不倫ごっこしてみませんか?―なぜあなたも好きになってはいけないの?

6月中旬の週の半ばになって昼過ぎに直美からメールが入った。[次回は7月9日(金)10日(土)11日(日)]。

すぐに仕事のスケジュールを確認した。8日(木)と9日(金)は岡山支店での打ち合わせの仕事が入っていた。9日(金)の午後の打ち合わせを終えたら直接、大阪経由で金沢へ向かえばよい。廸にも旅費の節約になるから実家に寄って行くと言えば体裁がつく。すぐに[了解]の返信を送った。

同窓会からもう1か月が経とうとしていた。2か月毎だから1か月前にはそろそろ次の帰省の日程を決めなければならない時期だった。どうしようか、こちらから予定を知らせようか考えていたところだった。メールを受け取って、気が合うというか気持ちが通じ合っているそんな気がした。

◆ ◆ ◆ 
7月9日(金)岡山支店での午後の会議は3時には終わった。その後にも簡単な打ち合わせが入って予定よりも遅れてしまったが、午後4時には岡山を立つことができた。これだと金沢には8時過ぎには着ける。それでメールで[到着は8時過ぎ]と入れた。すぐに[了解]の返信が入った。

ホテルにチェックインしたのは8時30分だった。まず、実家の母親に金沢に着いてホテルにいるから明朝9時過ぎに訪ねる旨の連絡を入れておいた。それから、直美に[無事到着1240]と知らせた。すぐに部屋の電話が鳴った。

「お疲れ様、お元気ですか?」

「岡山に出張していて、今ちょうど着いたところです。遅れてご免」

「お食事は?」

「新幹線の中で済ませた。君は?」

「母と実家で済ませました」

「これから行くけど何号室?」

「となりの1241号室です」

「隣同士になることもあるんだ。お土産にお菓子を買ってきたから持っていこう」

「今日は私の方で飲み物とおつまみを用意しました。お待ちしています」

シャワーを浴びてからとも考えたが、遅くなったのですぐにでも会いたかった。部屋のドアをそっと開けて、周りに誰もいないことを確認して、隣のドアをそっとノックする。

すぐにドアが開いて、微笑んだ直美がいた。すぐに中に入って、ドアの音がしないように注意する。直美が抱きついてくる。抱き合うとすぐにでも愛し合いたいそんな気持ちがこみ上げてくる。でも今日はとても暑かった。

「すぐに会いたくて来てしまったけど、今日は汗をいっぱいかいたからシャワーを使わせてもらっていい?」

「今日は暑かったから私も汗をかきました。もうシャワーを一回浴びましたので、ゆっくり使ってください。そのあと飲みもので喉を潤してください」

ここにいれば、もう人の目も気にしなくてもよいし、誰にも邪魔されないことが分かっている。徐々に気持ちが落ち着いてくる。ゆっくりでいい。熱いシャワーが心地よい。

身体を拭いて部屋に戻ると、テーブルにレモンサワーの缶が2本置かれていた。

「レモンサワーが好きなの?」

「さっぱりしているので時々いただきます」

「再会を祝して乾杯」

飲み終えると、手を伸ばして引き寄せて抱きしめる。直美も力一杯抱きついてくるので、すぐに気持ちが昂る。そのままベッドで愛し始める。時間は十分ある。

◆ ◆ ◆
直美は僕の腕の中で余韻を楽しみながら、うっとりしたまなざしで僕の回復を静かに待っている。

直美は何度も昇り詰めていた。そのたびに押し殺したような声を出していた。大声を出したいのかもしれないが、外へ漏れるリスクはある。でもこれは部屋の外で確かめないと分からない。

僕は直美には廸にいまさら遠慮があってできそうもないことをしたかった。彼女は当然のことのようにそれを受け入れてくれた。それが嬉しかったし、僕を鼓舞してくれた。

「すごくよかったわ。こんなに気持ち良かったことは初めて」

「いつもはしないことをしてみたかっただけだけど、悦んでもらえてよかった」

「まだ、お互いのことを十分に分かっていないから、恥ずかしがらずに何でも試せるのかもしれないわね」

「お互いに知りすぎていると恥ずかしくていまさらできないし、頼めないこともある」

「お互いに知り過ぎていないから、こういうふうだという思い込みがなく、抵抗なく受けいれられるのだと思います」

「確かに、まるで恋人とHをはじめたばかりで、お互いに慣れていなくて、何でもこれが当たり前として受け入れられるのだと思う」

「慣れてくると、かえって新しいことにはチャレンジしにくくなるのかもしれませんね」

「何事も初めが肝心だとはよく聞く話だけど」

「私たちはこれからも何も遠慮しないことにしましょう。また、遠慮する間柄にはなりたくないわ」

「お互いにしたいことをする、してもらいたいことを素直に伝えることにしよう」

「毎回、新しい発見をしたいわ」

「それは結構『努力』がいるかもしれない。君も協力してくれないと」

「もちろんです。『努力』って辛いけど頑張ることでしょう。でもあなたは私もHも『好き』でしょう。私も『大好き』です。『努力』が大切と言われるけど『努力』と『好き』では『好き』の方が絶対に勝っていると思います。『好き』だから『努力』なしで寝食を忘れても続けられると思うの」

「寝食を忘れても続けられるは極端だけど、確かに『好き』だとできないことなどないと思う。その君の新しい発見をしたいという思いを大切にしたい」

「それを忘れないで下さい」

直美が抱きついてきた。僕はもうすっかり回復していた。

◆ ◆ ◆
次の晩も僕たちは新しい発見を求めて愛し合った。確かに四十八手も体位があることが知られている。僕が今まで試したものはほんの一部に過ぎないと思う。

「好き」という気持ちさえあれば、新しい発見とその奥深さを無限に探究し続けることができるかもしれない。そう思った。直美もそう思っているに違いない。二人にしかできないことをしてみたい。
8月11日(水)8月に入って相変わらず暑い日が続いている。夏季休暇が明けてからしばらくしたころ、秋谷君から電話が入った。

「久しぶりだね。同窓会の幹事お疲れ様でした。皆、喜んで感謝していた」

「吉田君こそ協力ありがとう。助かった」

「週末にでも飲まないか? 聞いてほしいこともあるから」

「今週の金曜日の夜、7時過ぎくらいなら大丈夫だと思う」

◆ ◆ ◆ 
8月13日(金)7時前だが約束した居酒屋にはもう秋谷君がいてビールを飲み始めていた。

「待たせたか?」

「いや、俺も今着いたところだ。喉が渇いたので先に飲んでいた」

「僕も生ビール、ほかにつまみを見つくろって頼もう」

「同窓会を企画してよかった。皆、喜んでくれた」

「次はまた10年後か?」

「五年後でもいいけど、希望があればしてもいいかな」

「ところで、上野さんとよく話していたな。久しぶりだったんだね」

「ああ、10年前の同窓会は欠席していたからな。15年前も欠席していた。実は彼女に会いたくて10年前と15年前は企画したんだけどな」

「そうだったのか? そういえば大学生になっても付き合っていたんじゃないのか?」

「そうだ。僕たちは相思相愛で結婚を考えていたんだ。けど事情があって別れた」

「その事情ってなに? 聞いてもいいか?」

「もう時効だから聞いてくれるか?」

「ああ」

「彼女の両親から婿養子なってくれと頼まれた。彼女の家は旧家で資産家だ。そうじゃなければ結婚に反対だと言われた。彼女は一人娘だった」

「十年前でも婿養子なんて古臭い話だな。そんなこと言われたのか?」

「俺は次男坊だからな。地元に就職して婿養子になろうかとも考えたのだが、それでは人生どん詰まりのような気がした。一流会社に就職して、できれば自分の力を試してみたい、そう思った」

