【火・金更新】寵姫として皇帝と国に尽くした結果暗殺されたので、錬金術で復活して宮廷に復讐してやる!

「あんたが本物のサン・ジェルマン伯爵か?」

 背後から声をかけられたのは、商工会の会合所からの帰り道だった。

「本物? ……錬金工房の人間か?」

 まずそう思った。工房に出入りしている「サン・ジェルマン伯爵」は孫弟子が名乗っている偽りの名だ。タフトを「本物のサン・ジェルマン伯」などと呼ぶ者となると、その弟子のことをよほどに知っている人物ということになる。

「いや、俺は錬金術師ではない」

 振り返ると、そこにはマントを目深に被った男が立っている。いや、少年か? 若い声だった。

「錬金術師でないなら……なぜ私を、サン・ジェルマンなどと呼ぶ」
「警戒させてしまうのも無理はない、か。安心してくれ、敵ではない」
「……あなたは誰だ?」
「レナル・ディ・ウィダス……ウィダス子爵家の者だ」
「ウィダス?」

 かろうじて聞いたことある程度の家名だった。少なくとも、我が物顔でヴィスタネージュを牛耳っている大貴族ではない。

「そして外部には秘し続けているもうひとつの名がある」
「何?」

 レナルと名乗ったその者はフードを外し、素顔を見せた。

「リュディス=オルス。偉大なる高祖父の名を取ってそう名付けられた」
「リュディス……!?」

 あらわになった顔を見て、タフトは愕然とした。思った通り、14〜5歳の少年だ。それもよく知った人物と瓜二つの。

「ルディ……」

 その名を、思わずつぶやいてしまったことに気づき、タフトは慌てて口をつぐんだ。

「曽祖父のその名を知るということは……やはりサン・ジェルマン村の生き残りか?」
「曽祖父……ですと?」
「頼む!!」

 少年は突如頭を下げた。

「妹を助けて欲しい!」

 * * *
「とうさん、お出かけするの?」

 旅支度を整えていると、9歳になるエリーナが声をかけてきた。

「ああ、古い知り合いに頼まれてな。ひと月ほど留守にするよ」
「おみやげ、おねがいしてもいい?」
「もちろんさ。そのかわり、母さんのことよろしく頼むよ」

 かがみ込んで、娘の額にそっと口付けをする。エリーナは少しくすぐったそうに笑ったあと、言った。

「うん! かあさんはわたしがしっかりみるね!」

 妻はここのところ、熱を出しやすく寝込む日が増えていた。医者の見立てでは、すぐにどうにかなるような病気ではないと言ってくれたが、心配ではある。

「こんな時に家を空けてすまないな。言ってくるよ」
「いってらっしゃい!」

 娘の元気な言葉を背中に受けながら、タフトは家を出た。
 職人街の入り口には、大きな馬車が停まっている。ウィダス子爵家のものだろう。すでに、あの少年も乗っている。その他には、今は錬金工房に入っているタフトの曽孫弟子も2人乗り込んでいた。

「お前たちは……」
「先生は工房を空けることができないため、私たちが大先生の補佐をするよう仰せつかりました」
「そうか……」

 タフトは少年を見た。彼らがいるということは、孫弟子もこの少年のことを信頼しているのだろう。

「こちらが妹君ですかな?」
「……そうだ」

 馬車にはもう1人、乗客がいた。横に細長い大きな箱だ。ちょうど子供用の棺くらいのサイズ、というよりも棺そのものだろう。病に倒れ、仮死状態だという。

「最初に申し上げておきます。我々はこれまで一度もホムンクルスへの魂の移し替えに成功しておりません」
「それはすでにこの者たちからも聞いている」
「ですから処置に失敗し、妹君が天に召されたとしても決してお恨みくださいますな」
「わかった。だが、私は大丈夫だと確信している。妹が持つ魔法を思えばな」
「……ご説明いただけますか。妹君のことだけではありません。あなた様のご一族のことを」
「わかった。だがあなたも話してほしい。この100年、あなたが何をしてきたかを」

