【火・金更新】寵姫として皇帝と国に尽くした結果暗殺されたので、錬金術で復活して宮廷に復讐してやる!

「タフト、方輝石のサンプルを持ってきてくれ。それからこっちの器具の掃除をしてほしい」
「わかった」
「それと……また血を頼む」
「またかよ!?」

 3年後。タフトは15歳になっていた。村の慣習では、年が明ければ成人とみなされる年齢である。他の子供たちは大人たちに混じって畑で力仕事をやるようになっていたが、タフトだけは相変わらず"伯爵"の手伝いをしていた。
 昔から暇さえあれば"伯爵"の小屋に出入りしていた事もあって、基礎的な錬金術の知識はひと通り身についた。
 "伯爵"も最近は、ただのお手伝いではなく、助手と見なしてくれているようだ。実験の際には器具のメンテナンスや記録を任せてくれる。
 そしてもうひとつ、"伯爵"がタフトに求めるようになった事がある。
 生き血の提供だ。
 
「今週これで3回目だぞ?」
「すまないと思ってる。だが比較検証のために新鮮な血液が必要なんだ」
「……まあ、いいけどさ。最近は捕まえた獲物の肝や心臓を焼いて食べてる。他の連中より血の気は多いさ」

 タフトは最近、森に入って猟師の真似事もしている。
 いくら村人たちが病気や災害の際、錬金術に助けられているとはいえ、"伯爵"はよそ者だ。畑仕事もせず、毎日彼の元へ通うタフトに眉をひそめる大人も多い。
 そこでタフトは猟師の仕事に目をつけた。"伯爵"と一緒に考えた罠を配置し、野うさぎや鹿を捕まえるのだ。手先を使う細かい作業が多い狩りはタフトの性に合っていた。大物を捕まえて戻れば英雄扱いされたし、畑のサボりも大目に見てもらえる。
 それに、森の中で、珍しい草木や石を探すのも楽しかった。それらを持ち帰り、"伯爵"に鑑定してもらうのだ。中には薬になるものもあったりして、これもまた村の大人たちからは喜ばれた。

「それにしても、何だってこんなに血が必要なんだ?」

 二の腕を革紐できつく縛りながら、タフトは尋ねる。

「多くは言えん。だが、この国のためだ」
「よくわかんねえが……俺なんかの血で国が守れるなら安いもんだな」

 タフトは笑いながら、よく煮たナイフを鍋から取り出す。持ち手が熱くなって、タフトは嫌なのだが、血を採るときは必ず煮込んだナイフを使う決まりとなっていた。火にかけない刃で腕を切ろうものなら、"伯爵"は激怒するのだ。

「それにしても。国、ねえ」

 腕にナイフをあてながら、タフトはつぶやいた。
 国と言われても、村から出たことがないタフトにはピンとこない。だから聞き返す。

「"伯爵"、いつも言ってるじゃん。都なんてろくなもんじゃないって。それなのに国は大事なのかい?」

 外の世界を知らない少年にとっては、国も都も似たようなものだ。たくさん人がいるらしい場所、年貢の麦を納める相手、そのくらいのイメージしかない。

「全く別物だ。むしろ、都がろくでもない場所になったからこそ、国の有り様が問われているのさ」

 タフトは尋ね返したことを後悔した。ますます意味がわからない。
 それにしても、だ。
 不意に都の話になった。今こそ、自然にあの話に流れを持っていくチャンスかもしれない。ずっと心に秘めながらも、"伯爵"に話せずにいた事だ。

「でもさ、国のアリヨー? ってやつを知るならこの村はちょっと不便じゃないか?」
「何だって?」
「あのさ"伯爵"。前々から考えていたんだけど……」

 * * *
「あ、いたいた。やっぱりここで、ふてくされていたのね?」

 岩の上に寝そべっていたタフトは、その声を聞いて飛び跳ねるように起き上がった。洗濯かごを抱えた女性が、こちらを見上げている。

「ヴェル……」

 タフト心臓を高鳴らせながら、岩から飛び降りた。

「聞いたわよ~、伯爵と喧嘩したんですってね?」

 いたずらっぽく言うヴェルの軽やかな表情。やっぱりきれいだ。
 ヴェルは3年前、この村にやってきた頃からさらに美しくなっていた。村の独身男たちは全員、ヴェルに恋しているほどだ。タフトもその一人である。というか、自分こそが一番最初にヴェルのことを好きになったんだという自負すらあった。

 あの日、"伯爵"の旧友であるエウランという男は、3人の兄妹を連れてきた。ヴェルはその中の2番目の子だ。エウランは"伯爵"の家の隣に同じくらいの大きさの小屋を建てて、4人でそこに住み着いた。
 当然村人たちは、最初このよそ者たちを警戒した。
 だがヴェルはとても社交的な少女で、村の女達の集まりに積極的に顔を出し、洗濯や針仕事を手伝うことでおばさん連中に気に入られていった。
 それがきっかけとなり、兄のルディや妹のリーラも村人たちに受け入れられ、今では3人ともすっかり村に馴染んでいる。

「珍しいじゃない、あなたが"伯爵"に口ごたえするなんて」
「別に……あのオッサンが話を聞いてくれないのが悪いんだ」
 
 都で本格的に錬金術の勉強をしたい。そう"伯爵"に告げた。
 以前から考えていたことだ。"伯爵"の元で勉強しているうちに、錬金術という学問そのものに魅せられていった。だから、帝都でちゃんとした修行を積み、一人前の学者として"伯爵"の手伝いをしたいと考えたのだ。
 この村に住み着いて以来、"伯爵"は一人で研究を続けてきた。それを手伝っていたタフトは、しばしば彼がこの村での研究に限界を覚えていることを、感じ取っていた。手持ちの蔵書には書かれていないこと。高名な錬金術師たちの最新研究。"伯爵"は、そういったものを欲しがる時がある。
 ならば自分が帝都に行き、それらを手に入れよう。そう考えたのだ。

「都に行きたいなんて言ったんでしょ? それは、あの人怒るわよ」

 "伯爵"の都嫌いはヴェルもよく知っている。
 もちろんタフトだって、そのことには十分配慮していた。だから、できるだけ自然に話を切り出せるよう、前々からタイミングを伺っていたのだ。そして今日、その話をした。

