璧な思考の持ち主だ。こうなると、更に深層の意識を書き換える必要があるが、そんな隙を彼は与えてくれないだろう。
「足手纏いにはなるな、そう私は申し上げたはず。隊の足を引っ張るような行動を謹んでいただきたい!」
さて、どうする。どうにかしてこの男から離れなければならない。
「アンナ様、私に"感覚共有"をお使いください」
「え?」
「そして内部構造を私に」
なるほど、すぐにマルムゼの意図を察知する。アンナはマルムゼの手を強く握りしめ、この工房を訪れた時の記憶を思い返した。
「ご無礼仕る!」
マルムゼは右腕をアンナの背中に、左腕を脚に回してアンナの身体を抱き抱えた。アンナも彼の首に腕を絡ませる。
「待たれよ!」
エイダーの叫びを背後に残し、マルムゼは全力で通路の中へ駆け込んでいった。疾い。アンナを抱いた状態にも関わらず、追いすがるエイダーを突き放していく。
「くそっ! 誰か灯りを! この奥にランプをかざせ!」
エイダーの声が急速に遠のいていく。ここから先に照明はない。正確な構造を知らなければ、全力疾走するマルムぜを追うことは難しいだろう。
「次の角を右に曲がって、その先の分かれ道は左よ」
「はい!」
一方マルムゼは一周たりとも止まらず暗闇を疾駆する。ホムンクルスは通常に人間より感覚が鋭敏だ。ほんの僅かな光でも周囲の状況を察知できる。
「そうしたら階段があるはずです。それを下りて……」
「承知しています!」
あ、そうか。口に出すまでもない事にアンナは気がつく。今彼は頭の中でアンナと同じものを見ているのだ。
どこをどう進めば、どこへ行き着くのか。アンナが目指している場所はどこなのか。マルムゼはすべて理解している。
階段をまるで飛び降りるように駆け抜け、すぐさま分岐を左へ進む。さらに分かれ道と階段。複雑に曲がりくねった通路を抜ける。
それまでと変わり、真っ直ぐに一本の通路が伸びる区画に出た。そこでマルムゼは壁の穴に手を突っ込むと、中にあるレバーを引く。通路の配置されたガスランプが自動的に点り、通路が照らされた。
天井にめぐらされている金属製の管。それに可燃性の気体が通り、それがランプに火をつけるのだ。帝都の繁華街を昼のように照らしているガス灯と同じ仕掛けだ。
「ここは錬金術師たちの個人研究室があった区画です」
通路沿いに扉が連なっている。だがその奥はいずれも空き部屋となっており、文献や研究資材はひとつも残っていない。工房が閉鎖される時にすべて押収されたのだろう。
「突き当たりまで進んでください」
マルムゼは通路の最奥まで走り、そこでアンナの身体をおろした。
「ここから先は?」
「隠し通路になっています」
アンナはしゃがみ込む。床のタイルに積もった埃を手で払いのける。
「壁際から四列目。赤いタイルの2つ右側……これね」
かつて錬金術師に教えられたタイルを見つけると。全体重をかけてそれを押し込んだ。
すると、壁のブロックがいくつか飛び出してくる。それを決められた手順通りに押し戻す。今度は反対側の壁のブロックが飛び出す。それを同じように手順通り押すと、ついに突き当たりの壁が動き始めた。
「この先に……何があるのですか?」
「私も、入り方は聞いていましたが中へ入るのは初めてです。ここを管理していた錬金術師は、自分が死んだ時以外は中に入るなと、そう言っていました」
アンナはごくりと唾を飲み込む。そして意を決して、壁に現れた空間へと足を踏み入れる。
「これは」
中の空間は意外にも光があった。だが、ランプの灯火ではない。月光に似た、青く淡い光だ。
