週末に秋谷君から同窓会の開催日時、会場、スケジュールなどの提案がメールで届いた。会場は近郊の温泉旅館だった。また、住所録とメルアドが添付されていた。日時は5月15日(土)午後6時から会食開始。当日の午後3時に旅館のバスが駅の西口に迎えに来てくれることになっている。会費は15,000円。
秋谷君が往復はがきで各人に案内状を出して、僕もメールで各人に案内状を送ることになった。出欠の締め切りは4月末日にした。5月初めに集計して人数を確定して秋谷君が旅館に知らせる手筈だ。
名簿を精査したが、案内状を出すのは30名くらいになった。これは前回と前々回の出席者から割りだした。何回か開催すると出席する人は限られてくる。地元にいる連中が約1/2、関東が1/4、関西が1/4といったところだった。
名簿には中川(旧姓 田代)直美の名前もあった。住所とメルアドはこの前に会ったときにも聞いていたが、全く同じだった。ただ、二人の密会用のメルアドはすでにそれぞれが作成して共有している。
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4月末日に締め切ったが、出席者は18名、男性が11名、女性が7名、中川直美も出席になっていた。それで密会用のメルアドで直美に直接連絡を入れた。
[同窓会の出席を確認しました。こちらは2泊3日の予定で参加します。前日の14日(金)ホテル泊、15日(土)会場泊の予定です。]しばらくして返信が入る。[同窓会に出席します。同じく2泊3日で前日はホテル泊の予定です。]これで再会を確認できた。
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5月14日(金)同窓会の前日に僕は東京発8時36分の「かがやき505」に乗り込んだ。金沢到着は11時5分だから、実家へはお昼前には着ける。
駅でおいしそうなお弁当を2個買って実家へ向かう。母親と二人で昼食を摂る。それから家の片づけ、庭の手入れなどを行う。
今回は同窓会に参加するので14日(金)は午後いっぱい夕食まで、15日(土)は朝から昼過ぎまで実家にいて、2時過ぎに駅へ向かうと母親には話してある。同窓会が終わったらそのまま会場から東京へ帰る予定だ。直美とは前日の今日14日(金)の夜に会って、翌日の同窓会でも会うことになる。
母親が夕食を準備してくれた。いつも僕の好きな献立を考えて作ってくれている。おふくろの味だが、もうすっかり慣れてしまった廸の手料理と違って少し味付けが濃く感じられる。二人で食べて後片付けを手伝ってからバスで駅に向かう。直美はもう着いているだろうか?
7時過ぎにチェックインした。1210号室だった。部屋はシングルにしているがベッドはセミダブルくらいの大きさがある。部屋から直美に[1210に到着]とメールを入れる。
すぐに部屋の電話が鳴った。受話器を取ると直美の声が聞こえた。
「私は1125号室です。8時にお待ちしています」
「部屋で少し飲まないか? 飲み物とつまみを買っていくから」
「はい、待っています」
部屋に行けばもう流れはきまっている。もうこれからどうしようかなどと考える必要はない。ただ、今日はゆっくり話がしたい。この前は照れ臭さもあって十分に話ができなかった。
ホテルのカウンターで近くのコンビニの場所を確認して買い出しにでかけた。良さそうな赤ワイン1本とつまみになるようなもの2~3品を見つくろって買ってきた。栓抜きも確保した。
8時になったので11階へエレベーターで降りる。まわりに誰もいないことを確認して1125号室をノックする。すぐにドアが開いて直美が招き入れてくれた。
僕をじっと見つめて抱きついてきた。軽くキスと思ったがやはりディープキスになっていた。それからしばらくは気の済むまで抱き合っていた。
「赤ワインを買ってきた。飲みながら少し話さないか?」
「いいけど、ここではあなたと私とのことだけにしてくれませんか? 仕事や家庭の話は明日の同窓会でお話しましょう」
「そうだね。君のいうとおりだ。そうしよう」
直美は現実離れしたこの逢瀬を楽しみたいのだと思った。そのとおりだ。これは現実だが、いうまでもなく不倫そのものだ。何もかも忘れてのめり込みたいのもわかる。それなら、もういうことはない。
部屋にあったグラス2個にワインを注いで静かに乾杯する。直美はベッドに腰かけている。僕は正面の机の椅子に座っている。間接照明の薄暗い明りの中で直美の顔をしっかり見つめた。あのころよりもずいぶん落ち着いて見える。また、幸せに裏打ちされたような美しさが溢れている。
「再会を祝して」
「この前、お見合いの話をした時のことや私の結婚の挨拶状を受け取った時の話をしてくれたでしょう?」
「ああ」
「それを聞いて嬉しかったわ」
「あのときの本心を君に話した。君を手放すべきではなかったと後悔したことを。ずっと君のことは心のどこかにあった。だから、ああなった。ようやく思いが遂げられたといっても良いのかもしれない。だから後悔もしていないし、今また会っている」
「あの時、あなたは『それなら、会ってみるだけ、会ってみれば?』と言いました。でも『お見合いは止めて、僕と結婚する?』とは言ってくれなかった。それで思ったの、会ってみるだけ会ってみようかなと、それであなたよりより良い人でなければ、これまでどおりでいればよいと思って」
「よく覚えていたね」
「私もあの時のことは忘れていませんでした」
「それでお見合いをした?」
「ええ、それがとても良い人ですぐに好きになって結婚することになりました。よくご縁があるというけど、運命の人ってこういうことを言うのかなとも思いました」
「運命の人か? 今も幸せなんだろう?」
「ええ、11歳の男の子もいて幸せです。もちろん結婚も後悔していません。主人と結婚してよかったと思っています」
「じゃあ、どうして僕と?」
「あなたとのことでひとつだけ思い残したことがありました。それは結婚を決める前にあなたに会って『結婚しようと思うけどどうかしら』と尋ねなかったことです。どうしようかとずいぶん迷ったけど結局連絡せずに、あとから結婚の挨拶状を送ることになりました。思いを残したということはやはりあなたが好きだったのだとあとから気づきました」
「僕があのお見合いの話を聞いたときに『お見合いは止めて、僕と結婚する?』と言えば良かったに違いないがそれができなかった。だから、それは結婚を決める前に相談されたとしても同じだったかもしれない。思いを残したことは僕の優柔不断のせいだから申し訳なかった」
「今はどうして二人の人を好きになってはいけないのかと思うことがあります。どうして一人の人でなければならないのかって、そういうこと思わない?」
「まあ、繁殖するたびにパートナーを替える生き物もいるし、一生同じパートナーとつがいになる生き物もいる。世界中どこの国でも王様には正室のほかに側室がいたし、日本でも昔は金持ちにはお妾さんがいたとも聞いている。イスラム教では一夫多妻も認められている。男性は一人以上の女性を愛することはできると思う。それは男の性でごく自然なことではないかと思う。ただ、女性はどうか分からないけど」
「うふふ、あなたはそう思うのね」
「ああ。でも一夫一婦制はもうすっかりこの世の中に定着している。宗教の影響が大きいとは思うけど、今は道徳的に否定されている。有名人で不倫のスキャンダルで仕事を失う人もいるけど、僕はあれほどバッシングする必要があるとは思えない。本人と配偶者と相手の三人の間のことだと思うけどね。他人の口出しする必要があるのかなとも思う」
「もし奥さんが他の人と関係を持ったらどうする?」
「僕に絶対に分からないようにしてくれればいいかな。だって知らないのだから、なかったことと同じだから」
「分かったらどうする?」
「僕は彼女と一緒にいたいから別れたくない。できれば知らないふりをすると思う。誰か有名人が言っていたが『絶対に浮気したことを自ら認めてはいけない』そうだ。嘘をつき続けてくれれば信じるしかない。嘘もつき通せば本当と同じになるから。でも本当のことだと告白されたらもうどうしようもないけどね」
「奥さんが好きなのね」
「ああ。どうしてそんなことを聞くの?」
「主人だったら、どうするかと思って」
「君のご主人が僕と同じ考えをするとは限らないと思うけど」
「あなたと主人は似ているところがあるの。だから彼と結婚したのかもしれません。じゃあ、もし、その相手の人があなたの知っている人だと分かったらどう? 例えば、あなたの友人だったら」
「知らない人だったら、知らないふりができるかもしれないけど、知人だったらまして友人だったらきっとだめだね。やはり裏切られたと思ってしまうだろう」
「知らない人だったら、知らないふりができて、知人だったら裏切り?」
「仮定の話だから確かなことはいえないけど、知らない人だったら、知らないふりができるような気がする」
「なぜ?」
「うーん、ほかにも何かあるような気がするけど、君がさっき言っていた『どうして二人の人を好きになってはいけないのか』と関わっているかもしれない」
「なるほど分かるような気がする。やはり私とあなたは同じセンスを持っているのが分かったわ。お話してよかった。だから昔から気が合ったのね。今それが分かった」
直美が手を伸ばしてきた。その手を取って引き寄せて抱きしめる。
「シャワーを一緒に浴びようか?」
「洗ってあげる」
◆ ◆ ◆
バスルームでお互いに身体を洗い合う。「いつも洗い合っているの?」とは聞かなかった。二人だけの話しかしない約束だったが、直美は彼女のご主人の話もしてくれた。なりゆきだからしかたがない。
手に石鹼をつけて、直美の身体に直接擦り付けて洗い始める。まず、背中から始めて脇腹、お尻、太もも、足先と洗っていく。次に向きを変えさせて、首、乳房、乳首、おへそ、下腹、大事なところへと降りていく。
これは結構刺激的だ。時々、直美の身体がピクピクする。大事なところを洗っていると抱きついてきたと思ったら、崩れ落ちるように膝をついた。かまわずに屈みこんで洗い続けようとした。
「もうだめ、一息つかせて下さい」
そういうと、その場にしゃがみこんだ。そこで終わりにしてシャワーでゆっくり石鹸を洗い流した。
ようやく落ち着いてきたところで、今度は直美が洗ってくれた。同じように、手に石鹸をつけて擦り洗いをしてくれたた。直美が崩れ落ちたわけが分かった。とても気持ちがいい。
洗い終わるとお互いにバスタオルで身体を拭き合う。僕は直美を抱きかかえてベッドに運んだ。彼女を初めて抱きかかえた。
乳房とお尻は大きいが意外と軽い。廸をこのごろは抱きかかえて運んでいないが、そのころと比べても廸の方が重かったような気がする。こんな時にどうして廸のことが頭に浮かぶのだろう? やっぱり後ろめたいことをしているからか?
