【火・金更新】寵姫として皇帝と国に尽くした結果暗殺されたので、錬金術で復活して宮廷に復讐してやる!

 アンナの報告に皆が受けた衝撃は、エイダーのそれの何倍も大きかったようだ。

「かのリュディス黄金帝が……簒奪者……?」

 特に、リアンとアルディスの3人の弟妹たちは揃って呆然としている。この話は、以前からリアンにだけは話していた。彼はその秘密を、兄弟たちにも明かしていなかったようだ。

「それでは……私達は、征竜帝リュディスの末裔ですらない、ということですか?」

 ユーリア皇女などは顔面を蒼白にしていた。そういえばこの人は、リュディスの血を引かないマリアン=ルーヌが女帝となったことに特に不満を抱いていた。血筋で言えば、リュディスの盟友であった討竜公ルーダフの子孫たるマリアン=ルーヌの方が、よほど玉座に相応しいということになる。

「いや馬鹿な……そんなはずがない!」

 エルティール伯アロウスは、その瞳に涙をたたえていた。自分たちの拠り所だったはずのものが、実は虚構でしかないと聞かされたのだ。それもやむを得ない反応と言えよう。

「グレアン候!何故あなたは、我らを愚弄するか!? かつて私達兄妹が、あなたと潜在的な政敵であったことは認めよう。だが、今ここで我らの誇りを貶めるのことに、どれほどの意味があるのか!?」
「そんな、愚弄などと……」

 このような反応が来ることは理解していた。アンナは、アルティスと一瞬だけ目を合わせる。この後の話の進め方は、二人でも確認し合っている。アンナもアルディスも決して、皇弟皇妹を貶めたいわけではない。

「やめろ、アロウス」

 が、アンナが口を開く前に、リアンが弟を諌めた。

「ですが兄上! この者は私達の……!」
「今のアンナの話を全て聞いていたのなら、理解できるだろう。ラルガたちを葬った光の正体と合わせて考えれば、彼女の……いや、彼女のお父君であるサン・ジェルマン伯爵の言が正しい。全て、辻褄が合う……」
「それは……」

 皇弟エルティール伯は、抗弁しようとしたが、言葉をつなげることが出来ず、弱々しく席に崩れ落ちた。

「例え……黄金帝の偉業がまやかしだったとしても……それでお前たちの誇りが無意味なものとなった訳ではない!」
「……え?」

 突如立ち上がり、そう話し始めた黒髪の青年に、皇族たちの視線が集中した。

「リアン、レスクード、アロウス、そしてユーリア……お前たち兄妹の絆は、130年のまやかしの歴史などより遥かに貴重なものだ」
「マ、マルムゼ、貴様突然何を……?」

 黒髪の青年と唯一面識があるリアンがたじろぐ。

「アンナの側近でしかないお前が、何をそんな不遜な……」

 慰めのとはいえ、皇族に対して度を越して物言いに、リアンが不快感を示すのは無理もない。
 だがリアン自身、どこか違和感を覚えて、どんどん小声になってしまった。今、俺が話しているのは本当にあのマルムゼか? そんな思いが顔に出ている。

「久しいな、弟妹たちよ。俺だ……アルディスだ……!」
「はああっ!?」

 皇族たちは一様に驚きと猜疑、嘲りと若干の怒りがこもった目でアルディスを見つめた。

「馬鹿なことを申すな下郎がっ……!」
「まぁ、そんな反応になるのは当たり前だな、レスクード」

 彼らからしてみれば、この黒髪の青年は顧問アンナの腹心でしかない。彼女と関わりの深いリアンはともかく、下の弟妹たちにとっては、顔すらきちんと覚えていないような人間なのだ。

「だが、そうだな……この話をすれば、俺が兄だとわかってくれるかな」
「は?」
「レスクード、お前が7歳の時だったか……。椿の間に飾られていた青磁の壺を割ったことがあったな。祖父アルディス1世がコレクションしていた東方大陸のものだ」
「え……」
「父帝陛下に見つかれば、折檻を受ける。そう思ったお前は、当時摂政だった俺の執務室に半ベソでやってきたんだった」
「な、な……」

 レスクードの顔がみるみる間に紅潮していく。

「それで、俺が密かに家財管理総監を呼んで、証拠をもみ消したんだったな。俺とお前の、最初の不正行為だ」
「そそ、それは……」
「兄上、まさか……」

 アロウスが、真っ赤になったひとつ上の兄の顔を覗き込む。レスクードは何も言わなかった。

「アロウス、お前は今でも女好きのようだが、昔から変わらんよな。よく、宮殿内で迷ったふりをして女官たちの部屋に……」
「わわわっ! その話は、私とアルディス兄上だけのっ……」

 レスクードと負けず劣らずの真っ赤な顔で、アロウスは手を大きくばたつかせた。その様子を眺めていた末妹クラーラは、中数秒後に訪れる自分の運命を予感し、冷や汗をかく。

「早熟といえば、クラーラは他の誰よりませていたな。お前は我が寵姫エリーナに……」
「大丈夫ですわ、アルディス兄様! 私は、兄様のことを信じます!」

 クラーラの反応は、見事なほど早かった。アルディスが何を言いかけたのか、アンナにとっては続きが気になるところではあるが……。

「そして、リアン……」

 最後にアルディスはリアンに向き直った。が、しばらく目を合わせたまま、口を開こうとしない。

「参ったな、お前とは秘密らいい秘密を共通していない」
「ははっ、確かに。子供の頃は、母もまだ宮廷暮らしに慣れておらず、どこか壁がありましたからな」
「大人になってからのお前は、どんな事も恥と思わず、公然と不祥事を重ねてきた。おかげで、何かについて口止めを求められた記憶がない」

