捨てられ貴族の無人島のびのび開拓記〜ようやく自由を手に入れたので、もふもふたちと気まぐれスローライフを満喫します~

「膠着状態になりましたね……」

「あぁ……」

 防壁の上から遠くに陣取るルイゼン軍の様子を眺めるレオとアゴスティーノ。
 敵は一時撤退し、またもスケルトンの補充がされている。
 今また攻め込んでくれば、敵が優位にこの砦を攻められると思われる。
 そういった行動に出ることなく、敵は進軍をしてくる気配は感じられないでいた。
 援軍を待つ王国軍からすると、この状態はありがたいところだ。
 いまだに、敵はどこからあのスケルトンたちを生み出しているのかは見当が付いていない。
 王国が手を焼いているのはあのスケルトンの数の暴力が問題のため、早々にあのスケルトンの情報を手に入れたいところだ。
 数に対抗するにしても、王国側も援軍到着までは動けないため、お互い膠着状態になっていた。

「これもレオ君のお陰だろうね」

「そういって頂けると嬉しいです」

 何度か話すうちに仲が良くなり、アゴスティーノはレオのことを君付けで呼ぶようになっていた。
 レオも良くしてもらっているので、ありがたく思っている。
 アゴスティーノのいうレオのお陰というのは、敵の膠着を生んだのが敵の後方からの石の雨によるものだからだ。
 それを起こしたのが闇猫のクオーレによるもののため、主人であるレオのお陰というのは正しい。

「流石にまた後方から攻め立てられるようなことがあっては大変だからね」

「そうですね」

 こちらがスケルトンの情報を得たいのと同時に、敵側はどうやって自陣の後方へ敵が回り込んだのかということを知りたいところだろう。
 攻め込んでまた後方から石の雨でも食らおうものなら、またもスケルトンの大量破壊を受ける可能性がある。
 あの一回の攻撃で、敵は迂闊に攻め込むことを躊躇っているようだ。

「レオポルド殿」

「ディスカラ様」

 レオたちが話している所に、ディスカラがやってきた。
 その姿を見たレオたちは、軽く会釈をした。

「陛下から報が届いた」

「ハッ!」

 どうやら先日の勝利を受けたクラウディオ王から、全兵に向けての称賛の手紙が届いたそうだ。
 それと同時に、ラスタラマの虚偽の招集書によって参戦することになったレオに関して、今後のことについても書かれていた。
 陛下からの報と聞いて、レオは背筋を正して手紙の内容に耳を傾けた。

「今回の功に対しての褒賞を受けるために王都へ帰還せよとのことだ」

「了解しました!」

 元々陛下からの招集ではないので、レオをいつまでも戦場におくのは間違っている。
 ラスタラマによる虚偽の招集だったが、レオは敵の将でもあり指名手配犯である親と兄を捕縛した功労者だ。
 その功に対する褒賞を与えてくれることになったらしい。
 まだルイゼン領の奪還が済んでいない状態ではあるが、帰還できることは嬉しい。
 その知らせを聞いたレオは、頭を下げてそれを受け入れたのだった。

「レオ! 帰還するんだってな?」

「はい。皆さんお世話になりました」

 帰還の知らせを受け、ここで知り合った人たちへの別れと支度を整えるために、レオは砦内を回っていた。
 貴族の者たちの挨拶も済ませ、レオは一緒にカロージェロたちの捕縛に協力してくれたスパーノたちにも挨拶へと向かった。
 すると、帰還のことを知らされていたらしく、スパーノたちはレオの顔を見るとすぐにその話へと移っていった。
 その話に入ったので、レオはすぐスパーノたちに感謝の言葉をかけた。

「何言ってんだ! お前に協力したことで俺たちみんなにも褒賞が出るらしいからな。ありがとよ!」

「協力してもらったのは事実ですから、気にしなくて良いですよ」

 元々、彼らは様々な領の中から招集されているため今回の参戦の金額は高額だろうが、更に褒賞が出るのは嬉しいことのようだ。
 ディスカラにも言ったように、スパーノたちの協力を受けたことでカロージェロたちを誘き出せたので、自分だけでなくみんなにも褒賞が出ることに安心した。

「戦いが終わったらお前んとこの領に遊びに行かせてもらうぜ!」

「はい。その時は歓迎しますよ」

 そのうちヴェントレ島にもギルドを造り、冒険者を招集することになるだろう。
 ここにいる精鋭たちの多くは高ランク冒険者だ。
 その時には、彼らのような冒険者に来てもらえるのはありがたいため、レオとしては歓迎したい。
 スパーノ以外にも同じように言ってくれる者たちもいて、レオとしてはその時のことが楽しみになった。





「まだ戦いが続くなか離脱するのは心苦しいのですが、お世話になりました」

「気にすることはない。我々は君には感謝している」

 出発の日になり、レオは最後に会議室に集まった貴族たちに一言挨拶に向かった。
 まだ戦いを続ける彼らに任せることになり、心苦しい思いをしつつ帰還することを告げた。
 問題貴族は主要な部隊から除外され、ここに残った貴族たちはみんなレオの策成功を称賛してくれた者たちだ。
 負け続きから一矢報いた形になれたことが嬉しかったようだ。
 彼らを代表し、ディスカラがレオに感謝を述べる。

「あとは残った我々と援軍の勝利に期待していてくれ」

「はい。皆さんのご武運を祈っております」

 今後は援軍によって数に押されることは緩和できるだろう。
 兵の数では劣っても、所詮スケルトン単体の強さはたいしたことはない。
 増え続けるスケルトンのことは気になるが、きっとルイゼン領の奪還を果たしてくれることだろう。
 エレナのためにも自分の力でという程、レオは自分の能力を過信していない。
 今後は彼らに頑張ってほしいところだ。

「では、失礼します!」

「あぁ!」

 最後に室内にいる全員に向けて礼をし、レオは砦を後にすることになった。





◆◆◆◆◆

 王都に着いて早々、レオは王城へ向かうことになった。
 以前フェリーラ領の領主であるメルクリオからもらった正装を、魔法の指輪の中に入れておいて正解だった。
 わざわざ仕立て直す必要がなく、余計な出費をしなくて済んだ。
 出費をしなくて良かったのはいいが、王に呼ばれるというのは緊張するものだ。
 しかも今回はメルクリオと一緒ではなく1人で来ることになったのだから、失礼なことをしないようにレオの頭はいっぱいになっていた。
 そんななか、玉座の間に呼ばれたレオは、王の前で片膝をついて頭を垂れた。

「レオポルド・ディ・ヴェントレ、面を上げよ!」

「ハッ!」

 以前とは貴族の数も違う。
 その分レオは少しだけ気が楽になった。
 いない貴族はルイゼン奪還に参戦しに向かったのだろう。
 そんななか、陛下に名を呼ばれたレオは、言われた通り頭を上げた。

「今回の招集の件で色々あったが、元ディステ家の2人の捕縛ご苦労だった」

「ハッ! ともに招集された精鋭たちの協力あっての成果です!」

「うむっ!」

 クラウディオの労いの言葉に、レオはこれまで通りの考えを返答する。
 功を独り占めするような者が、市民に好かれるかというと疑わしいところだ。
 全て自分の成果とすることのないレオの態度に、貴族らしくないとは思いつつも、クラウディオは好ましい態度だと思っていた。

「他の者たちの協力あってなのは分かっている。だが、間違いの招集ながら功を上げたことは素晴らしい」

「ありがとうございます!」

 ディスカラからの報告で、ラスタラマの策によりレオは囮にされたという報告を受けている。
 死ぬことが大いにあり得たことなのに、それでしっかりと成果を出したレオにクラウディオは称賛の言葉をかける。
 王からの言葉に、レオは感謝の言葉と共に頭を下げた。

「よって、今回の貴殿の褒賞に、準男爵の爵位を授ける!」

「…ありがとうございます!!」

 その褒賞に、レオは一瞬反応が遅れてしまった。
 周りの貴族たちも驚いている様子だった。
 賞金か何かが与えられると思っていただけなのに、まさか爵位を上げてもらえるなんて思ってもいなかったからだ。
 陞爵を受けたレオは、喜びと戸惑いを持ちつつ玉座の間から去っていった。

「本人も驚いているようでしたね?」

「あぁ、そりゃそうだろ」

 レオへ褒賞を与え終わったクラウディオは、宰相のサヴェリオと共に執務室へと向かった。
 そこで、2人だけになると先程のレオの話へとなった。
 サヴェリオが言うように、陞爵を告げた時のレオが戸惑っているのが2人には読み取れていた。
 恐らく本人は賞金などを予想していただろう。
 それが、陞爵なのだからそうなるのも仕方がない。
 クラウディオはレオの反応を当然のものだと感じていた。