「見つけた……」
アンナは自分の心臓が、いつにないほど大きく鼓動しているのを感じていた。
興奮のせいか、あるいはホムンクルスの肉体が同じ錬金術の産物に共鳴しているのか。
「まさかこれは……」
「ええ。賢者の石に間違いありません」
部屋の中央には、液体に満たされた大きなフラスコがある。
その底に小指の先ほどの小さな結晶体が沈んでいる。部屋の光は、その結晶体から放たれているものだった。
「賢者の石、ホムンクルスやエリクサーに並ぶ、錬金術の到達点ですね」
「はい。強大なエネルギーを内側に秘める物質。これを触媒とすれば、あらゆる不可思議を引き起こすことができます。それこそ魔法時代の英雄たちのように……!」
あれだけ小さな結晶だけで、この部屋全体を照らすだけの光を発している。
それだけでも、この石に秘められた力が垣間見える。
「回収しますか」
「いいえ、このままにしておきましょう。あの石はまだ生成中だと思います」
アンナの魂をホムンクルスに馴染ませるまでに丸2年がかかったように、錬金術の成果が目に見えるまでには待つ時間も必要となるのだ。
フィルヴィーユ派の壊滅から数えても3年。それだけの時間をかけてもまだ、石はあの程度の大きさにしかなっていない。
「再び通路を塞ぎ、そのままにしておくのです。私が錬金工房を復活させるその日まで」
大貴族たちを滅ぼし、皇帝に復讐する。そのための最強のカードを見つけた。
あとはこのカードをどうやって自分の持ち札にするかだ。そして相手には絶対に、このカードを引かせてはならない。
「さあ、エイダー男爵がここを見つける前に、上に戻りましょう」
言うとアンナは踵を返し、秘密の部屋を後にした。
無人の旧職人街は完全な暗闇に覆われていた。
月光と建物から漏れ出るランプの灯りのみを頼りに進んでいた捜査隊も、流石にこのエリアに入ると足が止まる。
「なるほど、こっから先は完全な闇。ランプを使えば、あの小屋からすぐにわかると……考えてるな」
エイダー男爵は目を凝らしながらつぶやいた。
広大な更地の中央部に、丸太や石灰などの建築資材と小さな作業小屋がある。星のかすかな光でようやく視認できるほどのおぼろな影だ。
「あそこに積まれた丸太の影に地下道への入り口があります」
マルムゼが言う。入り口の所在までは確認済みなのだ。
「どうやって進みますか、男爵?」
「……」
エイダーは考え込み、返事をしない。資材置き場までは何も障害物がない更地。這って直進すれば、灯りなしでも到達可能に見える。
が、更地というのがかえって怖い。落とし穴や撒き菱のような罠が仕掛けられている可能性は極めて高い。
「強行突入はどうでしょう?あえて松明を焚いて、全軍で小屋に突っ込むのです」
マルムゼが提案する。
「それは……相手に気づかれても良いと?」
「どれだけ気配を殺しても、300人が動けばどこかで必ず気づかれます。接近に時間を掛ければ、証拠品を燃やされる可能性もあるでしょう」
「なるほど……」
エイダー男爵はしばらく考えいた。
「大雑多に見えるが、案外有効な策だ。向こうはまだこちらの動きに気づいていないはず……」
300人の兵士が声をあげて突撃すれば、必ず混乱が生じる。それに乗じて、相手が証拠品の小麦を焼き払う前に、地下に到達すればいいのだ。
「なるほど、恐らくあなたが正しい。流石はもと近衛兵ですな」
マルムゼは黒と銀の近衛隊軍服を着ている。いつもは、アンナの好みの色とデザインで仕立てた服を着せているが、今日だけは例外だ。
