「50倍とは、また大きく出ましたな」
「あなた方が政権を取ったら、北部諸侯の顧客を紹介してくれるということですかな?」
「それにしたって50倍にはならんでしょう」
「それに、北には北のギルドがあり、商人がいる。特にヴィスタネージュ周辺は貴族系企業が乱立し、我々が入り込む余地はない……」

 結社の構成員である商人たちは、アンナが口にした数字に懐疑的だった。

「確かに、皆様のような大商人となれば、その取引先は貴族が主でしょう。北部にはあなた方が新規参入出来る余地は殆ど残っていません。……今は、ですが」

 アンナは、自分を値踏みするように眺める商人たちを、挑戦的な眼差しで見返す。
 これまで彼女が相手としてきたのは、ほとんどが貴族たちだ。彼らとの交渉や論戦とはまた違った緊張感が、アンナの身体を包みこんでいた。

「ところで、我が帝国の貴族と平民の人口比はご存知ですか?」
「人口比ですと? 我々は官僚ではないゆえ、戸籍の記録などはわかりませぬ……が、商いで使ってる数字からある程度の推測は可能ですな」
「そうですね……流通している物資量から考えると……30~60倍といった所でしょうか?」

 最も早く頭の中の算盤をはじき終えたのは、駅馬車組合の頭領だ。
 その数字の把握力と、解を導き出す思考法に、アンナは心の中で口笛を鳴らした。ヴィスタネージュの官僚とはまた違う方法で、この国の実態を捉えている。

「そのとおり。およそ2対98。平民の人口数は、貴族の50倍と言ったところです」
「50倍……」

 数字に聡い彼らは、すぐにその数字が先程アンナが提示したものと一致していることに気がつく。

「つまりあなたが言った顧客とは、平民ということですか?」
「ご明察」
「バカバカしい。確か数の上ではそうかもしれんが、我々が欲しているのは人ではない。人が持つ金、人が回す金だ。金を持たぬ者は我々の顧客にはならん」
「それは、彼らが貴族に多額の納税をしているからでしょう?」

 アンナは言う。平民の大多数を占める農民は、荘園を収める領主たちに年貢を納めなくてはならない。その率は領主によってばらつきがあるが、農民たちの収穫の殆どが彼らに持っていかれるのは、どこも同じだ。

「年貢を減免、あるいは撤廃し、彼らが自ら作物を売るようになれば、あなた方の顧客になるのではございませんか?」
「それはっ! この国の制度の根幹に関わってきますぞ。年貢がなくなれば、貴族は暮らしていけない。あなたのお考えは、貴族制度そのものを破壊すると言っているようなものだ」
「ええ。そう申し上げています。私の最終的なのぞみは、貴族制の解体です」
「なっ!」

 これが、アンナが公的な場所で貴族制度廃止に言及した初めての機会となった。しかしアンナは、いやエリーナは、ずっと前からこの考えを抱いてきたのだ。

「考えてもみて下さい。貴族がなぜ貴族たりえたか。それは魔法を用い、初代皇帝リュディス1世とともに悪しき竜を倒したからです。魔法で民を厄災から守っていたからです。その魔法を使える貴族は今日、皆無と言っていい。役目を終えたのです、彼らは!」

 爵位を持たず、暮らしは都市部の平民とさして変わらぬような、名前だけの貴族を含めても、その総数は数十万。それが、50倍にも達する人々を押さえつけ搾取し、この国の富のほとんどすべてを独占してきた。国と帝室、そして民を守るという理念は形骸化し、ひたすら搾取のみを繰り返してきた。
 平民から吸い上げた莫大な富は、壮麗なヴィスタネージュ文化を生み出したかもしれない。素晴らしい芸術や学問を生み出す素地となったかもしれない。アンナもそれらを全否定するつもりはない。が、今少し平等な制度を作るべきではある。リュディス=オルスの登場によってここ百年の歴史が否定された今は、ある意味では絶好のタイミングなのだ。

「この国の身分制度を根本から見直し、民の財産を増やす。そしてそれらを、あなた方が循環させ増やすことで、この国を若返らせるのです。経済面だけだはない。学問を奨励し、官僚や政治家への門戸を開く。そして憲法を定め、民選による議会を設置する……」

