白百合なんて似合わない

「ミランダ。あのね、とっても言いにくいんだけど、こんなに多く選んでもらってもまだ男の子か女の子かもわかっていないから……」
 お抱えの針子と商人をここぞとばかりに呼びつけたミランダは、まだこの世に生を受けてすらいない子どもの服について熱心に相談を交わしている。私がハリンストン屋敷に一時帰省してからわずか一時間もせずに勢ぞろいした彼らだが、もうかれこれ数時間もの間、休むことなく会議を続けている。それこそ一番の関係者である私が聞いているだけでも疲れてしまうほどだ。――とはいえその原因を作ったのは間違いなく私なのだ。だからこそ、声をかけるのはあくまで控えめにとどまっている。
「お姉様、私は産まれてくるのが男の子でも女の子でも構いませんわ! ブラントン家の御令息と違って」
 ミランダは『ブラントン家』をやけに強調する。私も一応、そのブラントン家の一員なんだけどなぁ……。本没収騒動の時はエリオットと歩み寄ったかのように思えたが、そうでもなかったらしい。その証拠にミランダは未だにエリオットの、私の旦那様の名前を呼ぼうとしない。その理由には思い当たる節はある。あれからエリオットと私は驚くほどに距離が近くなった。おそらくそのことに嫉妬しているのだろう。私も中々にシスコンの自覚はあるが、ミランダもミランダでお姉ちゃんっ子なのだ。ずっと仲の良かった姉が取られて寂しい気分なのだろう。
「まぁ……ほどほどに、ね?」
「はい!」
  ミランダは任せて! と言った様子で力強く返事を返すと、再び針子と商人と顔を付き合わせてやれこの生地がいいだの、このデザインがいいだのと意見交換を再開した。

 こうなったのはついミランダに愚痴を零してしまったせいだ。
 お医者様に『奥様の腹の中にはお子が宿っております』告げられた時、私はエリオットがボソッと「女の子だといいのだが……」とつぶやいたのを聞いてしまったのだ。
 一般的に貴族の家で産まれる子どもは、跡取りの問題などの関係から男子が望まれることが多い。だがエリオットは長男ではないため、ブラントンの家を継ぐことない。実際、長兄や次兄と違い、本家からは少し外れた場所に屋敷を構えて暮らしている。だから跡取り問題を抱える予定のない我が子を、女の子がいいと彼が望むことに意義などないのだ。
 
 ――彼が初めから女の子を望んでさえいれば。

 ブラントンは騎士の家系で、何度かエリオットのご両親やお兄様とお会いさせてもらった際に、子どもは男子を! と強く願われたのだ。もちろん男女の産み分けなど出来るわけがない。その時は軽く流していたのだが、その後エリオットから最低でも男の子は2人欲しいのだと彼の思い描く未来の家庭図を聞かされた。だからいつかは男の子が生まれて来てくれれば……なんて考えていた。
 
