一人ぼっちは嫌なはずなのに、一人になるとどこか肩の荷が降りたように安堵してしまうこの矛盾を、どう表現したらいいのかと考えはじめて、すでに一時間が経とうとしていたことに驚いた。
生まれたときから住んでいるマンションの敷地内にある、おまけ程度に設けられた小さな公園のブランコに揺られながら、ポケットの中に入れておいたスマホを見てみれば、二十一時を過ぎようとしている。
日中のギラギラと猛威を振るう暑さとは正反対に、七月の夜は鈴虫の鳴き声とゆるやかな風がとても心地いい。
真っ暗な夜に、寿命が間近に迫っているであろう今にも切れかけの明るさを灯している街灯と、キラキラと輝き続ける星達のほのかな明るさが、なんだか今の私にはちょうどよかった。
「……はぁ」
今日だけでも数えきれないほど落としてきた溜息をもう一度吐いて、一向に答えの出ない悩みに首を垂れる。
そういえば、ため息を吐くと幸せがどこかへ逃げてしまうんだっけ。
だけど、最初から幸せなんてものを持ち合わせていない人は、いったい何を逃してしまうというのだろうか。
「ははっ。流石にこれはくだらなすぎる」
どうでもいいことをこうして頭の中でグルグルと考えて、『悩み』にしてしまうのが私の特技だ。
けれど、考えずにはいられない。
例えば今日、お昼休みにいつもの貧血を起こして保健室で休んでいた私に、同じクラスの友人達が一度だって顔を覗かせに来てはくれなかったことだったり、数学の小テストで平均以下の点数を叩き出してしまった原因だったり。
例えば、その友人達が私抜きで放課後遊んでいたことだったり、それをSNSに投稿している写真にイイネを押すべきなのか否か、私がいなくても楽しそうに笑っている彼女達を見て、複雑な気持ちになることは心が狭すぎるのだろうか、だとか、なんだとか。
「こんなこと、考え出したらキリがないって分かってるんだけどなぁ」
友達だからといって、常に一緒にいなきゃいけないルールなんてないし、誰が誰と遊んだって私には本来関係のないことだ。
分かっている。分かっているんだよ、そんなこと。
それでも、一度よぎってしまった不安は私の中からそう簡単には消えてくれない。
『大丈夫?』って、ひとこと欲しかっただけなんだ。
一緒に遊ぶつもりがなくても、フリでも構わないから誘いの言葉が欲しかった。
だけどそれが最大のわがままだってことも分かっているから、こうしてグズグズと悩んでいるわけなのだけど。
「はあー」
解決の兆しが一向に見られない悩みと、なかなか晴れないこのモヤモヤした気持ちを、全部吐き出すようにもう一度ため息を落とした。
一切音のない静かな夜なのに、頭の中は雑音だらけだ。
「(これ以上、何も考えたくない)」
勝手に不安になって、勝手に落ち込んで、勝手に負のスパイラルに陥ってしまっている。
そっと目を瞑って、真っ暗な世界に閉じこもろうした……そのとき。
「──うわぁ。でっかいため息だね!」
突然聞こえてきた見知らぬ声に、私は慌てて目を開いた。
となりに吊るされている、もう一つのブランコが勢いよく揺れている。
「……え?」
なんの前触れもなくそう声をかけてきたのは、スーツに身を包んだ一人の女性だった。
スーツを着ているということは、大人だろうか。
こんな錆びれたマンションの公園を知っているということは、ここの住人だったり?
「分かる分かる、ため息出ちゃうくらい思い悩むことってあるよねぇ」
「あ、えっと……え?」
「毎日生きてるだけで偉いのに、この世の中はそれ以外の負荷がかかりすぎなんだよねぇ」
彼女は「うんうん」と頷きながら、盛大にブランコへ腰を下ろして、黒色のヒールを脱ぎ捨てるように放り投げた。
そしてふくらはぎをバシバシ叩きながら「今日もよく歩いたから足がパンパンだよ」なんて言っている。
「あの、どちら様……ですか?」
「うーん?そうだなぁ、私の顔を見て当ててごらん?」
「はい?」
彼女はバレッタで止めていた髪を解きながら、「ほら、よーく見て?」と言って強引に目を合わせてくる。
肩の位置で揺れる黒髪のセミロング、クルンと上に向いて伸びているまつ毛と、顎の右下にあるホクロが印象的な彼女。
「(どこかで見覚えがある、ような?)」
いやいや、そんなはずはない。
私に大人の知り合いや友人はいないのだから。
「あの、すみません。全く分からないです」
「えー、嘘!悲しすぎる!」
ガクッと下を向いて残念がるリアクションをとる彼女のテンションの高さに、私は戸惑いが隠せなくなってきている。
むしろ怖いくらいだ。
そんな私の内情など知る由もない彼女は、「ま、いっか!」と言いながら靴を脱いだままブランコの上に立ち上がって、だんだんと揺れ幅を大きくさせてスピードをあげていく。
楽しそうにキャッキャとブランコを漕いで、夜空を見上げながら「今日は星が綺麗だね!」と言う彼女は、眩しいくらいの笑顔を浮かべて笑っていた。
すごく、綺麗な笑顔だった。
「あの、私、そろそろ帰ります」
「え!ちょっと、なんで!?」
「なんでって……」
知らない人と会話をするのが、昔から不得手だった。
今でこそかなり改善されたものの、小学生のころは近所の人に挨拶をすることさえ苦手だったくらいだ。
それに、今は誰かと話をする元気もない。
一度抱えてしまった悩みは、ふとした瞬間に顔を覗かせにやってくる。
他にどんな楽しいことをしていても、一瞬の隙をついて現実に引き戻されてしまう。
不安や悩みは、まるで悪魔みたいだ。
「まぁまぁ、ちょっと待ちなよ」
「え?」
「あんなに大きなため息を吐くくらい、何か悩みごとがあるんでしょ?」
「い、いえ別に」
「オネーサンが聞いてあげるから、話してみてごらんよ」
少し前までブランコを漕いでで大はしゃぎしていた彼女は、ヒョイヒョイと手招きしながら私を引き止める。
そんな気分じゃないんだけど、と心の中で呟きながら、だけどはっきりと断ることもできない私は、少し考えたあとにまたブランコに座り直した。
「で?何に悩んでいたの?」
「……別に、そんな大袈裟なことではないんですけど」
他の人から見れば、きっと私の悩みなんて取るに足らないものかもしれない。
学校で一人ぼっちなわけじゃない、誰かに何かを言われているわけでもない。
休み時間になれば一緒に話をする友達がいて、放課後になれば遊びに行く友達もいる。勉強だって嫌いではないから成績もそこそこに収めているし、趣味の映画鑑賞も月一で楽しんでいるし、好きなバンドのライブにも参戦したりもしている。
一見、私は順風満帆そうに見えるのかもしれない。
現に中学生になったばかりの妹の玲花には、「いいよなぁ、お姉ちゃんは全部が順調そうで」と皮肉混じりの愚痴攻撃をよく食らっているほどだ。
それなのに、どうして私はこんなにも思い悩んでいるんだろう。
何が原因?何が不安?
決定的な何かがなくても、いや、決定的な原因がないからこそのものなのかもしれない。
例えば明日、いつも一緒にいる春奈や美佳達から嫌われないという保証はない。
小さなすれ違いやわずかに生じた誤解から、『友達』という名の絆のはいとも簡単に亀裂が入ってしまうものだということを、私はすでに知っているから。
だからいつも、私は怯えている。
一人になることが、怖いから。
周りから見放されるのが、つらいから。