翌朝、起きたらひどい熱があった。
熱自体はお師匠様の【大治癒】ですぐに収まったのだけれど、気分は一向に良くならず、数日、寝込んだ。
お師匠様、ノティア、シャーロッテが代わりばんこで看病してくれた。
気分が優れない理由は、よく分かってる。
行商人が戻ってきていないと聞いたときの、不安。
盗賊に襲われそうになっている女の子を見たときの、衝撃。
犯されている女性と、殺された行商人を目にしたときの、後悔……。
死んだと思った行商人さんが生きていたのは不幸中の幸いだった。
けれど、だからといって気が晴れるようなものではなかった。
僕の所為で、あの一家は――…
「何度も言うようだが、お前さんが気にするようなことじゃないさね。あの一家は旅を舐めたツケを払わされただけのことだ」
と、お師匠様は言った。
「感謝されこそしても、恨まれるなんてことはないだろうさ」
初めて人を殺したときの、盗賊たちの首から上が消えて、血が噴き出したあの場面は、何度も何度も夢に出てきた。
「それこそ、慣れるしかありませんわ」
と、諭すように言うのはノティアだ。
「冒険者稼業を続ける以上、殺しと仕事は切っても切れない関係なのですから」
ふたりとも僕を励まそうとしてくれているのだろうけど、彼女たちのドライな価値観はいまの僕には堪えた。
「あなたは精一杯やったわ、クリス。こういうときは寝て忘れるのが一番よ」
だからなのか、そう言って昔のように頭を撫でてくれるシャーロッテの存在がありがたかった。
■ ◆ ■ ◆
僕がふさぎ込んでいる間に、周りはいろいろと動いているようだった。
まず、行商人が西の森を通行する際には、護衛を付けることが商人ギルド支部によって義務付けられた。
それに伴う冒険者ギルドへの護衛任務依頼の増加をさばく為に、この街にも冒険者ギルド支部が建つことになった。
昨日、冒険者ギルドマスターがやって来て、僕が警備員の詰め所として移築した建物の一角を使わせて欲しいと言われたので快諾した。
■ ◆ ■ ◆
「おはよう、クリス。お粥作ったんだけど、食べられそう?」
朝、ノックとともにシャーロッテが僕の部屋に入ってきた。
控えめに利かせた麻と辣の香りがふわりと部屋に漂う。
「ありがと」
ここのところずっと、看病はシャーロッテが担当してくれている。
お師匠様もノティアも、僕がふたりに対して少し苦手意識を持ちつつあるのを察してくれたのかも知れない。
「店は大丈夫なの?」
「心配しないで」
僕を安心させるように、シャーロッテが微笑んでくれる。
本当、オーギュスにイジメられるたびにシャーロッテに守ってもらい、慰めてもらっていたころを思い出す。
「新しく入った子たちも、あたしが居ない日があった方が、かえって訓練になるもの」
「な、なるほど……」
起き出そうとする僕を、
「あ、寝たままでいいから!」
シャーロッテが制止する。
彼女はベッドのそばの椅子に座り、
「はい、あ~ん」
「ちょちょちょっ!」
いったいぜんたい、僕のことを何歳だと思ってるんだ!
孤児院時代じゃないんだぞ!?
「あら? 昨日は普通にあ~んされてたけど?」
「え、ウソ……」
寝たり起きたりの繰り返しで、ギルドマスターが来たとき以外は記憶があいまいなんだよね……。
「は、恥ずかしい……忘れて」
「あはは、でもようやく調子が戻ってきたってことかしら」
言いつつ本当に『あ~ん』してくるシャーロッテと、仕方なくそれを食べる僕。
「ね、これ食べ終わったら顔洗って、久しぶりに外を歩いてみない?」
「うん、そうだね」
■ ◆ ■ ◆
「おや、ようやく天岩戸が開いたのかい?」
居間へ降りるとお師匠様が執筆中だった。
自室、食堂、居間、風呂場……気分転換なのか、お師匠様はいろんなところに出没しては執筆している。
自室で書いているときが一番多いのだけれど、居間に居るということは……
「だいぶ、すっきりとした顔をしているさね」
「アマノイワト……? あの、もしかして心配してくれてたんですか?」
「べ、別に、お前さんが心配で、ここで待ってたわけじゃないんだからね!」
「!?」
「『ツンデレ』、という」
「???」
「異世界の鉄板ネタさね」
執筆するようになってから、お師匠様は変な言動が増えた。
孤児院に置いてあった歴史本によると、暗黒時代を経て文明が衰退する以前――先王アリソンの統治の時代は、娯楽がものすごく充実していたらしい。
中でも主要な娯楽が『ピコピコ』と『漫画』と『アニメ』と『小説』で、古今東西様々なものをモチーフにした創作物が溢れかえっていたのだとか。
そして、それらの基礎となる作品を作ったのが先王アリソンらしい。
お師匠様が最近書いている『エスエフ』とか『ファンタジー』とか『イセカイテンセイモノ』というのが、何となく先王の伝説と重なって見えるんだよね……。
先王アリソンと言えば、実に様々な伝説がある。
5歳のころから素手でドラゴンの首を手折って見せたとか、数百匹ものフェンリルを飼っていたとか、一匹でも現れれば街が崩壊する凶暴な蜂の魔物・皆殺し蜂を養蜂して蜂蜜を作っていたとか、人魔大戦の折には魔族の軍勢を丸々【収納空間】で【収納】して見せたとか……。
そんな中でもまことしやかに囁かれているのが、『先王様は異世界からやって来た』というもの。
何しろ言動や発想、そして発明品の数々が当時の魔王国の文明から見ても異質すぎて、そういう伝説が生まれたらしい。
まぁ、お師匠様は聖級の【万物解析】使いだ。
【万物解析】や【鑑定】は、極めればこの世の理にすら触れることができるっていうし、きっとお師匠様も過去の文明から様々な娯楽物語を拾い上げているのだろう。
居間を通り抜け、廊下を経て外に出る。
「おはようございます、クリスさん!」
庭師兼雑用として孤児院から雇ったアシルくんが声をかけてきた。
「ちょうどいま、お呼びしようと思ってたところなんです」
「? どうかしたの?」
「それが――…」
アシルくんが門の方に視線を向ける。
つられて門の方を見てみれば、
「き、キミは――…」
門の外に、少女――先日、盗賊に襲われているところを助けた少女が、立っていた。
「町長様、私に魔法を教えてください!」
少女が、声を張り上げる。
「盗賊どもを殺す為の魔法を!」
「おい、オーギュス! 話が違うじゃねぇか!!」
「しーっ、大きな声を出すんじゃねぇ!」
城塞都市、外西地区の留置所で、俺は顔見知りの男と面会する。
「お前、簡単な仕事だって言ったよな!? 護衛のついてない商人を殺して、死体を街道に晒すだけの簡単な仕事だってよ! それが――…」
「いいから声を抑えろってんだ!」
留置所の警備兵は鼻薬を利かせたおかげで通してくれたが、何も味方ってわけじゃない。
いまだって、部屋の外で聞き耳を立ててるかも知れねぇんだ。
「お、お、俺の仲間たちが、こ、こ、殺され――…」
――――そう。
こいつの仲間だった7人のゴロツキどもは、あの憎いクリスに殺されちまった。
エンゾたちが吹聴していたところによると、何でもいきなり首から上を【収納】されちまったらしい。
「な、なぁ、俺ぁこれからどうなるんだ!? ま、まさか処刑――」
「大丈夫だ。俺ぁここの領主サマに顔が利く。絶対にここから出してやるから、くれぐれも俺の名前は出すなよ?」
こんなどうしようもねぇゴロツキなんざ何人死のうが構やしないが、俺の名前を出されるのはマズい。
ったく、なんでこいつも一緒に殺さなかったんだ、クリスの愚図め!