「ディスカラからの報告には、今回の勝利はレオポルドの成果であるということが遠回しに書かれていた。他の貴族連中から目を付けられないためにと考えてのことだろう」

「陞爵となると、たしかに面白くないと思う者もいるかもしれませんね」

 レオの望みを受け、ディスカラはクラウディオへ勝利の報告をする時、わざと遠回しに告げて評価を得過ぎないようにしたつもりだ。
 しかし、どうやらそれはクラウディオにはバレていたようだ。
 報告内容からすると嘘でもないし、自分の成果としている素振りもない。
 そのため、文句を言うつもりもないが、クラウディオからすると気にし過ぎだ。
 勝利の立役者となった者をきちんと評価するのは、王としての重要な仕事だ。
 先代の時のように不正を働く者は潰し、真面目に成果を出す者は評価する。
 それが今クラウディオがおこなっている国の立て直しだ。
 しかし、他人が評価をされることを良く思わない者は必ずいるものだ。
 今回レオの成果は指名手配犯の捕縛と、犯罪をおこなった貴族の摘発の協力ということになっている。
 たしかに評価すべき功績ではあるが、陞爵するほどの功績かと言われると微妙なところだ。
 サヴェリオの言うように、この評価に納得できない貴族もいるかもしれない。

「先代の膿は大体処理し終わった。他人の邪魔をするより自分の実力を示すべきという私の考えが伝わったはずだ」

「そうですね。あの場で誰も文句を言う者はいませんでしたからね」

 今回の戦いの最初、クラウディオは先代の時に色々やらかしていた貴族たちを送った。
 戦場で数人でも死んでくれたらいいと思っての人選だった。
 ムツィオが独立を宣言した時、数で勝る王国が勝つとは思ってはいたが、独立を宣言するだけあって敵も何かしらの罠を用意していると考えていた。
 まさか奪還した砦にスケルトンの出現というトラップを仕掛けているとは思わなかったが、ストヴァルテ公爵が真っ先に死んでくれたのは運が良かった。
 さすがに公爵家の人間を潰すには、王としてもそれなりの理由が必要だ。
 その一番のネックだった公爵家が真っ先に潰せて、その派閥の解体が可能になった。
 今ではおかしなことをする貴族はいないはずだ。

「しかし、あのレオポルドが功労者というのは本当なのでしょうか?」

「兵の中には王室調査官の者も紛れている。その者の報告からも、ディスカラと同じような報告がされているから本当なのだろう」

 ディスカラからは方法は詳しくは書かれていなかったが、敵後方からの攻撃をおこなったということは報告されている。
 それにより勝利を得たとのことだが、問題貴族を監視する目的で、軍の中には王室調査官も紛れ込ませていた。
 その王室調査官の報告も、敵後方からの攻撃により混乱した敵を後退させるにことに成功したというものだった。
 どちらの報告にもレオの存在が見え隠れしているため、恐らくレオが何かしらの能力を有していて、その能力による勝利なのだと考えている。

「何の能力なのかを吐かせますか?」

「無理強いはしたくないな。ルイゼンのように敵対されたくない」

 敵後方からの攻撃を可能にしたことも脅威だが、それよりもどうやって敵に大打撃を与えたのかが気になる。
 その能力次第では王国にとって大いなる力をもたらしてくれることになる。
 しかし、それを好き勝手に利用して敵対されれば、ルイゼン領のように独立を宣言される可能性も考えられる。
 レオがそのような野心を持っているようには思えないが、面倒事が増えるのは避けたい。
 そのうち明かされることを期待するしかない。

「レオポルドのことも気になるが、それよりもルイゼンだ。あのスケルトンをどうにかしないとこちらも兵を増やし続けるしかないぞ」

 当初の思惑通り問題貴族たちの一掃はできたが、ルイゼン側の行動は予想外だった。
 大多数のスケルトンの軍団を相手に苦戦するのも仕方がないところだが、このままでは兵の増強をし続けることになる。
 そうなると、兵にかかる資金によって国内の経済に問題が起きかねない。
 他国とはすぐに戦争となるような仲ではないので攻め込まれる心配は少ないが、念のため国境沿いには軍を配備しておく必要はある。
 兵の増強もいつまでもできない状況だ。

「それに引きかえ、スケルトンは物を食べないですからね」

 王国は兵の食料のために出費しなくてはならない。
 それとは反対に、ルイゼン側はその費用が必要ない。
 時間がかかればかかるほど、不利になるのは王国側になるということだ。

「こんな事なら海岸防衛をさせるべきではなかったな」

「しかし、それは先々代の頃からのことですので……」

 王国側が海からではなく陸地から攻め込むのには理由がある。
 ルイゼンは貿易の観点から他国の侵略を受ける可能性があった。
 それを阻止するために、王家はエレナの祖父である先々代の領主に海岸防衛の強化を指示していた。
 そのお陰もあってか、ルイゼン領は敵国からの侵略は不可能なほどに強化されている。
 今となってはそれがネックとなり、王国側が海から攻め込むという策がとれない原因となっていて、陸地からの侵攻という手しか取れなくなっているのだ。

「スケルトン対策を思いつく限り実行するしかないな」

「そうですね……」

 問題なのはスケルトンの軍団だ。
 それさえ何とかできれば、こちらが有利に攻め込めるはずだ。
 援軍に向かった者たちには、それを意識するように告げているので、無策で挑むことはないだろう。
 クラウディオとサヴェリオからすると、何か一つでも成功することを期待するしかなかった。

「カロージェロとイルミナートの処刑はいつなさいますか?」

 レオが捕まえたカロージェロとイルミナートは、王都の牢にて以前処刑されたフィオレンツォと同じような扱いを受けている。
 死ななければ何をしても良いと兵たちには告げてあるので、きっと代わる代わる袋叩きにあっていることだろう。

「敵の情報を吐かせた後、早々に決行しろ!」

「畏まりました」

 指名手配されるような犯罪を犯しておいて、敵に協力するなど殺すのももったいないと思えるが、生かしておくのも邪魔でしかない。
 彼ら自身が指揮していた市民兵のことも気になる。
 スケルトンの数を揃えるまでの時間稼ぎとはいえ、市民を強制的に奴隷にするなどまともな神経の持ち主ではない。
 それを実行した者を突き止め、処罰しないことには後々の禍根を残すことになりかねない。
 王国へのこれまで迷惑をかけたことへの償いとして、せめて敵のスケルトンに関わる情報と共に、その情報を吐くことを期待する。
 その後は早々に処刑して、ルイゼンとの戦いに集中したいところだ。





「何故だー!! 伯爵である私が処刑などあり得ん!!」

「俺は何もしていない!! 全ての悪事は父がおこなったことだ!!」

 もう剥奪された爵位を喚き、犯罪を犯しておきながら罪を認めないカロージェロ。
 加担しておきながら、罪を父に擦り付けようとするイルミナート。
 今となっては、罪を悔いて死んだフィオレンツォの方がまだまともだったように思える。
 全ての罪を知る市民からの怒号が飛ぶ中、2人の処刑は執行された。

「…………」

 レオはその死刑執行を見届けた。
 フィオレンツォの時同様、父と兄が処刑されても何故か悲しみよりも安心した思いがあった。

「まさかこうも侵入に手間取るとは……」

 レオが王都から出発しようとしている前、1人の男がヴェントレ島に侵入していた。
 フェリーラ領北西の町であるオヴェストコリナとヴェントレ島をつなぐ船は往復しているが、市民となることが許されたもの以外が乗船できないことになっている。
 まだ観光する場所はないとの理由らしいが、何もなくても観光客を招き入れるのは当たり前のことだと思える。
 何か島民以外に知られては困ることでもあるのだろうか。
 それはひとまず置いておくとして、船による移動ができないのは痛い。

「何でギルドが島民の選抜を請け負っているんだ?」

 このような選択をすることになり、男は海に浮かぶ小舟の上で思わず愚痴る。
 そもそも島民に希望と扮して潜入しようと考えていたのだが、その島民の選抜がギルドによっておこなわれていた。
 ヴェントレ島の領主の依頼によるものだと説明を受けたが、島民なんて来るもの拒まず受け入れればいいものを、何故そのように無駄なことをしているのだろうか。

「アルヴァロとかいう奴の商会も護衛が付いてるし……」

 島民としての潜入が無理なので、男が次に目を付けたのはヴェントレ島との輸出入を一手に引き受けることで利益を出しているという話の商会だ。
 島とその商会との間でおこなわれる荷物の運搬にも船が使われている。
 商会の従業員として入り込もうかと考えたが、従業員も屈強な者たちが揃っている上に、運搬時には冒険者に護衛を頼んでいる。
 いくら戦力に自信があっても、あの中に入り込むのは難しい。
 訓練している者なら海を泳いで渡ることもできるが、海の魔物がどれだけ存在しているかも分からないためそんな危険な選択はできない。
 仕方がないので、夜の闇に紛れて小舟での移動という選択しかできなかった。
 魔物は夜行性の者もいて、それは海の魔物も同様だ。
 闇夜で接近する魚影すら見えないので危険ではあるが、これ以外に気付かれずに接近できる方法が見つからなかった。

「さて、奴ら(・・)も失敗したという話だし、気を付けていくか……」

 ムツィオの指示によって、ヴェントレ島への潜入の命を受けた組織の一員というのがこの男の正体だ。
 カロージェロの伝で雇ったこの闇の組織だが、以前レオの暗殺を失敗した組織とは無関係ではない。
 この男の組織から抜けた者たちが、新たに組織として活動をおこなっていたのだ。
 組織の長同士が兄弟だったため見逃されていたのだが、少数とは言え腕に覚えのある者たちが集まっていたはずなのに、まさか壊滅させられることになるとは思ってもいなかった。
 それだけここには危険なものがいるということなのだろう。
 同じ轍を踏まぬよう、男は小舟を島の港から離れた岩壁付近に寄せ、身を隠すように降り立った。

