自宅に引きこもって、一週間は経っただろうか?
あれ以来、仕事を一切していない。にぎわいの森からの締め出しについて組合長に電話で報告したあと、ケータイの電源をオフにして、外界とは遮断している。
もともと、ボクは引きこもりだったのだ。元に戻っただけ。やっぱりボクは社会不適合者だっただけだ。
突然、玄関のチャイムが鳴った。
誰だろう? 組合の誰かか、ご近所さんだろう。出たくないから、居留守をする。
しかし、相手は何度もチャイムを鳴らし続け、諦めようとしない。ひょっとして母か? ケータイで連絡がつかないから心配して乗り込んできたか? そうだとしても、出たくない。布団に潜り込み、ボクは抵抗する。
「こんにちはー!」
大きな声が聞こえる。女の人だ。誰だ?
「お願いします。少しでいいので話をさせてください!」
またチャイムを鳴らす。しつこい女だ。帰ってくれ、と言うしかない。苛立っていたボクは、勢いよく玄関のドアを開けた。
「あのね! そっとして……」
「すいません、お休み中に」
深々と頭を下げる女、いや、女性は、ツキカさんだった。
「どうしたんですか? それに、どうしてボクの家をご存じなんですか?」
このみすぼらしい家をツキカさんに知られるのは正直、恥ずかしい。そして、このありえないシチュエーションもまったく理解できない。夢を見ているようだ。
「斉藤組合長に高橋さんの家を聞きました。あの……」
ツキカさんは、内容を発する前に深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。高橋さんはちゃんとルールを守ってやっていたのに、市の都合であんなことを……」
謝罪にきたのか? ツキカさんが頭を下げる姿を見るのは辛い。
「もう、いいんですよ。おそらく、もう決定したことは変わらないですよね?」
「はい、すいません」
ツキカさんは涙ぐんでいる。
「それより、ここでボクに謝っていたら市役所内でツキカさんの立場が悪くなります。ここに来てくださったその気持ちだけで十分です。もう……」
「嫌なんです」
「え?」
「真面目にしている人が報われない、市のやり方が嫌なんです」
こんな気の強い女性(ひと)だったのか、ツキカさんは。
「ありがたい言葉ですが、ツキカさんもその市の人だから、組織には逆らえないですよね?」
「いえ、逆らいます」
「そんなことしたら、ツキカさんに処分が……」
ツキカさんが、少し笑みを浮かべた。やっぱりこの女性(ひと)は可愛い。見とれてしまう。
「上司に文句を言ったり、歯向かったりはしません。それより、これまでと違う新しいやり方で高橋さんが成果を出して、にぎわいの森から締め出したことを後悔させませんか?」
行動力があって驚きだ。ツキカさんは、ボクが想像していたよりも逞しいのだろうか?
「新しいやり方?」
「まず起業し、法人格をとって、大企業にバックアップしてもらえる募集型スタートアップ事業に応募するんです」
「でも、最初に事業を立ち上げる資金すらボクにはないです」
「採用されたら、そのスタートの資金やノウハウまでバックアップしてもらえますから、大丈夫。アクセラレータという発想のものです」
「アクセラ?」
「大企業が小さい起業家と組んで、大企業の持っている資産や人材と起業家の斬新なアイデアで、新しいコンテンツを素早く事業化していくことです」
「ということはボクは農家だから、例えば、大手流通会社とか大手スーパーなど相性の良さそうなところと組むのですか?」
「いえ、それじゃ面白くないです」
「面白くない、ですか?」
「はい」
すると、ツキカさんは書類を手渡してくれた。「アクセラレータ企画募集」と書いてあるから、募集要項のようだ。
