「どう言うことですか!」

 タフトは、リュディス=オルスに喰ってかかる。彼に対して、ここまで感情的な声を出してしまったのは初めてだ。正統な血筋の後継者に対し、それなりに敬意を持った態度をとっていたのだが……。

「どうと言われてもな。来月、アルディス3世による親征がある。ちょうどいい機会だ。前線で彼奴を殺す」
「早すぎます……! 決起は早くとも2年後というお話ではありませんか!?」
「状況は常に変わっている。すでにこちらの手駒は揃っているのだ。今回の親征こそ千載一遇の後期ではないか」
「それは……そうですが……」

 それでは困るのだ。タフトは心の中でつぶやいた。
 この男に秘密で用意している亡命ルートはまだ完成していない。娘と……その恋人であるアルディスを安全に国外へ逃すためには、まだやらなければならないことがいくつもあった。
 数年前より、錬金術に魅せられたエリーナは、工房で助手の真似事を始めていた。そこで、視察に来たアルディス3世と出会い、恋に落ちた。当然タフトも最初は猛反対したが、それを押し切って2人の仲は急速に深まっていった。やがてついには彼の寵姫に選ばれ、宮廷に出仕する身となったのである。
 事ここに至って、タフトは内心で復讐を完全に放棄した。むしろ娘の恋人たる皇帝を、リュディス=オルスの魔手から守り、生かす手立てを考え続けている。

「あの影武者も、はやく玉座に着かせろ、贅沢をさせろとうるさいのだ。前世の記憶などないはずなのに、魂まで卑しいことと言ったら……」

 リュディス=オルスはそう言ってせせら笑う。かつてタフトがエリクサーに溶かし込んだ偽帝の魂。それを使い、この男はひとりのホムンクルスを生み出した。"認識変換"の異能を与えたあの黒髪の青年は、いずれ皇帝アルディス3世に成りすまし、帝国を堕落の底へと突き落とす役割を担うこととなっている。
 が、彼の出番はタフトが思っていた以上に早くなりそうだ。

「だいたい、貴様にはこの件について文句を言える立場ではないと思うぞ?」

 リュディス=オルスの冷たい瞳がタフトを射抜く。

「俺がアルディスの親友を演じながら機を伺い、妹はクロイス派の連中の籠絡に勤しんでいる中、お前は何をしてきた?」
「それは……来るべき日の備え、新型兵器の開発を……」
「そんなものは他の錬金術師に任せておけ!」

 怒声が、石造の部屋に響く。

「俺が言いたいのは賢者の石の件だ。いつになったら完成する?」

 賢者の石。長らく理論上のみ存在とされてきた純粋な魔力の結晶体だ。初代皇帝リュディス1世より、"百合の帝国"皇帝に受け継がれてきた膨大な魔力は、リュディス5世と皇太子ルディの死によって、その行き場を失った。
 彼らの子孫であるリュディス=オルスと妹グリーナは、確かに帝室の魔法を発現させた。が、継ぐべき魔力を継いでいないため、その力は限定的なものとなってしまった。もし彼らが名実ともに玉座に復帰せんとするならばその魔力も得る必要がある。そうリュディス=オルスは考えた。
 そこで着目されたのが賢者の石だ。
 リュディス5世が有していた魔力は、彼の肉体が滅びた後バティス・スコターディ城に残された。そしてそれは時の移ろいとともに徐々に拡散し、今では帝都全域に滞留している状態であることが、タフトの調査で判明している。これを再び一箇所に結集し、結晶化させ、真なる皇帝リュディス=オルスの奉還する。
 この儀式をもって"百合の帝国"の再簒奪を完成させるというのが、復讐者の兄妹が描いた未来だった。

「急げば、生成中の石が崩壊します。その説明は再三させていただいたはずですが?」
「果たしてどうであろうな。お前のことだから、わざと遅らせているのではないかと思ってな」
「何を申されますか!」
「お前、本心では俺の計画人反対だろう?」

 ルディの曾孫はタフトを睨みつける。その鋭すぎる目つきは、本当にあの柔和な青年の血筋のものなのかと疑いたくなる。

「俺に従順なふりをして、肝心なことは一切やろうとしていない。ばかりか妨害ばかりする」
「決して、そのようなことは」
「どうかな」

 リュディス=オルスの手がタフトの額に伸びた。来た。"感覚共有"の異能……いや彼の場合、紛いものでない天然の魔法が発動する。

「ちっまたこれだ」

 が、タフトに触れていた手はすぐに離れてしまった。

「肝心なところを読み取ろうとすると、必ず拒絶が入る。記憶のロック機能とやらか……」
「これについても申し上げたはずです。賢者の石の生成は、世界情勢を左右しかねない禁忌。であるからこそ、誰の手にも渡らぬよう、私自身の手で封印したと」
「それこそが貴様の不忠の証と俺は思っているのだ!」

 記憶のロックは、"感覚共有"と"認識変換"の2種の異能を応用させた一種の暗示技術で、帝室の魔法にも存在しないタフトだけの能力だ。タフトにとって誰の手にも渡したくない秘密を、誰にも渡されぬよう封印してしまう。その暗示は非常に深く、タフト自身も思い出すことができない。賢者の石の生成が始まり、あとは見守るのみとなった段階でこの術を使用した。

「それに、貴様の娘の件もある」
「……」

 これに関してはタフトも何も言わない。今や彼にとって唯一の泣きどころが娘エリーナの存在だ。

「こちらとしても有益な情報を得られる可能性がある。だから、アルディスの寵姫になることは黙認した。だが近頃の振る舞いは一体何事だ?」

 思いもよらないことだったが、娘には政治の才があった。それも、この国の歴史に残るような才だ。
 最愛の人である皇帝を支えるべく、エリーナは政治の世界に入った。そして市井の娘として味わってきた貴族による理不尽をただすため、彼らに対抗した。
 彼女は真摯で直向きな情熱を燃やす一方で、人を陥れることも厭わぬ冷徹さも持ち合わせていた。この二面性は、魑魅魍魎が跋扈する世界を切り開く2本の剣となり……気がつけばエリーナはフィルヴィーユ派と呼ばれる官僚グループの首領となっていた。

「このまま彼女を成すがままにしておけば、俺が表舞台に立つ前にこの国は再生してしまう。明らかにやり過ぎだ」

 国が程よく腐ってなければ、政変は起こせないし、自らの正当性を主張することも難しくなる。
 娘の才がリュディス=オルスを焦らせているのだと、タフトは理解した。

「わかるな? これは最後の警告だ」

 皇帝の子孫は言う。

「娘を宮廷から呼び戻せ」
「……私が命じたところで、あれは聞かないでしょう」
「それでもだ。貴様ら親娘が、これ以上俺の計画の邪魔をするならば……排除するしかない」
「……」
「遅くとも、ふた月後にはアルディスは死ぬ。それに娘を連座させたくなかろう?」

 冷たい瞳は、なおもタフトを顔を突き刺していた。
 
「成すべきことをなせ。いいな?」