軍人や兵士相手には、この格好の方が意見を通しやすいと考えたためだが、どうやらうまくいったらしい。軍人特有の仲間意識が良い方に働いたようだ。
「よし各小隊は小屋を囲むように展開。合図と同時に松明を灯し突撃せよ」
命令は速やかに、300名の兵士たち全員に伝えられた。そして更地を包囲するように展開する。
「全軍突撃!」
男爵の雄叫びと共に、銃剣を構えた全兵士が走り始める。
案の定、落とし穴に足を取られる者、撒き菱を踏み抜くものが続出するが、構わず突き進む。
小屋から銃声。見張りたちも応戦を始めたようだが、すでに足の速い者は資材置き場に到達していた。
「小屋にいる者は殺すな! 全員逮捕するのだ!」
生かしておけばクロイス派の悪事の証人となる。
「隊長! 地下道の入り口を発見しました」
積まれた木材はに囲われるよにして穴は存在した。台車が何台も出入できるような大きな穴だ。
木の板で塞がっているように偽装されているが、兵士が蹴破ると松明の光が届かないような黒々とした空間が現れた。
兵士たちは暗闇にひるむこともなく中へと入っていく。
「アンナ様、我々も」
「ええ!」
二人は地下へと足を踏み出した。
「奴らが隠した小麦は一掴みも残さず、全て押収せよ!」
背後で声。エイダー男爵はアンナとマルムゼのすぐ後ろにいた。兵士たちの指揮をしつつも、父グレアン侯の命令はしっかりと守っている。
厄介なお目付役だ。アンナは舌打ちしたい気分にかられた。
地上との通路を抜けた先に広大な空間が広がっていた。そこに小麦の袋が堆く積み上げられている。
袋だけではない、樽や木箱なども大量にある。どうやらグリージュス公爵が溜め込んでいた闇物資は小麦だけではなかったらしい。
「あれは!」
松明に照らされた木箱のひとつがアンナの目に飛び込んだ。
それには焼印で『陸軍第18連隊』と記されている。エリーナが生前に追おうとしていた、軍需物資の横流し問題。どうやらその実行犯もグリージュス公爵だったらしい。
「袋を焼き払わせるな! 抵抗する者には容赦無用!」
エイダー男爵自身もサーベルを抜き払って臨戦体制をとる。今が頃合いか。
「マルムゼ!」
アンナは視線で、奥に続く通路を示した。マルムゼはうなずき、二人はそちらへ向かって走ろうとする。
「お二方、どちらへ行かれる?」
エイダーが2人の行動に気がつき、制止する。目ざとい男だ。
「男爵、御免!」
すかさずマルムゼの手が伸び、エイダー男爵の体に触れた。"認識迷彩"を発動。
男爵の認識を書き換え、マルムゼとアンナが通路に入るのを見逃させようとする。
「奥へ向かうのは、この空間にある物資を外に出してからにしていただこう。それまではここで待機願いたい!」
「!!」
マルムゼの異能が効かない!?
アンナは思わず舌打ちしそうになった。その場に絶対に人がいてはいけない状況ならば、"認識迷彩"は通用しない。これは以前マルムゼが説明していたことだ。
つまりこの男は、この戦場で自分の命令なしに勝手な行動を起こす者を、一切認めてない。
いかなる例外も許さない。軍人としては完璧すぎるほどに完璧な思考の持ち主だ。こうなると、更に深層の意識を書き換える必要があるが、そんな隙を彼は与えてくれないだろう。
「足手纏いにはなるな、そう私は申し上げたはず。隊の足を引っ張るような行動を謹んでいただきたい!」
さて、どうする。どうにかしてこの男から離れなければならない。
「アンナ様、私に"感覚共有"をお使いください」