 なのに、女の子がいいなってどういうことよ!!
 確かにミランダみたいに可愛い女の子が生まれてきてくれたらそれはもう溺愛する気しかしない。けれどブラントンから男の子と期待されている私に言う言葉ではないだろう。板挟みになる私の気持ちをもっと考えてはくれないか!
 そんな苛立ちを、ルンルンと子どもが生まれるのを首をを長くしているエリオットにぶつけられるはずがない。私だって、別に彼にも悪気があって言ったことではないことくらい分かっているのだ。大方、同僚や先輩の家に女の子が生まれて、その女の子が可愛らしかったとかそんな理由だろう。それにエリオットのことだからきっとどちらの性別の子が生まれても可愛がってくれることだろうと心配はしていない。
 だが少しは気を使ってくれとは思うのだ。
 相手がデリカシーをゴッソリと母親のお腹の中に置いてきてしまったライボルトなら、その襟ぐりを掴んで抗議できただろうに……。
 別にライボルトと結婚したいとは思わないのだ。ライボルトとリーゼロット様はいい夫婦になるだろうと陰からはみ出しながら応援したいと思っている。だが2人の関係が時々、羨ましく思えてしまうのだ。
 まさか貴族のご令嬢の見本であったはずのリーゼロット様が本の感想の交わし合いであんなに声を荒げるなんて……。初めに見た時、私は幻でも見ているのではないかと自分の目を疑ったほどである。エリオットが「また今日も行くのか?」眉間にしわを寄せようが、子どものように頬を膨らませようが、ひと月に一度ほどのペースで2人のお茶会もとい歓送会に参加させてもらうのだが、あんなことを毎週末しているなんて、なんと羨ましいことか!
 あれくらい遠慮なく相手と語り合えるなんて……。私とエリオットでは到底あんな関係になれそうはない。なにせエリオットは本をあまり読まないのだ。これは素の自分をさらけ出して誰かと交流する時のツールでもあった『本』という共通の話題が封じられてしまっていることを意味する。もちろん彼も全く読まないという訳ではない。読んだとしても歴史や経済、兵法に関するもので、私が読むものとは全くジャンルが違うのだ。あの騒動以来、私が望んだ本は全て贈ってくれるエリオットだが、彼と本について話せる日は来そうもない。これは由々しき事態なのだが、解決方法が見当たらない。けれど私はもっとエリオットのことを深く知りたいと思うのだ。ライボルトとリーゼロット様みたいに何でもさらけ出せる様な仲になりたい……と。
 もちろん、共通の話題がまるでないという訳ではない。スイーツについては色々と話すこともある。だが内容といえば、いつだって『これが美味しい』だの『この食感が堪らない』だの似たようなものばかり。その他と言えば社交界のことばかり。お互いを知るために話を広げたいのだが、そもそも相手のことを知らなすぎるのである。
 だからこそ、こんな時に苛立ちを相手に打ち明けることが出来ずにいる。
 でもそうしたいって言うのはただのワガママなのかしら、ね?――なんて幸せ絶頂期を迎えている上に、読書仲間でもある2人に相談できる訳がない。だからと言ってまだ結婚もしていない妹にこんな話を相談するのもどうかと思いつつも、ついつい聞き上手なミランダにやんわりと、ふんわりと、マイルドにして包み込んだ愚痴をこぼしてしまったのだ。だが私の話を最後までしっかりと聞いてくれたミランダは私の思いもよらない方向へと怒りを爆発させた。
「私もエリオット様のお気持ちがわからないわけではありませんわ。お姉様似の女の子が産まれたら、私なら絶対溺愛してしまいますもの! ですけど、それは産まれてくるのが男の子だったとしても同じこと! どちらかだけを望むなんてお姉様のお腹の中の赤ちゃんに失礼ですわ!!」
  別にエリオットは私似の子が欲しい訳ではないと思うんだけど……という私の声は聞き入れられることはなかった。その代わりにまだ温かいお茶を置いて、使用人に針子と商人を呼びつけさせて今に至る――と。
 ミランダに愚痴るまでモヤモヤを抱えていた私はといえば、誰かに打ち明けられたからか気分はスッキリとしている。元よりエリオットへの怒りというよりも初めての出産への不安な気持ちの方が多かったからというのも大きいのだろう。今では、やはり悩みは抱え込むもんじゃないな〜と紅茶をすすりながら、用意してもらったクッキーをもしゃもしゃと1人で楽しめるほどだ。
 やっぱりミランダのお手製クッキーは美味しい……。
 妊娠がわかった私のために乳製品抑えめで作ってくれるなんて優しい妹である。後で少し持って帰ってもいいか聞いてみよう。エリオットとは遠慮なく意見を交わし合えるような仲ではないが、美味しい甘味を分け合いたいと思えるような仲ではあるのだ。
「やはり髪や瞳の色、男女かもわからない状態ですと、この2色がベストかと……」
「白かクリーム色、ねぇ……。メジャー過ぎないかしら?」
「王道ですし、間違いはありませんわ」
「やっぱり産まれてからじゃないと最適なものは選べないのね……。なら何パターンか作っときましょう! どうせ産まれてくる子どもは1人じゃないんだから、作っといて損はないわ!!」
「ちょっと待って、ミランダ」
 指で挟んでいたクッキーをひとまずコースターの上に置いて、熱心な相談会を繰り広げる彼女達の話に割って入る。私だって本当は邪魔をしたくない。が、これは聞き捨てならないのだ。
  「どうせ1人じゃないってどういうことかしら?」
  確かにエリオットは最低でも男の子は2人欲しいと言っていた。つまり2人以上の子どもは欲しいと。確かに今、私のお腹にはエリオットの子どもがやって来てくれているが、子どもというのは授かりものである。欲しいからと言ってそう簡単に出来るようなものではない。それに今は2人欲しいって言ってくれているけれど、その気持ちだっていつまで続くか分からない。別にエリオットの気持ちを疑っている訳ではないのだ。ただこうも準備万端だと思われるのは何というか……非常に恥ずかしい気持ちになってしまうというか……。
「だってお姉様を深く愛していらっしゃるあの方がお姉様との間の子が1人で満足するはずがないでしょう? こうして私との時間が少なくなってしまうのは悲しいですけど、お姉様の子をこの手で抱ける日が来ることはあの方に感謝していますわ」
  ――がなぜだかミランダの目には大家族となる未来が見えているらしい。いや、この子の場合、子どもが一人だろうと構わず大量のベビー服を作ろうとすることだろう。なんといっても初姪か初甥である。私もミランダの子が生まれるって聞いたらきっと同じくらいはしゃぐことだろう。だが受け取る側としてはそんなにいっぱいもらっても困るもので、私はミランダをどう説得して止めるべきか、必死に頭を働かせる。
  あまり強く突き放したら可哀想だし、でもあまり多くもらっても仕方がないし……。
「えっとね、ミランダ。私とエリオットは、その……」
 いまいち説明が浮かび上がってこない私と、言葉の続きを待っていてくれているミランダ。
 そんな好きな作家の新作を前にしたみたいな爛々と輝いた視線を向けられるとドンドン答えに詰まっていく。なんとも言えぬプレッシャーから背中に汗がつたったその時、救世主が舞い降りた。
「ミランダ様、お話中失礼いたします」
「何かしら?」
「フィンター様がいらっしゃいました」
 私にとっては救世主だが、ミランダは婚約者であるフィンター=ランドラーの名前に表情を曇らせる。
「確か今日は訪問の予定はなかったはずだけど?」
「近くにいらっしゃったため、とのことです」
「近くに来たから、ね。これで何度目よ……。はぁ……。今行くわ。お姉様、もっとお話ししたかったのですが、申し訳ありません」
 関係性は悪くないが、積極的に関わりたくもないところは私がハリンストン屋敷にいた頃から変わらずのようだ。しかし以前のフィンターなら、近くに来たからなんて理由でミランダの元を訪ねるなんてことはなかったはずだ。それもミランダの様子からして何度も、である。
「仕方ないわよ、早く行ってあげて?」
 ミランダは気乗りしないようだが、フィンターの気持ちは私が最後に彼と会った時と変わっているのかもしれない。人の気持ちというのは案外短期間で変わってしまうものだと私は知っている。だからフィンターが、近い将来私の大事な妹と結婚する彼が少しでもミランダを愛してくれていればいいと願うばかりである。
「ありがとうございます。ベビー服は出来次第、そちらの家にお送りいたしますね」
「ええ、楽しみにしているわ」
「はい!」
 また今度ねとミランダとの抱擁を交わし、私は待たせているブラントンの馬車へ、そしてミランダはフィンターの元へと向かう。
 どちらも玄関先なので、帰りがけに少しだけ2人の会話が聞こえてしまう。
「いらっしゃいませ、フィンター様。今日はどのようなご用件でしょうか?」
「たまたま近くを通ったので、ミランダの顔を見ていこうと思いまして」
「光栄な話ですがお忙しいフィンター様のお時間を取ってしまうのは申し訳ありませんわ」
「そんなことは……」
「婚約者だからとそう頻繁に足を運ばれずとも、お忙しいのは承知しておりますから」
 わざわざ振り返らずとも、ミランダの顔は社交モードの凝り固まったものだろう。言葉からもこれ以上踏み込んでくるなというようなハッキリとした拒絶が見て取れる。楽しそうに針子と商人と共に服を考えていた時間を中断させられたミランダは虫の居所が悪いのだろう――と思っていたのだがどうやらそうではないらしい。
「ミランダはいつも僕のことばかり気にして自分のことなど二の次で……。僕は君が我慢してはいないかと心配でたまりません」
 どうやらミランダはいつもこんな態度らしい。大方、読書の邪魔をされたことがあるとかだろう。食べ物の恨みと、睡眠妨害の恨みと並んで読書妨害の恨みは恐ろしいものだ。
「フィンター様、私のことはどうかお気になさらずに」
「ミランダ……!!」
 だがそれ以上にここまで拒絶が通じない相手というのも恐ろしい。フィンターってこんなに打たれ強かったっけ? 記憶の中の彼はいつだってミランダに必要以上に関わってこなかった。こんなに拒絶されれば簡単に身を引いて、そして必要な時だけ婚約者として隣に立つ。そんな男だったはずだ。私が不在の間、何かあったのだろうか?
 振り返った先で目に入ったミランダの顔からはほんの少しだけ仮面が剥がれ落ちていた。素顔から見えるのは『呆れ』であったが、家族以外にミランダが素を見せることはほぼない。そのことを考えると私がこの屋敷を去ってからの一年と少しで彼らの関係は変わったといっても過言ではないだろう。
  今はまだミランダにとっては婚約者よりも姉とその子どもの方が優先順位は高いみたいだが、きっと2人はいい関係を築けるだろう。今度帰った時は私が愚痴を聞く番かもしれないわ。その時は姉として、そして先輩としてじっくり話を聞いてあげなくっちゃ!
 不安が吹き飛んだだけでなく、ミランダの変化を垣間見ることが出来た私は、安心して一時帰省していた実家を離れるのだった。

「あっ! ミランダにクッキーもらってくるの忘れちゃった」
「ただいま帰りました」
「ユタリア、遅かったな」
「あらエリオット様、帰っていらしたのですね」
「ああ」
 すっかり上機嫌になった私とは正反対にエリオットの顔色は暗い。
 まるで誰かと喧嘩したかのようだ。喧嘩、したのかしら? 気にはなる。けれど聞いていいかどうかと言えばそれは否である。カマをかけて話してくれればいいのだけど、と諦め半分で暗い顔で私の顔をじいっと見つめたままのエリオット相手に「何か?」と首を傾げてみる。
 けれどやはり答えは予想通り。
「なんでもない」――と。
 そう言われてしまえば私が聞き出す隙間などないのに、エリオットは相変わらずの表情を変えることもなければその場から動く様子すらない。私への愛情は口にしてくれるようになった彼だが、悩みを打ち明けてくれることはないのだ。だからこそ、何も出来ないこの状況がもどかしくてたまらない。
「ああそうだ、エリオット様。ミランダがベビー服を用意してくれるそうです」
 暗い雰囲気を少しでも明るくするためについ先ほどまでのミランダとのことを口にする。
「ミランダさんに会いに行っていたのか?」
「ええ。妊娠したと伝えにハリンストンの屋敷に帰っておりましたの。そしたらミランダったら子どもの性別も分からないうちからベビー服を仕立てるために商人と針子を呼び出したんです」
 口にして、そして服が手元に届くことを想像してふふふと笑いがこみ上げて来る。タイミングが早すぎるのと、明らかに仕立てる服の量が多いことは気になるものの、あの子のことだからきっとセンスのいいものを用意してくれるだろう。
 性別どころか、まだ妊娠が発覚したばかりでちゃんと私の元に元気で生まれて来てくれるかはわからないが、生まれてきた暁にはきっと満足する一着と出会えるはずだ。
 だから安心して生まれてきて欲しい。男だろうが女だろうが、惜しげもない愛情は注ぐ準備は出来ているから。
「そうか、ミランダさんのところにか……。ミランダさんなら、きっと似合う服を用意してくれるだろうな」
「はい!」
 ブツブツとしばらく独り言を呟いたエリオットはそうかそうかと独り合点をすると何かを決意したかのように真っ直ぐに視線を上げて歩き始める。今の話でどうやら気分転換が出来たらしい。
「ユタリア、ご飯にしよう」
「はい」
 ああ、良かったわ。
 ――その翌日からミランダに対抗してエリオットが次から次へと商人を連れて来るとも知らないで、私はエリオットの機嫌がよくなったことに喜んでいた。