が、その書類に掲載されているロゴマークを見て、驚きを隠せない。ボクの大好きなナガサキ・コーポレーションだ。
「この企業ですか」
「はい、ご存じですよね? 失礼かもしれませんが、組合長にお聞きしたら、高橋さんはアニメオタクだと」
顔から火が出そうになる。斉藤組合長は余計なことまでツキカさんに話している。
「有名なゲームとアニメの会社、ナガサキに応募するんですか?」
「はい、高橋さんだけの得意分野を活かしてみませんか?」
「しかし、これじゃ農業とはかけ離れています」
「先日、市民活動センターのスマイルフェスタで、立田農家組合は野菜で作ったジオラマを展示していましたね? キャベツとかニンジン、トマトでミニチュアの街を作っていたやつです。あれ、高橋さんが作ったものじゃないです?」
ボクのことをよく知っていてくれて、少し嬉しい。勘違いしてしまわないように、自分にブレーキをかけた。
「そうですけど、あれは遊び感覚ですよ」
「いいんですよ。あの発想で地元の野菜を使ったジオラマキットを高橋さんが製品化し、そのキットを玩具売場ではなく、生鮮食料品として売る企画って面白くないですか?」
何て、斬新なアイデアだ。ツキカさんにはこんな提案力があったのか。
「しかも、ナガサキのキャラクターのフィギュアとセットにして組み立てたら、インスタ映えもして話題になります」
「そんなので、採用されますかね?」
「倍率は高いし、もちろん簡単ではないですが、チャレンジしてください。私も応援します」
「ツキカさんが?」
ツキカさんが応援してくれるなら、もう、やらない訳にはいかない。
それからボクの戦いは始まった。
日中はビニールハウスや直売所を往復して、商品を陳列・回収し、夜、応募の企画書づくりと、企画書に添付するジオラマの設計・画像撮影に取りかかった。
実際に地元の野菜で採算の取れるジオラマを作るのは難しい。
案を書いては、ツキカさんにメールを送って見てもらう。ツキカさんからの返信では、的確な修正提案を示してくれた。そして週に一度は二人で会い、近くの喫茶店で書類の打ち合わせも行った。
まるで夢のような日々だ。なかなか上手くいかなくて苦しくはあるが、ボクはツキカさんと一緒に夢を見られるから楽しくて仕方がない。
時折、「ひょっとしてツキカさんは、ボクのこと……?」などと馬鹿げた妄想をして、「そんなことある訳ない」と否定して過ごす。
もう、夢中だ。
本業のほうは、にぎわいの森の販路を失って一時売上が大きく落ちたが、ツキカさんに励まされて積極的に営業をかけ、新規で2件のスーパーが取り扱ってくれることになった。まだ苦しい状況は変わりないが、それでも希望が沸いてきた。
そして、2か月かけてやっとジオラマの設計・画像撮影と企画書が出来上がった。
ジオラマのテーマは南国だ。ナガサキの人気アニメの有名なワンシーンをそのまま再現した。
スポンジケーキの下地を砂に見立て、切ったゴボウとピーマンでヤシの木にし、細切りのニンジンとダイコンでキャンプファイアーに、端にブルーベリージャムを塗って海に、ボクのミニトマトを夕日に、小さく切ったカボチャを月に、それぞれ使っていく。
ここにキャラクターのフィギュアを載せると、アニメさながらのシーンをケータイで撮影し、インスタでアップすることができる。
しかも、ボクが一番大事にしたのは、撮影した後に、全部おいしく食べられるということ。農家の端くれとして、どうか食べ物は大切にしてほしい。
「もしもし、お母さんだけど」
ふいにかかってくる母からの連絡にも、動揺しなくなっていた。自信がついてきたこらだろうか。
「何?」
「婚活は?」
「今、急がしいけど、でもね、2か月後にある行政主催のパーティーには行くよ」
「ホント?」