気を取り直してうっとりした表情を見せる直美の後ろに回ってゆっくり愛し始める。
◆ ◆ ◆
心地よい疲労を感じながら僕は直美を後ろから抱いて寝ている。直美はぐっすり眠っているみたいだ。僕も眠っていたみたいだ。時計はもう12時を回っていた。
僕は愛し合ったあと、うしろから抱いて眠るのが好きだ。その方がしっかり抱けるし、完全に自分のものにしたという満足感がある。
廸と初めて愛し合って僕のものにしたとき、彼女はとても恥ずかしがって背中を向けて身体を丸くしていた。その後、後ろから抱いてそのまま眠った。彼女を自分のものにしたというすごい満足感があった。その印象が強かったせいもあるだろう。また、廸のことを思い出していた。
今日の直美はこの前よりずっと積極的になっていた。それに誘われて僕も我を忘れて彼女と絡み合い交わった。お互いに遠慮も恥らいもないメスとオスの交わりだった。廸とはこんなことは一度もなかった。直美は何度も何度も上り詰めていたし、僕も快感にのめり込んでいった。
喉が渇いた。直美を起こさないように、そっと起き上がって飲み物を取りに行く。冷蔵庫にミネラルウォーターが入っていた。
「私にも何か持ってきて」
「ミネラルウォーターでいい?」
直美はベッドで起き上がって壁を背にもたれかかっている。すぐそばに座って封を切ったボトルを手渡した。
「ありがとう。頭の中が真っ白になった。身体がだるいけど、とても気持ちがいいわ」
「そういうのを『心地よい疲労』というんだよ」
「ふふ。冷たい水がおいしい」
「ハッピーだな」
「ハッピー? 私は今の生活には満足しているし幸せだと思っています。でもあなたと結婚していたら別の人生があったと思うの。私って欲張り? 別の人と別の人生を生きてみたかったと思ったことはない?」
「ないことはないけど。でも別の人生が思いつかないんだ。僕も今の生活が完全とは言えないまでも割とうまくいっていて、特に取り立てるほどの不満はないからね。別の人との人生がこれほどうまくいくかどうかは分からない。たとえ君とでもね」
「確かにそうね。別の人生といっても、今と生活が同じで暮らしている人だけが違っていると思いがちだけど、そのほかが今と同じでしかもうまくいっている保証はないわね」
「そう考えるということは、お互いに幸せということなのかな。今の幸せは壊したくないね。僕たちは良いとこ取りをして、お互いにずいぶん贅沢をしているということかな?」
「分かっています。しばらくはこの贅沢で我儘な生活が続けられればとよいと思っています。だから絶対に二人のことは分からないようにしましょう」
二人ともボトルを飲み干して、再び抱き合って心地よい眠りについた。
目が覚めたら5時を過ぎたところだった。そっと起き上がると直美も目を覚ました。それで駅西口で午後3時の旅館のバスに乗ることを確認して部屋に戻ってきた。これから朝一番で食事をして、実家へ向かう。今日は午後2時までしか時間がとれない。
5月14日(土)集合場所の駅西口へは3時少し前に着いた。時間があるのでバスに乗って来たが、事故渋滞があって思いのほか時間がかかってしまった。
指定の場所に何人かの顔見知りの姿が見える。直美もその中にいた。それに上野多恵がいた。幹事の秋谷君と話をしている。
それで思い出した。高校時代に秋谷君と上野さんが二人で歩いているところをよく見かけた。放課後二人で一緒に帰ることも多かった。大学時代もときどき二人でいるところを見かけたので付き合っていたのだと思う。でも秋谷君は卒業すると上京して就職した。
いつだったか、上野さんのことを聞いたことがあったが、秋谷君は「別れた」とそっけなく言った。それで言いたくないことがあったのだろうと思ってそれ以上のことは聞かなかったし、僕もすっかり忘れていた。
バスを待っている同窓生に挨拶をした。ほとんどが地元以外で10年前に出席していた人の顔もあった。地元の連中は自分の車で会場へ直接来るのでほとんどいない。
「吉田君、遅かったな、もっと早く来ているかと思った」
「ごめん、交通事故で道が混んでいて思いのほか時間がかかった」
「人数は?」
「迎えのバスに乗るメンバー8名はそろった。おまえが最後だ」
ほどなく迎えのバスが到着した。マイクロバスといっても20名くらいは楽に乗れる大きさがあったので、それぞれが思い思いの席をとって座った。
秋谷君と上野さんは前方の席に二人並んで座った。僕は中ほどの席に一人で座った。直美も反対側の席に一人で座った。高校時代はお互い親しく話したことはなかったのでそれが自然だった。前方の秋谷君と上野さんは親しげに旅館に着くまで終始話し続けていた。
会場は昔のままの温泉旅館で部屋割りは男性が大きな一部屋、女性にも大きな一部屋が準備されていた。到着するとすぐに秋谷君が会費を徴収していた。大広間で6時から会食をすることになっているので、その前にそれぞれ思い思いに大浴場にひと風呂浴びに行く。
秋谷君がフロントにいたので「手伝うことがないか?」と尋ねたが「もう終わったから温泉につかってきたら、俺もすぐに行くから」といった。温泉に浸かっていると、秋谷君が入ってきた。
「ドタキャンもなくすべて順調だ」
「上野さんとずいぶん話していたね」
「前回は来ていなくて、久しぶりだから積もる話があってね」
「皆10年前と変わってないように思うけど年はとったね」
「歳は平等にとるから、お互い変わっていないように見えるのかもしれない。でも女子は顔に出るね、これまでに起こったことが」
「秋谷君は女子と付き合いが広いからよく分かるんだ。男も今までのことが顔に出ていると思うけど」
「田代さんなんか、生き生きしていたな」
「そう見えるか?」
「ああ、話してはいないが分かる。幸せそうだな」
「じゃあ、後でそこのところを聞いてみよう」
宴会場の大広間にはそろそろ人が集まり始めていた。秋谷君がくじ引きで席順を決めている。秋谷君と上野さんは離れた席になった。僕と秋谷君は幹事、副幹事で並んで座った。直美と上野さんは隣同士で僕たちの向かい側に座っているが、もうすっかり話に夢中だ。
定時になったので、幹事の秋谷君の簡単な挨拶と乾杯で宴は始まった。始めの20分くらいは食事に専念して、そのあとに持ち回りで自身の近況を話すことになっている。僕たちはお互いにビールを注ぎ合って喉を潤して食事を始めた。まずまずの定番料理だ。料金の割に悪くはない。
こういう宴会の場合、できるだけ温かいうちに食べて平らげておくのが鉄則だ。食べられるときに食べておかないとお酒を注ぎに回っていたら食べられなくなる。それに食べておかないと悪酔いしやすい。ひととおり食べて準備完了だ。秋谷君もそこらは心得ていて、もうすっかり食べ終えている。
幹事の秋谷君から近況報告が始まった。今の東京での仕事の内容、10年前の同窓会の後、すぐに結婚したこと、5歳の娘がいることなどを手短に話していた。
自己紹介のうまいやつ、長いやつ、短いやつ様々だ。性格が出る。僕は短い方だ。自己紹介で自分のことを話すのはなにか自慢しているようで気が引けるのでいつも手短に終える。
上野さんは前回前々回も出席していなかったので、卒業してからのことを手短に話していた。それにめずらしく婿養子をとったと言っていた。そういえば彼女の家は旧家で資産家と聞いたことがあった。
直美は10年前の同窓会ではもう結婚していた。その1年前に男の子が生まれたと話していた。あの時は僕も出席していたが、直美の結婚を知らされていたことから、気持ちの整理がついていなくて、彼女と話をする気になれなかった。
その時、直美は結婚と子供の話をしていたはずだが、聞きたくなかったのか、聞こうとしなかったのか、全く記憶にない。
僕の方から話しかけていれば、話をしてくれたかもしれないが、それができなかった。僕の気持ちを察してか、直美も話しかけてこなかった。そして終始離れた席にいた。
だからなおさらお互いに不完全燃焼のような燃え残りの思いがずっとくすぶり続けていたのに違いない。だから、突然ああいうふうに出会って話しかけることができたから自然となるようになったのかもしれない。
直美と上野さんはそのころも仲が良かったと記憶している。二人ともクラスでは可愛い方だった。僕は直美の方が好みだったが話かけることもなかった。秋谷君は上野さんといつの間にか親しくなっていた。
その可愛かった二人の回りにはもう何人かがビールを注ぎに来ている。秋谷君も上野さんのところへ行って話し始めている。同級生たちは以前彼らが仲良かったのを知っているので、遠慮して近づかなくなった。
僕は直美の周りに人がいなくなるのを待ってビールを注ぎに前に座った。目が合った。直美がはにかんだ笑みを浮かべた。今日は身のまわりのことが聞けるはずだ。隣に座っている秋谷君に聞こえても差し支えのないように、何喰わぬ顔であたり障りのない会話を始める。
「お久しぶり。元気そうだね。ご両親は健在か?」