…………西の森に急に出来た『街』。
ここの領主サマ――あのいけ好かないお貴族様に命じられて、街を廃らせるべくいろいろやってみたが、ちっとも上手くいかない。
いま目の前にいるどうしようもねぇ奴らに金を渡して街で暴れさせてみたが、どいつもこいつもクリスに捕まえられちまい、最近じゃ冒険者ギルドが街と結託して警備員を巡回させる始末だ。
ならばと思って護衛のついていない行商人を襲わせてみたが、ご覧の有様。
いよいよ冒険者ギルドが乗り出してきて、あの場所は行商人と、その護衛を目当てに集まる冒険者たちで大賑わいだ。
毎度報告に行く度にお貴族様に嫌味を言われる俺の身にもなれってんだ。
クリス……どこまでも俺の邪魔をしやがる。
本当に本当に、目障りな奴だ。
■ ◆ ■ ◆
「「――【清き流れに揺蕩う水よ】」」
屋敷の居間で、少女とともに声を合わせる。
「「――【我が前の姿を現せ】」」
ふたりしてソファに座り、両手は、テーブルの上に置いた桶に向けている。
「「――【水球】!」」
ちょろちょろちょろ……
「やったやった! 水、出ました!」
手から少量の水が発生して喜ぶ少女と、
「な、何にも出ない……」
卒倒しそうになる僕。
「ははっ。お前さん、筋がいいさね」
「それに比べてクリス君は……」
お師匠様とノティアが、憐れむような眼で見てくる。
少女は、名前をリュシーと言った。
10歳。
くりりとした大きな黒い瞳、やや日に焼けた肌。
ふわっとした茶色い髪の間からは、魔族の証である漆黒の巻きツノが2本、伸びている。
人族の国である西王国とかつて交流があった辺境の地ではあまり見ないツノも、魔王国全体から見ればむしろ一般的な見た目というわけだ。
魔族はそのツノでもって魔力を感知することができるから、【魔力感知】スキルと【魔力操作】スキルが伸びやすく、総じて魔法適性が高い。
……あのあと、魔法を教えてくれと言って聞かないこの子を、仕方なく家に招き入れたんだ。
僕には【無制限収納空間】以外の魔法は使えないことも説明したのだけれど、何としてでも魔法を覚えて盗賊どもを根絶やしにするのだ――と息巻くリュシーちゃんの勢いに負けて、一流の魔法使いたるノティアを紹介する運びとあいなった。
「分かってはいましたけれどクリス君、本当に【無制限収納空間】以外はまったく才能がないんですのね……」
「ひどいや、そんな改めて言わなくても……」
僕が冗談っぽく泣きマネをすると、
「でも! 町長様には、あの憎い憎い盗賊たちの首を狩り取れる奇跡の魔法があるじゃないですか!!」
リュシーちゃんが熱烈かつ殺伐としたことを言ってくれる。
笑顔だけど、笑っていない。
…………目が怖い。
聞いたところによるとリュシーちゃん、僕が盗賊たちの首を狩り取ったのを見て、狂喜乱舞してたらしいんだよね……その時点ではリュシーちゃんも父親が死んでしまったと思い込んでいて、早々の復讐の成就に喝采を上げていたのだとか。
「あ、あはは……それはそうとリュシーちゃん、その……お父さんとお母さんの具合は、大丈夫?」
リュシーちゃん、急に「――はっ!?」っとした顔になって、
「そ、そそそそうでした! 町長様、この度はワタクシたち一家をお救い下さり、感謝の言葉も――…」
「い、いやいや、いいから! そういうのはいいから!」
「で、でも――…」
「それよりも、まだ体の調子がよくないようなら、ウチのお師匠様が治癒魔法使えるからさ」
「クリスぅ……儂ゃお前さんの師匠であって所有物じゃあないんだ。勝手に決めないでもらいたいさね」
「お、お願いしますよお師匠様ぁ~ッ!」
「はぁ……ったく、多少強くなったからって、調子に乗らないでもらいたいものさね。今夜の『魔力養殖』が楽しみだねぇ……」
「ヒッ……」
「あ、あのっ、本当にありがとうございました!」
リュシーちゃんが勢いよく頭を下げる。
何というか、年齢不相応なくらいにしっかりした子だなぁ。
「お父さんはまだ動けませんけれど、それでもちゃんとご飯は食べれてますし、お母さんも昨日ようやく、吐かずに食べれるようになりました!」
リュシーちゃんがぐっと手を握り締める。
「食べれれば、大丈夫です。それで、その……」
リュシーちゃんが、一転して不安そうな顔になり、
「た、対価はどうすればよろしいでしょうか……? そ、その……私たち、お金がなくて」
「へ? 対価?」
呆ける僕と、
「そりゃ、殺されるか売り飛ばされるところを助けたんだ。旦那の方なんて死にかけていたところを救ったんだよ? 対価をもらって当然さね」
「い、いやいやいや、そもそもあれは、ロクな準備もなしに道なんて敷いちゃった僕が悪いわけで――…」
「またそれかい。それを言うなら責任の所在は商人ギルド支部にあるさね」
「うーん……でもほら、お金ないって言ってますし」
「だったら肉体労働でも何でもやらせりゃいいだろう? とにかく、対価を何も求めないってのは悪例になるからやめな。儂はお前さんの【無制限収納空間】でまだまだ儲けるつもりなんだからね」
「「に、肉体労働……」」
ノティアと、ちょうどお茶を運んできたシャーロッテがつぶやく。
肉体労働って……ここの使用人はもう十分なんだけどなぁ。
すると、顔を真っ赤にしたリュシーちゃんが、
「わ、わ、私なんかでよければそれで!!」
「「……なっ!?」」
なぜか絶句するノティア、シャーロッテと、
「あっはっはっ! よかったねぇクリス、据え膳食わぬは男の恥と言うさね」
「スエゼン……? また、古代文明のことわざか何かですか? うーん……まぁそれじゃあしばらく、この屋敷でメイドとして働いてもらおうかな」
「「「…………え?」」」
呆けた表情のノティア、シャーロッテ、リュシーちゃんと、
「…………え? だって、肉体労働でしょ?」
僕。
「「「「…………え?」」」」