 * * *
 古城へ向かう道中。タフトは、リュディス=オルスを名乗る少年から話を聞いた。

「先程も言った通り、私と妹は真のリュディス5世の血を受け継ぐ者だ」

 リュディス=オルスは首にかけていた鎖を外し、タフトに見せた。その鎖には銀色の小さなリング2つ通されていた。

「これは……」

 古い記憶をたぐりよせる。ああそうだ、間違いない。ルディとティーラのために"伯爵"が作った結婚指輪だ。

「わが曽祖父、リュディス皇太子が曾祖母との結婚の際に用意した指輪だと聞く」
「たしかにそのとおりです。しかし、どうしてそれがここに」
「曽祖がヴィスタネージュを脱出する際に持たされたのだ」
「なんですって!?」

 リュディス=オルスの話によれば、あの日ルディに付き添ってティーラは、幽閉先のバティス・スコータディ城で男児を出産したという。そして彼ら一家を慕う侍女らの助けによって、密かに脱出したのだ。

「それは我が一族にとって一世一代の賭けだった。非死の力をもつ皇位継承者は、自分の意志でその力を放棄した時に死が訪れる。それを隠れ蓑にしたのだ」

 その計画を発案したのはティーラだという。彼女は、ルディの死の先年に肺を患って死んだが、その間際に非情な脱出計画を考案した。
 まず、男児の死が偽装された。ルディとリュディス5世は、相次ぐ家族の死によって悲嘆に暮れ、生きる希望を失う。少なくとも看守たちの芽にはそう移るよう振る舞った。
 そして、ルディは非死の魔法を放棄し、妻と息子の後を追う。偉大なるリュディス5世も息子の選択を受け入れ、自らも同じ運命を選ぶ。
 これには、看守たちも騒然としたであろう。永遠に死なずともおかしくない2人が揃って自ら死を選んだのだから……。

 しかし、運命の男児は生きていたのだ。埋葬されたのは、密かにすり替えられた故事の遺体であり。ルディの子はバティス・スコータディの地下室に匿われていた。
 が、父と祖父の死によって、その引き金となった彼の死は疑いのないものとなっていた。その心理的な隙を付き、彼はバティス・スコータディの冷たい城門を抜け出すことに成功したのだという。

「高祖父、そして曽祖父は、自分たちがバティス・スコータディの中で生きながらえるよりも、正統なる血が外に出ることをこそ望んだのであろう」
「そのようなことが、あの頃に起きていたなんて……」
 
 ルディたちの死の報せは、エウランを絶望させた。そして当時の運動は終焉を迎えることになった。あの時、我々が場内の計画を知り得ていたら、あるいはその次女がエウランやタフトがルディ救出のために動いていたことを知っていたなら、歴史は変わっていた。
 いや、今更そんな事を言ってもしかたない。タフトはそう思い返し、首を振った。

「脱出したあなたのお祖父様はその後いかがされたのです……?」
「その侍女が、ウィダス子爵家に縁ある者だったらしい。祖父は当時の子爵に預けられることとなった。そして彼の養子となり、やがて子爵家を継いだのだ」
「なるほど、そうでございましたか」
「だが、祖父に魔法は発現しなかった。父にもだ。祖母が平民だったが故と、誰もが思った。だから彼らは、自分たちの出自を忘れ、地方貴族として生きる道を選んだ」
「……」

 あの夜の、クロイス体位の言葉を思い出す。下賤な血が交じることで皇族の血は凡人に成り下がる、そう言っていた。その言葉は真実となったといいうことか。

「しかし、私と妹は違った。始祖リュディスが用いた、超常の力を我ら兄妹は宿していたのだ!」
「なんですって!?」
「私は、"認識変換"と"感覚共有"の力を持つ。そして妹は別の力を。その力こそが、ホムンクルスへの適合ができると確信している理由さ」
「その、力とは」
「"憑依"だ。始祖の魔法の中でも、発現者が少ないとされる、肉体を渡り歩く力だ……!」
 棺の中に入っていたのは10歳にも満たぬ少女だった。顔に生気はなく、目を瞑ったまま微動だにしない。仮死状態とのことだが、死を思わせるような負の印象はまったくない。むしろ、生命感がないがゆえに、女神をかたどった彫像を思わせるような美しさすら感じた。