「四年ほど前に父が他界して、今は母親が一人で実家にいます。ときどき様子を見に来ています。この前の同窓会は主人と1歳の息子と一緒に来て実家で見てもらいました」
「ご兄弟は?」
「妹がいますが、大学を卒業して東京に就職してもう結婚もしています」
「吉田さんのご両親は?」
「一昨年、父が亡くなって、母親が気落ちしているので、ときどき家の片づけや庭の手入れの手伝いに来ている。君と同じだ」
「ご家族は?」
「さっき話したとおり、10年前の同窓会が終わって1年ほどして結婚した。妻は4歳年下の関連会社の社員だったので職場結婚に近いかな。8歳になる娘がいる。今は共働きで娘の世話などで忙しい思いをしている。弟がいるけど、今は仙台に住んでいる」
「お仕事は順調?」
「食品会社に勤めていることは知っていたよね。いまはチームリーダーになっている。中間管理職だから、忙しいだけ。でもブラック企業ではないから休暇は取れる」
「田代さんいや中川さんのご主人は? 確か見合い結婚だったよね」
「十三年前、仕事に行き詰って悩んでいたところ、実家からお見合いの話があって、会ってみるだけ会ってみることにしたら、お相手が良い人で好きになって結婚しました。2歳年上の理系で医薬関係の会社に勤めています。家庭を大事にしてくれるイクメンです」
「お子さんはおひとりだけ?」
「はい、結婚を機会に仕事を辞めて大阪に移ってから専業主婦をしばらくしていましたが、子供ができないので、また仕事を始めました。11年前に子供ができました。でも仕事は続けています」
「中川さんの近況が聞けてよかった」
「私も前回の同窓会では話しそびれたから気になっていました」
「実家には寄ってきたのか?」
「ええ、昨日半日と今日の午後2時まで、お昼ご飯を一緒に食べてから駅にきました。明日は寄らずにすぐに帰ります」
「僕も同じ感じだった。明日は直接帰るつもりだ」
「実家に泊まっているの?」
「実家は古い家具やものが多く片付いていなくて、ゆっくり寝られる部屋がない。昔使っていた自分の部屋は物置になっているから、駅前のホテルに泊まっている。その方が楽だから」
「いつも同じホテル?」
「今の駅前のいつも使っているホテルは部屋もベッドも大きくてゆっくりできる。コスパがよいからここのところずっとそこにしている。これからも予約がとれればそうしたい」
「私も実家は両親の家具や荷物でいっぱいで、私の部屋もやっぱり物置になっています。整理しようにも思い出の品だとか言って、なかなか整理させてくれません。週末に時々来たくらいではなかなか片付かなくて。だから、私も駅前のホテルに宿をとっています。これからもそうします」
「その方がお互い都合がよさそうだね」
「親の面倒を見るのは大変そうだね。俺は兄貴にまかせている」
隣で上野さんと話していた秋谷君が二人に話しかけてきた。
「次男坊は気楽だな。上野さんのご両親はご健在か?」
「二人とも元気です。父もまだ働いています。私は結婚後も仕事を続けましたが、母が家にいて息子の面倒を見てくれていましたので助かりました。息子も中学生になったのでずいぶん楽になりました。最近は趣味の旅行もできるようになりました」
「東京を案内してあげるから来ないかと誘っているんだけど」
「二人だけで会うのはまずいんじゃないか? 俺も一緒に案内してあげるから声をかけて」
「そうね。そのときはよろしくね」
僕は直美の顔をそれとなく見たが、目が合った。二人だけで会うのは危ないと思っているのがお互いに分かった。実際、私たちはもうすでにこうなっている。直美の目がそう言っていた。
宴会は2時間でお開きにして、二次会のために準備してあった部屋に移動することになった。カラオケも備え付けられているので歌も歌える。話し足りない面々はそこで話をすればよい。事前に秋谷君と相談して飲み物とつまみも用意しておいた。
秋谷君と上野さんは二次会の会場でもずっと話していた。誰かが高校生の時に流行っていた歌を歌っている。僕はほかの友人や女子とも情報交換をしたが、直美とはもう二人で話しをすることを控えた。
直美もほかの友人と話をしていたが、気が付くといつの間にか引き揚げていた。もう話し疲れてもいたが、直美いない会場にても味気ないので「温泉に入りたくなった」と言ってその場を離れた。
僕は昔からお風呂好きで温泉が大好きだ。こういう機会があると最低でも3回は入る。着いてからすぐに1回、宴会を終えて酔いが醒めてきて寝る前に1回、翌朝、目が覚めて食事の前に洗顔するために1回入る。
温泉に浸かりながら、直美の話を思い出していた。パートナーと子供と幸せに暮らしているとの確信は得られた。また、これまでの彼女の振舞いから僕との関係も大切に考えていることも良く分かった。彼女も僕の振舞いからそう感じてくれたと思う。
◆ ◆ ◆
翌朝、5月15日(日)二日酔いの様子を見せながら、皆、朝食を食べている。食堂に来た順にテーブルについて準備されたトレイの食事を摂る。ご飯とみそ汁はお替り自由だ。
僕は端の方の席に座ったが、向かいの席に直美がすでに座って食事をしていた。目が合って軽く会釈をするとご飯をよそってくれた。直美は朝食をもうほとんど食べ終えていたようで、すぐに「お先に失礼します」と言って席を立った。
駅までの帰りのバスが9時に出発した。僕も直美も乗ったが、ここでも席は別々に座った。秋谷君もバスに乗っていたが、上野さんはいなかった。後で聞いたら、友人に自宅近くまで車に同乗させてもらったとのことだった。
駅に到着して解散するとき、皆と挨拶を交わしたが、直美は「また、お会いしましょう」と微笑みながら僕に言った。僕は「またね」と返した。
6月中旬の週の半ばになって昼過ぎに直美からメールが入った。[次回は7月9日(金)10日(土)11日(日)]。
すぐに仕事のスケジュールを確認した。8日(木)と9日(金)は岡山支店での打ち合わせの仕事が入っていた。9日(金)の午後の打ち合わせを終えたら直接、大阪経由で金沢へ向かえばよい。廸にも旅費の節約になるから実家に寄って行くと言えば体裁がつく。すぐに[了解]の返信を送った。
同窓会からもう1か月が経とうとしていた。2か月毎だから1か月前にはそろそろ次の帰省の日程を決めなければならない時期だった。どうしようか、こちらから予定を知らせようか考えていたところだった。メールを受け取って、気が合うというか気持ちが通じ合っているそんな気がした。
◆ ◆ ◆
7月9日(金)岡山支店での午後の会議は3時には終わった。その後にも簡単な打ち合わせが入って予定よりも遅れてしまったが、午後4時には岡山を立つことができた。これだと金沢には8時過ぎには着ける。それでメールで[到着は8時過ぎ]と入れた。すぐに[了解]の返信が入った。
ホテルにチェックインしたのは8時30分だった。まず、実家の母親に金沢に着いてホテルにいるから明朝9時過ぎに訪ねる旨の連絡を入れておいた。それから、直美に[無事到着1240]と知らせた。すぐに部屋の電話が鳴った。
「お疲れ様、お元気ですか?」
「岡山に出張していて、今ちょうど着いたところです。遅れてご免」
「お食事は?」
「新幹線の中で済ませた。君は?」
「母と実家で済ませました」
「これから行くけど何号室?」
「となりの1241号室です」
「隣同士になることもあるんだ。お土産にお菓子を買ってきたから持っていこう」
「今日は私の方で飲み物とおつまみを用意しました。お待ちしています」
シャワーを浴びてからとも考えたが、遅くなったのですぐにでも会いたかった。部屋のドアをそっと開けて、周りに誰もいないことを確認して、隣のドアをそっとノックする。
すぐにドアが開いて、微笑んだ直美がいた。すぐに中に入って、ドアの音がしないように注意する。直美が抱きついてくる。抱き合うとすぐにでも愛し合いたいそんな気持ちがこみ上げてくる。でも今日はとても暑かった。
「すぐに会いたくて来てしまったけど、今日は汗をいっぱいかいたからシャワーを使わせてもらっていい?」
「今日は暑かったから私も汗をかきました。もうシャワーを一回浴びましたので、ゆっくり使ってください。そのあと飲みもので喉を潤してください」
ここにいれば、もう人の目も気にしなくてもよいし、誰にも邪魔されないことが分かっている。徐々に気持ちが落ち着いてくる。ゆっくりでいい。熱いシャワーが心地よい。
身体を拭いて部屋に戻ると、テーブルにレモンサワーの缶が2本置かれていた。
「レモンサワーが好きなの?」
「さっぱりしているので時々いただきます」
「再会を祝して乾杯」
飲み終えると、手を伸ばして引き寄せて抱きしめる。直美も力一杯抱きついてくるので、すぐに気持ちが昂る。そのままベッドで愛し始める。時間は十分ある。
◆ ◆ ◆
直美は僕の腕の中で余韻を楽しみながら、うっとりしたまなざしで僕の回復を静かに待っている。
直美は何度も昇り詰めていた。そのたびに押し殺したような声を出していた。大声を出したいのかもしれないが、外へ漏れるリスクはある。でもこれは部屋の外で確かめないと分からない。