午後、発展した街並みを散歩する。
最初はシャーロッテとふたりで出るつもりだったのだけれど、気がつけばお師匠様とノティアもついてきている。
「あ、町長様!」
「道神様だ! ありがたやありがたや……」
道行く人や、店を構えている人たちからは、挨拶されたり拝まれたりする。
そして、
「うっす、町長うっす!」
「ちあーっす!」
巡回警備中の冒険者たちからは勢いよく頭を下げられる。
何というか、
「恐れられてる……? この僕が……?」
「そのようさね」
「みんな、ようやくクリス君の良さに気づいたのですわ!」
「――あっ、クリスさん!」
ふと、通りの向かい側からエンゾが駆け寄ってきた。
ドナとクロエも一緒だ。
「もう体は大丈夫なんすか!?」
「大丈夫大丈夫。いやぁ……エンゾたちも一緒に戦ってくれてたのに、僕だけ気を失ったり寝込んだりしちゃって恥ずかしいよ……」
「し、仕方ないっすよ! 初めての『殺し』のあとはみんな少なからずそうなるって、先輩の誰かが言ってたっす」
「いやぁ、そう言ってもらえると……」
「それより、どうっすか!?」
なぜか自信満々な様子で胸を張るエンゾ。
「どうって、何が?」
「冒険者たちの、クリスさんを見る目っすよ!」
「うん……?」
なんか、妙に敬意を表されているというか、恐れられているように思う。
「クリスさんの奥義・【集団首狩り収納空間】のことは、街中に広めておきましたから!」
「お前かぁ~ッ!!」
■ ◆ ■ ◆
「らっしゃいらっしゃい!! いま話題の手回し蓄音機とレコードだよ!」
「安いよ安いよ! 串焼き2本で1ルキ! 今朝捌いたばかりの新鮮な一角兎肉だよ!」
街はますます賑わっていて、科学王国の珍しい道具を売る店や、商人や客を目当てに料理を提供する屋台が軒を連ねている。
そして、
「そこの兄ちゃん、冒険者かい? 西王国のいい剣が揃ってるよ!」
科学王国製の武具を売る店も。
「剣? 剣に東西の違いなんてあるの?」
僕の素朴な疑問に、
「大ありっすよ! 西王国の剣は粘りがあって、なかなか欠けないし折れないって評判っす!」
エンゾが答えてくれる。
「クロスボウがすごいんですよ!」
と、興奮気味に話すのはドナだ。
彼がマジックバッグから取り出したのは鉄製のクロスボウで、全身がとても小さい。
「照準眼鏡がめちゃっくちゃ強力なんです」
ドナがクロスボウから細い筒のようなものを取り出して見せる。
「ほら、覗いてみてください」
「どれどれ……うわっ!?」
ちょうどこちらを見ていたお師匠様の青い瞳の色で視界が埋まった。
「え? え? え? 何これ」
「あははっ、もうちょっと遠くを見てください」
言われて空を見上げると、遠くにあったはずの雲がものすごく近くに見える。
「矢が恐ろしく真っすぐ飛ぶ上に、この照準眼鏡で遠くから狙えるんです。科学王国、すげぇ国っすよ!」
「へぇぇ……」
「でも、防具は全然ないのよね」
と、これはクロエ。
「これだけ強い武器があるなら、それに見合った分厚い鎧とかありそうなものなのに」
「あははっ。小娘、面白いこと言うねぇ」
クロエの発言を、なぜかお師匠様が笑う。
「科学王国の主力は銃や砲だ。銃弾を防げる鎧と言えば分厚いプレートアーマーだが、兵士たちにそんなものを着込ませていたら行軍や銃撃戦で邪魔になるし、どの道、砲撃は防げない。だから、西王国の鎧は薄っぺらいのさ」
「「「「「ん~?」」」」」
エンゾ、ドナ、クロエ、ノティア、そして僕が、お師匠様の発言に疑問符を投げかける。
「いや、銃って」
みんなを代表して僕が言う。
「銃なんて、真っすぐ飛ばないじゃないですか。それなら、ドナが持ってるようなクロスボウを主力にした方がまだマシですよ。科学王国はバカなんですか?」
「実際にその目で確かめて見るとよい。――行くよ」
「どこへ?」
お師匠様と僕の、なんだか懐かしいやり取りだ。
「射撃場さね」
■ ◆ ■ ◆
パァーンッ――…
びっくりするほど大きな音が鳴り響く。
いつの間にかできていた『射撃場』と呼ばれる広場に入ると、商人ギルドの人が耳全体を覆うような耳栓を貸してくれた。
射撃場では、西の武器商と思しき男性が、慣れた手つきでライフル銃に火薬と弾丸を詰め、さっさと棒で押し込んで射撃体勢に入り、100メートルは距離がありそうな先の的に向かって、
パァーンッ――…
「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】――ど真ん中に命中だ、腕もすごいが精度もすごい」
お師匠様がうなずく。
「雷管式の先込め銃――旋条式マスケットさね。さすがの武器商たちも、後装式銃は持ち込まなかったか。いや、あれは民間にはまだ解放されてなかったかね?」
「ど、ど真ん中に命中って……あの距離でですか!?」
はっきり言って、僕は仰天している。
銃というのはもっとこう、狙っても狙ったところに当たらないシロモノのはずだからだ。
「施条、さね。銃身の中に螺旋状の溝が入っていて、弾丸がそこを通る間に横回転が加わり、弾の進行方向が安定するんだよ」
「「「「「ラ、ライフリング……」」」」」
「つまり、西王国の銃は狙って撃てば当たる。当たるからこそ銃が軍の主力となり、鎧が廃れていったってわけだ」
「がっはははっ! すげぇなその銃!」
ふと、いましがた銃を撃った武器商の、その隣にいた前衛職風の冒険者がそう言った。
びっくりするほど声が大きい。
「その銃と俺の盾、どっちが硬ぇか勝負させてくれ!」
「フェン……相変わらずのおバカぶりですわね……」
僕の後ろで、ノティアがため息をついた。
「え、えぇと……ではこちら、あなた様の持つ盾と同じ厚みの――厚さ10ミリの鉄板です」