「え?」
「そして内部構造を私に」
なるほど、すぐにマルムゼの意図を察知する。アンナはマルムゼの手を強く握りしめ、この工房を訪れた時の記憶を思い返した。
「ご無礼仕る!」
マルムゼは右腕をアンナの背中に、左腕を脚に回してアンナの身体を抱き抱えた。アンナも彼の首に腕を絡ませる。
「待たれよ!」
エイダーの叫びを背後に残し、マルムゼは全力で通路の中へ駆け込んでいった。疾い。アンナを抱いた状態にも関わらず、追いすがるエイダーを突き放していく。
「くそっ! 誰か灯りを! この奥にランプをかざせ!」
エイダーの声が急速に遠のいていく。ここから先に照明はない。正確な構造を知らなければ、全力疾走するマルムぜを追うことは難しいだろう。
「次の角を右に曲がって、その先の分かれ道は左よ」
「はい!」
一方マルムゼは一周たりとも止まらず暗闇を疾駆する。ホムンクルスは通常に人間より感覚が鋭敏だ。ほんの僅かな光でも周囲の状況を察知できる。
「そうしたら階段があるはずです。それを下りて……」
「承知しています!」
あ、そうか。口に出すまでもない事にアンナは気がつく。今彼は頭の中でアンナと同じものを見ているのだ。
どこをどう進めば、どこへ行き着くのか。アンナが目指している場所はどこなのか。マルムゼはすべて理解している。
階段をまるで飛び降りるように駆け抜け、すぐさま分岐を左へ進む。さらに分かれ道と階段。複雑に曲がりくねった通路を抜ける。
それまでと変わり、真っ直ぐに一本の通路が伸びる区画に出た。そこでマルムゼは壁の穴に手を突っ込むと、中にあるレバーを引く。通路の配置されたガスランプが自動的に点り、通路が照らされた。
天井にめぐらされている金属製の管。それに可燃性の気体が通り、それがランプに火をつけるのだ。帝都の繁華街を昼のように照らしているガス灯と同じ仕掛けだ。
「ここは錬金術師たちの個人研究室があった区画です」
通路沿いに扉が連なっている。だがその奥はいずれも空き部屋となっており、文献や研究資材はひとつも残っていない。工房が閉鎖される時にすべて押収されたのだろう。
「突き当たりまで進んでください」
マルムゼは通路の最奥まで走り、そこでアンナの身体をおろした。
「ここから先は?」
「隠し通路になっています」
アンナはしゃがみ込む。床のタイルに積もった埃を手で払いのける。
「壁際から四列目。赤いタイルの2つ右側……これね」
かつて錬金術師に教えられたタイルを見つけると。全体重をかけてそれを押し込んだ。
すると、壁のブロックがいくつか飛び出してくる。それを決められた手順通りに押し戻す。今度は反対側の壁のブロックが飛び出す。それを同じように手順通り押すと、ついに突き当たりの壁が動き始めた。
「この先に……何があるのですか?」
「私も、入り方は聞いていましたが中へ入るのは初めてです。ここを管理していた錬金術師は、自分が死んだ時以外は中に入るなと、そう言っていました」
アンナはごくりと唾を飲み込む。そして意を決して、壁に現れた空間へと足を踏み入れる。
「これは」
中の空間は意外にも光があった。だが、ランプの灯火ではない。月光に似た、青く淡い光だ。
「見つけた……」
アンナは自分の心臓が、いつにないほど大きく鼓動しているのを感じていた。
興奮のせいか、あるいはホムンクルスの肉体が同じ錬金術の産物に共鳴しているのか。
「まさかこれは……」
「ええ。賢者の石に間違いありません」
部屋の中央には、液体に満たされた大きなフラスコがある。