僕は直美には廸にいまさら遠慮があってできそうもないことをしたかった。彼女は当然のことのようにそれを受け入れてくれた。それが嬉しかったし、僕を鼓舞してくれた。
「すごくよかったわ。こんなに気持ち良かったことは初めて」
「いつもはしないことをしてみたかっただけだけど、悦んでもらえてよかった」
「まだ、お互いのことを十分に分かっていないから、恥ずかしがらずに何でも試せるのかもしれないわね」
「お互いに知りすぎていると恥ずかしくていまさらできないし、頼めないこともある」
「お互いに知り過ぎていないから、こういうふうだという思い込みがなく、抵抗なく受けいれられるのだと思います」
「確かに、まるで恋人とHをはじめたばかりで、お互いに慣れていなくて、何でもこれが当たり前として受け入れられるのだと思う」
「慣れてくると、かえって新しいことにはチャレンジしにくくなるのかもしれませんね」
「何事も初めが肝心だとはよく聞く話だけど」
「私たちはこれからも何も遠慮しないことにしましょう。また、遠慮する間柄にはなりたくないわ」
「お互いにしたいことをする、してもらいたいことを素直に伝えることにしよう」
「毎回、新しい発見をしたいわ」
「それは結構『努力』がいるかもしれない。君も協力してくれないと」
「もちろんです。『努力』って辛いけど頑張ることでしょう。でもあなたは私もHも『好き』でしょう。私も『大好き』です。『努力』が大切と言われるけど『努力』と『好き』では『好き』の方が絶対に勝っていると思います。『好き』だから『努力』なしで寝食を忘れても続けられると思うの」
「寝食を忘れても続けられるは極端だけど、確かに『好き』だとできないことなどないと思う。その君の新しい発見をしたいという思いを大切にしたい」
「それを忘れないで下さい」
直美が抱きついてきた。僕はもうすっかり回復していた。
◆ ◆ ◆
次の晩も僕たちは新しい発見を求めて愛し合った。確かに四十八手も体位があることが知られている。僕が今まで試したものはほんの一部に過ぎないと思う。
「好き」という気持ちさえあれば、新しい発見とその奥深さを無限に探究し続けることができるかもしれない。そう思った。直美もそう思っているに違いない。二人にしかできないことをしてみたい。
8月11日(水)8月に入って相変わらず暑い日が続いている。夏季休暇が明けてからしばらくしたころ、秋谷君から電話が入った。
「久しぶりだね。同窓会の幹事お疲れ様でした。皆、喜んで感謝していた」
「吉田君こそ協力ありがとう。助かった」
「週末にでも飲まないか? 聞いてほしいこともあるから」
「今週の金曜日の夜、7時過ぎくらいなら大丈夫だと思う」
◆ ◆ ◆
8月13日(金)7時前だが約束した居酒屋にはもう秋谷君がいてビールを飲み始めていた。
「待たせたか?」
「いや、俺も今着いたところだ。喉が渇いたので先に飲んでいた」
「僕も生ビール、ほかにつまみを見つくろって頼もう」
「同窓会を企画してよかった。皆、喜んでくれた」
「次はまた10年後か?」
「五年後でもいいけど、希望があればしてもいいかな」
「ところで、上野さんとよく話していたな。久しぶりだったんだね」
「ああ、10年前の同窓会は欠席していたからな。15年前も欠席していた。実は彼女に会いたくて10年前と15年前は企画したんだけどな」
「そうだったのか? そういえば大学生になっても付き合っていたんじゃないのか?」
「そうだ。僕たちは相思相愛で結婚を考えていたんだ。けど事情があって別れた」
「その事情ってなに? 聞いてもいいか?」
「もう時効だから聞いてくれるか?」
「ああ」
「彼女の両親から婿養子なってくれと頼まれた。彼女の家は旧家で資産家だ。そうじゃなければ結婚に反対だと言われた。彼女は一人娘だった」
「十年前でも婿養子なんて古臭い話だな。そんなこと言われたのか?」
「俺は次男坊だからな。地元に就職して婿養子になろうかとも考えたのだが、それでは人生どん詰まりのような気がした。一流会社に就職して、できれば自分の力を試してみたい、そう思った」
「その気持ちはよく分かる」
「それでその気持ちを彼女に伝えた。そして一緒に来てくれるように頼んだ。でも彼女は家と家族を捨てられなかったというか、地元に残ることにした」
「そんなことがあったんだ。今まで話さなかったのは、思い出すのが辛かったんだな」
「そうかもしれない。とても話す気にならなかった」
「それで何かほかに聞いてほしいことがあるみたいだな」
「ああ、あれから彼女に会った」
「どこで?」
「東京で」
「いつ?」
「二か月くらい前の6月かな。それで、昔の関係に戻った」
「ええっ、戻った? 昔の関係って?」
「彼女とは反対されて別れる前に思い出づくりに二人で旅行にも行った。そのとき男女の関係にもなった」
「そうか? それで東京へ遊びに来たらと言っていたのか?」
「あれは冗談のつもりだったが、本心だったかもしれない。彼女はそう受け取った。それで同窓会のあとしばらくして遊びに来たいと連絡がきた。それで会って、すぐにそうなった。それからもう1回会った。1か月くらい前になるかな」
「分かった。それで悩んでいるのか?」
「どうしたらいいのか、会い続けるべきか」
「戻ったというけど、言うなれば不倫だな、それもダブル不倫だな」
「言われなくてもそうだ」
「秋谷君の気持ちはどうなんだ?」
「会いたい気持ちもあるし、会ってはいけなかったと後ろめたい気持ちもある。迷っている。だから吉田君の意見を聞きたいと思った」
「以前から浮気はしてきたんじゃないか? 風俗とか援助交際とか、いろいろ話してくれたよな」
「金銭の授受があったので浮気遊びと割り切っていたからだ。プロはもちろんだけど素人でも、そんなに後ろめたい気持ちはなかった。順子にも分からないようにすればよいと思っていた」
「確かに上野さんとは金銭の授受はないだろうからな。もっとある意味純粋な動機だからな、お互いに好きだという。だから迷うのも分かる」
「だから割り切れなくてどうしたらよいか迷っている。吉田君ならどうする?」
「ええっ、僕なら? うーん、僕ならか? 仮定の話だから答えにくいけど、答えは二つにひとつしかないだろう。もう会わないか、会い続けるか?」
「そんなことはもう分かっている。だから相談している」
「もう会わないなら、二人の気持ちの整理がつけばそれでよいと思う。それでなかったことにすればよいだけだ。でもこれからも会い続けるかどうするかは、上野さんの気持ちを確かめる必要がある」
「確かめるって?」
「要するに、本気か浮気か? 本気なら、お互いに今のパートナーと別れて再婚する覚悟があるのかどうかだ。浮気なら、お互いの家庭を壊さないようにすることができるかどうかだ」
「俺は今、順子と別れることなど考えていないが、上野さんはどう思っているか分からない」
「二人の思いが一致していないと、あとあと大変なことになりかねない。これを確認しないでずるずると関係を続けることは避けた方がよいと思う。もし、浮気ならばれないように細心の注意を払えばよい。嘘もつき通せば本当と同じになるし、墓場まで持っていけばよい」
「本気と浮気の中間ってないのかな? 俺たち二人はそんな感じがするんだが」
「確かに浮気という言葉は適当でないかもしれない。さっき言ったのは覚悟の問題でそう例えただけだ。好きだから関係を持った、いや戻した。それに好きだから会い続けたいのだろう。僕もなぜ一人の人だけを一生愛さなければならないのか、ほかの人も好きになってもよいのではないかと思うことがある。この方が動物としての男なら自然のように思う」
「吉田君に相談して、本質が少し見えたような気がする。要するに二人の覚悟の問題だということが分かる。確かにお互いの気持ちを確認しておくことは大切だと思う」
「いずれにせよ、このことは絶対にばれないようにしないといけない。僕は誓って口外しない。秋谷君も気をつけてもうほかの誰にも相談したりするなよ」
僕も話しているうちに、確かに見えてきた。秋谷君はよっぽど悩んだのだと思う。だから僕にあえて相談した。上野さんが好きで結婚したかったのだが、彼女の両親の反対でそれができなかった。
それで再度開いた同窓会でようやく再会したことから昔の思いが再燃してきた。それがひしひしと伝わってきた。
上野さんが10年前と15年前の同窓会に欠席したのはよく分かる。別れた秋谷君とは会いたくなかったからだろう。僕は出席したが、結婚した直美と話をしようとしなかったのに似ている。だからその分思いが募っていたのだろう。
でも僕と直美は少し違っているように思う。もともと男女の関係はなかったし、別れた方があんなふうだったからもしれないが、僕たちの今の関係には秋谷君のような切羽詰まったところはない。だから、秋谷君に落ち着いてあんな回答をしたのかもしれない。
