帝都軍事総監ラルガ侯爵は、かつてフィルヴィーユ派の政敵と目された人物だ。
かといって、クロイス公爵の息がかかった大貴族とも違う。軍人上がりの実直な政治家で、貴族の権力闘争とも距離をとっていた。
彼がエリーナたちの提言する政策に反論し続けたのは、性急な改革が社会に与える影響を危惧したためであり、決して自己保身や平民階級の軽視からではない。むしろフィルヴィーユ派が壊滅した今、宰相クロイス公爵の政権内では孤立し、政治の舞台であるヴィスタネージュを離れ、帝都の防衛を押し付けられるという有様だった。
帝都が外敵の侵入にさらされるなどということは、建国以来ただの一度もない。よって帝都防衛総監という立場も、名前の響きほど重要性はないのだ。
「グレアン伯アンナと申します。突然お呼び立てして申し訳ありません」
そんなラルガ侯との面会は、帝都郊外の小さな別荘で行われた。マルムゼの主人が所有している物件のひとつだ。
「お飲み物は何がよろしいでしょう?」
「いえ結構。非公式ではありますが、公務で来ております。饗応を受けるわけにはいきません」
相変わらずの堅物ぶりだ。が、だからこそこの男を信頼できる。
「では早速本題に入りましょう」
「はい。あの書簡に書かれていたことは事実ですか?」
書簡とは、マルムゼが侯爵に宛てたものだ。その内容は、近いうちに帝都で小麦の価格が高騰する事を示唆している。
「最初はただのイタズラ手紙かと思いました。ですが確認したら確かに等級の高い小麦で不自然な値動きがあった。あなたはどこでそれを知ったのです?」
「ご説明しましょう」
アンナは先日の皇妃主催のお茶会の件を説明した。ラルガ侯爵は、彼女の話を聞きながら次第に表情が変わっていく。
「なるほど。彼らならやりかねない……皇妃陛下を貶めるなど、本来あってはならないことですが……」
「さらに、グリージュス公爵は皇帝の小麦の高騰に便乗して私腹を肥やそうとしています。息のかかった業者を動かし下位等級の小麦の価格も釣り上げる動きがあるのです」
「それで、あの書簡を私に送ったのですね」
それこそが、マルムゼの調査で手に入れた情報だった。権力闘争の副産物として、ついでに自分の財布も重くしておこうというわけだ。
いや、本命である権力闘争が失敗した以上、こちらで元を取ろうといっそう躍起になるかもしれない。
「皇帝の小麦の保管場所や、価格操作を目論んでいる業者は、こちらで見つけ出しています」
アンナはマルムゼが作成した調査報告書をラルガ侯爵に渡す。
「すでにここまで……!」
「あとは指揮下の軍を動かし、立ち入り捜査を行えば、全てを白日に晒すことが可能です」
「ううむ……」
侯爵は資料を睨みながら、考え込んでいた。アンナの目から見て、マルムゼの調査はほぼ完璧だった。
あとは侯爵の決断ひとつで、帝都の混乱を未然に防げるはずだ。
とはいえ彼も、その決断を安易に下すわけにはいかない。それについてはアンナも理解していた。
「お悩み、ですか?」
「正直申しまして、用意が良すぎます」
「と、言いますと?」
「お話を伺う限り、あなたは皇妃様の一友人でしかない。小麦の値動きや帝都の混乱などどうでもいいはず。なのにここまで周到に話を進めているとなると、2つの疑念が出てくるのです」
流石だ。この人は、陰謀渦巻く貴族社会をよく知っている。
アンナは彼の懸念を答えてみせる。
「ひとつは、私がクロイス派を陥れるために、あなたを利用しているのでは、という疑念。もうひとつは、私こそがクロイス派と繋がっており、あなたを陥れようとしているのでは、という疑念。違いますか?」
ラルガ侯爵は大きく目を見開き、驚愕な表情で応えた。
「これは……失礼ですが、そのお歳でしかも女性で、よくぞそこまで……」
「詳しいことは教えられませんが、私も綺麗事ですまない世界のことを多少知っておりますので……」
ラルガ侯爵に年数こそ満たないが、エリーナとて権謀術数の中で生きてきた人間なのだ。
「お疑いになるのは無理もありません。なので私も誠意を見せたく思います」
「それは、どうやってですか?」
「もし侯爵が調査隊を組織するというのなら、私自らその陣頭に立ち、グリージュス公爵の悪事を暴きましょう!」
「あなたが陣頭に!?」
