今日も、会えるだろうか?
 商売道工が詰まった軽バンを、出店スペースのすぐ近くに停めて、搬入を始める。

 いつもの挨拶だけではなく、ほんの少しでもいいから、あの女性(ひと)と笑って会話できると嬉しいのだが。趣味の話でも最近あった話題でも、それこそありきたりな天候の話でも何でもいい。

 あの女性(ひと)と話していると幸せな気持ちになる。
 備え付けの大きな日除けテントを広げ、机にパック詰めされたミニトマトを並べてチラシのラックを横に置くと、いつものとおり、すぐに準備が終わった。

 腕時計を何度も確認しながら、西側から続く通路の奥を見る。まだ姿がない。

 午前8時10分。おかしい、遅い。
 出勤時間は過ぎている。今日は休みだろうか?

 急に悲しい気持ちになっていたら、不意に北側からの通路に、あの人が現れた。
「おはよーございます、高橋さんのトマト、今日も美味しそうですね」
 よかった、会えた。笑顔で取り繕ってはいるが、相当、動揺していた。

「今日は、いつもより遅くないですか?」
「そうなの。遅刻しそう。またゆっくり買いに来ますね」
「はい」
 名前は、ツキカさん。ボクの唯一の生きる希望だ。市役所の職員で、税金関係の部署にいるらしい。年齢は25歳。小柄で、可愛い。

 40歳を過ぎても独身で、親からも見放され、ただつまらない人生を孤独に過ごすボクは、このツキカさんに平日の毎朝会えることだけを支えに生きている。
 今日は少し会話ができたから嬉しい。今日の仕事帰りに、寄ってくれるといいが。

 いや、そんな訳ない、か。「またゆっくり買いに来ますね」など、ただの社交辞令なのは分かっている。実際に朝以外に、来てくれたことなどない。
 それでいい。それでいいのだ。それ以上の何かを求めると、心を凍てついたナイフで刺されたかのような激痛を味わう。

 ボクは搬入を終えて、軽バンを指定の業者用駐車場に移動させた。
 午前8時20分。そろそろ販売開始だ。
 目の前にあるパン屋には9時のオープンを前にすでに行列ができていて、この待ち人だけでも何とか売れる。

 ここは三重県最北の地、いなべ市の市役所敷地内に最近できた商業施設「にぎわいの森」。この森には、名古屋や大阪から、有名なケーキ、パン、ホットドッグ、カフェ、食料雑貨の5店舗が出店し、地元の食材を使って人気を博している。
 ボクは地元の農家組合を通じて、市役所に食料雑貨「キッチュエビオいなべヒュッテ」店舗軒先で販売する許可をもらっていた。この施設の人気に便乗して、毎日、うちの主力商品であるミニトマトを売っている。

 この施設を訪れる客は、名古屋や四日市など都市住民が多く、田舎の野菜をついで買いしてもらえる。
 販売員は、ボク一人だけ。
 人に合わせるのが苦手で、会社勤めをしても人間関係を上手く築けないボクにとって、一人で黙々と作業や販売ができる農業の仕事は相性がいい。
 次にツキカさんに会えるのは、約24時間後。それまで、ただ苦行のような時間が続く。

 ツキカさんは、どこに住んでいるのだろうか? 趣味は何だろう? 付き合っている男性は、……それは、いる、か?

 考えたくないことばかりが、頭をよぎる。
 ボクとツキカさんは20歳ほど年齢が違う。もはや親子のような年に開きがあるというのに、こんな気持ちになっているボクが恥ずかしい。
 それに、ツキカさんは公務員、つまり上流階級の人だ。

 そもそも住む世界が違うのだ。
 諦めろ、と毎日自分に言い聞かせている。
「3つください」
「私も」
 販売を開始したら、すぐに目の前のパン屋に並ぶ客が買い始める。ボクは手際よくビニール袋に入れて、お釣りを渡していった。

 販売をするブースはとにかく暑い。真夏だというのに、エアコンも扇風機もないから、ここからは水分をとりながら体力勝負となる。
 商品のミニトマトは1パック、20個程入った小さいもので150円。大きいパックだと、だいたい50個入っていて250円だ。朝から慌ただしく、ただ時間だけが過ぎる。

 いくら売っても単価が安すぎて、大した売上などなるはずがない。しかし、やらないとボクたちの生活がままならなくなってしまう。

「朝採れのトマト、いかがですか?」
 ボクの呼びかけに、よくここで見かける同い年くらいの男性が一瞥して、不快な表情を浮かべながら無言で過ぎ去る。

 手には、ワインを2本持っていた。
 隣の食料雑貨店で買ったのだろう。ボクはよくあそこの店内を眺めているので知っている。あれは、ピノノアールとシラーの高い銘柄で、合わせて1万円はする。ボクには到底買えない商品だ。
 ここでよく見るのだから、きっとこの男性も市役所の職員だ。自分と同じ年齢くらいで、経済力の差を目の当たりにすると、自分が惨めになる。

 世の中、不公平だ。