 似ている……。

 そして何より、タフトはその顔にあの姉妹の……ヴェルとリーサの面影を見た。この少女の冷たい身体が、クロイスの部下に刺され、みるみるうちに暖かさを失ったヴェルのそれをに重なる。

「どうしたのだ、伯爵……?」

 タフトは不意に目頭を押さえ、その場に立ち尽くす。その様子を不審に思ってか、リュディス=オルスが声をかけてきた。
 
「いえ、なんでもありません。……術式を開始しましょう」

 古城の地下には、生成されたホムンクルス体が一体だけ保管されている。いつか、魂を移し替える技術を確立するその日のために、この古城を去るときに残してきたものだ。
 それを運び出し、少女の棺の横に寝かせる。

「この女性が、ホムンクルス……」
「はい。私の血液から生成したホムンクルスは、どういうわけか皆同じ顔となります。恐らく、私が取り込んだ皇族の血が、歴代皇帝のどなたかの姿を再現しているのでしょう」

 ホムンクルスは必ず、2種類の顔どちらかになる。金髪でやや幼い印象を受ける顔か、黒髪できれば我の目を持つ顔だ。今ベッドに横たわらせたのは前者のタイプで、これは必ず女性の肉体を持つ。もう一方は男性の肉体を持つ傾向が高いが、女性の姿も確認されている。

「妹君の持つ魔法は"憑依"と仰せでしたな?」
「ああ、そうだ。リュディスの血の中でも極めて珍しい魔法らしい」
「私もその力については存じ上げませんでした。一体どのようなものなのでしょう?」
「妹は元々双子だったのだ……」
「双子?」

 そういえば……と、タフトは記憶を掘り起こす。リュディス5世の政変以前の皇族の血統に双子の人間は存在しない。だが、侍従や女官の日記など調べていると、どう考えても双子の世話をしていると思しき記述が出てくることがあるのだ。そしてそれらの記述は必ず一方が病弱で、しばらくすると何事もなかったかのように1人の若君や姫について書かれたものとなる。タフトは最初、これらは宮廷特有の権力争いに起因する悲劇で、詳細を残すことがはばかられたため曖昧な書かれ方になったのだと思った。が、同様の例がいくつも頻出していたので不審に感じていたのだ。

「皇族の双子は、必ず"憑依"の力を持って生まれる。これは複数の肉体がひとつの魂を共有する力だ」
「共有……?」
「そう。肉体は双子だが、魂はひとつ。魂は自分の意志で器となる肉体を選び、移動することができる。過去には一方の肉体を影武者として窮地を脱した皇帝や、政を行いつつ、前線で兵を率いた皇子もいたという」
「なるほど……」

 確かに、その力を持つ妹君ならばあるいは……。タフトは、フラスコに生成したばかりのエリクサーを注ぎ入れた。

 * * *
「ここ……は?」

 ゆっくりと起き上がったホムンクルスは、呆然と周囲を見回していた。

「やった……成功だ……」

 弟子の誰かが言った。ああ、そうだ。成功した……何十年と待ち望んでいた光景が目の前にある。ついに我々はホムンクルスへの魂の移動に成功したのだ!

「グリーナ……私が、わかるか……」

 目を覚ました妹に、リュディス=オルスが語りかける。妹といっても、器となった肉体はこの少年よりも年上の外見をしていたため、その光景はいささか奇妙に思えた。

「え、あ……」

 グリーナ・ディ・ウィダスの魂を宿した女性は、兄たる少年の顔を見て戸惑っていた。そこで、タフトは違和感を覚える。

「私だ! お前の兄、オルスだ! それとも、レナルの名のほうが通じるか?」
「オル……ス? レナ……ル?」

 グリーナは兄の名をつぶやくが、その響きに明るいものは感じられない。まさか、と思った。覚醒時に記憶の混濁が発生する可能性は確かにあった。しかし、この様子は根本的に事故となる。

