「戦場へ向かいたい?」
アンナ一行の宿舎として手配されたのは、市内で最も上等な宿屋だった。
明日未明の出立に備えて休もうとした矢先、シュルイーズ博士から思わぬ提言を受けた。
「どういう事だ、博士。 すぐにでも北へ向かい、サン・ジェルマン伯の工房を探さねばならぬのだぞ?」
ゼーゲンが怪訝そうな顔で尋ねた。
「まさかと思うが……例の新兵器を実際に見てみたいとか言うんじゃなるまいな?」
「違います違います! ……あ、いや違わなくはないか? 私の好奇心は否定しませんが、その方が効率的と思ったまでです」
「効率的?」
「はい。我々は、目的地の詳細な位置を把握しているわけではありません。現地に着いたら、ゼーゲン殿の異能を使って地道に捜査する必要があるでしょう」
「だな……」
ゼーゲンの異能"領域明察"は、ゼーゲン自身を中心とした任意の範囲にいる人間を把握するというものだ。索敵や偵察に向きの異能だが、任意の範囲といえども限界はある。せいぜい徒歩で1時間程度で行けるくらいの距離までしか測ることができない。
そのため、彼女の異能をフルに活用したローラー作戦を展開するつもりだった。
「その点に私も不安がないわけではないが……それよりもいい方法があると言うのか?」
「はい」
シュルイーズは頷いた。
「詳しく聞かせてくれますか、博士」
アンナは言う。彼女からしてみれば一刻も早く、サン・ジェルマンにマルムゼを治させたいのだ。
「先ほどの将校殿の話を聞く限り、反乱軍の持つ長射程砲が錬金術の産物であることは疑いないでしょう。であるならば、必ず技師がいるはずです」
「技師?」
「ええ。今回の新兵器にどういった原理なのか、私には何パターンかの推論があります。が、いずれにしても高度な技術を要するため、反乱農民に扱える代物とは思えません」
「つまり、サン・ジェルマンの工房から錬金術師が派遣されて、戦闘に参加している可能性があるということか?」
「はい。もし、その者を拘束し尋問できれば、現地調査の必要がなくなると思うのです」
「なるほど……しかし、相手はどこにあるかもわからない未知の兵器だぞ。その錬金術師を易々と捕まえられるのか?」
「易々,とはなかなかいかないでしょうが、私には目算があります。ただし、これを実施するにはいくつかの条件がありますが……」
「条件?」
「はい。もしかしたら顧問閣下はお嫌かもしれません……」
シュルイーズは不穏な前置きを付けてきた。
「構いません、博士。話して」
「……わかりました。まずひとつ目は、我々の行動は誰にも明かさぬこと。もちろん第6軍団にもです」
「しかし戦場に行くとなれば、引き続き第6軍団と行動を共にしなくてはなるまい?」
「いえ。大部隊は比較的大きめの山道を進まなくてはいけませんが、我々は全員含めても10人強です。いくらでも別の道を進めます」
「……」
アンナは口元に手を当てて考える。
第6軍団と別行動を取る。この青年学者がそんな条件をつけた理由は何か? 思い至ることがあった。
「博士、あなたは第6軍団を囮にしろと言うのですね?」
「ご明察。さすがは顧問閣下です」
「なっ? どう言うことだ?」
突如飛躍した話にゼーゲンが戸惑う。
「第6軍団に何も伝えず、距離を取ると言うことは、彼らが砲撃を受けるのをどこかから観察し、射撃元を特定する。そういうことでしょう?」
「はい。第6軍団には少なからず犠牲が出ます。顧問がそれをお嫌と申されるのなら、この策は使えませんが……」
確かに人様に堂々と言えるような作戦ではない。しかし……。
「……博士、私を誰だと思っていますか?」
「は?」
「私はアンナ・ディ・グレアン。後ろ盾も何もないところから、数多くの人間を欺いてこの地位についた女です。宮廷での政争であろうと、砲火を交える戦いであろうと、私のありようは変わりません」
東方の大陸において、古の軍略家が残したという兵法書がある。その書の一説に「兵は詭道なり」という言葉が記されている。
いかに人を欺くか、それこそが戦いの基本だ。そして欺く相手は必ずしも敵とは限らない。勝ちを得るために必要ならば、味方をも騙す。
アンナ自身、これまでの政争でそういうことをしてきた。今更、誰かを見殺しにする事に心をざわつかせてはいられない。
「どのみち第6軍団は、敵の新兵器を攻略せねばなりません。そのために流血は避けられないでしょう。ならば、その血を少しでも少なくするためにも、博士の提言が正しいと私は考えます」
「……わかりました」
シュルイーズは答えた。
「もしかしたら私の方が、顧問閣下に無礼な配慮をしていたかもしれません。なるほど、確かにあなたはそう言うお方だ!」
そう言って、青年学者は笑って見せた。
「……かつて私の腹心は、私とともに悪の道を進んでくれると約束してくれました。私はそんな彼の忠誠に報いるため、引き続きその道を進みます」
「顧問殿」
アンナの言葉を聞いていたゼーゲンが跪く。シュルイーズもそれにならった。
「その者が倒れし今、代わりに私どもがあなた様ととも歩みます。恐らくそれが、我らの主君、ゼフィリアス2世陛下のお心にもかなうでしょうから……」
「ありがとう、2人とも。それではこれから詳しい作戦を立てましょう!」
ゼーゲンとシュルイーズ。異邦の盟友たちのなんと頼もしいことか。
(隣にいて欲しい人が今はいない。けど、私は決してひとりではない)
その事実は、アンナの心の一角に陣取っていた不安を消し去ってくれた。