「ユタリアはどれがいいと思う?」
「えっと、もうおもちゃはいいんじゃないですか? 男の子と女の子でも違いますし、これ以上は生まれてきて必要な物を揃えても……」
 こんなことを繰り返すのももう10日目である。すでに赤児用の布オムツやタオルケット、子ども用の木馬に至るまで、5〜6歳まではもう何も買わなくても十分だと思えるほどの品を買い揃えている。だというのにエリオットはまだ足りない、まだ足りないと繰り返してばかり。
  ミランダのベビー服は色や生地の問題だから、男の子か女の子のどちらが生まれてきたとしても着せることは出来る。我が子なのだから何を着せても可愛く見えるし、ミランダの目にだって多分叔母フィルターがかかっているはずだ。だからまぁそんなに必死に止めようとは思わなかった。エリオットも第一子にはしゃいでいるのだろうと今まで付き合ってはきた。
 だがさすがに飽きたし、疲れた。
「だが何もなければ退屈してしまうだろう?」
「生まれてきたばかりの赤児というのはほとんど寝ていますから」
「そうか? あ、これなんかいいな!」
 私の言葉なんて半分以上聞き流しているし。なら私いらなくないか?とは思うものの、あれからお茶会や夜会の出席は身体に触るからと全てキャンセルさせられてしまっている。ならば仮病でも使って! と体調が悪いフリをしたところ、エリオットがえらく心配し、危なくこれから数ヶ月間毎日医者を連れて行動する羽目になるところだった。
  それだけ子どもを楽しみにしていてくれているということだろうが。
  「ユタリア、ユタリア、これなんか」
「エリオット様、ユタリア様。お客様がおいでになられました」
 使用人がそう告げるのとほぼ同時に茶色い頭はヒョッコリと顔を出す。
「久しぶりだな、エリオット、ユリアンナ」
「「リガード!!」」
 私のことを未だにユリアンナと呼ぶその男がこのブラントン屋敷を訪ねるのは、ユタリア・ユリアンナ騒動以来である。つまり私とはまだ数回しか顔を合わせていないのだが、一度でも顔を突き合わせてお茶した仲である。彼からは遠慮などカケラも見られない。代わりに気遣いは彼の手元にしっかりとある。
  「『リオン』でケーキ買ってきたから食おうぜ?」
「ああ、休憩挟むか」
「ええ」
 リガード、ナイス!と心の中でグッと親指を立てて、ルンルンと軽い足取りで客間へと向かう。だがこの男、持ってきたのはケーキだけではなかった。
  「エリオット、お前の兄さん達から伝言だ。『子どもの練習具一式は両親が選ぶと今から騒いでいるから残しとけ』だそうだ。……お前が色んな商人を屋敷に呼びつけて子どもの品を選び続けているって俺の耳まで届いてるんだが、そろそろやめとけよ。ブラントンの家もだが、ハリンストンも選ぶ物もあるだろうし、それにユリアンナも参ってんだろ……」
「ゔっ……」
「リガード!」
 ものすごくいいこと言ってくれた!
 感謝の気持ちをこめてモンブランのてっぺんの栗をフォークで掬って、リガードのお皿にちょこんと乗せる。すると「お前も大変だなぁ」と言いつつも、リガードは嬉しそうな顔でマロングラッセを頬張った。相変わらず幸せそうに食べるなぁ〜と気持ちが少し和らいでいく。
 それにしても引きこもり気味のリガードの耳まで届いているってことは、王都近郊の貴族には私達に子どもが出来たって知られているんじゃないかしら?
 隠すことでもないし、お茶会と夜会を片っ端からキャンセルしだした時点で察している人もいただろうけど。
「ああそうそう、ユリアンナ。お前はしばらくこの屋敷から出てないから知らないだろうが、ライボルト=ハイゲンシュタインとリーゼロット=ペシャワールがお前達の子ども用の絵本を買い揃えているらしい」
「「は?」」
 
 これには私だけではなく、エリオットも驚きの声を上げる。おそらく私達に子どもが出来たということはミランダから聞いたのだろう。ミランダもあの2人の読書仲間の1人だし、私と仲がいいのも知っているから伝えていたとしてもおかしな話ではない。だがまさか私の子ども用に絵本を買い揃えるなんて、なんとも2人らしい祝い方である。だがそうか……2人の推薦図書が贈られるとなれば我が子の絵本用の本棚を1つ用意しておかなければならないだろう。あの2人は赤児だろうと容赦はない。いいと思ったら惜しげもなく、名作を送りつけ仲間に引きずり込むのがあの2人の手口である。
 おかげで何度名作に巡り会えたことだろうか! 全く感謝してもしきれない。
  私に似た子どもなら確実に本好きになることだろう。そしてあの2人の推薦図書と私とミランダのオススメ本で深みにハマっていき……という未来が容易に想像できる。そしてエリオットに似たら朝から剣の稽古に励んでいることだろう。だったら剣術とか兵法とかの本も気に入るだろうし、そっちの本はこちらで集めなければ! となると、本棚は絶対1つじゃ足りないな。子ども達に買いたいものをこの10日間で私から口にしたことはなかったけれど、これは提案しなければならない。
 子どもの教育及び娯楽に本と甘味は欠かせないのだから!
「だから絵本の枠も取っといてやれ。それに兄貴から聞いた話だとユグラド王子とクシャーラ王子妃も出産祝いを選び始めたらしい。それにこれから色んな家から子ども用にってたくさん送られてくると思うぞ? ちなみに俺からはこれな」
 次々と新情報を投下したリガードは小さな黄色いリボンのついた袋を差し出してくる。
  「開けてもいいかしら?」
「もちろん」
 リボンの片方を引いて開いた口から見えたのはタオル地で作られたモンブランと小さな犬のぬいぐるみである。
「これなら口に入れても平気ね」
 このモンブランにもしっかりと頭部にはマロングラッセに当たる黄色い固まりがデンと乗せられている、何ともリガードらしい品である。
「食べられないとわかっていても、ついつい口に入れようとするだろうからな! 本物はある程度大きくなってから、俺が美味い店のを食わせてやる」
「リガードのオススメの店のモンブランなんて絶対美味しいに決まってるじゃない! 期待しているわ!」
「まぁ後何年も後のことだけどな、期待しててくれ。……ってエリオット、そう睨むな。別にお前達の子どもを狙っちゃいないから」
  恨めしそうなジトッとした目を向けるエリオットの背中を数回叩くとリガードはスクッと立ち上がった。
「じゃあ用事は済んだし、俺は帰る」
「今日はありがとう、リガード」
「ああ。そんじゃあエリオット、お前嫉妬ばっかりしてねぇで仲良くやれよ?」
「……わかってる」
  リガードの帰宅後、彼からの忠告が効いたのか、エリオットは待たせていた商人を全て帰してくれた。エリオットの目が私から離れているうちに子供に向けて簡単に書かれた歴史本を購入したのは内緒である。彼のことだから私が欲しがっていると知っても止めることはないのだろうが、こんな初歩的なことから学んでいるとバレてしまうのは恥ずかしいのだ。エリオットが屋敷を離れている間に少しずつ読み続けていれば、一か月後には彼との話のタネも出来ることだろう。