もっとのんびりした感じでいるし、この関係を楽しみたいとお互い思っている。ただ、僕たちの関係も浮気という言葉は確かに合っていない気がする。僕たちの関係をそんな軽い言葉で表したくない。
9月10日(金)ようやく9月に入ったが、まだまだ暑い日が続いている。「暑さ寒さも彼岸まで」の秋分の日が待ち遠しい。ホテルに入ると冷房が効いて気持ちがいい。チェックインをしている間に汗が引いていく。あれからすぐに2か月がたっていた。
まだ、7時を過ぎたばかりだ。部屋に入って一息ついてから、メールで連絡を入れる。[1256無事到着]。
いつもならすぐに部屋の電話へ連絡してくるが、今日はしばらくしてから返信メールが入った。[用事が入りましたので到着が遅れます]。
用事ってなんだろう? まあ、今の僕にとってはその用事が何であっても構わない。彼女のプライベートな問題だ。例えその用事が男性と会うことだって嫉妬することもない。この後会っても僕から聞くこともしない。妙な自信があるのかもしれない。
シャワーを浴びて一汗流すことにしよう。これまでは着いたらすぐに彼女の部屋に押しかけていた。
シャワーを浴びてから買ってきたレモンサワーを飲んで一息ついた。テレビをつけてニュースを見る。
ドアをノックする音で目が覚めた。眠っていたみたいだ。すぐに小さな覗き窓からドアの外を確かめると直美が立っていた。すぐにドアを開けて中に入れる。
「遅れてごめんなさい。急にお友達と会うことになって、二人で食事をしていました」
時計を見ると9時を回っていた。そういえば、彼女が僕の部屋に来たのは初めてだった。
「僕も結構遅くなることがあるから気にしないで。今日は僕の部屋に来てくれたんだ」
「いつも私の部屋に来てもらっているから。でも部屋のつくりは同じだから代り映えはしないですね」
すぐに抱き合ってキスを交わす。お互いの気持ちが治まるまで抱き合っている。
「ごめんなさい。汗をかいているので、シャワーを浴びさせて下さい」
「ゆっくり使って」
直美はバスルームへ入っていった。チェックインする前に調達して冷やしておいた飲み物をテーブルに並べておいた。
直美はバスタオルを身体に巻いて浴室から出てきた。そしてベッドに腰かけている僕のすぐそばに座った。このまえ直美が飲んでいたのと同じ缶のレモンサワーを手渡した。それを直美はゆっくりおいしそうに飲んだ。喉を潤すとすぐに抱きついてきた。それに応えるように愛し始める。
◆ ◆ ◆
喉が渇いたので目が覚めた。直美はぐっすり眠っている。
ずいぶん何回も昇り詰めていた。凄い凄いと何回も押し殺した声で僕に伝えてきた。また、手を握ったり、腕をつかんだり、腰を押し付けてきたり、背中に腕を回してしがみついたりして、それを伝えてきた。
それに応えるかのように僕は集中し没頭した。最後は直美が腰を強く押し付けてきたので、足を絡めてより強く押し付けるようにした。二人が一体となったとこれまでで最も強く感じることができた瞬間だった。快感が身体を突き抜けていった。そして全身から力が抜けた。
ここへ来る途中、新幹線の中で直美のために新しいシミュレーションを考えてきた。今はネットで何でも調べられるし、映像でも見られる。初めて見つけた体位を2、3新たに加えてみたが、実際の場面を想像して順序の入れ替えをして何回か修正をした。これが結構楽しいことが分かった。時間が経つのが早くて、金沢へはすぐに着いた。
直美が気に入ってくれてよかった。もう一度新しいシミュレーションと彼女の反応を思い出している。僕は飲み物を取りに起き上がった。
「私にも何か冷たいものを持ってきてください」
「起こしてしまったね。ぐっすり眠っていたのに」
直美はミネラルウォーターを受け取ると渇いた喉を潤した。満ち足りた表情をしている。
「ありがとう。すごくよかった。今までで一番良かった」
「考えてきたかいがあってよかった」
「やっぱり考えてきてくれているのね。ありがとう。理系の男子は何でもシステマティックに考えるのね」
「そうかな? でもテクニックにこだわるところはあるかな」
「ところで、友人から不倫の相談を受けたの。よかったらあなたの考えというか、意見を聞かせてもらえないかな?」
「普通は友人にでもそういう相談はしないものだけどね。話が漏れやすい。僕は口外しないけど大丈夫なのか?」
「地元の古くからの友人で、幼馴染といってもよい間柄だし、それに私はもう地元を離れてほかの友人と接触する機会も少ないし、だからでしょう。それに切羽詰まっているような感じがしたから」
「それでどうして僕の意見を?」
「男の人の考えを聞いてみたいから」
「それは僕と君とのことでよく分かっているはずだけど」
「違うの。彼女は私とは違っているから」
「どこが?」
「浮気じゃなくて本気に近いから。お相手は昔付き合っていた人で親の反対でしかたなく別れた人だそうです。しばらく前に再会して昔の関係に戻ってしまって、昔のことも後悔して悩んでいるというの。会いたい気持ちは募るし、いっそ今の夫と別れてしまおうかとも考えているそうよ」
「僕は浮気という言葉がしっくりこない。君とはもっと真剣に向き合っている。でもその本気とも違う。僕は君が二人の関係について冷静な考えをしているから、こうして会っている」
「それは私も分かっています」
「ところで相手の人は独身?」
「家庭があると言っていたわ」
「それじゃダブル不倫だ。両方の家庭を壊しかねないから、もうその人とは会わない方がよさそうだね」
「だから彼女もそれで悩んでいたわ」
「そういうリスクの自覚はあるんだ。相手の気持ちを率直に聞いて確認してみたらというのが僕の意見だけど。ただ、聞き方はあるね」
「聞き方というと?」
「『私は本気だけど、あなたはどうなの?』と聞くと、普通の男なら引いてしまうだろう。そうなってしまった方がよいとは思うけど。そう聞いてくる相手とは続けるにしてもリスクが高すぎる」
「じゃあ、どう聞けばいい? 相手も友人に好意を持っているからそういう関係になったのは分かっているの。それ以上の答がほしいみたい」
「欲張りだね。それは難しい。彼女の我儘に聞こえる」
「そうね。それ以上を望むならお互いに相当な覚悟がいるわ。それで二人幸せになれる保証などどこにもないし、そういう結末って良いことはないと思う」
「もしこのまま二人の関係を大切にしたいなら、あえて駄目を詰めないで、パートナーには絶対に分からないようにして会い続けるしかないと思うけどね」
「私もそう助言しました」
僕はその友人が上野多恵さんに違いないと思っていた。だけどあえてそれを確かめなかった。直美を信用して相談したのだから、彼女の信用にも関わる。でも直美は秋谷君が僕の親友だと知っているので、あえて彼女のために僕に相談したのかもしれない。いずれにせよ答は同じだ。
相談の内容が内容だけに僕たちはすっかり覚めてしまっていた。彼らのことよりも自分たちの関係を大切にしたい。僕はもう回復していたが、二人がそういう気持ちを取り戻すのには少し時間がかかってしまった。
9月28日(火)昼休みに秋谷君からどうしても相談したいから今晩会えないかという電話があった。急な連絡なので会う時間が取れなかった。転勤者の送別会が設定されていたからだ。
「電話じゃだめか?」
「繊細な話だから会って話した方がよいと思って」
「明日の晩なら時間が取れるけど」
「相談の中身は例の話か?」
「ああ、彼女とのことだ」
「あれからまた会ったのか?」
「先週末にも会った」
「ええっ、会う頻度が高いね。大丈夫か?」
「そうだ。だから相談に乗ってほしい」
「分かった。明日、いつもの場所で7時にどうかな」
「すまんな」
秋谷君が切羽詰まって相談したいと言ってきた訳は想像できた。どう相談に乗ってあげたら良いか考えておこう。
◆ ◆ ◆
9月29日(水)居酒屋には7時前に着いたが、秋谷君はもうビールを飲んでいた。
「呼び立ててすまんな」
「いや気にするな。秋谷君らしくないな、急に相談に乗ってほしいなんて。それで中身は?」
「彼女がまた会いたいというので誘いに乗ってしまった」
「秋谷君もまんざらではないのだろう。断らなかったことから分かる」
「俺も彼女に惹かれているというか、それに応えずにはいられないんだ」
「それで彼女の気持ちを確かめたのか? この前話したように本気か浮気か?」
「実はそれを彼女の方から先に聞かれた」
「やはり同じことを考えていたんだな。どちらにとっても気になることだ。まあ、ちょうどよかったじゃないか。お互いに気持ちを確かめられれば。それで何と答えた?」
「浮気という言葉がしっくりこないけど、浮気と本気の間だと答えた」
「秋谷君の本心だと思うし、その気持ちも分かるけど、彼女に余計な期待をさせないようにはっきりと浮気と言ってしまった方が良かったかもしれないな。それで彼女の気持ちは? 何と言った?」
「彼女も俺と同じように考えていると言った」