アンナ一行の宿舎として手配されたのは、市内で最も上等な宿屋だった。
明日未明の出立に備えて休もうとした矢先、シュルイーズ博士から思わぬ提言を受けた。
「どういう事だ、博士。 すぐにでも北へ向かい、サン・ジェルマン伯の工房を探さねばならぬのだぞ?」
ゼーゲンが怪訝そうな顔で尋ねた。
「まさかと思うが……例の新兵器を実際に見てみたいとか言うんじゃなるまいな?」
「違います違います! ……あ、いや違わなくはないか? 私の好奇心は否定しませんが、その方が効率的と思ったまでです」
「効率的?」
「はい。我々は、目的地の詳細な位置を把握しているわけではありません。現地に着いたら、ゼーゲン殿の異能を使って地道に捜査する必要があるでしょう」
「だな……」
ゼーゲンの異能"領域明察"は、ゼーゲン自身を中心とした任意の範囲にいる人間を把握するというものだ。索敵や偵察に向きの異能だが、任意の範囲といえども限界はある。せいぜい徒歩で1時間程度で行けるくらいの距離までしか測ることができない。
そのため、彼女の異能をフルに活用したローラー作戦を展開するつもりだった。
「その点に私も不安がないわけではないが……それよりもいい方法があると言うのか?」
「はい」
シュルイーズは頷いた。
「詳しく聞かせてくれますか、博士」
アンナは言う。彼女からしてみれば一刻も早く、サン・ジェルマンにマルムゼを治させたいのだ。
「先ほどの将校殿の話を聞く限り、反乱軍の持つ長射程砲が錬金術の産物であることは疑いないでしょう。であるならば、必ず技師がいるはずです」
「技師?」
「ええ。今回の新兵器にどういった原理なのか、私には何パターンかの推論があります。が、いずれにしても高度な技術を要するため、反乱農民に扱える代物とは思えません」
「つまり、サン・ジェルマンの工房から錬金術師が派遣されて、戦闘に参加している可能性があるということか?」
「はい。もし、その者を拘束し尋問できれば、現地調査の必要がなくなると思うのです」
「なるほど……しかし、相手はどこにあるかもわからない未知の兵器だぞ。その錬金術師を易々と捕まえられるのか?」
「易々,とはなかなかいかないでしょうが、私には目算があります。ただし、これを実施するにはいくつかの条件がありますが……」
「条件?」
「はい。もしかしたら顧問閣下はお嫌かもしれません……」
シュルイーズは不穏な前置きを付けてきた。
「構いません、博士。話して」
「……わかりました。まずひとつ目は、我々の行動は誰にも明かさぬこと。もちろん第6軍団にもです」
「しかし戦場に行くとなれば、引き続き第6軍団と行動を共にしなくてはなるまい?」
「いえ。大部隊は比較的大きめの山道を進まなくてはいけませんが、我々は全員含めても10人強です。いくらでも別の道を進めます」
「……」
アンナは口元に手を当てて考える。
第6軍団と別行動を取る。この青年学者がそんな条件をつけた理由は何か? 思い至ることがあった。
「博士、あなたは第6軍団を囮にしろと言うのですね?」
「ご明察。さすがは顧問閣下です」
「なっ? どう言うことだ?」
突如飛躍した話にゼーゲンが戸惑う。
「第6軍団に何も伝えず、距離を取ると言うことは、彼らが砲撃を受けるのをどこかから観察し、射撃元を特定する。そういうことでしょう?」
「はい。第6軍団には少なからず犠牲が出ます。顧問がそれをお嫌と申されるのなら、この策は使えませんが……」
確かに人様に堂々と言えるような作戦ではない。しかし……。
「……博士、私を誰だと思っていますか?」
「は?」
「私はアンナ・ディ・グレアン。後ろ盾も何もないところから、数多くの人間を欺いてこの地位についた女です。宮廷での政争であろうと、砲火を交える戦いであろうと、私のありようは変わりません」
東方の大陸において、古の軍略家が残したという兵法書がある。その書の一説に「兵は詭道なり」という言葉が記されている。
いかに人を欺くか、それこそが戦いの基本だ。そして欺く相手は必ずしも敵とは限らない。勝ちを得るために必要ならば、味方をも騙す。
アンナ自身、これまでの政争でそういうことをしてきた。今更、誰かを見殺しにする事に心をざわつかせてはいられない。
「どのみち第6軍団は、敵の新兵器を攻略せねばなりません。そのために流血は避けられないでしょう。ならば、その血を少しでも少なくするためにも、博士の提言が正しいと私は考えます」
「……わかりました」
シュルイーズは答えた。
「もしかしたら私の方が、顧問閣下に無礼な配慮をしていたかもしれません。なるほど、確かにあなたはそう言うお方だ!」
そう言って、青年学者は笑って見せた。
「……かつて私の腹心は、私とともに悪の道を進んでくれると約束してくれました。私はそんな彼の忠誠に報いるため、引き続きその道を進みます」
「顧問殿」
アンナの言葉を聞いていたゼーゲンが跪く。シュルイーズもそれにならった。
「その者が倒れし今、代わりに私どもがあなた様ととも歩みます。恐らくそれが、我らの主君、ゼフィリアス2世陛下のお心にもかなうでしょうから……」
「ありがとう、2人とも。それではこれから詳しい作戦を立てましょう!」
ゼーゲンとシュルイーズ。異邦の盟友たちのなんと頼もしいことか。
(隣にいて欲しい人が今はいない。けど、私は決してひとりではない)
その事実は、アンナの心の一角に陣取っていた不安を消し去ってくれた。