午前9:30 顧問のアンナより、帝国宰相クロイス公への解任通告。同時に財務大臣ベリフ伯、国務大臣ユヴォー候の解任も通告。

 10分後 午前9:40 事件が発生。

「どいつもこいつも儂を愚弄するか! 道を開けよっ!」

 人垣が割れた。進む方向に道ができる。それはクロイス公にとってごく当たり前のことだ。
 しかし今のそれは、彼への畏怖やクロイス家の威光によるものではない。彼が右手にもつ、血が滴るサーベルを皆が恐れたからに過ぎない。
 今や彼は、帝国貴族の盟主ではなくなっていた。不遜にも皇宮の大廊下でサーベルを抜いた凶賊に成り下がっていた。

「衛兵! クロイス公が乱心めされた! 公を取り押さえよ!」

 惨劇を目の当たりにした若い貴族が叫ぶ。だが、間に合わない。衛兵が貴族たちをかき分けて騒動の中心に入り込むよりも前に、クロイスの白刃が再びきらめいた。

「この無礼者が!」

 勇気ある貴族の眉間が断ち割られると、第二波の悲鳴が巻き起こる。そして貴族たちは一斉に大廊下の出口へ向かって走り出した。
 事ここに至り、衛兵は複数人がかりでクロイス公を捕えようとするが、遅かった。今度は大廊下に銃声が鳴り響く。

「公爵閣下!」

 どこからともなく武装した兵士の集団が現れた。異変を察知したクロイスの私兵が、隠し通路を通じて大廊下に侵入したのだ。
 こういった通路は、ヴィスタネージュの至る所にある。そ俺を利用するのは、何もアンナやマルムゼに限った話ではない。

「ご無事ですか!?」

 私兵隊長は、軍歴豊かな壮年の男だった。"薔薇の王国"との戦争でいくつも武勲を重ねたことにより、クロイス公自ら声をかけ、自分の親衛隊長として正規軍から引き抜いたのだ。
 彼は、これ以上ないほどの的確な行動で、主君の救出に駆けつけた。

「すぐに南苑の館に戻るぞ。グレアンの小娘と女帝に、正式に抗議する」
「いえ、なりません。郊外にボールロワ元帥の軍が展開しております」
「なんだと!?」
「この騒動が軍に伝われば、元帥はすぐに軍を動かします。南苑に入れば身動きが取れなくなるでしょう。ご領地へお帰りください」
「儂に都落ちしろと申すか?」
「誠に遺憾ながら……」

 クロイス公はぎり……と奥歯を噛み締めた。
 アンナと女帝に対する怒りは収まりようもないが、衝動を抑え込むだけの余裕を取り戻していた。

「わかった。だが、まずはルコットと合流だ」

 ルコットには息子がいる。先帝アルディス3世との間に生まれたドリーヴ大公アルディスが。
 母子は今、東苑の寵姫用の館で暮らしている。孫と共に領地へもどり、彼を次期皇帝として擁立する。そして挙兵すれば、現体制を快く思わない貴族たちが呼応するはずだ。そうなれば、正規軍10万とも戦うことができる。

 戦争だ! かくなる上は実力をもって、帝国を私物化する小娘2人を討伐するのだ!

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