「基本あの海岸からしか入れないようだが、この程度の崖なら何とかなるだろう」

 情報収集をおこなう際、男はヴェントレ島の地図を入手した。
 とは言っても、昔のものだ。
 しかし、外から見る限り大きな変わりはないという話なので、無駄ではないだろう。
 その地図によると、島への内部へ向かうには視線の先にある海岸からしか難しいことが分かるが、それは所詮一般人の考えだ。
 闇の組織として生きる者にとって、多少の崖を上ることなど苦ではない。
 そう考えた男は、監視している可能性の高い海岸からではなく、目の前にそびえる崖を上ることにした。

「奴らが拠点に残した資料に同じ名前があったからって、本当にこのエレナ嬢なのか?」

 崖を上りきり、男は日が昇るのを待つ。
 そして、朝人々が動き出すのに合わせて町中へと侵入を試みた。
 そもそも、滅びた組織の拠点にあった情報の中にエレナという女性の名があったからと言って、確認のために潜入するなんて後回しで良いことのように思える。
 ルイゼン側が勝利しないと、こちらへの支払いも疑わしくなるため、今はルイゼン側に王国の情報を流す方が良いのではないか。
 手掛かりは、領主邸に残っていたエレナの肖像画を模写した似顔絵のみ。
 それを頭に入れて町中を歩くが、似ている女性は見つからない。

「おいっ! 聞いたか?」

「何をだ?」

 男が町中を歩いていると、住人の男性たちが話しているのが耳に入ってくる。
 情報は噂話の中にあることがは馬鹿にできないため、男は耳を傾ける。

「レオ様が陞爵したそうだ!」

「何!? マジか!?」

 情報を聞いた男性が驚いているが、男も同じく驚いている。
 ルイゼン側の計画通りに敵の戦線を退かせていたのに、いきなり後方からの攻撃を受けたことで一時撤退を余儀なくされた。
 それをおこなった敵もすぐに姿を消したという話だから訳が分からなかったが、これでなんとなく誰の仕業か分かった気がする。
 どうせこの情報は他の仲間が送るだろうから放っておこう。
 男がそう考えてこの場から去ろうとした時、

「順調に出世してるんだ。次は身を固めた方がいいんじゃないか?」

エレナ(・・・)様とか?」

『っ!?』

 唐突に出た名前に、男は内心反応する。
 ここに潜入した目的の者の名前が出たからだ。
 やはりここにエレナと呼ばれる者がいるようだ。

「レオ様の隣に住んでんだろ?」

「一緒に住んじまえばいいのにな!」

『どうも!』

 話をしていた男性二人に、男は心の中で感謝した。
 領主の隣に住むエレナ。
 その姿を確認するため、男は町の中では少し大きめの建物へと向けて歩き出した。

「こんな島の領主でも、邸だけは立派だな」

 領主邸へと近付くと、男は周囲の建物の影へと身を隠そうとする。
 そこでエレナが似顔絵のエレナなのかを確認しするつもりだった。

「待ってたぜ!」

「っ!?」

 背後からの声に、男は反射的にその場から跳び退いた。

「チッ!! 良い反応しやがって!!」

 さっきまで男の立っていた場所に穴が開く。
 男は自分の判断を褒めたい気分だ。
 距離を取って振り返ると、そこには槍を持った2人の男が自分に目を向けていた。
 ドナートとヴィートだ。

「いきなり何をする!?」

 まだ自分の身はバレていないはず。
 なのに、何故攻撃してきたのかと思いながら、男は2人に向けて被害者染みた疑問を口にした。

「いきなりじゃねえよ!」

「町に潜入した時点でお前のことは確認していた」

「何っ!?」

 その発言に男は驚きの声をあげる。
 バレないように潜入したはずなのに、この2人に行動を見られていたようだ。
 勘なのか、それとも探知の得意な人間でもいるのだろうか。

「ならば……」

 その答えを出している暇はない。
 この2人は構えを見れば島の手練れと分かる。
 相手にしては危険と悟り、男はこの場から逃走を計ろうとした。

「どこへ行く!?」

「くっ!?」

 男が逃げようとした先にはもう他の人間が立ち塞がっていた。
 ガイオだ。
 ドナートたち以上の殺気を放つガイオに、男は隠していた短剣を抜いて構える。

「チッ! まさかエレナ・ディ・ルイゼンの周りにこんな奴らがいるなんて……」

「っ!! てめえ!! お嬢を!?」

「バカッ!!」

 男の言葉にドナートが反応してしまう。
 このままでは逃げ切れるのは不可能。
 それゆえにエレナのことだけは確認しておきたかった。
 そのハッタリに、1人が反応してくれた。
 同じ名前の人間なんていくらでもいる。
 町中の噂だけではいまいちだったが、これでほぼ確定だ。

「フッ!」

 自分は殺られようと、情報だけは仲間に知らせたい。
 男はドナートに笑みを見せると指を鳴らす。
 そこへカラスが1羽飛んできた。

「遅い!!」

「がっ!?」

 情報を流そうとしているのだろうが、ガイオがそうはさせない。
 カラスと共に男の体を斜めに斬った。

「ぐぅっ! 無駄だ。上空に仲間の目が付いている」

「何っ!?」

 音の言葉にガイオは上空へ目を向ける。
 すると、上空には1羽の鳥が、飛んでいるのが目に入った。

「ハハッ! ざまあ…みろ! ぐふっ!!」

 鳥はそのまま飛んで行った。
 それを見て男は自分の死が無駄で亡くなったことに笑みを浮かべ、血を吐いて倒れ伏した。

「くそっ!!」

 島に入ったのはレオの蜘蛛人形によってガイオたちに知らされた。
 しかし、蜘蛛人形も人の侵入は分かっても、鳥までは分からなかったのだろう。
 この男がどこから仕向けられた人間なのか分からないが、これでエレナが生存していることがバレてしまった。
 レオの不在時にこのようなことになり、ガイオは思わず地面の石を蹴り飛ばした。

「まさかまた陞爵して帰ってくるなんて思いもしなかったな」

「僕もです」

 島に戻ったレオは、島民の歓迎を受けた。
 後日陞爵した祭りを開きたいという案が上がっているらしいので了承しておいた。
 留守中の島の様子を聞くため、レオはガイオと共に領主邸に帰ることにした。
 すると、開口一番ガイオはレオの出世の速さを独りごちる。
 その驚きと呆れが混じったような言葉に、レオも自身のことながら同じ思いを感じている。
 こうも短期間の陞爵となると、燻っている他の貴族からやっかみを受けないか不安だ。

「島では何か変わったことはありませんでしたか?」

「あぁ、そのことなんだが……」

「あっ! レオさん! おかえりなさい!」

 島民たちに挨拶をしていたため後回しになってしまったが、領主邸も近くなりようやく目的の話ができるようになった。
 ここまでの様子からは特に変化も無いようなので、レオはひとまず安心していた。
 しかし、ガイオには先日のことがあったので、それを告げておこうと話し始めたのだが、今度はドナートとヴィートを引き連れたエレナがレオを見つけて近寄ってきたため、話が中断されることになった。

「ただいま! エレ……ナ? その子……」

 返事をしたレオだったが、エレナがいつもと違ったので言葉に詰まった。
 そうなってしまったのも、エレナの肩に1匹の生物が乗っかっていたからだ。

「……確か羽カワウソだよね?」

「はい! 私の従魔にしました!」

 肩に乗っているのは羽の生えたカワウソで、そのまま羽カワウソと呼ばれている魔物だ。
 魔物と言っても戦闘力はそれ程高くないため、単体なら全く脅威にはならないため、捕まえさえすれば従魔にできないこともない。
 しかし、どういった経緯でそうなったのだろうか。

「イラーリと名付けました」

「へ~……」

「っ!! 待っ……」

 肩にいた羽カワウソのイラーリを両手で抱いて、エレナは紹介するようにレオに見せてきた。
 つぶらな瞳でじっと見つめているイラーリに、頭を撫でようと手を伸ばした。
 しかし、そのレオの行為に、側にいたドナートが待ったをかけようとした。

「キュ~!」

「えっ? どうしました?」

 ドナートの待ったが途切れたことに不思議に思い、嬉しそうな鳴き声を上げるイラーリを撫でているレオはその理由を問いかけた。

「……何でこいつレオには懐いてんだ?」

「……? どういうことですか?」

 大人しく撫でられているイラーリを睨みつつ、ドナートは文句を言うように呟いた。
 何か撫でてはいけない理由でもあったのだろうか。
 ドナートが腹を立てている理由が分からず、レオは首を傾げた。

「こいつ人選ぶんだよ」

「俺たちが撫でようとすると嫌がって威嚇してくるんだ」

「へぇ~……」

 どうやら、さっきドナートが止めようとしたのはそのせいらしい。
 ドナートとヴィートが触ろうとすると、どういう訳だか威嚇してきて、それを無視して強引に捕まえようとしたら、軽く噛みつかれたそうだ。
 それがあったので、もしかしたらレオにも噛みつく可能性があると感じ、ドナートは待ったをかけたようだ。
 しかし、それも意味がなかった。
 イラーリはすぐにレオを受け入れ、自分を撫でるレオの手に頬を摺り寄せていた。