その底に小指の先ほどの小さな結晶体が沈んでいる。部屋の光は、その結晶体から放たれているものだった。
「賢者の石、ホムンクルスやエリクサーに並ぶ、錬金術の到達点ですね」
「はい。強大なエネルギーを内側に秘める物質。これを触媒とすれば、あらゆる不可思議を引き起こすことができます。それこそ魔法時代の英雄たちのように……!」
あれだけ小さな結晶だけで、この部屋全体を照らすだけの光を発している。
それだけでも、この石に秘められた力が垣間見える。
「回収しますか」
「いいえ、このままにしておきましょう。あの石はまだ生成中だと思います」
アンナの魂をホムンクルスに馴染ませるまでに丸2年がかかったように、錬金術の成果が目に見えるまでには待つ時間も必要となるのだ。
フィルヴィーユ派の壊滅から数えても3年。それだけの時間をかけてもまだ、石はあの程度の大きさにしかなっていない。
「再び通路を塞ぎ、そのままにしておくのです。私が錬金工房を復活させるその日まで」
大貴族たちを滅ぼし、皇帝に復讐する。そのための最強のカードを見つけた。
あとはこのカードをどうやって自分の持ち札にするかだ。そして相手には絶対に、このカードを引かせてはならない。
「さあ、エイダー男爵がここを見つける前に、上に戻りましょう」
言うとアンナは踵を返し、秘密の部屋を後にした。
「宮廷からのご使者です。本日、皇帝陛下ご隣席の臨時閣議があるため、ラルガ侯爵ならびにグレアン伯爵は出席せよ、とのこと」
マルムゼの報告は予想通りだった。
ラルガ侯爵の家で残務処理を手伝った後、自邸へ戻り数時間の仮眠をしたアンナは、正装に身を包んで使者を待っていたのだ。
「わかりました。準備はできています。すぐに参内いたしましょう」
アンナが今日選ぶのは、淡い緑色をした昼用のドレス。色を合わせた帽子を被り、それには豪奢な羽飾りをつけている。これが今日の戦装束だ。
ヴィスタネージュ宮殿に到着すると、役人たちが騒然としていた。
無理もない。帝都防衛武官が、宮廷の承諾なしに手勢のみを率い、帝都各所で戦闘を起こしたのだ。
反乱と判断され討伐されても仕方ない暴挙である。その上、彼らは大量の小麦袋をはじめとした闇物資を押収した。
しかもその一部は、前線へ到着する前に横流しされたと思しき軍需品なのだ。
「グレアン伯爵が参られました」
宮廷付きのドアマンが、高らかにそう呼び上げてから、大会議室の扉を開く。
中にはすでに閣僚たちが勢揃いしていた。そのほとんどが帝国宰相クロイス公爵の息がかかった大貴族たちだ。
ここから、クロイス派貴族たちとの応酬が始まる。彼らは私とラルガ侯爵の暴挙を糾弾するだろう。
だがこちらも正当な理由があり、何より膨大な証拠品がある。
大丈夫、負けはしない。決意を固めて会議室に足を踏み入れた。
だが会議は、クロイス公爵の思わぬ一言から始まった。
「グリージュス公爵は自殺なされた」
議場がざわつく。アンナも思わず声を出しそうになった。グリージュスが……死んだ?
「今朝方のことだ。これは彼が残した遺書だ」
クロイスは懐から一通の所管を取り出した。
「昨夜、ラルガ侯爵が捜査をされた錬金工房跡地。あそこを拠点に公爵は大規模な物資横領と市場価格操作を行っていた。その事に対する告白が綴られていた」
綴られていた? 綴らせたの間違いだろう。いや、本人が書いたものかどうかすら怪しい。
「彼は小麦の買い占めを行い市場価格を不当に釣り上げ、その利鞘で私腹を肥そうとしていた。そればかりか、帝都市民が困窮したところで闇物資をばら撒いて人気を集め、帝都市長の椅子も狙っていたらしい。実に嘆かわしいことだ」