『ふざけるんじゃあない! お前はこの村で暮らせ、それがお前のためだ!』

 帰ってきたのはそんな言葉だった。それまで"伯爵"はタフトの人生を縛り付けるような言葉を投げたことは一度もなかった。畑仕事が性に合わないタフトを見て、狩猟道具づくりを手伝ってくれた。実験の助手だって一度も強制したことはなく、あくまでタフトがしたいようにさせてくれた。
 なのに、今回に限っては「それがお前のため」ときた。
 むしろタフトは"伯爵"のためを思えばこそ相談したのに、そんな言葉で拒絶されるのは心外だった。

「アンタ、帝都で錬金術の勉強をしたいって言ったらしいわね。それって本気?」

 ヴェルの後ろからもう一人の少女が近づいてきた。この生意気な口調は、ヴェルの妹リーラだ。タフトと同い年の勝ち気な少女で、こちらも姉に負けず劣らず美しい。が、その気の強さゆえに、ヴェルに対するような憧れの感情を彼女には抱かなかった。むしろ、悪友やケンカ友達のようなノリが近い。

「なんだよリーラ、文句あるのかよ」
「別に。ただアンタってどこか抜けてるからね。都行っても落ちぶれるのがオチよ。"伯爵"もそれがわかってるから反対したんじゃないの?」
「ああ? なんだと?」
「何よ、やる気?」
「ふたりともやめないか」

 タフトとリーラが視線に火花を散らし合っていると、さらにもう一人の声が近づいてくる。ヴェルとリーラの兄、ルディだ。
 
「兄さん、どうしてここへ?」
「ちょっとエウランに話があってね」
 
 物腰の柔らかな三兄妹の長男は、ある意味では今や一番村に馴染んでいるかもしれない。というのも、この春に所帯を持ったのだ。しかもその相手が、彼より7歳年上で未亡人のティーラだったから、村中が大騒ぎとなった。
 兄妹の保護者でもあったエウランは猛反対していたのだが、"伯爵"がそれを取りなし、二人とも真剣なことを確認し、盛大な式をあげた。
 終始仏頂面だったエウランも、新郎新婦が皆の前で愛の宣誓をしたときには、大粒の涙をこぼしたものだった。

「それと今夜、ティーラが皆を食事に誘いたいらしんだけど、どうかな?」
「ティーラさんが? 行く行く!」
 
 タフトとの視線のぶつけ合いなど打ち切って、リーラがはしゃぎだした。

「ティーラさんのシチュー大好きなのよね。アタシもあの味を真似したいけど、上手く行かなくって……」
「なら、コツをしっかりと聞いてみるんだな」
 
 ルディはリーラの頭を撫でた。

「私も言っていいのかしら、兄さん?」

 ヴェルが兄に尋ねる。

「もちろんさ。ヴェルとリーラ、それにエウランを招きたいってのがティーラの願いなんだ」
「嬉しい。ならお呼ばれするわね」
 
 兄妹の仲睦まじい様子に、ふとタフトは寂しさのようなものを覚える。ときどき、この三兄妹の間には割って入ることの出来ない不思議な空気が流れることがある。それは3人の仲の良さからくるものではあるが、同時にこの3人が本当にいるべきはこんな田舎の小さな村なんかじゃないのでは、という思いも抱かせるのだ。
 
「ところでタフト、話は聞いたよ」

 複雑な思いで3人を見守っていると、ふとルディがタフトに声をかけた。多分、ふたりの妹と同じ用件だろう。

「この村は穏やかでとてもいいところだ。僕もむやみに外に出る必要はないと思う」
「なんだよ、ルディも"伯爵"の味方ってわけか?」
「いや、あくまで僕個人の思いだ。タフトに何かを強制すべきじゃないと思っているよ」
「え?」
「だから、一度拒絶されたくらいで腐らず、粘り強く"伯爵"を説得すればいいと思うよ。それが本当にタフトのやりたいことなら、僕も協力する」
「ルディ……」

 都への憧れる一番の理由はもちろん錬金術だ。そこに偽りはない。
 が、実は"伯爵"にも話さなかった別の理由がある。それはこの三兄妹だ。

 ヴェルたちは何も言わないが、彼女たちが帝都からやってきたのは一目瞭然だ。今では日に焼けて、この村の住人らしさが出てきたとはいえ、根本的に異なる存在だ。
 つい今しがた、タフトが感じた寂しさのようなものも、そんな彼女たちとの違いからくるものかもしれない。

 どんな理由で帝都を離れ、この村にやってきたかは分からないが、本当の居場所はここではないのではないかと、そんなことをタフトは思っている。
 そして、いつか彼女たちは忽然とこの村から姿を消し、帝都へ戻ってしまうのではないか。そんな恐怖も感じていた。

 そうならないためにも、いつまでもヴェルたちと一緒にいるためにも、都を知る必要がある。それがタフトが出した結論だ。

 都を知れば、自分もヴェルにふさわしい男になれるのではないか……そんな子供じみた愚かしいことを、この頃のタフトは考えていたのだった。
「どうしたんだ村長、こんな時間に?」

 夜遅く、これから寝ようという時刻に呼び出しがあった。タフトは父親と共に村長の家へ向かう。ここは村の集会所も兼ねていて、重要な決め事を男たちで話し合う場所でもあった。

「ああ来たな。これで村の男たちは全員です」

 村長は横にいる男にそう言った。見たことのない男、それも軍人だった。赤い上着と鉄製の黒い兜は、徴税官の護衛としてついてくる男たちと同じ服装だ。

「全員?」

 タフトは尊重の言葉が気になった。
 ぐるりと広間を見回すと、確かに主だった男たちは揃っている。けどエウランとルディ、そして"伯爵"の3人がいない。
 このジジイ、やっぱ耄碌してるのか。タフトは心の中で思った。この老爺が村長になってから、もう40年以上経つらしい。近頃は物忘れが激しくなったと言うことで、息子にその任を任せて隠居しようという話も持ち上がっている。