戸惑い気味の武器商さんが、ナゾの冒険者――ノティアが『フェン』と呼んだ、ものすごく大柄な、犬耳を持つ獣族の偉丈夫――を説得すべく、盾なんかでは銃弾は防げないということを実演しようとしている。
西王国民であるらしい武器商さんの言葉は、多少発音や訛りに違いがあるものの、意味は十分に通じる。
というか、この辺の言語って東西両王国の言語が混ざり合った独自言語に近いらしいんだよね。
ルキフェル王国王都の人たちとよりも、この武器商さんとの方が言葉が通じやすいまである。
「では、撃ちますよ――」
100メートル先の的にぶら下げられた鉄板目がけて、
パァーンッ
カ~ンッ――…
小気味のいい音とともに鉄板が跳ね上がり、
「ご覧の通り、穴が開いておりますでしょう?」
望遠鏡で確認し、その望遠鏡を冒険者フェンに渡しながら、武器商さんが言った。
「なので、あなた様の盾も貫通すると思いますよ」
「いーや、やってみねぇと分からねぇぞ?」
「はぁ~?」
「何せここは魔王国――剣と魔法の国だからな!」
■ ◆ ■ ◆
少しして、銃口を向ける武器商さんと、その先で盾を構える冒険者フェンという、意味不明な光景が射撃場に現出した。
「ほ、ほ、本当にやるんですか!? ケガしても私は一切賠償しませんからね!?」
「男に二言はねぇよ! 何なら【契約書】書こうか!?」
「そ、そこまで言うのなら――…」
言って射撃体勢に入る武器商さんと、
「あ、そうだ――おおい、ノティア!」
と、冒険者フェンがノティアに向かって手を振る。
「んげっ、気づかれてましたの……」
なんだか下品な声を出しつつ、本気で嫌そうな顔をするノティアと、
「久しぶりだなぁ! もし盾が貫通してケガしちまったら、治癒ってくれや!」
「あのですねぇ! 勝手に人の道楽に着き合わさせないでくれませんこと!?」
「頼んだぜぇ~」
「で、では本当の本当に撃ちますからね!?」
武器商さんの言葉に、冒険者フェンが顔を引き締め、
「おう、来い!」
その瞬間、冒険者フェンの方から鋭い魔力の気配が漂ってきた。
あれは、まさか――…
パァーンッー……
果たして、ライフル銃から放たれた弾丸は、
「……?」
鉄を弾く音がしない。
「【遠見】――【視覚共有】」
ふと、隣のノティアが僕のまぶたに触ってきた。
慣れたことなので、僕はおとなしく目を閉じる。
望遠されたノティアの視界の先では、
「え、えええ!? た、弾が盾に張りついてる!?」
「正しくは、前進し続けようとする弾の衝撃を、盾が吸収しているのですわ」
弾丸はやがて速度を失っていき、高速回転している様が見て分かるようになり、
シュゥゥゥー……
……ぽろり、と盾の前に落ちた。
盾には、傷ひとつない。
「【物理防護結界】? いや、でも結界なんて出てないし、ってことはあれはまさか――…」
「そう、【闘気】ですわ」
【闘気】ッ!!
超一流の戦士が手に入れられる、究極の武術スキルだ!
自身の魔力を膂力に変えて岩を砕いたり、脚力に変えて空高くまで跳躍したり、さらには――…
「自分の持つ武具をも【闘気】で覆って、攻撃力・防御力を強化したり!」
「そう。あの域に達するには、【闘気】スキルレベル6が必要――…本当、大した奴ですわ」
とんでもない冒険者だ。
まず、【闘気】を発現させる為には、いずれかの戦闘スキル――剣術槍術弓術体術盾術何でもいいけれど、とにかく体を使って戦うスキル――をレベル7まで上げる必要がある。
スキルレベルとは、
1・2が初級……初心者レベル。
3・4が中級……ベテランレベル。
5・6が上級……一流レベル。
7・8が聖級……その道の体現者。才能ある人が一生かかっても到達できるか否かのレベル、となる。
つまり【闘気】スキル持ちは、すべからく何がしかの武術の達人というわけだ!
ちなみにスキルレベル9・10は神級に当たるわけで、これは文字通り神々にのみ許された領域。
一説には先王で勇者のアリソン様は神級レベルを持っていたそうだけど、のちに魔法神になったという伝説もあるくらいだから、本当の話なのかも知れない。
「な、ななな……」
【闘気】のことを知らないのであろう西王国の武器商さんが目を剥いて驚いている。
逆に魔王国民側はと言うと、
「「すっげぇ~~~~ッ!!」」
と、少年のような眼差しを冒険者フェンに向けるエンゾとドナ――いや、事実少年だったね。
他にも射撃場にちらほらといた冒険者からは、
「いよっ、大将!」
「さすがはフェンリスの旦那だぜ!」
というような囃し立てる声。
ん? フェンリス?
「【闘気】持ちの達人で獣族……フェンリスってまさか――Aランク冒険者、『白牙』のフェンリスぅ!?」
現役前衛職の頂点と言われる偉大な冒険者!
魔法職の頂点たる『不得手知らず』のノティアと並んで、王国で最も有名な冒険者のひとりだろう。
「お~いっ、もう1発撃ってくれぇ~!」
そんなものすごい人物がいま、銃弾と盾で遊んでいる……。
「なんだよ、楽勝じゃねぇか。これなら素手でも受け止めれるな!」
「はぁ!?」
傷ひとつついていない盾を背負ったAランク冒険者、『白牙』フェンリス氏の発現に、武器商さんが卒倒しそうな声を上げる。
「ってことで俺様の手を狙って撃ってくれ!」
言って的の方に向かうフェンリス氏に向かって、
「む、むむむ無理です! いくらこの銃でも、100メートルの距離では外す恐れがあります!」
「ん、そうなのか? んじゃあここで」
言って、銃口から数メートルの距離で仁王立ちするフェンリス氏。
やおら銃口に向かって右手の平を向け、
「この手に向かって撃ってくれ」
「うぇぇえええええええ!?」
再び目を剥く武器商さん。
「む、むむむ無理ですよ! そんなことできるわけがありません!」
「なぁ~頼むぜ」
「あははっ、じゃあ代わりに儂が撃ってやろう」
何を思ったのか、お師匠様が僕に杖を預けて割って入る!