 ――こうして10日に渡る屋敷でのお買い物祭りはお開きとなったのである。
「クシャーラ様の話したいことって何かしら?」
 ある日突然クシャーラ様から個人的なお茶会の招待状を送られてきた。クシャーラ様の体調も安定してきて、夜会で顔を合わせることはこれまでも何度かあったが、個人的なお茶会に誘われるのは初めてだった。
 他の家のお茶会には全てお断りを入れているが、クシャーラ様は今や王子妃である。断りづらいというのもあるが、そんな立場となった彼女からの個人的なお茶会の誘い――それは何か意味があるのではないかと踏んで、エリオットに許可を取って足を運んだわけだが……。
「――それでブラントン家に女児が産まれたら是非フィリップの婚約者候補になって欲しいの!」
 まさかここでも気の早い話を聞かされるとは誰が予想しただろうか?
 リガードからクシャーラ様とユグラド王子が、私達の子どもへの贈り物を選んでくれているらしいって話は聞いたけれど、まさか産まれてもない子どもの婚約まで話が進むとは……。
 私の考えが遅いのかしら? と考えてしまう。
 私がユグラド王子の婚約者候補として選ばれてからというもの、王子妃様には選ばれないようにして、後は16歳を迎えた後にお父様が決めた相手と結婚する! くらいの軽い気持ちで過ごしてきたのだ。
  婚約話は今からでも進めといたほうがいいのかな?――と考えて私の中での重要な記憶が呼び覚まされる。
「クシャーラ様、王子の婚約者候補は厳正な審査の上で行われますから我が子が選ばれるとは……」
 私のお腹から産まれてくるのは私の血を引く子どもである。そう、この『私』の! まだ顔も見る前からこう判断してしまうのは、親として問題あるかもしれないが、王子妃とか絶対無理だろう。エリオットの血を濃く継いでくれれば……と一瞬だけ考えもしたが、蛙の子は蛙。サボテンの子どもはサボテンなのだ。
  「それなら大丈夫ですわ! 私とユグラド様、それに王妃様が推薦いたしますので! いざという時は他の2人は適当に王家の近しい者を選んで出来レース形式にしても構わないと王妃様もおっしゃっておりましたわ」
「えっ!?」
 え、あれ推薦制度あったの?
 というか出来レースって……そんなのアリなの?
 あれほどクシャーラ様を嫌っていた王妃様と彼女が仲良くなったようなのは嬉しいことだが、そんなことを共謀されてもなぁ……。というかユグラド王子までその作戦に加わっているなんて、この国大丈夫なのかしら?
 確かに私とエリオットの子となれば、筆頭貴族であるハリンストン公爵家と騎士貴族の名家ブラントン公爵家の間に生まれた、いわゆる貴族のサラブレッドである。そんな子どもが王家と繋がりを持ったら、より強固な関係を築ける上に王家、ハリンストン家、ブラントン家のどこの家にも得しかないだろうけど……。 だがさすがにエリオットに相談もせずに決めることは出来ない。とりあえず持ち帰らせてもらうことにしよう。
「私だけではなんとも……夫と相談して決めさせていただきますわ」
「色よい返事をお待ちしておりますわ!」
  ――と返した1週間後、私達の子どもにと本棚付きで大量の絵本を携えてブラントン屋敷にやってきたライボルトがバカなことを言い出した。
「俺達にも子どもが出来たらユタリアのところの子どもと結婚させたい。だから婚約者の枠空けといてくれ」
「枠って、ライボルトあなたね……」
「ユタリア様の子どもと私達の子どもが結婚!! なんて素晴らしいのかしら!?」
「うちの子には結婚の話なんてまだ早い!」
 まるで天気の話をするかのようにサラッと産まれてきてすらいない子ども達の婚約話を持ち出すライボルトに、呆れる私と感動するリーゼロット様。そしてすでに溺愛を発揮しているエリオット――そしてそれに参戦しようと私のお腹の中でもがく我が子。
 ちなみに我が子とエリオットはクシャーラ様からの提案にも同じような抗議していた。
 エリオットは我が子には結婚や婚約な話なんてまだ早い、と私と同じことを思っているはずなのだが、物語の中でたまに目にする娘を嫁に出すシーンの父親の様子と今の彼はよく似ている。嫁や婿に出すことを想像しているのか、今にも泣きそうだし。エリオットにはすでに息子や娘が見えているのかしらね?
 私は中からドンドンと蹴られるお腹を撫でながら、聞こえるかどうかはわからないが、「出てくる前からあなたモテモテね」と我が子に呟いてみた。
 
 
 それから数ヶ月間、一切社交場に顔を出さなかったというのに返しても返しても手紙と子どもへの贈り物はたくさん溜まっていく一方だった。
 王都内外の貴族がブラントン家の子どもに贈り物を買い漁った結果、リットラー王国はベビーブームでもやってきたのかと思うほどに市場にはベビー用品が溢れかえっている。いや事実として、本当にたまたまなのだろうがこの国はベビーブームとまではいかないが、妊娠によって社交界から一時的に姿を消すご婦人方が多いとミランダから聞いた。
  「それによって益々お姉様の子どもと婚約をと言ってくる貴族が増えそうですわね!」なんてミランダは早速親バカならぬ叔母バカを発動させている。そしてその言葉を聞く度に「結婚はまだ早い!」とエリオットが泣きそうな顔で返すのだった。
 

 そんな色んな人に望まれていた我が子だが、なんと盛大に空気を読んだのか男の子2人、女の子1人の3つ子としてこの世に生を受けてくれた。よくお腹蹴ってくるな〜と思っていたが、まさか私のお腹は3人によって攻め込まれていたとは……よくまぁ私のお腹なんてあんな狭いところに収まっていてくれたものである。
 そりゃあ出てくると共に大きな声で泣き叫ぶわよね。
 多すぎないかと思っていたエリオットが端から買い付けたベビー用品に、ミランダがはしゃぎすぎた結果クローゼットの中に溢れかえるベビー服、そして各地から贈られてきた様々な物は、元気すぎる我が子達によってどれも大切? に使われている。
「万全を尽くしていて正解でしたわ! カナンはまるでお姉様の小さい頃の姿が写真の中から出てきてくれたみたい!!」
 ミランダは自身がプロデュースの服に身を包んだカナンのムチムチの頬を可愛いわ~と呟きながらツンツンとつつく。彼女は宣言通り3人とも可愛がってくれているのだが、特に私に似た、3人の中で唯一の女の子であるカナンがお気に入りらしい。赤ちゃん用の髪飾りを作ってきてはカナンの頭に飾っている。
 
「ミュリン、大きくなったら美味しいモンブラン食わせてやるからな〜」
 リガードは自身が贈ったモンブランのぬいぐるみを気に入ったミュリンがお気に入りらしく、来るたびに自分の膝の上に乗せている。最近ではミュリンはリガードの膝は自分の場所だと認識しているのか、彼が屋敷に来るたびにハイハイでお出迎えまでして。その姿がリガードの心に深く突き刺さったらしく、溺愛っぷりに拍車がかかっている。
 
「なるほど、セロイはこの本が好きなのか。さすがはユタリアの息子、見る目あるな!」
「3歳児を想定して選んだら本ですが、まさか1歳を迎える前に手を伸ばすなんて、今からこの子の将来が恐ろしいですわ……」
 息子の1人、セロイを囲んでまるで自分達の子の成長を見守るかのように本に手を伸ばす姿を喜んで見せるライボルトとリーゼロット様。まだ結婚しないのか? と思っていた2人だが、どうやら出産後、私の体調が落ち着いてから式を挙げることにしてくれたらしい。その上、ブラントンに3人の子が生まれたと知ってからわざわざブラントン一家用に席まで作ってくれているらしく、さすがにそこまで優遇してくれなくてもいいのにと縮こまってしまいそうになる。けれど誰よりも式を挙げる彼らが乗り気だからいいのだろう。
 
 ――と4人とも我が子を可愛がってくれるのはいいのだが、さすがにほぼ毎日は来すぎではないだろうか?
 