 アルディスは苦笑する。

「宮廷では大人が眉を顰めるようなことを平然と行い、帝都では娼婦や革命思想家と交わり……どこまでも帝室の品位を貶めるお前には本当に手を焼いた」
「あなたが本当に、我が兄ならば……手を焼かせたことすまなく思っています」
「ははっ心にも無いこと言うな! お前が心底から俺を疎んでいたことは知っているぞ。何せ、エリーナに懸想していたくらいだからな」
「……ご存知でしたか」
「ご存じも何も、見てたらわかる。当然、エリーナも知っていたであろう」

 一瞬だけ、アルディスはアンナを見た。

「ならなぜ、私と彼女を引き離さなかったので?」
「それはまぁ、お前が本当に身で道を踏みはずすことなどないと思っていたからな」
「と、言いますと?」
「お前の原動力は常に怒りだった。恐らくは、長年義母上を苦しめた宮廷社会への反発……ヴィスタネージュに渦巻く空気そのものに対する怒りだ」
「だがその怒りを取り払えば、お前は清廉で聡明な……俺などよりもはるかに玉座にふさわしい男だ。少なくとも俺はそう思っていた。そんな人間が、兄の寵姫を寝とることなど考えられるか?」

 そう言った後、アルディスはニヤリと笑う。

「それに何より、エリーナが俺以外の男に転ぶとは到底思えなかったからな」

 それを聞いたリアンは思わず失笑する。

「なんだよ、そこまで言っといて最後はのろけかよ」
「それがお前に一番効く嫌がらせだろうからな」

 合わせてアルディスも笑った。

「まぁ、これで俺が何者か十分わかってであろう。他の諸君も、な……」

 アルディスは部屋を見回した。当然、頭で完璧に理解できているものはごく少数であろう。が、皇族たちの間で納得してしまっているのだから、異議のはさみようもない。いつの間にかそんな空気になってしまった。
 帝位にあった時から、アルディスはこう言う空気作りがうまかった。自信満々の語り口で、異論を唱える余地を奪ってしまうのだ。さらに怖いのは、こんな空気の中で、いつの間にか各々が抱えていた疑念や不満も萎んでいき、最後には彼に従うようになっているのだ。
 ある意味ではこれも王のカリスマ、と言えるのかもしれない。少なくとも、理詰めで物事を考え、相手の説得を試みるアンナが持ち得ない特性だった。

「で、皇帝アルディス3世が生きており、反ダ・フォーリス派を率いたとする。それで、賞賛はあるのですか兄上?」

 リアンは尋ねる。敵はリュディスの短剣に秘められた力を解放した。今、130年隠され続けた負の歴史を明かせば、ダ・フォーリスはこの国の帝座に着く大義名分を得られるだろう。
 一方、こちらは血筋を偽り130年民と諸外国を欺き続けた悪党たちだ。それでも、故アルディス3世が改革の理想に燃える名君であったならば、民を味方につけられる可能性もなくはない。が、アルディスがそんな理想的な君主であったのは即位から数年の間のみだ。今日、彼は政治と民を顧みず、クロイス公爵ら大貴族の専横を黙認し続けた暗君という評価がいっぱんてきといっていい。
 
 他ならぬアンナがそうしてきたのだ。アルディスの身に起きた悲劇を知らなかったとはいえ、彼を自らの復讐の対象とし、彼の名の下に行われた大貴族向けの政策を否定してきた。そうすることで、アンナは民の人気を手に入れたと言っていい。
 そんなアンナが、今更アルディスや他の偽りの皇族たちと結んだところで、竜討伐の英雄リュディス1世の大義を覆せるはずがない。

 ……が、アンナとアルディスにはそうはならないという確信があった。

「俺が前に出たとて、多くのものは信じまいよ。旗頭になるのはお前だ、リアン」
「私が? ご冗談を、私こそ大将なんて務まらないでしょうよ」
「いや、お前でなくてはならない」

 アルディスは広間にいる全員に言う。

「いまから俺とアンナが言うことは、絶対に他言無用だ。()()()が来るまでは」

 * * *
「まさか……」

 二人の話を聞き終わった後、リアンはつぶやくように声を漏らした。

「信じなくてもいい。何しろ証拠らしいものもこれから集めるしかない。が、そういう前提で動く以外に活路はないであろう」
「確かに……そうかもしれませんが……」

 リアンは大きくため息をつく。

「兄様……」

 そんな次兄に声をかけたのはユーリアだ。

「私も、兄様が表に立つしかないと思います」
「ユーリア、私のそんな器があると思うか?」
「いえ、むしろ兄様にしかありえないかと……」
「私も、ユーリアの意見に同意です!」

 そう言ったのはレスクードだ。

「今のアルディス兄上のお話通りなら、私やアロウスにも、あるいはその資格があるかもしれません。しかし……完璧にその役割を担える人物はリアン兄上うえ、あなただけです!」

 続いてアロウスも言う。

「以前から私たちは言っているでしょう。リアン兄上は皇帝になるべき人物だと」
「お前たち……」

 リアンは観念したように深くため息をついた。

「兄上、それにアンナ……あなた達はそうやっていつも私を利用してばかりだ。まったく、腹立たしいったらありゃしない」

 言いながら、リアンは二人を見た。特に、アンナを見る眼差し、それはかつてエリーナを「義姉上」と呼び慕っていた時のそれだった。

 もしかしたら気づいている? と、アンナは思った。様々なことをリアンには打ち明けているが、自分の正体だけは秘密にしたままだ。だが、マルムゼの正体がわかった今、その他様々な情報をつなぎ合わせ、アンナという名とエリーナというの名を線で結ぶ発想が出てきてもおかしくない。そういう聡明さを、この皇弟は持っているはずだった。