「あの……」

 全員ではない、と言うことをタフトは村長とその隣の軍人に話した。

「いや、あの3人についてはよろしいのです」

 軍人は言った。髭面のいかつい男だが、以外にもその口調や物腰は柔らかかった。

「こんな遅くに集まっていただきありがとうございます。私は……」

 まず軍人は、簡単に自己紹介をした。帝都から特別な任務で派遣されてきたのだそうだ。
 そして任務の内容について、村人たちに説明を始める。その内容に男たちはざわついた。

「ルディが……御曹司……?」
「はい。もちろんお二人の妹君も、さる高貴なお方のご令嬢です」
「なんでそんなのが、こんな田舎に……?」
「十数年前、都で大きな政変がございました。あの方々のお父君はご自身が捕縛される前に、守役のエウラン殿に命じ、お三方を脱出させたのです」

 そして、逃避行の末にこの村に辿り着いた。そういうことらしい。
 
「……ああ、訳ありの偉い人なんだろうなと言う気はしていた」

 それは多分、村人全員が思っていたことだろう。訳ありでもなければ、あんな上品な兄妹がこんな田舎にやってくるはずがない。

「ちょっと待ってください。それじゃあもしかして"伯爵"も……」

 タフトは、自分の師匠のことを軍人に尋ねた。あの人も元はよそ者だったのだ。

「"伯爵"……? もしかして、メッセル伯爵もこの村に?」

 軍人の顔色が変わる。

「今お話しした政変で都を追われた方です。アカデミーを首席で卒業するほどの天才で、錬金工房の代表を勤めておりました」

 軍人の言葉に、男たちはさらにざわついた。

「"伯爵"って本当に伯爵だったのか」
「俺はてっきりホラ話かと……」
「都で1番の錬金術師ってのも本当だったのか」

 病気を治し、新しい農機具を作り、橋や水車の設計まてしてくれた村の恩人。誰もが"伯爵"のことを尊敬していたが、それほどの大人物は思わなかったらしい。

「なるほど、彼がこの村に……エウラン殿はメッセル伯を頼ったと言うことか……」

 軍人はぶつぶつと独り言をつぶやきながら、考えを整理している様子だった。

「で、軍人さん。あんたはどうしてルディたちがここにいるって知ったんだ? あいつらをどうにかする気なのかい?」

 タフトの父がそう尋ねた。村人たちに緊張が走る。"伯爵"はもちろん、エウランや三兄妹も今では立派なこの村の一員だ。特にルディは所帯まで持っている。

「どうか誤解なさらぬよう。私はあのお方たちを害する意思はありません。私がこの村を知ったのは、エウラン殿から直接聞いたからです」
「エウランから?」
「はい。私はあの方と旧知でして、先日街で偶然再開しました」

 そういえば、彼は2~3ヶ月に一度、街へでかけている。何かしらの用事があるようなのだが、その度に女たちは料理用の油や布地の買い物を頼んだりしている。

「彼からお三方のことを知り、皇帝陛下へ報告しました。そして陛下からは、帰還の手引きをするよう命じられたのです」
「陛下から?」
「はい。あれから十数年。都の政情は回復し、リュディス5世陛下の御名の下、平穏を取り戻しております。特に御曹司……ルディ様には、お父君の名誉を回復するためにも復帰していただきたいのです」
「そんな! それじゃあティーラはどうなるんだ!?」

 若くして夫を病で失い、子を成す前に未亡人となったティーラの事を、村の皆は気の毒に思っていた。だからこそ、ルディと再婚した時は誰もが2人を祝福したのだ。

「ルディとティーラは上手くやっている。アイツはもうこの村の一員だ!」

 そんな声が出てきて、それに頷く者もいた。

「……けど、この村はあいつらの本当の居場所じゃない」

 タフトはつぶやくように言った。ずっと抱いている思いだ。
 もちろんあの3人はそんなことを思っていないだろう。ヴェルもルディも、リーサだって積極的に村に馴染もうとしてた。村人たちにもそれは伝わっており、彼女たちを受け入れていた。でもヴェルたちまとっている空気は、ふとした時に「俺たちと違う」という思いをタフトに抱かせる。それをきっと本人たちは自覚していないし、嫌味と思ったこともない。でも、いつまでもこの村にいるべきじゃないという思わせる何かが、あの3人にはあるのだ。

「タフト……お前もそう思うか?」
「え?」

 タフトは顔を上げる。大人たちの中に、タフトの言葉に同意するものがいた。それが少し意外だった。

「前にエウランさんが言ったことがあるんだ。感謝はしているけど、理由あって永住するわけにはいかないって……。あの人、ルディたちの結婚も最初は反対してたろ。多分、こういう時が来るとわかってたんじゃないか?」

 ううむ……と唸るような声が何人もの大人たちから同時に漏れた。
 確かに、本来いるべき場所に帰れることができるのなら、俺たちは笑って見送るべきだ。けど、その一方でルディとティーラの仲を引き裂きたくないという思いもある。多分、みんな同じだ。

「そのティーラさんという方はルディ様とこの村、どちらをお選びになるでしょうか?」

 軍人が言う。

「どういうことです?」
「もしご本人が望まれるのであれば、ティーラさんもともに帝都に行く事はできるかと思います」

 思ってもいない言葉だった。そこにいた村人のほぼ全員が意外そうな顔をする。

「その……こう言ってはなんですが、ティーラをルディ……様の伴侶とお認めいただけるので?」
「もちろんです」
「いや、その……身分とかあるのでは?」

 ティーラは山深い田舎の未亡人だ。都の貴族社会に認められるなんて誰も思っていない。だから問題なんじゃないのか?