「だからちょっとだけ、待ってほしい。どうしても戦わなきゃいけないことがあって」
「戦うって誰と?」
母は、急に心配そうな声色に変わった。
「市役所」
「お役所には逆らっちゃダメよ」
「分かってる。大人の流儀で正々堂々とケンカするだけ」
「は?」
「とにかく大丈夫だから。市役所とケンカして勝った後、市役所の婚活に行って仲直りするよ。あ、負けても仲直りするかな」
「とにかく体だけは、大事にしなさいよ」
「はい」
ナガサキのアクセラレータ応募締め切りの3日前、ツキカさんといつもの喫茶店で待ち合わせて、企画書の最終チェックをすることになった。
「遅くなってごめんなさい」
5分ほど遅刻して、ツキカさんがやって来る。初めて見る青いワンピース姿が美しすぎて、ボクは直視できない。
「待った?」
「いや、全然」
まるで、恋人のような会話に照れてしまう。
「高橋さん、何か変わったね。見違えるように、表情も明るい。またマスコミに取材されていたでしょ」
「うん。応募する前から、ジオラマがネットで話題になってね。現時点でかなりの売り上げになった。ホントは応募するまで秘密の方がよかったかな?」
「いや、先に作った実績のあった方が、ナガサキは信用すると思うの」
「じゃあ、よかった」
「あの高橋さんのジオラマ、すごいし、仮にナガサキに採用されなくても、もう自分で販売したら売れるんじゃない? 問い合わせも多いでしょ?」
「うん。全部、ツキカさんのおかげだよ」
ツキカさんといると、いつも笑顔になれる自分がいる。雑談ばかりした後、企画書の最終のチェックはわずか数分で終わった。
ふと、ツキカさんが悲しげな表情になる。
「あとは高橋さんが応募するだけ。私と高橋さん、もう立場が逆転してるね」
「してないよ。ボクは今もツキカさんの期待に応えようと必死だよ」
「違う。気がついたら追い抜かれてたの。市役所も、今さら高橋さんを認めていて、コラボしたがってるよ」
「え?」
「高橋さんを見限った、あの一橋って課長補佐が、市長に言われて何とかあなたに接近しようとしてる」
思わず笑ってしまった。
「近づいて来たら『バカ野郎!』って言ってやってくださいね」
「もう、いいよ。気にもしてない」
「あんな酷いことしたのに?」
「むしろ、感謝してる。あの経験がなかったら今のボクはないから。それよりも今は、この戦いに集中したい」
「そうだね。まずは一次審査を通過できたらいいね」
「うん。例えダメだったとしても、また違うことで頑張って市役所の人に認めてもらうようにするよ」
企画書と添付書類をメールで送付したら、わずか2週間ほどでナガサキの企画部の社員から連絡が入った。
「一次を通過しましたので、次は最終面接になります。追って案内と、面接シートをお送りしますのでお待ちください」
いとも、あっけない結果通知だった。
ボクとしては憧れのナガサキの社員だから、もう少し話したかったのだが。
ただ、この電話を受けた時くらいから自分が変わっているのを実感し出した。
例えばかつてなら、このシチュエーションだとナガサキの社員を崇め奉って、嬉しさのあまり質問ばかりをしたと思う。しかし今は、相手も社員としてこの取りまとめをするのは大変だろうな、と察して余計なことは言わないでおいた。皆、必死なのだ。
ツキカさんに対しても、同じだ。
この知らせは、誰よりも早くツキカさんに伝え、予想通り心の底から一緒に喜んでくれた。しかし、ボクは一つ勝つことで、少しツキカさんが遠くなったような淋しい気持ちが芽生え始めた。
以前は、自分よりも経済力があり、美人で、社会的な地位も何もかもある遠い存在だったのに、少しずつだが、そんな幻想の霧が晴れて、ただ、年下の若い女性に映る時がある。
少しでも何かに勝つと、価値観が変わるものなのだろうか?