「ぉおん? お嬢ちゃん、ノティアの知り合いかい?」
「ああ……まぁ、そんなとこさね。ほら武器商、そのマスケットを貸しな」
お師匠様は困惑気味の武器商さんから銃一式を受け取ると、慣れた手つきで紙の包み――何だろう?――を噛みちぎり、中に入っている粉末を銃身に流し込み、鉛らしきものの塊を銃身に差し込む。あぁ、いまの包みは弾薬と弾丸か!
そして、武器商から渡された棒で弾丸を銃身奥深くまで突っ込む。
「よし、じゃあ撃つよ。右手の平を狙えばいいのかい?」
「おう! 頼むぜ、お嬢ちゃん!」
言うなり、突き出したフェンリス氏の右手がまばゆい光を放ちだした!
目に見えるほど高濃度の魔力だ!
「じゃあ撃つよ」
お師匠様が射撃台に銃を乗せ、構える。
なんだか随分と様になっている。
「3、2、1……いま!」
パァーンッ――…
弾丸なんて速いモノ、見えやしない。
ただ、フェンリス氏は微動だにせず、自信満々に微笑みながら右手をグッと握り込んでいた。
「んっふっふっ……」
そのフェンリス氏が不敵に笑いながら右手を開くと、
……ぽろり
と、弾丸が零れ落ちた。
――――手の平には傷ひとつない。
「「「「「おぉおおお~~~~ッ!!」」」」」
僕もエンゾたちも武器商さんも周りの冒険者たちも、一斉に驚きの声を上げる。
「さすがはAランク冒険者!」
「いよっ、獣族一の戦士!」
冒険者たちがフェンリス氏を賞賛する。
あ、賞賛と言えば、見事にフェンリス氏の手の平に弾丸を当てたお師匠様の狙撃能力も賞賛されるべきで――…
「…………って、え?」
僕は、お師匠様の方を見て言葉を失う。
…………お師匠様が、盛大にすっ転んでいた。
反動にやられたのだろう、銃も離れたところに転がっている。
「……え、えぇええ~~~~ッ!? あれだけ得意げな顔してたのに!?」
「う、うるさい弟子さねぇ!」
お師匠様が気まずそうな顔をしながら立ち上がる。
「いつもは【闘気】で体を強化するから大丈夫なんだが、今は戦闘系スキルが使えないんでね」
「……へ? お師匠様って武術系のスキルも持ってるんですか?」
「【杖術】レベル4と【銃術】レベル5はあるよ」
「んんん? 【闘気】って武術の達人しか発現しないはずじゃあ……?」
「知らないのかい? 武術系スキルをレベル7以上にまで上げる以外にも、【魔力操作】スキルをレベル7に上げるのでも【闘気】は覚えられるんだよ。ノティアだって持っているだろう?」
「フェンほどじゃあありませんけれど、一応は」
……なんと。
ノティアが街やら森やら山やらを歩くときの軽やかな身のこなしを見てて、「運動もできるんだなぁ、すごい」とか思ってたものだけれど、【闘気】による身体強化だったのか!
「面白かったぜ、お嬢ちゃん!」
銃弾を素手で止めてしまったバケモノ冒険者のフェンリス氏が笑いかけてくる。
「とは言え……西王国の『真っすぐ飛ぶ銃』ってのも大したこたぁねぇな!」
フェンリス氏の言葉に、お師匠様はなぜだか一瞬、きょとんとした顔をしてから、
「……ああ、そうさね」
と言って笑った。
「町長様ぁ~~~~ッ!!」
そのとき、ミッチェンさんが射撃場に駆け込んできた。
「はぁ、はぁ……町長様、クリス様!!」
「ど、どうしました!? そんなに息を切らして――…」
「た、た、た、大変です!! 大変なんです!!」
「え……」
何でもそつなくこなせるミッチェンさんをして、顔を青ざめさせるだなんて、いったいぜんたい何が起こったというんだろう……?
「ぼ、亡命です!! 百人を超える難民が、街道を通ってこの街にやってきました!! 彼らは、食料とこの街での保護を求めています!!」
……彼らは、着の身着のままといった様相で、誰も彼もが信じられないほど痩せていた。
急ごしらえのテントの中でひしめき合っている『難民』を見て、僕は言葉を失う。
「ふえ、ふえぇ……」
ふと、赤ん坊の力のない泣き声が聞こえた。
見れば母子ともに痩せこけていて、母親は母乳を飲ませようとも、あやそうともしない……お乳も出ないほどに衰弱しているのだろうか。
「百数十人……正確には、赤子も含めて135名です」
困り果てた様子で、ミッチェンさんが言う。
「【収納空間】」
虚空から毛布を取り出し、女性の方にかける。
「これ、赤ちゃんにもどうぞ」
さらにもう1枚、毛布を渡す。
「あとは――【目録】」
机を出し、その上に水で満たしたコップ、肉と野菜たっぷりのシチューと白パンを出す。
「「「「「なっ……」」」」」
一斉に、周りの視線が食べ物に集まる。
「どうぞ、食べてください」
「い、いいのですか……?」
震える声で聴きつつも、母親の目は食べ物にくぎ付けだ。
「はい」
「あ、あぁ……ありがとうございます」
言って、シチューを赤ん坊の口に運ぼうとするので、
「ちょっ、待ってください! それはお母さんが食べてください。赤ちゃん用のミルクもすぐに用意しますので」
目に涙を浮かべながら、シチューを食べ始める母親。
それを見た周囲の人たちから、生唾を飲み込む音が聞こえてきた。
「お、俺にも分けてくれ!」
「この子たちの分もお願いします!」
周りの人たちにすがりつかれる。
僕は彼らの鬼気迫る顔に圧倒されつつも、
「わ、分かりましたから落ち着いてください! 【収納空間】!」
とりあえず、そばにテーブルを出し、その上に常備しているだけの白パン数十個とあるだけの食器を出し、テーブルの横に水で満たした樽を出す。
「とりあえず、これを。すぐに追加の食べ物を持ってきますので、ケンカはしないでくださいね!?」