白々しい。それだけのことを考えていた悪党が、昨夜のことだけで自ら命を絶つほどしおらしいワケがない。
彼が自殺ではなく殺されたのは明らかだ。ここにいる閣僚も全員そう思っているだろう。だが口に出すものはいない。それこそが、これ以上誰も傷つくことがない、最善の方法だと知っているからだ。
反吐が出る。
アンナの心の奥底にドス黒い炎が燃え上がった。こいつらを全員葬らなければ、いずれ帝国は滅びる。こいつらに食い物にされ衰弱死する。
そうはさせるものか。
「陛下」
クロイス公爵は、会議室の最奥に座る皇帝アルディス3世に頭を下げた。
「グリージュス家は現在、夫人が当主代行を務め、陛下のご沙汰をお待ちしております。何卒寛大なご処置を……」
「うむ」
皇帝はうなずく。
「グリージュス家は、帝国建国以来の名門。今回の不祥事を許すわけにはいかぬが、断絶は余も望まぬ。いくばくかの領地を召し上げ、爵位を侯爵へと格下げすることで家門の存続は許そう」
「ありがたきお言葉。グリージュス夫人もさぞや喜ぶことでしょう」
ぬるすぎる。
こいつらの私利私欲のために罪なき帝都市民が餓死するかもしれなかったのだ。財産を失うかもしれなかったのだ。そして前線の大地には、横領によって物資が届かなかったがために非業の死を遂げた兵士たちが、大勢埋葬されている。
断じて許すことはできない。私だけは絶対に許さない。
しかしその言葉をあげるには、グレアン伯爵家当主という肩書では不足だった。
まだまだアンナには力が必要だ。権力、財力、武力……クロイスと皇帝を打倒し、復讐を達成するにはあらゆる力を蓄える必要があった。
* * *
「グレアン伯爵」
会議が終わり宮殿の中央ホールから庭園に降りようとしたところを呼び止められた。声の主はクロイス公爵だった。
「これは、宰相閣下」
アンナはうわべを取り繕い、最上級の礼儀を持って帝国の政治の実権を握る男にお辞儀する。
「……我々はおごっていた」
「はい?」
「3年前、血塗られし錬金寵姫を我々は倒した。彼女の取り巻きだったフィルヴィーユ派を壊滅させ、我々に敵はいなくなった。それゆえに油断が生じていたのだろう。そこを、そなたに突かれた。今回は負けを認めようではないか」
「何のことでしょう? 私はグリージュス公爵の不正を糾弾したかっただけで、閣下に敵対するおつもりは……」
「そのような取り繕いが通用するとは思っておるまい、グレアン伯!」
クロイスの声音が抜き身の剣のような鋭さをおびた。
「理由は知らぬが、そなたが我々に対抗しようとしているのは明白。そなたがグレアン派、あるいは皇妃派とでも言うべき集団を作ると言うのならそれもよかろう。が、そのときは我々も本気を出すと心得よ」
「……」
腐っても帝国の重鎮といったところか。宮廷のど真ん中での堂々と権力闘争の挑戦状を投げつけてくる。その尊大さと大胆さがない混ぜになった気迫は、さすがあらゆる権謀術数を駆使してきた男だった。
「それにな、我々には皇帝陛下がついておられる」
クロイスの口元が不敵に吊り上がる。
「我々がどのような窮地に立たされようとも、常に陛下は我々のお味方だ。我々のつながりはそなたと皇妃のそれよりもはるかに強いもの。せっかく伯爵にまでなったのだ、分をわきまえた方が楽しく暮らせるぞ?」
「……ご忠告、感謝いたしますわ」
皇帝との繋がりが強い? ええ、知っていますとも!
