「川田さん、久しぶりに明後日の午後にでもどうですか?」

春野君から携帯に電話が入った。

「こちらも、仕事に区切りがついたところなので、OKです」

「では予約しときます」

すぐに明後日午後の半日休暇届を提出した。

約束した日の昼過ぎに、駅の改札で待ち合わせ。日差しが強い。「予約、指名、いずれもOKです」いざ!

◆ ◆ ◆
この定期的なイベントが始まって、もう5年近くになる。春野君は、僕の3年後輩で年齢は4つ下だ。今の広報部のポジションに移る前の企画部に、僕の後任として研究所から異動してきた。

研究所でも付き合いはあったが、本社でより親しくなった。本社勤務の不安があると思い、先輩として仕事のコツを教えてあげて、仕事の相談にも乗ってあげたところ、非常に感謝されて、兄のように慕ってくれるようなった。

ある時、耳打ちして誘ってくれた。

「良ければ、一緒に少し憂さ晴らしに行きませんか?」

「どこへ?」

「ソープランド」

「行ったことはありますか?」

「上京したときに何事も経験と2回くらい行ったことがあるけど、それからずっとご無沙汰している」

「この歳になると、良さが分かりますよ」

そして、馴染みの彼女から聞いたという作法まで伝授してくれた。

① 受付のお兄さんに好みを伝えること(気質、サービスを把握しているので、かなり正確に紹介してくれる)

② 初対面の彼女が挨拶したらニコッと笑うこと(好感を持っている印象を与えるとサービスが良い)

③ 部屋に入ったらすぐにベッドにドカッと座ること(サービスに手抜きがないように場慣れしている印象を与える。初心者は促されるまで座らないという)

④ ベッドの脇に小型の時計があるから、終了の時間を確認すること(時間が不足ならないように時間配分に注意する)

⑤ 彼女を大切に扱うこと(上から目線にならない。乱暴に扱わない)

⑥ 彼女がいやがらないかぎりしたいことをすること(おしなべて従順)

⑦ 満足したら言葉と態度に出して感謝すること(彼女も気に入られると嬉しい)

⑧ 気に入れば1か月以内に指名を入れて再度行くこと(1か月以内なら覚えていてくれてサービスが良くなる)

⑨ 指名したらサービスを省略させること(楽なので喜ばれ、会話の時間が増えてより親密になれる)

それを聞いて、なるほど人の機微に触れる作法だと感心した。記念すべき第1回目のイベントの彼女はここ5年間を振り返っても最高のレベルのテクニックの持ち主だった。

運がよかった。当たり外れが結構あることは後で分かった。第2回目のイベントではもちろん指名してみたが、作法にあるとおり、親密度が上がったのが分かった。

終わってからの満足感がなんともいえない。何気ない会話、心地よい疲労、このまま泊まってゆきたいほどのけだるさ、きっと昔の吉原にはこういう良さがあったのだなと、しみじみ感じる。確かにこの歳になって分かるのかもしれない。

毎回イベントの終了後は、彼と二人でビヤホールで反省会をするのが恒例となっている。良いことを教えてもらったと感謝すると「川田さんなら秘密厳守で良さも分かってくれると思っていました。何でも話のできる仲間ができて嬉しい」と喜んでくれた。反省会はいつもほどほどで切り上げて帰宅することにしている。

研究所時代の婚約破棄以来、自分が傷ついたのは自身のせいとあきらめられても、相手に取り返しのつかないことをした罪悪感に苛まれた。

もっと、言うべきこと、不満なことをぶつけるべきだった。そうして、お互いの理解をもっと深めていればよかった。一番の後悔は、相手を大切に思わなかったこと、自分のことばかり考えていたのかもしれない。その後悔から、ずっと素人の女性とは距離を置いてきた。

ここ5年間、お互いの仕事が忙しくなければ、月1回位の頻度でイベントを実施して来た。今の収入だとそれが可能だ。面倒な駆け引きなどなしで、短刀直入に目的が達せられる。

うまくいってもいかなくても、その時その場だけの刹那的な関係で終わり、後腐れなし。気に入って指名すれば、親密度が増して恋人気分も味わえる。飽きてくると浮気して新しい彼女に乗り換える。