ツキカさんと一緒にいたいなら負けた方がいいのではないか、と安直な考えが浮かび、そんな自分が腹立たしくなった。
わずかその2日後に、最終面接の案内状と面接シートが届いた。面接シートは事前提出だ。また難解な書類を作らなければならない。
案内状によると、ナガサキのアクセラレータは全国から百件ほどの応募があり、最終面接に残ったのは5件。このうち一つが最優秀賞として、ナガサキと共同事業化していく。まだ、採用までは厳しい状況にあるのがよく分かった。
商品のセールスポイント、自分の強み・弱味などは書けるが、一つ困った項目があった。
ジオラマの野菜供給について、行政との提携の有無と、有るのなら行政との協定書の写しを出してほしい、というものだ。
「そんなのダメ」
急にいつもの喫茶店に来てもらったツキカさんは開口一番、言い放つ。
「どうして、高橋さんの方から頭を下げて、あの一橋に提携のお願いをする必要があるの?」
「勝つためには、何でもやっておきたい」
「一橋から、頭を下げて高橋さんにお願いすべきよ。あれだけのことをされたんだよ」
「頭を下げるのは、別にどっちからでもよくないか」
「そんなことして勝っても、高橋さんは悔しくないの?」
ついにツキカさんが泣き出した。
今まではツキカさんの意見をすべて聞いてきたが、今回は初めてボクが逆らおうとしてる。でも、もう迷いはない。
「ツキカさん。もう、自分のプライドなんてどうでもいいよ。頭を下げる人は、プライドを守れない人じゃない。きっとほかに守りたい大きなものがある人だと思う」
「高橋さんの大きなものって何?」
「立田農家組合だけじゃなくて、この街のすべての農家組合と、農業をする人たち、かな。今回の企画は、立田農家組合だけじゃなくて、市内農家を総動員しないと供給が足りなくて全国展開できないよ」
「だから?」
「そう、市内全部となると、市役所の力がいる。一橋さんだけじゃなく、ツキカさんもみんなだ。だから、会わせてほしい、一橋さんに。上司に会う段取りをしてもらえないかな?」
「分かった」
渋々了承したツキカさんは、翌日、市役所を訪問するよう段取りしてくれた。
産業振興課は、市役所の2階にある。ツキカさんに入口から案内してもらって会議スペースのような部屋で待っていると、一橋さんがやって来て、3人で話すことになった。
話している最中、一橋さんは熱心に聞いてくれるし、謙虚で驚いた。にぎわいの森から締め出そうとした時とは別人のようだ。
ツキカさんから事前に聞いている話では、ボクの企画が注目されていて、一橋さんは態度を急に変えたそうだが、何か違う気がする。
元々本当に、嫌な人だろうか。
「それは、いいご提案をしてくださいますね。喜んで協力させていただきます」
ジオラマの野菜を今後、市内全域の農家から野菜を仕入れるにあたって、市が仲介してほしい、とお願いしたところ、一橋さんは快諾してくれた。
その横で、ツキカさんは一橋さんに不快感を露にしている。
「いくら何でも、都合よすぎませんか? あれだけ高橋さんに失礼なことをしておいて、お詫びくらい最初にしてもいいんじゃないてですか?」
ついに感情的になって、一橋さんを攻撃した。一橋さんは、苦悩している。
「いや、確かにツキカちゃんの言うとおりですね。高橋さん、にぎわいの森であんな強引な立ち退きのお願いをしてすいませんでした」
「いえ、もういいです」
「高橋さん、よくないですよ」
すると、今度は一橋さんが怒り出した。
「ツキカちゃん、何も知らない高橋さんを利用するのは止めたらどうだ」
「一橋さんは市長の言いなりじゃない」
「ごめんね、ツキカちゃん。調べたよ。高橋さんが所属する立田農家組合の組合長の斉藤さんは、君の叔父さんだね?」
それを聞いて一番驚いたのは、ボクだった。ツキカさんは俯く。だから、ボクの情報を斉藤さんから細かく聞いていたのか。
「5年前まで他県にいて、しかもひっそりと大きな農家の後取りとして養子になってたから、ツキカちゃんと名字も違う」
「それが何ですか?」
「つまり、前の市長の弟だ」
どういうことだ? 斉藤さんがツキカさんの叔父で、その兄が市長ということは……。
「え、ツキカさんのお父さんって!」
「そうです。ツキカちゃんは前の市長の一人娘です」
