「俺、絶対ワールドカップに出るんだ!」
幼い頃から、プロのサッカー選手になることが俺の夢だった。
小学校低学年の頃にもらった誕生日プレゼントのサッカーボール。そのボールをひと蹴りした瞬間、俺の人生は変わったのだ。
「そうねぇ、泉はきっと、おっきい日の丸を背負ってサッカー選手になるんだろうねぇ」
そんな俺を、笑顔で応援してくれる俺の母親も、ボールを蹴る毎日も。
全てが、楽しかったから。
中学校でもサッカー部に入部し、部活一色の毎日。それがどうしよもなく心地よくて、楽しくて。
ただ、これからも純粋に、この夢を追いかけ続けられるのだと思っていた。
思っていた___。
「なあ、泉。まだそんなことを言っているのか?」
「……は?」
そんな日々を送り続ける俺が、中学二年生に進級した頃だった。
部活が終わった後も、夜遅くまで自主練をしていた俺が帰宅した時、何気なく父親に聞かれて答えた夢に対しての言葉。
お前の夢はなんだ、と聞かれたから、素直に答えただけなのに。
もう俺も中学生だ、これから言われることなんて、大体想像ができた。
「もういい歳なんだ、現実を見たらどうだ?」
「……なに……言って」
「父さんは泉のためを思って言っているんだ。サッカーをやめろとは言っていない、ただ、もう少し現実味のある夢を持ったらどうだ」
父親の言っている意味がわからなかった。
プロのサッカー選手になる夢を諦めろ、って、言いたいのか?
そう言われることは想像していたけれど、改めて言われると、やはりすぐに理解をすることが難しい。
父さんは、微笑んで話を続ける。
「進学はどうする?高校だって、偏差値が高いところに行ってもらわなきゃ父さんの病院が困ってしまう」
ちょっと、待て。
俺はひょうしぬけした。
父さんの病院の後継をもちろんしてもらう、とでも言うように俺の将来のことをペラペラと語り出す父さん。大きく頷きながら俺に何か共感を求めているけれど、そんな父親の言葉なんて耳に入らなかった。
「ちょ、ちょっと待てよ。なに、俺の夢が叶わないこと前提で話してんの?」
乾いた笑い声が俺の口から溢れた。でも、俺の口角は上がるどころか自分でも感じるほどに下がっている。
「だから、そういうことじゃない。お前の将来は決まってい___」
「そういうことだろ!」
まるで俺の方が間違っているかのような物言いに、父さんの言葉を遮る。
なにが、「そういうことじゃない」だ。
「俺のことをきっぱりと否定しないのは、俺が父さんから離れていかないためだろ?もうわかってんだよ!いい親ぶるなよ!」
「泉!なんて口を___」
「俺は父さんの所有物じゃない!父さんみたいな人が決めた道なんて、歩くわけないだろ」
楽しい親子ごっこなんて、勝手にやってろよ、と、俺は床に転がっていた数年使い込んだサッカーボールを乱暴に掴むと、家を飛び出__そうとした。
「あ、泉!ただいま〜」
母さんが、仕事から帰ってきたから。
「っ、」
俺は母さんから目を逸らすと、「おかえり」と呟いた。なんだよ、なんで今なんだ。
心のどこかで、母さんが応援してくれているから、と思っている自分もいた。
でも、当然母さんには父親の意見なんて聞こうとしてもらいたくなくて。父さんの意見を聞いたら、それに母さんも納得してしまうかもしれないから。
それだけは、本当に嫌だった。
ずっとずっと俺のことを笑顔で応援してくれて、県外の強化練習や合宿、大会にまで駆けつけてくれた母さんに、俺の気持ちを無視されることだけは。
「どうしたの泉、顔色悪いね」
ぎりっと奥歯を噛み締める。ダメだ、母さん、今の俺には話しかけたら。
きっと、この優しい手を振り払ってしまう。
「っ、なんでも」
「嘘だぁ、だって元気ないもん!ほーら、お母さんに話してみなー?」
母さんの手が、俺の手を握る。その手は、少し冷たくて。
「おかえり」
「悟さん、ただいま」
俺の中に焦りという感情が芽生える。よりによって今日、このタイミングで、なんで俺と母さんの前に出られるんだ。
いや、そう思っているのは俺だけか。
父さんにとっては俺にサッカーをやめてほしいんだ。それにお母さんっ子の俺が母さんに反対されれば、従順に従うと思ってるんだ。
ふつふつと怒りが腹の底から浮き上がる。
「さあ、中へ入りなさい。寒いだろう」
父さんは、俺の手を握る母さんの手をとって、リビングへ入るように促す。
「そうするね。でも泉、具合悪いみたいだけど……」
俺の肩がぴくりと跳ねる。
今、父さんはどんな表情で俺を見ているのだろうか。きっと、冷めた目つきで、俺のことなんて見えていないかのような反応をするはずだ。
「あぁ、そのことなんだが___」
「やめろ」
だめだ、やめてくれ。
母さんだけは絶対に、ずっと。
「泉、本当にどうしたの?悩みがあるなら___」
「なんもないって言ってんだろ!」
こんな時にまで。
どうして俺は、こんなふうに後先考えずに行動してしまうのだろうか。
思えば、後悔しかなかった___。
***
___ピコン、ピコン
「……ちっ、なんだよ、今更」
先ほどから鳴る、鬼電話と大量のメッセージ。誰からかなんて、大体想像できていた。だから、スマホの電源を切る。
外は強い雨が降っていた。まさかこんなにも降ると思わなかった俺は、適当にファミレスで時間を潰し、雨が止むのを待つ。
___これからどうしようか。
片手に持った真っ黒な画面のスマホを意味もなく見つめながら、ふとそんな疑問が脳裏に浮かぶ。
家に帰るとしても、きっと俺はまた、両親から同じ話をされるのだろう。
夢なんて捨てろ、と。
夢を持つことの何が悪いんだ。夢だなんて馬鹿げたものを持っていいのは、精々低学年まで、とでも言うのか。
本気でサッカーが好きなのに。本気で目指したいものなのに。
いつも大人は、子供の可能性を考える暇もなく潰していく。それが大人の役目だと勘違いでもしているのだろうか。
本当の親というのは、母さんみたいな人のことなのだと、世の中のやつらに知らしめてやりたい。
___あぁ、母さん、俺のこと心配してるかな。
所詮まだ中学生だ。一人暮らしをできる年齢でもなければ、お金を稼げる年齢でもない。そんな自分が憎い。
「お客様、閉店時間となります」
気づけば、俺は夜道を歩いていた___。
俺の心配をするやつなんて、やはりいないか。当たり前だ、親不孝な上に、態度も悪い。俺を心配してもらう権利なんて、誰にもあるわけがないのに、どこかで寂しいと思っている自分がいる。
中学生って、こんなもんか___と思った。親がいなきゃ何もできない未熟な子供。今の俺には、そんな言葉がぴったりだ。
時刻は0時近くとなった、その時だった。
そろそろ帰らなければ、本格的に大事となりそうだ、と家に向かって歩いていた時だった。
周りの音を掻き消す雨の音に混じって、騒音が聞こえたのは。
結構大きな音だったと思う。
誰かの叫ぶ声や、男の人の怒鳴り声。色んな人の声が混ざって、雨と共に俺の鼓膜を揺らした。
何があったのだろうか。
まだ中学生の俺は、好奇心が勝り、野次馬として声の聞こえた方向へ向かうことにした。
あの瞬間___真っ赤な液体に塗れた母親の垂れ下がる腕を見たあの瞬間から、俺の夢は、脆く、すぐに壊れることを知った。