「今、帝都では、古い因習から脱却し、新たな国家を作ろうという機運が高まっています! その旗振り役は他でもない皇帝陛下ご自身。身分違いの恋と結婚は、新時代の象徴としてむしろ歓迎されると思います」
「なんと……」

 皆、感嘆の声を漏らす。大人たちは安堵の声を。
 そして若い衆はそこに喜びの色が交じる。身分違いの恋が認められるなら、自分とヴェルだってもしかしたら……彼女に恋している者は皆そんなことを考えたのだ。

「それに、向こうでの生活が落ち着いたら里帰りだってできるでしょう。逆に皆さんが帝都に行ったっていい。ですから、あの方々の帰郷を後押ししてはくれないでしょうか?」

 軍人は頭を下げる。そこまで言ってくれるのであれば、もはや反対する理由はなかった。男たちは彼の申し出に同意した。

「ただし懸念があります」
「懸念?」
「メッセル伯爵です」
「"伯爵"が?」

 軍人が言うには、"伯爵"は政変の際にてひどい裏切りを受けたために、都の人間に強い猜疑心を抱いているという。だから、自分がのこのこと説得に向かっても追い返されるばかりか、あの3人を連れて何処かへ逃走してしまう可能性すらあるということだった。

「まぁ、あの"伯爵"ならありえるわな」
「大の都嫌いなのは、俺たち村の者もよく知っているよ」

 彼と一緒にいる時間が最も多いタフトから見ても、その可能性は大いにあると思った。三兄妹とエウランをこの村に読んだのは"伯爵"だ。彼が、3人が都に戻ることを素直に認めるとは思えない。

「なので、皆さんには私と一緒に伯爵の説得に協力していただけないでしょうか?」
「もちろんだ。俺たちにできることは何だってするぜ」

 異論を挟むものはいない。その様子を見て、村長が話し合いを終わらせようとする。

「皆の意見は固まったようだ。よろしく頼みます。ええと……なんと申されたかな?」
「なんだよ村長、さっき名乗ってもらったのにもう忘れたのか?」

 どっとみなが笑う。

「申し訳ない。歳のせいで、物忘れが酷くて……」
「いえ、いいですよ。名乗ることくらい何度だっていたします」

 軍人は気さくに笑う。そして改めて自身の名を村長に告げる。

「リガール・ディ・クロイス大尉と申します。爵位こそありませんが、一応騎士の称号を持っております」
 タフトはただ茫然と、その光景を眺めていた。村中の建物という建物が炎をあげている。家だけでなく、物置や水車小屋なども含めた全てが……。誰も隠れることが出来ないよう、兵士たちが火をつけて回ったのだ。
 そして焼け出された村人たちは、広場に集められていた。

「話がちがうではないか! これはどういう事だ!」

 村長の息子だ。

「確かに、村に兵を入れる許可は出した。たがそれはルディの護衛のためだ! なのにこの仕打ちは何だ!?」

 彼はクロイス大尉に掴み掛かろうとする。が、すぐさま左右から兵士たちに取り押さえられてしまった。
 兵士の腕力によって、顔を地面に押し付けられた彼に、クロイスが言う。

「何だ、と申されても、護衛ですよ。嘘は申しておりません。我々は殿下の身を守るための部隊です」
「殿下……だと」

 それが皇帝の親族にのみ使われる継承だということは、田舎者のタフトたちだって知っている。高貴な血筋だとこの男は説明していたが、まさかヴェルたちは皇族だというのか……?」

「ただし、殿下の安全こそが第一のため、多少手荒い事はさせていただきますが……」
「手荒い、だと? そのような言葉で収まることか!」
 
 クロイス大尉の後ろでは村長の家がごうごうと音を立てながら燃えている。村で一番大きな建物だったため火勢は凄まじく、その熱気は広場に集められた者たちの顔をあぶっていた。

「我々も出来ことなら穏便に済ませたかったのですよ。ですが、メッセル伯爵がいたとなればそうは参りません」

 大尉は言う。その口調は昨晩と同じく柔らかかったが、受ける印象はまるで違っていた。得体の知れない怪物が喋っている……タフトはそんな感覚を覚えた。

「クロイス!」

 その怪物を呼ぶ声。見ると、崖上から続く道を別の兵士の一団が近づいてきた。声を上げた先頭の男は馬に乗っている。
 崖の上の2軒、"伯爵"の家と、ヴェルたちの家は、最初に襲撃を受けていた。その煙でタフトたちが異変に気づいた直後、崖下の村にも兵士が殺到してきたのだ。

「グリージュス閣下、そちらの首尾は?」
「多少手こずりはしたが、この通りだ」

 閣下と呼ばれた騎乗の男は、背後を見やった。
 そこには、鎖で繋がれたルディとヴェル、リーサがいる。この姿で崖上から歩かされていたのだろう。それを見たとき、タフトは、そして他の村の男達もすべてを察した。

 自分たちは、決して村に入れてはならぬ者共を入れてしまったのだ、と。

「ルディ!」

 広場に集められた村人たちの中から叫び声。たまらず前に出ようとしたのはルディの妻、ティーラだった。
 
「閣下、メッセル伯は?」
「そちらも問題ない……さぁエウラン殿」
「はい……」

 鎖で囚われた三兄妹の背後から、荷車を引く馬が前に出てくる。その馬に乗る男を見てタフトは愕然とした。
 
「!?」

 エウランだった。ヴェラたちをこんな姿で歩かせておいて、何故あいつだけが馬に乗っている?
 ほんの一瞬、タフトはエウランと目があった。すぐさま、3人の保護者だった男は、タフトから目をそらした。
 そしてさらに衝撃的な光景がタフトの目に飛び込んできた。

「は……"伯爵"」

 エウランの馬が引いている荷台に、真っ赤な何かが横たわっている。それが何か一瞬、分からなかったが血に染まった衣服の模様に見覚えがあった。"伯爵"の上着だ。

「大尉の言うとおりであった。我々が近づいていることを悟り、3人を連れて村から脱出しようとしていたところだった」
「死んでいますか?」
「やむを得なかった……」

 閣下と呼ばれた男が言うと、大尉はニヤリと笑う。

「やむを得ない、などという事はありますまい。この男は国家転覆を図る危険人物。どのみち死罪でしょう」

 タフトは呆然とその会話を聞いていた。国家転覆? 死罪? だめだ。眼の前の光景があまりに信じがたく、交わされる言葉の意味にまで頭が追いつかない。

「皆さん聞いてください!」

 すると大尉が叫んだ。

「この男、メッセル伯爵は、現在の皇帝陛下が偽物であるなどという妄言を繰り返し、臣民と軍、さらに外国まで焚きつけようとした叛逆者です。そんな男が、殿下を人質にしようとしたため、グリージュス将軍はかような仕儀に及びました。全ては殿下と帝国のため! 誤解なきようお願いします」

 村人たちがざわつく。"伯爵"が叛逆者? 村のために、薬の調合や水車小屋の設計をしていた、この世捨て人の錬金術師が……?

