【火・金更新】寵姫として皇帝と国に尽くした結果暗殺されたので、錬金術で復活して宮廷に復讐してやる!

 ケントの先導で、人ごみをかき分けて、一向はだだっ広い更地にたどり着いた。

「これより先、私のような一般人は立ち入りを許されておりませんので……」
「ありがとうございます、ケント殿。ここまでで大丈夫ですよ」

 錬金工房の地下は、"皇帝の小麦"事件依頼、今も立ち入り禁止なのだ。ここからはアンナたちのみで地下道の入り口を進んでいくことになる。

「依頼されたものは用意しています。従来品よりも輝度を向上させているので、暗闇で活躍するでしょう」

 ケントは別れ際に、革のバンドを5本、アンナに手渡した。バンドにはそれぞれ、握り拳大のカットされた鉱石が取り付けられている。

 「ありがとうございます」
 
 携帯用の、夜灯石ランプだ。
 錬金術の成果であるこの石は、日中に光を貯め、夜間に発光する性質を持つ。まだガス灯の安全性に課題が残っていた頃、常夜灯に使うために開発されたためこの名がつけられた。
 思った以上の輝度を得ることができず、採用は見送られたが、火気を使わないため使い勝手がいい。バンドで頭や胸に固定させても、髪や衣服が燃えるようなことはない。そのため、安全な携帯式照明器具として、主に軍隊や夜景などが愛用している。

「では、参りましょう」

 マルムゼを先頭に、アンナと"鷲の帝国"の客人3人は地下へと進んでいった。
 
 この地には、錬金術の到達点のひとつである「賢者の石」の生成施設が眠っている。
 膨大なエネルギーを内に秘めているされる鉱物であり、それがあれば、あらゆる錬金術の研究が飛躍的に前進すると言われる。
 それだけではない。そのエネルギーを直接的に使用すれば、帝都から永遠に夜を追放できるし、国中に鉄道網を走らせることができる。砲弾に加工すれば一発で会戦を終結させられる大量破壊兵器にもなりうる。

 そんな究極の物質を、かつてアンナはこの地下で発見した。しかし、当時の彼女には手に余るものと判断し、マルムゼに命じて石のありかを隠蔽したのである。

「これは……」

 久しぶりにこの地を訪れたアンナだったが、地下の様子は一変していた。堆く積み上げられていた木箱の類は全て消え、床が溜まっていた埃も綺麗さっぱりと掃き清められている。
 本当に何もない、空虚な空間がただ広がっているのみである。

 "皇帝の小麦"事件以来、この敷地の帝都防衛総監が管理していた。ラルガ侯爵がこの職務に就いていたときは、活発な操作が行われており、先代グリージュス公たちが行ってきた「余罪」の追及が進められていた。
 しかし、侯爵が"鷲の帝国"の大使となり、後任にクロイス派の貴族が赴任すると、証拠の隠滅を図ったのである。
 床に落ちた麦の一粒でも証拠になると思ったのだろう。数年間使われていない地下空間とは思えないほど、綺麗な状態だった。

「この空間の奥に、工房再興の鍵を握るものがあるというのですか?」
「はい……」

 バルフナー博士の問いの答えながらも、アンナは少し不安になる。これだけ完璧に全てが消えているとなると、賢者の石の隠し場所も見つかっているのではないかと。
 実際に隠蔽を行ったマルムゼの顔を見る。無言で頷く彼の瞳には、少しだけ不安の色が混じっていた。

(いえ、大丈夫よ。もしクロイス派やサン・ジェルマンが賢者の石を見つけ出していれば、私なんてとっくに潰されている)

 今自分がこの地にいることこそが、まだ石が誰の手にも渡っていない証だ。そういう理屈で不安を打ち消すと、アンナは足を踏み出した。

「ご案内します。ついてきて下さい」

  *  *  *
「この先は通路が細くなっていますので、お気をつけて下さい」

 階段を降りた先に延々と続く地下通路。何があっても対処できるよう、戦闘能力の高いマルムゼとゼーゲンが、それぞれ先頭と最後尾について進むこととなった。

「これは……シュルイーズくん」
「ええ……」

 2人の錬金術師は何かを悟ったようだ。自分たちの鞄から、何やら不思議な物体を取り出す。

「それは……?」

 バルフナーが取り出したのは風見鶏に時計とグリップがついたような物体だ。以前、農務省の技師に見せてもらった風力計に似ている。鶏の頭が向く方向に風が流れており、手元の計器で、その強さがわかるというものだ。

「私が試作した魔力の測定器です。鳥のくちばしと尾に魔力に反応する鉱石をつけており、これによって魔力の流れと強さを計ります」

 シュルイーズが取り出したものは、さらに不可解な形状をしている。
 ふたつの金属製の輪が鎖で繋ぎ止められている。シュルイーズはその輪を自分の靴に装着した。囚人が付けさせられる足枷のようだと、アンナは思う。

「歩幅測距儀、とでも申しましょうか。私の歩幅を一定にすることで正確な距離を測る道具です。これと一緒に使えば、かなり正確な移動経路を算出できます」

 そう言いながら、彼はさらに鞄から方位磁石を取り出した。

「この通路の距離を測るということですか?」
「はい。ちょっとね、怪しいと思いまして」

 シュルイーズが言うと、バルフナーもうなずく。
 詳しい話を尋ねようかと思ったが、おそらく二人も確信しているわけではないだろう。だから不可思議な計測器をふたつ取り出した。

「わかりました。道中の調査はお任せします。詳しいお話はあとでお聞かせください」

 そう言うとシュルイーズは歓喜の口笛を吹いた。

「さすがです!こう言う時に余計な口出しをしない方は信頼できる。ろくに理解もできぬくせに、やれアレはなんだ、やれソレはやめろなどと小うるさい役人のなんと多いことか」

 突如早口気味にまくしたてるシュルイーズ。そういう役人とのやりとりも多いであろう宮廷錬金術師のバルフナーが咳払いをし、その後ろでゼーゲンも苦々しげな笑みを浮かべていた。

「おっと、失礼しました。顧問殿、ご案内お願いいたします」
「ええ、そうですね。参りましょう」

 アンナは彼がなぜ宮仕えをせず、在野で錬金術の研究をしているのかが、わかった気がした。
 「このあたりは非常に入り組んでいます。どうか、はぐれないようお気をつけ下さい」