「二人は似たもの同士だな。本気とまではいかないが、二人の関係をこのまま続けたいと思っている。できればより親密に、そう聞こえる。でも危なっかしいな」
「なぜかこのまま深みにはまってしまいそうで怖いんだ」
「秋谷君らしくないな。怖気づいているのか? もっとドライだと思っていたのに。自分の気持ちを制御できなくなっているのか?」
「どうしても昔別れたことが悔やまれて、彼女のことが頭から離れなくなっているんだ」
「二人の思いがそうなら、それに従うしかないだろう。もっと親密になって気が済むまで関係を続けるしかないだろう」
「やはりそれしかないのか?」
「そう思っているのなら、お互いにもっと冷静になるべきだ。でないと会う頻度がもっと増えて、周りへの気配りが希薄になって、二人の関係が露見しやすくなる。そしてそれが最悪の結果にもつながりかねない」
「忠告ありがとう。今日は話を聞いてもらってありがとう。気持ちの整理ができた」
秋谷君の気持ちは痛いほど分かった。どう気持ちの整理をつけたのかは話してくれなかった。でも二人の思いとその関係の継続に危うさを感じた。
やはり、僕と直美の二人の間の関係とは違っていた。僕たちはお互いにもっと冷静だ。それは別れ方によるものだと思った。どのくらい思いを残していたかだ。彼らの残した思いはもっと深刻なものだったに違いない。
土曜日の早朝、秋谷君からメールが入ったのに気が付いた。
[昨晩は一緒に飲んでいたことにしてくれ、頼む]。
すぐにアリバイ作りだなと思った。秋谷君らしくない、何ごともぬかりなくしているはずなのにと思った。すぐに[了解]と返信した。
朝食を終えた9時半ごろに家の電話が鳴った。この頃としては珍しい。めったに固定電話には連絡が入らない。廸が電話に出た。そしてすぐに僕を呼んだ。
「秋谷さんの奥さんから、あなたに出てほしいって」
「吉田です。ご主人にはいつもお世話になっております。ご主人に何かあったのですか?」
「すみません。お休みの日の早朝に」
「いえ、何か?」
「主人が昨晩は吉田さんとご一緒したというので、本当かどうかを内々に確認させていただきたくて、お電話しました」
思っていたとおりだった。秋谷君のために嘘をついてアリバイ作りをしてあげることにした。
「それなら、昨晩は秋谷君と居酒屋で飲んでいました。話が弾んでずいぶん遅くまで付き合わせてしまいました。申し訳ありませんでした」
「そうですか。ありがとうございます。安心いたしました。奥さまにご挨拶したいので、もう一度代っていただけませんか?」
「順子さんが君に挨拶したいそうだ」
秋谷君とは結婚式に招待し合ったし、新婚のころお互いの新居に招待し合ったことがある。廸と順子さんは顔見知りだ。そばで聞いていた廸に受話器を渡した。しばらく廸は順子さんの話を聞いていた。
「ええ、昨晩の主人ですか?」
廸が僕の顔を見ながら言った。僕はすぐにうんうんと頭を上下に振って合図した。
「主人は昨晩、秋谷さんと居酒屋で飲んできたといっておりました」
「ええ、ずいぶん楽しかったみたいです」
「いいえ、お気になさらないで下さい。今後ともよろしくお願いいたします」
廸は電話をおいて僕をじっとみた。
「ありがとう。話を合わせてくれて。秋谷家の家庭円満のためだ」
「秋谷さんは順子さんに内緒で悪いことでもしているの?」
「順子さんは何て言っていた?」
「昨晩、娘さんが急に熱を出したので早く帰ってきてほしいと電話したそうなの。でも電話がつながらなくて困ったそうよ。それで遅く帰ってきたので、問いただしたら、あなたと居酒屋で飲んでいて、周りがうるさかったので気付かなかったと謝っていたそうよ。以前にもこういうことがあったので、心配になって、今回はご主人には内緒であなたに確かめてみたそうよ」
「秋谷君にも困ったものだな。あんなよい奥さんがいるのに」
「何かしているの?」
「僕と飲んでいたことにしたのは、僕が安全パイだと思っているからだろう。何かあるのかもしれないな」
「何かって?」
「ひょっとして風俗にでも行って遊んでいたのかな?」
「どうしてそう思うの?」
「以前、連れて行ってもらったことがあるから」
「以前っていつ?」
「君と結婚する前、ずいぶん昔のことだ」
「今はどうなの?」
「誘われたことはあるが、僕は行っていない。誓って結婚してからは行っていない。本当だ」
「まあ、私が知らない時のことだから、しょうがないわね」
廸は気配りのできる女性だ。秋谷家にわざわざ波風を起こすことはしない。安心した。秋谷君は腋が甘い。最近特にそう思うようになっている。僕にしかアリバイ工作を頼めなかったところをみるとやはり順子さんに説明できないようなことをしていたとしか考えられない。上野さんに会っていたに違いない。今度会ったら本当のところを聞いて注意しておこう。
◆ ◆ ◆
あれから1か月ほどしてほとぼりが冷めたころ、秋谷君を飲みに誘った。今度は僕と飲むことを順子さんに話しておくように言っておいた。もちろん、廸にもこの飲み会のことを話しておいた。
飲む場所はもちろんアリバイ工作に使ったいつものうるさい居酒屋にした。待ち合わせ時刻を少し過ぎて秋谷君が現れた。
「このまえはすまん。恩に着る。うまくとりつくろえた」
「奥さんは内々に確認したいといっていたけど」
「あとで話してくれたが、おまえと廸さんに確認して安心したと言っていた」
「廸が気を使ってくれた。それでもう二度とああいうことは無しにしてくれ。僕にとばっちりがかかりかねないから」
「分かっている。これから気を付ける」
「それで本当のところはどうなんだ?」
「実は浮気していた」
「誰と? やはり上野さんか?」
「いや、吉田君とは面識のない人だ。彼女とは間隔をできるだけあけるように気をつけている」
「あきれるなあ、別の人? もっと詳しく話せ。僕には聞く権利がある」
「ああ、以前話したことがあると思うけど、既婚者合コンのこと」
「確か、気の合った人がいて名刺交換をしたと言っていなかったか?」
「その彼女から連絡が入った。あの晩の2~3日前に食事でもしませんかと。それで受けた。ご主人が出張でいないからとのことだった」
「どんな人?」
「一流商社のキャリアウーマンだ。Kさんとでも言っておこうか。38歳で2歳下。子供はいない」
「それで?」
「まあ、なるようになった」
「秋谷君はそういうことには長けているから、さすがだな。僕には到底まねできない。まあ、する気もないけどね」
「気が合ってなかなか良い人だった」
「一回限りにしておいた方が良いと思うけどな」
「付き合いを続けることにした。どちらもお互いの家庭は壊したくなくて、ただ会って、話をして慰め癒し合うだけで、そして絶対に分からないようにしようと約束した。次回からはもっと慎重に会うことも」
「慰め癒し合うって? 順子さんや上野さんとは違うのか?」
「どちらでもないような気がする。なあ、このごろ思うようになっているんだが、男って一人の女性だけと一生を共にしなければいけないのか? どう思う?」
「どう思うって? どうしてもとは思わないけど、ほかの人もとなると現実的に難しくないか? それに一人の女性を幸せにすることも大変なことなのに、ほかの人も幸せにすることなんてできるのか?」
「それができればいいんじゃないか? そう思うようになってきている」
「それは浮気の言い訳のように聞こえるけどな。女性の幸せがどういうことなのか、男の僕にはよく分からない。順子さんだって、上野さんだって、そのKさんだって分かっているのかどうか。それにそれぞれ幸せの考え方も違っているだろう。とにかく絶対にばれないようにしてくれよ。アリバイ作りはもう無しで頼む。廸がいつも協力してくれるとは限らないからな」
秋谷君の浮気癖にも困ったものだ。ただ、彼の言っていた「男って一人の女性だけと一生を共にしなければいけないのか?」の問いはどこかで聞いたことがあった。直美もあれによく似たことを言っていた。
でも直美が女性の立場で言うのと、秋谷君が男性の立場で言うのとは違っているような気がする。これは男女平等に反するかもしれないが、男には女性に対する責任みたいなものがもっと重い気がする。
僕は直美とのことがあるから「どうしても、とは思わないけど」と言葉を濁した。それに秋谷君とそのKさんとの関係はどこか僕と直美の関係に通じるものを感じた。
秋谷君と上野さんとの関係はどうなっているのだろうか? 秋谷君が彼女のことを話さなかったのでこちらもあえて聞かなかった。水面下では続いているのだろう。
秋谷君と別れて家についたのは9時を少し過ぎていた。廸はリビングでテレビのニュースを見ていた。恵理は自分の部屋で勉強をしているという。
「どうだった。話ははずんだ?」
「秋谷君にも困ったものだ。やはり浮気していた。正直に話してくれた。順子さんには絶対に話さないと約束するなら教えてあげる」
「私もあなたの片棒を担いだのだから聞かせてもらえないかしら。秋谷さんの家庭に波風を立てようとは思っていないから」