それをアンナは身をもって味わっているのだ。最愛の人だと思っていた。
それなのにあの男は、クロイスらを選び、エリーナを切り捨てたのだ。
わかっている。私にとっては、皇帝もクロイス同様に敵なのだ。結束しているなら一度に倒す。それだけだ。
「宰相を完全に敵に回しましたな」
クロイス侯爵が立ち去ると、今度はラルガ侯爵が声をかけてきた。後ろには息子エイダー男爵もついている。
「ラルガ侯爵、此度は本当にありがとうございました。そして、巻き込んでしまったことお詫びさせていただきたく……」
「今さら、何を殊勝なことをおっしゃる。私とてクロイス派には不満を持ち続けていた。今回のような機会を与えてくれたことありがたく思っています」
そう言って侯爵は軽く笑った。が、すぐに鋭い眼光がアンナに向けられる。
「ですが、あなたは同時に我々の信用を損なうような行動をとった。それはわかっておりましょうな?」
背後のエイダー男爵もアンナを睨みつけていた。
「あなたは、不審な行動をすればその場で斬っても良いとまで言われた。にも関わらず息子の指示に従わず、あの工房跡地で姿を消した。お分かりですな? 今あなたの首と胴が繋がっているのは、私と息子の情けによるものだと」
「不審な行動を取ったのはお詫びいたします。しかし、闇物資があの通路の奥にもあるのではと私は思い……」
「よしましょう。私もそんな言い訳を聞きたいのではない」
侯爵は首を横に振った。
「クロイス派の専横に立ち向かう姿勢はお見事。ですがあなたは無用に敵を作りすぎる。私まで敵に回すとは、3年前の過ちを繰り返すおつもりですか、フィルヴィーユ公爵夫人?」
ラルガは思いがけない名前を口にした。
「は?」
「息子は言いました。あなたとあなたの従者は、何やら不思議な力を用いていたと。もともと錬金術は、失われた魔法の力を復活させることを目的とした学問。あそこには、闇物資と同じかそれ以上に重大なものがあったのではないのですか?」
「なんの、ことでしょう?」
「あなたのような並外れた行動力と洞察力をもった女性は他にいない。恐らくそのお姿は、あの政変を生き延びるために使った錬金術によるものなのでしょう。そう考えるのがもっとも自然です。少なくとも私にとっては」
侯爵は息子に目配せをした。そして二人は同時にアンナのもとに跪く。
「こ、侯爵!」
侯爵が、爵位が下の伯爵に首を垂れるなど本来ならあり得ない。しかし、目上の公爵夫人なら話は別だ。
「確かにかつて、あなたと私は政敵同士でした。しかしあなたとの舌戦は、真剣で立ち会うような奇妙な爽快感があった。それは貴族どもの足の引っ張り合いでは決して味わえぬ感覚。国を憂いた者同士だけが分かち合えるものだったのでしょう」
跪いたまま、侯爵は続ける。
「あなたが今もなお、この国を正しく導くご意思があるのならば、我ら親子はあなたを支持します!」
「……」
「どうか権力をお握りください。我ら親子、助力は惜しみません」
予想外の展開。しかし、この男が味方となるのであれば、これほど心強いことはない。
「あなたのご推察の通りです。侯爵閣下」
アンナは決意する。
「フィルヴィーユ公爵夫人エリーナ。確かに私はかつて、そう呼ばれていました」
「やはり、そうでしたか」
「立ってください、侯爵閣下。形の上では私は伯爵、あなたよりも下の立場にいるものです。帝国貴族たる者、目下の相手に跪いてはなりません」
無言のまま、侯爵は立ち上がる。
「ですが、私はいずれかつてと同じ……いえ、それ以上の地位を得ます。帝国の未来のために!」
「おお……それでは」
「忙しくなりますよ。私についていくというのであれば」
アンナは右手を差し出した。ラルガはそれをがっしりと掴む。
「老い先短い人生ですが、いかようにもお使いください」
続いて、息子のエイダー男爵とも握手を交わす。
「昨日は失礼いたしました。軍事に関することは私にお任せください!」
老練な大貴族と、若手軍人の親子との盟約。まさにこのときこそが、後に「"百合の帝国"の女主人」と称されたアンナ・ディ・グレアンが自らの派閥を持った瞬間だった。
そしてここから、クロイス公爵を筆頭とした大貴族たちとの熾烈な戦いが始まるのである。
* * *
アンナは大庭園を進む馬車に揺られながら考えていた。
いそがしい一日だった。クロイス公爵の宣戦布告を受け、ラルガ親子からは忠誠を誓われる。
宮廷の力系はアンナを中心に今日一日で大きく動いた。
(でも望むところよ!)