「……ふっ」

 アンナとリアンの視線がぶつかった時、彼は少しだけ寂しそうな顔で微笑んだ。そして、すぐに全く別の顔になる。

「わかった、私がダ・フォーリス体制に対抗するための盟主となろう!」

 彼がこれまでほとんど見せてこなかった為政者の顔つきだった。彼は、自らこれから起こる内乱の当事者となることを、その場にいた人々に宣言したのだ。

「まずは南部に向かう! 目指すは帝国第二の都市ビューゲル! そこを拠点とし、帝国全土に号令をかけるのだ!」
 5月22日。ヴィスタネージュ大宮殿真珠の間にて、女帝マリアン=ルーヌの名のもとに、ある布告が発せられた。

「長年、我が帝国は病に冒されていた。すなわち、黄金帝と称されしリュディス5世から続く、偽りの歴史である!」

 この日、新たに帝国宰相に任命されたレテュール子爵は宣言文を読み上げる。後に『真珠の間宣言』と呼ばれる、"百合の帝国"の有り様を大きく変化させた文書だ。

 これまでの慣例では、宰相職は公爵ないし侯爵の家格を有する者が任命されるのが慣わしであった。子爵が政権の最高位に就くなど、前代未聞である。
 そのほかの閣僚たちも一新されている。粛清の対象となったラルガ侯爵ら顧問派の面々はもちろん、旧主を見限ることで生き延びたクロイス派の面々も、解任の上投獄された。

 新たに大臣の席を独占したのは、言うまでもなく真珠の間グループの面々だった。だが、それだけではない。彼らの中でも、200年以上の歴史を持つ古い家系、そして黄金帝の時代以降に要職に就くことのなかった者たちだけが選ばれていた。

「かの黄金帝なる者は名君にあらず! リュディスの名を不当に奪い、竜退治の英雄の血脈を汚した史上稀に見る大逆賊である!」

 レテュール子爵の言葉に熱がこもる。彼の家もまた、長年冷遇され続けてきたのだ。
 家に残る伝承によれば、数百年前のレテュール家は、帝国の領土拡大期に有能な軍人と官僚を輩出した名族であったという。が、グレアン、クロイス、グリージュスといった黄金帝期の閣僚たちに疎んじられ、それ以来北苑の狩場の管理人に甘んじる事となったのだという。そんな状況からの宰相抜擢だ。レテュールは、自らの運命を大きく変えた、女帝の隣に座る男を見た。

「真なる征竜帝の血脈は、簒奪者によって長らく帝都を追放されていた。それが此度、ご帰還なされたのだ! ここにおわす、ダ・フォーリス元帥こそ、正統なる"百合の帝国"の後継者である!」

 仮面の男の正体を聞いたとき、レテュールは昂揚した。自分がお仕えすべきは、この方だったのだ! この方は、偽りの歴史を終わらせる同志として、自分を選んでくださったのだ。
 だから、旧体制は全て打破しなければならない。旧クロイス派も、顧問派も、偽りの皇帝だったアルディスの兄弟たちも……!

「本日、我が内閣は女帝マリアン=ルーヌの名のもとに、ダ・フォーリス元帥の皇族としての地位と名誉を正式に認め、これを保証する。同時に、過去に行われたおぞましき簒奪の事実を明確にするため、全力をもって調査することを約束する。また、これまで身分を偽り不当に特権を享受してきた簒奪者リュディス5世の子孫たちの皇族としての権利を、永遠に停止するものとする。彼らを擁護・支援する者は、国内・国外にかかわらずいかなる勢力であっても、帝国の敵とみなし、これを必ずや滅ぼすであろう」

 この宣言をもって、王朝としての”百合の帝国”はひとつの終焉を見たと言って良い。
 女帝マリアン=ルーヌの君臨は一時的な措置であり、いずれドリーヴ大公アルディス4世が帝位を継承するものとされていたが、この話は自動的に消滅した。
 ゆくゆくは、ダ・フォーリスがマリアン=ルーヌと結婚して皇配となり、二人の子が帝位を継ぐことになるであろう。
 新王朝の誕生だ! 征竜帝リュディスのと、討竜公ルーダフ、二人の英雄の血を受け継いだ皇子こそまさしく大帝国の……いや大陸全土の君主にふさわしい。新王朝は世界に覇を唱える偉大な帝国となるのだ!

 つい先日まで、森の管理人でしかなかったレテュールは、ダ・フォーリス本人が起草した宣言文を読み上げながら、気宇壮大な野望に酔いしれていた。その甘い酔いは、彼の視覚を麻痺させていたのかもしれない。彼は気づいていなかった。この宣言の責任者たる女帝マリアン=ルーヌの、表情を失った顔に……。

 * * *
 あくる5月23日。帝国南部の主要都市ビューゲルで、マルフィア大公リアンによってもうひとつの宣言が発せられた。
 この時点で、まだビューゲルに『真珠の間宣言』の一報は伝わっていない。そのため、ふたつの宣言が1日遅れで発せられたのは、全くの偶然であった。とはいえ、両陣営ともに相手が同タイミングで何らかの発表をすることは想定されており、それぞれの宣言には敵勢力を意識した文言が盛り込まれていた。

「私、マルフィア大公リアンは、"百合の帝国"国民2000万の生命と財産に責任を持つ者として、ヴィスタネージュ政権の不当な権力の乱用を非難する」

 特に、リアンの宣言は、明確にダ・フォーリスらを敵とみなすところから始まっていた。

「長年帝国に忠誠を近い、帝室の藩屏として仕えてきた忠臣たちを、不当に貶め、害をなしたること、大変に遺憾である。私は、現政権によって窮地に立たされし全ての者の味方である。帝都並びに宮廷を追われたものを保護する用意が我々にはある」