「君の意見も聞いてみたいから、話そうか」
廸には、それから彼女の意見を聞いて見たい部分を話した。既婚者合コンでKさんと知り合ったこと、アリバイ作りのあの日は前々日にKさんから夫が出張中とのことで誘いがあったこと、それから「お互いの家庭は壊したくなくて、ただ会って慰め癒し合うだけで、そして絶対に分からないようにしたい」と約束したこと、彼が「男って一人の女性だけと一生を共にしなければいけないのか?」と言っていたことなどを話した。
「それで二人は関係を続けるの?」
「僕は1回限りにしておいたらと言ってみたが、続けるつもりのようだった」
「順子さんに悪いとは思わないのかしら?」
「家庭は大切にしたいと秋谷君ははっきり言っていた。絶対に分からないようにしたい、分からなければなかったのと同じとまで言っていた」
「詭弁だわ。分からなくてもあったことに変わりはないわ」
「そうだね」
「秋谷さん夫妻の間柄は私たちとは違っているような気がするわ」
「秋谷夫妻は確か合コンで知り合った恋愛結婚で同い年だ。僕たちは職場結婚に近い。年の差は4歳ある」
「秋谷さんご夫妻とはお互いに自宅に招待したことがあるけど、私たちとは少し違う、そう感じた。どこがどう違うとははっきり言えないけど」
「僕から見ると秋谷夫妻は同じような考えを持った同志に見える。それに秋谷君は僕より男女の関係をドライに考えているように思う」
「私は順子さんにもそんな感じがした。二人にはべたべたしたところがなくて少し醒めている感じがしていました。私たちはもっとべたべたしていたと思う」
「べたべた? ラブラブの方が良くない?」
「そうラブラブ」
「秋谷さんは順子さんにないものをKさんに求めているのかしら? 私は順子さんもKさんも同じタイプの人のように感じるけど、どう思う?」
「Kさんと会ったことがないから分からないけど、同じタイプだと思うのか? でも話をして慰め癒し合うことができると言っていた。どこか順子さんとは違っているのだと思う」
「私には理解できないわ。そういえば以前、私もその既婚者合コンらしい集まりの誘いを受けたことがあるの」
「ええっ、本当か? それでそれで」
「興味がないから断った。だって、私はあなたと話していれば十分だから、ほかの人とお話する必要がある? あなたとは何でも話せるし、何でも話してくれるから、男の人はあなた一人で十分です」
「そうか、僕ひとりで十分か、安心した」
「私が浮気するとでも思ったの?」
「いや、君は絶対にしないと思う」
「絶対はないかも」
「ええっ、そうなの?」
「冗談です。お風呂に入りますか? 私もまだなので一緒に入りましょうか、背中を流してあげます」
「どうしたの?」
「ちょっとサービスしておかないと秋谷さんのように浮気でもされると困るから」
「そんなことは絶対ないけど、秋谷君のためにちょっともうかったな」
廸は勉強部屋の恵理を見にいった。先に入っていてというのでバスタブに浸かっていた。廸が二人でお風呂に入るからと恵理に断ってきたと入ってきた。廸としばらく話していたのでもう酔いはほとんど醒めていた。
廸はタオルに石鹸を付けて僕の背中を洗ってくれた、久しぶりに背中を流してもらって気持ちがいい。この後は僕が廸を洗ってあげることにした。
今までタオルかスポンジに石鹸をつけて洗ってやったことはあった。直美にしてやったように、今日は手に直接石鹸を付けてその手を身体に擦りつけて洗っていく。
座った廸は始め一瞬くすぐったいと身体をすくめたが、気持ちよかったのか、すぐに素直になすがままになった。まずは背中からお尻へゆっくりと洗っていく。お尻の溝に指を這わしてゆっくり洗うと廸は腰を浮かせた。
今度は立たせてこちらを向かせた。そして両手で首から胸、乳房、乳首、お腹、おへそ、大事な割れ目をゆっくり洗っていく。廸は気持ちがよいのか恥ずかしいのか目をつむっている。それでもかまわずに洗っていると、我慢できなくなったのか、そこへしゃがみ込んでしまった。おしっこをもらしているのが分かった。
「大丈夫? もうやめようか?」
「ごめんなさい。気持ちよくて、気が遠くなっただけ、続けてください」
ゆっくり立ち上がったが、足元がおぼつかない。
「座ったままでいいから」
廸は足を伸ばして洗い場に腰を下ろした。その両足を両手でゆっくりマッサージをするように洗っていく。足の指の間も丁寧に洗ってあげる。
「だめ、そこは」
「洗った方がいいよ」
廸が思わず足を引っ込めた。ここまでと思ってシャワーで身体の石鹸を洗い流す。廸は座ったまま動かない。いや動けなかった。
「バスタブに一緒に浸かろう」
廸の腕を持って立たせてバスタブへと導いた。廸はゆっくり身体を沈めた。その後ろに僕が入った。お湯が溢れて大きな音がした。廸が身体を預けてくるので両手を回してゆるく抱いてやった。後ろから身体をゆっくり撫でてやる。
「気持ちいい、ありがとう、うっとりしたわ、幸せってこういうことなのかしら、このまま眠ってしまいたい」
「ここで眠ったらだめだよ。それじゃもう上がって休もう」
廸を促して立たせて浴室を出た。バスタオルで身体を拭いてやる。いつもなら廸も僕の身体を拭いてくれるのだが、今日はぼっーとしてただ立っているだけだった。こんな廸は初めてだった。
バスタオルをまとった廸を抱きかかえながら寝室へ向かう。廸を布団に座らせるとすぐにポカリのボトルを冷蔵庫から持ってきた。1本封を切って渡すと廸は一息で半分ほど飲んだ。
「おいしい、ありがとう。眠りたい」
そう言うと寄りかかってきた。横にして寝かせるとすぐに眠ってしまった。廸は疲れていたのだろうか? 寝顔はとても安らかだ。僕も廸を後ろから抱きかかえるようにして寝入った。
◆ ◆ ◆
明け方、廸が僕に抱きついてきたので目が覚めた。寝落ちした廸が求めているのが分かったのですぐに応えた。廸は半分目覚めていて半分眠ったままだったが、何度も昇り詰めていた。そのあと、廸は僕の腕の中で静かにまた眠りに落ちていった。
◆ ◆ ◆
目が覚めたら、雨が降っていた。暗かったので目が覚めるのが遅かった。もう8時を過ぎていた。共働きだから土曜日は朝寝することになっている。恵理もそのことは分かっていて声をかけるまで起きて来ない。
廸は僕に後ろから抱きかかえられて横たわっていたが、もう目覚めていた。僕が目覚めたのに気づいて振り向いて唐突に言った。
「ねえ、風俗に行っているでしょう」
「いや、この前も言ったとおり、結婚してからは絶対に行っていないから」
「なんでそういうことをまたわざわざ確認するんだ?」
「最近、少し変わったから、愛し方が」
「いろいろ工夫しているんだ、廸のために」
「浮気はしていないわよね」
「君を悦ばせようと考えて工夫しているだけなのに、浮気をしているから愛し方が変わったというのか? 僕にとってあり得ないことだ。君と付き合いだしたときのこと覚えているだろう。恋愛には全く不向きだったことを」
「ごめんなさい。私を今も愛してくれていることはよく分かっています。昨晩のことや今朝のことも。とても幸せです」
僕は抱いている腕に力を入れて廸のその言葉に応えた。
「あなたには浮気はできないと思っていますが、もししたとしても私には絶対に分からないようにするだろうと思います。そういう性格だとよく分かっています」
廸の真を捉えた言葉にすぐに返す言葉が出なかった。廸はすべてを見通しているのか? ありえないことだが、図星だった。
「もし、幸運にも浮気できたら、そうすることにしよう」
「幸運ってなに? 浮気はする気があってするものでしょう。する気があるの? 分からなければ浮気をして良いといったわけでは決してありませんから、念のため」
「分かっている。絶対にそれはないから安心して」
もう、言葉の遊びにしようと必死になっている自分がいた。それで直美と始めのころに交わした会話を思い出した。
「僕が君とこうしていることはご主人には分からないと思うけど、もしご主人がほかの人とこんなことをしていたらどうする?」
「主人はそんなことをするような人ではありません」
「でも僕はしている。こんなことをしたのは初めてだ。ご主人にもこんなことは起こりえることだと思うけど」
「もしそういうことがあっても主人は絶対私にわからないようにすると思います。あなたのように」
「でも、浮気しているか、気にならないか?」
「気にならないと言えば嘘になります。もし本当にしていたら悲しい。大好きだから」
「例えば、不審なメールを見つけたら問い詰める?」
「聞いては見るけど、問い詰めたりはしないわ。もし認めたらお互いに引けなくなると思う。それが怖いから」
「駄目は詰めないということか?」
「浮気ならね。お互いに愛し合っているは分かっているから。きっとあなたの奥さんもそうするはずよ。なんとなく分かる」
やっぱり、廸は気が付いている? やはり断固否定しておこう。
11月5日(金)から2泊3日で帰省した。直美とはもちろん事前に日にちを擦り合わせておいた。