「その……どなた、でしょうか?」

 グリーナは、恐る恐る尋ねる。
 なんということだ。失敗だった。
 魂の移動には成功した。しかし、記憶が伴っていない……。

 * * *
 タフトは、グリーナの身体や心を綿密に検査し、それを黒革のノートに書き記した。かつて"伯爵"が残したノートと同じ装丁のものだ。数順年間、タフトはこれと同じノートに、ホムンクルス研究のあるゆる実験結果や考察を書き記していた。
 これが最後の一冊になるかもしれなかった。しかし、そうはならなそうだ。今回のエリクサーでは、人格の抽出には成功したものの記憶を溶かすには至らなかった。
 まだまだ人間と心と肉体と魂には大きな謎がある。それを人為的に操り、あまつさえ創造することなど、もしかしたら永遠に完結しない夢想なのかもしれない。

 だが、それでも一歩だけ進展はあった。
 グリーナの古い肉体から採取したサンプルと、ホムンクルスの体組織を比較することで、これまでのタフトの研究がさらに確度を増す。

 タフトが編み上げた理論は決して間違っていなかった。足りなかったのは"憑依"の力を持つ血だ。グリーナの血液を同じ方法で生成すれば、真のエリクサーは完成するだろう。どのような魂も確実に溶かし込み、それを別の肉体に移すことができる不死を実現する秘薬だ。
 そして……既存のエリクサー試料も決して無駄にはならない。
 
「こいつに溶かし込んだあの男の魂も……」

 タフトは書棚に置かれた古い瓶を手に取った。あの簒奪者の魂が溶けたエリクサーだ。恐らくこれに、グリーナの血から抽出した魔力を帯びさせれば、真エリクサーと同等の効果が得られるはずだ。

 だが、今更そんなことをして何になる……?

 タフトはすでに決めたのだ。復讐から足を洗うと。娘エリーナのために、これからは平穏に生きると。

 なのに……それなのに……私はホムンクルスを生み出してしまった……!
 
「馬車の中で話していた簒奪者の魂とはそれか?」

 背中から声をかけられて振り返る。いつの間にかドアが開かれ、リュディス=オルスが立っていた。

「殿下……申し訳ありません。妹君を完全に蘇らせることは出来ませんでした……」
「よい。駄目でもともと、というのは事前に取り決めていたこと、お前が気に病む必要はない」
「ですが……」
「記憶など、これからの経験でいくらでも積み上げることができる。それよりも、妹の魂そのものを残すことが出来て本当に良かったと思っている」
「殿下……」
「なにせ、決して失われてはならぬ、高貴なる血と魔法だ。たかだか10年足らずの記憶よりも遥かに価値がある。そうは思わないか?」
「え?」

 一瞬、返答に窮した。記憶などよりも魂が大事とは、そういう意味なのか。彼女の人格ではなく、リュディスの魔法こそがこの兄が求めるものだった、ということか。

「サン・ジェルマン伯よ」
「はい……」
「その瓶を私にくれぬか?」
「は? この瓶、とは中身の魂のこと、でございますか?」
「もちろんさ。良いことを思いついたのだ!」

 リュディス=オルスが笑う。口角が釣り上がったその相貌に、タフトはなにか凄絶なものを覚える。

「記憶が残らないのなら都合がいい。此奴をホムンクルスとして復活させようではないか」
「な、何のためでございますか?」
「無論、この国を滅ぼすため」
「なっ!?」
「サン・ジェルマンよ。お前もそのために、100年に及ぶ生を費やしてきたのであろう?」
「それは……そうですが」

 もう私は復讐を諦めました。とは、言えなかった。

「我が高祖父を不当に貶めた簒奪者に道化を演じさせるのだ。クロイス、グリージュスといった豚どもにいいように操られ、暴政をはたらく無能な皇帝としてな」
「皇帝!? その者を皇帝にするというのですか!?」