 ダ・フォーリスのクーデターで都を追われた貴族は百数十名にも及ぶ。彼らが私兵を引き連れてリアンに合流すれば、ダ・フォーリス率いる正規軍にもかろうじて対抗できるであろう。

「現在、帝国正規軍の一部が、別の正規軍を攻撃するという悲しむべき自体が発生しているが、私はこの解決を願う。両軍ともに、直ちに戦闘をやめ原状回復に努めることを求める。各将軍には、遺物のまやかしに惑わされることなく、自身の誇りと良心にのっとって行動を選択していただきたい」

 加えてリアンと、この宣言文を起草したアンナは、正規軍に対する目配せも忘れていない。
 現在、顧問派指示を表明した第8軍団と、彼らを討伐するために派遣された第2、第9軍団が戦闘状態にある。数度の小競り合いの後。にらみ合いが続いている。二人は、彼らへの戦闘停止を求めたのだ。
 建前上は、両軍とも非難する形であるが「遺物のまやかし」という言葉を使い、リュディスの短剣に象徴されるダ・フォーリスの軍権を否定している。彼の命に従う第2、第9軍団への批判であることは明らかであった。

「さらに帝国では、先年より武装蜂起が相次ぎ、世は麻のごとく乱れている。この現状も、私は望まない。もし真に世の安寧と公正を願うのであれば、諸勢力の指導者は、我がもとに参集せよ。汝らの義憤に、私は最大限の誠意をもって報いるであろう」

 最後に、「夏のない年」の苦境から立ち上がった、各反乱勢力にもリアンとアンナは呼びかけを行っていた。彼らの中にはダ・フォーリスの陰謀により、アンナたちの力を削ぐために立ち上がった者も多かったが、この際、そのようなことは関係ない。少しでも多くの味方を得る必要が、彼らにはあったのだ。

 * * *
 ふたつの宣言は、当然のごとく世の中を震撼させた。片や、帝室を簒奪者とけなし、突如現れた正統なる後継者ダ・フォーリスのもとに新秩序を目指すという、女帝マリアン=ルーヌの宣言。片や、帝国全土の混乱を収める体裁を取りつつ、現政権へ反対するものへの参集を呼びかける、リアン大公の檄文の如き宣言。
 
 これらを受け取った、貴族、軍人、地方都市、そして反乱軍……あらゆる勢力は頭を悩ませた。
 
 常識的に考えれば、女帝側の宣言は荒唐無稽にもほどがある。かの黄金帝がリュディスの血筋になりすました偽物などとどうして信じられよう。むしろ、この外国人の女帝と外国人の元帥こそ、国家の簒奪を目論みているのではないか?
 しかし、伝え聞くところによれば、その元帥はリュディスの短剣に秘められた魔法を復活させ、絶大な力を披露してみせたという。そうでなくても、この短剣を所有し正規軍を自在に動かすことが出来る彼らに付いたほうが、生き残る公算は高い。

 一方で、マルフィア大公リアンはどうかと言うと、あの剣呑なる皇弟殿下である。
 ヴィスタネージュと距離を起き、怪しげな革命勢力を支援していると噂される危険人物。次代の皇帝をの座を狙っているという噂が流れたのも一度や二度ではない。そんな人物に、帝国の未来を託せるのか?
 だが、ある筋の情報では、顧問アンナも、帝室の弟妹たちも皆リアンの下に集っているという。ならば正統性は彼らの方にこそありはしないか。

 いや……ヴィスタネージュ側の主張が正しければ、アンナは女帝暗殺を試みた凶悪犯であり、皇弟とその弟妹たちは忌まわしき簒奪者の子孫ということになる。数で劣る彼らに味方して負ければ、先はないであろう。
 
 どちらに付いたとしても、世の中は大きく変わらざるを得ない。しかし、静観を決め込めんだとしても、内戦が始まれば自分たちだけは安全でいられる、などという保証はない。

 指導者たちは、胃痛と吐き気に見舞われながらも、この二者択一を選ぶしか無かった。

 
「宣言から3ヶ月。そろそろ貴族たちの去就も定まってくるころか……」
「はい兄上。現時点で我々マルフィア同盟への参加を表明した貴族は33家。彼らの抱える私兵の数は、合計で2万6000といったところです」
 
 エルティール伯アロウスは指示を表明した貴族たちのリストを見ながら、兄リアンの問いかけに応じた。「マルフィア同盟」とは、リアン大公を盟主とする反ヴィスタネージュ運動の通称だ。
 
「わがマルフィア家の抱える私兵と合わせて3万5000か……それに正規軍が、半壊した第8軍団の残党5000と、先ごろ中立を破り、こちらへの協力を申し出てきた第3軍団の1万3000」
「ですが"獅子の王国"が、ヴィスタネージュ側に付くのではないかという噂があります。国境に配置されている第3軍団を動かすことは出来ません」

 ゼーゲンが言う。彼女の母国"鷲の帝国"経由の情報だ。"獅子の王国"の国内では、長年続いた戦争は、簒奪者たちの領土的野心から始まったものであるとし、ヴィスタネージュの新体制に好意的な声が多いという。

「その情報は確かなのか、ゼーゲン殿? 先日、ゼフィリアス陛下はヴィスタネージュ支持を表明した。敵による情報工作ではないのか?」
「……」
「あるいは、ゼフィリアス帝の懐刀であったあなたを、我々は本当に信じてよいのか?」
「やめろアロウス。ゼフィリアス陛下は、我らが女帝陛下の兄君。向こうに付かざるを得ないお立場であることは、お前もわかっておろう」

 クロンドラン伯レスクードが、ゼーゲンに猜疑の目を向ける弟をたしなめる。

「いえ、伯爵閣下のご疑念はもっともです。我が主君は、心情としてはこちらに理解を示しております。ですが、廷臣や国民たちは皆、マリンアン=ルーヌ陛下を支持しておりますので……」
「女帝陛下は、皇女時代、非常に国民から愛されたと聞きますからな……、ゼフィリアス陛下も彼らの声を無視するわけにはいかないでしょう」

