――ほんとうに真面目なひとだったなあ。

実家で庭に面した廊下に座り、ぼんやり夜空を見上げる。

大都市の一つである葉空(はそら)市だけど、我が家のあたりは農地が多く、かなり静かだ。街灯も少なめなので、星がよく見える。ここで夜空を見上げていると、降ってくる星の光が俺の中も外も清めてくれるような気がする。

今、頭に浮かぶのは今日の稽古の桜さんだ。

三時間の稽古の間、桜さんは常に真面目で礼儀正しかった。俺が離れている時間も黙々と抜刀や摺り足の練習をし、誰かに教えられるとうなずきながら真剣に聞いていた。

そもそも口数は多くないのかも知れない。けれど決して愛想が悪いわけではなく、休憩時間にはうちの母や他の門人たちと一緒ににこにこしていた。

でも。

何というか……見えない壁があるような気がする。

例えて言えば、そう、銀行の窓口のひとみたい。

礼儀正しく真摯な態度で接してくれる。けれど、用件以上に立ち入ることができない。そんな感じだ。

まあ、上達したいという思いさえあれば、べつに仲良くなる必要はない。とは言え、あまり遠慮していては上達の妨げになる。うちのように少人数の団体ではなおさら。

――なにしろ全部で八人だもんな……。

いや、桜さんが入ったから九人か。ただし、そのうち五人は身内だ。

黒川流剣術は天然理心流の流れを汲む古武道の流派の一つ。創始者は黒川東玄(とうげん)。現在の宗家(そうけ)は第九代で黒川峯之(みねゆき)、俺の祖父だ。稽古の場では「宗家」と呼ばれる。

下級武士だったご先祖様はもとは天然理心流の門人で、新選組局長となった近藤勇の先代・周助と共に学んだという。役目で江戸を離れてからも独自の研究を重ね、天然理心流をベースとした黒川流剣術を完成させた。東玄が書き残した文書が今も祖父の手元にある。

新選組の活躍と共に世に広く知られるようになった天然理心流とは違い、黒川流は細々と黒川家に受け継がれてきた。べつに門外不出というわけではなく、単に道場を開いていなかったので身内にしか伝わらなかったという次第。

明治維新で武士の身分が無くなったとき、黒川家が選んだ職業は植木屋だった。東京から少し離れた、当時はまだ鄙びたこの地に土地を買い求め、植木の販売と手入れの仕事を始めた。どうやら半分は趣味だったらしい。でも、そこから代々、うちは植木屋だ。

祖父も植木職人として生計を立ててきた。俺の父親は教師になったが、叔父の哲ちゃんが祖父の跡取りとして植木職人になっている。俺は大学で設計と造園を学び、現在は建築関係の企業に勤めるという形でつながりのある仕事をしている。