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 何事もなく十日が過ぎ。
 伽夜は高遠家の嫁として迎えられた。

 親族だけの祝言。と言っても高遠家からは、京都から一族の者がふたり出席したのみで、玉森家もそれに合わせて伽夜の叔父夫婦のみが出席しただけのこじんまりとした式である。
 涼月が伽夜に用意した白無垢は、高遠家に代々伝わる由緒ある着物らしく、裾に錦糸銀糸で不思議な柄が施されている美しい着物だった。

 緊張の三三九度が終わっても、無言のまま食事をするという気詰まりな時間が続いたが、伽夜以外の出席者はなんとも思っていないのか、黙々と食事をしている。
 式を執り行った部屋は、普段、食後にくつろぐ居間よりも西にあり、ひとりずつ膳が用意されてゆったりと座っているが、部屋の三分の一にも満たないという広い和室だ。

 障子は開け放たれていて、縁側の先の庭から風にそよぐ枝の音が聞こえてきた。
 鹿威しがカーンと響く。
 今日は天気がいい。明るい外に目を向ければ、コデマリの白い花とヤマブキの黄色い花が風に揺れる様が見えて、思わず頬が緩む。
 日を追う毎に、伽夜はますますこの庭が好きになっていく。
 朝露に濡れた様子は清々しく、昼は光を浴びて水面が煌めき、迫り出した桜の花びらが落ちて回る池。夜は夜で、石灯籠に火が入る夜とまったく別の顔を見せてくれる。
 夏になれば蛍が舞うという。
 どこか非現実を思わせる庭と、自分の置かれている今の状況は、似ているような気がする。
 こうして白無垢を着ていても、結婚するという実感はなく、今日という日も水面に浮かぶ陽炎のようだと思う。

 そっと隣にいる涼月を見た。
 彼は御膳に盃を手にしている。
 肩幅が広いので紋付袴がよく似合っているが、相変わらず目もとに仮面をつけている。
 仮面のせいで表情がわかりにくく、誤解されるのかもしれない。
 実はとても優しい人なのに。
 涼月じゃなければ、初日に追い出されていたと思う。
 萌子のように美しくもなく、不気味な痣に持参金なし。断られる理由ならいろいろ挙げられるのに、好かれる理由が思い浮かばなかったが、彼はダンスに価値を見いだしてくれたのだ。
(あん)のおかげね……)

 女学校の休み時間。リズムを口ずさみながら、親友の杏に教えてもらってふたりでよく踊った。
『杏、ダンスって楽しいのね』
『でしょう? 心がウキウキするの。私も大好きよ。伽夜も素敵なドレスを着て鹿鳴館で踊るときがくるわ』
 杏はそう言ったが、舞踏会なんて遠い夢の世界だと思っていた。
『西洋のお姫様みたいに?』
『そうよ。王子様と出会うの』
 夢のまた夢だ。そんな未来はこないとあきらめていたが、ただ踊るだけでよかった。クスクス笑い合って、踊っているときだけは夢をみられた。
 杏は小学校からの大事な親友である。
 卒業の少し前に『このハンドクリームとってもいいの。気に入っているのよ。たくさんもらったから伽夜にもあげるわ』と、クリームをたくさんくれた。
 そのクリームが手荒れに聞く高価な軟膏だと知ったのは新聞の広告を見たからだ。
 多分、彼女は伽夜を取り巻く環境の変化に気づいていたに違いない。
 新しい着物を着なくなり、お直しした継ぎはぎの着物になると、杏は裁縫が上手だと褒めてくれた。ブーツが切れていても、気づかぬふりをしてくれたのは彼女の優しさだ。
 女学校で杏と過ごす時間がなかったら、とっくに心が折れていたと思う。
 夢を見ることすらあきらめた一生を送っていたに違いない。
(明日ゆっくりと時間をかけて、杏に手紙を書こう)
 たくさんのお礼を込めて、今度、舞踏会で会いましょうと。
 自分にも王子様が現れたと言ったら、杏はとても喜んでくれるだろう。
 飛び跳ねるようにして喜ぶ彼女の姿を想像し、思わず顔が綻んだ。
(私の王子様は、とても優しい方よ)

 伽夜は、涼月とのダンスを思い起こした。
 緊張もあって上手には踊れなかった。脚がもつれて転びそうになったりして。てっきりがっかりされたと思ったのに、彼は微笑んで『上出来だ』と言ってくれたのだ。
『着物なのに無理をさせてしまったね』と優しい言葉もかけてくれた。
 噂ではとても冷酷な人だと聞いていたし、第一印象もそのように見えたが、話をしてみると違った。むしろ逆の印象である。

 つらつらと思ううち、会食に時間は過ぎ、形ばかりの挨拶をしてお開きになった。