 アンナは背後にいる、"鷲の帝国"の客人3名に声をかけた。
 夜灯石ランプを頭にくくりつけたバルフナーとシュルイーズが何やら話している。風見鶏型の測定器に何か反応があったらしい。

「あの、顧問殿。お伺いしたいのですが?」

 バルフナーが声をかけてきた。

「この地下通路は工房建設時に作られたものなのでしょうか?」
「いえ、帝都には魔法時代より何度も地下水路が建設されてきました。そしてその多くが、現在では使われていません」
「では、その水路を利用していると?」
「はい。さらに悪しき竜の時代に作られたという地下寺院や地下墓地の遺跡も使っているそうです」
「なるほど……」
「私からもよろしいですか?」

 続いてシュルイーズも尋ねる。

「顧問はどうしてこの通路の正しい道順をお知りで?」
「それは……」

 わずかだがアンナは緊張する。当然来るはずであろう質問だったので、回答は用意しているが……。

「ある錬金術師に聞いていたのです。自分の死後、国に何か異変があった場合は、そこを調べろと」

 嘘は言っていない。ただし、その言葉を託されたのはアンナではなくフィルヴィーユ公爵夫人エリーナだ。
 ゼーゲンやゼフィリアスはアンナの正体がホムンクルスで得ることを知っている。しかし前世がエリーナであることまでは明かしていない。それを知るのは、マルムゼとラルガ親子のみであり、他の人物に知られることに何故かアンナは異様な抵抗を感じていた。

「ある錬金術師とは?」
「それは……言わなくてはいけませんか?」

 自分で口にした言葉に、異様な違和感を覚える。

(今の……本当に私が言った?)

 あまりに自分らしくない言い草だった。まるで、誰かに言わされたような感覚が残っている。

「はい。ご無礼を承知で敢えて言わせていただきます。誰に聞いたか、お答えください!」

 やけに神妙な顔つきでバルフナーが踏み込んできた。アンナは思わず後退りしてしまう。

 何故だ、何故そんなことを知りたがる? 今まで好意的に見ていた錬金術師に、急に不信感が芽生える。
 そんなことに踏み込むなんて、あまりに非常時ではないか、それでは……。

 (いや、何を考えてるの私!?)

 急に我に帰る。彼女たちを信頼し、全てを明かすと決めていたではないか。すでに国家機密レベルの事まで教えている。この通路について誰から聞いたかなど、それに比べれば些細な事ではないか!

 なのに、どういうわけか、その名を口に出すことができない。

「質問を変えましょう」

 シュルイーズが助け船を出すように、横から入ってきた。

「あなたは、ここを錬金工房の地下だと言っていましたが、その認識に間違いはありませんか?」
「は、はい」

 こちらはこちらで奇妙な質問だった。現に今、私たちは工房跡地からこの地下に入ったではないか。

「少なくともここは、工房の直下ではありません。全く別の、帝都のどこかにある水路の遺跡に我々はいます」
「は? どういう事ですか」
「私自身驚いています。地下に入ってからまだ10分程度しか経っていないように感じていますが、それは恐らく錯覚でしょう。私が足につけた測距儀は、すでに2万歩をカウントしています」
「2万!?」

 それだけ歩けば、帝都の端から端まで移動できる。

「正確な位置は、測距儀の記録と帝都の地図を照らし合わせる必要がありますが、少なくとも工房付近でないことは確かです」
「恐らくはこの通路に流れる魔力が、感覚を狂わせているのでしょう。私の計測機が、先ほどから定期的に強い魔力の流れを捉えています」

 風見鶏を手にしたバルフナーが言う。

「間違いなく人為的に作られた流れです。そしてこれだけ巧妙に魔力が操れるだろう人間を、私は1人しか思いつきません」

 その1人が誰かなど自明だ。アンナはその名を言わないで欲しいと、バルフナーに懇願したい思いにかられた。

「顧問殿、私からもよろしいですか?」

 すると最後尾でずっと黙って見ていたゼーゲンが口を開いた。

「おそらく今、あなたが味わっているだろう違和感や焦り。それを私やマルムゼ殿も味わっています」
「え?」

 アンナは背後に立つマルムゼの顔を見る。

「はい、アンナ様。恐らくそれは、ホムンクルスに施された記憶のロック機能かと」
「あっ!」

 マルムゼ=アルディスが言っていた事だ。ホムンクルスには、自身が知る重大な情報を漏らさないよう、記憶と心理に暗示による封印が施されているのだ。

「私にも覚えがあります。重要な情報を尋ねられた時の抵抗感。かつて私は、それを打ち消すために自らを傷つけるという手を使いましたが……」

 マルムゼはそう言って、自分の首筋を撫でた。もうほとんど傷は消えているので、夜灯石の光程度ではそれは見えない。けど、そこにごく微かに一本の線が残っているをアンナは知っていた。かつてアンナ自身が剣でつけた傷跡だ。

「我が君ゼフィリアスは帰国後、私に施されたロック機能の解除を試みました。そして、バルフナー殿によって部分的にそれが成功しています」
「はい」

 バルフナーはうなずいた。

「被験者はゼーゲン殿お一人ゆえ、確実ではないのですが……他者が自ら解答に到達すると、ロックは外れるようです。答えを得た者をホムンクルスは拒絶することができません」
「では……今私の中になる抵抗感も?」
「はい、こちらが先に答えを提示すればロックは解除されるかと」

 そう言うと、バルフナーはひと呼吸おいてからアンナの瞳を見つめ、その解答を提示した。

「あなたにこの道を教えたのは、サン・ジェルマン伯爵本人ですね」

 その名前を聞いた瞬間に、アンナの心を追っていた分厚い障壁が、嘘の様に霧散した。なぜこんな重要な情報を教えることができずにいたのか。なるほど、これがホムンクルスにかけられたロック機能の正体ということか。

「はい、その通りです。この通路の存在は、サン・ジェルマン伯爵から……」

 そこまで言いかけ、不意に言葉を失う。

「顧問殿?」
「あ、いえ……なるほど、これが記憶のロック、ですか……。この肉体が人の意図によって生み出されたものだということを改めて実感しました」

 バルフナーの呼びかけに、急いで答えを取り繕った。怪しまれていないか? いや大丈夫。みんなロック機能からの解放に対する戸惑いだと思ったはずだ。

 アンナは自分にそう言い聞かせる。
 まだ自分の中でも整理できていないことだ、彼女たちに気取られてはいけない。そう思った。もしかしたらその考えすらも、ロック機能によって施されたまやかしの思い込みかもしれないが……。

(今、頭に浮かんだのは……)

 確かにバルフナーの回答により、アンナが口に出すことが出来なかった情報のひとつは、開示可能となった。
 しかしその瞬間、アンナの心の奥底に隠されていた、別の記憶があらわになったのだ。

(確かに、私はこの通路のことをサン・ジェルマン伯爵から聞かされた。そう、そのはず……!)