心の中でそう唱えて、アンナは自らを鼓舞した。
この激動は、アンナの復讐が順調に進んでいる証拠だ。敵が鮮明となり、同時に味方が増える。結構なことではないか。
橋を越えて、東苑に入る。本来皇族しか入れない場所だが、自由に出入りできる特権を、皇妃から与えられている。そして宮殿に参内する日は必ずあの花畑で会う約束を皇妃と交わしていた。
(あのお方もまた、自分にとって得がたい力となる)
アンナは皇妃に対してそう考えていた。
あの純真無垢な人柄を利用するのは気が引けるが、宮廷内で力を握るためには彼女を味方につけるのが最も確実かつ手早い。だから今日のような忙しい日であっても、彼女とは必ず会っておかなくてはならない。
「あら?」
花畑には先客がいるようだった。皇妃の馬車の他に、馬が一頭いる。その馬具は煌びやかな近細工で彩られている。持ち主は非常に高貴な身分であるらしい。
「えっ!?」
馬に近づき、その蔵に刻印された紋章を見て、アンナは一瞬固まった。百合をモチーフにした皇帝の紋章。寵姫時代に一緒に遠乗りをしていたから見慣れていた。皇帝のみが使用を許された馬具だ。
「アルディスが、ここに来ている……?」
今朝、御前会議で顔を見たばかりが、その時とは状況が違う。私的な空間であの男と会いたくはない。
(けど、妙ね……?)
アンナは周囲を見回した。護衛が一人もいない。皇妃の護衛はいつもどおり遠巻きに彼女を守っているが、アルディス皇帝は単身この花畑に来たようだ。あまりにも不用心ではないか?
「陛下がいらしているのなら、私はここでおまちしてましょうか?」
その皇妃の護衛に話しかける。すると彼は、きょとんとした顔でアンナを見つめてきた。
「は、なんのことでございましょう?」
「え?」
皇帝に気づいていない? そんな馬鹿なことあるか?
「どういうこと?」
何かがおかしい。意を決してアンナは人造池の方へと歩いていった。
「まさかこんな場所で陛下にお会いするなんて」
茂みの向こうから皇妃の声が聞こえた。陛下、か。やはり、アルディスと一緒にいるようだ。
「そなたがこの花畑を気に入っていると言う話を聞いてな。どうだろう、ここに館を建てては?」
「よろしいのですか?」
「ああ、私はそちに夫らしいことを何もしてやれていない。せめて、健やかに過ごせる家くらい用意しようではないか?」
「あの……ありがとうございます」
皇帝夫妻の会話が聞こえてくる。それに聞き耳を立てていたアンナの顔は真っ青になっていた。
(どういうこと……? )
あの夫婦が仲良さそうに会話している。もしそうだとしても充分に奇妙なことだが、アンナの驚きはそこにはない。
今、皇妃と話している相手。その声は明らかにアルディスのものではない。
「ありがとうございます陛下」
「これまで私は其方を粗略にしすぎた。少しずつ埋め合わせをさせて欲しい」
皇妃に優しく語りかけるその声を、アンナはよく知っていた。だから、聞き間違えるはずがない。
アンナは茂みに身を潜め、顔だけを出して様子を伺う、花畑の中に置かれたテーブル。そこに皇妃は座っている。そして彼女の横にいる男……。
「うそ……でしょ……」
その者が着ている服は、確かに今日の御前会議で皇帝が着用していたものだった。
背格好も似ている。しかし、その髪色が全く違う。アルディスの獅子のたてがみを思わせる豊かな赤毛ではない。
つややかな黒髪。かつての恋人ではなく、今現在アンナの側にいる腹心と同じ髪色。そして同じ声。
「マルムゼ……?」
皇妃が話す相手は、かのホムンクルスの青年に間違いなかった。
第I部 寵姫復活編 -完-