その組織に名前はない。強いていうならば「エウランの結社」がそれに相当するであろうが、構成員がその名で自らを呼ぶことはほとんどないという。

「黄金帝の簒奪に抵抗した者たちの地下組織……よくもそんなものが現代まで残っていたものだ」

 リアンは嘆息する。反政府活動に傾倒していた彼でも、そんな組織に存在については噂のかけらすらも聞いたことがないようだ。

「当時の弾圧を逃れるために、極めて排他的な秘密結社へと変貌していったようです。ですが、我が父サン・ジェルマンは限られた情報からその存在に気づき、か細いながらもパイプを作っていました」

 あの夜、父タフトは、ノユール子爵エウランの組織は真のリュディス5世と皇太子ルディの死によって終焉を迎えたように語っていた。しかし、こうして繋がりを持っていたのだ。
 そのことをあの時点で話さなかったということは、すでにタフトの中では覚悟が決まっていたのかも知れない。自らの命が終わり、全ての記憶と知識をアンナに託す覚悟が……。

「だが、それほど閉鎖的な結社が、今更我々に合流したとしてどうなるというのだ?」
「ふふっ、確かにそう思うであろう。だが、その顔ぶれを見たら驚くぞリアン」

 アルディスが楽しそうに弟に言う。その笑顔の意図をリアンは図りかねたが、扉を開けるとすぐに全てを察した。

「これは……」

 マルフィア同盟の仮本部が置かれている、ビューゲル市庁舎の2階。いつもは市議会の会議場として使われるその広間に十数人の男たちが集まっていた。彼らは、リアンやアンナたちが入室すると一斉に起立して、彼らを出迎える。

「まことか? まことにそなたたちが、エウランの結社なのか?」

 やや上擦った声でリアンが尋ねると。一番手前の男が応える。

「いかにも。およそ百年前、ノユール子爵エウランの名の下に、帝都への反抗を試みた者たちの末裔にございます」

 彼の顔をリアンはよく知っている。べルーサ宮に何度も来たことがあるのだ。このビューゲルを拠点とし、東方大陸との交易で巨万の富を築いた大商人だ。

「といっても、かつての理念は多少変質しておりますがね」

 商人の隣に座る禿頭の男が言う。彼は、帝国最大の駅馬車組合の頭領だ。

「無論我々は、正統なる帝室の復権など目指しておりませぬ」
「そればかりか、新宰相の宣言で初めて、我々のルーツが伝説などではなかったと知ったくらいですからな」

 そう言って高らかに笑う、別の男。彼もまた銀行家で、貴族系の資本に金を融資して公爵クラスの人物でも頭が上がらないことで有名だ。

「我々が信奉しているのは、帝室の血筋などではなく、金の流れと人々の営み」

 この言葉は、ビューゲル商人たちを束ねるギルド長のもの、そのほかにも南部の主だった都市からギルド代表が集まっており、そのほかの顔ぶれも皆、南部を中心に活躍する商業・流通・金融の顔役たちであった。

「百年前……弾圧を逃れるため、彼らは自らの力を持つ必要がありました」

 アンナがリアンに説明する。

「しかし、武力はほぼ全てヴィスタネージュに独占され、錬金術もさして発展しておりませんでした。そんな中彼らが力として選んだのが……」
「金。つまりは経済力による国の支配、ということか」
「はい」

 アンナは頷いたが、銀行家の男がそれを否定する。

「顧問殿、人聞きの悪いことは言わないでもらいたいですな」
「左様、この国を支配するなど、考えてはおりませぬ。強いて言うならば、ヴィスタネージュによる支配を拒む、くらいでしょうか」

 実際、南部は帝都のある北部と比べ、商人たちの力が強い。表向きの支配者は北部と同じく貴族階級であるが、彼らも商人たちを制御することは難しいという。様々な交渉と妥協により、形の上では彼らを服属させている、と言った状態なのだ。

