屋上で、空を見上げていた。

 爽やかな風が吹き抜けて、心地よさが胸に広がる。

 青に染まった空の果てしなさが、なんだか自分の存在を肯定してくれているようで、心が落ち着いていく。

 だけど、すぐにまたザラザラとした感触がやってくる。

 君のことを考えるたびに、どうしようもなく苦しくなってしまう。

 君のいない教室に、今日も耐えられなくて――。
 私――君塚(きみづか)双葉(ふたば)は開式の辞を聞きながら、体育館の天井にはさまったバレーボールを眺めていた。

 ……やっぱり退屈だな。

 壁には紅と白の幕が隙間なく張られていて、生徒たちの胸元には、小さな花が咲いている。

 今日は、私の通っていた高校の卒業式だった。

 約三年前に入学した、憧れの高校。

 あれからもう、三年も経つのか……。

 長いようであっという間の高校生活だった。



 中学二年生の夏休みに行った学校見学で、私はこの高校に惹かれた。

 制服が可愛くて、校風も自由。校舎は綺麗だし、イベントも多い。

 とにかく、まだ中学生だった私の目には、すべてが輝いて見えた。

 どうしても、この高校に入りたいと思った。

 自分の意思で大きな決断をしたのは、もしかすると初めてだったかもしれない。

 最初は偏差値が足りず、くじけそうにもなったけれど、両親に頼み込んで塾にも通わせてもらい、どうにかギリギリで合格をつかみ取った。

 直前の模試でも、判定は決して良くなかった。本当にギリギリだった。よく合格したな、と今でも思うくらいに。

 高校入試本番の日は、たぶん人生で最も緊張していた。

 詰め込んだ知識が、手を離した風船みたいに、どんどん遠くに飛んでいってしまうような気がして、早く試験が始まってほしいと願いながら、開いた英単語帳に載っている単語をじーっと眺めていた。

 そんな中で、一つだけ印象に残っていることがある。

 最初の科目が始まる少し前、隣の人に突然話しかけられたのだ。

「あの……すみません」

「は、はいっ!」

 思わず背筋を伸ばして、私はいい返事をする。

「消しゴムって、余分に持ってたりしません?」

 緊張感のかけらもない、朗らかな声だった。

 素直に答えるとすれば、持っていない、となる。でも、きっとこの人は、私が消しゴムを余分に持っているかどうかを知りたいわけではない。

「えっと、持ってないです……けど――」

 そう答えつつ、色々な考えが頭の中をめぐる。

 おそらく、この人は消しゴムを忘れてしまったのだろう。私が同じ立場だったら気絶しているかもしれない。なんとかしてあげたい。でも、消しゴムは一つしかない。鉛筆なら予備のものも多めにあるのに……。

「これでよければ」

 私は持っていた消しゴムを半分に折って差し出す。半ば反射的にとった行動だった。

「わ、いいんですか? ありがとうございます!」

 いやホント筆箱から消しゴム出てこなかったときはマジ焦ったわ~でも助かった~と、まったく焦った様子に見えないその人は、隣の席に再び座った。

 おかげで、私もだいぶ緊張がほぐれた。

 今思えば、私が合格できたのは、その人のおかげかもしれない。

 無事に合格した私は、高校生活に対して、ワクワクするのと同時に不安を抱いてもいた。

 高校は地元から少し離れていて、通学には一時間以上かかる。同じ中学校から進学する人は、私以外にいなかった。合格者向けに配られた資料には、まだ中学三年生の私ですら知っている大学名が並ぶ、立派な進学実績が載せられていた。

 友達はできるだろうか。

 勉強についていけるだろうか。

 そんな懸念があった。

 だけど、せっかく入学できるのだから、弱気になっていてはダメだと言い聞かせた。

 せめて授業にはついていけるように頑張ろう。クラスメイトに積極的に話しかけてみよう。一度しかない高校生活なのだから、たくさん遊びたい。帰りに友達とカフェに行ったり、カラオケをしたり。

 アルバイトもちょっとやってみたいな。コンビニは色々とやることがあって大変そうだから、ファミレスあたりがいいかも。でも、ファミレスも大変か……。

 そうだ、恋だってしたい。

 話しているうちに仲良くなった男の子と、夏休みに海や花火大会に行ったりなんかして……。

 もしかしたら、彼氏ができちゃうかもしれない。

 そんなふうに、前向きな気持ちで入学したはずだったのに……。

 どうして――。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。

 この一年間は、そんな明るい高校生活からは程遠いものだった。

 ぼんやりしていたら、開会の辞は終わっていた。

 国歌斉唱が始まっている。

 私は特に歌うことも、口を開くこともせず、ただ流れに身を任せるようにそこにいた。

 どうせ、卒業式に出ても意味なんてないのに。

 つい、そんなことを考えてしまう。

 名前も知らなければ、肩書きもよくわからない、来賓たちの言葉。

「まだ若い皆さんは、無限の可能性に満ちています」

「どうか、明るい未来に向かって羽ばたいていってください」

 何が、無限の可能性だ。

 何が、明るい未来だ。

 無責任な言葉に、私は腹を立てる。それが、どうしようもなく自分勝手な感情だとわかっていたけれど。

 ……やっぱり、卒業式なんて出なきゃよかった。



※試し読みはここまでです。続きは書籍でお楽しみください。

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