終わってからの満足感とその簡便さが気に入っている。また、経験した女性の数が多くなったことで、男としての自信もついてきた。

このごろ、どんなに美人でも、すごいテクニッシャンでも、5回も通えば飽きてしまう。理由はよく分からない。

生物学的には、そのくらいで妊娠させて子孫を残したら次を探すからかもしれない。心理学的には、相手の心の中までは入り込めないので新しい相手を探すからかもしれない。

彼女たちはこちらから話さない限りこちらのことを聞いてこないし、こちらも彼女たちの身の上話を聞いたりしない。それでよいのかもしれないが、やはり虚しさはある。簡便さとの裏腹ではある。

ただ、何回も通った娘には情が移る。身体に飽きて、浮気しても、しばらくすると、また、思い出して指名する。身体だけの関係のはずが何故だろう?

終わった後の満足感とはなんだろう? 単に欲望の放出だけではなく、何か他にもある。心のつながり? そう何故かお互いに一歩近づいた気がする。

回を重ねるごとに、お互いの身体を覚えるからか? これは本能的なものか? 身体の繋がりが、心の繋がりを生んでいるのか? 情が移るとはそういうことかもしれない。

春野君には5年ほど通っているなじみの彼女がいると聞いている。電話番号を教えてもらっており、店を替わったら、次の店へ訪ねていくそうだ。

これで3~4回は店を替わったとのことで、その間に年齢が進むから、徐々に格下の店へ移るとのことだ。ただ、行くと喜んでくれてサービスも変わらないと言っていた。

僕は気に入った娘でも電話番号を聞くようなことはしなかった。だから、店を変わると連絡がつかなくなる。それで良いと思っている。去る者は追わず。彼女たちは足が早い。気に入って次回指名してもいないことが結構ある。

◆ ◆ ◆
春野君はこのところ、以前のような積極さが見られなくなってきた。その理由を聞くと、彼女ができて結婚を考えているとのこと、さすがに後ろめたさというか抵抗を感じるようになったようだ。実際に誘いが少なくなっているし、こちらから誘ってもパスが増えていた。

今回は、兄貴夫婦の死亡事故後の葬儀や会社の破産処理などのため間隔が空いていたので、久しぶりのイベント開催だった。まあ、この辺がイベント終了の時期かもしれない。

相手をしてくれる娘も久恵ちゃんとほぼ同じ年頃だ。彼女の代用と思うことは、彼女を自分のものにしたいという気持ちの裏返しだ。そう思うとやはり後ろめたさを感じる。

ただ、久恵ちゃんの気持ちを踏みにじって彼女を傷つけるようなことは絶対にしてはいけないと思っている。あの泥酔して部屋に侵入したときに久恵ちゃんが泣いていたことがいつも心のどこかに残っている。

何事もなかったように帰宅する。

「ただいま」

「おかえりなさい。夕食はパスでよかったですね」

「同僚とビヤホールで済ませた」

「飲んだのに早かったね」

「この前の失敗があるから早めに切り上げたんだ」

後ろめたいことをしてきたと思っていたのかもしれない。それで久恵ちゃんと目を合わせることができなった。

「パパ、同僚は嘘でしょ。女の人の匂いがする。女性の同僚?」

「ええ!」

彼女の感の良さに驚きを隠せなかった。

「洗濯しているから分かるの」

「そんな匂いする?」

ス、ス、鋭い! 浮気はこうしてばれるのか?

あそこでは匂いには特に気を使っている。石鹸は香りの少ないもの、ローションは無香料のはずで、洗髪はしない、香水も強いものはつけていない。石鹸は最初に全身を洗うだけに使い、最後は最小限しか使わない。

残り香はほとんどしないはずなのに、匂いに敏感なのかな? 鎌をかけているのかな?

「好きな人がいるなら、はっきり言って」

久恵ちゃんが食い下がってくる。

「本当に今日は男性の同僚と飲んでいたんだ。本当に好きな女性や付き合っている女性はいない。し、し、強いて言えば、久恵ちゃんだよ」

「本当?」

「誓って」

これは本当に本心だ。

「私、マンションでは妻ということになっているのでお忘れなく。浮気は絶対にダメ」

独占欲が強い。言い方が嬉しい。でも怖い。やはりイベントは止め時かな、春野君に提案しよう。