 ミランダはフィンター様がやって来る時とお茶会がある時以外、ライボルトはどうしても外せない用事があった時以外、リーゼロット様はお茶会がある時以外、そしてリガードに至っては体調が悪くなければ必ずといっていいほど我が家へとやってくる。そして予定が入っていれば、いつもの訪問時間ずらしてでも来るのが彼らである。
 来すぎじゃないかと思う一方で、実は彼らの訪問には感謝している。

 夜なんて3人が別々に泣いてはミルクをあげて寝かせては次の子をあやし、を繰り返しているため全く眠れていないのだ。使用人が手伝ってくれるが、なぜかこの子達は夜限定で私でないと泣き止まないため、結局は起きなければいけない。これではエリオットはろくに寝られないだろうからと、寝室を別に用意してくれないかと頼んだのだが、それを受け入れてはくれなかったのだ。

『私達の子どもだろう?』――と。
 その言葉に思わず胸が温かくなるのを感じたが、私はまだしばらくはお茶会の参加はないが、エリオットは週に1〜2日の休み以外は朝から夕方までお城で仕事があるのだ。
 こうして私達の事を思ってくれる嬉しいのだが、さすがに夜泣きパラダイスに身を置かせるわけにはいかない。だが無理に他の部屋に移れば、エリオットは気を落としてしまうことだろう。
 一体、どうすればいいのか。
 そう悩んでいたのは少し前までのことである。

 彼らが毎日遊びに来てくれるお陰で三人とも夜はぐっすりと眠るようになったのだ。もちろん、夜泣きはまだするけれど、それでも数は減ったほどである。それこそ、私は彼らが面倒を見てくれている間にお昼寝すれば元気になってしまうくらいには。

「いつもごめんなさいね」
「気にしないで、ゆっくり休んできて」
 こんな恵まれた環境を当たり前になってしまっていることに申し訳なく思うのだが、睡魔には勝てない。今後彼らに子どもが出来た時には率先して手伝うことを心に決めて、今日も今日とて甘えさせてもらうことにするのだった。
 
 ――がこんな私にとっては嬉しい、日々の彼らの訪問には1つだけ困ったことがある。
 
「カナン、お父様のところに……」
「セロイ〜」
「ミュリン……!」
 エリオットがこうして声をかけても我が子は3人揃って彼の元に来る素振りすら見せないのだ。
 カナンはミランダの腕の中。
 ミュリンはリガードの膝の上。
 セロイは本棚の前でリーゼロット様とライボルトと共に座り込んだまま。
  どんなにエリオットが休みの日に我が子達と交流を取ろうとしても3人とも、そこが定位置であり、エリオットなどお構いなしなのだ。そして私は膝から崩れ落ちるエリオットの背中を撫でることしかできない。まぁこうなることはなんとなく予想していた。だってこの子達、揃いもそろって夜中にエリオットがあやしたところで全然泣き止まないんだもの。だけど毎晩、彼が子ども達と少しでも交流を取ろうとしていたのも、子ども達を愛しているのも事実なのだ。……ただ圧倒的にエリオットだけ接する時間が少なかっただけで。
「ほらカナン、お父様が抱っこしてやるからな~」
「……あゔ」
 カナンが唯一の女の子であるとはいえ、まさか生後6ヶ月で父親への反抗期を迎えるとは思わなかったが。
「私が父親なのに……!」
 赤児の力で弱くパシッと叩かれただけだが、エリオットのライフポイントはほぼゼロである。その上、4人が4人とも勝ち誇ったような笑みを浮かべているため、残り少ないエリオットのライフは徐々に、いやゴリゴリと削られていっている。
「ユタリア〜」
 縄張り争いに負けてしまった犬のように目を潤ませているエリオットの背中を抱きしめるように撫でてやる。最近ずっとエリオットのこんな姿しか見ていない気がするのは気のせいではないはずだ。だがこんな姿も可愛らしいと思ってしまう。だってエリオットのこんな姿、この場所でしか見ることは出来ないだろうから。それに子どもが産まれてからエリオットとの心の距離は確実に近づいている。共通の話題なんてわざわざ探さずとも、日々の子ども達の様子が今の私達の会話の9割を占めている。
  「もう少し大きくなったらセロイとミュリンは剣の稽古一緒に出来るようになりますから、その時はエリオット様の腕の見せ場ですよ」
「そうだな!」
 それまで後2、3年はかかるがという事は伏せておくことにする。だってその事実を伝えたらきっとエリオットは今度こそ泣き出してしまうだろうから。
 ――とあれからもう10年である。
 
 10年。
 数字にしてみると長いようだが、流れてしまえばあっという間の日々だった。
 
「カナン、お城へ行く準備はできた?」
「ええ、もちろんよ、お母さま」
「カナンが婚約者候補、そしていつかは王子と正式に婚約を……」
「お父さま、貴族たるものみな婚約をするものよ」
「カナンはそんな言葉を一体どこで覚えたんだ……」
 カナンは数カ月前にユグラド王子とクシャーラ様の子どもであるサバラド王子の婚約者候補に選ばれた。王妃様とクシャーラ様曰く出来レースの婚約者候補に。
  貴族たるもの〜なんて小難しい言葉を使ってはいるが、私達の時とは違い、王子や他の婚約者候補と仲良くしているようだ。今回もみんなでお茶会がしたい! なんてカナンの発案で王子様と3人の小さな姫君達は王妃様自慢の薔薇園で優雅にお茶を楽しむ予定だ。
 カナンは10歳になった今でも身を包むのは、ミランダプロデュースのドレスである。今日は赤薔薇がメインの薔薇園に合わせて淡めの白をメインに据えたふんわりとしたフリルの可愛いものである。エリオットを適当にあしらって馬車へと向かって歩くたびに、裾がユラユラと揺れるその姿は私よりもミランダに似ているような気がする。
 
 初めは確かに私に似ていたのが、年々可愛くなっていってお母様は嬉しい!
 エリオットは娘の早い成長を悲しんでいるようだけど、こればっかりはどうしようも出来ないことである。
 
「お母様、ムーランは今度いつ来るんですか?」
 カナンを乗せた馬車を見送ると、今度は胸の前に分厚い本を抱えたセロイがトタトタとやってくる。
 ライボルト達の子どもであるムーランに次会った時に読み聞かせする用の本を選び終わったのだろう。
 ムーランはセロイ達の2つ歳下で、まだ8歳になったばかりである。だがさすがはライボルトとリーゼロット様の娘、あの2人が選んだ本を端から読んでは吸収し続け、既に三か国語の読み書きが出来るようになり、今では率先して2人の書斎に足を踏み入れるようになったらしい。それでもムーランが2歳の時から続けているセロイによる読み聞かせは継続中だ。おそらくは婚約者である2人が結婚してからも続くのだろう。

「うーん、ライボルトとリーゼロット様が1週間はこっちを離れるって言っていたからしばらくは来られないんじゃないかしら?」
 彼らは今、ムーランのペシャワール家の第一書架蔵書読破記念して、彼女の幼いころからの一番のお気に入り作品である『ヒツジぐものわたあめ』の聖地であるコトラ峠まで旅行に行っているのだ。
 今回に限らず、あの3人は何でもかんでもお祝いにして聖地巡礼や創作料理を繰り返している。
 そのためリーゼロット様は公爵夫人でありながら、一流シェフ並みの料理を作れるようになったのだから愛情の可能性は無限大にあると納得せざるを得ない。
 
「お父様がとまりはダメだって言わなかったら、ぼくも行けたのになぁ……」
 その旅行に是非と誘われていたセロイが頬を膨らませてエリオットを可愛く睨む。
「ゔっ……」
 泊りがけのお出かけをするなんてセロイにはまだ早い、なんて理由で旅行の許可を出さなかった親バカのエリオットは痛む胸元を抑える。未だに『お父様キライ』と言われたことが糸引いているようだ。
 
 そんなエリオットを横に押し寄せるようにして、顔を出すのはセロイと瓜二つのミュリンである。
 一応カナンを含めた3つ子なのだが、セロイと色違いのミランダセレクションの双子コーデが今日もよく似合っている。
  「お母さま、リガードおじさまはもう来た?」
「あら、ミュリン。リガードと約束してたの?」
「うん。モンブラン持ってきてくれるって!」
「あら楽しみ!」
 フィンター様と結婚したことによってなかなか気軽に来られなくなってしまったミランダや、子どもを連れて各地に出かける機会が増えたライボルト・リーゼロット様夫妻と違い、リガードのブラントン屋敷訪問回数はこの10年間であまり減ることはない。
 結婚どころ仲のいい令嬢もおらず、リガードは完全に我が子達の間では親戚の叔父さんポジションをキープしている。元々ブラントン家とブラッド家は家同士で仲はいいらしく、度々ブラントン本家からの伝言を携えてやってくるのももうお馴染みで、親戚と言っても間違いではないような気さえするが。
 
「じゃあ、ミュリン、それまでお父様と稽古していようか」
 ミュリンの身体を反転させて、エリオットはここぞとばかりに我が子との交流を図ろうとする。昔は2〜3年したらきっと〜なんて言ったけど、未だにエリオットよりも他の人達との距離が近いのよね……。
「うーん、じゃあそうする。お母さま、おじさまが来たらよんでね?」
 今だってものすごく仕方ないな〜って感じで、人差し指で頬をかいている。
「ええ、いってらっしゃい」
 だがほんの少しでもエリオットと親子の時間を取ってあげてくれと見送りの手を横に振ったその瞬間――。
「あ! リガードおじさんだ!!」
 エリオットとの交流タイムは終了した。エリオットは玄関から笑顔でやってきたリガードには勝てなかったのだ。
 