「その気持ちはよく分かる」

「それでその気持ちを彼女に伝えた。そして一緒に来てくれるように頼んだ。でも彼女は家と家族を捨てられなかったというか、地元に残ることにした」

「そんなことがあったんだ。今まで話さなかったのは、思い出すのが辛かったんだな」

「そうかもしれない。とても話す気にならなかった」

「それで何かほかに聞いてほしいことがあるみたいだな」

「ああ、あれから彼女に会った」

「どこで?」

「東京で」

「いつ?」

「二か月くらい前の6月かな。それで、昔の関係に戻った」

「ええっ、戻った? 昔の関係って?」

「彼女とは反対されて別れる前に思い出づくりに二人で旅行にも行った。そのとき男女の関係にもなった」

「そうか? それで東京へ遊びに来たらと言っていたのか?」

「あれは冗談のつもりだったが、本心だったかもしれない。彼女はそう受け取った。それで同窓会のあとしばらくして遊びに来たいと連絡がきた。それで会って、すぐにそうなった。それからもう1回会った。1か月くらい前になるかな」

「分かった。それで悩んでいるのか?」

「どうしたらいいのか、会い続けるべきか」

「戻ったというけど、言うなれば不倫だな、それもダブル不倫だな」

「言われなくてもそうだ」

「秋谷君の気持ちはどうなんだ?」

「会いたい気持ちもあるし、会ってはいけなかったと後ろめたい気持ちもある。迷っている。だから吉田君の意見を聞きたいと思った」

「以前から浮気はしてきたんじゃないか? 風俗とか援助交際とか、いろいろ話してくれたよな」

「金銭の授受があったので浮気遊びと割り切っていたからだ。プロはもちろんだけど素人でも、そんなに後ろめたい気持ちはなかった。順子にも分からないようにすればよいと思っていた」

「確かに上野さんとは金銭の授受はないだろうからな。もっとある意味純粋な動機だからな、お互いに好きだという。だから迷うのも分かる」

「だから割り切れなくてどうしたらよいか迷っている。吉田君ならどうする?」

「ええっ、僕なら? うーん、僕ならか? 仮定の話だから答えにくいけど、答えは二つにひとつしかないだろう。もう会わないか、会い続けるか?」

「そんなことはもう分かっている。だから相談している」

「もう会わないなら、二人の気持ちの整理がつけばそれでよいと思う。それでなかったことにすればよいだけだ。でもこれからも会い続けるかどうするかは、上野さんの気持ちを確かめる必要がある」

「確かめるって?」

「要するに、本気か浮気か? 本気なら、お互いに今のパートナーと別れて再婚する覚悟があるのかどうかだ。浮気なら、お互いの家庭を壊さないようにすることができるかどうかだ」

「俺は今、順子と別れることなど考えていないが、上野さんはどう思っているか分からない」

「二人の思いが一致していないと、あとあと大変なことになりかねない。これを確認しないでずるずると関係を続けることは避けた方がよいと思う。もし、浮気ならばれないように細心の注意を払えばよい。嘘もつき通せば本当と同じになるし、墓場まで持っていけばよい」

「本気と浮気の中間ってないのかな? 俺たち二人はそんな感じがするんだが」

「確かに浮気という言葉は適当でないかもしれない。さっき言ったのは覚悟の問題でそう例えただけだ。好きだから関係を持った、いや戻した。それに好きだから会い続けたいのだろう。僕もなぜ一人の人だけを一生愛さなければならないのか、ほかの人も好きになってもよいのではないかと思うことがある。この方が動物としての男なら自然のように思う」

「吉田君に相談して、本質が少し見えたような気がする。要するに二人の覚悟の問題だということが分かる。確かにお互いの気持ちを確認しておくことは大切だと思う」

「いずれにせよ、このことは絶対にばれないようにしないといけない。僕は誓って口外しない。秋谷君も気をつけてもうほかの誰にも相談したりするなよ」

僕も話しているうちに、確かに見えてきた。秋谷君はよっぽど悩んだのだと思う。だから僕にあえて相談した。上野さんが好きで結婚したかったのだが、彼女の両親の反対でそれができなかった。

それで再度開いた同窓会でようやく再会したことから昔の思いが再燃してきた。それがひしひしと伝わってきた。

上野さんが10年前と15年前の同窓会に欠席したのはよく分かる。別れた秋谷君とは会いたくなかったからだろう。僕は出席したが、結婚した直美と話をしようとしなかったのに似ている。だからその分思いが募っていたのだろう。

でも僕と直美は少し違っているように思う。もともと男女の関係はなかったし、別れた方があんなふうだったからもしれないが、僕たちの今の関係には秋谷君のような切羽詰まったところはない。だから、秋谷君に落ち着いてあんな回答をしたのかもしれない。

もっとのんびりした感じでいるし、この関係を楽しみたいとお互い思っている。ただ、僕たちの関係も浮気という言葉は確かに合っていない気がする。僕たちの関係をそんな軽い言葉で表したくない。
9月10日(金)ようやく9月に入ったが、まだまだ暑い日が続いている。「暑さ寒さも彼岸まで」の秋分の日が待ち遠しい。ホテルに入ると冷房が効いて気持ちがいい。チェックインをしている間に汗が引いていく。あれからすぐに2か月がたっていた。

まだ、7時を過ぎたばかりだ。部屋に入って一息ついてから、メールで連絡を入れる。[1256無事到着]。

いつもならすぐに部屋の電話へ連絡してくるが、今日はしばらくしてから返信メールが入った。[用事が入りましたので到着が遅れます]。

用事ってなんだろう? まあ、今の僕にとってはその用事が何であっても構わない。彼女のプライベートな問題だ。例えその用事が男性と会うことだって嫉妬することもない。この後会っても僕から聞くこともしない。妙な自信があるのかもしれない。

シャワーを浴びて一汗流すことにしよう。これまでは着いたらすぐに彼女の部屋に押しかけていた。

シャワーを浴びてから買ってきたレモンサワーを飲んで一息ついた。テレビをつけてニュースを見る。

ドアをノックする音で目が覚めた。眠っていたみたいだ。すぐに小さな覗き窓からドアの外を確かめると直美が立っていた。すぐにドアを開けて中に入れる。

「遅れてごめんなさい。急にお友達と会うことになって、二人で食事をしていました」

時計を見ると9時を回っていた。そういえば、彼女が僕の部屋に来たのは初めてだった。

「僕も結構遅くなることがあるから気にしないで。今日は僕の部屋に来てくれたんだ」

「いつも私の部屋に来てもらっているから。でも部屋のつくりは同じだから代り映えはしないですね」

すぐに抱き合ってキスを交わす。お互いの気持ちが治まるまで抱き合っている。

「ごめんなさい。汗をかいているので、シャワーを浴びさせて下さい」

「ゆっくり使って」

直美はバスルームへ入っていった。チェックインする前に調達して冷やしておいた飲み物をテーブルに並べておいた。

直美はバスタオルを身体に巻いて浴室から出てきた。そしてベッドに腰かけている僕のすぐそばに座った。このまえ直美が飲んでいたのと同じ缶のレモンサワーを手渡した。それを直美はゆっくりおいしそうに飲んだ。喉を潤すとすぐに抱きついてきた。それに応えるように愛し始める。

◆ ◆ ◆
喉が渇いたので目が覚めた。直美はぐっすり眠っている。

ずいぶん何回も昇り詰めていた。凄い凄いと何回も押し殺した声で僕に伝えてきた。また、手を握ったり、腕をつかんだり、腰を押し付けてきたり、背中に腕を回してしがみついたりして、それを伝えてきた。

それに応えるかのように僕は集中し没頭した。最後は直美が腰を強く押し付けてきたので、足を絡めてより強く押し付けるようにした。二人が一体となったとこれまでで最も強く感じることができた瞬間だった。快感が身体を突き抜けていった。そして全身から力が抜けた。

ここへ来る途中、新幹線の中で直美のために新しいシミュレーションを考えてきた。今はネットで何でも調べられるし、映像でも見られる。初めて見つけた体位を2、3新たに加えてみたが、実際の場面を想像して順序の入れ替えをして何回か修正をした。これが結構楽しいことが分かった。時間が経つのが早くて、金沢へはすぐに着いた。