「何を言うかクロイス!」

 叫んだのはルディだ。この物静かな青年がこのような怒声を上げたのを、タフトは初めて聞いた。

「わが父リュディス5世を幽閉し、顔と名前を奪い、この帝国を盗み取ったのは、貴様らの親玉であろう! メッセルこそ我らの安否を気遣ってくれた忠臣、それをこのような形で愚弄するな……」

 その怒気は、痛烈な一撃で遮断された。クロイス大尉が、剣の鞘でルディの頬を殴り飛ばしたのだ。それは、この男の言葉よりもルディの言葉の方にこそ信憑性があることを裏付けるものだったが、本人はまったく意に介していない様子であった。

「失礼。あなたはお父君の非死の魔法を継承しているゆえ、他者によって殺されることはない。故に、すこし手荒くさせていただきました」

 大尉は、倒れたルディの胸ぐらを掴み、乱暴に上体を持ち上げる。

「そして非死であるがゆえに、野放しにするわけには行かぬのです。どうか、帝都へご帰還ください」
「断る!」
「そうですか、なら仕方ありません」

 クロイスがパチンと指を鳴らす。すると、兵士の一人が村人たちに近づいてくる。
 そして……他縁とはその男に見られてしまった。

「そこのガキ。ちょうどいい、来い!」
「ぐあっ!」

 髪の毛を掴まれ、引きずられうようにして、ルディとクロイスのところまで連れて行かれる。

「タフト! ……クロイス、何をするつもりだ?」
「誠心誠意、あなた様を説得させていただきます」

 言うとクロイスは剣を抜き放ちその切っ先をタフトに向けた。

「やめろ!」
「ならば、良き返事を下され。私がここの村人を全員殺す前に!」

 白刃がきらめいた。終わった! タフトは15年の生が終わることを覚悟する。

「タフト!」

 が、そうはならなかった。横から何かがぶつかってきて、タフトの身体を弾き飛ばした。よろめいた瞬間、タフトは見た。3年前から焦がれ続けていた、長い金髪が振り乱される様を。そしてその奥に鮮血の花が咲く瞬間を。

「ヴェ……ル……」

 そのままヴェルの身体がタフトに覆いかぶさってきて、二人は地面に倒れ込んだ。

「ヴェルーッ!!」
「いやああー!! 姉さん!!」

 ルディとリーサの叫び。二人はすぐ近くにいるはずなのに、とても遠くから聞こえてくるように感じた。

「ちっ! 皇族ともあろうものが、身を挺して平民を守るか……」
「クロイス! 何を!」
「ご心配には及びませんグリージュス閣下。連れ戻すよう命じられたのは、非死の力を持つリュディス皇太子のみ。姫君2人がどうなろうと、あの方は興味無いでしょう」

 そんなやり取りも聞こえてくるが、タフトにとってはどうでもいい。それよりも、タフトの身体を濡らしていく熱い液体で頭がいっぱいだった。
 ヴェルが、愛している人が斬られた。自分を助けるために。手足を鎖で縛られ得ているのに、どうやったのか、その体をタフトとクロ椅子の間に飛び込ませた。

「ヴェル……ヴェル……!」
「ごめんねタフト……」

 酷くかすれた声。それでも、彼女の声がとても穏やかで、やさしかった。

「私たちが来なければ……この村……こんなこと……に……」
「喋らないで! 出血を、はやく出血を止めないと……」

 基礎的な医学の知識も"伯爵"から教わっている。出血を止める方法をタフトは必死で思い返そうとする。と、その時ドロリとしたものが口の中に入り込んできた。塩気と生臭さを伴う金属臭が口いっぱいに広がる。
 ヴェルが手首を縛る鎖越しに、喉から流れる自分の血液をタフトの口に流し入れていた。

「これは、私と"伯爵"がたどり着いた秘密……せめてあなただけでも生き残って……」

 優しい声はそう続ける。その間に、ヴェルの血はタフトの喉に流れ込んでくる。そして、全身の細胞にまでそれが行き渡る感覚を味わった。

「……わかった、クロイス。貴様の勝ちだ」
「では、帝都へご同行願えますな?」
「ああ。だからこれ以上、血を流さないでくれ……」
「……殿下の鎖を解け」

 クロイスが兵士に命じる。その時、声がした。

「待ってください! 」

 ヴェルの身体がかぶさっているため、首を動かせない。が、それがティーラの声だということはわかった。
 
「その人を連れていくというのなら、私も連れて行ってください!」
「やめろティーラ!」
「その人は私の夫です! どこまでも添い遂げると誓い合った人です!」
「ダメだ! 私が向かう先は地獄なんだ。君はここに残れ!」
「嫌です!!」

 パシン! と手のひらを叩く音がした。そしてクロイスの声。

「わかりました。もともと、あなたを帝都へ連れて行くというのは村長とも合意を取っていたことです。あなた様の身柄は丁重に扱いましょう」
「……ありがとうございます」
「皇太子ご夫妻を馬車へ。先にお送りいたせ」

 人が動く音がした。しばらく続いた。そして馬車の車輪と蹄の音。
 その間も、ヴェラの血はタフトの口内に流れこんでくる。それに対応するように、ヴェラに肉体からはどんどんと熱が失われていくのも感じていた。

 パシンと鞭を叩く音。それに続いて、ガラガラと馬車が動き出す男がした。

「良いのかクロイス? あのような女を皇太子につけて」
「おわかりになりませぬか閣下? あのように下賤な女だから良いのです」
「何だと?」
「貴族たちから魔法が失われて百年近くになろうとしています。それでも依然としてリュディスの一族だけが魔法を備えている。それは、近しい血筋で婚姻を繰り返してきたからです」
「確かに、錬金術師共はそう言っているが……」
「ならば、そこに下賤な血を混ぜればどうなるでしょう? 貴族よりも劣る、魔力も持たぬ血をです。こんどこそ、あの一族を凡人に落とすことが出き、我らが陛下の血は永遠に帝国を支配できるでしょう!」
「……そういうことか。クロイス、本当にお前の智謀は恐ろしい」
「わが考えを実行に移すことができるのは、閣下のお力合ってのこと。共に、手を携えこの国の頂に立ちましょう!」

