タフトはただ茫然と、その光景を眺めていた。村中の建物という建物が炎をあげている。家だけでなく、物置や水車小屋なども含めた全てが……。誰も隠れることが出来ないよう、兵士たちが火をつけて回ったのだ。
そして焼け出された村人たちは、広場に集められていた。
「話がちがうではないか! これはどういう事だ!」
村長の息子だ。
「確かに、村に兵を入れる許可は出した。たがそれはルディの護衛のためだ! なのにこの仕打ちは何だ!?」
彼はクロイス大尉に掴み掛かろうとする。が、すぐさま左右から兵士たちに取り押さえられてしまった。
兵士の腕力によって、顔を地面に押し付けられた彼に、クロイスが言う。
「何だ、と申されても、護衛ですよ。嘘は申しておりません。我々は殿下の身を守るための部隊です」
「殿下……だと」
それが皇帝の親族にのみ使われる継承だということは、田舎者のタフトたちだって知っている。高貴な血筋だとこの男は説明していたが、まさかヴェルたちは皇族だというのか……?」
「ただし、殿下の安全こそが第一のため、多少手荒い事はさせていただきますが……」
「手荒い、だと? そのような言葉で収まることか!」
クロイス大尉の後ろでは村長の家がごうごうと音を立てながら燃えている。村で一番大きな建物だったため火勢は凄まじく、その熱気は広場に集められた者たちの顔をあぶっていた。
「我々も出来ことなら穏便に済ませたかったのですよ。ですが、メッセル伯爵がいたとなればそうは参りません」
大尉は言う。その口調は昨晩と同じく柔らかかったが、受ける印象はまるで違っていた。得体の知れない怪物が喋っている……タフトはそんな感覚を覚えた。
「クロイス!」
その怪物を呼ぶ声。見ると、崖上から続く道を別の兵士の一団が近づいてきた。声を上げた先頭の男は馬に乗っている。
崖の上の2軒、"伯爵"の家と、ヴェルたちの家は、最初に襲撃を受けていた。その煙でタフトたちが異変に気づいた直後、崖下の村にも兵士が殺到してきたのだ。
「グリージュス閣下、そちらの首尾は?」
「多少手こずりはしたが、この通りだ」
閣下と呼ばれた騎乗の男は、背後を見やった。
そこには、鎖で繋がれたルディとヴェル、リーサがいる。この姿で崖上から歩かされていたのだろう。それを見たとき、タフトは、そして他の村の男達もすべてを察した。
自分たちは、決して村に入れてはならぬ者共を入れてしまったのだ、と。
「ルディ!」
広場に集められた村人たちの中から叫び声。たまらず前に出ようとしたのはルディの妻、ティーラだった。
「閣下、メッセル伯は?」
「そちらも問題ない……さぁエウラン殿」
「はい……」
鎖で囚われた三兄妹の背後から、荷車を引く馬が前に出てくる。その馬に乗る男を見てタフトは愕然とした。
「!?」
エウランだった。ヴェラたちをこんな姿で歩かせておいて、何故あいつだけが馬に乗っている?
ほんの一瞬、タフトはエウランと目があった。すぐさま、3人の保護者だった男は、タフトから目をそらした。
そしてさらに衝撃的な光景がタフトの目に飛び込んできた。
「は……"伯爵"」
エウランの馬が引いている荷台に、真っ赤な何かが横たわっている。それが何か一瞬、分からなかったが血に染まった衣服の模様に見覚えがあった。"伯爵"の上着だ。
「大尉の言うとおりであった。我々が近づいていることを悟り、3人を連れて村から脱出しようとしていたところだった」
「死んでいますか?」
「やむを得なかった……」
閣下と呼ばれた男が言うと、大尉はニヤリと笑う。
「やむを得ない、などという事はありますまい。この男は国家転覆を図る危険人物。どのみち死罪でしょう」
タフトは呆然とその会話を聞いていた。国家転覆? 死罪? だめだ。眼の前の光景があまりに信じがたく、交わされる言葉の意味にまで頭が追いつかない。
「皆さん聞いてください!」
すると大尉が叫んだ。
「この男、メッセル伯爵は、現在の皇帝陛下が偽物であるなどという妄言を繰り返し、臣民と軍、さらに外国まで焚きつけようとした叛逆者です。そんな男が、殿下を人質にしようとしたため、グリージュス将軍はかような仕儀に及びました。全ては殿下と帝国のため! 誤解なきようお願いします」
村人たちがざわつく。"伯爵"が叛逆者? 村のために、薬の調合や水車小屋の設計をしていた、この世捨て人の錬金術師が……?