直美が気に入ってくれてよかった。もう一度新しいシミュレーションと彼女の反応を思い出している。僕は飲み物を取りに起き上がった。

「私にも何か冷たいものを持ってきてください」

「起こしてしまったね。ぐっすり眠っていたのに」

直美はミネラルウォーターを受け取ると渇いた喉を潤した。満ち足りた表情をしている。

「ありがとう。すごくよかった。今までで一番良かった」

「考えてきたかいがあってよかった」

「やっぱり考えてきてくれているのね。ありがとう。理系の男子は何でもシステマティックに考えるのね」

「そうかな? でもテクニックにこだわるところはあるかな」

「ところで、友人から不倫の相談を受けたの。よかったらあなたの考えというか、意見を聞かせてもらえないかな?」

「普通は友人にでもそういう相談はしないものだけどね。話が漏れやすい。僕は口外しないけど大丈夫なのか?」

「地元の古くからの友人で、幼馴染といってもよい間柄だし、それに私はもう地元を離れてほかの友人と接触する機会も少ないし、だからでしょう。それに切羽詰まっているような感じがしたから」

「それでどうして僕の意見を?」

「男の人の考えを聞いてみたいから」

「それは僕と君とのことでよく分かっているはずだけど」

「違うの。彼女は私とは違っているから」

「どこが?」

「浮気じゃなくて本気に近いから。お相手は昔付き合っていた人で親の反対でしかたなく別れた人だそうです。しばらく前に再会して昔の関係に戻ってしまって、昔のことも後悔して悩んでいるというの。会いたい気持ちは募るし、いっそ今の夫と別れてしまおうかとも考えているそうよ」

「僕は浮気という言葉がしっくりこない。君とはもっと真剣に向き合っている。でもその本気とも違う。僕は君が二人の関係について冷静な考えをしているから、こうして会っている」

「それは私も分かっています」

「ところで相手の人は独身?」

「家庭があると言っていたわ」

「それじゃダブル不倫だ。両方の家庭を壊しかねないから、もうその人とは会わない方がよさそうだね」

「だから彼女もそれで悩んでいたわ」

「そういうリスクの自覚はあるんだ。相手の気持ちを率直に聞いて確認してみたらというのが僕の意見だけど。ただ、聞き方はあるね」

「聞き方というと?」

「『私は本気だけど、あなたはどうなの?』と聞くと、普通の男なら引いてしまうだろう。そうなってしまった方がよいとは思うけど。そう聞いてくる相手とは続けるにしてもリスクが高すぎる」

「じゃあ、どう聞けばいい? 相手も友人に好意を持っているからそういう関係になったのは分かっているの。それ以上の答がほしいみたい」

「欲張りだね。それは難しい。彼女の我儘に聞こえる」

「そうね。それ以上を望むならお互いに相当な覚悟がいるわ。それで二人幸せになれる保証などどこにもないし、そういう結末って良いことはないと思う」

「もしこのまま二人の関係を大切にしたいなら、あえて駄目を詰めないで、パートナーには絶対に分からないようにして会い続けるしかないと思うけどね」

「私もそう助言しました」

僕はその友人が上野多恵さんに違いないと思っていた。だけどあえてそれを確かめなかった。直美を信用して相談したのだから、彼女の信用にも関わる。でも直美は秋谷君が僕の親友だと知っているので、あえて彼女のために僕に相談したのかもしれない。いずれにせよ答は同じだ。

相談の内容が内容だけに僕たちはすっかり覚めてしまっていた。彼らのことよりも自分たちの関係を大切にしたい。僕はもう回復していたが、二人がそういう気持ちを取り戻すのには少し時間がかかってしまった。
9月28日(火)昼休みに秋谷君からどうしても相談したいから今晩会えないかという電話があった。急な連絡なので会う時間が取れなかった。転勤者の送別会が設定されていたからだ。

「電話じゃだめか?」

「繊細な話だから会って話した方がよいと思って」

「明日の晩なら時間が取れるけど」

「相談の中身は例の話か?」

「ああ、彼女とのことだ」

「あれからまた会ったのか?」

「先週末にも会った」

「ええっ、会う頻度が高いね。大丈夫か?」

「そうだ。だから相談に乗ってほしい」

「分かった。明日、いつもの場所で7時にどうかな」

「すまんな」

秋谷君が切羽詰まって相談したいと言ってきた訳は想像できた。どう相談に乗ってあげたら良いか考えておこう。

◆ ◆ ◆ 
9月29日(水)居酒屋には7時前に着いたが、秋谷君はもうビールを飲んでいた。

「呼び立ててすまんな」

「いや気にするな。秋谷君らしくないな、急に相談に乗ってほしいなんて。それで中身は?」

「彼女がまた会いたいというので誘いに乗ってしまった」

「秋谷君もまんざらではないのだろう。断らなかったことから分かる」

「俺も彼女に惹かれているというか、それに応えずにはいられないんだ」

「それで彼女の気持ちを確かめたのか? この前話したように本気か浮気か?」

「実はそれを彼女の方から先に聞かれた」

「やはり同じことを考えていたんだな。どちらにとっても気になることだ。まあ、ちょうどよかったじゃないか。お互いに気持ちを確かめられれば。それで何と答えた?」

「浮気という言葉がしっくりこないけど、浮気と本気の間だと答えた」

「秋谷君の本心だと思うし、その気持ちも分かるけど、彼女に余計な期待をさせないようにはっきりと浮気と言ってしまった方が良かったかもしれないな。それで彼女の気持ちは? 何と言った?」

「彼女も俺と同じように考えていると言った」

「二人は似たもの同士だな。本気とまではいかないが、二人の関係をこのまま続けたいと思っている。できればより親密に、そう聞こえる。でも危なっかしいな」

「なぜかこのまま深みにはまってしまいそうで怖いんだ」

「秋谷君らしくないな。怖気づいているのか? もっとドライだと思っていたのに。自分の気持ちを制御できなくなっているのか?」

「どうしても昔別れたことが悔やまれて、彼女のことが頭から離れなくなっているんだ」

「二人の思いがそうなら、それに従うしかないだろう。もっと親密になって気が済むまで関係を続けるしかないだろう」

「やはりそれしかないのか?」

「そう思っているのなら、お互いにもっと冷静になるべきだ。でないと会う頻度がもっと増えて、周りへの気配りが希薄になって、二人の関係が露見しやすくなる。そしてそれが最悪の結果にもつながりかねない」

「忠告ありがとう。今日は話を聞いてもらってありがとう。気持ちの整理ができた」

秋谷君の気持ちは痛いほど分かった。どう気持ちの整理をつけたのかは話してくれなかった。でも二人の思いとその関係の継続に危うさを感じた。

やはり、僕と直美の二人の間の関係とは違っていた。僕たちはお互いにもっと冷静だ。それは別れ方によるものだと思った。どのくらい思いを残していたかだ。彼らの残した思いはもっと深刻なものだったに違いない。
土曜日の早朝、秋谷君からメールが入ったのに気が付いた。

[昨晩は一緒に飲んでいたことにしてくれ、頼む]。

すぐにアリバイ作りだなと思った。秋谷君らしくない、何ごともぬかりなくしているはずなのにと思った。すぐに[了解]と返信した。

朝食を終えた9時半ごろに家の電話が鳴った。この頃としては珍しい。めったに固定電話には連絡が入らない。廸が電話に出た。そしてすぐに僕を呼んだ。

「秋谷さんの奥さんから、あなたに出てほしいって」

「吉田です。ご主人にはいつもお世話になっております。ご主人に何かあったのですか?」

「すみません。お休みの日の早朝に」

「いえ、何か?」

「主人が昨晩は吉田さんとご一緒したというので、本当かどうかを内々に確認させていただきたくて、お電話しました」

思っていたとおりだった。秋谷君のために嘘をついてアリバイ作りをしてあげることにした。

「それなら、昨晩は秋谷君と居酒屋で飲んでいました。話が弾んでずいぶん遅くまで付き合わせてしまいました。申し訳ありませんでした」

「そうですか。ありがとうございます。安心いたしました。奥さまにご挨拶したいので、もう一度代っていただけませんか?」

「順子さんが君に挨拶したいそうだ」

秋谷君とは結婚式に招待し合ったし、新婚のころお互いの新居に招待し合ったことがある。廸と順子さんは顔見知りだ。そばで聞いていた廸に受話器を渡した。しばらく廸は順子さんの話を聞いていた。