「ええ、そしてもし私に不審な様子があるなら、即刻お斬り捨て下さい!」
かといって、クロイス公爵の息がかかった大貴族とも違う。軍人上がりの実直な政治家で、貴族の権力闘争とも距離をとっていた。
彼がエリーナたちの提言する政策に反論し続けたのは、性急な改革が社会に与える影響を危惧したためであり、決して自己保身や平民階級の軽視からではない。むしろフィルヴィーユ派が壊滅した今、宰相クロイス公爵の政権内では孤立し、政治の舞台であるヴィスタネージュを離れ、帝都の防衛を押し付けられるという有様だった。
帝都が外敵の侵入にさらされるなどということは、建国以来ただの一度もない。よって帝都防衛総監という立場も、名前の響きほど重要性はないのだ。
「グレアン伯アンナと申します。突然お呼び立てして申し訳ありません」
そんなラルガ侯との面会は、帝都郊外の小さな別荘で行われた。マルムゼの主人が所有している物件のひとつだ。
「お飲み物は何がよろしいでしょう?」
「いえ結構。非公式ではありますが、公務で来ております。饗応を受けるわけにはいきません」
相変わらずの堅物ぶりだ。が、だからこそこの男を信頼できる。
「では早速本題に入りましょう」
「はい。あの書簡に書かれていたことは事実ですか?」
書簡とは、マルムゼが侯爵に宛てたものだ。その内容は、近いうちに帝都で小麦の価格が高騰する事を示唆している。
「最初はただのイタズラ手紙かと思いました。ですが確認したら確かに等級の高い小麦で不自然な値動きがあった。あなたはどこでそれを知ったのです?」
「ご説明しましょう」
アンナは先日の皇妃主催のお茶会の件を説明した。ラルガ侯爵は、彼女の話を聞きながら次第に表情が変わっていく。
「なるほど。彼らならやりかねない……皇妃陛下を貶めるなど、本来あってはならないことですが……」
「さらに、グリージュス公爵は皇帝の小麦の高騰に便乗して私腹を肥やそうとしています。息のかかった業者を動かし下位等級の小麦の価格も釣り上げる動きがあるのです」
「それで、あの書簡を私に送ったのですね」
それこそが、マルムゼの調査で手に入れた情報だった。権力闘争の副産物として、ついでに自分の財布も重くしておこうというわけだ。
いや、本命である権力闘争が失敗した以上、こちらで元を取ろうといっそう躍起になるかもしれない。
「皇帝の小麦の保管場所や、価格操作を目論んでいる業者は、こちらで見つけ出しています」
アンナはマルムゼが作成した調査報告書をラルガ侯爵に渡す。
「すでにここまで……!」
「あとは指揮下の軍を動かし、立ち入り捜査を行えば、全てを白日に晒すことが可能です」
「ううむ……」
侯爵は資料を睨みながら、考え込んでいた。アンナの目から見て、マルムゼの調査はほぼ完璧だった。
あとは侯爵の決断ひとつで、帝都の混乱を未然に防げるはずだ。
とはいえ彼も、その決断を安易に下すわけにはいかない。それについてはアンナも理解していた。
「お悩み、ですか?」
「正直申しまして、用意が良すぎます」
「と、言いますと?」
「お話を伺う限り、あなたは皇妃様の一友人でしかない。小麦の値動きや帝都の混乱などどうでもいいはず。なのにここまで周到に話を進めているとなると、2つの疑念が出てくるのです」
流石だ。この人は、陰謀渦巻く貴族社会をよく知っている。
アンナは彼の懸念を答えてみせる。
「ひとつは、私がクロイス派を陥れるために、あなたを利用しているのでは、という疑念。もうひとつは、私こそがクロイス派と繋がっており、あなたを陥れようとしているのでは、という疑念。違いますか?」
ラルガ侯爵は大きく目を見開き、驚愕な表情で応えた。
「これは……失礼ですが、そのお歳でしかも女性で、よくぞそこまで……」
「詳しいことは教えられませんが、私も綺麗事ですまない世界のことを多少知っておりますので……」
ラルガ侯爵に年数こそ満たないが、エリーナとて権謀術数の中で生きてきた人間なのだ。
「お疑いになるのは無理もありません。なので私も誠意を見せたく思います」
「それは、どうやってですか?」
「もし侯爵が調査隊を組織するというのなら、私自らその陣頭に立ち、グリージュス公爵の悪事を暴きましょう!」
「あなたが陣頭に!?」
「ええ、そしてもし私に不審な様子があるなら、即刻お斬り捨て下さい!」