「何を言うかクロイス!」
叫んだのはルディだ。この物静かな青年がこのような怒声を上げたのを、タフトは初めて聞いた。
「わが父リュディス5世を幽閉し、顔と名前を奪い、この帝国を盗み取ったのは、貴様らの親玉であろう! メッセルこそ我らの安否を気遣ってくれた忠臣、それをこのような形で愚弄するな……」
その怒気は、痛烈な一撃で遮断された。クロイス大尉が、剣の鞘でルディの頬を殴り飛ばしたのだ。それは、この男の言葉よりもルディの言葉の方にこそ信憑性があることを裏付けるものだったが、本人はまったく意に介していない様子であった。
「失礼。あなたはお父君の非死の魔法を継承しているゆえ、他者によって殺されることはない。故に、すこし手荒くさせていただきました」
大尉は、倒れたルディの胸ぐらを掴み、乱暴に上体を持ち上げる。
「そして非死であるがゆえに、野放しにするわけには行かぬのです。どうか、帝都へご帰還ください」
「断る!」
「そうですか、なら仕方ありません」
クロイスがパチンと指を鳴らす。すると、兵士の一人が村人たちに近づいてくる。
そして……他縁とはその男に見られてしまった。
「そこのガキ。ちょうどいい、来い!」
「ぐあっ!」
髪の毛を掴まれ、引きずられうようにして、ルディとクロイスのところまで連れて行かれる。
「タフト! ……クロイス、何をするつもりだ?」
「誠心誠意、あなた様を説得させていただきます」
言うとクロイスは剣を抜き放ちその切っ先をタフトに向けた。
「やめろ!」
「ならば、良き返事を下され。私がここの村人を全員殺す前に!」
白刃がきらめいた。終わった! タフトは15年の生が終わることを覚悟する。
「タフト!」
が、そうはならなかった。横から何かがぶつかってきて、タフトの身体を弾き飛ばした。よろめいた瞬間、タフトは見た。3年前から焦がれ続けていた、長い金髪が振り乱される様を。そしてその奥に鮮血の花が咲く瞬間を。
「ヴェ……ル……」
そのままヴェルの身体がタフトに覆いかぶさってきて、二人は地面に倒れ込んだ。
「ヴェルーッ!!」
「いやああー!! 姉さん!!」
ルディとリーサの叫び。二人はすぐ近くにいるはずなのに、とても遠くから聞こえてくるように感じた。
「ちっ! 皇族ともあろうものが、身を挺して平民を守るか……」
「クロイス! 何を!」
「ご心配には及びませんグリージュス閣下。連れ戻すよう命じられたのは、非死の力を持つリュディス皇太子のみ。姫君2人がどうなろうと、あの方は興味無いでしょう」
そんなやり取りも聞こえてくるが、タフトにとってはどうでもいい。それよりも、タフトの身体を濡らしていく熱い液体で頭がいっぱいだった。
ヴェルが、愛している人が斬られた。自分を助けるために。手足を鎖で縛られ得ているのに、どうやったのか、その体をタフトとクロ椅子の間に飛び込ませた。
「ヴェル……ヴェル……!」
「ごめんねタフト……」
酷くかすれた声。それでも、彼女の声がとても穏やかで、やさしかった。
「私たちが来なければ……この村……こんなこと……に……」
「喋らないで! 出血を、はやく出血を止めないと……」
基礎的な医学の知識も"伯爵"から教わっている。出血を止める方法をタフトは必死で思い返そうとする。と、その時ドロリとしたものが口の中に入り込んできた。塩気と生臭さを伴う金属臭が口いっぱいに広がる。
ヴェルが手首を縛る鎖越しに、喉から流れる自分の血液をタフトの口に流し入れていた。
「これは、私と"伯爵"がたどり着いた秘密……せめてあなただけでも生き残って……」
優しい声はそう続ける。その間に、ヴェルの血はタフトの喉に流れ込んでくる。そして、全身の細胞にまでそれが行き渡る感覚を味わった。
「……わかった、クロイス。貴様の勝ちだ」
「では、帝都へご同行願えますな?」
「ああ。だからこれ以上、血を流さないでくれ……」
「……殿下の鎖を解け」
クロイスが兵士に命じる。その時、声がした。
「待ってください! 」
ヴェルの身体がかぶさっているため、首を動かせない。が、それがティーラの声だということはわかった。
「その人を連れていくというのなら、私も連れて行ってください!」
「やめろティーラ!」
「その人は私の夫です! どこまでも添い遂げると誓い合った人です!」
「ダメだ! 私が向かう先は地獄なんだ。君はここに残れ!」
「嫌です!!」
パシン! と手のひらを叩く音がした。そしてクロイスの声。
