そんな日も当然のように塾がある。
今日の、”後ろの席の不思議な子“は、僕のテキストに落書きをしてきた。いつもと違う行動だった。
誰かに落書きをされるのはよくあることで、いつもは笑って過ごすのだが、その子からの落書きは初めてだったし、謎に危機感を感じたのでつい、
「何かいてんの」
と少し威圧的に話しかけてしまった。怒っているわけではないが不審だったのだ。
いつもその子は隣の席の子と話していて、こちらの話には微笑む程度。つまりあまり接点がなかった。挨拶以外で初めてちゃんと会話をする機会だった。
「ん?英語の歌詞だよ」
そう言って見せられた英語は筆記体だったから僕に読解できず、
「どういう意味?」
と聞いたものの、その子は笑うだけ。

「今作詞してみたんだ」
「人のテキストに作詞って変わってるなぁ」
「それ言ったら柳優ちゃんも変わってるよ」
「やっぱ一人称僕だから?」
「違う違う、それは特に何も思ってないの。面接とか然るべき場では適切な一人称使えるでしょ?柳優ちゃん賢いし。なら普段の一人称は自由だと思うな。」
「…じゃあどこが変わってる?」
「秘密。」

って。ちょっと会話できたけど、不思議な子で、いつもの僕のお得意の”親しみやすいキャラ”で接して聞き出そうとしてもなお、変わっているところは教えてくれなかった。「秘密」と言ったその子の笑みは謎に妖艶さがあった。
何を見抜かれているのかわからないが恐怖だけが募る。その恐怖が興味になってその子に近づいてしまう前に、完全に見抜かれる前に、僕は逃げる必要がある。のにも関わらず、既に僕は、家に帰ったらその子の筆記体を読み解こう、と決めていた。

インターネットの筆記体一覧と照らし合わせながら一文字ずつ読んでいく。それでも癖があって読めないところもある。その日は課題とかを終わらせてからずっと取り組み、なんと深夜1時まで起きて読解し、2時くらいまで何度も読み返した。数行のその歌詞と呼ばれる文章を。

”Don't be afraid. You are not alone. You probably don't believe me, but I understand you a little bit. You say you have no best friends. It may be correct. But you have someone you can relate to. I just haven't noticed it yet. believe in yourself.“
⦅恐れないで。あなたは独りじゃないの。あなたはおそらく私を信じないけど、私はあなたのことを少しだけ理解しているの。あなたは親友がいないと言う、それは正しいかもしれない。だけどあなたには共感者がいるの。まだ気づいていないだけ、自分を信じて⦆

筆記体でわからなかっただけで文構造は単純でわかりやすい単語でありきたりな言葉だった。
ありきたりな歌詞を書いただけ。
そう言われればそうなのだが、言葉にせずに落書きという形で、そして筆記体という人によっては見づらい形で書いたのは、意味があるのではないか。もしかしたら、やはり全部あの子に見透かされているのではないか。
いろいろと考えてしまい目を瞑っても眠れずに、急な恐怖が襲ってくる。誰にも気づかれないと思っていたのに。何が目的か。思い返すと今まで接点がない頃も何かサインのようなものが、牽制のようなものがあったのではないか。あの時のあの行動は…など、そんな問答を続け、外が少し明るくなった頃、僕はやっと眠りについた。基本的に早寝を心がけている僕にとってこの睡眠時間は厳しく、そして精神的にも恐怖でいっぱいできつかった。
そのためその日は学校と塾を休むことにした。幸い、僕は日々あまり他人に対して反抗せずに穏やかに過ごし、一人称以外はそこまでのずれを見せていないため、親は僕の休みたいというわがままを承諾してくれた。僕から休みたいと言うならそれほどなのだろう、と。しかし、あぁ、なるほど、親を無意識に「他人」に含んでしまっている時点でそういうことなのだろう。やはり僕は思春期で反抗期のようだ。

僕は日中自室に篭った。両親は共働きだから1人。ただボーッとスマホを見て過ごす。1時間が長かったり短かったり。朝と昼は部屋にあった栄養調整食品を食べる。特に何をするということもなくSNSで流れてくる動画を見たり、検索したり。
いつもの休日は家族と過ごしたり勉強したり、平日は常に人と居るからこんなにだらけたのはいつぶりだろうか。
ちょっと自虐的になったり、その後は承認欲求が謎に昂ったり。確証のないうつ病診断とかやっちゃって。「うつ病90%」みたいな数値が出るものの、こんなの当てにならないんだろう。しかも僕は、この診断のアンケートすら本心で答えていないのかもしれないんだから。こんなの見なきゃよかった。自分が逃げる言い訳になるだけだ。どう頑張っても明日は来るし時間は去る。なんか、1日休むと余計明日から外に出たくなくなるな。塾のあの子のせいにして休んでるけど、本当はただ僕が弱くて逃げてるだけなんだ。そう自分を責めながら少し眠る。
夕方、友達から連絡が来た。心配してくれているらしい。そして続けて今日の授業内容が続けて送られる。「大丈夫だよ、ありがとう!明日は登校するね」とか打ちつつも、不意に流れてきそうな涙と辛気臭く周りにつきまとう空気を振り払い上を向く。目を瞑って深呼吸して、涙が流れないようにする。感傷的にならないようにする。あぁ、これが友達か。久しぶりの感覚に感動したのと同時に、いつも相手から送ってくれる連絡であるのにも関わらず、昨日の今日だからか友達との会話がとても大切なものに感じられた。
自分が何に悩んでいるのかわからない。同性愛者ってことだけなら、今まで付き合ってきたのに、どうしてこんなに辛くなるんだろう。何度も思春期だから、と、仕方ない、と、自分の下向きな考えを押しつぶす。けれども厄介で、1人でいると寂しさが押し寄せる。もう嫌だ。
あと3時間ほどで両親が帰ってくるので、その時までには笑顔を作ろう。めんどくさいなんて思ってはいけない。なんだろうこの虚無感は。

翌日、僕は朝起きることが憂鬱だった。久しい感情。頭痛と心拍数の速まりがきつく、それでも僕は自分を奮い立たせる。昨日一日休んでしまったから体が怠けている。だから今日行かないと明日から行けなくなってしまう。そう叱責し僕は勢いをつけて立ち上がる。
そして普通に登校した。学校で唯一の友達は一日中体調を心配してくれた。2日前のことを思い起こさせないような純粋な笑顔だった。なぜか僕は授業中にふと虚無感に襲われ、怖くなり、呼吸が少し荒くなる。一日休んだ弊害がこんなんなら、休まなければよかった。どうして甘えてしまったんだろう。そう思い、ふと授業中に涙がまた出そうになるが、人がいつ見てくるかわからない状況で泣くことはできず、休み時間はまたいつもの僕で笑った。
帰り道も特に何もなく家に帰る。ただ何もないはずなのに友達といるというだけで少し心が弾み、少しだけ先ほどの涙なく泣いた僕の心が晴れるような気がした。