一橋さんは頷いて、ボクに説明してくれる。
「どうか、お気を悪くしないでください。あのにぎわいの森から高橋さんに立ち退きをお願いしたのは、譲れない理由がありました」
「理由、ですか?」
「今、高橋さんの借家と畑は、所有者と直接賃貸借契約をしていますよね?」
「はい。契約書もあります。でも会ったことはないんですよね。斉藤さんが全部手続きをやってくださって」
「失礼ですが、家賃は安くしてくれていませんか?」
「はい、きっも大家さんが優しい方なのです」
「その大家は、前の市長、つまり、ツキカちゃんのお父さんです。ところが、弟である斉藤組合長から市に提出している書類には、高橋さんの借家と畑はそもそも所有者から依頼されて組合が放棄地の管理しているものになっていて、その管理費を組合は補助金としてもらっているんです」
「そんな」
「だから、にぎわいの森から立田農家組合は立ち退きしていただき、なおかつ組合の補助金も支払わないことにしました」
「今の市長はおかしい! 農家の補助金をことごとくカットして、これでは農業は育たないです」
ツキカさんは、怒り出した。
「だから、高橋さんの才能に目をつけ、行政に頼らずに立田農家組合だけを潤うようにしたかったんだよね。でも高橋さんは立田だけではなく、市全体の農業を優先させ、ツキカちゃんの思惑が外れた」
ツキカさんが苦虫を噛み潰した表情になっている。
「少しくらいごまかしてでも、農家は補助金が必要です」
「それは違うよ」
一橋さんが諭すように話しかける。
「今まで、君のお父さんはたくさんの補助金を強引に農家に出した。補助金はね、一度もらうと、もらうことが当たり前だと勘違いして、努力をしなくなる場合がある。本当に自立した強い農業に生まれ変わるには、この高橋さんのように行政の補助金に頼らず、企画力で勝負してほしい」
「この世の中、みんな高橋さんみたいに、強くない」
ツキカさんは泣き崩れた。
「この提案をいただいて、高橋さんが誠実な方だということがよくわかりました。協定書は急いで準備します」
ボクは深々と頭を下げ、その場を去った。
あまりにも無知だった。
ツキカさんが心配だ。以前のような恋心からくる心配ではなく、年上の者として、若い女性を心配する心情に変わっていた。
「あなたの社会的な信用度は、どのくらいあると考えますか? その根拠を具体的に教えてください」
「あなたの企画商品をナガサキと共同で販売して、もし半年後に売れゆきが悪かったら、どのような巻き返し策を取りますか?」
「あなたと組むことで、ナガサキにどんなメリットがあると思いますか?」
「あなたは、今、借金がありますか?」
厳しい質問が矢継ぎ早に飛んでくる。
東京のナガサキ・コーポレーション本社で行われたアクセラレータ最終面接は、精神力ぎりぎりまで追い詰められる。知らない人と組むのだから、ナガサキ側も確証を得ようと必死だ。
想定はしていたものなので、何とか一つ一つ丁寧に答えられた。
「いなべ市役所は市内全域の農業振興のために高橋さんの企画を公認し、人的支援をしていきます」
同行してくれたツキカさんが時折、援護してくれると面接官は黙りこんだ。ありがたい。行政の信用力の強さを実感した。
「ジオラマ販売がある程度やり尽くしたら、次に打ち出す企画やプランはありますか?」
言葉が詰まった。これは想定外だ。しかし、考えていないとは決して言えない。動揺しながら言葉を探す。
「高橋さん、あれは? でもここで言うのは早いですかね」
ツキカさんが時間を繋ごうとしてくれている。
「もう、隠す必要もないですね」
「もったいぶらないで、教えてください」
ついに面接官に催促される。
「あの、……野菜を使った婚活事業です」
面接官が、吹き出した。
これまで緊張感で包まれていた面接の雰囲気が急に緩み、笑い声が響く。
親から言われて気にしている婚活がボクの頭から離れていなかったようだ。よくこんなテキトーなことを言えたものだ。横でツキカさんも笑っている。
「野菜で、一体どんな婚活ができるんですか?」
面接官は笑いながら、興味は持っている。嘘でもいいから、何か言わなければならない。
「野菜で、……」
「野菜で?」
「その」