午後7時ごろにチェックインして部屋に入るとすぐに直美にメールする。[1133到着]。すぐに返信があった。[友人と食事中]。相手は上野さんに違いないと思った。
九時を過ぎたころに部屋に電話が入った。
「今、戻ってきました。1205号室です。お菓子がありますので、いらっしゃいませんか?」
「すぐに行きます」
部屋をノックするとすぐに中に入れてくれた。久しぶりだ。気持ちが治まるまで抱き合う。直美はそれから困ったというように話し始めた。
「この前お話してあなたの意見を聞いた友人のことなんだけど」
想像したとおり、食事して会っていたのは上野さんだった。名前は出さなかったが、間違いなかった。
「確かこの前、相手の気持ちを確かめた方がよいとか話していたね。それでどうなったの?」
「あれから、相手の気持ちを確かめたそうよ。それで浮気と本気の間で、それは二人ともそう思っていると確認できたそうよ。それで分からないように会い続けることにして、月に1回は会っていたそうです」
「それなら、今日わざわざ君に相談する必要もないだろうに」
「ところがそれがご主人にばれてしまったみたいで、ご主人が家出をしたそうなの。それでどうしたらよいかとの相談だった」
「ええ、やはり発覚した? 最悪の結末だな。覚悟の上の浮気だったのだろう。いまさらどうしたら良いのかはないだろう」
「彼女も後悔して動揺していたわ」
「詳しく話してくれる?」
直美の説明によると、彼女の夫は婿養子だった。同い年で見合結婚とのことだった。13歳になる息子がいる。夫はお見合いで彼女がとても気に入って婿養子なることに同意した。それで長男が生まれて、彼女の両親も跡取りが生まれてとても喜んでいたそうだ。
相談というのは、ご主人が置手紙をして家出したことだった。その手紙には、ここしばらくは東京へ買い物に行くと言って家を空けることが度々なので、心配して自分が尾行して調べたら、男性と会っているのが分かったと書いてあった。
そして、彼女には好きな人がいるようだから、自分は家を出ることにしたと、彼女には幸せになってほしいと書かれていた。
それから長男が生まれて跡取りはできたから、自分は役目を果たした。あとは自由に生きたいと書かれていた。また、自分の分を記入した離婚届が同封されていた。
彼女は自分のしたことの重大さが初めて分かった。失ってからご主人の大切さが分かったという。それで帰ってきてもらいたいけど、どうしたら良いかという相談だった。
「それでどう相談にのってあげた?」
「二人で会ってよく話をしたらどうかって。そして正直に会っていた人は高校の同級生で結婚を反対されて別れた人だと話すこと、けれども彼とは何もない、ただ、懐かしくて会っていただけだと主張すること、昔も今も男女の関係があったことは絶対に認めてはいけないと言っておいたわ」
「『覆水盆に戻らず』でご主人の決心は変わらないと思うけどな」
「それでもそれが糸口になると思うの。絶対になかったと信じられるか、信じられないかは、彼が彼女をどの程度好きだったか、愛していたかにかかっていると思うの。だって手紙には彼女に幸せになってほしいと書かれていたから、彼女を憎んでいたならそういうことは書かないはずだから」
「糸口というのはそういう意味か? もし僕が彼女の夫だったとして、今まで彼女を深く愛していたのなら、その絶対になかったという言葉に救いを見出すことができるかもしれないな。可能性は低いがゼロではないかもしれない」
「そう思う?」
「それに元彼とは昔も何もなかったということは重要なことだと思う。『男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる』劇作家オスカー・ワイルドの言葉だ。聞いたことはないか? 僕も妻が自分が初めてだったのがとても嬉しかったことを覚えている。それでもっと好きになった」
「初めてなんて本当に分かるの? 初めての時のことを思い出して繰り返せばよいだけのことよ」
「そんなに簡単なことか? 君はどうだったの? 今のご主人が初めてだったんじゃないのか?」
「ご想像にまかせます」
「僕はそう思っているけど、ええっ、違うのか? そんなものなのか?」
「彼女をどのくらい好きかで判断は変わってくると思います。好きならそう信じたいでしょう」
「確かに、でも僕の場合は直観的にというか本能的に分かった・・・ような気がする。自信がなくなってきた。いや間違いなくそうだと思っているけど」
「そうね、彼女の場合もそのとき演技したことは普通に考えられるわ」
「それでご主人がその時そう思ったかどうか? ご主人の経験人数にも関係すると思うけど」
「ご主人は彼女が初めてだったみたい。彼女はそう言っていたわ」
「それなら、ご主人は彼女も初めてだったと思った確率は高いかもしれないな。糸口はあるということかな」
「だから、そう忠告したのよ」
「うまく復縁できるといいけどな」
「二人のことは二人で解決するしかないから、できるだけ相談には乗ってあげたけど、私たちは決してあんなことになってはいけないと、つくづく思ったわ」
「怖気づいた?」
「いえ、私たちは分からないように万全を期しているから、大丈夫」
「ところで、今日の二人のこの後のことについてひとつ提案があるんだけど」
「言ってみて」
「さっき言っていただろう。『初めてなんて本当に分かるの? 初めての時のことを思い出して繰り返せばよいだけのことよ』って」
「ええ」
「『初体験ごっこ』をしてみないか? 十年以上も前に戻って初めての時のことを繰り返してみてもらえないかな。僕もその時に戻って君を初めて愛してみたいから」
「すごく良いことだと思う。私たちの原点に戻れるような、置き忘れてきたものを取り戻すことができるような気がするわ」
「じゃあ、二人がホテルの部屋に着いた時から始めてみないか?」
◆ ◆ ◆
直美は僕の胸に顔をうずめて眠っている。少し前までしがみついて泣いていた。声は聞こえなかったが確かに泣いていた。しがみついていた手からはもう力が抜けている。僕は本当に彼女が初体験をしたように今も感じている。
「初体験ごっこ」の始まりからここまでをもう一度思い返してみている。僕はあのころの自分に戻っていた。正確には今の自分があのころに戻っていたというべきだろう。あのころならきっとできなかったことを今はしたのだから。
部屋に入るとすぐに後ろから直美を抱きしめた。彼女はこうなることは分かっていたのだろうが、身体を硬くした。じっとして動かない。ゆっくりこちらを向かせると彼女は目を閉じて少し上向き加減になってキスを待っていた。身体は硬いままなのに上下の唇だけがとても柔らかだった。
二人はベッドに腰かけた。その時初めて直美は僕をしっかり見つめた。そして彼女の方から抱きついてきた。その力の強さに彼女の決心を感じることができた。僕は再びキスをして彼女を着ているものをゆっくり脱がしていった。その間も彼女は身体を硬くしたままだった。
耳や首を唇でなぞっていった。乳首を口に含んだ時、声が漏れて身体がピクンとした。その時から身体の力が少しずつ抜けていった。
二人がひとつになろうとしたとき、彼女はまた身体を硬くした。「力を抜いて」と耳元でささやいたが、力が入ったままだった。そのあとも身体から力が抜けることはなかった。
だからなおさら痛くて辛かったのだろう。僕は直美の手を握った。ずっと顔をしかめて耐えているように見えた。その手を強く握り返してきた。僕は途中で止めた。廸の時もそうした。これ以上は無理だと思ったからだ。
身体を離すと、彼女は抱きついてきた。あの最初にベッドで抱きついてきたときと同じ強い力だった。僕もしっかり抱き締め返していた。
直美と廸は違っていた。同じと思える部分と違うと思う部分が入り混じっていた。ひとそれぞれなのは当たり前だ。廸と直美は初めてだったのだと自然に思えた。
◆ ◆ ◆
直美が動いたので目が覚めた。窓の外が薄明るくなっていた。午前6時だった。直美は僕の胸に顔をうずめてもぞもぞと蠢いている。直美のいつもの髪の匂いがする。廸とはまた違った匂いだ。どちらの匂いも僕は好きだ。
直美は顔を上げたかと思うと目を開いて僕を見つめた。僕はおでこに口づけをした。
「ありがとう。とても嬉しかった」
「こちらこそ、ありがとう」
「うまくできましたか? よく分からなくて」
「ああ、できたよ、でも最後まではいけなかった」
この会話、どこかであった。廸とその時に交わした会話だった。
「僕は初めてだと思った。今もそのとおりの言葉だったから」
「そう思ってくれて嬉しいわ。あなたとだからうまくできたのだと思います。そういう思いというか、そういう願望があったから。ほかの人だったらきっとこうはできなかったと思います」
「その時の二人の相手を思う気持ち次第ということか?」
それから直美はまた僕に抱かれて眠ってしまった。僕が廸のことを思ったのはなぜだろう?