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 その夜、結局涼月は夕食の時間に帰らなかった。

 いったん帰ってから出直すつもりでいたが、気づけば執務室で日暮れを迎えていて、空を見上げれば雲が月を隠している。

 あと一年あると、自分に言い聞かせた。
 黒木が言うように伽夜が出ていこうと思っていたとしても、今日明日ではないだろう。鬼は待ってくれないが、伽夜とはまたゆっくり夜を過ごせばいいと割り切った。

 鬼束伯爵の屋敷も気になる。少し離れた場所で車を待たせ、黒いマントを羽織った涼月は夜の街を進んだ。
 ガス燈が照らす大通りは人が行き交っている。
 だが路地に入っていくと住宅から漏れる光だけになり、だんだんとその光もまばらになる。
 鬼を取り逃した場所でいったん立ち止まり、気配を伺った。
 なにも残っていないのを確認し先に進む。

 やがて高い門が見えてきた。
 鬼束伯爵家だ。
 遠い昔、鬼束一族は鬼と通じ合えるという異能を持っていた。
 現伯爵は完全に否定しているが、鬼を討伐する陰陽師一族である高遠家には、千年の記録が蔵に眠っている。
 記録にはしっかりと残っていた。今から九百年ほど前の記述だ。

【鬼を囲い人心を惑わす】
 鬼束家は公家であった。一度は官位を 褫奪(ちだつ) され、帝都から離れた。
 その後、戦時における功績により再び表に戻っている。鬼神の働きであったというが、高遠の記録によれば鬼を使役したのではないかという疑いがある。
 現伯爵は、涼月の三歳年下だ。
 癖のある赤毛が際立つ美しい男である。
 涼月が異能を使うことも、ましてや異能の種類も使い方も知っている者はいない。鬼束も知らないはずだ。
 だが、何度か鬼束の内面を覗こうと試みたが、彼は涼月と視線が合うと必ず逸らす。
 まるでわかっているかのように、会話を交わしているときも、鼻や口元などに視線をずらすのだ。
 薄く微笑む彼の横顔を思い浮かべ、涼月は屋敷をじっと見た。