「ガイオさんやセバスさんにはおとなしいのは分かるんだが、何でレオまで……」

「そうなんですか? こんなにおとなしいのに……」

「キュ~」

 ドナートだけでなく、ヴィートもイラーリの態度が納得いかないようだ。
 ガイオやセバスティアーノは自分たちよりも強いから、その強者の雰囲気に従っておとなしくしているのかと思っていた。
 だが、レオにまであっさり懐いているのは少し納得いかないようだ。
 たしかにスキルを使えば自分たちよりも強いかもしれないが、そのスキルで動く人形たちがいない状態のレオにどうしてイラーリが懐いているのか。
 その基準が曖昧なのが納得いかない原因かもしれない。
 そう言われても、レオとしては何も言えない。
 レオ自身、何でイラーリに懐かれているのか分からないのだから。

「どうやって従魔にしたの?」

「オルさんにしがみついてきたのですが、大怪我をしていたので治してあげたんです。森に帰そうとしたのですが、戻ってきてしまって……」

「へ~……、さすがだね」

 大怪我というが、今のイラーリには怪我をしている形跡はない。
 そうなると、エレナが回復魔法をかけたということなのだろう。
 島の住人でエルフの魔法使いであるジーノ。
 彼は主に島の中で見込みのある若者に魔法を教えることをしているのだが、レオだけでなくエレナも指導を受けていた。
 エレナの場合、攻撃的な魔法はそれ程上達しなかったが、補助系などの魔法は成長した。
 その中でも回復系の魔法は合っているのか、その才はレオよりも上だった。
 イラーリの大怪我というのも、エレナが回復魔法をかけたことで治ったのだろう。
 魔物とはいえ、この愛らしい姿を見たエレナが治してしまいたくなったのは仕方がないかもしれない。
 レオも同じようなことをしてクオーレを従魔にしたので、特になにかいうこともできないところだ。

「羽カワウソって食欲旺盛って聞いたことがあるけど?」

 見た目の可愛らしさから、羽カワウソを愛玩用に従魔にする者もいるという。
 それをおこなうのは貴族の人間が多いのだが、その原因が羽カワウソの食事量だ。
 小さい体なのにもかかわらず、自重の何倍もの食料を毎日摂取するその食欲を満たすとなると、かなりの食費を賄えないといけない。
 普通の市民では、とても養っていける従魔ではない。

「成人男性3人分といったところでしょうか?」

「かなり食べるんだね……」

「住民の皆さんが廃棄せざるを得ない食材をくれるので問題ないです」

 今ルイゼン領は戦争の地と化しているが、そのうち王国軍が制圧してくれることだろう。
 そうなった時、エレナには領地に戻って市民を導く希望となってもらいたい。
 戻った時のためにレオの領地経営の補助をしてもらっているが、その給金を使うにしてもかなりの資金がイラーリの食事代に消えてしまうことになる。
 エレナの懐具合が心配になるが、それも杞憂だったようだ。
 羽カワウソを従魔にしたと聞いて、町のみんなが食料代わりに食材を提供してくれているらしい。
 人気があるエレナだからできることかもしれない。

「この子たちはクオーレとエトーレで僕の従魔で家族だよ」

「ニャッ!」“スッ!”

「キュッ!」

 とりあえず、エレナがイラーリを従魔にしたことは分かったので、レオは自分の従魔を紹介することにした。
 レオに紹介されたクオーレは一声鳴き、エトーレは前足を片方上げて挨拶をした。
 魔物同士言葉が通じているのかは分からないが、イラーリも理解したらしく鳴き声を上げて返事をした。

「それでは家で……じゃなかった。話が途中でしたね。すいません、ガイオさん」

「いや、イラーリのことも言うつもりだったから気にするな」

 イラーリのことを話していたことで、ガイオとのやり取りのことを忘れてしまっていた。
 このまま家に入ろうかとしていたレオは、そのことを思い出してガイオへ謝った。
 ただ、ガイオの報告の1つはイラーリのことだったようで、全然気にしていなかった。

「問題が1つあった。恐らくはルイゼン側の刺客だと思うが、エレナ嬢の生存が知られてしまった」

「えっ!! ……そう、ですか……」

 まさかの内容に驚いた。
 ルイゼン側の諜報員は王国内に紛れているのは分かっている。
 どこの領でもその諜報員の捜索をおこなっているそうだ。
 自分で言うのもは気が引けるが、この島に入っても国の情報なんて手に入れられない。
 その思いから、刺客を仕向けられる可能性は低いと思っていたのだが、敵側の情報収集力がかなり高かったようだ。

「知られてしまったとしても、今の現状では敵は何もできないでしょう。一応警戒しておきましょう」

「あぁ!」

 ルイゼン側からすれば王国の情報収集が優先で、エレナのことは後回しにするしかない。
 例え更なる刺客を送り込んで来ようとも、ガイオやセバスティアーノがいればエレナの安全は大丈夫だろう。
 念のため島の警戒をしつつ様子を見るように、レオたちは普通に生活することにした。

 レオの陞爵の祝いとして、町の広場を使って盛大な祭りが開かれた。
 ちょうど重なる時期ということもあり、合同祭としての開催だった。
 島で収穫できた作物を使った料理が多く振舞われ、島のみんなと同様にレオも楽しい祭りとなった。

「ここ以外の地に町をつくる話ですが……」

 祭りも終わり、これから少しすれば冬に入る。
 その時期の計画として、以前から話に出ていた町づくりを話し合うため、ギルドの関係者としてファウストに来てもらった。
 そこで、レオは地図を広げ、計画の説明を始めることにした。

「やはりこの湖付近に力を入れるのが良いと思っています」

「そうか……」

 レオたちがいる場所から、南南西に向かった場所に湖がある。
 今年はその湖の付近の魔物を退治することをかかりっきりになっていた気がする。
 夏の終わりの時期になって、ようやく湖水浴ができるまでになった。
 ファウストから町をつくる提案を受けていたが、候補地として思いつくのはやはりその湖付近が適しているのではないかとなった。

「あそこの魚は美味いからな……」

 祭りの時に出された魚料理の中に、湖の魚を使った料理が何品か出されていた。
 ファウストも祭りに参加していたため、その時の魚の味を思いだしたようだ。
 湖の魚は島民にも好評で、レオも以前釣ったマスに似た魚が特に人気が高かった気がする。

「夏には避暑地としても良いですからね」

 以前から島の経営の手伝いをしてもらっていたが、今回のことはエレナにも参加してもらっている。
 ルイゼン領の奪還は、僅かながらに王国が進軍しているという話だ。
 レオがおこなった石の雨ではないが、魔法を使っての石弾攻撃でスケルトンの数を減らすことに成功しているという話だ。
 これまでたいして利用されないでいた魔法だったが、魔法を得意とする者たちにとって有用性を示せた戦いになるかもしれない。
 ただ、スケルトンには通用しても人間にはいまいち通用していないので、そこまで評価されるかはまだ疑問だ。
 話がズレたが、ルイゼン領が奪還できた際には、レオはそこの領主としてエレナを戻すように動くつもりだ。
 上手くいって領主として戻れた時の経験のため、エレナには今回の町の計画を手伝ってもらうことにしたのだ。
 エレナは湖に行ったこともある経験から、気候の良さに目を付けていた。
 湖のお陰からか、その周囲は夏の暑さが緩和されていた。
 これからの開拓にもよるが、避暑地代わりにするというのも確かに手かもしれない。

「どういった町にするかは追々決めるとして、まずは湖までの道を作ることから始めるのですが、魔物はロイたちが間引いてくれたので、手の空いている農民の方たちの協力を得るつもりです」

 住民の募集も住宅の建設もまだ先の話。
 まずは冬の間に街道をつくることから始めることにした。
 レオの人形で作るのが一番安全かもしれないが、土木班の人形を新たに作らなくてはならなくなる。
 しかし、レオには他に作る人形が思いついていて、それの作成の方に当たるために他に作っている余裕はない。
 そこで、冬の間手が空く農民に手伝ってもらうことにした。
 念のため作業員の周りにはロイたちを付けるので、魔物による被害は起きないはずだ。

「先に町を作って問題が起きた場合、馬をとばして20分前後。街道をつくっておけばもっと早く駆けつけられるてことか……」

「はい」

「分かった。新しい町に住む住民や兵を募集してみるよ」

 レオたちが住んでいる町から湖までの距離は約15km。
 馬の速度にもよるが少しとばした速度で行けば20分前後くらいで着ける計算だ。
 しかし、街道をつくっておけばもう少し速度が出せ、数分早く着くことができるだろう。
 町をつくってすぐに全壊するような被害に遭うということは思いたくないが、その可能性も考慮した街道作成の優先だ。
 住宅などはレオが人形を使って作成するのだろうが、それも来年の話になるだろう。
 しかし、そのことも考慮に入れて、ファウストはギルドで住民などの募集をかけることにした。

