父に関する記憶の扉が開いたことに動揺しながらも、アンナは道案内を続けた。
 今、あれこれと考えても仕方がない。判断材料が少なすぎるのだ。それを解決するためにも、2人の錬金術師をあの部屋まで連れて行かなければ。

「こちらになります」

 ガス灯に照らされた通路の最奥まで来た。アンナは例の複雑な仕掛けを動かすと、鈍重な音と共に石壁が動きだす。隠し扉の奥に、ほのかに光る小さな小部屋が現れた。

「これは……?」
「もしや賢者の石……ですか?」

 淡い光に満たされた部屋に入った瞬間、2人の錬金術師はそれが何かを理解したようだ。

「見たまえ、シュルイーズ君。魔力測定器がご覧の有り様だ」

 バルフナーが持つ風見鶏型の測定器は一定の方向を差し示さず、狂乱したように激しく回転している。

「まるで嵐だ、魔力の嵐。以前、討竜公ゆかりの遺跡で同じような反応を観測したことがあるが、強さはその比じゃない……!」
「これだけの魔力量、長時間この部屋にいると人体にも影響が出そうですね」

 光に照らされている2人の顔には畏れと歓喜がないまぜになったような表情が浮かんでいる。自分たちの追い求め続けていたものの最終形がそこにあるのだ。無理もない。

「この研究を新工房の軸に据えたいと考えています。政治的な話をすれば、もちろん貴国との共同研究という形で」

 ゼフィリアス帝の代理人であるゼーゲンに言った。
 錬金術の最先端を共に研究し、その成果を分かち合う。アンナとゼフィリアスの個人的な友交を抜きにしても、"鷲の帝国"にとっては魅力的な申し出であるし、同盟の強化にもつながる。

「ありがたいお申し出です。停滞気味だった我が国の錬金術は一足跳びに飛躍できる。そうですよね、バルフナー博士?」
「研究者としては、絶対を請け負うことは致しかねますが……この石を前にして、そうなる努力を惜しむ錬金術師はおりますまい」

 いかにも学者らしい、持ってまわった表現だが、エリーナだった頃に工房に出入りしていたアンナは知っている。これは限りなくイエスに近い回答だ。

「しかし、この石は……運び出すことができるのでしょうか?」

 シュルイーズが言った。その言葉に、ゼーゲンが疑問を挟む。

「それはどういう意味だ、シュルイーズ博士?」
「先ほども言ったとおり、ここは職人街の地下ではなく、どこか別の街区のはずです。正確な座標は、計測結果をもとに計算する必要がありますが、いずれにしてもここでなければいけない理由がるのだと思います」
「理由、とは?」
「そうですね、たとえばこの位置でなければ、賢者の石を作ることができないとか?」
「石の生成に、場所が関係していると?」

 彼女たちのやりとりに、アンナも入る。

「それは、容易にこの石が他者に渡らないための隠蔽ではないのですか?」
「もちろんそれもあるでしょう。ですがこれほど強い魔力の塊を生成するのに、場所が無関係とも思えない」
「どういうことでしょう?」
「それについては私が説明しましょう」

 忙しなく回転し続ける風見鶏を持ったバルフナーが言った。

「もともと賢者の石とは、魔力を失った現代の人間が魔法を使うとなれば、強力なエネルギー源は必要と考えた100年前の錬金術師が提唱した物質です」
「エネルギー源というと……たとえば石炭のような?」
「はい。というより石炭はもともと、賢者の石の候補として研究されていた物質です。今日では、それを蒸気機関が発達しましたがが、これも広義には錬金術とされています」

 実際、"獅子の王国"の錬金術は、この石炭や蒸気機関の研究に特化しており実用化もされている。この分野で他国よりも一歩先をゆく"獅子の王国"は産業革命と言われる、社会変革の真っ最中だ。もし和平が実現していなければ、"百合の帝国"と"獅子の王国"の戦争は、蒸気機関研究で先手をゆく"獅子の王国"が勝利しただろうと、アンナは考えている。