 そのはずなのだ。なのに、今アンナの頭の中で再現されている景色に、サン・ジェルマンの姿はいない。彼女にこの路を案内する男性。それは……。

(お父さん……!)

 勘違いなどでは断じてない。
 アンナの、いやエリーナの実の父親である、金属細工職人タフト。
 今や、敵の手によって幽閉されているという彼と、エリーナは間違いなく一緒にこの地下道を訪れている。
 そしてこの先に通路の仕掛けの解除方法についても彼から教わっていた。

 どういうことかわからない。
 しかしサン・ジェルマンとタフト、2人の姿がエリーナの記憶の中で1人のの人物となっていた。
 父に関する記憶の扉が開いたことに動揺しながらも、アンナは道案内を続けた。
 今、あれこれと考えても仕方がない。判断材料が少なすぎるのだ。それを解決するためにも、2人の錬金術師をあの部屋まで連れて行かなければ。

「こちらになります」

 ガス灯に照らされた通路の最奥まで来た。アンナは例の複雑な仕掛けを動かすと、鈍重な音と共に石壁が動きだす。隠し扉の奥に、ほのかに光る小さな小部屋が現れた。

「これは……?」
「もしや賢者の石……ですか?」

 淡い光に満たされた部屋に入った瞬間、2人の錬金術師はそれが何かを理解したようだ。

「見たまえ、シュルイーズ君。魔力測定器がご覧の有り様だ」

 バルフナーが持つ風見鶏型の測定器は一定の方向を差し示さず、狂乱したように激しく回転している。

「まるで嵐だ、魔力の嵐。以前、討竜公ゆかりの遺跡で同じような反応を観測したことがあるが、強さはその比じゃない……!」
「これだけの魔力量、長時間この部屋にいると人体にも影響が出そうですね」

 光に照らされている2人の顔には畏れと歓喜がないまぜになったような表情が浮かんでいる。自分たちの追い求め続けていたものの最終形がそこにあるのだ。無理もない。

「この研究を新工房の軸に据えたいと考えています。政治的な話をすれば、もちろん貴国との共同研究という形で」

 ゼフィリアス帝の代理人であるゼーゲンに言った。
 錬金術の最先端を共に研究し、その成果を分かち合う。アンナとゼフィリアスの個人的な友交を抜きにしても、"鷲の帝国"にとっては魅力的な申し出であるし、同盟の強化にもつながる。

「ありがたいお申し出です。停滞気味だった我が国の錬金術は一足跳びに飛躍できる。そうですよね、バルフナー博士?」
「研究者としては、絶対を請け負うことは致しかねますが……この石を前にして、そうなる努力を惜しむ錬金術師はおりますまい」

 いかにも学者らしい、持ってまわった表現だが、エリーナだった頃に工房に出入りしていたアンナは知っている。これは限りなくイエスに近い回答だ。

「しかし、この石は……運び出すことができるのでしょうか?」

 シュルイーズが言った。その言葉に、ゼーゲンが疑問を挟む。

「それはどういう意味だ、シュルイーズ博士?」
「先ほども言ったとおり、ここは職人街の地下ではなく、どこか別の街区のはずです。正確な座標は、計測結果をもとに計算する必要がありますが、いずれにしてもここでなければいけない理由がるのだと思います」
「理由、とは?」
「そうですね、たとえばこの位置でなければ、賢者の石を作ることができないとか?」
「石の生成に、場所が関係していると?」

 彼女たちのやりとりに、アンナも入る。

「それは、容易にこの石が他者に渡らないための隠蔽ではないのですか?」
「もちろんそれもあるでしょう。ですがこれほど強い魔力の塊を生成するのに、場所が無関係とも思えない」
「どういうことでしょう?」
「それについては私が説明しましょう」

 忙しなく回転し続ける風見鶏を持ったバルフナーが言った。

「もともと賢者の石とは、魔力を失った現代の人間が魔法を使うとなれば、強力なエネルギー源は必要と考えた100年前の錬金術師が提唱した物質です」
「エネルギー源というと……たとえば石炭のような?」
「はい。というより石炭はもともと、賢者の石の候補として研究されていた物質です。今日では、それを蒸気機関が発達しましたがが、これも広義には錬金術とされています」

 実際、"獅子の王国"の錬金術は、この石炭や蒸気機関の研究に特化しており実用化もされている。この分野で他国よりも一歩先をゆく"獅子の王国"は産業革命と言われる、社会変革の真っ最中だ。もし和平が実現していなければ、"百合の帝国"と"獅子の王国"の戦争は、蒸気機関研究で先手をゆく"獅子の王国"が勝利しただろうと、アンナは考えている。

「しかし狭義の錬金術、つまりかつての魔法を復活させる分野においては、石炭は『よく燃える石』以上の意味は持ちません。そのエネルギーの正体が魔力ではないからです」
「つまり、賢者の石は魔力を秘めた物質でないといけない?」
「その通りです。そしてそれを突き詰めた最近の研究では、賢者の石とは魔力そのものが物質化したものではないかと考えられています」
「物質化!?」

 アンナはこの部屋の中央に鎮座するガラス製のフラスコを見た。それは液体に満たされており、その中心に青白く光る小さな結晶体がある。

「じゃあ、これは何らかの形で実体化した魔力そのものだと?」
「あくまで仮説のひとつでしたが、この部屋を見る限り、恐らくそれは当たっているでしょう」

 バルフナーが指差す。その先には壁づたいに金属の管が通り、中央のフラスコへとつながっていた。

「この計測器が正常に動作していない理由は、賢者の石本体ではなく、この管のようです。この管には高濃度の魔力が流れており、フラスコへと送られています」
「この管が……?」
「さわらないで!!」