 またパチンと指を鳴らす音が聞こえた。続いて、兵士たちが動き出す音。

「さて、残った者たち。リーラ姫と村人どもは、メッセル伯爵に感化されている恐れがあります。今後の帝国のため、ここで死んでいただきましょう!」

 クロイスが高らかに告げる。

 そして、殺戮が始まった。
 冷たい雨が顔を濡らす。それで目が覚めた。

 ゆっくりと起き上がる。何があった? 記憶が混濁している。
 確かあの後……兵士たちが動いて……俺はどうなったんだっけ……。

 タフトはあたりを見回す。そして現実を思い出した。

「うわあああああ!!」

 すぐ横にヴェルの骸があった。クロイスに首元を切り裂かれ、タフトの上でみるみるうちに体温を失っていった、憧れの女性。
 亡骸となった彼女の身体ごしにタフトは長い槍で貫かれたはずだ。

「え、なんで、俺……生きて……?」

 貫かれたのは胸と腹だったはず。何度か激痛が走ったのを覚えている。が……。

「傷が……ない?」

 服は赤黒く染まり、ところどころ穂先によって切り裂かれている。間違いなくタフトは刺し殺されたはずだった。なのに、彼の素肌には傷ひとつ残っていない。
 タフトはゆっくりと立ち上がる。雨は彼の全身を濡らしている。身体を動かすと、血と泥が混ざったものが流れ落ちる不快な感覚があった。

「俺だけが生き残ったのか……」

 広場には無数の死体が転がっていた。村人たちは皆、タフトと同じく槍で刺されたようだ。タフトと違うのは、皆は無残な骸と化していること。広場は赤黒い沼地とかしていた。
 その周囲の建物はすべて焼け落ち、焼け焦げた柱が墓標のように所々に立っている。

「うっ……」

 頭がきしむように痛んだ。思わず目をつぶると、その瞬間耳の奥で声がした。

『これは、私と"伯爵"がたどり着いた秘密……せめてあなただけでも生き残って……』

 ヴェルの声。そうだ、確かあのとき。彼女はそんな事を言っていた。そうしてこうも……。

『継承権のない私に、非死の魔法を使うことは許されない』
『けど与えることはできる』
『だからあなたは生きて、私たちの分まで……』

 息も絶え絶えに、今にも消えようとしている命を使って、タフトにだけ聞こえる声の大きさで……。彼女はそんなことを言っていた。
 タフトはその間、動くことができなかった。恐怖か、または状況についていけない混乱からか。あの軍人どもが非道を働く中、何もできず……。
 そして、ひとり生き残ってしまった。

「なんだよ、一体何なんだよ……!」

 継承権? 魔法? わけがわからない。ただ、ひとつだけ確信があった。
 俺が今、こうして生き残っているのはヴェルの血を飲み込んだからだ。そしてきっと、あの男たちがルディを連れ去り、村人たちを皆殺しにした理由も、そこにある。

「くそっ! 畜生!!」

 皇族? 魔力? そんなものが俺たちの村を焼き、ヴェルたちを殺した理由になるのか…!?
 一体なんなんだ。なんでこんな事に……?

 一体なぜ……?

 なぜ?

 なぜ!? なぜ!? なぜ!? なぜ!!

「そうだ……"伯爵"!」

 ふと、あの兵士たちによって真っ先に殺されたという恩師の顔が浮かび上がった。

 そうだった!ヴェルは確かに言った。『私と"伯爵"がたどり着いた秘密』と。
 何の事かはわからないが、今タフトが知りたがっている答えの一端が、"伯爵"の家に残されている気がした。

 * * *
「……やっぱり残っていた」

 崖の上、伯爵の小屋も見るも無惨な黒焦げの山と化していた。炭化した柱や屋根を払いのけ、タフトはそこにあるべきものを見つけ出す。大人ひとりが入れる程度の穴を塞ぐ蓋。地下室の入り口だ。

「この蓋、耐火性って言ってたもんな」

 普段開けっぱなしにしているそれが、閉じられている。きっと兵士の存在に気づいた"伯爵"が、寸前に閉めたのだろう。
 蓋の表側は床材と同じ材質を完全を用い、完全に一体化して見える、それが蓋だと前もって知らされていなければ見逃してしまうだろう。

 中に降りると、そこはいつも通りの少しかび臭い研究室のままだった。
 "伯爵"は、研究の殆どをこの地下室で行っていた。そして、その内容をノートに書き残している。その多くをタフトは読むことができたが、その中に絶対に見せてくれないものがあった。

「確か、この机の中に……」

 机の引き出しに手をかけるが、動かない。鍵がかけられている。

「ごめんよ、"伯爵"」

 すでにこの世にいない机の持ち主に謝ると、タフトは実験器具を固定させるための鉄の重しで、思いっきり机を叩いた。何度か繰り返すと引き出しにヒビが入り、バキンと音を立てて、鍵の周りが砕け散る。
 タフトは重りを放って、引き出しの中身を取り出した。
 黒革で装丁された分厚いノート。同じものが5冊ほどある。これに間違いない。

 * * *
「……」

 タフトは、5冊のノートを食い入るように読んでいた。
 それは単なる研究ノートではなく、"伯爵"の経験と感情も綴られた手記というべきものだった。

 1冊目の最初に書かれたのは、彼がこの村に来たときのこと。そしてこの最初のページの時点で、確信ともいうべき事が記されていた。


 6月18日
 この村、サン・ジェルマンに流れ着いてから3日。村長に崖の上にある小屋を譲り受け、そこに住むことを許された。
 はるか昔に小さな砦があったというこの場所には、地下室もある。研究をするのには最適だろう。

 外部との接触が殆どない小さな村だ。簒奪者どもの目も届くまい。

 エウランとともに脱出した、皇太子殿下と姫様たちは無事であろうか。
 この村なら彼らを匿うこともできる。まずはエウランの消息をつかまねばなるまい。
 
 あの子らには平穏に暮らしてほしい。
 復讐は私たち廷臣の仕事だ。
 
 そのためにも、私は必ず錬金術を完成させる。
 今、世界から失われようとしている魔法を復活させ、奴らに鉄槌を下すのだ。
7月12日
 この辺りの地勢はだいたい把握した。植物や昆虫、地質などでめぼしいものは標本にもした。中には新種と思しきものもある。私がお尋ね者の身でなければ、アカデミーに戻り論文を書きたいところだがそうもいかぬ。その崇高な仕事は未来の博物学者に任せよう。