  「ミュリン、セロイ、お前らいい子にしていたか?」
「してた! 今も時間つぶしにお稽古しようとしていたところ」
「時間つぶしって……お前、ブラントンの男だろう? セロイも本は確かに面白いが、剣の稽古はしっかりしといた方がいいぞ?」
「ぼくたち、何かあったときにお父さまなんていなくてもお母さまを守れるくらいには強いから大丈夫! ね、セロイ?」
「うん。この前だっておじいさまがほめてくれたんだ」
「ああ、この前もお前達、武闘大会と剣術大会で優勝していたもんな……。背は全く伸びないのにその馬鹿力はどっからくるんだか……」
 
 この子達が剣を握れるようになった頃に、エリオットの数年間の我慢を爆発させ、さらにブラントンの血を引く彼らの元々の身体能力の高さが相乗効果を引き起こした結果、ミュリンとセロイの剣術と武術の腕はわずか数年で未成年の部では負けなしになるほどに成長した。ブラントン家からも2人はもう一人前だと太鼓判まで頂いたほど。
 
 だからなのか、2人からは稽古へのやる気をあまり感じない。セロイは今も昔も本とムーランが第一だし、ミュリンに至ってはリーゼロット様に憧れてお菓子作りを始めるようになった。将来は騎士ではなく、パティシエになると言いだしそうな勢いである。
 
「じゃあ2人、連れてくな?」
「あら今日はリガードの屋敷だったの? わざわざ迎えにきてもらって悪いわね」
「いやブラントン屋敷だ」
「へ?」
「エリオットが連れてこないからって頼まれたんだ」
「今日はおじいさまの家に行くの?」
「ああ。ケーキいっぱい用意してあるらしいぞ?」
 セロイとミュリンの小さな背中を押して「先、馬車乗ってろ」と促したリガードは落ち込むエリオットになにやら耳打ちをすると2人の後を追った。
 
「いってらっしゃい、迷惑かけないようにね?」
「「はーい」」
 我が子を3人とも送り出して、不自然なほどに静かになった屋敷でふとエリオットと2人で屋敷に残るのは11年ぶりかと思い出す。
 まだあの子達は10歳で、カナンだってお嫁に行くのは5年も先のことだ。けれどいつかはこれが普通になる時が来るのだろう。そう思うと気が早いことに今から寂しくなってしまう。それこそエリオットのように嫁に出したくはないなんて、言いはしないけれど思ってしまう日が来るんだろうな……。
 
「……ユタリア、久しぶりに一緒にクレープを食べに行かないか?」
「いいですね!」
  こうしてエリオットが外出に誘ってくれるのも、きっと子どもが小さい今のうちだけである。

「はぁ、やっぱりクレープは美味しい……」
 やはりクレープといえば、エリオットと町で初めて出会ったこの店である。来るのは6年ぶりだが、口いっぱいに頬張った瞬間から甘さがジンワリと体に染み込んで来るこの美味しさは相変わらず健在である。
 
「そう、だな」
  こんなに美味しいクレープを手にしているのに口をつけようとしないエリオットの表情はまるで曇り空のようだ。
 エリオットから誘ったのに食べないなんて、何か言いたいことでもあるのだろうか?
 屋敷の中では言いづらく、この場ですらも言い澱むような……。ここに来る前、リガードから何か耳打ちされていたようだし、彼はエリオットが私に何か言いたいことがあるって知っていたのかしら?
  リガードが絡んでいるとなるとあまり嫌な予感はしないけれど、今日に限ってあの子達が行くのはリガードのお屋敷ではなく、ブラントン屋敷だったのだ。
 生クリームを程よく溶かす出来立てホカホカのクレープの手を止めることはしないが、何かあると勘繰りたくもなる。
 チラチラと横を確認しながら食べ進め、結局エリオットがそれに口をつけるよりも私が食べ終わる方が早かった。
  あったかいうちが一番美味しいのに、みすみすベストタイミングを逃すなんてなんとも勿体ない。
 しびれを切らした私はついにエリオットに切り込むことにする。
「エリオット様、何かあるなら話してくれませんか?」
 言ってくれなきゃわからない――と。
 けれど言うつもりがないのならないでいいと逃げ道も作って。
 
「ユタリア、その……」
「はい」
「旅行に行かないか?」
「いいですね! あの子達も大きくなりましたし、セロイは聖地巡りに行けなかったことを気にしているようですから」
「そうではなくて、その……2人で。新婚旅行、行かなかっただろう? その代わりにと思って……。私はリューバルト海の近くがいいんじゃないかと思っているんだが……どうだろうか?」
「え?」
「子ども達も大きくなったし、2、3日なら実家であの子達の面倒を見てくれるっていってたから……」
  恥ずかしそうに顔を赤く染め、エリオットの声は次第に小さくなって行く。
 
 セロイがこの話を聞けばなんか、自分はダメって言われたのに、私達が彼を置いて旅行に行ったと知れば頬を膨らませるどころじゃ済まないだろう。今度はお母様大嫌いって言われるかもしれない。
 けれど実はずっと、私は新婚旅行に憧れていたのだ。
 リーゼロット様とライボルトが新婚旅行で訪れた場所の写真を見せてくれたのだが、中でも透き通ったような蒼が広がる海には一度行ってみたいと思っていた。……もちろん、エリオットと。ロマンス小説のように砂浜でかけっこなんて恥ずかしいけれど、浜辺で並んで日の出を見られたら、きっと綺麗なんだろう……と。想像して思わず顔が熱くなっていくのを感じる。クレープを食べる振りをして、真っ赤になってしまった顔を俯かせる。
「ダメか?」
「いえ、楽しみです……」
「そうか! 良かった!」
 私の返事に、エリオットは眩しいくらいの笑みを浮かべる。最近は目を潤ませている顔ばかり見ていたが、彼には笑みがよく似合う。そう思うのはきっと私が彼に惚れているからなのだろう。

 帰ってから私達2人で旅行に行くことを子ども達に告げたところ、三人揃ってエリオットにガッツポーズを向けたのだった。
「やったね、お父様」――だそうだ。
 それからエリオットに話を詳しく聞いてみれば、どうやらリガードはもちろんのこと、ライボルトとリーゼロット様、はたまたミランダにまでこの事を相談していたのだと言う。知らなかったのは私だけだったのだ。仲間外れにされていたことにぷうっと頬を膨らませている私をエリオットは後ろから優しく抱きしめてくれる。
「色々とプランは練ってあるんだ。楽しみにしていてくれ」
 そんなこと言われたら、機嫌を直すしかないじゃないか! 頬は膨らましたまま、胸の前で交差されるエリオットの手をペチペチと叩く。
「期待、しますからね?」
「ああ!!」
 私とは対照的にいい笑顔を浮かべるエリオット。そんな彼に三人の子ども達はタタタと近づいてくる。そしてキラキラとした目を向けてはしゃいだ声を上げる。
「お父様、お土産忘れちゃダメだからね? 楽しみにしているんだから!!」
「あ、ああ」
 おそらくエリオットはお土産を約束することで2人の旅行を勝ち取ったのだろう。なるほど、それですんなりと送り出してくれるという訳か。それならセロイが怒らなかったのも納得である。
 一体何を約束したのかしら? とエリオットの方に視線を向ければなぜかそこには真っ赤に顔を染める彼の姿があった。
 これはさすがにおかしい。エリオットとて抱擁で赤くなるほど初心ではないはずだ。これは何か、おそらく『お土産』という言葉に何か隠されている違いない。
「エリオット、後で話は聞かせてもらうわよ?」
「ああ……」