「ええ、昨晩の主人ですか?」

廸が僕の顔を見ながら言った。僕はすぐにうんうんと頭を上下に振って合図した。

「主人は昨晩、秋谷さんと居酒屋で飲んできたといっておりました」

「ええ、ずいぶん楽しかったみたいです」

「いいえ、お気になさらないで下さい。今後ともよろしくお願いいたします」

廸は電話をおいて僕をじっとみた。

「ありがとう。話を合わせてくれて。秋谷家の家庭円満のためだ」

「秋谷さんは順子さんに内緒で悪いことでもしているの?」

「順子さんは何て言っていた?」

「昨晩、娘さんが急に熱を出したので早く帰ってきてほしいと電話したそうなの。でも電話がつながらなくて困ったそうよ。それで遅く帰ってきたので、問いただしたら、あなたと居酒屋で飲んでいて、周りがうるさかったので気付かなかったと謝っていたそうよ。以前にもこういうことがあったので、心配になって、今回はご主人には内緒であなたに確かめてみたそうよ」

「秋谷君にも困ったものだな。あんなよい奥さんがいるのに」

「何かしているの?」

「僕と飲んでいたことにしたのは、僕が安全パイだと思っているからだろう。何かあるのかもしれないな」

「何かって?」

「ひょっとして風俗にでも行って遊んでいたのかな?」

「どうしてそう思うの?」

「以前、連れて行ってもらったことがあるから」

「以前っていつ?」

「君と結婚する前、ずいぶん昔のことだ」

「今はどうなの?」

「誘われたことはあるが、僕は行っていない。誓って結婚してからは行っていない。本当だ」

「まあ、私が知らない時のことだから、しょうがないわね」

廸は気配りのできる女性だ。秋谷家にわざわざ波風を起こすことはしない。安心した。秋谷君は腋が甘い。最近特にそう思うようになっている。僕にしかアリバイ工作を頼めなかったところをみるとやはり順子さんに説明できないようなことをしていたとしか考えられない。上野さんに会っていたに違いない。今度会ったら本当のところを聞いて注意しておこう。

◆ ◆ ◆ 
あれから1か月ほどしてほとぼりが冷めたころ、秋谷君を飲みに誘った。今度は僕と飲むことを順子さんに話しておくように言っておいた。もちろん、廸にもこの飲み会のことを話しておいた。

飲む場所はもちろんアリバイ工作に使ったいつものうるさい居酒屋にした。待ち合わせ時刻を少し過ぎて秋谷君が現れた。

「このまえはすまん。恩に着る。うまくとりつくろえた」

「奥さんは内々に確認したいといっていたけど」

「あとで話してくれたが、おまえと廸さんに確認して安心したと言っていた」

「廸が気を使ってくれた。それでもう二度とああいうことは無しにしてくれ。僕にとばっちりがかかりかねないから」

「分かっている。これから気を付ける」

「それで本当のところはどうなんだ?」

「実は浮気していた」

「誰と? やはり上野さんか?」

「いや、吉田君とは面識のない人だ。彼女とは間隔をできるだけあけるように気をつけている」

「あきれるなあ、別の人? もっと詳しく話せ。僕には聞く権利がある」

「ああ、以前話したことがあると思うけど、既婚者合コンのこと」

「確か、気の合った人がいて名刺交換をしたと言っていなかったか?」

「その彼女から連絡が入った。あの晩の2~3日前に食事でもしませんかと。それで受けた。ご主人が出張でいないからとのことだった」

「どんな人?」

「一流商社のキャリアウーマンだ。Kさんとでも言っておこうか。38歳で2歳下。子供はいない」

「それで?」

「まあ、なるようになった」

「秋谷君はそういうことには長けているから、さすがだな。僕には到底まねできない。まあ、する気もないけどね」

「気が合ってなかなか良い人だった」

「一回限りにしておいた方が良いと思うけどな」

「付き合いを続けることにした。どちらもお互いの家庭は壊したくなくて、ただ会って、話をして慰め癒し合うだけで、そして絶対に分からないようにしようと約束した。次回からはもっと慎重に会うことも」

「慰め癒し合うって? 順子さんや上野さんとは違うのか?」

「どちらでもないような気がする。なあ、このごろ思うようになっているんだが、男って一人の女性だけと一生を共にしなければいけないのか? どう思う?」

「どう思うって? どうしてもとは思わないけど、ほかの人もとなると現実的に難しくないか? それに一人の女性を幸せにすることも大変なことなのに、ほかの人も幸せにすることなんてできるのか?」

「それができればいいんじゃないか? そう思うようになってきている」

「それは浮気の言い訳のように聞こえるけどな。女性の幸せがどういうことなのか、男の僕にはよく分からない。順子さんだって、上野さんだって、そのKさんだって分かっているのかどうか。それにそれぞれ幸せの考え方も違っているだろう。とにかく絶対にばれないようにしてくれよ。アリバイ作りはもう無しで頼む。廸がいつも協力してくれるとは限らないからな」

秋谷君の浮気癖にも困ったものだ。ただ、彼の言っていた「男って一人の女性だけと一生を共にしなければいけないのか?」の問いはどこかで聞いたことがあった。直美もあれによく似たことを言っていた。

でも直美が女性の立場で言うのと、秋谷君が男性の立場で言うのとは違っているような気がする。これは男女平等に反するかもしれないが、男には女性に対する責任みたいなものがもっと重い気がする。

僕は直美とのことがあるから「どうしても、とは思わないけど」と言葉を濁した。それに秋谷君とそのKさんとの関係はどこか僕と直美の関係に通じるものを感じた。

秋谷君と上野さんとの関係はどうなっているのだろうか? 秋谷君が彼女のことを話さなかったのでこちらもあえて聞かなかった。水面下では続いているのだろう。
秋谷君と別れて家についたのは9時を少し過ぎていた。廸はリビングでテレビのニュースを見ていた。恵理は自分の部屋で勉強をしているという。

「どうだった。話ははずんだ?」

「秋谷君にも困ったものだ。やはり浮気していた。正直に話してくれた。順子さんには絶対に話さないと約束するなら教えてあげる」

「私もあなたの片棒を担いだのだから聞かせてもらえないかしら。秋谷さんの家庭に波風を立てようとは思っていないから」

「君の意見も聞いてみたいから、話そうか」

廸には、それから彼女の意見を聞いて見たい部分を話した。既婚者合コンでKさんと知り合ったこと、アリバイ作りのあの日は前々日にKさんから夫が出張中とのことで誘いがあったこと、それから「お互いの家庭は壊したくなくて、ただ会って慰め癒し合うだけで、そして絶対に分からないようにしたい」と約束したこと、彼が「男って一人の女性だけと一生を共にしなければいけないのか?」と言っていたことなどを話した。

「それで二人は関係を続けるの?」

「僕は1回限りにしておいたらと言ってみたが、続けるつもりのようだった」

「順子さんに悪いとは思わないのかしら?」

「家庭は大切にしたいと秋谷君ははっきり言っていた。絶対に分からないようにしたい、分からなければなかったのと同じとまで言っていた」

「詭弁だわ。分からなくてもあったことに変わりはないわ」

「そうだね」

「秋谷さん夫妻の間柄は私たちとは違っているような気がするわ」

「秋谷夫妻は確か合コンで知り合った恋愛結婚で同い年だ。僕たちは職場結婚に近い。年の差は4歳ある」

「秋谷さんご夫妻とはお互いに自宅に招待したことがあるけど、私たちとは少し違う、そう感じた。どこがどう違うとははっきり言えないけど」

「僕から見ると秋谷夫妻は同じような考えを持った同志に見える。それに秋谷君は僕より男女の関係をドライに考えているように思う」

「私は順子さんにもそんな感じがした。二人にはべたべたしたところがなくて少し醒めている感じがしていました。私たちはもっとべたべたしていたと思う」

「べたべた? ラブラブの方が良くない?」

「そうラブラブ」

「秋谷さんは順子さんにないものをKさんに求めているのかしら? 私は順子さんもKさんも同じタイプの人のように感じるけど、どう思う?」

「Kさんと会ったことがないから分からないけど、同じタイプだと思うのか? でも話をして慰め癒し合うことができると言っていた。どこか順子さんとは違っているのだと思う」