 アンナが金属管に手を伸ばそうとした時に、シュルイーズが叫んだ。突然の大声に、アンナは肩をこわばらせ、手を引っ込める。

「先ほども申し上げたとおり、人体に影響が出るほどの魔力です。直に触ったらどんなことが起きるか想像もつきません」
「それほどに……?」
「ええ、そしてどうしてそれほどの魔力がこの帝都にあるかが問題なのです」
「あ……」

 この部屋にたどり着くまでの、二人による錬金術講義を思い出す。魔力は自然界に偏在しているものだという。けど、これほど強い魔力がもし自然な状態で存在していたら、錬金術はもっと早くに賢者の石まで行き着いており、魔法の復活もなっていただろう。そうなっていないということは、この部屋に流れ込んでいる魔力が異常な量であるということだ。

「もしや……リュディス5世?」
「そう考えるのが、最も自然です」

 黄金帝は帝位を奪い、真の皇帝を幽閉した後も、その魔力を恐れた。そして宮廷をヴィスタネージュへと移した。
 その、黄金帝が恐れた魔力こそが、賢者の石の原料ということか。

「帝都のどこかに、真のリュディス5世が残した強い魔力がある、それを結晶化させて、賢者の石を作り出すのがサン・ジェルマン伯爵の目的……」

 となれば、この部屋以外では石の生成ができない可能性は確かに大きい。シュルイーズが口にした疑問の意味がようやく理解できた。

「今日のところは一旦戻りましょう。いずれにせよ、この部屋は継続して調査する必要があります。今日1日で解決する問題ではありません」
「そう……ですね……」

 アンナは、青白い光で満たされた部屋を見渡した。石が生成されているフラスコ、そして魔力を伝える金属管……。

(この装置を作ったのは誰なの……?)

 偽帝マルムゼ=アルディスは、殺される前アンナに迫り、襲おうとした。その過程であの男は、エリーナの父タフトを幽閉していると言った。彼が賢者の石の隠し場所の仕掛けを作ったからだ。
 確かに父の仕事は工房に信頼されており、さまざまな機材を製作していた。この装置や、ここに来るまでの魔力的な隠蔽についても、タフトの手によるものである可能性は高い。
 しかし、果たしてそれは誰かから依頼を受けたやった仕事なのか?
 タフト自身がこの装置を着想し、自らの手で作り出した可能性はないか?

 そして、先ほど不意に開かれた記憶の扉。この通路を案内するサン・ジェルマン伯爵。そのときの彼の姿を思い出そうとすると、必ず父の顔が思い浮かぶ。

(ここまでの道のりを案内したのは父さんだ)

(それに、この装置を作ったのも……きっと父さんだ)

 そして……。

(私の父は、サン・ジェルマン伯爵だ)

 そんな確信が、今やアンナの心の中にしっかりと根付いていた。
 皇妃の村里は、今も変わらずアンナたちの政治的な拠点として使われている。

「私が、大臣に?」

 今日、この村里を訪れていたのは顧問アンナと一時帰国中の"鷲の帝国"駐在大使ラルガ侯爵の2人。村里の主人たるマリアン=ルーヌ女帝は公務のため来ていない。だがアンナは、彼女の不在時でも自由にここを使い、ゲストを呼ぶ特権を与えられていた。

「はい。ベレス伯爵が引退して以来、宮内大臣職が空位となっていますが、いつまでもそのままとはいかないでしょう?」
「しかし、顧問派から大臣を出すことを、クロイス宰相がお認めになりますか?」

 かつて「皇妃派」と呼ばれていた勢力は、マリアン=ルーヌの戴冠とアンナの顧問就任によって、「顧問派」と呼び名が変わっていた。
 と言っても、これまでもアンナが実質的な盟主だったため、実態はほとんど変わらない。

「すでにクロイス公の了承は得ております」
「なんと!?」
「ドリーヴ大公の件と引き換えです」
「なるほど」

 元寵姫ルコットは女帝の戴冠とほぼ同時期に男児を出産した。
 その実態は、ホムンクルスを用いた傀儡ではあるのだが、公式には先帝アルディス3世の唯一の息子である。
 父と同じアルディスという名を与えられたこの男の子に、女帝はドリーヴ大公の位を封じた。
 通例では、ドリーヴ大公位は皇太子に与えられる。そればかりか女帝は、この子が10歳になれば自分は退位するという宣言までした。
 つまり、この男の子は十年後には、"百合の帝国"皇帝アルディス4世となることが約束されたのだ。

「まさか陛下があそこまで譲歩されるとは思いませんでした。これもあなた様の策謀のひとつなのですか、顧問殿?」
「確かにいくつかのアドバイスはしていますが……実はあの子をドリーヴ大公に、というのは陛下が言い出したのですよ」
「陛下が?」

 グリージュス公の娘の件といい、どうやら女帝は子供に甘いらしい。しかも、どれだけ憎い相手の子供でも、感情を切り離してその子を慈しんでいる。

 もちろん、ただの子供好きというだけではない。ルコットの男子については別の感情も、女帝マリアン=ルーヌは抱いているようだ。

『私は結局、子をなすことができなかったから……』

 ルコットの息子をドリーヴ大公にしたいと言い出した時、彼女はアンナに胸の内を打ち明けた。その一言に、あらゆ想いが詰め込まれている。

 結果的に上手くはいかなかったが、アルディス3世とマリアン=ルーヌは、一度は良好な夫婦関係を築く事を試みたのだ。
 その後アルディスは死に、偽物がこの国を支配した。そしてその偽物が、クロイス公爵の娘を寵姫とし、唯一の男子を遺した。しかし、その男子には偽物のアルディスとすら血のつながりが無い。

 嘘に嘘を重ねた末に産まれた子。誰との血のつながりもないのに"百合の帝国"の皇帝の血を引く者として、生を受けたホムンクルス。

 ならば彼の事を自分の息子・皇太子として慈しむ、そんな嘘を重ねたって良いのではないか?