 真っ赤に染めた顔を両手で隠したエリオットに「すまなかった」と謝られたのはその夜の事だ。まさかお土産が「弟か妹」だなんてよくもそんな約束をしてくれたものである。
「なんでそんな確約できないことに頷いちゃったんですか……」
 呆れる私にエリオットは怒られた子犬のようにしょぼんと肩をすくめ、そして小さな声でポソリと呟いた。
「私だって欲しいと思っていたんだ……。落ち着いたし、いい頃合いかなって……」
 潤んだ瞳でこちらを見上げるのは反則ではなかろうか……。エリオットってば、どこでこんな技を覚えてくるのだろうか。こんなの、受け入れるしかないじゃない。
「子どもは授かりものですから、出来なかったらその時は、その時はちゃんとエリオット様があの三人の機嫌をどうにかしてくださいね?」
「ああ! それはもちろん!!」


 ――私達はこの数カ月後、約束通り、リューバルト海近くの街に旅することになる。

 エリオットが無事、子ども達との約束を果たせたかどうかは……また別の話である。

                                              完
 彼女を初めて見かけたのは私が15歳になる少し前。

 王家が主催したお茶会で、王子の婚姻者候補が初めて公開された日のことだった。

 

 選ばれたのは慣習通り、王子と年の近いご令嬢達だった。リーゼロット=ペシャワール、クシャーラ=プラント、ユタリア=ハリンストンの3人である。

 未来の王子妃候補に選ばれるだけあって、3人とも地位も教養も申し分なく、何より彼女達は皆、顔だちがよく整っていた。

 

 そんな3人の中で、1人だけ人形のように微笑む少女がいた。真っ白な、まるでウェディングドレスかと思うほどの美しいドレスを身に纏ったその少女はユタリア=ハリンストン。

 私はそんな彼女に強く、心を惹かれた。簡単に言えば一目惚れである。

 

 だがそれと同時に私は、同じ会場内に彼女に惚れた男を何人も見つけてしまったのだ。その中には勝ち目のない相手が1人だけ混ざっていた。

 

 王子だ。

 ユタリアを見る目だけ、妙に柔らかくて、けれど彼女の身体が近くなるたびに身体を固くさせていた。

 

 ――その姿はまるで初めて恋を知った子どものようだ。

 

 よりによって王子になんて勝てるわけがない。そう悟ったと同時に産まれたばかりの淡い片思いが消えた…………ならどれほど良かったことだろう。

 

 話をしたこともない少女へ未練がましく手を伸ばし続けるために、次男という立場を利用して、私は婚約者を作ることを拒んだ。

 父は元々選ばれなかった少女のどちらかと結婚させるつもりだったらしく、それでも構わないと言ってくれた。

 

 後は、身分目当てに擦り寄ってくるご令嬢方を避けつつ、ただひたすらに剣を振るった。

 良くも悪くも平凡と言われるこの国で、騎士が剣を振るう機会などほとんどないというのに、それでも叶う可能性がほぼゼロの恋心をこれ以上育たせないようにするにはそれが一番簡単な方法だった。

 

 兄や幼馴染のリガードはそんな私を『真面目』だと言うが、現実から目を背け続けるような私がそう呼ばれるのはとても申し訳が立たないような気がして、いつからか彼らの見える私に少しでも近づけたならと願うようにもなっていた。

 そして父から剣の腕を認められるようになった頃には、どうせ騎士になるのならこのまま剣の道に没頭してしまうのもいいのではないかとぼんやりと未来を思い描いていた。





 だが王子が18歳を迎えるまで残り数日といった頃、転機が起きた。

 



「王子はお相手にクシャーラ=プラント嬢をお選びになったそうだ」

 

 父の口からそう告げられた途端、思い描いていた道すじが徐々に消えていくのを感じた。

 

 誰が王子妃としてクシャーラ嬢が選ばれることを予想しただろうか?

 

 王子の気持ちを知っている者なら誰もがユタリア嬢が選ばれることを疑わず、そうでなければ貴族の模範に相応しいリーゼロット嬢が選ばれると読んでいたはずだ。

 確かに在学中、王子はクシャーラ嬢と共に時間を過ごすことが多かったようにも思える。だがそれはあくまで、緊張してユタリア嬢と話が長く続かないせいなのだろうと思い込んでいた。それはきっと私だけではないだろう。

 

 だから父の言葉が信じられなかった。

 

「当家はハリンストンのご令嬢に婚姻の申し込みをしようと思うが、異論はあるか?」

「いえ……」

 

 ユタリア=ハリンストンはずっとずっと、手が届けばいいと願った相手だった。

 けれど何故だかこの会話が夢の中の出来事のようで、夢から覚めたら彼女こそが王子妃に選ばれるのではないかと疑わずにはいられなかった。

 

「少し、出てきます」

 

 頭を冷やして、出来ることなら歩いている最中に目が覚めてくれればいいのにと願った。

 

 気づくと城下町まで出ていた。

 巡回のルートが身体に染み付いてしまったせいだろう。いつも通りの道のりをただひたすらにまっすぐ歩いて、歩いて。

 

 

「ちゃんと前見て歩きなさいよ!」

 だからそう叫ばれるまでは、少女にぶつかってしまったことにも気づかなかった。

 少女の顔はどこかユタリア嬢に似ていて、ああやはりこれは夢なのだと、町娘をユタリアだと勘違いしてしまう自分の頭に呆れてしまう。

 

 彼女がこんなところで町娘の服装をしているはずがないのに。

 

 視界にチラリと映ったクレープが彼女の怒りの原因を作り出したのだろうと、ポケットから適当に貨幣を取り出すと少女に握らせた。

 

 そしていつになったらこの夢は覚めるのだろうかと思いながら、歩みを再開した。

 

 

 ――そしてクシャーラ嬢が選ばれたことが夢ではなかったことに気づいたのは、翌日の夜のことだった。

 

 だがどこからが夢で、どこからが現実なのか、境が全く分からなかった。

 ただユタリア嬢が王子妃に選ばれなかったこと、そしてハリンストンから婚約の誘いを断られたことだけは確固として事実であった。

 

 それでも父はハリンストンを取る意思を曲げなかった。

 当家と同等の力を持つファラデー家がペシャワールの婚姻相手に名乗りを上げているからというのもあるが、おそらくはユタリア嬢の方が私に合うと思ってのことだろう。



 リーゼロット嬢のような女性は何といえばいいか……隣にいて疲れてしまいそうな気がしてならないのだ。出来過ぎた彼女はまさに薔薇の花で、触れば棘を指に刺してしまいそうになる。

 その点、ユタリア嬢は白百合のように儚く美しく、それでいて相手を立ててくれる。リーゼロット嬢が貴族の模範というならば、彼女は妻として最良の女性と言っても過言ではないだろう。隣にいても変なプレッシャーはなく、安心できるだろうと思っていた。

 

 

 そう、それまではユタリア嬢こそが最高の女性だと疑っていなかった。

 

 けれど私はとある少女に出会ってしまったのだ。

 

 ――それはある日のことだった。

 

「次の社交界でハリンストン家のご令嬢と縁を結べないとなったらシュタイナー家の令嬢を妻に迎えなさい」

 朝食のついでとばかりに伝えられた父からの言葉を反芻しながら路地裏を歩いていた。

 気分転換をするために何か良いものはないかと数人に聞いたところ、第三騎士団の友人がいい甘味の店があると教えてくれたのだ。

 

「わかりにくいとこにあるからな、看板見逃すなよ」と忠告を受けただけあってなかなかに見つからない。

 二階部分あたりにあるらしい看板を探すこと数分。

 そろそろ休み時間が終わってしまうが、これだけ探して何も買わずに帰るものかと、足は自然と早く回る。

 やっと見つけた!