「私には理解できないわ。そういえば以前、私もその既婚者合コンらしい集まりの誘いを受けたことがあるの」

「ええっ、本当か? それでそれで」

「興味がないから断った。だって、私はあなたと話していれば十分だから、ほかの人とお話する必要がある? あなたとは何でも話せるし、何でも話してくれるから、男の人はあなた一人で十分です」

「そうか、僕ひとりで十分か、安心した」

「私が浮気するとでも思ったの?」

「いや、君は絶対にしないと思う」

「絶対はないかも」

「ええっ、そうなの?」

「冗談です。お風呂に入りますか? 私もまだなので一緒に入りましょうか、背中を流してあげます」

「どうしたの?」

「ちょっとサービスしておかないと秋谷さんのように浮気でもされると困るから」

「そんなことは絶対ないけど、秋谷君のためにちょっともうかったな」

廸は勉強部屋の恵理を見にいった。先に入っていてというのでバスタブに浸かっていた。廸が二人でお風呂に入るからと恵理に断ってきたと入ってきた。廸としばらく話していたのでもう酔いはほとんど醒めていた。

廸はタオルに石鹸を付けて僕の背中を洗ってくれた、久しぶりに背中を流してもらって気持ちがいい。この後は僕が廸を洗ってあげることにした。

今までタオルかスポンジに石鹸をつけて洗ってやったことはあった。直美にしてやったように、今日は手に直接石鹸を付けてその手を身体に擦りつけて洗っていく。

座った廸は始め一瞬くすぐったいと身体をすくめたが、気持ちよかったのか、すぐに素直になすがままになった。まずは背中からお尻へゆっくりと洗っていく。お尻の溝に指を這わしてゆっくり洗うと廸は腰を浮かせた。

今度は立たせてこちらを向かせた。そして両手で首から胸、乳房、乳首、お腹、おへそ、大事な割れ目をゆっくり洗っていく。廸は気持ちがよいのか恥ずかしいのか目をつむっている。それでもかまわずに洗っていると、我慢できなくなったのか、そこへしゃがみ込んでしまった。おしっこをもらしているのが分かった。

「大丈夫? もうやめようか?」

「ごめんなさい。気持ちよくて、気が遠くなっただけ、続けてください」

ゆっくり立ち上がったが、足元がおぼつかない。

「座ったままでいいから」

廸は足を伸ばして洗い場に腰を下ろした。その両足を両手でゆっくりマッサージをするように洗っていく。足の指の間も丁寧に洗ってあげる。

「だめ、そこは」

「洗った方がいいよ」

廸が思わず足を引っ込めた。ここまでと思ってシャワーで身体の石鹸を洗い流す。廸は座ったまま動かない。いや動けなかった。

「バスタブに一緒に浸かろう」

廸の腕を持って立たせてバスタブへと導いた。廸はゆっくり身体を沈めた。その後ろに僕が入った。お湯が溢れて大きな音がした。廸が身体を預けてくるので両手を回してゆるく抱いてやった。後ろから身体をゆっくり撫でてやる。

「気持ちいい、ありがとう、うっとりしたわ、幸せってこういうことなのかしら、このまま眠ってしまいたい」

「ここで眠ったらだめだよ。それじゃもう上がって休もう」

廸を促して立たせて浴室を出た。バスタオルで身体を拭いてやる。いつもなら廸も僕の身体を拭いてくれるのだが、今日はぼっーとしてただ立っているだけだった。こんな廸は初めてだった。

バスタオルをまとった廸を抱きかかえながら寝室へ向かう。廸を布団に座らせるとすぐにポカリのボトルを冷蔵庫から持ってきた。1本封を切って渡すと廸は一息で半分ほど飲んだ。

「おいしい、ありがとう。眠りたい」

そう言うと寄りかかってきた。横にして寝かせるとすぐに眠ってしまった。廸は疲れていたのだろうか? 寝顔はとても安らかだ。僕も廸を後ろから抱きかかえるようにして寝入った。

◆ ◆ ◆
明け方、廸が僕に抱きついてきたので目が覚めた。寝落ちした廸が求めているのが分かったのですぐに応えた。廸は半分目覚めていて半分眠ったままだったが、何度も昇り詰めていた。そのあと、廸は僕の腕の中で静かにまた眠りに落ちていった。

◆ ◆ ◆
目が覚めたら、雨が降っていた。暗かったので目が覚めるのが遅かった。もう8時を過ぎていた。共働きだから土曜日は朝寝することになっている。恵理もそのことは分かっていて声をかけるまで起きて来ない。

廸は僕に後ろから抱きかかえられて横たわっていたが、もう目覚めていた。僕が目覚めたのに気づいて振り向いて唐突に言った。

「ねえ、風俗に行っているでしょう」

「いや、この前も言ったとおり、結婚してからは絶対に行っていないから」

「なんでそういうことをまたわざわざ確認するんだ?」

「最近、少し変わったから、愛し方が」

「いろいろ工夫しているんだ、廸のために」

「浮気はしていないわよね」

「君を悦ばせようと考えて工夫しているだけなのに、浮気をしているから愛し方が変わったというのか? 僕にとってあり得ないことだ。君と付き合いだしたときのこと覚えているだろう。恋愛には全く不向きだったことを」

「ごめんなさい。私を今も愛してくれていることはよく分かっています。昨晩のことや今朝のことも。とても幸せです」

僕は抱いている腕に力を入れて廸のその言葉に応えた。

「あなたには浮気はできないと思っていますが、もししたとしても私には絶対に分からないようにするだろうと思います。そういう性格だとよく分かっています」

廸の真を捉えた言葉にすぐに返す言葉が出なかった。廸はすべてを見通しているのか? ありえないことだが、図星だった。

「もし、幸運にも浮気できたら、そうすることにしよう」

「幸運ってなに? 浮気はする気があってするものでしょう。する気があるの? 分からなければ浮気をして良いといったわけでは決してありませんから、念のため」

「分かっている。絶対にそれはないから安心して」

もう、言葉の遊びにしようと必死になっている自分がいた。それで直美と始めのころに交わした会話を思い出した。

「僕が君とこうしていることはご主人には分からないと思うけど、もしご主人がほかの人とこんなことをしていたらどうする?」

「主人はそんなことをするような人ではありません」

「でも僕はしている。こんなことをしたのは初めてだ。ご主人にもこんなことは起こりえることだと思うけど」

「もしそういうことがあっても主人は絶対私にわからないようにすると思います。あなたのように」

「でも、浮気しているか、気にならないか?」

「気にならないと言えば嘘になります。もし本当にしていたら悲しい。大好きだから」

「例えば、不審なメールを見つけたら問い詰める?」

「聞いては見るけど、問い詰めたりはしないわ。もし認めたらお互いに引けなくなると思う。それが怖いから」

「駄目は詰めないということか?」

「浮気ならね。お互いに愛し合っているは分かっているから。きっとあなたの奥さんもそうするはずよ。なんとなく分かる」

やっぱり、廸は気が付いている? やはり断固否定しておこう。
11月5日(金)から2泊3日で帰省した。直美とはもちろん事前に日にちを擦り合わせておいた。

午後7時ごろにチェックインして部屋に入るとすぐに直美にメールする。[1133到着]。すぐに返信があった。[友人と食事中]。相手は上野さんに違いないと思った。

九時を過ぎたころに部屋に電話が入った。

「今、戻ってきました。1205号室です。お菓子がありますので、いらっしゃいませんか?」

「すぐに行きます」

部屋をノックするとすぐに中に入れてくれた。久しぶりだ。気持ちが治まるまで抱き合う。直美はそれから困ったというように話し始めた。

「この前お話してあなたの意見を聞いた友人のことなんだけど」

想像したとおり、食事して会っていたのは上野さんだった。名前は出さなかったが、間違いなかった。

「確かこの前、相手の気持ちを確かめた方がよいとか話していたね。それでどうなったの?」

「あれから、相手の気持ちを確かめたそうよ。それで浮気と本気の間で、それは二人ともそう思っていると確認できたそうよ。それで分からないように会い続けることにして、月に1回は会っていたそうです」