 屈折した考えだ。しかし、まともな人間関係を育むことなどできないのが、宮廷である。
 アルディスはまともな関係を求めた結果、他国の皇女マリアン=ルーヌではなく、市井の職人の娘エリーナを選んだ。
 そして、エリーナもまた、マリアン=ルーヌと同じく、アルディスとの子を望み、それをなすことが出来なかったから……。

 だからであろうか。アンナはそれが不利益につながるとわかっていながらも、女帝の願いを叶えなくてはいけないという義務感にかられた。

『かしこまりました。では、必ずこれも一緒に宣誓してください』

 そう言ってアンナが提案したのは、新ドリーヴ大公アルディスが成人したら自らは退位するという約束だった。
 一見するとこれは、クロイス派に対する異様なまでの歩み寄りに見える。だがこれは、女帝の身を守るための最大の自衛策だ。

 幼いアルディスが後継者に決定すれば、必ずクロイス派は女帝を亡きものにしようと動き出す。彼女が死ねば、自動的に自分たちの天下となるのだから、暗殺を考えないはずがない。
 しかもできるだけ早く動くだろう。アンナたちが対策を講じたり、女帝自身が心変わりしないうちに……。

 そうさせないために、期限を設けた。リスクなしに帝位が転がってくるなら、10年待てというのは決して悪い話ではないはずだ。
 しかしアンナももちろん、権力と命を10年後に手放すつもりはない。この10年で何もかもをぶち壊すつもりだった。クロイスら大貴族どもの権威も、それを生み出した貴族社会も。
 ラルガの大臣就任は、その最序盤の一手というわけだ。

「それで、私は空席となった宮内大臣に?」

 ラルガは話題を自分の人事へと引き戻した。

「いえ。宮廷女官長と宮内大臣が両方とも顧問派となれば、我々が宮廷を牛耳ることになります。流石にクロイス公もそれは許しませんでした」
「では、他の閣僚が宮内大臣にスライドし、空いたポストに私が入る、と言ったところですかな?」

 さすが、この英明な老人は話が早い。

「はい。法務大臣ブラーレ子爵が宮内大臣となり、あなたをその公認に据えたいとの事です」
「法務大臣、ですか」

 ラルガは、少し意外そうだった。

「あそここそクロイス派の牙城。高等法院とブラーレのタッグで、貴族のあらゆる不祥事がもみ消されてきたはずですが」
「実質的な力を持つのは高等法院です。そこをクロイス派がしっかり押さえていれば、あなたが大臣になったところで対抗できる、と考えたのでしょう」
「対抗、ですか。ではあなたは、この老体と高等法院の大喧嘩を期待しているので?」

 ラルガ侯爵は今年72歳となる。もう引退してもおかしくない年齢だ。

「帝都の防衛総監に任じられたのが4年前。2年も勤めた後は息子に爵位を譲り、どこかの山荘で隠居暮らしと思っていたのですがな」

 アンナと関わった結果、"獅子の王国"との和平交渉に参加し、さらに大使として"鷲の帝国"におもむき、そこから1年も立たぬうちに法務大臣に指名されることとなった。

「穏やかな老後を邪魔してしまったことについては申し訳ありません。ですが、今の私たちにはあなたの手腕が必要なのです」
「ふふ……誤解なさらず。むしろ楽しんでいますよ。田舎で狩りや養蜂をやっていても、これほど張り合いのある日々は送れていなかったでしょう」

 ラルガは言った。

「クロイス派の専横を苦々しく思いながらも、私ひとりではどうすることもできなかった。そこにあなたが現れ、この国を変えようとしている。人生の終盤で、こんな刺激的な時代が訪れた事に喜びを抱いてさえいますよ、私は」
「ラルガ侯爵……」

 かつてエリーナだった頃、この老人は政敵だった。フィルヴィーユ派の改革を急進的だとして、度々衝突してきたのだ。
 そんな彼が、マルムゼと並ぶ自分の最大の味方となったのは奇縁という他ないだろう。

「では法務大臣の件、よろしくお願いいたします」
「承知しました。高等法院を黙らせて、司法の世界の風通しをよくして差し上げましょう」

 顧問派の宿老とも言うべき老人は、そう言うとめずらしく朗らかな表情を見せた。
「顧問殿! 顧問殿! やはり間違ない! 私の思った通りです!!」

 興奮の塊みたいな気配が柊の間に近づいてくる。
 アンナはまたか、と眉間に手を当てながらため息をついた。声の主は"鷲の帝国"の錬金術師シュルイーズだ。

 アンナは異邦からやってきた2人の錬金術師に宮殿内に自由に出入りできる許可を与えていた。錬金工房の拠点が大庭園にあるためであり、職人街に新工房が建つまでの措置だったのだが、これが評判が悪い。

 このように、鼻息の荒い外国人が宮廷のマナーも守らずにうろつきまわっているのだから無理もない。しきたりにうるさい守旧派はもちろん、ある程度寛容な顧問派の貴族たちからも、やんわりと嫌味を言われる始末だ。

「顧問殿ー!!」
 
 ドアをノックし、侍従を仲介して名乗りと入室の許可を得る、という宮廷のエチケットを全て無視して、シュルイーズが室内に転がり込んできた。
 
「聞こえています。廊下では静かにと申し上げたはずです、シュルイーズ博士」
「あ、いや……これは失礼」

 ようやく我に帰ったように、シュルイーズは居住まいを正した。
 最初に会った時は、もっと知的な印象のある青年だったのだが……。アンナの気心が知れたせいなのか、近頃は無垢で陽気で、はた迷惑な本性を全開にしている。
 なるほど、バルフナー博士の推薦があっても宮廷錬金術師になれないわけだ、と得心する。

「それで、何がわかったのですか?」
「バティス・スコターディ城です! やっぱりバティス・スコターディ城だったんですよ!!」

 シュルイーズの言動のもう一つの特徴として、過程の説明などを全て吹っ飛ばすところがある。
 話が早いのは、聡明さの証である。アンナも普通なら好ましいと思うところなのだが、彼の場合は必要な過程まで飛ばしているからこちらが戸惑ってしまう。
 アンナは過去の彼との会話を思い返し、シュルイーズの言わんとする事の推察を試みた。