途端、難民の皆さんが、目を血走らせながら白パンに殺到する。
僕はもみくちゃにされながらもその中から脱出し、
「ひぃっ、ひぃっ……み、ミッチェンさんはできるだけ多くのパンを買い集めてきてください。代金は僕が支払いますから」
「え……いいのですか?」
「急いでください。この人たちを飢えたまま放っておいたら、それこそ暴動が起きますよ。それと、猫々亭のシャーロッテに、『お乳の手配をお願い』と伝えてもらえますか?」
「乳……? あぁ、赤子用の!」
「はい」
お乳と言えば孤児院御用達。
母乳や山羊ミルクをいつでも欲しいときに欲しいだけ集められる独自ネットワークを、院長先生はいつも自慢していた。
実際、院長先生の働きのおかげで孤児院はもちろん城塞都市全体の乳幼児食事情がよいらしく、その功績が認められて院長先生は毎年相応の報奨金を得ている。
そのおかげで物心つく前に二親を失くした僕は拾われ、こうしていまも生きているというわけだ。
母乳調停官と言えば、どこに行っても恐れられていたものだ。
おかげで僕ら孤児院の子供は、お使いのときに不当な扱いを受けることもなかった。
そして、孤児院時代のシャーロッテこそが、院長先生の手となり足となり、お乳を城塞都市中から集める実行部隊の隊長だった。
『次代の母乳調停官』の名をほしいままにしていたとかいないとか。
だから、難民の赤ちゃんたちのお乳問題は、シャーロッテに任せれば大丈夫。
さて、じゃあ僕は――
「ノティア、悪いけど、西の森まで連れてってくれる?」
「何をしますの?」
「お肉の確保だよ」
■ ◆ ■ ◆
ノティアふたりで西の森の中へ【瞬間移動】。
「ノティア、一角兎の位置を探査できる?」
「いいですけれど、クリス君がそこまでする義理なんてないじゃありませんの。しかも彼らはルキフェル王国民ですらないんですのよ?」
「でもさ、僕も赤ん坊のころ、餓死寸前のところを孤児院の院長先生に拾われたらしくって、あの赤ん坊を他人事だと思えないんだよね」
「本当、お人よしですわね」
「そんな僕に付き合ってくれてるノティアもね」
「はぁ~……わたくし、自分のことをもう少しドライな人間だと思っていたのですけれど――クリス君に感化されてしまったのかも知れませんわ」
「ごめん」
「うふふ……【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】」
木々の間から、空を覆う真っ赤な魔方陣が見え、数秒して消える。
ノティアが僕のまぶたに触れて、
「【視覚共有】」
ノティアがぐるりと周囲を見る。
ノティアの視界越しに、白く輝くホーンラビットの影が見える。
僕にはその数や位置なんてまったく把握できていないけれど、これは僕の【収納空間】とノティアの【万物解析】を接続する為の手順に過ぎないので、僕自身が兎たちの正確な位置を知る必要はない。
「――【無制限収納空間】ッ!!」
丹田がきゅっと痛み、相応の魔力を消費した感覚。
「ノティア、ありがとう――【目録】」
果たして、【収納空間】の中には数百匹の兎が【収納】されていた。
******************************
生きたホーンラビット × 315
生きたヒール・ホーンラビット × 32
生きたメイジ・ホーンラビット × 21
生きたホーンラビット・ランス × 3
******************************
【目録】を【収納】日時順で並び変えると、中でひしめき合っている一角兎たちが出てくる。
ヒール・ホーンラビットは初級の治癒魔法が使える上位種で、ツノが回復ポーションのよい材料になる。
エンゾたちと獲得数を競い合ったのもいい思い出だ。
メイジ・ホーンラビットは初級の攻撃魔法を飛ばしてくるヤバい奴。
昔の僕なら火炎を食らって死んでいたところだろう。
そして、
「あ、あはは……ランスまでいるや」
ホーンラビット・ランスというのが、全長1メートル~2メートルもあるホーンラビットの最上位種で、巨大な槍かと見まごうその巨大な角は生半可な盾を持った前衛職なんて盾ごと串刺し殺してしまうほどの強敵。
ベテランCランクパーティーが損害覚悟で挑む相手――つまりオークやオーガ、盗賊なんかよりも上の扱いなわけだ。
そんな大物を、生きたまま【収納】できるようになったのか、僕の【無制限収納空間】は。
スキルレベル5と言えば上級。
この僕が、上級魔法使いとは……お師匠様と出会う前までの日々が、ウソのようだ。
「クリス君?」
「あぁ、ごめん。早く帰らないとだよね――ええと」
************************
生きたホーンラビット × 315
************************
の文字を、ホーンラビットの頭部をイメージしながら長押しすると、
****************
ホーンラビットの頭部
ホーンラビットの体
****************
と表示された。
「お、おぉぉ……これはまさか」
『ホーンラビットの頭部』をタッチすると、
どさどさどさどさどさぁッ!!
目の前に、無数の――恐らく315個の――ホーンラビットの首が出てきた!!
「……ヒッ」
「ヒッて何ですのヒッて。自分の魔法でしょうに。それにしても、生きたまま【収納】できて、好きなときに〆られるとは、本当にすさまじい威力の魔法ですわね……」
「ほ、本当にだよ!!」
……に、人間相手にも使えるのかな?