「なるほど、そう言うことにしておきましょう……と言いたいところですが、私は知っていますよ、あなた方の真の実力を」
「……と言いますと」
「金の力を選んだのは、それが権力よりも確実に人を動かすからでありましょう? 実際、皆様の子飼いの傭兵隊は、ヴィスタネージュ派貴族の私兵に潜り込んでいると聞きます」
「潜り込んでいるなどと……あくまで商売の一環ですよ」
「そうでしょうか? では有力な銀行家が動けばどうなりますか? 貴族の資産を凍結すれば?」

 会議場がざわつき始める。

「あるいは、帝国の物量を抑えている者が、ヴィスタネージュ周辺の人や物の流れをストップさせればどうなるでしょうか? そう言った力をあなた方は持っています。いえ、自ら望んで得たのです、いつか来る悲願達成のために」

 悲願達成。それは、彼らが口で語る、政権からの経済的な独立程度のものではない。現体制を屈服させ自らが実質的な支配者になることを目指す反逆の意志だ。エウランとタフトが根付かせた、政権奪還の想いは、長い弾圧をへてそう言ったものに変質した。
 のちにタフトはそのことに気づいたのだ。何十年も前に蒔いた種が、取り返しのつかないほど巨大な根を張っていることに……。
 
「なるほど。確かに我々の力を持ってすれば、そう言うことも可能かも知れない。顧問殿や、皇弟殿下は、我々にそれをやれと仰せですか?」
「いえ、私たちからそれを命じるつもりはございません。命じたところで、あなた方に従う義理はないでしょう?」
「ええ……ええ、その通りです。むしろ我々のルーツを考えれば、あなた方は敵とすら言える。我々の先祖たちは、リュディス=オルスの血脈を守ろうとしていたようですからな」

 そうは言うが、かれらにそんなつもりが毛頭ないことも、アンナは知っている。あくまでこれは揺さぶりだ。南部商人はこういう気風のもとで、ここまで力をつけてきたのだ。そしてその気風の源流にあるのも、きっとタフトとエウランであったのだろう。

「ですがあなた方は実利を求める商人でもある。ですから、私たちはあなた方の流儀に合わせた話がしたいのです」
「流儀ですと? それはつまり、商談をお望みと?」
「ええ、そういうことになります」
「いいでしょう……聞きましょうか?」

 商人たちの目がアンナに向けられる。商売人が人や物を値踏みのする時に眼差しだ。

「今話した通り、我々が求めているのはあなた方の真の力です。あなた方が支配を拒むために……いや、真の支配者となるために何代にもわたって培ってきたその底力を丸ごと、我らに売っていただきたい!」
「あなた方は、古の盟主たるサン・ジェルマンの名を持ち出して、我々をここに集めた。その名を使ったからこそ、皆ここにいるのです。それに見合うお話をいただけるのでしたら、どうぞご説明ください」
「わかりました。我々がお約束できるのは二つ」

 アンナは右手の人差し指と中指を立てた。そしてすぐに、その1本を折リまげ、話を続ける。

「ひとつは、皆様の中にもご想像している方がいましょう。錬金術です! 私アンナ・ディ・グレンアンはかねてより、錬金術の自由化とそれによる経済尾活性化を望んでいました。それが今、再び貴族たちの特権になろうとしている。私は、あなた方に錬金術の成果を公開したいと考えています」

 もちろん、タフトがリュディス=オルスの命で作らされていた、新型砲や透明化迷彩付きの気球といった危険な代物は別だ。だが、バルフナー博士の主導で進められている魔力の利用や、旧工房時代から進められてきた様々な分野の研究が彼らの手に渡れば、きっと新しい産業が生まれるだろう。

「なるほど。おっしゃる通り、我々もあなた方がそれを持ち出す予想はしておりました。がそれゆえに、驚きがない。その程度の旨みでは我々を動かすことはできませんな」

 ビューゲルギルドの長老が言った。

「そうでしょう。ですが、こちらの話には興味を持つのではありませんか?」

 言いながらアンナは、2本目の指を折った。

「あなた方は、それぞれのご自分の商売で何人もの顧客をお抱えになっているかと思います。その顧客の数が50倍になるとしたらいかがでしょう?」