「ええと……つまり、あの地下道のこと?」
「そうその通り! 話が早いのは、聡明さの証です。その意味では顧問殿との会話は苦痛がなくて楽ですな」

 臆面もなく、こう言う事を言うのだからアンナは苦笑を禁じ得ない。
 しかし……地下道の話で、その地名が出てきたとなると笑ってばかりもいられない。

「賢者の石の場所が、あの城だと……?」
「はい。私の推測通りです! まさか座標の特定にこれほど時間がかるとは思いませんでしたが……」

 シュルイーズやバルフナーが職人街の工房跡地から地下道に入るのは、確か今日で15回目のはずだ。
 アンナも同行した1回目で、シュルイーズは足枷のような形状の測距儀を用いた。歩幅から、正確な距離を測る機械だ。
 地上に出た後、すぐに場所を割り出しを行ったのだが、記録が示したのは何の変哲もない民家だった。一応、人を派遣し家の中も調べさせたのだが、地下室も隠し通路も見つからなかった。
 どうやら魔力の流れを利用した仕掛けにより、方位磁針にも微妙なズレか生じていたようで、改めて調査が必要ということになった。
 それから2ヶ月。2人の錬金術師は何度も地下に潜り、少しずつ候補地の場所を狭めていった。そして今日、ついに割り出しに成功したのだという。
 そしてそれは、あのバティス・スコターディ城だったというわけだ。

「確かに黄金帝絡みの場所としては、最もありある場所よね」
「はい。しかしだからこそ予断は禁物! 私とバルフナー博士は、絶対にそこだという確証を得ることが出来なかったのです!」
「それで……間違いないのね?」
「はい! 苦節2ヶ月……! ついにやりました!! それにしても驚きです。二つ目の仕掛けの後に、一直線の狭い通路が続くエリアがあったかと思うのですが、実はあそこが湾曲した通路だったのです! 魔力による欺瞞と、巧妙な錯視効果で直線通路だと思わされる……。まさしく芸術的としか評しようがない工作です……っ!」

 滔々と語り始めるシュルイーズ。これが始まるといつまでも話が終わらないことは、過去の接見で学習している。
 アンナは、彼を無視してマルムゼの意見を伺った。

「どう思う、マルムゼ?」
「両博士が間違いないと言っているのであれば、それは信用していいかと。そして、ラルガ侯爵が法務大臣になったのは良いタイミングでしたな」
「まったくね」

 バティス・スコターディ城は帝室所有の監獄という微妙な立ち位置の施設だ。しかし最近になって急に、高等法院が自分たちに管理させろと主張してきていた。
 ベレス伯爵の一件がその理由である。あの時アンナは、彼をあの古い要塞に幽閉していたのだが、どうやらそれがクロイス公爵の耳に入ったらしい。
 そして顧問派が好き放題に使うのを止めるために、高等法院を動かしたという次第だ。

「帝室か高等法院か、どちらの管轄とするかはまだ決まっていませんが、そんな中で調査を始めようものなら、必ず揉め事になります」
「そうね。だからラルガ侯爵を通して、法務省には私たちに味方をしてもらわないと……マルムゼ、馬車の用意を!」

 善は急げ、だ。アンナはすぐにでも法務省へ向かうつもりだった。

「しかし……よろしいのですか?」

 マルムゼが気まずそうに応える。

「今日は宮廷で、女帝陛下主催の舞踏会があるのでは……」
「ああ、そうだったわね……」

 女帝主催の催しの取り仕切りはアンナの重大な仕事だ。顧問という職務が、皇妃家政機関総監から発展したものと考えると、むしろこれこそが本来の仕事と言っていい。

「……いいわ。今回はグリージュスに任せます」
「宮廷女官長にですか? しかし……」

 マルムゼの言わんとしていることはわかっている。アンナは先日も女帝の名の下に開催された音楽会を欠席した。"獅子の王国"大使が、とある侯爵と揉め事を起こし、その仲介に立つためである。
 その侯爵は元軍人で、"獅子の王国"にいまだに敵意を持つ人物だったものだから、下手すれば外交問題となる。故に、女帝の代理人としてアンナが動く必要があったのだ。

「仕方ないわ。明日の朝は、陛下と朝食を共にする約束をしている。そこで弁解します」
「わかりました……。では、直ちにグリージュス公に使者を送ります」
「ええ、そうしてちょうだい。細かな差配については彼女と共有しているから、問題ないはずよ」

 元々、舞踏会や晩餐会といった貴族の催しはグリージュス公の方が知識も経験も豊富だ。彼女に任せてしまって方がうまくいくことも多いだろう。

「シュルイーズ博士、あなたも法務省に同行してください」
「……という次第で、あのエリアの魔力は磁気に作用し……って、え、法務省? ラルガ公爵のところですか?」

 学術的な考察を楽しそうに語っていたシュルイーズは、アンナの言葉で我に返る。そしてげんなりとした表情を見せた。

「その、私あの人とはあまり相性が……」
「あなたがいなければ説明できないでしょう」

 生真面目で剛直なラルガ侯爵と、天衣無縫なシュルイーズ博士。まぁ、相性は良くないだろう。もしかしたらラルガの"鷲の帝国"への赴任中に、2人の間に何かあったのかもしれない。
 が、そんな所に配慮してるような状況でもない。アンナはマルムゼに目で合図する。

「いいから一緒に来てください!」

 アンナが言うと同時に、マルムゼの両腕がシュルイーズの肩をがっしりとつかんだ。

「そんなご無体な!」

 シュルイーズの抗弁を無視し、マルムゼは彼の体を抱え上げると、馬車を待機させるポーチへと向かっていった。
「そう、またアンナは来られないの……」
「申し訳ありません。私グリージュスが取り仕切るよう、顧問からは仰せつかっております」
「わかりました。女官長、あなたの差配ならきっと問題はないのでしょう」

 別用でアンナが舞踏会に出席できないと聞き、女帝マリアン=ルーヌは落胆した。先日の音楽会に続いて2回連続。それ以外にも、ここのところ彼女は宮廷の催しに参加しないことが増えている。
 もちろん、さぼっているわけでも自分を避けている訳でもないことは、マリアン=ルーヌも承知している。
「顧問」という従来の制度にない役職を新設したのは、彼女の才能のすべてを国政に活かすためだ。あらゆる場所におもむき、様々な人間と会わなくてはならない彼女を、こんな実のない舞踏会に縛り付けるのは、マリアン=ルーヌとしても本意ではない。

「陛下、ではそろそろ」

 頃合いを見計らい、グリージュスがマリアン=ルーヌに耳打ちした。彼女は小さく頷くと、手にしていた扇をたたみ、すっくと立ち上がる。

「皆様、お越しいただきありがとうございす」

 女帝の声が、高らかに響き渡る。一拍おいて、皆の拍手が大広間を満たす。

「今宵は、帝国の藩屏として日夜尽くして頂いている皆様へのささやかなねぎらいです。どうぞ心ゆくまでお楽しみください」

 お定まりの文句をそらんじながら、マリアン=ルーヌは心の中で毒づく。

 何が、藩屏だ。
 誰が、尽くしているって?