 アンナは以前から思い描いていた、フィルヴィーユ派や顧問波による改革の完成形を思い描く。

「即座にとは参らぬことは承知しています。貴族を見殺しにするつもりはありませんので、彼らには相応の補償が必要です。それに平民たちの覚醒にも時間がかかります。……50年、いえ100年はかかる大事業となりましょう」

 父やエウランが、そして今リュディス=オルスが成そうとしている、正統な帝国の再建などよりもはるかに難しく、険しい道だ。しかし、それでもやらなければならない。

「……大公殿下」

 商人の一人が、ずっと黙っているリアンに声をかけた。

「あなた様も、同じことを望んでいらっしゃるのですか?」
 
 今でこそ正統性を問われている立場とはいえ、もともとは皇弟として貴族制度の頂点に近い場所にいた男だ。彼が今のアンナの話をどう考えているかは、商人たちも知りたいところだろう。

「正直な所……私は、彼女の思い描いているものの全貌を想像できていない。……今も、弟や妹にはどう説明すべきか悩んでいるところだ」

 アンナが彼らをここに呼ばなかったのは、そのためだ。特に皇女ユーリアなどは、激怒してヴィスタネージュ側に出奔すらしかねない。彼らには時間をかけてゆっくり理解してもらう必要がある。

「私は、帝都では革命思想化に共鳴もしていたが、彼女のように貴族制の完全解体までは考えていなかった……」

 リアンのいる場でこの話をするのも、半分は賭けだった。アンナの考えは、ベルーサ宮の革命主義者でさえ過激と思うだろう。
 だが時間がない。今ここで、商人たちを味方につけなければマルフィア同盟に勝ち目はないのだ。

「だが、私はこの者を信じることにしている。この者の知性と思考、そして良心を! 」

 商人たちは目配せをして、お互いの意思を確認し合う。皆同じ思いであることを察したのか、視線は次第に結社の最重鎮であるビューゲルギルドの長老へと集中していった。

「顧問殿、あなたはわれわれを集めるときにサン・ジェルマン伯の血を引く者と名乗られた。今のお話は伯爵のご意思ですかな?」

 長老はそうアンナに問いかける。

「彼は、私に知識を与えてくれたに過ぎません。只今お話したのは、その知識と、私がヴィスタネージュで培ってきたものを組み合わせた上での結論です」
「左様ですか……。ならば我々からあなた様に望むことがございます。それを受け入れてくださるのであれば、我らは喜んでマルフィア同盟に合流しましょう」
「ありがとうございます! ……して、私に望むこととは?」
「サン・ジェルマンの名を継ぎ、我が結社を束ねる者とおなりください」
「えっ!?」

 思いがけない申し出であった。

「我らは生き抜くために、絆を持って結ばれた同志ではありますが、誰かが統制を取っているわけではありません。我々を使うのであれば、上に立って指揮する者が必要です」
「それはあなた方の中から選ぶわけにはいかないのですか? 伯爵の知識を継いだとはいえ、私はあなた方の苦悩を知らない。その資格はないかと思います」
「いえ、だからこそ良いのです。われわれの利害を慮ること無く、命令を下せるものでなければ、我々を扱うことは出来ません」
「……」

 アンナは考える。かつて父が使ったサン・ジェルマンの名を受け継ぐ。単なる錬金術師としてではない。この国の歴史に裏から関与し、全てを覆す者としてその名を名乗るのだ。

「顧問殿、何卒お願いいたします……」

 商人たちが頭を下げた。

(顧問殿か……)

 その一言が、アンナを決意させる。そうだ、そうじゃないか。

「顧問……私は、その役職をとうに剥奪されています。グレアン侯爵と言うなも今では逆賊の名となりました。いえ……そもそも、私にとってグレアンとは、たまたま拾ってくれた養父の名に過ぎません」

 グレアンの家名を奪ったのも、顧問という役職を得たのも、必要だったからに過ぎない。そしてそれは今回も同じことだ。

「今日限りで、私はそれらをすべて捨て去りましょう。これからは、アンナ・サン・ジェルマンとお呼び下さい!」