 一体どうやって? いや、そんな事不可能であろう。

「もちろんすぐにではない。下準備が必要であろう。だが、我々がこれまで待ち続けた時間に比べれば遥かに短く済むはずだ」
 
 タフトは、自分の体が震えている事に気がついた。その瞬間、手から小瓶が滑り落ちる。

「おっと」

 リュディス=オルスがそれをすくい上げた。

「せっかくの、魂をここで失う訳にはいかない」
「お戯れをおっしゃいますな、殿下……。あのようなものを再び皇帝にするなど」
「戯れではない。かの簒奪者ならば記憶がなくとも立派な暗君となるであろう。それを正統なる血の私が討つ! 民衆はリュディスの血が再び頂に立つことを喜ぶはずだ。そして愚かな皇帝は、100年前の自身の愚行を呪いながら滅びゆくのだ。己が築いた腐った貴族社会とともにな!!」

 自身が打ち立てた構想に気が昂ぶったのか、リュディス=オルスは高らかな笑い声を上げた。それを聞きながら、タフトはぎゅっと拳を握りしめる。

「もちろんお前にも協力してもらうぞ。私とお前で、高祖父リュディスの無念を晴らそう! "百合の帝国"を、再び気高き聖なる国にするのだ!!」
 暁の光が窓から差し込む。
 外で、歩哨が交代要員に申し送りをしているのが聞こえた。
 
「伯爵……いやタフト殿、とお呼びするほうがよろしいのか?」

 ゼーゲンが尋ねる。タフトは、金属職人である父の紛れもない本名であり、百年以上に及ぶ長き復讐の物語の主人公の名であった。その全貌の殆どが、今明かされた。

「お好きな方で及びください。ゼーゲン殿」
「そうか。では、本名で呼ばせてもらいます、タフト殿」

 父は黙って頷く。

「タフト殿、それであなたはリュディス=オルスの……ウィダス元戦争大臣の陰謀に加担していたのか?」

 やや逡巡してから、タフトははっきりと明言する。

「はい。ここまで話しておきながら誤魔化すわけにもいきますまい」
「何故だ。あなたは復讐を諦めたのであろう? それとも、真帝の血を引く者に出会い、再び野心が芽生えたか?」
「私自身の思いや考えなどに意味はありますまい。彼は魔法が使えるのですよ?」
「は?」

 ゼーゲンは、父の言葉の意味を測りかねているようだ。そこで、アンナは言う。

「"感覚共有"……私の異能の反転使用を、あの者も使えるのですね?」
「そいうことか!」

 "感覚共有"は、他者に自分の五感や記憶を共有させる力だ。そしてその使用方を反転させ、相手の五感と記憶を読み取ることも可能だと、アンナは昨日の戦いの中で知った。

「娘の申したとおりです。彼は私の頭の中を侵食し、100年間培ってきた錬金術の知識を手に入れました。そして、あの古城を拠点とし、配下の錬金術師に私の研究を引き継がせたのです」
「しかしそれは、加担とは言うまい。むしろあなたは被害者ではないか」
「いいえ」

 父は首を横に振った。

「私が100年前に復讐を志しなどしなければ、彼の陰謀は成り立たなかった。そういう意味では加担したもの同然なのです」

 それは彼の信念に裏打ちされた言葉だと、アンナは感じた。
 単に責任感に苛まれての、自罰的な感情などではない。 心では復讐を諦めていたとしても、「サン・ジェルマン伯爵」という存在は復讐から降りることは出来ない。
 100年間、現帝室への怒りに身を捧げてきたものだからこそ、そう答えることができてしまうのだ。その心理は、たとえ娘である自分にも、完全に理解することは不可能だろう。それこそ100年もの時間を孤独に生き続けでもしなければ。

「とはいえ、彼への抵抗も試みていました。例えば、ゼーゲン殿。あなたです」
「私が?」
「はい。あなたを造り、ゼフィリアス陛下のもとへ送り届けたのは、先帝マリアン=シュトリア陛下のご意向でした」
「先帝陛下の?」
「リュディス=オルスは、際限なき権力欲を持つお方。故に、"百合の帝国"を牛耳れば、必ず対外戦争になる、だから私は陛下に接近しました」
「そうか……それで!」