次に盗賊と遭遇する機会があったら、生きたまま【収納】できるか試してみよう。
生きたまま【収納】しさえできれば、生きた状態で城塞都市に突き出すか、【目録】内でこ、こ……殺してしまうかという選択肢を得られるから。
■ ◆ ■ ◆
結局、ヒール・ホーンラビットとメイジ・ホーンラビットはおろか、ホーンラビット・ランスすら【目録】の中で首を狩ることができてしまった。
さらには【目録】内で可食部と非可食部に分け、可食部をスライスしたりサイコロサイズに切ることすらできた。
お、恐ろしい……僕は木こりや食器洗い人だけじゃなく、狩人や料理人の助手にもなれるかも知れない。
猫々亭で雇ってもれないだろうか……そしたら毎日ずっとシャーロッテと同じところで働けるし。
「あーっ! クリス君、わたくしに狩りの手伝いをさせておきながら、別の女のことを考えましたわね!?」
「な、何で分かるのさ!?」
「クリス君はいやらしいことを考えると、すぐに顔に出るのですわ」
言いつつノティアが腕を絡ませてきて、そのあまりに巨大な胸を押し当ててくる。
「誰のことを考えていたのかは知りませんが、触れない乳よりも触れる巨乳ですわよ?」
「ちょちょちょっ……いまは急いで戻らないとダメでしょ!?」
「…………はぁ、正論ですわね。はい、3、2、1――【瞬間移動】」
■ ◆ ■ ◆
難民たちのテントに戻ると、
猫々亭の店長が屋外用の巨大なコンロに木炭を敷き詰め、肉を焼く準備をしてくれているところだった。
お師匠様や商人ギルドの方々、あと比較的元気な難民の人たちが準備の手伝いをしている。
シャーロッテはいない――恐らく『次代の母乳調停官』として辣腕をふるっているのだろう。
「おう坊主、肉は狩ってきたか!?」
相変わらずのでかい声だ。
「は、はい!」
「よぉし、ちょっと待ってろ――」
店長がもごもごと何事かを唱えてから、
「――【火炎】ぁあああッ!!」
ものすごい大声で初級の炎魔法を使う。
豪快な詠唱とは裏腹に、木炭が丁寧に着火される――店長は料理の為に【火炎】を使い慣れてるからね。
店長はコンロの上に焼き網を敷き詰め、網に油を塗り、
「坊主、こっち側が強火、こっち側が弱火だ! 肉を出してくれ!」
「了解です――【収納空間】」
指示に従い、強火の方にサイコロ肉を、弱火の方にスライスした肉を、それぞれ焼き編みの上に敷き詰めるようにして出現させる。
【目録】の中で適当にやったので、部位はまちまちだ。
「「「「「うぉぉおおおおおッ!?」」」」」
「「「「「きゃぁあああああッ!?」」」」」
周囲の難民たちから、驚きと喜びの混じった叫び声が上がった。
老若男女、誰も彼もが飢えた目をしている。
……戦争が、始まる。
目の前に繰り広げられるのは、地獄の戦場だ。
塩と香辛料――高級品の胡椒ではなく、花椒と山椒――を振りかけ、焼いただけの肉が、焼けるや否や難民の腹の中へと消えていく。
まぁ、『焼いただけ』とはいってもその道十数年の店長が焼いた新鮮な兎肉だ、不味いわけがない。
そして、
「は~い、パンもありますからね~」
若いギルド職員の方が、新設されたテーブルに大皿を出し、マジックバッグから取り出した白パンを次々と乗っけている――もっとも、乗っけたそばからみんなの胃袋の中に消えていっているのだけれど。
ミッチェンさん、ちゃんとパンを手配してくれたみたいだね。
あとは、
「赤ちゃんをお連れの方~! 新鮮な母乳と山羊乳で~す!」
シャーロッテが難民の間を練り歩いている。
「【収納空間】――シャーロッテ、ありがとう!!」
僕はせわしなく焼き網に肉を並べながらも、声を張り上げてシャーロッテにお礼を言う。
「なんの! ここで活躍しなきゃ、『次代の母乳調停官』の名が廃るってものよ!」
あはは。シャーロッテってば楽しそう。
■ ◆ ■ ◆
小一時間ほども肉を焼き続けると、ようやく難民のみなさんも落ち着いてきたようで、僕も自分が食べるだけの余裕を得ることができた。
気がつけば周りでは宴会が始まっている。
見回り任務でここにいる冒険者や、まったく関係ない冒険者なんかが勝手に肉を食ってお酒を飲んでる……相変わらず自由というかなんというか、まぁそのくらい面の皮が厚くなければ、冒険者稼業なんてやってられないけれど。
「町長様」
肉をちびちび食べている僕に、ミッチェンさんが話しかけてきた。
隣に初老の男性を連れている――難民だけど、他の人々に比べれば一段身なりの良い人だ。
「こちら、難民のリーダーのヴァイツェンさんです」
「この度は我々の為に貴重な食料をお分け下さり、誠にありがとうございます……っ!」
難民リーダーさんが、涙ながらにお礼を言ってくる。
「い、いえ……」
「あぁん?」
お師匠様が不機嫌な声を上げる。
この人、自分は食べもしないくせに、僕が食べる様子をじっと見てるんだよね……いつものことなんだけど。
「無償で分けてやるなんて、一言も言ってないんだけどねぇ?」
そのお師匠様が、いつものように守銭奴ぶりを見せる。
「お、お師匠様ってば!」
お師匠様の口をふさいでから、
「この食事は無償で結構です」
「こらクリス――もがっ」
「ただ、これ以上のことは……ご事情を聞いてみないことには」
「はい」
難民リーダーさんがつらそうに顔をゆがませる。
「いまから、お話させて頂いてもよろしいですか?」
■ ◆ ■ ◆
難民リーダーのヴァイツェンさんは、西王国――アルフレド科学王国最東端のロンダキア辺境伯領にある、貧しい農村の村長さんなのだそうだ。
「村長さんがリーダー……赤ん坊もたくさんいるってことは、まさか……」
「はい。村ぐるみで逃げてきました」
「ど、どうしてそんなことを……?」
「そうするしか、生き延びる方法がなかったからです」
村長さんは泣き出しそうな顔をして言う。
「我々は移動の自由を持たない農民――いえ、大半は農奴というべき身分なのですが、重税に次ぐ重税と徴兵、そしてとどめとばかりに北山脈からの川の水が激減して、今年の作付けもままならず……」
村長さんが深々と頭を下げる。
「どうか、この地に住まわせては頂けませんでしょうか!? 何卒――…」
「お、お師匠様、ど、どどどどうしましょう!?」
「どうもこうも……そりゃ、匿うか追い返すかの二択さね」
この街に、百数十人もの人たちを住まわせることはできるのだろうか……?