 そして、"鷲の帝国"皇帝が支持するということは、大陸諸国の多くが、マリアン=ルーヌ支持に回るということでもあるのだ。"鷲の帝国"は政略結婚を主軸とした外交戦略で、現在の国際的な地位を確立した国家だ。ゼフィリアスやマリアン=ルーヌの親戚は大陸全土の国や貴族の家系に連なっている。
 "獅子の王国"の王族に、彼らの血は入っていないが、それでも国際情勢を鑑みれば、ヴィスタネージュと協調するほうが得策だろう。

「いずれにせよ、こちら側についてくれた諸侯も、領地を守る必要がある。私兵の全てを外征に回すわけにもいかんだろう。無論、我がマルフィア家もだ。となれば動員できる兵の数は……2万弱あたりだな」

 対して、ヴィスタネージュ側は正規軍だけでも7万近くを動員可能だ。
 
「くそっ! 我々につく家がもっと出てくると思っていたのだがな……」

 レスクードはくやしそうにつぶやいた。

 突如、かの黄金帝を簒奪者だと主張したところで、それに同意する貴族はほとんどおるまい。最初はリアンも弟たちも、皆そう考えていた。
 しかし推測は外れ、マルフィア同盟の呼びかけるに応じる貴族は、思いの外少なかった。

「仕方ありませんわ」

 それまで黙っていたユーリア皇女が口を開く。

「リュディス=オルスなるお方、口では偽りの帝室をほろぼし正統な時代を始める、などと言っていますが、やろうとしていることは、旧クロイス派の時代と再来ですもの」

 ヴィスタネージュでは連日、新時代の到来を祝う夜会が連日行われているという。その席であの仮面の男は、リアンら皇族の領地を全て召し上げ、諸侯へ分け与える約束をしているそうだ。また、バルフナーらによって復活した錬金工房も再び閉鎖され、錬金術は貴族だけの特権に戻ろうとしている。
 極めつけは、彼らが元寵姫でドリーヴ大公の母であるルコット・ディ・クロイスに接近しているという情報だ。本来ならあの仮面の男にとって、帝位簒奪の協力者の家系であるクロイス家など、すぐに排除しなければならない存在のはずだ。しかし現実には間逆の行動を取っている。

「既得権益が大事な貴族はあちらにつくでしょう。特に一度は失脚したクロイス派の皆さんはね。正直私だって、こんな状況でなければあちら側についたかもしれませんわ」

 臆面もなくユーリアは言った。
 アルディス2世の末娘だったこの女性は、アルディスやエリーナの国政改革や、アンナら顧問派の政策にも一貫して反対の立場だったのだ。本来なら、ルコットや亡きグリージュス公クラーラのような、虚栄と嫉妬に満ちた宮廷社会を愛するタイプの女性である。

「しかし、多数派であればこそ一枚岩とはいかない。風聞を使えば切り崩せませんか? 例えば、新宰相殿とウィダス戦争大臣が同一人物であるという証拠を探すとか」

 これはシュルイーズの意見である。
 仮面の男は先月から、『ダ・フォーリス』の名を捨て、正式に彼の本名……征竜帝リュディス1世の正統な後継であることを示す名『リュディス=オルス』を使い始めた。一方で、アルディス3世と寵姫エリーナを暗殺し、クロイス派と癒着し戦争大臣として甘い汁を吸ったあげく、宮廷内で大騒乱を起こして死んだ『ウィダス子爵レナル』の名は無きものとしている。

「ウィダスとしての暗躍こそが、かの御仁の正体でございましょう? その証拠を押さえて公表すれば、名のある貴族ほど、彼に従うわけにはいかなくなるのでは?」
「難しかろう。あの周到な男が、ウィダス家と繋がるような証拠を残しているとは思えない」

 ううむ……と。会議卓に座る一同は唸り声を挙げる。
 その時、扉が開いた。

「皆様、大事なことを見落としていますわ」
「アンナ!」

 部屋に入ってきたのは()顧問アンナ・ディ・グレアン。そして少し後ろには、黒髪の青年が付き従う。
 アルディスの記憶と人格を取り戻した彼であったが、マルムゼと呼ばれていた頃と同じように、そこが彼の定位置だと言わんばかりに立っていた。

「兄様、それにアンナ殿。この非常時にあって、需要な会議の場に遅れるとは何事ですか。仲睦まじいのは結構ですが、昼間から何をなさっていたのかしら?」

 ユーリアの嫌味に、ゼーゲンやシュルイーズなどは、一瞬表情が凍りついた。が、アンナは全く表情を変えることなく応じる。

「申し訳ありません。少々準備に手間取ってしまいまして」

 アンナは内心では、これまで六に政治に興味を持ってこなかったくせに何を言うか、という気持ちがないわけではない。が、同時にこの女性が、常にアンナに不満をいだいている性分であることも熟知している。そのため、侮辱すれすれの物言いにはさほど腹も立たず、むしろ可愛らしいとまで思ってしまった。

 「それより大事なこととはなんだ、アンナ?」

 首席に座るリアンが尋ねる。

「大公殿下、あなたの最大のお味方のことですよ」
「私の……味方?」
「ベルーサ宮のご友人方のことをお忘れですか?」
「……革命派の活動家のことか?」

 アンナはにっこりと頷く。
 帝都におけるリアンの居城であるベルーサ宮は、公園として市民に開放されていながら、大公特権によって宮廷の警察権が及ばない特殊な場所であった。そのため、中庭は娼婦や犯罪者予備軍の巣窟となっていたが、とりわけ多かったのが、革命派の不穏分子たちだ。リアンはヴィスタネージュの宮廷を困らせる意図で、彼らを可愛がり、大っぴらに支援すら行っていた。そんな態度が、帝都での彼の絶大な人気にも繋がっていたのである。