 シュルイーズが声を上げた。

「何を隠そう、私が宮廷に出入りできるようになったのは、先帝陛下が広く人材を求めたからとバルフナー博士から聞いています」
「つまりマリアン=シュトリア陛下は、"百合の帝国"が再簒奪される可能性を危惧し、錬金術の……特に魔法と魔力に関する研究を始めた、と?」
「そうです、顧問閣下。それにその頃、我が国では大きな転換点がございました。……外交革命です」
「あっ!」

 アンナは両国の関係の歴史を振りかえる。なるほど、確かに辻褄が合ってくる。
 女帝マリアン=シュトリアの功績のひとつが数十年間険悪だった"百合の帝国"との関係改善だ。実娘、マリアン=ルーヌと、アルディス皇太子の婚約は、大陸のパワーバランスにも大きな影響を与え、当時は「外交革命」と呼ばれた。

「マリアン=シュトリア陛下は、私の話を聞いたうえで、当時の"百合の帝国"帝室との関係強化に努めました。例え裏に醜い歴史が隠されれいようと、再簒奪によって世界情勢が悪化するよりはましだとお考えだったのです」

 タフトは、アンナやシュルイーズの言葉に返す形で、話を再開した。

「しかし当時すでに陛下は内蔵を患っており、先は短かった。そこで私に依頼したのです。ゼフィリアス皇太子を補佐するホムンクルスを用意してほしい、と」
「それが、私だと……?」

 ゼーゲンの問いに、タフトは頷いた。

「あなた様の魂の出自については、控えさせてください。正体を知れば、そのことで自我が崩れてしまう恐れがある。討竜公ルーダフの血を引く、武門の女性とだけお伝えします」
「かしこまりました。もとより前世に興味はございません」

 その言葉はいかにもゼーゲンらしいそっけないものだったが、どこか晴れ晴れとしたものがあるように、アンナには聞こえた。
 この異邦の武人は、彼女なりに疑問を抱き続けていたのかも知れにあ。何故自分が生み出されたのか、何故自分はゼフィリアス帝に尽くしているのか、と。

 翻って自分はどうだろう? 一晩かけて語られたタフトの話は、まだ最後まで到達していない。アンナにはそう感じられた。なにゆえ、私とアルディスはホムンクルスとなったのか。
 それを早く知りたい。が、一晩中話し続けた父が体力を消耗しているのもわかっていたため、話を急かす事はためらわれた。

「失礼します……!」

 その時、将校が入室してきた。ここサン・オージュの留守部隊を任されている、第6軍団の副官だ。彼の顔は血の気が引き、蒼白となっている。その顔を見て、アンナは嫌な予感がした。

「顧問閣下、今すぐサン・オージュから離れてください」
「は?」
「急ぎ身支度を……本隊が戻る前に!」
「何が起きたのです?」

 昨夜の時点で、ルアベーズ城を包囲したという報せがあった。まさかそこから形成が逆転する何かがあったのか?
 
「誠に申し上げがたきことながら……ヴィスタネージュより、国内の全軍団に向けて通達がありました。」

 副官の声は緊張でこわばっている。

「アンナ・ディ・グレアン侯爵とその一党を、帝国への叛逆者とみなし、速やかに討伐するようにと……!」
 

 
「どういうことだ!!」

 ゼーゲンの怒声は部屋を揺るがすかのようだった。副官はその迫力に怖気づくことなく答える。

「ヴィスタネージュの元帥府より伝書鳩が参りました。恐らく帝国全土の軍施設に一斉に放たれたものと思われます」
「元帥府……つまりボールロワ元帥から、ということですか?」

 現在、帝国の軍権を司るのは白薔薇の間の政変以来の盟友であるボールロワ元帥だ。
 彼がアンナ討伐の命令を出した? 一体何故?