 ありがたいのは食べられる草や実が豊富ということだ。一応、家の前に畑を作ったがうまくいくかわからないので、他の食料調達手段があるに越した事はない。野良仕事について村人に教えを乞うことも考えたが、彼らはよそ者の私を警戒している。この小屋をもらえただけでも十分ありがたいのだ。

 以下に食用に適した植物を記載する。


8月25日
 昼間、村長と昨日の夫婦が礼にやってきた。彼らの息子が高熱を出したというので、薬を処方したのだ。この近辺に生えている草を数種類煎じたものなのでレシピも書いてやったらことのほか喜ばれた。
 夫人はパンを差し入れてくれた。庭の畑がうまくいっていないのを心配してくれたらしい。ありがたいことだ。

「これは、親父とお袋のことか……」

 彼らに聞かされた話とも合致する。まだ乳飲み子だったタフトの病気を治したことが"伯爵"と村の交流の始まりだったという。

9月4日
 あの赤子を救って以来、村人たちがここを訪ねるようになった。野良仕事中の怪我や、風邪、婦人病の相談などだ。ここ辺境の村にとっては錬金術師なんて医者に毛が生えた程度の存在としか思っていないらしい。
 しかしそれでいい。帝都ではあの馬鹿馬鹿しい錬金術制限令が交付されて十数年が経つ。平民が錬金術師になること、錬金術の恩恵を受けることを制限するあの悪法で、簒奪者どもは自らを脅かす力が生まれることを恐れているのだろう。
 そのうち錬金術は滅ぶかもしれない。だがそのまえに、帝室に継承され続けてきた魔法の神秘を解明せねばならない。

 そういえば村人たちから名前を聞かれた。よそ者扱いはやめにする、という印かもしれない。
 だが本名を知られるわけにはいかない。なので"伯爵"と呼ぶように頼んだ。メッセル家はあの政変で断絶したが、私は自らの出自に誇りを持っている。真の帝室を守護するものとして、せめてこの爵位を最後の拠り所としたい。

「……」

 タフトは1冊目のノートを閉じた。日々の研究や考察にまぎれ、こうした日記が数日おきに記されている。日記の内容は村人との交流や日々感じたことが三割程度、のこり七割は「簒奪者」なる者たちへの怒りと、「真の帝室」なる存在への忠誠心だった。
 おそらく"伯爵"は自身の思いをこのノートにぶつけることで、心の均衡を保っていたのだろう。

 5冊のノートのうち、最初の2冊はこんな感じに内容が続く。途中から助手や弟子を気取っていた幼いタフトが登場し、その失敗談なども綴られていたが、そこはこっ恥ずかしくて流し読みしてしまった。
 書かれる内容が大きく変わり密度も濃くなったのは3冊目からだ。先の2冊は合わせて11年分の内容が書かれていたのに対し、ここからは1年で1冊が費やされている。そこからも状況の変化が伺える。

 突如、情報量が増えた理由は他でもない。ヴェルたちがこの村にやってきたからだ。

 4月3日
 街で正統帝室派と接触。エウランの消息が判明したという。御子たちも全員無事だそうだ。この10年、"白夜の国"に亡命していたらしい。宰相グレアンが外交筋で圧力をかけてきたため、脱出してきたそうだ。ならば何も"百合の帝国"に戻ることもないであろうに。
 エウランは今も皇太子殿下の復権と帝都への帰還を諦めていないそうだ。殿下が帝都に入れば正統帝室は復権し、簒奪者どもを一掃できる。本気でそう考えているらしい。
 彼とはきちんと話さねばなるまい。いずれにしても、この村へ呼ぶことにする。


 7月12日
 皇太子殿下ならびに姫様2人がこの村にやってきた。リュディス殿下もユーヴェリーア殿下も立派になられた。エーレルリーサ殿下はお生まれになったのは政変の後のため、お会いするのは初めてだが、皇妃様の面影を残す凛とした佇まいの少女であった。
 なるほど、エウランが彼らを帝都に戻したい気持ちもわかる。が、私は反対だ。
 今や、私が錬金術を追求する目的はただ一つ。帝室に生まれたばかりに苦難の少年時代を過ごさざるを得なかった彼らを、苦しみより解き放つ他ない。
 この先、苦しみ、血を流すのは我らだけで良いのだ。


 5月11日
 ヴェルから相談を受ける。近頃、夜眠れず発熱が続くことも多いそうだ。
 間違いなく魔法の発現だ。二次性徴を終えた頃の帝室の女性はたびたびこの症状に悩まされる。これが終わった後、その女性はリュディス1世の御代より受け継がれてきた、魔法が使えるようになる。
 帝室に受け継がれる魔法は複数あるが、願わくばそれほど重要でない力が発言してほしい。


 9月1日
 間違いない。ヴェルの得た魔法は「神秘の血」だ。自らの血を飲ませたものの肉体を強靭化させ、外傷の治癒能力や老化現象の鈍化を発生させる。歴代の当主に与えられる「非死の力」に似ているが、こちらは自分自身には効果がない。有能な忠臣にこの血を飲ませることで、我が"百合の帝国"は世界の強国たりうる力を手に入れた。
 だが、同時に醜い権力闘争を誘発させる。先の政変の遠因も「神秘の血」を求めるもの同士の争いであった。

 帝室は、能力者の女性を守るため「非死の力」と「神秘の血」を同じものとしていた。皇帝自身に、血を与える力がないことは、ごく限られた人物しか知らない。
 故に、これからヴェルがその力を得ようとする事は誰にも知られてはならない。


 9月3日
 ヴェルから1回目の採血。その血をマウスに与えたところ、明らかに身体能力の増強が見られた。魔力に反応する方輝石の試薬も、その力の強さを示している。ヴェル自身は平穏な生活を求めているのに、天はなぜこのような力を与えたか。


 10月23日
 タフトから1回目採血。ヴェルから4回目の採血。初歩的な血液成分検査では、2人の血に違いはなし。より綿密な調査が必要だ。タフトには申し訳ないが、これからは何度もサンプルを採取することになるだろう。