「わかりました。もともと、あなたを帝都へ連れて行くというのは村長とも合意を取っていたことです。あなた様の身柄は丁重に扱いましょう」
「……ありがとうございます」
「皇太子ご夫妻を馬車へ。先にお送りいたせ」
人が動く音がした。しばらく続いた。そして馬車の車輪と蹄の音。
その間も、ヴェラの血はタフトの口内に流れこんでくる。それに対応するように、ヴェラに肉体からはどんどんと熱が失われていくのも感じていた。
パシンと鞭を叩く音。それに続いて、ガラガラと馬車が動き出す男がした。
「良いのかクロイス? あのような女を皇太子につけて」
「おわかりになりませぬか閣下? あのように下賤な女だから良いのです」
「何だと?」
「貴族たちから魔法が失われて百年近くになろうとしています。それでも依然としてリュディスの一族だけが魔法を備えている。それは、近しい血筋で婚姻を繰り返してきたからです」
「確かに、錬金術師共はそう言っているが……」
「ならば、そこに下賤な血を混ぜればどうなるでしょう? 貴族よりも劣る、魔力も持たぬ血をです。こんどこそ、あの一族を凡人に落とすことが出き、我らが陛下の血は永遠に帝国を支配できるでしょう!」
「……そういうことか。クロイス、本当にお前の智謀は恐ろしい」
「わが考えを実行に移すことができるのは、閣下のお力合ってのこと。共に、手を携えこの国の頂に立ちましょう!」
またパチンと指を鳴らす音が聞こえた。続いて、兵士たちが動き出す音。
「さて、残った者たち。リーラ姫と村人どもは、メッセル伯爵に感化されている恐れがあります。今後の帝国のため、ここで死んでいただきましょう!」
クロイスが高らかに告げる。
そして、殺戮が始まった。
そして焼け出された村人たちは、広場に集められていた。
「話がちがうではないか! これはどういう事だ!」
村長の息子だ。
「確かに、村に兵を入れる許可は出した。たがそれはルディの護衛のためだ! なのにこの仕打ちは何だ!?」
彼はクロイス大尉に掴み掛かろうとする。が、すぐさま左右から兵士たちに取り押さえられてしまった。
兵士の腕力によって、顔を地面に押し付けられた彼に、クロイスが言う。
「何だ、と申されても、護衛ですよ。嘘は申しておりません。我々は殿下の身を守るための部隊です」
「殿下……だと」
それが皇帝の親族にのみ使われる継承だということは、田舎者のタフトたちだって知っている。高貴な血筋だとこの男は説明していたが、まさかヴェルたちは皇族だというのか……?」
「ただし、殿下の安全こそが第一のため、多少手荒い事はさせていただきますが……」
「手荒い、だと? そのような言葉で収まることか!」
クロイス大尉の後ろでは村長の家がごうごうと音を立てながら燃えている。村で一番大きな建物だったため火勢は凄まじく、その熱気は広場に集められた者たちの顔をあぶっていた。
「我々も出来ことなら穏便に済ませたかったのですよ。ですが、メッセル伯爵がいたとなればそうは参りません」
大尉は言う。その口調は昨晩と同じく柔らかかったが、受ける印象はまるで違っていた。得体の知れない怪物が喋っている……タフトはそんな感覚を覚えた。
「クロイス!」
その怪物を呼ぶ声。見ると、崖上から続く道を別の兵士の一団が近づいてきた。声を上げた先頭の男は馬に乗っている。
崖の上の2軒、"伯爵"の家と、ヴェルたちの家は、最初に襲撃を受けていた。その煙でタフトたちが異変に気づいた直後、崖下の村にも兵士が殺到してきたのだ。
「グリージュス閣下、そちらの首尾は?」
「多少手こずりはしたが、この通りだ」
閣下と呼ばれた騎乗の男は、背後を見やった。
そこには、鎖で繋がれたルディとヴェル、リーサがいる。この姿で崖上から歩かされていたのだろう。それを見たとき、タフトは、そして他の村の男達もすべてを察した。
自分たちは、決して村に入れてはならぬ者共を入れてしまったのだ、と。
「ルディ!」
広場に集められた村人たちの中から叫び声。たまらず前に出ようとしたのはルディの妻、ティーラだった。
「閣下、メッセル伯は?」
「そちらも問題ない……さぁエウラン殿」
「はい……」
鎖で囚われた三兄妹の背後から、荷車を引く馬が前に出てくる。その馬に乗る男を見てタフトは愕然とした。
「!?」
エウランだった。ヴェラたちをこんな姿で歩かせておいて、何故あいつだけが馬に乗っている?