「まあ、苦しければ無理に言わなくてもいいですよ。こっちも急に意地悪なことを聞いてしまいました」
緊張がほぐれた面接官は、優しい口調で言う。
「いえ、野菜のフードロスをなくすためにロスになりそうな食材を食べきる婚活パーティーです」
言ってはみたものの、不安になる。
「それは面白いですね」
面接官が、興味を持ってしまった。
「国連で採択されたSDGsの推進事業と位置づけることもできるので、うまくいけば行政とも一緒にできるかな、と」
「そうですね。いなべ市でもSDGsには積極的に取り組もうとしています」
ツキカさんかフォローする。
「この事業に、ナガサキ・コーポレーションは、どのように関われますか?」
そう、それを追及されると困るのだ。やっぱり、その場凌ぎの思いつきでは、ごまかせないか? もう、面接官に正直に謝ろうか。
「御社のキャラクターでこのパーティーに参加した人しか見てもらえない、動画をつくります。SDGsを啓発する内容のものだとベストです、それなら、付加価値が加わるので、高い料金設定のパーティーが実現できます」
ツキカさんが、思いがけないアイデアを出してくれた。面接官は何度も頷き、目を閉じてイメージしている。
「なるほどねえ」
緊張の連続だった面接は30分程で終わった。
あとは、運を天に任せるしかない。
もうやりきったから、どうなってもいいと思えた。ダメだったら、自力で小さくてもいいので事業化しようと考えている。
「もう、ヘトヘト」
帰りの新幹線で、隣に座っているツキカさんは、ビールを飲みながら吐き出すように言った。
新幹線で缶ビールを飲むイメージがなかったので、意外というか、女の人は奥が深いというか、最初は戸惑った。でも、そんな飾らないところも含めて魅力的だ。いや、この缶ビールを片手にしたツキカさんの方が人臭くていい。
「何度も、もうダメか、と諦めそうになりましたけど、ツキカさんのおかげで乗り越えられたよ。ありがとうございました」
「よく、言うよ~。全部高橋さんがやりまくってたじゃない」
うん、少し酔っている。
「もう、面倒な女とはこれで最後だ。ラッキーって思ってるでしょ?」
「いえ、まさか」
絡み出すと、面倒な女性(ひと)かな?
「私も勉強になりました! 今の市長に反発したり、立田だけが得すればいいなんて、もう考えません!」
「少し、声が大きいですよ、ね、ツキカさん」
「わ、説教した。高橋さんの初説教」
まあ、気分は良さそうなのでいいか。今なら言えそうな気がした。
「え、何? 聞こえない」
恥ずかしいから小声で話すが、ダメか。
可能な限り大きな声でツキカさんの耳元で囁く。
「ずっと前からツキカさんのことが、好きでしたよ」
「好き? 私ことが?」
「はい。でも回りの方が戸惑うので、小声でお願いします」
「あんなに、高橋さんを利用していたのに?」
「利用されているのが分かっていたとしても、嬉しかった」
「ありがとう。でも『好きでした』って過去形じゃない」
「ボクもいい年なので、自立しなければいけないよ」
「もう、私はヤダってこと」
「嫌なのではなくて、依存から卒業したいと思ってる。別にいいでしょ。ツキカさんは若いし、いろんな男性が放っておかないから」
「そう?」
「ま、でも、男性の前では酒は控え目の方がいいかも」
「何よ、好きなくせに」
もう、戦いは終わった。いや、終わったというより始まったというべきか。これからますます忙しくなるのだから、今夜くらいはリラックスしたい。
あ、この面接に向けた慌ただしさの中で、大切なことを忘れていた! 仕事だけしてこの先、ボクは生きられないのだった。
ふと、ツキカさんを見た。
「見とれてるの?」
この人に頼っていいだろうか? まあ今回は、いいコンビネーションだったし、うーん、大丈夫かな。もう、それこそ、運を天に任せよう。
「ツキカさん」
「はい」
「もう一度だけ、アドバイスして助けてもらえませんか」
「さっき、卒業するって言ったのに、もう撤回するの?」
「ボクとしたことが忘れてた。あと一度だけ、お願いします」
「いいけど、何よ」
「今度、市役所が開催する婚活パーティーに初めて参加するけど、どうしたらうまくいくかな?」
「婚活?」
ツキカさんは、何かを企んだ笑みを浮かべた。(了)