僕は実家から駅に菜々恵を迎えに出た。2時少し前に着いたが菜々恵の姿がなかった。心配になってきょろきょろしていると向こうから菜々恵が手を振っているのが見えた。手にはバッグと紙袋を下げている。もう着いていたんだ。僕は駆け寄った。

「御免、もう少し早く来るんだった。見当たらないので心配した」

「御免なさい。随分早く着いたので、駅の周りを散策していました。ご両親にお会いするのが心配でした。反対だったらあなたの立場がなくなってしまう。どうしようって。もしそうなったらお断りしようと思っています」

「昨日、あれから両親に君のことを話した。君と結婚するからと。もちろん、君のがんと手術のことも話した。親父はお前がその覚悟なら何も反対する理由はないと言ってくれた。母親はお前の幸せを思って身を引いたのはよっぽどお前のことが好きだから、そういう人と結婚しなさいと言ってくれた。二人とも賛成してくれた。だから心配しないで会ってくれればいい」

「そうですか。あなたと同じでご両親もよい方ですね」

駅から徒歩10分くらいのところに両親のマンションがある。僕が高校生の時にここへ引っ越してきた。その時は新築だったけど、もう20年近くたっている。今はどこでもあるセキュリティもない。3階の305号室で、作りは3LDK、弟と家族4人で暮らしていた。

今は僕も弟も自立して両親だけの二人暮らしだ。父親は昨年リタイアして再就職もせずにブラブラしている。まあ、呑気な年金暮らしだ。父親は俺たちが死んだらリホームしてお前が住んだらいいと言っているが、そのときにはマンションは老朽化して住めないと思っている。

玄関ドアを開けると母親が出迎えた。

「田村さんね。よくいらっしゃいました。お母様とは中学校で一緒にクラスの役員をしていました」

「初めまして、田村菜々恵です。よろしくお願いします」

リビングで父親が待っていた。菜々恵がソファーに座るとすぐに父が口を開いた。僕と同じでせっかちなところがある。

「菜々恵さん、どうか聡のことをよろしくお願いします」

「いえ、私の方こそよろしくお願いします。私にはもったいない方です」

「うちは聡と次男の健治の兄弟で娘がほしかったので、とても嬉しい。聡ももう35歳だからこのまま独身でいるのかと心配していたところでした。菜々恵さんが聡のことを好きになってくれて、ありがたいことです」

「こうしてご両親に紹介していただいて聡さんに感謝しています」

「午前中に聡のアルバムをみていたけど、中学から大学までの写真にショートカットの可愛い女の子が聡の傍に時々写っていたのが気になっていた。それが菜々恵さんだった。今、一目見て分かった。これを見て」

父親は気が付いていた。そういえば同窓会の写真をもらうとアルバムに張っていた。このごろはもうスマホに保存するけど、あのころはそのままアルバムに張っていた。記念写真を撮るときはできるだけ菜々恵の近くにいるようにしたのを思い出した。

菜々恵は懐かしそうにアルバムをめくっていた。僕もそれを覗き込んでいたが、二人が映っている写真を見ると不思議にその時のことが思い出された。あの頃僕は菜々恵が好きだったけど、シャイで一言か二言しか口がきけなかった。

それが今は両親に彼女と結婚すると宣言している。シャイな僕を変えてくれたのも菜々恵だった。僕のアルバムを見ながら4人の話が弾んだ。

5時から近くの美味しい鰻屋さんに行って4人で夕食をすることになった。始め菜々恵は遠慮していたが、両親がどうしてもというので一緒に行くことになった。

確かに美味しい鰻だった。菜々恵も美味しいと言って食べていた。両親は満足そうだった。菜々恵を気に入ってくれたみたいで安心した。きっと菜々恵も安心したに違いない。僕は菜々恵と一緒に帰ることにした。

そういえば、履歴書には住所、携帯番号、勤務先などが書かれていたが、最寄りの駅名が分からなかった。それを聞くと最寄りの駅は東横線の日吉ということだった。勤務先の病院は横浜駅の近くだという。

僕たちは溝の口駅で別れた。僕は今、大岡山に住んでいる。今後のことは電話で相談することにした。