「これを……」

 副官はアンナの質問に答えず、ただ紙片を手渡す。
 横長で、丸めた跡がついてる紙。伝書鳩にくくりつけられた文書そのものだろう。視線を落とすと、すぐにその名が目に飛び込んできた。

「ベールーズ伯爵ダ・フォーリス元帥……」

 討伐令は確かにその名で出されていた。
 
「あの男が元帥ですと!?」
「やられた……!」

 アンナはがくっと椅子の上に崩れるように座った。

「すべては彼の……ダ・フォーリス大尉の手の平の上だったのね……」

 あの男のことを元帥とは呼ばなかった。そういえば「ベールーズ伯」という爵位で呼んだこともない。かつて自分のことを執拗に「グレアン侯爵夫人」呼ばわりしたペティアのことを思い出す。そうか、あの老婆もこういう心持ちだったのか……。

「手の平の上、とは?」

 シュルイーズが尋ねる。

「私がヴィスタネージュや帝都から離れるように仕組んでいたのよ。自分が実権を握るために」
「待ってください! 確かにタイミングが良すぎますが、今回の計画は顧問閣下が自ら決めたことでしょう? 仕組むなんて出来ますか!?」
「ウィダスとダ・フォーリス、そして黒幕たるリュディス=オルスが同一人物なら可能よ」

 シュルイーズとゼーゲンは釈然としていない様子だ。だがタフトは、娘と同じ考えに至ったようだ。

「私という存在と、仮死状態のマルムゼ殿だな?」
「その通りです、父さん」

 アンナは父に頷くと、2人にも説明する。

「マルムゼはウィダスとの戦いで傷つき、仮死状態となった。そして、それを治せるサン・ジェルマン伯爵の居場所を知るのは、リュディス=オルスのみ。加えてダ・フォーリスは真珠の間グループを使い、度重なる反乱の責任を私に求める空気を作った……」
「そういう事か」

 ゼーゲンは納得したようだ。

「ひとつの行動に必ず複数の意味を持たせる。それが顧問殿というお方です。ならば、あの古城の工房からほど近いルアベーズで反乱が起きれば、必ずあなたはそこへ向かう……!」
「ええ。そして事実、私はそのような考え、行動しました」

 もちろん一から十まで全てがあの男の企てというわけでもないだろう。偶然の要素もいくつかあるだろうし、そもそもアルディスの生まれ変わりであるマルムゼと直接剣を交えるとは、さすがに想定出来るはずがない。

 しかし、一流の謀略家とは全ての仕掛けを自分で作るような人物ではないことを、アンナは知っている。あらゆる事象を全て人造的に生み出すなど不可能だし、やろうとすれば必ず綻びが生じる。
 状況を正確に見極め、少ない手数で最大限の利益を得んとする者こそ、一流と言える。
 その意味では、今回のあの男の手際は間違いなく一流だ。芸術的とすら言える。

「ありがとうございます。状況は理解しました」

 アンナは紙片を副官に返した。

「で、あなたはどうしてこの情報を私に?」

 この紙片はダ・フォーリス元帥……つまり女帝よりリュディスの短剣を託され、軍権を握った者からの正式な命令書だ。本来ならこの副官は即座にアンナを逮捕し、元帥府に送還しなければならない。

「私は軍人の家系で育ちました。父も、兄も軍人です」

 副官は自身の身の上を語り始める。

「父と兄は第3軍団に所属しています。長らく"獅子の王国"との前線で小競り合いを続けてきた方面軍です」
「……そうでしたか」
「特に兄の部隊は物資が届かず全滅の危機に瀕したことがありました。クロイス派による物資横領が原因です。あなた様は、その不正を告発してくれた。それどころか"獅子の王国"と講和を結び、第3軍団を不毛な戦地から救い出してくれた!」

 副官はまっすぐ、アンナの両眼を見つめる。

「我々軍人は、命に従い戦うのが仕事です。本来そこに私情は挟みません。ですが……心から従いたいと思う主と、そうでない主がいるのは確かです……!」
「では、あなたは、私についてきてくれると?」
「いいえ」