「だがアンナ。以前も言ったが、私が繋がりを持っているのは帝都の革命派のみだ。帝都を捨てた今、彼らが今どんな状況なのか、知る術すらないぞ」
「ええ、確かに殿下のコネクションは帝都の革命派のみでした。ですが、反政府運動というものは地下で結束を結ぶものです。帝都の外であっても、彼らは殿下に味方してくれるでしょう」
「アンナ、お前まさか遅れたのは……」

 アンナはニヤリと口角を釣り上げる。
 
「ええ、下の階の部屋に皆様お揃いです。ここビューゲルをはじめ帝国南部を拠点とする革命派……わが父、サン・ジェルマン伯爵と盟友エウラン殿の秘密結社が!」
 その組織に名前はない。強いていうならば「エウランの結社」がそれに相当するであろうが、構成員がその名で自らを呼ぶことはほとんどないという。

「黄金帝の簒奪に抵抗した者たちの地下組織……よくもそんなものが現代まで残っていたものだ」

 リアンは嘆息する。反政府活動に傾倒していた彼でも、そんな組織に存在については噂のかけらすらも聞いたことがないようだ。

「当時の弾圧を逃れるために、極めて排他的な秘密結社へと変貌していったようです。ですが、我が父サン・ジェルマンは限られた情報からその存在に気づき、か細いながらもパイプを作っていました」

 あの夜、父タフトは、ノユール子爵エウランの組織は真のリュディス5世と皇太子ルディの死によって終焉を迎えたように語っていた。しかし、こうして繋がりを持っていたのだ。
 そのことをあの時点で話さなかったということは、すでにタフトの中では覚悟が決まっていたのかも知れない。自らの命が終わり、全ての記憶と知識をアンナに託す覚悟が……。

「だが、それほど閉鎖的な結社が、今更我々に合流したとしてどうなるというのだ?」
「ふふっ、確かにそう思うであろう。だが、その顔ぶれを見たら驚くぞリアン」

 アルディスが楽しそうに弟に言う。その笑顔の意図をリアンは図りかねたが、扉を開けるとすぐに全てを察した。

「これは……」

 マルフィア同盟の仮本部が置かれている、ビューゲル市庁舎の2階。いつもは市議会の会議場として使われるその広間に十数人の男たちが集まっていた。彼らは、リアンやアンナたちが入室すると一斉に起立して、彼らを出迎える。

「まことか? まことにそなたたちが、エウランの結社なのか?」

 やや上擦った声でリアンが尋ねると。一番手前の男が応える。

「いかにも。およそ百年前、ノユール子爵エウランの名の下に、帝都への反抗を試みた者たちの末裔にございます」

 彼の顔をリアンはよく知っている。べルーサ宮に何度も来たことがあるのだ。このビューゲルを拠点とし、東方大陸との交易で巨万の富を築いた大商人だ。

「といっても、かつての理念は多少変質しておりますがね」

 商人の隣に座る禿頭の男が言う。彼は、帝国最大の駅馬車組合の頭領だ。

「無論我々は、正統なる帝室の復権など目指しておりませぬ」
「そればかりか、新宰相の宣言で初めて、我々のルーツが伝説などではなかったと知ったくらいですからな」

 そう言って高らかに笑う、別の男。彼もまた銀行家で、貴族系の資本に金を融資して公爵クラスの人物でも頭が上がらないことで有名だ。

「我々が信奉しているのは、帝室の血筋などではなく、金の流れと人々の営み」

 この言葉は、ビューゲル商人たちを束ねるギルド長のもの、そのほかにも南部の主だった都市からギルド代表が集まっており、そのほかの顔ぶれも皆、南部を中心に活躍する商業・流通・金融の顔役たちであった。

「百年前……弾圧を逃れるため、彼らは自らの力を持つ必要がありました」

 アンナがリアンに説明する。

「しかし、武力はほぼ全てヴィスタネージュに独占され、錬金術もさして発展しておりませんでした。そんな中彼らが力として選んだのが……」
「金。つまりは経済力による国の支配、ということか」
「はい」

 アンナは頷いたが、銀行家の男がそれを否定する。

「顧問殿、人聞きの悪いことは言わないでもらいたいですな」
「左様、この国を支配するなど、考えてはおりませぬ。強いて言うならば、ヴィスタネージュによる支配を拒む、くらいでしょうか」

 実際、南部は帝都のある北部と比べ、商人たちの力が強い。表向きの支配者は北部と同じく貴族階級であるが、彼らも商人たちを制御することは難しいという。様々な交渉と妥協により、形の上では彼らを服属させている、と言った状態なのだ。

「なるほど、そう言うことにしておきましょう……と言いたいところですが、私は知っていますよ、あなた方の真の実力を」
「……と言いますと」
「金の力を選んだのは、それが権力よりも確実に人を動かすからでありましょう? 実際、皆様の子飼いの傭兵隊は、ヴィスタネージュ派貴族の私兵に潜り込んでいると聞きます」
「潜り込んでいるなどと……あくまで商売の一環ですよ」
「そうでしょうか? では有力な銀行家が動けばどうなりますか? 貴族の資産を凍結すれば?」

 会議場がざわつき始める。

「あるいは、帝国の物量を抑えている者が、ヴィスタネージュ周辺の人や物の流れをストップさせればどうなるでしょうか? そう言った力をあなた方は持っています。いえ、自ら望んで得たのです、いつか来る悲願達成のために」