「それなら、今日わざわざ君に相談する必要もないだろうに」

「ところがそれがご主人にばれてしまったみたいで、ご主人が家出をしたそうなの。それでどうしたらよいかとの相談だった」

「ええ、やはり発覚した? 最悪の結末だな。覚悟の上の浮気だったのだろう。いまさらどうしたら良いのかはないだろう」

「彼女も後悔して動揺していたわ」

「詳しく話してくれる?」

直美の説明によると、彼女の夫は婿養子だった。同い年で見合結婚とのことだった。13歳になる息子がいる。夫はお見合いで彼女がとても気に入って婿養子なることに同意した。それで長男が生まれて、彼女の両親も跡取りが生まれてとても喜んでいたそうだ。

相談というのは、ご主人が置手紙をして家出したことだった。その手紙には、ここしばらくは東京へ買い物に行くと言って家を空けることが度々なので、心配して自分が尾行して調べたら、男性と会っているのが分かったと書いてあった。

そして、彼女には好きな人がいるようだから、自分は家を出ることにしたと、彼女には幸せになってほしいと書かれていた。

それから長男が生まれて跡取りはできたから、自分は役目を果たした。あとは自由に生きたいと書かれていた。また、自分の分を記入した離婚届が同封されていた。

彼女は自分のしたことの重大さが初めて分かった。失ってからご主人の大切さが分かったという。それで帰ってきてもらいたいけど、どうしたら良いかという相談だった。

「それでどう相談にのってあげた?」

「二人で会ってよく話をしたらどうかって。そして正直に会っていた人は高校の同級生で結婚を反対されて別れた人だと話すこと、けれども彼とは何もない、ただ、懐かしくて会っていただけだと主張すること、昔も今も男女の関係があったことは絶対に認めてはいけないと言っておいたわ」

「『覆水盆に戻らず』でご主人の決心は変わらないと思うけどな」

「それでもそれが糸口になると思うの。絶対になかったと信じられるか、信じられないかは、彼が彼女をどの程度好きだったか、愛していたかにかかっていると思うの。だって手紙には彼女に幸せになってほしいと書かれていたから、彼女を憎んでいたならそういうことは書かないはずだから」

「糸口というのはそういう意味か? もし僕が彼女の夫だったとして、今まで彼女を深く愛していたのなら、その絶対になかったという言葉に救いを見出すことができるかもしれないな。可能性は低いがゼロではないかもしれない」

「そう思う?」

「それに元彼とは昔も何もなかったということは重要なことだと思う。『男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる』劇作家オスカー・ワイルドの言葉だ。聞いたことはないか? 僕も妻が自分が初めてだったのがとても嬉しかったことを覚えている。それでもっと好きになった」

「初めてなんて本当に分かるの? 初めての時のことを思い出して繰り返せばよいだけのことよ」

「そんなに簡単なことか? 君はどうだったの? 今のご主人が初めてだったんじゃないのか?」 

「ご想像にまかせます」

「僕はそう思っているけど、ええっ、違うのか? そんなものなのか?」

「彼女をどのくらい好きかで判断は変わってくると思います。好きならそう信じたいでしょう」

「確かに、でも僕の場合は直観的にというか本能的に分かった・・・ような気がする。自信がなくなってきた。いや間違いなくそうだと思っているけど」

「そうね、彼女の場合もそのとき演技したことは普通に考えられるわ」

「それでご主人がその時そう思ったかどうか? ご主人の経験人数にも関係すると思うけど」

「ご主人は彼女が初めてだったみたい。彼女はそう言っていたわ」

「それなら、ご主人は彼女も初めてだったと思った確率は高いかもしれないな。糸口はあるということかな」

「だから、そう忠告したのよ」

「うまく復縁できるといいけどな」

「二人のことは二人で解決するしかないから、できるだけ相談には乗ってあげたけど、私たちは決してあんなことになってはいけないと、つくづく思ったわ」

「怖気づいた?」

「いえ、私たちは分からないように万全を期しているから、大丈夫」

「ところで、今日の二人のこの後のことについてひとつ提案があるんだけど」

「言ってみて」

「さっき言っていただろう。『初めてなんて本当に分かるの? 初めての時のことを思い出して繰り返せばよいだけのことよ』って」

「ええ」

「『初体験ごっこ』をしてみないか? 十年以上も前に戻って初めての時のことを繰り返してみてもらえないかな。僕もその時に戻って君を初めて愛してみたいから」

「すごく良いことだと思う。私たちの原点に戻れるような、置き忘れてきたものを取り戻すことができるような気がするわ」

「じゃあ、二人がホテルの部屋に着いた時から始めてみないか?」

◆ ◆ ◆ 
直美は僕の胸に顔をうずめて眠っている。少し前までしがみついて泣いていた。声は聞こえなかったが確かに泣いていた。しがみついていた手からはもう力が抜けている。僕は本当に彼女が初体験をしたように今も感じている。

「初体験ごっこ」の始まりからここまでをもう一度思い返してみている。僕はあのころの自分に戻っていた。正確には今の自分があのころに戻っていたというべきだろう。あのころならきっとできなかったことを今はしたのだから。

部屋に入るとすぐに後ろから直美を抱きしめた。彼女はこうなることは分かっていたのだろうが、身体を硬くした。じっとして動かない。ゆっくりこちらを向かせると彼女は目を閉じて少し上向き加減になってキスを待っていた。身体は硬いままなのに上下の唇だけがとても柔らかだった。

二人はベッドに腰かけた。その時初めて直美は僕をしっかり見つめた。そして彼女の方から抱きついてきた。その力の強さに彼女の決心を感じることができた。僕は再びキスをして彼女を着ているものをゆっくり脱がしていった。その間も彼女は身体を硬くしたままだった。

耳や首を唇でなぞっていった。乳首を口に含んだ時、声が漏れて身体がピクンとした。その時から身体の力が少しずつ抜けていった。

二人がひとつになろうとしたとき、彼女はまた身体を硬くした。「力を抜いて」と耳元でささやいたが、力が入ったままだった。そのあとも身体から力が抜けることはなかった。

だからなおさら痛くて辛かったのだろう。僕は直美の手を握った。ずっと顔をしかめて耐えているように見えた。その手を強く握り返してきた。僕は途中で止めた。廸の時もそうした。これ以上は無理だと思ったからだ。

身体を離すと、彼女は抱きついてきた。あの最初にベッドで抱きついてきたときと同じ強い力だった。僕もしっかり抱き締め返していた。

直美と廸は違っていた。同じと思える部分と違うと思う部分が入り混じっていた。ひとそれぞれなのは当たり前だ。廸と直美は初めてだったのだと自然に思えた。

◆ ◆ ◆
直美が動いたので目が覚めた。窓の外が薄明るくなっていた。午前6時だった。直美は僕の胸に顔をうずめてもぞもぞと蠢いている。直美のいつもの髪の匂いがする。廸とはまた違った匂いだ。どちらの匂いも僕は好きだ。

直美は顔を上げたかと思うと目を開いて僕を見つめた。僕はおでこに口づけをした。

「ありがとう。とても嬉しかった」

「こちらこそ、ありがとう」

「うまくできましたか? よく分からなくて」

「ああ、できたよ、でも最後まではいけなかった」

この会話、どこかであった。廸とその時に交わした会話だった。

「僕は初めてだと思った。今もそのとおりの言葉だったから」

「そう思ってくれて嬉しいわ。あなたとだからうまくできたのだと思います。そういう思いというか、そういう願望があったから。ほかの人だったらきっとこうはできなかったと思います」

「その時の二人の相手を思う気持ち次第ということか?」

それから直美はまた僕に抱かれて眠ってしまった。僕が廸のことを思ったのはなぜだろう?
寒くなってきたと思ったらもう今年も師走に入っている。今年はいつまでも暑かった。ようやく涼しくなったと思ったら、急に寒くなってきた。過ごしやすい期間が短くなったような気がする。一日の寒暖の差も激しい。地球温暖化のせいに違いない。