「そう言えば、また刺客が潜入したって聞いたんだが、そっちは大丈夫か?」

「はい。僕の蜘蛛人形も少し増やしておいたので、島に入ったらすぐに分かると思います」

「そうか……、ギルドもここのことを嗅ぎ回る人間の注意をしておくよ」

 町づくりの話が一段落ついた時、ファウストは少し前に起きた刺客の話をしてきた。
 その話になると、エレナは少し表情を曇らせる。
 狙いは自分だと分かっているからだ。
 あれから刺客の潜入は起きていないので、とりあえず問題ない状況だ。
 前回、レオが島の周囲に配備した小型蜘蛛人形のお陰でガイオたちが動いてくれたので、エレナに被害が及ぶことはなかった。
 しかし、生存しているということはバレてしまったため、レオは小型蜘蛛人形を増やしておかしな人間が入ってこないように警戒をしている。
 島のことはレオたちに任せ、ファウストはオヴェストコリナの町中に目を向けることにした。





「ベンさん……」

「どうなさいました? エレナ様」

 話が終わってファウストが帰り、エレナも書類の整理をして帰ろうとしたところ、レオの姿がないいことに気付いた。
 どこにいるのかと思っていると、レオ専用の工房から作業音が聞こえてきた。
 何かを制作しているようだ。
 作業中のレオに声をかけるのは気が引けるので、エレナはレオの執事であるベンヴェヌートに声をかけた。

「レオさんのことなのですけど……、何かあったのでしょうか?」

「……私も少々気にはなっておりますが、体調面では特に問題ないようですので……」

 最近工房にこもることの多いレオのことがきにかかり、エレナは心配そうに問いかけた。
 朝の畑仕事やガイオやジーノの指導もいつも通り受けているし、書類仕事もこなしている。
 しかし、島に帰ってから、頻繁に工房に入っている気がするのだ。
 工房の明かりが夜まで付いているので、体調面も気にかかる。
 いつも側にいるベンヴェヌートも気になっていることだったので注視しているが、とりあえず今の所は大丈夫そうだ。
 さすがにこれが続くようなら止めるつもりでいる。

「今回の戦争に参加したことで、何か思うことができたのでしょうか?」

「そうかもしれませんね……」

「…………」

 戻ってきてからのことなので、ルイゼン領にかかわる何かのような気がする。
 工房内にいるので何かの人形を作っているのだろうが、いつのものようにのんびりした時間を一緒に過ごすという時間が減ってエレナはなんとなく寂しい思いをしている。
 レオは、自分がいつかルイゼン領に戻った時のためにと色々頑張ってくれているのを知っているが、エレナとしては無理はしてほしくない所だ。
 心配が尽きないエレナは、思わず工房の方を見つめることしかできなかった。

「色々と心配ですが、きっとエレナ様のことを考えてのことですのでご安心ください」

「えっ!? し、失礼します!」

「失礼!」

 エレナの心配はたいていレオのことだ。
 そのことは2人の周囲にいる人間は分かっている。
 島民の間では2人がどうなるかを見守っている空気であり、そのことを知らないのは当人たちだけだろう。
 エレナの方はより分かりやすく、レオ次第という気もする。
 ベンヴェヌートも2人を応援している1人なので、エレナを安心させようと少しそのことを仄めかす。
 自分の気持ちを知られていることに照れたエレナは、ベンヴェヌートに頭を下げて家へと戻っていった。
 そんなエレナに続き、いつのように側にいたセバスティアーノも頭を下げてついていった。
 
『微笑ましい反応ですな……』

 エレナの反応に、ベンヴェヌートも僅かに相好を崩す。
 平民のままなら、さすがにレオとエレナが付き合うことは難しいかと思っていたが、レオは爵位を得た状態だ。
 出来ればエレナにはこのままレオの側にいて欲しいものだ。
 それも今後どうなるのか分からないので、軽々に口に出す訳にはいかないが、ベンヴェヌートも2人には幸せになってもらいたい。

『しかし、レオ様は本当にどうなさったのでしょう……』

 2人の関係も気になるが、今は主人であるレオのことの方が気になる。
 エレナと同様、工房にこもりきりになるのは心配だ。
 もしもの時には、側につく自分が何とかしなければと考えるベンヴェヌートだった。

「おはよう! エレナ」

「おはようございます。レオさん!」

 いつものように朝の畑仕事へと出たレオ。
 エレナも少し遅れてやってきて、2人は朝の挨拶を交わす。

「ベンさんから聞いたんだけど、心配かけてしまったようだね?」

「い、いえ、レオさんが元気そうで良かったです」

 ルイゼンの戦争地から帰って、レオは工房にこもることが多かった。
 レオとしては新しい人形を思いつき、それを作ることに熱中してしまっただけなのだが、どうやらいつも以上に熱中してしまったことがエレナを心配させていたようだ。
 それを執事のベンヴェヌートに言われて、ようやくレオはそのことに気が付いた。
 そのことを申し訳なく思いレオが謝罪すると、エレナは明るい表情をしているレオを見て安心したのか、首を左右に振って返答した。

「新しい人形を作るのに熱中しちゃったんだ。それも完成したし、もういつも通りの日常に戻るよ」

「そうですか。安心しました」

 新しい人形の製作も終了したので、もう工房にこもるようなことは減らすつもりだ。
 いつも通りということは、前のように一緒にのんびり話す時間ができるということになる。
 エレナはそのことが嬉しく、満面の笑みを浮かべた。

「どんな人形かお聞きしてもよろしいですか?」

「……いや、出来れば使うことがない方が良い人形だから、エレナは知らない方が良いかも」

「そうですか……」

 いつも以上に熱中していた人形ということで、当然エレナはどんなものなのか気になる。
 それを聞いたことによるレオの返答で、エレナはなんとなく察しがついた。
 自分が知らない方が良いということは、荒事に使う人形ということだ。
 しかも、レオのその口ぶりからすると、かなりの威力の人形になるのだろう。
 きっと多くの人間を相手にしても大丈夫なような……。
 貴族は招集されれば従うのも義務だというのは貴族の娘であるエレナにも分かっている。
 しかし、エレナの勝手な印象だが、性格的にレオには戦争は似合わない気がする。
 レオには、人を多く殺めるようなことにはなるべくかかわって欲しくない所だ。





◆◆◆◆◆

「陛下!」

「どうした? サヴェリオ」

 いつもの様子に戻ったレオたちと違い、こちらはそうは言っていられない。
 ルイゼンとの戦いも思いのほか進まず、なかなか前線を進めることができないでいた。
 このままでは、ルイゼン奪還するまでどれだけの年月がかかるか分からない。
 それによる国庫の資金の支出が、どれほどになるか心配なところだ。
 執務室で資料の数字に目を通しているクラウディオ王の所に、宰相のサヴェリオが慌てたように入室してきた。

「ルイゼン側から書状が届きました」

「何っ?」

 元々王国の領地であるルイゼン領。
 そこが勝手に独立とか言うからこのように戦うことになったのだ。
 当然王国側からは譲歩しようという意思はない。
 自国の領土を取り返すための戦いなのだからだ。
 それに対して、ルイゼン側も徹底抗戦の態度だったのだが、どういう意図なのか書状が届いたということにクラウディオは若干訝しんだ。

「ルイゼン側から……、たいしたことは書かれていないのだろう?」

「恐らくは、そうかもしれませんね……」

 頭のおかしいムツィオのことだ。
 きっと内容も、ふざけたことしか書かれていないのだろう。
 2人ともそのように思いながら、その書状に目を通すことにした。

「んっ?」

「……何か?」

 書状に目を通したクラウディオは、何か引っかかりを覚えるような反応を示した。
 その書状を受け取ったサヴェリオも、何が書かれているのか目を通す。

「終戦へ向けての会談をしたいという話だ」

「なんと!」

 これまで何の反応も示してこなかったというのに、何か心変わりでもあったかのような反応だ。
 しかし、終戦と言ってもこちらがまたわずかずつだが押し返している状況。
 時間と費用がかかるが、当然このまま進めて奪い返すのが狙いだ。
 ルイゼン側に譲歩するような気は、今の所さらさらない。
 それはルイゼン側も分かっているはずなのに、今さら会談などとはどういう考えなのだろうか。

「そもそも、反乱を企て、王国の一貴族でしかないものが、陛下と会談などとは傲慢な!」

「気持ちはわかるが、落ち着け!」

「申しわけありません……」

 サヴェリオとしては、元伯爵風情が同じテーブルに着くという考えが気に喰わない。
 そう思うと段々と腹が立って来たのか、怒りを露わにし始めた。
 その様子を見て逆に冷静になれたのか、クラウディオはサヴェリオを諫める。
 自分の冷静を欠いた態度を見られ、サヴェリオは少し恥ずかしそうに頭を下げた。

「……さて、どうしたものか……」

 相手の出方次第だが、終戦出来ると考えると聞くだけ聞いてみるというのもありかもしれない。
 ルイゼン家は潰して他の人間に継がせることは当然だが、ムツィオなら平気で助命を嘆願してきそうだ。
 それを認める訳にはいかないが、認めないと戦いも長引くことになる。
 頭のおかしな人間が相手なだけに、何とか上手くことを収められないものか悩みどころだ。