 悲願達成。それは、彼らが口で語る、政権からの経済的な独立程度のものではない。現体制を屈服させ自らが実質的な支配者になることを目指す反逆の意志だ。エウランとタフトが根付かせた、政権奪還の想いは、長い弾圧をへてそう言ったものに変質した。
 のちにタフトはそのことに気づいたのだ。何十年も前に蒔いた種が、取り返しのつかないほど巨大な根を張っていることに……。
 
「なるほど。確かに我々の力を持ってすれば、そう言うことも可能かも知れない。顧問殿や、皇弟殿下は、我々にそれをやれと仰せですか?」
「いえ、私たちからそれを命じるつもりはございません。命じたところで、あなた方に従う義理はないでしょう?」
「ええ……ええ、その通りです。むしろ我々のルーツを考えれば、あなた方は敵とすら言える。我々の先祖たちは、リュディス=オルスの血脈を守ろうとしていたようですからな」

 そうは言うが、かれらにそんなつもりが毛頭ないことも、アンナは知っている。あくまでこれは揺さぶりだ。南部商人はこういう気風のもとで、ここまで力をつけてきたのだ。そしてその気風の源流にあるのも、きっとタフトとエウランであったのだろう。

「ですがあなた方は実利を求める商人でもある。ですから、私たちはあなた方の流儀に合わせた話がしたいのです」
「流儀ですと? それはつまり、商談をお望みと?」
「ええ、そういうことになります」
「いいでしょう……聞きましょうか?」

 商人たちの目がアンナに向けられる。商売人が人や物を値踏みのする時に眼差しだ。

「今話した通り、我々が求めているのはあなた方の真の力です。あなた方が支配を拒むために……いや、真の支配者となるために何代にもわたって培ってきたその底力を丸ごと、我らに売っていただきたい!」
「あなた方は、古の盟主たるサン・ジェルマンの名を持ち出して、我々をここに集めた。その名を使ったからこそ、皆ここにいるのです。それに見合うお話をいただけるのでしたら、どうぞご説明ください」
「わかりました。我々がお約束できるのは二つ」

 アンナは右手の人差し指と中指を立てた。そしてすぐに、その1本を折リまげ、話を続ける。

「ひとつは、皆様の中にもご想像している方がいましょう。錬金術です! 私アンナ・ディ・グレンアンはかねてより、錬金術の自由化とそれによる経済尾活性化を望んでいました。それが今、再び貴族たちの特権になろうとしている。私は、あなた方に錬金術の成果を公開したいと考えています」

 もちろん、タフトがリュディス=オルスの命で作らされていた、新型砲や透明化迷彩付きの気球といった危険な代物は別だ。だが、バルフナー博士の主導で進められている魔力の利用や、旧工房時代から進められてきた様々な分野の研究が彼らの手に渡れば、きっと新しい産業が生まれるだろう。

「なるほど。おっしゃる通り、我々もあなた方がそれを持ち出す予想はしておりました。がそれゆえに、驚きがない。その程度の旨みでは我々を動かすことはできませんな」

 ビューゲルギルドの長老が言った。

「そうでしょう。ですが、こちらの話には興味を持つのではありませんか?」

 言いながらアンナは、2本目の指を折った。

「あなた方は、それぞれのご自分の商売で何人もの顧客をお抱えになっているかと思います。その顧客の数が50倍になるとしたらいかがでしょう?」
「50倍とは、また大きく出ましたな」
「あなた方が政権を取ったら、北部諸侯の顧客を紹介してくれるということですかな?」
「それにしたって50倍にはならんでしょう」
「それに、北には北のギルドがあり、商人がいる。特にヴィスタネージュ周辺は貴族系企業が乱立し、我々が入り込む余地はない……」

 結社の構成員である商人たちは、アンナが口にした数字に懐疑的だった。

「確かに、皆様のような大商人となれば、その取引先は貴族が主でしょう。北部にはあなた方が新規参入出来る余地は殆ど残っていません。……今は、ですが」

 アンナは、自分を値踏みするように眺める商人たちを、挑戦的な眼差しで見返す。
 これまで彼女が相手としてきたのは、ほとんどが貴族たちだ。彼らとの交渉や論戦とはまた違った緊張感が、アンナの身体を包みこんでいた。

「ところで、我が帝国の貴族と平民の人口比はご存知ですか?」
「人口比ですと? 我々は官僚ではないゆえ、戸籍の記録などはわかりませぬ……が、商いで使ってる数字からある程度の推測は可能ですな」
「そうですね……流通している物資量から考えると……30~60倍といった所でしょうか?」

 最も早く頭の中の算盤をはじき終えたのは、駅馬車組合の頭領だ。
 その数字の把握力と、解を導き出す思考法に、アンナは心の中で口笛を鳴らした。ヴィスタネージュの官僚とはまた違う方法で、この国の実態を捉えている。

「そのとおり。およそ2対98。平民の人口数は、貴族の50倍と言ったところです」
「50倍……」

 数字に聡い彼らは、すぐにその数字が先程アンナが提示したものと一致していることに気がつく。

「つまりあなたが言った顧客とは、平民ということですか?」
「ご明察」
「バカバカしい。確か数の上ではそうかもしれんが、我々が欲しているのは人ではない。人が持つ金、人が回す金だ。金を持たぬ者は我々の顧客にはならん」
「それは、彼らが貴族に多額の納税をしているからでしょう?」

 アンナは言う。平民の大多数を占める農民は、荘園を収める領主たちに年貢を納めなくてはならない。その率は領主によってばらつきがあるが、農民たちの収穫の殆どが彼らに持っていかれるのは、どこも同じだ。

「年貢を減免、あるいは撤廃し、彼らが自ら作物を売るようになれば、あなた方の顧客になるのではございませんか?」
「それはっ! この国の制度の根幹に関わってきますぞ。年貢がなくなれば、貴族は暮らしていけない。あなたのお考えは、貴族制度そのものを破壊すると言っているようなものだ」
「ええ。そう申し上げています。私の最終的なのぞみは、貴族制の解体です」
「なっ!」