ミッチェンさんの方を見ると、彼は難しそうな顔をしている。
「も、もし追い返したら難民は、どうなるんでしょうか……?」
「そんな!」
近くで肉を食べながら話を聞いていたらしい難民の男性が真っ青になって、
「そんなことされちまったら、オラたち殺されちまう……ッ!!」
「こ、殺される!? それってどういう……」
「き、金髪の魔女だ……領主サマに逆らう村は、金髪の魔女に丸ごと焼き滅ぼされちまうんだ……ッ!!」
「なんです、それは?」
「我が村のみならず、いくつもの村々で語られているウワサ話です」
村長さんが説明を引き継ぐ。
「実際、一揆を起こした村が一夜にして焼け野原になっているのを、私も見たことがあります。そしてその前後に、長い金髪の女性の姿を見たという行商人たちの話を聞いたことも」
「――――……」
金髪で魔法使いと言えば最初に浮かぶのがお師匠様なんだけど、お師匠様は攻撃魔法を『封じられて』いるから、お師匠様がその『魔女』なわけがない。
その『封印』ぶりは徹底していて、お師匠様は【収納空間】すら使えない。
そう言えば以前、『唯一使える攻撃魔法は、相手の舌を回らなくさせて詠唱を阻害するもののみ』って言ってたな。
「金髪の魔女……というのが本当にいるのかは分かりませんが、西の国が乱れているのは事実のようです」
と、ミッチェンさんが説明してくれる。
「貴族と平民――とりわけ農奴との身分差は驚くほど大きく、貴族は自領の農奴を自由に売買したり処刑したりできると聞きます」
「そんな、ひどい……」
「事実です」
と村長さん。
「ですので、何卒お慈悲を……」
悲痛な覚悟を見せる村長さん。
自慢じゃないが、僕には100人以上の命を左右するような決断力はない。
……そして、100人以上を見捨てるだけの度胸もない。
「……もとより我々は農民。耕せる土地と水さえあれば、あとは何もいりません。食料は自給自足で何とかできますし、生活に必要なものは森で手に入れるか、ここの方々と物々交換させて頂ければ。
どんな荒地でも構いません。いっそ森の中でも!」
あぁ、そうか。
畑と寝床さえあればいいのなら――…
翌朝、
「【無制限収納空間】!!」
西の森の東に広がる草原で、目の前に広がる広大な地面を深さ数十センチほどまでごっそりと【収納】する。
「「「「「おぉぉぉおおおおおおッ!?」」」」」
後ろで見物している難民の方々から驚嘆の声と歓声が。
腹いっぱい食べてぐっすり眠ったからなのか、みな元気なように見える。
ここは、中央通りからやや北に登った地点。
わずかに傾斜になった平野だ。
いまからここに、農村を作る。
「――【目録】」
お馴染みのウィンドウを表示させ、大量の土の中から岩や石、草を取り除き、
「【無制限収納空間】!」
土の半分を戻す。
このとき、ミミズは殺さないように細心の注意を払う。
そしてその上に、西の森から持ってきた腐葉土を――
「【無制限収納空間】!」
乗せる。
次に、
「【無制限収納空間】!」
目の前に、大量の骨――一角兎から分離させた骨を出し、
「ノティア、これ、砕いて乾燥してもらえる?」
隣にいるノティアがうなずいて、
「肥料ですわね。――【念動】」
骨が宙に浮いて、
「【風の刃】」
風の初級魔法のはずだけれど、ノティアの手から放たれた無数のかまいたちによって、骨が一瞬で木っ端みじんになる。
「【乾燥】」
そして骨が、一瞬にして水気を失う。
「「「「「な、ななな……」」」」」
驚いている難民さんたちと、
「ありがとう、ノティア」
もはや慣れっこになってしまった僕。
「じゃ次はこれを――【収納空間】」
言ってノティアの前に大量の草を出す。
「これは――灰にすればよいんですの?」
「おおっ、よく知ってるね!」
「農業は国の根幹ですもの」
そうか、ノティアは末席とはいえお姫様だった。
かくいう僕は、灰が肥料になるというのをお師匠様から教えてもらった。
『魔力養殖』の最中に、いろいろとお話してもらえるんだよね。
その中に『農業基礎講座』ってのがあって、曰く『三大肥料はチッソ、リンサン、カリウム』とか言うらしくって、詳しくは理解できなかったけれど、要は灰が重要な肥料になるらしいんだよね。
「【火炎】」
……なんて考えている間に、ノティアが上質な灰を大量に作ってくれた。
「【収納空間】」
僕は骨と灰の肥料を【収納】し、
「【無制限収納空間】!」
目の前の耕した部分の上に、まんべんなく肥料を出現させ、
「【無制限収納空間】!」
さらにその上に、残りの土をかぶせる。
「よし! じゃあ最後に――【無制限収納空間】【無制限収納空間】【無制限収納空間】【無制限収納空間】……」
肥料、腐葉土入りの土を何度も入れたり出したりしてかき混ぜて、完成だ。
「こんな感じですが……どうでしょうか? 農業はよく知らないので、ちょっと自信はないのですが……」
後ろで目を真ん丸にしていた村長さんに話しかける。
「お、おぉぉ……」
村長さんは即席の畑に駆け寄り、土をすくい上げて、
「す、素晴らしいぃ~~~~ッ!!」
振り向いた村長さんの目には涙が浮かんでいる。
「これほどの上質な畑があれば、この地でも十分にやっていけそうです! あぁ、神様……」
「畑神様の誕生ですわね」
隣のノティアが茶化してくる。
「もぅ……じゃあ次はっと」
僕は虚空から、ミッチェンさんが一夜で引いてくれた農村の地図を開く。
■ ◆ ■ ◆
そんなふうにして、道を作り畑を作りあぜを作って回った。
お昼前には、数十の畑が完成した。
難民の人たちは、見物しながらやんややんやの大興奮だったよ。
そうして急ごしらえした農村の一角でシャーロッテが入れてくれたお茶を飲んで休んでいると、
「あの、町長様?」
村長さんがおずおずと聞いてくる。
「ところどころ空いているスペースは何なのでしょう? そこにも畑を入れた方が――」
「あぁ、皆さんが住むための家を入れるんですよ」
「家を、入れる!?」
「あとは、川も引き入れます」
「川を、引くぅ!?」
■ ◆ ■ ◆
少し北上した地点から川の支流を作り、いつものように舗装した。
「じゃあ、流しますよ~! 危ないから川から離れてください!」
すべての舗装が終わり、あとはノティアが【物理防護結界】でせき止めている部分を接続するだけになって。
川の周りに群がる難民さんたちに向かって声を張り上げる。
「じゃ、ノティア」
「はい」
ノティアが展開していた【物理防護結界】が消え、川の本流から勢いよく水が流れ込んでくる。
「「「「「おぉぉぉおおおおおおッ!?」」」」」
大興奮の難民の方々。
あはは……最近じゃ僕とノティアが新たに川を引いても、みんな慣れっこになっちゃって誰も驚いてくれないから、逆に新鮮だ。
「町長様ぁ~~~~ッ!!」
とそのとき、南の方からミッチェンさんが走ってきた。
「家の手配、できました! こちら、30軒分の空き家のリストと連絡相手です」
ミッチェンさんが差し出してきた紙束を受け取る。
「さすがミッチェンさん!」
本当に仕事が早い!
「じゃあ僕とノティアで行ってきますので、あとの差配はお願いできますか?」
「お任せください!」
「クリス君、わたくしにも見せてくださいな」
「うん」
「じゃあまずは、王都から参りましょうか――3、2、1、【瞬間移動】!」
■ ◆ ■ ◆
途中、王都のレストランでノティアとの食事を挟みながら、王都といくつかの大都市を回り、空き家を回収した。
いや、ノティアに連れていかれたレストランがものすごい高級店で、気が引けたんだけど、『わたくしが出しますから! 後生ですから!』なんて言われちゃね……。
そして、午後は農村へ空き家を移築して回った。
こうして、一日にして百数十人が住めるだけの農村が現出した。