「どんな要求してくるのか興味がある。会談を受け入れる方向で進めよう」

「畏まりました」

「もしも降伏しないとなった場合は……?」

「ならばこちらは全力を持って叩き潰すだけだ!」

 王国側にはまだ兵を集めることは可能だ。
 スケルトンの数も魔法でどうにか抑え込むことができている。
 有利に進めている王国側が譲歩する訳にもいかないため、サヴェリオの言うように降伏しないようなら、更なる兵の増員により一気に叩き潰すという手に出るのもいいかもしれない。
 身分が下の者との同等の会談というのは気に入らないが、とりあえずムツィオがどう出るのか見てみるしかない。
 そう考えたクラウディオは、会談の提案を受け入れることにした。





◆◆◆◆◆

「お待たせしました。ルイゼン側の代表のご到着です」

「ようやくか……」

 会談の了承と共に、王国側は場所と日時を指定した書状を返した。
 それを受けたルイゼン側から、了承の返事がきた。
 そして指定した会談日になったのだが、ルイゼン側の代表がなかなかこの部屋へと入って来ない。
 王国側の砦による会談となり警戒する気持ちもわかるが、一貴族でしかなかった者に待たされるのは不愉快なものだ。
 ムツィオ側ならやるかもしれないが、敵地に乗り込んで来た者に危害を加えるなんて、そこまで劣等な行為をおこなうようなことはしない。
 敵側は無意味に待たせて、自分から冷静さを奪うのが狙いなのだろうかと勘繰りたくなる。

「失礼します!」

「「っ!?」」

 謁見の間の扉が開き、1人の男性が秘書らしき男性と室内へ入ってくる。
 その姿を見たクラウディオとサヴェリオは、目を見開き驚く。

「どういうことだ?」

「お初にお目にかかります。陛下」

 慌てるクラウディオを余所に、ルイゼン代表の男は恭しく頭を下げて挨拶をする。
 若干わざとしくも見える態度だが、それよりも気になることがある。




















「ルイゼン帝国代表のジェロニモ・ディ・ルイゼンです」

 秘書らしき男は知らないが、クラウディオにはその顔に見覚えがある。
 ルイゼンの代表としてきたのは、ムツィオではなくその息子のジェロニモだった。
 代表同士の話し合いだという話だというのに、息子のジェロニモが来たことが理解できない。

「どうぞお見知りおきを……」

 戸惑っているクラウディオを嘲笑うような笑みを浮かべ、もう一度頭を下げたジェロニモはそのまま会談の席へと着いたのだった。

「ジェロニモ・ディ・ルイゼン……」

 何かのパーティーでムツィオと共に会ったことはあるが、挨拶程度しか話したことはない。
 しかも、会ったときは死んだ魚のような目をしていて、何を考えているのか、もしくは何も考えていないのか分からない男だった。
 父であるムツィオが奪い取ったルイゼン領を継ぐ者だと思い、警戒していたのが無駄に終わったことを思いだす。
 見た目は同じだが、その時とジェロニモと今目の前にいる男の印象が全く違うと、クラウディオは頭の中でどこか納得できないでいた。
 とりあえずジェロニモであることには変わらないが、ムツィオとは違う意味で気持ちの悪い目をしているのが気にかかる。

「会談はトップ同士によるものという話だった。何故父であるムツィオが出てこないのだ?」

 以前届けられた会談を提案する書状には、クラウディオが言ったようにトップ同士の会談という話だった。
 それを受け入れてやったというのに、ムツィオが来ないというのはどういうことなのか。
 内心では腹立たしいと思いながらも、クラウディオは表情に出さないようにしながら当然の質問をジェロニモへと投げかけた。

「あぁ! 申し訳ありません。こちらも少々ありまして……」

 クラウディオの質問に対し、ジェロニモは僅かに浮かべた笑みを浮かべたまま返答する。
 謝っているようだが、上っ面の言葉だけで心がこもっていないのが分かる。
 態度が気に入らないが、クラウディオは黙って話の続きを待った。

「父は死にました」

「…………死んだ?」

 出てきた答えをクラウディオが理解するのに、僅かに間が空いた。
 贅沢によって太っていたといっても、ムツィオの健康状態が悪くなっているという話は聞いたことがなかった。
 もしかして、突然死を迎えたということなのだろうか。

「おっと、それは正確ではないですね……」

「……?」

 クラウディオがムツィオの死因を考え始めると、ジェロニモが訂正をするように言葉を続けてきた。





「私が殺しました」





◆◆◆◆◆

「ジェロニモ!」

 時は遡る。
 独立を宣言した父のムツィオは、王国との戦争に全勢力を傾けていた。
 ジェロニモはいつものように自室にこもり、ただ本を広げる日々を送っていた。
 本を広げているとは言っても、内容は全く頭の中に入って来ない。
 それでも、ただ何もしないよりもマシという思いで広げているだけだ。
 そんなジェロニモの部屋へ、いつものようにムツィオが入ってきた。

「また本を読んでいたのか?」

「……はい」

 ムツィオの問いに対し、ジェロニモは小さく答えを返す。
 感情のこもっていないような返事だ。
 息子がこのような反応なのは、ムツィオも理解しているので咎めるようなことはしない。

「素材が集まった。いつものように頼むぞ」

「……わかりました」

 ムツィオからのいつもの仕事の依頼に、ジェロニモは頷きを返す。
 言われたまま、自分の意思を持たないかのように、ジェロニモは椅子から立ち上がりいつもの場所へと向かっていった。

「……相変わらずのようですね。殿下は……」

「あぁ……」

 部屋から出ていくジェロニモの背中を見つつ、廊下にいた男はムツィオへと話しかける。
 彼の名前はコルラード。
 ムツィオに能力を見出され、秘書として側に就くことを許された存在だ。

『ジェロニモ様……』

 昔と違い無気力に生きるジェロニモのことが、コルラードからすると不憫で仕方がなかった。
 幼少期、コルラードはジェロニモに救われたことがある。
 孤児として生きていた時に謂れもない盗みの罪を着せられ、彼は牢へと送り込まれた。
 無実を訴えれば、罪の意識もないものとして看守に折檻を受ける日々が続き、それでも無実を訴えれば今度は罰として食事の量を減らされていった。
 腹を空かせ無実を訴える気力も失せたコルラードは、生きることも諦めようとしていた。

「コルラードと言ったな?」

「……?」

 名前を呼ばれて目を向けると、牢の前に自分と同じ年齢くらいの少年が立っていた。
 身なりは整っており、貴族の息子なのはすぐに分かる。
 しかし、その身分の者がどうして話しかけてきたのか分からないため、コルラードはただ黙ってその少年を見つめることしかできなかった。

「お前の無実は私が証明した。お前は釈放だ!」

 不敬を働いた者をジェロニモが捕まえたら、たまたまコルラードの件もその者の犯行だということが分かった。
 偶然とはいえ、死の淵から自分を救ってくれたのはこの少年だ。
 その少年が伯爵の子であるジェロニモだと分かり、コルラードは忠誠を誓うことにした。
 運良く自分のスキルが使えると認められ、ムツィオの下で働けるようになった。
 ムツィオに尽くせば、それを受け継ぐジェロニモにも尽くすことになる。
 そう思ってムツィオに従ってきたのだが、秘書になった時にはジェロニモは今の姿へと変わっていた。
 理由を知りたくても、何故か誰も話したがらない。
 どうやらムツィオが関係しているということだけは分かったため、コルラードは常に恭しくしてボロが出るのを待っていた。





 何体もの死体が並べられた腐敗臭のする部屋へジェロニモは入る。
 死体はルイゼン側の鎧を付けた兵らしき者、病で死んだとされる平民の者、中には王国の鎧を着た者まで並べられている。
 普通なら部屋に漂う臭いで気分を悪くするところだが、ジェロニモは気にしない様子で部屋の中を歩き回った。

「……いるわけないか」

「……? 何か?」

「いや……何でもない」

 老若男女の遺体を一通り見て回り、ジェロニモは分かっていたかのように小さく呟く。
 その声が小さくて聞こえなかったため、付き添いとして側にいた兵は首を傾げる。
 わざわざ言うことでもないので、ジェロニモは首を振って答える。

「スキル発動!」

 1人の遺体の前に立ったジェロニモは、その遺体に魔力を注ぎ込む。
 すると、その遺体に少しずつ変化が訪れ始めた。

“ベリ……ベリ……!!”

 魔力を流された遺体から、何か分からない音が僅かにしてきた。

“ベリ……ベリ…ベリベリ……!!”

「っ!!」

 何度も見た光景だが、側にいた兵はその結果に毎度驚く。
 遺体の骨が、まるで服を脱ぐかのように肉や皮を破って起き上がってきたのだ。
 全身の肉と皮を脱ぎ捨てると、骸骨はその場に立ってジェロニモの方へと立ち尽くした。
 まるで指示を待つかのような態度だ。

「お前たちは彼の指示に従い、戦場へ着いたら指揮官の命に従え」

“コクッ!”