仕事も私生活も忙しかったので1年が経つのが早かった。二カ月ごとの帰省と逢瀬は続いている。いつもなら飲みに誘ってくる秋谷君からここのところ何の連絡も入らない。上野さんとのことも気になっていたので、思い切ってこちらから連絡を入れた。

「元気にしているのか? しばらく飲み会の誘いがないけど、近々どうだろう? 例の遊びで忙しいのか?」

「俺は元気だが順子が入院している。それで娘の世話で忙しくてね」

「娘さんは何歳だった?」

「五歳だからまだ結構手がかかる。今週末に順子の実家へ連れていってしばらく預かってもらうことになったから、来週なら時間が取れる。積もる話もあるから。月曜日の午後7時からなら時間がとれる」

「無理することはないから、順子さんが元気になってからでいいよ」

「いや、聞いてもらいたいこともあるから」

◆ ◆ ◆
12月6日(月)いつもの居酒屋には7時に着いた。秋谷君からは20分ほど遅れるとのメールが入っていた。ようやく現れたが一目見て憔悴しているのが分かった。

「ずいぶん疲れているようじゃないか、大丈夫か? 無理させたな」

「いや、帰りに病院へ寄ってきたから遅れた。すまん」

「気にするな。ところで奥さんの具合はどうなんだ?」

「乳がんがみつかった。ステージ2で1週間ほど前に手術した。経過は順調だ。今は抗がん剤の点滴を受けている。幸い今のところ転移も見つかっていない。」

「それはよかったな」

「順子のありがたみがよく分かったよ。今まで俺も家事を分担していたと思っていたが、彼女の分担はそんなもんじゃなかった」

「順子の乳がんの診断があった日、俺は例のKさんと会って食事をしていた。[すぐに帰って来てお願い]とのメールが入った。娘に何かあったのかとすぐに電話をしたら、順子は乳がんがみつかったと泣いていた」

「それで」

「俺もそれを聞いて気が動転してKさんに理由を話してすぐに帰った。順子は私に万一のことがあったら未希《みき》はどうなるんだろうとワンワン泣くんだ。あんなに取り乱した順子を見たのは初めてだった」

「そんなことがあったんだ」

「罰が当たったのかもしれないな、順子をほったらかしにして遊んでいたからな」

「いろいろ起こるよ、お互いにこの年になれば」

「これからはいつも彼女のそばにいてやりたいと思っている」

「それがいい。奧さん孝行しておいたほうが良いと僕も思う」

「それから聞いてほしい話がある。お前にも話した上野さんとのことだ。彼女からもう会わないと言ってきた」

「なぜだ、あんなにお互いに会いたがっていたのに」

「ご主人に俺たちの密会が分かって、それで彼が家を出てしまったそうだ。家を出て行ったのは自分のせいだから息子にも顔向けできない。もう俺とは会わないことに決めたと言っていた」

「お前はそれでいいのか?」

「『来るものは拒まず、去る者は追わず』が俺の信条だ。良いも悪いも俺と会っていたことが結果的に彼女の家庭を壊してしまった。申し訳ないと思っている。だから俺ももう二度と会わないことにした」

「そうか、最悪の結果を招いたな。仕方がないな。何でばれたんだ? 気を付けて会っていたんだろう。二人だけのところを見られたんだな。外であっていたのか?」

「レストランで食事をしたことが2回ほどある。おいしいところで一緒に食事をしたいというので仕方なく二人で行った」

「それを見られたな。素行調査をされていたとすれば必ずひっかかる。シティーホテルの部屋でこっそり会うようなことは考えなかったのか? タレントは付き合っているのが分からないように、同じマンションに別々に住んで、施設内では行き来するが、外では絶対に会わないそうだ」

「そうだな、迂闊だった。人目に付くからやめようと言ったのだが、もっと気を付けるべきだった」

「ご主人から訴訟とか損害賠償は求められていないのか?」

「今のところないが、あるかもしれないな。そのときは腹を括る。自分のやったことだからな、責任はとる」

「そうか。そこは秋谷君らしいな」

「それより、今は順子のことが気になってそればかり考えている。こんなに彼女のことが気になることは今までなかった」

「秋谷君と順子さんはお互いに頼り合っていたんじゃないかな。そのことに二人とも気づいていなかっただけだ」

「そうかな、俺は彼女の手の中で泳がされていただけかもしれないな。彼女がいないと何もできないし手につかないのが分かった」

「順子さんにしても、乳がんが分かった時すぐに秋谷君に知らせてきたんだろう。秋谷君を頼りにしているからじゃないのか?」

「確かに事が事だから、取り乱して泣いていた。あんなことは初めてだった。彼女と結婚したのは自立したしっかりした女性だと思ったからだ。彼女も俺をそう見たからだろうと思う。最初から妙に気が合った」

「秋谷君はどちらかというと自立していて僕と違って私生活でもクールな感じがする。そこが秋谷君の良いところだ。僕にはないところがあって、だから長い間友達でいられるのだと思う。二人の出会いもそれからのことも想像がつく。僕とは大違いだろう」

「お互いに良きパートナーを求めていたが、気が合う人がようやく見つかったという感じだった。俺も何人かと付き合って男女の関係にもなったが、彼女もそうだったと思う。だからお互いの過去ことはどうでもよかったし気にならなかった。彼女は僕にぴったりの女性だと思った」

「でも近頃、浮気というか遊んでいたなあ。どうして?」

「ようやく良きパートナーを得られて安心して余裕ができたというか、分からなければいいと思った。俺はもともと女好きで浮気性だからな」

「それで彼女のことがどうしてこんなに気になるのだろうと思ったのか?」

「ああ、ようやく気が付いたというか、二人の関係を見直す良い機会だと思い始めている」

「『災い転じて福となす』二人にとってはよいことだな」

「そうなればよいけど」

秋谷君は僕に愚痴を聞いてもらいたかったのだろう。アリバイ作りにも協力してきたのだから反省の意味もあったのだろう。別れ際、秋谷君は僕に話をしたことで何かが吹っ切れたような顔をしていた。

◆ ◆ ◆
廸には[秋谷君と飲んで帰る]とメールを入れておいたので家に着くと、順子さんに乳がんが見つかって入院したことを話した。

「そういう歳に近づいているのね。私にもいつ起こってもおかしくないわ。あなたにもね」

「健康が一番だね。気をつけるに越したことはないけど」

「気を付けていても病気になるときにはなる。でも気を付けていないともっとなりやすいと父がよく言っていました」

「お父さんも突然だったね」

「ほんとうにあんなに元気だったのに、人間いつ死ぬかなんて誰も分からない」

「分からないから、気楽に生きていられるのかもしれないけどね」

「あの時はいつ死んでも後悔しないように毎日を精一杯生きるようにしないといけないと思ったけど、つい毎日の生活に流されていて、いつまでもずっとこの生活が続くと思ってしまって。順子さんのことを聞いて思いを新たにすることにしました」

「もっと君を大切にしないといけないな。秋谷君も今までの二人の関係を見直す良い機会だと言っていた」

「私もそう思います。私たちもね」
12月は例年のとおり、忘年会やらクリスマスやらで慌ただしく過ぎていった。新年に入ってから実家へ帰るのは正月の帰省客が少なくなった1月15日を過ぎてからを考えている。

直美と日程の調整をしなければと考えているところにメールが入った。[次回の予定1月14日(金)15日(土)16日(日)]。すぐに[了解]の返信を入れる。二人は同じ用事で定期的に帰省しているので、新幹線やホテルが空いてくる時期を選んでいる。考えることは同じだ。

◆ ◆ ◆
1月14日(金)7時過ぎにチェックインを終えるとすぐに直美にメールを入れる。[1010到着]。しばらくして返信が入った。[友人と会食中]。

上野さんと会っているのだなと思った。あれから上野さんはどうしたのだろう。秋谷君はきっぱり別れたと言っていた。上野さんは夫と話し合ったのだろうか? いずれ直美が話してくれるだろう。
 
こんな場合、どうすれば修復できるのだろうか? もう修復は難しいのではないだろうか? 直美は夫の彼女に対する思いによっては、糸口はあるといっていたが、僕には思いつかなかった。