ほんの一瞬、タフトはエウランと目があった。すぐさま、3人の保護者だった男は、タフトから目をそらした。
そしてさらに衝撃的な光景がタフトの目に飛び込んできた。
「は……"伯爵"」
エウランの馬が引いている荷台に、真っ赤な何かが横たわっている。それが何か一瞬、分からなかったが血に染まった衣服の模様に見覚えがあった。"伯爵"の上着だ。
「大尉の言うとおりであった。我々が近づいていることを悟り、3人を連れて村から脱出しようとしていたところだった」
「死んでいますか?」
「やむを得なかった……」
閣下と呼ばれた男が言うと、大尉はニヤリと笑う。
「やむを得ない、などという事はありますまい。この男は国家転覆を図る危険人物。どのみち死罪でしょう」
タフトは呆然とその会話を聞いていた。国家転覆? 死罪? だめだ。眼の前の光景があまりに信じがたく、交わされる言葉の意味にまで頭が追いつかない。
「皆さん聞いてください!」
すると大尉が叫んだ。
「この男、メッセル伯爵は、現在の皇帝陛下が偽物であるなどという妄言を繰り返し、臣民と軍、さらに外国まで焚きつけようとした叛逆者です。そんな男が、殿下を人質にしようとしたため、グリージュス将軍はかような仕儀に及びました。全ては殿下と帝国のため! 誤解なきようお願いします」
村人たちがざわつく。"伯爵"が叛逆者? 村のために、薬の調合や水車小屋の設計をしていた、この世捨て人の錬金術師が……?
「何を言うかクロイス!」
叫んだのはルディだ。この物静かな青年がこのような怒声を上げたのを、タフトは初めて聞いた。
「わが父リュディス5世を幽閉し、顔と名前を奪い、この帝国を盗み取ったのは、貴様らの親玉であろう! メッセルこそ我らの安否を気遣ってくれた忠臣、それをこのような形で愚弄するな……」
その怒気は、痛烈な一撃で遮断された。クロイス大尉が、剣の鞘でルディの頬を殴り飛ばしたのだ。それは、この男の言葉よりもルディの言葉の方にこそ信憑性があることを裏付けるものだったが、本人はまったく意に介していない様子であった。
「失礼。あなたはお父君の非死の魔法を継承しているゆえ、他者によって殺されることはない。故に、すこし手荒くさせていただきました」
大尉は、倒れたルディの胸ぐらを掴み、乱暴に上体を持ち上げる。
「そして非死であるがゆえに、野放しにするわけには行かぬのです。どうか、帝都へご帰還ください」
「断る!」
「そうですか、なら仕方ありません」
クロイスがパチンと指を鳴らす。すると、兵士の一人が村人たちに近づいてくる。
そして……他縁とはその男に見られてしまった。
「そこのガキ。ちょうどいい、来い!」
「ぐあっ!」
髪の毛を掴まれ、引きずられうようにして、ルディとクロイスのところまで連れて行かれる。
「タフト! ……クロイス、何をするつもりだ?」
「誠心誠意、あなた様を説得させていただきます」
言うとクロイスは剣を抜き放ちその切っ先をタフトに向けた。
「やめろ!」
「ならば、良き返事を下され。私がここの村人を全員殺す前に!」
白刃がきらめいた。終わった! タフトは15年の生が終わることを覚悟する。
「タフト!」
が、そうはならなかった。横から何かがぶつかってきて、タフトの身体を弾き飛ばした。よろめいた瞬間、タフトは見た。3年前から焦がれ続けていた、長い金髪が振り乱される様を。そしてその奥に鮮血の花が咲く瞬間を。
「ヴェ……ル……」
そのままヴェルの身体がタフトに覆いかぶさってきて、二人は地面に倒れ込んだ。
「ヴェルーッ!!」
「いやああー!! 姉さん!!」
ルディとリーサの叫び。二人はすぐ近くにいるはずなのに、とても遠くから聞こえてくるように感じた。
「ちっ! 皇族ともあろうものが、身を挺して平民を守るか……」
「クロイス! 何を!」