 王国を悩ませたスケルトン。
 それを作り出していたのは、何を隠そうジェロニモのスキルによるものだった。
 主人の指示を受け、スケルトンはジェロニモへ頷きを返した。

「こいつらのことは分かっているな?」

「ハッ!」

 ジェロニモが作り出したスケルトンには稼働時間が限られている。
 受け取った魔力を使い切ったら、また魔力を送らないといけない。
 その稼働時間の見極めは、ジェロニモの知ったことではない。
 送った戦地の指揮官に委ねられている。
 それを確認して、ジェロニモは他の遺体にもスキルを発動し、スケルトンを量産していった。

「じゃあ、後は任せた」

「了解しました」

 部屋にいた多くの遺体が、肉と皮を残して外へと歩いていく。
 残っている部屋の掃除とかは、兵がおこなう事。
 スケルトン製造が終わると、後のことは気にしないと言うかのように、ジェロニモは表情を変えず部屋から出ていった。
 その背を見ながら、兵は背中に冷たい汗をかいていた。
 自分のスキルとはいえ、先程の地獄のような現象を見ても何の反応を見せないジェロニモに、同じ人間なのかと疑いたくなる気持ちが浮かんでいたからだ。





 ジェロニモのスキル。
 それは、スケルトン限定という注釈が付くが、死霊使い(ネクロマンサー)と呼ばれるスキルだった。

「エレナ嬢の生存が考えられます」

「何っ!!」
 
 その言葉に、ムツィオは驚きと共に玉座から立ち上がった。
 さっきの笑みなど完全に吹き飛んだようだ。

『エレナ嬢? たしか前領主のグイド様の娘様だったような……』

 元伯爵のカロージェロたちと話していたその場に、コルラードも立ち会っていた。
 独立したばかりのためか、この国に宰相となる人間がいない。
 その地位は、今回の戦いで一番功を上げた将軍に送るということになっているため、ムツィオの側に常にいるのはコルラードしかいない。
 ジェロニモによって命を救われたことを恩に感じているコルラードは、ムツィオの悪事にも加担している。
 それはいつかジェロニモが領主に、皇帝になった時のことを考えての行為だ。
 だが、ムツィオはコルラードが自分に心酔していると勘違いしていた。
 エレナの生存という話を聞いて、コルラードもムツィオ程ではないが驚いていた。

『生きていらしたのか……』

 元々前領主のグイドの死によって、ムツィオが領主になった。
 しかし、それはエレナが成人するまでの代理ということになっていた。
 そのエレナも突如失踪し、捜索をおこなったところ海難事故で死んだという報告が上がってきたと聞いている。
 ムツィオの側に就くようになったのはその後なので、コルラードには何が起きたのかは分かっていない。

「おのれ!! 生きていた上に匿まわれていたのか!? 何としても始末せねば……」

「あくまでも確証のない話ですし、陛下が前領主を始末したといっても、証拠もないのだから放っておいて良いのではないですか?」

 エレナが生存している可能性を聞いて、ムツィオは報告した男が思っている以上に慌てだす。
 当時、王国の人間が証拠探しをしていたが、結局は見つからずじまいだった。
 今となっては、ムツィオを強制隷属させて吐かせる以外に証拠を得られることもないだろう。
 証拠もなしに強制隷属なんて出来る訳もないし、そもそも前領主の娘が生きていようと何か出来る訳もない。
 男の言うように、放っておいて良いような存在でしかないように思える。

『何だと……』

 市民には前領主は病で死んだと知らされている。
 それが今、雇っている闇の組織の者からムツィオが殺したという言葉が出た。
 しかも、エレナも殺そうとしている。
 その話の内容に、コルラードは表情を変えないようにすることに必死になった。
 話は終わっていない。
 慌てて少しでも話を止めれば、今後聞く機会を得られないのではという直感が働いたからだ。

「放っておいては後々まずい。始末するのが一番だ。暗殺をおこなうことは可能か?」

「……今は王国の情報収集の方が重要です。暗殺に人を割くわけにはいきません」

「クッ!!」

 何でそこまでムツィオが慌てているのか、男には疑問でしょうがない。
 暗殺を送ることはできるが、今は王国と睨み合っている状況でそんなことしている場合じゃない。
 そのため、男はムツィオの言うことに従う訳にはいかなかった。
 ムツィオもそれが分かっているので、玉座に座って親指の爪を噛むことしか出来なかった。

『ムツィオ様はどうしてそこまでエレナ様を殺害したいのだ? この者の言うように今更何かできる訳でもない。放って置いてもいいのでは……』

 もうムツィオが独立を宣言して、王国との戦争が始まっている。
 レオポルドとか言うカロージェロの息子に匿われていたそうだが、女性一人で何ができるというのだ。
 戻って来られる訳もないので、わざわざ始末する必要は感じない。
 そう考えると、コルラードはムツィオの慌てぶりが異様に思えてきた。

「……成功するかは分かりませんが、1人送ってみましょうか?」

「そうか!? 頼む!!」

「分かりました……」

 自分たちの組織も危ないのだから、王国の情報収集に注視するのが最善に思える。
 しかし、何だか切羽詰まるようなムツィオに、何かあるのだと思った男はとりあえず提案してみる。
 その提案に、ムツィオは食い気味に反応してきた。
 その態度で更に訝しく思いつつ、男はエレナの暗殺を指示することになった。

『……何としてもエレナ様を始末したい理由は何だ?』

 報告に来た闇の組織の男が部屋から去っていくのを平然とした表情で見送りながら、コルラードは頭の中をフル回転させる。
 前領主のグイド殺害、エレナの生存と殺害依頼。
 どう考えてもムツィオの態度はおかしい。 
 しかし、色々な裏の情報を突如として得ることになった。

「コルラード! 今聞いたことは誰にも話すなよ!」

「畏まりました。しかし……」

 よっぽどエレナの生存に慌てていたのか、ムツィオはコルラードがいることにようやく気が付いた。
 しかし、コルラードはムツィオに敵対する者を、良く知らずに始末するという裏作業をおこなったこともある。
 自分に心酔していると思っているムツィオは、コルラードの無表情の姿を見て何も感じていないと受け取ったらしく、きつい口調で先程の話の口止めをしてきた。
 ムツィオのこれほどの反応で、コルラードは段々とこれまでのことが明らかになっていくような感覚に陥った。 
 領主がムツィオになってから、王国はルイゼン領からの案を冷遇する扱いを取っていた。
 その理由を聞いた時、ムツィオはどういう訳かクラウディオ王に嫌われていると言っていた。
 前王が無能という話も聞いていたので、息子のクラウディオ王もそんなものかとコルラードは思っていたが、ムツィオが兄であるグイドを殺したというのなら、その対応も分からなくない。
 証拠がないためにムツィオを野放しにするしかなかったのだろう。
 そして、コルラードの中でジェロニモがあのようになった原因に心当たりが生まれた。

「ジェロニモ様には?」

「話すな!! 絶・対・にだ!!」

「畏まりました」

 誰にもと言っても、ジェロニモだけには知らせた方が良いのではないかというコルラードの問いに、ムツィオのこれまでで最大の反応を示す。
 これで原因の心当たりが確信に変わった。
 ジェロニモが無気力になった原因はエレナだ。
 エレナはジェロニモと仲が良かったと聞いている。
 古くから仕える者の中には、ジェロニモは従妹としてだけではないような感情を持っていたのではという者がいた。
 それは極わずかな人間の話だったので妄想に過ぎないと思っていたが、それが正解だとしたらジェロニモの今の様子も納得できた。
 ムツィオの指示に、コルラードはいつものように頭を下げる。
 内心の感情を悟らせないまま……。

「…………」

 従兄妹同士での婚姻というのは珍しくないことだ。
 貴族の中には、親族を優遇するために政略的におこなうこともある。
 ジェロニモは、いつか自分の気持ちをエレナに伝え、彼女の婚約者になるつもりだった。
 そうしてエレナと共に領地を発展させようという未来を考えていたのだが、突如の失踪と海難事故で死亡したという話を聞いて、自分の中の何かが崩壊してしまった。
 生きている意味が完全に消え去った。
 しかし、自害することは父が悲しむ。
 父のムツィオ同様に、元々傲慢な気性をしていたことは事実だ。
 しかし、父とは違い市民は庇護してやるものだという思いも持っていた。
 上から目線ではあったが、ムツィオよりかはまともな人間に育っていたことだろう。
 成長するにつれ、従妹のエレナに懸想していった。
 それも日が経つにつれて深く、深く。
 母も父が領主になる前に亡くなり、もう家族は父しかいない。
 今のジェロニモは、せめて父を悲しませないように生きているに過ぎず、この日もただ本を開いて時間が経つのを待っているだけだった。

「失礼します!」

「テスタか? あぁ、時間か……」

 ノックをして黒ずくめの男が入室してくる。
 執務室で書類に目を通していたムツィオは、時計を見て納得するように呟く。
 このテスタから報告を受ける時刻だ。
 一時休憩と言うかのように見ていた書類を側にいたコルラードへと渡して、机の前にあるソファーへと移動した。
 ムツィオに手で促されたテスタは、それに従って対面へと座った。

「まず、どうやらエレナ嬢の生存は確定かと思われます」

「っ!!」

 テスタからの報告にムツィオが息を飲む。
 このテスタという男は、闇の組織の頭目の男だ。
 その名前も本名ではなく、単なる記号としてのものらしい。
 可能性の話だということだったが、どうやら本当の話だったみたいだ。
 信じがたいことだが、彼らの組織は仕事に見合う金が得られればいいという考えなので嘘を言う理由もなく、きっと本当のことなのだろう。