 そう声を上げかけた時だった。

 

「いった……」

 胸のあたりに小さな衝撃を受け、足元あたりで若い女が小さく声を上げたのは。



「すみません。お嬢さん、大丈夫ですか?」

 完全に私の前方不注意だと少女に手を差し出して、思いのほか軽い身体を立たせる。すると少女はパンパンと音を立ててドレスの裾についた砂埃を払った。

 

 その間に周りに散らばってしまった彼女の所持品を拾って一つの袋に入れる。

 そして言葉とともにそれを差し出した。



「どこか、怪我はしていませんか?」

「ええ、まぁ……」

 彼女は差し出した袋を受け取ると、私の顔を見つけるやいなやピタリと動きを止めた。

「どこか痛みますか? よろしければ近くの病院にお連れいたしますが」

「いえ、結構です」

 どこか打ったかと心配で顔を覗き込んで見たものの、彼女は素早く口を動かすだけだった。

「ですが……」

「健康状態に支障はありませんので、失礼いたします」

 ならばせめて治療費だけでも出させて欲しいと願い出るよりも早く、少女は軽く会釈をするとその場を立ち去ってしまった。

 

 頭上ではまた一刻と経過したことを告げる鐘がリンゴーンと鳴り響く。

 結局教えてもらった甘味の店には辿り着くことはできなかった。けれど代わりに今日もまた町娘がユタリア嬢に見えてしまうほどに疲れているのだと。

 

 その日から私は、仕事中は考え事が出来ないほどに仕事を受け、そして時間きっかりに帰るようにした。

 

「エリオット、お前どうしたんだ?」

 多くの同僚が心配そうに尋ねてきたが、なんでもないのだと笑って誤魔化す。すると彼らは納得いかなさそうにではあるがそうかと口だけは納得したように引き下がってくれた。

 

 …………のだが数日後、私は疲れて錯覚してしまった訳ではなかったのだと理解した。

 

 巡回中にあの少女を見つけたのだ。

 さすがに定時で上がっておいて、さらに睡眠時間をいつもより2刻ほど増やしておいて幻覚が見えるほど疲れているわけがない。



「君はこの前の……」

 クレープを頬張っている手を下ろす彼女との距離を詰める。すると彼女の表情は途端に暗いものへと変わっていく。

「あの後、痛みが出たとか、怪我していたことに気付いたとか、そういうことはなかったか?」

「ご心配いただきありがとうございます。ですが、以前も申し上げました通り心配していただかなくても結構ですので」

 

 ペコリと形式的に頭を下げると残りのクレープをがっついたように食らった。

 その姿がどこか可愛らしくて、不躾にもじいっと見つめてしまった自分がいた。



「だが……」

「それでは失礼いたします」

「いや、せめて治療代だけでも受け取ってくれ!」

 立ち上がる彼女の腕を掴み、せめてもと腰に下げている袋をそのまま彼女の手に乗せる。

 治療費と言えるほどはあるだろうが、足りないと言われれば彼女の言い値で出すつもりである。

 けれど少女は顔をしかめるばかりで、いつまでたってもその手を自らへと引き寄せようとはしない。

 しまいには「必要ありません」と言い出した。

 なんと心の広いことだろう。

 だがそれでは私の気が済まない。

 

「ですが、せめてこれくらいは……」

「ただぶつかっただけです! 怪我なんてしていませんので治療費も必要ありません!」

「ですが女性にぶつかって謝罪もしないというのは騎士として、いえ男としてあってはならないことです」

『騎士として』なんて取ってつけた理由ではある。自分でもわざとらしいとは思う。だがそれで謝罪の気持ちを受け取ってもらえるならば……。

 けれどその言葉は彼女の気に障ったようで、途端に顔を歪めた。

 

「あなたがそれを言いますか!」

「え?」

「ともかくこのお金は受け取れませんし、今回のことでの謝罪はすでに受け取りましたので、失礼します」

 

 それはまるであの日、ぶつかってしまった少女の叫びのようだった。

 私が謝りもしなかった、お金だけ渡して解決した気になっていたその少女の。

 

 悪いことをしてしまったと罪悪感が湧き上がる。けれど私はその少女のことを何も知らないのだ。

 

 どうしたらいいのかと立ち尽くしていると、同僚にポンと肩を叩かれた。

「ほら俺たちも帰るぞ」

 今まで静観していた彼にそう告げられた時にはすでに少女の姿はそこにはなかった。

 

 城へと帰る道中、ずっと見ていた彼にはコッテリと怒られた。

「あれはない」

 バッサリとそう切り捨ててからの説教は仕事が終わってからも酒場に連れ込まれて数刻ほど続いた。

 途中から説教というよりも女の口説き方になっていたのだが、それは簡単に受け流させてもらう。

 

 私には女性を口説く機会などないのだから。

 

 それから時間が開くたびに彼女ともう一度会えたのならどう詫びようかと考えるようになった。

 もう関わってやるなと言われたものの、やはりそれはなんだか申し訳ない。

 けれど探されてるとなればきっと彼女はいい気はしないだろう。

 

 だから『もし会えたならば』――と。

 

 だがいくら考えたところで答えなど出なかった。

 いや、案なら浮かんだのだ。

 だがそれはどれも彼女が喜んでくれそうなものではなく、むしろあの端正な顔を歪めそうなもの。

 

 

 ウンウンと唸りながら巡回も兼ねて城下町を散策していると、神からの贈り物かと尋ねたくなるほどのこのタイミングで、今にもスキップしだしそうなほどに楽しそうに歩く彼女の姿を見つけた。

 

 近くの本屋の名前が印字されたその袋を胸に抱えた彼女は空を仰いだ。

 

 見上げたくなるほどよく晴れた空に感謝をして、逃げられないうちに少女との距離を詰める。

 そして頭を下げた。

「先日は失礼なことをいたしました。……後であれは失礼だったと同僚に叱られまして……」

「はぁ……」

 ここまでは考えていた通りである。

 だがその次は……と考えているとふと頭にある食べ物が浮かんだ。

 

 あの時彼女が頬張っていた甘味である。

「それで、その……せめてもの償いにクレープをご馳走させていただければと思いまして……」

「クレープを?」

「以前お会いした時に食べていらしたのでお好きなのかと」

「クレープは好きですが、以前も申し上げました通り、ただぶつかっただけですし、どうかそこまでお気になさらないでください」

「ですが……」

「……わかりました。クレープ、奢ってください。本当にそれで全部チャラですからね?」

「はい!」

 

 ――と謝罪の気持ちで奢ると言ったのだが、純粋に私もそれを食べてみたかったというのもある。

 ただ単純に甘いものが好きだというのもあるが、彼女があれだけ幸せそうに頬張っていたそれが気になるのだ。

 

 頼んだのは彼女と同じ、チョコバナナクレープ。

 彼女の隣に並んで座ると大きく口を開けてそれを口へと運んだ。

 すると途端にあの日の少女への罪悪感が溢れ出す。

 

 これを私はダメにしてしまったのか――と。

 

 これほど美味しいものに出会ったことはなかった。

 この生地はもっちりとしており、チョコとバナナ、生クリームは絶妙なバランスで甘さという名のハーモニーを紡いでいる。

 

 これがクレープ、なのか。

 

 一言で今の気持ちを表すならばまさに『幸せ』である。

 ほおっと一息ついていると隣からチラチラと視線を感じた。

「あの……お仕事はいいんですか?」

 

 聞かれて途端に現実へと引き寄せられる。

 そう、私は今まさに仕事中だったのだ。息抜きも兼ねて、と言われはしたものの、さすがにこんなにくつろいでいいはずがない。

 ついつい素早く左右を確認して同僚の姿がないか確認する。

 

「大丈夫です」

 とりあえずは同僚の姿は近くには見つけられなかったためそう答える。

 

「そうですか」

 そして彼女が納得したように頷いたのを確認してから、再び柔らかなクレープを口いっぱいに頬張った。

 

 





『いつからその少女のことを気になっていたのか』と聞かれれば私はそれに正確に答えることなど出来ない。

 

 だがただ一つだけ確かに言えることはある。

 

「私はエリオット=ブラントンだ。君の名前は?」

「……ユリアンナです」

 

 果実のように綺麗なその唇がその名前を紡いだ時にはすでに私にとってその少女は『幸せのひととき』の一部だった。

 

「ユリアンナ、か。いい名前だな」

「ありがとうございます」

「ユリアンナ、よければ家まで送ろう」

「いえ、そう遠くはないので大丈夫です」

「そう、ですか……」

「クレープ、ありがとうございました」

 お詫びだったそれにお礼を告げて深々とお辞儀をするユリアンナはまるで貴族の令嬢のようだと感じた。けれどそれは同時に自分の願望でしかないのだと冷静な部分の自分が毒づいていた。

 





 ――のちにこの出会いが私の頭を抱えさせることとなるのだが、この時の、ユリアンナはユタリアと瓜二つの町娘であると信じて疑わなかった私は知る余地もないのである。

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