浮気がばれて廸が家出をしたらどうすればよいかを考えてみても、よい修復法は思いつかない。確かに直美の言うとおり、ただただ誤解だ、決して何もなかったと言うほか良い方法は浮かばない。

部屋の電話の音で目が覚めた。眠っていた。もう9時を過ぎていた。直美からこれから部屋に来るという電話だった。

直美はニコニコしながら部屋に入ってきた。僕に話をしたくてたまらない様子だった。

「会食の相手はご主人に家出された友人か? 破綻した話を聞いてから2か月は経っているから、その後どうなった? 興味があるけど」

「あれからご主人に会って、無断で昔の同級生に会っていたことを謝ったそうよ。それからご主人と結婚する前に両親からその同級生との結婚に反対されたということも隠さずに話したと言っていました。それから私の忠告したとおり、昔も今もその同級生とはそういう関係には一切なかったと言ったそうよ。ただ、会って両親についての愚痴や悩みなどを聞いてもらっていただけだと」

「それでご主人は彼女の言うことを信じたのか?」

「ご主人は黙って聞いていたそうよ」

「半信半疑かな、それなら修復の脈があるかもしれないな」

「それとご主人が家を出たのは彼女の浮気を疑ったことだけではなかったみたい。婿養子として何ごとにつけて彼女の両親の意向を聞くのが嫌になったこともあると、それで長男も大きくなったので、良い機会だと思って家を出たそうよ。それなら彼女の両親も認めるだろうと」

「それなら彼女に対して未練が幾分残っていると思うけどな」

「彼女はこんなことになったのは、あのとき親の反対で言い成りになって結婚をあきらめたことが原因だと、そしてそれを忘れることができなかった自分が悪かったと、それでご主人に自分の分を記入した離婚届を渡したそうよ」

「ご主人が書いた離婚届はどうなった?」

「それは破り捨てたと言ったそうよ。私は離婚したくないと」

「ということは、今度はご主人に離婚の判断をゆだねたということか?」

「それにご主人に始めからもう一度お付き合いを始められないかと頼んだとか?」

「どういう意味かな?」

「一からやり直したいということ、それで駄目なら諦めるという意味ね。あなたと一から付き合ってみたい、それが二人の間にはなかったからだとか言って」

「それでご主人は受け入れたのか?」

「その時は、いいとも、だめだとも言われなかったけど、明確に否定されなかったから、やってみようと思ったそうよ」

「どういうこと?」

「まあ、いわゆる押しかけ女房ね。週末に彼のアパートに出かけて掃除・洗濯・料理を始めた。始めは無視されたみたいだけど、それでもめげずにそれを繰り返していたら、それが功を奏したみたい。先週、帰りが遅くなったら、泊まっていったらと言われたそうです」

「それで修復が完了した?」

「ご主人には彼女に未練があったみたいね」

「それに彼女の誠意が通じたんだね。信頼しないと信頼してもらえない。愛さないと愛してもらえない。そのとおりだね」

「それから彼女は実家を出る決心をしたそうよ。姓もご主人の中森に変えるそうです」

「すごい決心をしたね」

「ご長男が実家を継ぐことでご両親も承知したとか。万事、うまく納まったみたい。私の忠告を感謝されたわ。今回の相談は自分でもすごく勉強になった。男は初めてにこだわるのが分かったし、私だったらこんなにうまくできるかなって思って」

「君ならできるさ。まあその前に絶対に露見しないようにしないといけないけど」

「ええ、それから彼女が言っていたわ。『恋愛ごっこ』を仕掛けたと」

「どういうこと、二人は見合い結婚で恋愛期間がなかったから『恋愛ごっこ』をしかけたのか? どこかであったような話だな。ご主人にはそれがないけど、彼女には恋愛経験があったのだから簡単だったな、彼女のペースに引き込めた。なかなかやるね」

「もう彼を離したくないから、今でもそれにはこだわっていると言っていた」

「そういえば、僕たちにもそれはなかったな。だから今の関係があるともいえるけど。彼らのことは僕たち二人にも共通していることだ。この前は『初体験ごっこ』だったけど、すごく感激した。どう? 今日はその『恋愛ごっこ』をしてみない?」

「うふふ、おもしろそうね。ところでどうするの?」

「Hを始めたばかりの恋人同士に戻って新しい体位とか愛し方にチャレンジしてみるのはどう?」

「確かに長年連れ添ったカップルは愛し合うパターンがほぼ決まっていて、マンネリになっているかもしれません」

「それに新しいことをすると、どうしたの、どこで覚えたの、どこで仕入れたのと、気にされる。風俗とか浮気して覚えてきたのではと疑われかねない。だから気が引けて新しいことになかなかチャレンジができない」

「ありかも。私だって、どうしたのって聞くかもしれない」

「それにあなたって本当はこんなことをしたかったのだとか、こんな趣味があったんだ、今まで分からなかったとか、言われると恥ずかしい」

「確かにそれもありね。こんなことをしてほしいと、唐突にいうと、どうしたのと聞かれかねない。それにそんなにHが好きだったんだと思われるのも恥ずかしい」

「長く連れ添っているとかえってお互いに気を使って両すくみになっているのかもしれないね。それで新しいことにチャレンジできなくなって、ますますマンネリに落ちってしまうのかも」

「浮気や不倫ってそういうところから芽生えるのかもしれないわ。非日常の新しいことを求めて」

「僕たちはまだHを始めてから短いから恥ずかしがらないで何でも挑戦できる」

「それにお互いにもう遠慮は無用なほどには知り合っているからね。ちょぅどよいかも」

「それで、二人で四十八手の体位をすべて試してみて、どれがよいのか実際に調査研究するのはどうかな?」

「さすが理系だけのことはあるわ、考えることがシステマティックね。じゃあ、すぐに始めましょう」

◆ ◆ ◆
スマホで検索して適当なサイト『四十八手完全ガイド』を見つけた。分かりやすいイラストが描かれている。

直美とひとつひとつ試していく。まず、「()(かなえ)」、マニュアルを見て形を整えて動いてみて快感を確かめる。二人ともこれが初めての体位であったので挑戦してみたが刺激的ではある一方不安定でバランスをとるのが難しいし疲れる。二人の評価は中くらいだった。

ひとつ確認してから、また次を試す。ただ、一つ試すのに5分以上はかかった。簡単なものからアクロバティックなものまであって、半分の24を試すのに2時間以上かかった。二人とも半分試したところで疲れてしまった。こんなに体力が必要とは思わなかった。

「もうだめだ。身体が持たない」

「腰がだるい」

「今日は半分までにして、残りは明日の晩にしよう」

「その方がよさそう。私たちはもうそんなに若くないことがよく分かりました。お休みなさい」

そういうと直美は眠ってしまった。それを見届けると僕も深い眠りに落ちていった。でもこの共同研究はとっても楽しかった。

◆ ◆ ◆
次の晩は直美の部屋で残り二十四手を試してみた。新しい発見があった。二人ともいままで試みたしたことがなくて、特に気にいったのが「松葉崩し」と「敷き小股」だった。

「松葉崩し」は僕にとっては刺激的で直美を自由にしていると感じられる体位だった。直美も深く結ばれていると感じられて好きだと言っていた。

また、「敷き小股」はうつ伏せに寝ているので、すごく楽な体位でしかも無理やりされているような感じがして興奮すると言っていた。

二日間かけてようやく四十八手を踏破した。お互い気にいった体位が見つけられて共同研究したかいがあった。でも二人とも疲労困憊した。ただ、二人で力を合わせてそれらを踏破したという充実感だけは残った。でももう一度すべてを試そうとは思わない。

分かったことは、立つか、座るか、上向きか、うつ伏せか、横からか、後ろからか、そのバリエーションだ。システマティックに研究すると見えてきた。昔も今も人類のすることは変らないし変えようがないと思う。

二人とも朝までしっかり熟睡できた。運動不足だったので身体中に筋肉痛が残りそうだが、楽しい思い出になった。

廸には分からないように自然の流れからこうなったみたいな感じで試してみよう。それが帰ってからの楽しみだ。直美は彼にこうしてほしいというのだろうか? それも気にかかる。