 これが、アンナが公的な場所で貴族制度廃止に言及した初めての機会となった。しかしアンナは、いやエリーナは、ずっと前からこの考えを抱いてきたのだ。

「考えてもみて下さい。貴族がなぜ貴族たりえたか。それは魔法を用い、初代皇帝リュディス1世とともに悪しき竜を倒したからです。魔法で民を厄災から守っていたからです。その魔法を使える貴族は今日、皆無と言っていい。役目を終えたのです、彼らは!」

 爵位を持たず、暮らしは都市部の平民とさして変わらぬような、名前だけの貴族を含めても、その総数は数十万。それが、50倍にも達する人々を押さえつけ搾取し、この国の富のほとんどすべてを独占してきた。国と帝室、そして民を守るという理念は形骸化し、ひたすら搾取のみを繰り返してきた。
 平民から吸い上げた莫大な富は、壮麗なヴィスタネージュ文化を生み出したかもしれない。素晴らしい芸術や学問を生み出す素地となったかもしれない。アンナもそれらを全否定するつもりはない。が、今少し平等な制度を作るべきではある。リュディス=オルスの登場によってここ百年の歴史が否定された今は、ある意味では絶好のタイミングなのだ。

「この国の身分制度を根本から見直し、民の財産を増やす。そしてそれらを、あなた方が循環させ増やすことで、この国を若返らせるのです。経済面だけだはない。学問を奨励し、官僚や政治家への門戸を開く。そして憲法を定め、民選による議会を設置する……」

 アンナは以前から思い描いていた、フィルヴィーユ派や顧問波による改革の完成形を思い描く。

「即座にとは参らぬことは承知しています。貴族を見殺しにするつもりはありませんので、彼らには相応の補償が必要です。それに平民たちの覚醒にも時間がかかります。……50年、いえ100年はかかる大事業となりましょう」

 父やエウランが、そして今リュディス=オルスが成そうとしている、正統な帝国の再建などよりもはるかに難しく、険しい道だ。しかし、それでもやらなければならない。

「……大公殿下」

 商人の一人が、ずっと黙っているリアンに声をかけた。

「あなた様も、同じことを望んでいらっしゃるのですか?」
 
 今でこそ正統性を問われている立場とはいえ、もともとは皇弟として貴族制度の頂点に近い場所にいた男だ。彼が今のアンナの話をどう考えているかは、商人たちも知りたいところだろう。

「正直な所……私は、彼女の思い描いているものの全貌を想像できていない。……今も、弟や妹にはどう説明すべきか悩んでいるところだ」

 アンナが彼らをここに呼ばなかったのは、そのためだ。特に皇女ユーリアなどは、激怒してヴィスタネージュ側に出奔すらしかねない。彼らには時間をかけてゆっくり理解してもらう必要がある。

「私は、帝都では革命思想化に共鳴もしていたが、彼女のように貴族制の完全解体までは考えていなかった……」

 リアンのいる場でこの話をするのも、半分は賭けだった。アンナの考えは、ベルーサ宮の革命主義者でさえ過激と思うだろう。
 だが時間がない。今ここで、商人たちを味方につけなければマルフィア同盟に勝ち目はないのだ。

「だが、私はこの者を信じることにしている。この者の知性と思考、そして良心を! 」

 商人たちは目配せをして、お互いの意思を確認し合う。皆同じ思いであることを察したのか、視線は次第に結社の最重鎮であるビューゲルギルドの長老へと集中していった。

「顧問殿、あなたはわれわれを集めるときにサン・ジェルマン伯の血を引く者と名乗られた。今のお話は伯爵のご意思ですかな?」

 長老はそうアンナに問いかける。

「彼は、私に知識を与えてくれたに過ぎません。只今お話したのは、その知識と、私がヴィスタネージュで培ってきたものを組み合わせた上での結論です」
「左様ですか……。ならば我々からあなた様に望むことがございます。それを受け入れてくださるのであれば、我らは喜んでマルフィア同盟に合流しましょう」
「ありがとうございます! ……して、私に望むこととは?」
「サン・ジェルマンの名を継ぎ、我が結社を束ねる者とおなりください」
「えっ!?」

 思いがけない申し出であった。

「我らは生き抜くために、絆を持って結ばれた同志ではありますが、誰かが統制を取っているわけではありません。我々を使うのであれば、上に立って指揮する者が必要です」
「それはあなた方の中から選ぶわけにはいかないのですか? 伯爵の知識を継いだとはいえ、私はあなた方の苦悩を知らない。その資格はないかと思います」
「いえ、だからこそ良いのです。われわれの利害を慮ること無く、命令を下せるものでなければ、我々を扱うことは出来ません」
「……」

 アンナは考える。かつて父が使ったサン・ジェルマンの名を受け継ぐ。単なる錬金術師としてではない。この国の歴史に裏から関与し、全てを覆す者としてその名を名乗るのだ。

「顧問殿、何卒お願いいたします……」

 商人たちが頭を下げた。

(顧問殿か……)

 その一言が、アンナを決意させる。そうだ、そうじゃないか。

「顧問……私は、その役職をとうに剥奪されています。グレアン侯爵と言うなも今では逆賊の名となりました。いえ……そもそも、私にとってグレアンとは、たまたま拾ってくれた養父の名に過ぎません」

 グレアンの家名を奪ったのも、顧問という役職を得たのも、必要だったからに過ぎない。そしてそれは今回も同じことだ。

「今日限りで、私はそれらをすべて捨て去りましょう。これからは、アンナ・サン・ジェルマンとお呼び下さい!」

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