「ご心配には及びませんグリージュス閣下。連れ戻すよう命じられたのは、非死の力を持つリュディス皇太子のみ。姫君2人がどうなろうと、あの方は興味無いでしょう」
そんなやり取りも聞こえてくるが、タフトにとってはどうでもいい。それよりも、タフトの身体を濡らしていく熱い液体で頭がいっぱいだった。
ヴェルが、愛している人が斬られた。自分を助けるために。手足を鎖で縛られ得ているのに、どうやったのか、その体をタフトとクロ椅子の間に飛び込ませた。
「ヴェル……ヴェル……!」
「ごめんねタフト……」
酷くかすれた声。それでも、彼女の声がとても穏やかで、やさしかった。
「私たちが来なければ……この村……こんなこと……に……」
「喋らないで! 出血を、はやく出血を止めないと……」
基礎的な医学の知識も"伯爵"から教わっている。出血を止める方法をタフトは必死で思い返そうとする。と、その時ドロリとしたものが口の中に入り込んできた。塩気と生臭さを伴う金属臭が口いっぱいに広がる。
ヴェルが手首を縛る鎖越しに、喉から流れる自分の血液をタフトの口に流し入れていた。
「これは、私と"伯爵"がたどり着いた秘密……せめてあなただけでも生き残って……」
優しい声はそう続ける。その間に、ヴェルの血はタフトの喉に流れ込んでくる。そして、全身の細胞にまでそれが行き渡る感覚を味わった。
「……わかった、クロイス。貴様の勝ちだ」
「では、帝都へご同行願えますな?」
「ああ。だからこれ以上、血を流さないでくれ……」
「……殿下の鎖を解け」
クロイスが兵士に命じる。その時、声がした。
「待ってください! 」
ヴェルの身体がかぶさっているため、首を動かせない。が、それがティーラの声だということはわかった。
「その人を連れていくというのなら、私も連れて行ってください!」
「やめろティーラ!」
「その人は私の夫です! どこまでも添い遂げると誓い合った人です!」
「ダメだ! 私が向かう先は地獄なんだ。君はここに残れ!」
「嫌です!!」
パシン! と手のひらを叩く音がした。そしてクロイスの声。
「わかりました。もともと、あなたを帝都へ連れて行くというのは村長とも合意を取っていたことです。あなた様の身柄は丁重に扱いましょう」
「……ありがとうございます」
「皇太子ご夫妻を馬車へ。先にお送りいたせ」
人が動く音がした。しばらく続いた。そして馬車の車輪と蹄の音。
その間も、ヴェラの血はタフトの口内に流れこんでくる。それに対応するように、ヴェラに肉体からはどんどんと熱が失われていくのも感じていた。
パシンと鞭を叩く音。それに続いて、ガラガラと馬車が動き出す男がした。
「良いのかクロイス? あのような女を皇太子につけて」
「おわかりになりませぬか閣下? あのように下賤な女だから良いのです」
「何だと?」
「貴族たちから魔法が失われて百年近くになろうとしています。それでも依然としてリュディスの一族だけが魔法を備えている。それは、近しい血筋で婚姻を繰り返してきたからです」
「確かに、錬金術師共はそう言っているが……」
「ならば、そこに下賤な血を混ぜればどうなるでしょう? 貴族よりも劣る、魔力も持たぬ血をです。こんどこそ、あの一族を凡人に落とすことが出き、我らが陛下の血は永遠に帝国を支配できるでしょう!」
「……そういうことか。クロイス、本当にお前の智謀は恐ろしい」
「わが考えを実行に移すことができるのは、閣下のお力合ってのこと。共に、手を携えこの国の頂に立ちましょう!」
またパチンと指を鳴らす音が聞こえた。続いて、兵士たちが動き出す音。
「さて、残った者たち。リーラ姫と村人どもは、メッセル伯爵に感化されている恐れがあります。今後の帝国のため、ここで死んでいただきましょう!」
クロイスが高らかに告げる。
そして、殺戮が始まった。