 帝国の藩屏。つまり帝室を守護し盛り立てる者たち。
 確かにそれは、本来貴族たちに任された役割だ。たが、その役割に忠実であろうとする貴族がどれほどいる?
 職務に励むのはより良き国を作るためではなく、自分たちに利益を誘導するためだ。
 策謀を巡らすのは帝室を敵から守るためではなく、手にした権力を維持するためだ。

 本気で帝室と民のためにあろうとする貴族などほんの一握りしかいない。そして、その一握りの代表であるアンナは今この場にいない。
 私が本当に労いたいのはアンナただひとりなのに……。

「もっとも、アンナもこんな舞踏会で癒されることはないでしょうけど……」

 誰にも聞こえない大きさの声で、女帝はつぶやいた。

「今日は若い参加者が多いので、もう少しテンポの早い歌曲を、と楽団長に伝えて」

 挨拶が済んでしまえば、主催者である女帝の役目は終わったも同然だ。女官長が部下に指示する声と、楽団が奏でるワルツの調べを耳に入れながら、マリアン=ルーヌはぼんやりと椅子に腰掛けていた。

 目の見えないマリアン=ルーヌは踊ることはできない。ならばなぜ、舞踏会などを主催したかというと、それが"百合の帝国"皇帝の仕事だからという他ない。皇帝は貴族を労うために、こうした意味のない舞踏会や晩餐会を日常的に行う必要がある。それは今決まっているスケジュールだけでも、すでに年間の4分の1の占めている有様だった。
 本当ならこんな国庫の負担にしかならないような催しは、今すぐ全てやめにしたいが、アンナが貴族の支持を得るために、そうもいかない。

「デラリア伯夫人がお見えね。あの方は既婚の若い殿方を寝とる癖があるわ。陛下の催しで不名誉なことが起きないか見張っていなさい」
「逆に、ウィダリ子爵から若君に遊びを覚えさせたいと頼まれておいます。適切なご令嬢と一緒の時間を作らせるように」

 横から聞こえてくるグリージュスの指示はげんなりするものばかりである。下世話な人間関係に関するものがほとんど。よくもまあ、そんな情報をあちこちから仕入れてくるものだと感心してしまう。
 これもまた、ひとつの才なのかもしれないが、アンナはこんな指示を出したことはない。少なくともマリアン=ルーヌの聞こえないところでやるくらいの配慮を見せていた。

 マリアン=ルーヌは、意識的に女官長の声よりも楽団のワルツに聴き入るよう努める。
 踊れなかったとしても、一流の演奏を聴くことができる舞踏会はまだ救いがある。先日の音楽会同様、ただ聴き入っていればいい。
 目が見えない故の無作法を内心で笑われながら、聞きたくもない話に付き合わされ続ける晩餐会よりはいくらかまし……。

 そうでも思わないとやっていられない。

「陛下」

 不意に、グリージュスが声をかけてきた。一体なんだ? 私の役割は、閉幕の挨拶までないはずではないか。

「なんでしょう、女官長」
「陛下にご挨拶したいという方がいるのですが、よろしいでしょうか?」

 ちっともよくはない。何とかして女帝とのよしみを通じようとする者が、どんな催しでも必ず現れる。
 没落した貴族、成り上がりの新興商人、怪しげな外国人貴族、そんな手合いたちだ。女帝の寵愛を受ければ、大貴族の仲間入りができる可能性がある、そんな夢を見てマリアン=ルーヌに近づくのだ。

「あいにくですが、そういったものは全て断っています。正式な手続きを踏み、日中に謁見を申し出てください」

 それが、彼女がアンナとともに取り決めたルールだ。女官長もそれを知らないはずがないのに、なぜこんな事を言ってくるのか?

「ですが、どうしてもとの希望でして……」

 グリージュスの言葉に、マリアン=ルーヌは苛立つ。そんな希望をいちいち叶えていたら、女帝が開くすべての催しが謁見の場となってしまう。この女はそんなこともわからないのか?

「申し訳ありませんが、気分がすぐれません。私はしばらく、奥の間で休みたく……」
「陛下……!」

 適当な理由をつけて中座しようと思った時だった。

「いやグリージュス女官長、確かに私が無礼でした。ご容赦を」

 男性の、そんな言葉が聞こえたかと思うと。真っ暗だったマリアン=ルーヌの視界に眩い光が飛び込んできた。

「……え?」

 いや、それを「光」と呼んでいいのかもわからない。確かにそのように知覚したが、盲目である彼女はそもそも光を感じることができない。

「後日、しかるべき手続きのもと、改めて参内いたしますので……」
「待って!」

 思わず、立ち上がってしまった。声の主の姿は分かろうはずもない、がまばゆい「光」を放つ者が目の前にいる。
 これと似た「光」を放つ者をマリアン=ルーヌは知っている。アンナ、マルムゼ、それにリアン大公ら帝室の面々と、アルディス3世を騙っていた不届者……。いずれも、超常の力である魔法や、その復活を目指す錬金術に関わりのある者だ。

「……陛下?」

 グリージュスの怪訝そうな声。

「あ……えっと……そちらの方は一体どなたでしょう?」
「不躾ながら、お初にお目にかかります。私、ハリウス・アキシウ・ダ・フォーリスと申します。"白夜の国"の軍人です」

「光」の放つ者は、女帝に自己紹介する。とても穏やかな口調であった。

「"白夜の国"の……?」
「はい。先日より征竜騎士団に入隊し、陛下にお仕えさせていただいております!」

 征竜騎士団とは、その名が示す通りリュディス1世の竜退治を起源とする、この国の精鋭部隊だ。徴兵された平民からなる他の部隊と違い、外国人の入隊も認められている。

「そうですか。それは結構なことです。しかし、なぜ私に目通りを望んだのでしょう?」
「はっ。おそれ多くも、あなた様に恋をしたからであります、陛下!」
「なっ!?」

 想像もしていなかった言葉を、「光」の主である異国の男は口にした。
「陛下に……恋をした?」

 法務省に赴き、新大臣ラルガとバティス・スコターディ城の管轄権に関する相談をしてきたマリアが、宮殿に戻ってきたのは22時を過ぎた頃だった。ちょうど舞踏会がお開きとなるタイミングだったため、女帝付きの侍女に様子を伺うと、思わぬ話が出てきた。