 副官は首を横に振った。

「私のような立場の人間がそこまで私情を優先すれば、第6軍団全てに迷惑がかかります。あなた様のご恩に報いることができるのは、せいぜいあと1時間とお考えください」

 1時間。彼がこの街に駐留している部隊を率い、出動すまでにかかる時間であろう。それでもかなり手心が加えられた猶予だ。
 
「わかりました。私もあなたにこれ以上を求めるべきではないと考えます。ありがとう」
「ご武運を……」

 そう言って副官は退室した。
「急ぎ、ここを発ちましょう」
「ならば、あの気球を使いたいところですが……」
「それは難しいでしょうね」

 確かにあの気球を使えば離脱は容易だ。が、定員はせいぜい4人。アンナ、シュルイーズ、ゼーゲン、タフトが乗ればもう限界だ。棺桶の中に安置されているマルムゼの肉体も移動させなければならないし、ゼーゲンの部下やシュルイーズの助手、それに戦場視察のために連れてきた官僚たちもいる。

「顧問殿だけでも気球でお逃げになりませんか? 第一に守らねばならないのは、あなた様の御身です」

 ゼーゲンがそう提案するが、アンナは却下した。

「皆さんと私は一蓮托生。私だけが抜け駆けするわけには参りません。それに、流石にアレは気球の載せられないでしょう?」

 マルムゼの棺桶を指差す。誓ったのだ、彼ともう離れないと。

「ええ、顧問殿ならそうおっしゃると思いました。ですがそう考えない者もいます」
「どういうことですか?」
「馬車と気球が同時に動いたら、敵もどちらを追うべきか迷うのではないでしょうか?」
「なるほど、あれを囮に使うのですね」

 ゼーゲンの目が不敵に輝く。

「博士、気球を動かしてもらえるか。私は他の者たちを起こし、馬車の準備をする」
「了解です!」

 言うが早いが、シュルイーズは部屋を飛び出して行った。
「……そろそろサン・オージュの兵たちが動き出すころですね」

 ゼーゲンが言う。
 サン・オージュを発った3台の馬車は、高速度で街道をしばらく走った後、森の中をすすむ脇道に入った。すぐに追いつかれることはないだろうが、安心できない状況だ。

「あの気球で、どれくらい追手を分散できるでしょうか……?」
 
 シュルイーズは、サン・オージュを発つ直前に気球の動かし、無人のまままっすぐ東に向かうように飛ばした。

「副感殿は、気球が囮であることくらいはすぐに見抜くでしょう」

 せっかく迷彩機能を搭載している気球が姿も隠さず、わざと目立ちやすい速度と高度で、一直線に進み続ければ、すぐに怪しまれるだろう。

「ですが、完全に捨て置くことも出来ない」
「ええ」
 
 ゼーゲンの言に、アンナは頷いた。
 十中八九、囮だったとしても、残りの一分か二分は、アンナが乗っている可能性がある。わざと目立つ場所に隠れる。いかにもアンナが仕掛けそうなブラフではないか。
 それに、アンナ自身が乗っていなかったとしても、重大な情報を乗せたということも考えられる。例えばダ・フォーリスの正体や、サン・ジェルマン伯爵の秘密などだ。そして方角は東。気球の速度ならば2日もあれば、それらの情報は"鷲の帝国"へ辿り着く。彼らにとっては、面倒な事態に違いない。
 そもそも、あの気球自体が最先端錬金術の産物でもある。その研究を秘匿し続けてきたリュディス=オルス一党は、あれを国外に渡したくないはずだ。
 
 つまり飛び立ってしまった以上、帝国軍はなんとしてもあの気球を落とす必要がある。案外この策は、効くかもしれない。

「まずは身を隠せる場所を探しましょう、マルムゼ殿が復活するまでは……」
「そうですね……」
 
 アンナは後方を付いてくる馬車を見た。あれには仮死状態のマルムゼが収められた棺が載せられている。
 マルムゼさえ目覚めれば、鈍重な馬車を捨てて身軽になれる。それから盟友であるリアン大公の領地に逃げ込む、というのがアンナとゼーゲンが考えた逃避行の計画だった。
 こちらが街道を外れ、森や山の中を進んでいることは、敵も承知のはずだ。第6軍団の主力がルアベーズから戻り、本格的な山狩りが始まればいずれ見つかる。その前にマルムぜが復活できるかが、この逃避行の成否を分けことになるだろう。

 * * *