僕が現在在籍している広報部では社外対応がメインの仕事だ。研究者でありながらまるで事務系の仕事をしている。ここへくる前は企画部門にいたが、請われて異動してきた。

もともと理系で研究職を希望して、入社してすぐに希望どおり研究所に配属された。入社7年目の29歳の時に親の勧めでお見合いして婚約した。

式の日程まで決まっていたが、その後、離れていたこともあって相手との意思疎通がうまくいかず、式の直前で婚約を破棄することになった。上司や同期に出席を頼んであったので謝罪して回った。

そのことが研究所内に知れ渡り、また婚約破棄の後ろめたさから、研究に逃げ込んだ。幸いなことに、研究の成果が上がり、上司の計らいで学位も取得することができた。これが契機となって本社の企画部門への異動の話が出た。いやな思い出のある研究所を離れたかったので快諾した。

◆ ◆ ◆
4月になって2週目に僕はマンションでとんでもない事件を起こしてしまった。その日は記者クラブとの定例の交流会があった。2次会まで付き合って、午前1時を過ぎての帰宅になった。

ここのところ久恵ちゃんとの楽しい生活に浮かれていたせいか、すっかり酔いが回ってしまい、マンションの前の大通りでタクシーを降りたところから、記憶がはっきりしない。泥酔状態だったと思う。

ドアを開けて、いつもどおり部屋に入って、スーツを脱いで、敷いたままにしてある布団に入って寝た。

突然「ギャー」の叫び声が耳のそばでする。なんだ、うるさい!「ギャー」の叫び声が続く。眠い! 静かにしてくれ! 酔って疲れているんだ! 眠らせてくれ!

玄関ドアを誰かが叩いている? 何人かがドアを開けて入って来たような気がした。静かに眠らせてくれ! 頼む! この時には「ギャー」の声は収まって、泣き声が聞こえていたと思う。

回りが明るくなって、気が付いたらお巡りさんが目の前にいた。頭がクラクラしていた。

事の顛末はこうだった。午前1時半ごろに帰宅した。泥酔していたので、以前自分の部屋にしていた癖が出て、久恵ちゃんの部屋へ間違えて侵入した。バタンキュウのつもりで、スーツを脱いで、敷いてあった久恵ちゃんの寝ている布団の中に入った。

久恵ちゃんが驚いて「ギャー」と奇声を連発したため、隣の住人がマンションの警備会社へ連絡した。

ガードマンが急遽到着し、合鍵を使って部屋に入って、その侵入者を取り押さえた。その後、パトカーが来るやらで、一騒動となった。

お巡りさんに理由を説明したが、酔っぱらいの言うことなんかなかなか信用してもらえない。久恵ちゃんは、泣いてばかりなので、DV(ドメスティックバイオレンス)か何かがあったと見られてもしかたのない状況になっていた。

言い訳をしているうちに酔いが徐々に醒めてきた。ようやく落ち着きを取り戻した久恵ちゃんが、事の重大さに気が付いて、こうなった事情をお巡りさんに説明してくれた。

酔いがすっかり醒めたころようやく解放された。ガードマンやお巡りさんが引き上げて行った。二人だけになったら、どっと疲れが出た。久恵ちゃんもしょんぼりしている。

「申し訳ない。酔っていたとはいえ、以前の自分の部屋と間違えたことは、全く迂闊だった。誤解しないでほしい。信じてほしい」

手をついて久恵ちゃんに謝った。

「始めは本当に不審者が入ってきたと思ったから大声を上げてしまいました」

「本当に驚かしてごめん」

「でも、でも少し変だったの。覆いかぶさるだけで、何もしないし、アルコールの匂いがしました。それにパパの匂いがしたから、酔った勢いで私の部屋に入ってきたと思ったの」

「ごめん、本当に自分の部屋と間違えたんだ」

「パパだと分かってからは、驚くやら恥ずかしいやらで、泣いてしまって」

「本当にごめん」

「それに鍵をかけ忘れたのは後になって気が付きました。こういう間違いも起こると分かったので、これからは必ず鍵をかけます」

「そうしてくれると安心だ。でも二度とこういうことがないように気を付けるから」

「事情はよく分かりました。パパは疲れているみたいだから、もう寝てください」

「ああ、そうさせてもらうよ。おやすみ」

「私も寝ます。おやすみなさい」

その後、二人ともすぐに就寝した。

やはり次の朝、僕はひどい二日酔いになった。

「おはよう。昨夜はごめん。本当に迷惑をかけた。罰《バチ》が当たって、二日酔いで頭が痛い。それにお腹の調子も悪い」

「酔っぱらいには本当に手数がかかりますね。身体に悪いのでこれからは飲みすぎに注意して下さい」

「今回のことで、身に染みて分かった」

久恵ちゃんは朝食にお粥を作ってくれた。おいしい! それに、なんとか信頼関係を修復できたみたいで良かった。

いつもより2時間ほど遅れて、ご近所を気にしながら二人一緒にマンションを出た。うら若き女性と同居している難しさが身に染みた。やれやれ!

後日、警察に始末書を提出した。今振り返ると、どこか心の片隅にそういう思惑があったのかもしれない。それが、泥酔して無意識に問題行動を起こした? いやいや、そういうことは絶対にないと思う。