「は、はい。その殿方はそう申して、陛下の手を取りダンスまでなさいました」
「踊ったの!? 陛下が?」
「はい。それはもう巧みなリードでした。目の事など関係ないほどに」
「何という男性です、その方は?」
「はい。征竜騎士団のダ・フォーリス様と……恐らく、まだ会場に残られていると思います」

 侍女の言葉に、アンナとマルムゼは顔を見合わせ、うなずいた。

 * * *
「今宵は楽しい時間をありがとうございました、陛下」
「こちらこそ、リードありがとうございます。まさかまた踊ることができるなんて」

 女帝とその男は、ちょうど別れの挨拶をしている最中だった。アンナは、大広間の後ろに設けた隠し部屋からそれを覗いている。四方の壁面に張り巡らせた鏡の一部が特別製で、この部屋から大広間を見る覗き窓となっているのだ。
 国際政治の舞台でもある"百合の帝国"皇宮ならではの仕掛けだ。重要な行事の際には、暗殺やテロ対策の近衛兵が詰めるのだが、まさかこんな事に使うとはアンナも思っていなかった。

「あれがその御仁か……」

 まず目に入ったのはその顔の覆う仮面だ。鼻から上をが、鈍い光沢を放つ金属の仮面で隠されている。目の見えぬ女帝は気づいていないかもしれないが、不審な風体である。

「そういえば、昨年の暮れ頃に話題になっていました。征竜騎士団に仮面の男が入隊したと。何でも炸裂弾の爆発に巻き込まれて顔に大きな傷を負っているとか……」

 アンナは初耳だった。昨年末といえば、戴冠式の準備に忙殺されていた頃だ。軍隊内の噂など聞き留める暇もなかった。

「あの男、身辺調査はしっかりしているのよね?」
「征竜騎士団の外国人部隊は、入隊に対してかなり厳しい審査をしています。その点は問題ないかと……」
「戦傷を隠すための仮面、か……」

 その時、鏡越しに見える場が沸きたった。仮面の男が女帝の頬に口付けをしたのだ。
 仮面から露出している唇が頬に触れた途端、偉大なる帝国の君主はみるみる間に顔を紅潮させていった。

「な……」
「失礼。今夜の素敵な思い出の記念にと、気が逸ってしまいました。ご無礼、ご容赦ください」

 初対面の高貴な女性に対して、かなり攻めたアプローチだ。しかし、所作も前後の態度も申し分ない。いかにも恋に慣れた帝国貴族のような振る舞いであり、外国の軍人によるものだとは思えないほどだ。

「まぁ……」
「これは……」

 これで、向こう1週間の貴族たちの茶会や宴会での話題は決まったな、とアンナは思った。
 "百合の帝国"の貴族社会は恋愛に寛容だ。普段であれば、不敬、不躾とされる行為も、恋愛によるものならば大目に見られる傾向がある。とはいえ、相手は女帝だ。衆人環視の中での接吻など、その場で死を賜ってもおかしくはない。だが、それに物おじもせずこの男は、女帝への恋慕を貫き、想いを形として示してみせた。
 貴族たちはきっとこれを、あっぱれと褒め称えるであろう。

「……どう思う、マルムゼ?」

 いつものように腹心に考えを尋ねるアンナ。しかし、マルムゼはいつもと違う反応を見せた。

「申し訳ありません、アンナ様。今回ばかりは、私もどう考えれば良いか……」
「そうよね……」

 まさか、女帝に対して好意を寄せる男が現れるなどとは思ってもいなかった。
 いや、よくよく考えればまったく不思議なことはないのだが、どういうわけかその発想が全くなかったのだ。

 現状、マリアン=ルーヌは誰かの配偶者というわけではない。正しくは、故アルディス3世の未亡人なのだが、即位と同時にその肩書きは無効となった感がある。本来なら生涯喪服に身を包んで過ごさなければならないところを、女帝となることで通常のドレスをきることになったのがその理由であろう。

 君主の重要な仕事のひとつが、世継ぎを産むことだ。実際、歴代皇帝の多くが皇妃に先立たれた後、別の女性と結婚しているし、寵姫を持つことを許されているのも、次代の皇帝候補を1人でも多く残すためだ。結果として、それが陰惨な陰謀の原因となったことも多々あるのだが……。

 そして、マリアン=ルーヌは女帝である。帝国の初の女性君主となるため、法的な整備は一切されていない。貴族の恋愛観や道徳感に基づけば、あの男の行動は好意的に見られるだろうが、そこに政治が絡むと事情は別だ

「実際に子供が産まれでもしたら、また厄介な事になるでしょうけどね……」
「少なくとも、名目上アルディス3世の息子であるドリーヴ大公を擁立しているクロイス派は黙ってないでしょう」
「それだけじゃない。女帝陛下と別の男性の子となるとリュディス1世と全く縁のない者同士の子となる……」

 仮に、あの仮面の男と女帝の子となれば、"白夜の国"の軍人と"鷲の帝国"の皇女の子だ。少なくとも、皇族の面々とクロイス派が結託でもししようものならば、女帝の立場もアンナの立場もまずい事になる。

「いずれにしても、です……」

 マルムゼが言う。

「もし許されるのであれば、陛下には幸せな恋愛をして頂きたいとは思います……」

 珍しい言葉だった。マルムゼが、女帝個人に対してなんらかの感情を抱き、それをアンナに話すのは初めてではないか?
 これまではただの君主として、あるいはアンナの復讐の鍵を握る人物としてしか、マリアン=ルーヌという女性を見ていないと思っていた。
 別に思いやりがないと言うわけではない。皇帝、あるいは皇妃という立場は、そういうものなのだ。

「それは、確かにそうね……」

 では自分はどうだろうか。と、アンナは自問する。マリアン=ルーヌは自分のことを臣下としてだけでなく、無二の友人としても扱ってくれている。その事に恩義を感じているのは確かだ。
 だからもし恋をするなら、幸せな恋になってほしい、とは思う。

「明日、陛下にお気持ちを伺う事にしましょう」

 皇妃の村里で朝食を共にする約束をしている。つい先ほどまでは、今夜の欠席を詫びる言葉を考えていたが、どうやら別の言葉を探す必要がありそうだ、とアンナは思った。