「本当か!?」

「はい」

 本当のことだと分かっていても、ムツィオは思わず問いかける。
 自分たちの仕事に自信のあるテスタは、その確認の問いに頷きを返す。
 テスタと弟が仲違(なかたが)いをし、数人の部下と共に組織を抜けた。
 新しく裏組織を作ったそうだが、所詮少数の組織。
 もしもの時にはいつでも潰せると放置していたが、手を下す前にその組織は全滅した。
 その組織の拠点は把握していたので、どういった仕事や繋がりがあるのかを調べた。
 場合によっては、こちらの組織の仕事に繋がると判断しての調査だ。
 その拠点に残されていた書類などを見ると、最後の仕事は元ディステ伯爵であるカロージェロによる依頼だった。
 そして、組織を返り討ちにしたのがレオポルドとその部下、元ディステ領のエリアギルマスのファウストとそれに雇われた冒険者たちによるものだと分かった。
 別に報復など考えていなかったが、他国へ逃亡したと言われていたカロージェロがルイゼン領に匿われているのは掴んでいたため、近付いてみたら正解だった。
 大きな仕事を依頼してくれるムツィオに繋がることができたからだ。
 ムツィオと言えば、兄殺しに姪殺しとして裏では知られていた男で、裏仕事を生業としている組織の取引相手には最適な人物だ。
 国として独立をするなどと言う突拍子もないことをするとは思わなかったが、自分たちの仕事ができればそれはそれで構わなかった。

「島へ潜入させた者が殺されましたが、鳥の従魔を持つ者に確認させておいたので間違いありません」

「くっ!!」

 王国との戦いが始まり、ある時参戦者リストにレオポルドという名前が入っていた。
 それを見て、弟の組織から持ち帰った書類を再度調べていた時、テスタは気になる人物の名前が目に入った。
 島に潜入した者に付けていた魔道具により、エレナという人物が島に存在していることが分かっていたらしい。
 エレナといったらムツィオの姪と同じ名前だ。
 殺したといっても、台風に巻き込まれて海難事故に遭ったのだが、死体を確認したわけではない。
 しかも、その台風に巻き込まれたのもヴェントレ島からそれほど離れていない場所だ。
 エレナ生存の可能性をムツィオに示唆するとすぐさま調査を指示され、仲間を1人送った結果がこれだった。

「コルラード! ジェロニモには伝えていないだろうな!?」

「はい。何も伝えておりません」

 テスタの報告に、ムツィオはまた以前のように落ち着きがなくなる。
 イラついた時の癖である爪を噛む仕草をした後、コルラードへ以前命令したことの確認をする。
 その確認に対し、コルラードはいつもの冷静な態度で返事をした。
 ジェロニモが今のようになった原因は、エレナであるということはコルラードには分かっている。
 生きている可能性があるということを伝えれば、ジェロニモに何かしらの変化が起こせるだろう。
 しかし、それが分かってもコルラードは伝え(・・)なかった。

「そうか、ならまだ問題ない。しかしエレナを殺さないことには……」

 以前にエレナの生存の可能性があると分かってから、少しの日にちが経っている。
 もしもコルラードが伝えるなら、もうジェロニモに変化があってもおかしくない。
 使用人に聞いた話だと、ジェロニモは今日も部屋で本を読んでいるということだ。
 気にする必要はまだないようだが、ジェロニモに気付かれる前にエレナを始末しないと後々面倒なことになる。
 そのため、ムツィオは独り言をつぶやきながら爪を噛んだ。





◆◆◆◆◆

「ジェロニモ様。本の追加をお持ちしました」

「あぁ……」

 ムツィオがテスタからの報告を受ける数時間前、コルラードはジェロニモに本を届けていた。
 これは使用人の仕事だが、コルラードが代わりに持って行くのを申し出た。
 ジェロニモに用があったからだ。
 椅子に座って本を見ていたジェロニモは、チラリとコルラードを見て小さく返事をする。

「……たまには外へ出るのはいかがですか?」

「…………」

 コルラードは、日頃このように理由を作ってジェロニモの様子を見に来ている。
 いつものように、少しでも気分を変えてもらおうと外への散歩を促す。
 しかし、ジェロニモはいつものように無言で反応はない。
 分かっていたことだが、ジェロニモが以前のように戻る気配はないため、コルラードはそれがなんとなく悲しい。

「あっ! こちら昔見せていただいたことがありましたね……」

 部屋の棚に目を向けたコルラードは、1つの装飾品へと近付いて行く。
 蛙の骨を使った装飾品だ。
 昔からジェロニモはスカルグッズを作るのが趣味だった。
 ジェロニモが得たスキルも、今となってはそれによるものなのではないかと考えている。

「そう言えば、ジェロニモ様から陛下の秘書になった時の祝い品を頂いていませんでしたね……」

 無実を証明されて釈放されたが、孤児のコルラードは行く場所がなかった。
 それを知ったジェロニモが、領主邸の下働きをするように言ってきた。
 寝るだけのスペースながら部屋も用意してくれ、食事も毎日出してもらえた。
 仕事はきつかったが、昔に比べれば天国のような環境を与えられた。
 その環境を与えてくれたジェロニモに、いつか役に立てる人間になって見せると約束した。
 そんなコルラードに対してジェロニモは、「そうなったら褒美に何か与えよう!」と言ってくれた。
 その時の約束を、コルラードは今思いだしたように話しかけた。

「褒美としてこのブレスレットを頂けませんか? もしかしたら……」

「…………」

 ずっと話しているが、さっきからジェロニモは変わらず本を見つめたままだ。
 聞いているのか、いないのか、反応がないので分からない。
 完全にコルラードが独り言を言っているかのような状況だった。
 しかし、コルラードは気にしない様子で装飾品を持ってジェロニモへと近付いて行く。

「この後ジェロニモ様にとって必要な話が聞けるかもしれませんよ……」

「…………」

 近付いたコルラードは、無理やり視界に入るように膝をついて身を低くし、さっきまでの優しい口調から真面目で重苦しくなるように低くした声で話しかける。
 その口調の変化に、ジェロニモは僅かながらコルラードへ視線を向けた。

「頂いてもよろしいですか?」

「…………、あぁ……」

 コルラードは何かしようとしているのだろうか。
 何をしようとどうでもいいが、自分にとって必要な話と言われると少しだけ気になる。
 装飾品も昔に作ったものだし、いつでも作れるようなものだ。
 それを渡せば出て行ってくれるのだろうと、ジェロニモはコルラードの要望に小さく返答した。





◆◆◆◆◆

“バンッ!!”

「っ!? 何だ!?」

 時間は戻り、ムツィオが爪を噛んで思考を巡らしていると、突如として執務室の扉が開く。
 ノックもなく入ってきた人物に、ムツィオとテスタは立ち上がる。
 テスタは入ってきた人物からムツィオを守ろうと、背に隠すようにして短剣を出して身構えた。

「……ジェロニモか、珍しいな……。ノックもなくどうした?」

 入ってきた人間の姿を見て、テスタは武器を収める。
 ムツィオの方も少し安心したように、ソファーに座り直した。

「父上……」

「何だ?」

 珍しく話でもあるのだろうかと、俯いているジェロニモの表情が分からないせいか、ムツィオは軽い口調で返事をする。

「今の話は何だ?」

「……今の話? 何のことだ……?」


 話しているうちに、ジェロニモはムツィオの目の前まで近寄って来ていた。
 そして、ようやくジェロニモの様子が違うことに気が付いた。
 テスタも動こうとするが、コルラードが何もしなくていいと言うかのように首を横に振っている。

「エレナを殺すということだ!!」

「っ!! な、何で……」

 部屋には防音の設備が施されている。
 外には漏れていないはずなのに、話が聞かれていたことに驚く。
 それよりも、ムツィオにとって一番聞かれてはいけない人間に聞かれたことが問題だった。
 ムツィオの全身から、汗が一気に噴き出してきた。

「たまたま(・・・・)コルラードに盗聴器を仕込んでいてな……」

「おやっ? こちらジェロニモ様から頂いたブレスレットでしたが、まさか盗聴器だとは……」

「なっ!? コルラード!! 貴様……!?」
 
 ジェロニモとコルラードは棒読みでやり取りを交わす。
 そのやり取りに、ムツィオは憤怒の表情へと変わる。
 2人がというより、コルラードがこのことを企んだのだと理解したのだ。
 ジェロニモのスキルは骸骨ならばどんな生物でも動かせる。
 コルラードが付けているブレスレットには蛙の骸骨が付けられていて、それをスキル発動することによって盗聴器として利用したのだ。

「動くな! お前には手は出さない!」

「……分かりました」

 テスタがムツィオを守ろうと動こうとしたが、その時には骸骨が首のもとに刃物を向けていた。
 さっきのコルラードが首を振った意味が分かった。
 殺されないなら動かない方が良いと、テスタは黙って動くのをやめた。

「おいっ! 待てっ!! ジェロニモ!! 待っ……」

 怒りの表情で睨みつけるジェロニモは、魔法の指輪からムツィオの前にスケルトンを出現させる。
 そのスケルトンには剣が握られている。
 それを見て、ムツィオは慌ててジェロニモに止まるように言って来る。
 しかしそんなことを言われても怒りが治まらないジェロニモは、スケルトンを動かしてムツィオの首を斬り飛ばしたのだった。