「しかし狭義の錬金術、つまりかつての魔法を復活させる分野においては、石炭は『よく燃える石』以上の意味は持ちません。そのエネルギーの正体が魔力ではないからです」
「つまり、賢者の石は魔力を秘めた物質でないといけない?」
「その通りです。そしてそれを突き詰めた最近の研究では、賢者の石とは魔力そのものが物質化したものではないかと考えられています」
「物質化!?」

 アンナはこの部屋の中央に鎮座するガラス製のフラスコを見た。それは液体に満たされており、その中心に青白く光る小さな結晶体がある。

「じゃあ、これは何らかの形で実体化した魔力そのものだと?」
「あくまで仮説のひとつでしたが、この部屋を見る限り、恐らくそれは当たっているでしょう」

 バルフナーが指差す。その先には壁づたいに金属の管が通り、中央のフラスコへとつながっていた。

「この計測器が正常に動作していない理由は、賢者の石本体ではなく、この管のようです。この管には高濃度の魔力が流れており、フラスコへと送られています」
「この管が……?」
「さわらないで!!」

 アンナが金属管に手を伸ばそうとした時に、シュルイーズが叫んだ。突然の大声に、アンナは肩をこわばらせ、手を引っ込める。

「先ほども申し上げたとおり、人体に影響が出るほどの魔力です。直に触ったらどんなことが起きるか想像もつきません」
「それほどに……?」
「ええ、そしてどうしてそれほどの魔力がこの帝都にあるかが問題なのです」
「あ……」

 この部屋にたどり着くまでの、二人による錬金術講義を思い出す。魔力は自然界に偏在しているものだという。けど、これほど強い魔力がもし自然な状態で存在していたら、錬金術はもっと早くに賢者の石まで行き着いており、魔法の復活もなっていただろう。そうなっていないということは、この部屋に流れ込んでいる魔力が異常な量であるということだ。

「もしや……リュディス5世?」
「そう考えるのが、最も自然です」

 黄金帝は帝位を奪い、真の皇帝を幽閉した後も、その魔力を恐れた。そして宮廷をヴィスタネージュへと移した。
 その、黄金帝が恐れた魔力こそが、賢者の石の原料ということか。

「帝都のどこかに、真のリュディス5世が残した強い魔力がある、それを結晶化させて、賢者の石を作り出すのがサン・ジェルマン伯爵の目的……」

 となれば、この部屋以外では石の生成ができない可能性は確かに大きい。シュルイーズが口にした疑問の意味がようやく理解できた。

「今日のところは一旦戻りましょう。いずれにせよ、この部屋は継続して調査する必要があります。今日1日で解決する問題ではありません」
「そう……ですね……」

 アンナは、青白い光で満たされた部屋を見渡した。石が生成されているフラスコ、そして魔力を伝える金属管……。

(この装置を作ったのは誰なの……?)

 偽帝マルムゼ=アルディスは、殺される前アンナに迫り、襲おうとした。その過程であの男は、エリーナの父タフトを幽閉していると言った。彼が賢者の石の隠し場所の仕掛けを作ったからだ。
 確かに父の仕事は工房に信頼されており、さまざまな機材を製作していた。この装置や、ここに来るまでの魔力的な隠蔽についても、タフトの手によるものである可能性は高い。
 しかし、果たしてそれは誰かから依頼を受けたやった仕事なのか?
 タフト自身がこの装置を着想し、自らの手で作り出した可能性はないか?

 そして、先ほど不意に開かれた記憶の扉。この通路を案内するサン・ジェルマン伯爵。そのときの彼の姿を思い出そうとすると、必ず父の顔が思い浮かぶ。

(ここまでの道のりを案内したのは父さんだ)

(それに、この装置を作ったのも……きっと父さんだ)

 そして……。

(私の父は、サン・ジェルマン伯爵だ)

 そんな確信が、今やアンナの心の中にしっかりと根付いていた。