 2月25日
 タフトから4回目、ヴェルから16回目の採血。あらゆる角から2人の血を比較するが、魔力の有無以外の違いは全くないように思える。ならばこの魔力は一体どこから来るのか。私の仮説では、血液こそ魔力が生み出される源であるが、それは誤りなのかもしれない。
 とかく資料が少ない。魔法時代の文献があれば研究は進むのだが……。

 
 4月11日
 ヴェルから52回目の採血。枯死した植物細胞に滴下したところ、細胞が蘇生。新芽が出ることを確認した。おぞましいことだ。この血は、生命力を活性化させるどころか、新たな生命を生み出す可能性すらある。錬金術師たちのお伽話「ホムンクルス」も夢想の世界の話ではなくなるのだ。
 だがヴェルの力をそんなことに使わせるわけにはいかない。ルディも結婚した。あの3人は平凡な村人として残りの人生を穏やかに送るべきなのだ。
 エウランはそう思っていないようだが……。


 6月5日
 街で、山奥の古城の噂を聞いた。なんでも悪しき竜の時代の遺跡で、魔法に関する書物が眠っているらしい。山師たちの与太話の類ではあるが、あながち出鱈目でもないかもしれない。錬金術師としての直感があった。いずれ折を見て、探しに行きたい。帝室の血に関する手がかりがあるかもしれない。

 村に戻る時、同行したエウランの様子がおかしかった。この男は未だ、皇太子を帝都に帰還させる夢を捨てていないようだ。誰か人と会っていたらしいが、それが何者か気になる。

「誰だ!」

 気配がして、タフトはノートから視線を上げた。
 この焼け落ちた村に、自分以外の人間がいるはずがない。見ると、隣の焼け跡、ヴェルたちが住んでいた家の前に跪く影があった。

「エウランきさまぁ!!」

 間違いない、あの裏切り者が村に戻ってきたのだ。

「ひいい!!」

 タフトはエウランの襟首を掴み地面に転がすと、その上にまたがった。

「言い残すことはあるか?」

 その首を両腕で掴む。"伯爵"のノートの記述を読んだばかりだ。こいつが何を考え、誰と会っていたのか、"伯爵"が怪しんでいた行動が、今のタフトには手に取るようにわかった。"伯爵"が街に降りたその日、こいつはあのクロイスと昨日の殺戮の相談事をしていたのだ。

「申し訳ございません。申し訳……申し訳ございません!!」

 ひどくしゃがれた声でエウランは喚くように言った。

「私の責任であることは承知している。知らなかったんだ……クロイスが簒奪者に与していたなど……」
「"伯爵"はヴェルたちがこの村で平穏に暮らすことを望んでいた。なのにお前は!!」
「しかたなかったんだ!皇族のいるべきはこんな所じゃない!あのお方らは帝都に戻らなくてはならなかった!!」

 エウランは叫ぶ。それを聞いてタフとははっとした。

 俺にこの男を断罪する資格はあるのか?

 タフト自身だってそう思っていたじゃないか。ヴェルがいるべきはこんな田舎じゃない。彼女にはもっと相応しい場所があるって。
 だはらこそ、タフトは都会に憧れた。だからこそ……タフトもクロイスの甘言に乗せられてしまった……。

 他の村人たちだって同じだ。エウランの愚行を責める資格があるものがいるとすれば……それは"伯爵"だけだろう。

「殺せ……」

 タフトに首を掴まれたままのエウランがつぶやくように言った。

「私も、死ぬために軍を抜け、この村に戻ってきたのだ。もはや私に生きる価値などない。タフト、その手に力を入れて私をくびり殺せ!」

 そう言われたタフトは、エウランの首から手を離した。

「おい……」
「それでも……アンタはヴェルたちの父親がわりだったんだ。殺せないよ」

 言ってからタフトは首を横に振る。

「いや、アンタは死ぬな。生きて、帝都にもどれ」
「なんだと」
「そして俺に協力しろ。奴らを地獄に落とす!!」

 ふと、恐ろしいアイデアが浮かんでしまったのだ。
 俺が"伯爵"の後を継ぐのだ。伯爵はヴェルの血の力を知ろうとしていた。そして幸か不幸か、その力をタフトは得てしまった。サンプルならこの俺の中にいくらでも流れている。これを使い、俺は錬金術を極めるのだ。

「帝都で奴らの靴を舐めろ、どんな屈辱に塗れようとも、生き続けろ。そして俺が戻るのを待て」
「一体、どういう……」
「ヴェルの血の力で奴らに復讐をする。それが俺にとっての弔いだ……!」
 "百合の帝国"南部の主要都市ビューゲル。
 
 タフトは黒いマントを被り、顔を隠してから宿を出た。
 大丈夫、後をつけているものはいない。だが万が一にでも、当局に怪しまれる行動をとって、同志に迷惑をかける訳にはいかない。念のため会合の場所には直接向かわず、市場で人混みに紛れてから行くことにしよう。
 
 会合の主催はエウランだ。
 今や彼は、我々の同志たちの中心人物として、精力的に動いている。帝都のバティス・スコターディ城に幽閉されているルディを救うために、簒奪者に反感を持つ元貴族や軍人をまとめ、国内外に一大ネットワークを築きあげたのだ。
 さらには数年前には、宮廷の重鎮ノユール家に婿養子として入り込むことにも成功していた。この家は代々、皇帝の侍従を務めていたこともあって、現在リュディス5世を名乗る偽物の皇帝から距離をおいていた。エウランは、そんなノユール家を味方にし、宮廷内にも味方を増やそうとしていた。
 同時に彼は、ノユール家の息がかかった人間をサン・ジェルマン村に送り込み、村の再建にも努めていた。今では、数世帯の家族が入植し、崖の上には、ヴェルたちのために建てたささやかな墓もあるという。
 村を立て直し、墓を守るための資金は、宮廷から着服しているそうだ。ささやかだが、胸のすくような抵抗である。

「あれから15年か……」

 西日が石畳を茜色に染めあげる。その光景には、人を感傷的にさせる作用があるらしく、ふとタフトはこれまで自分が歩んできた道のりを思い返していた。

 * * *