「いいですか、もしも20代や30代にも選挙権を認めたら、皆さんの仕事がなくなるかもしれないんですよ?」
その日、ある公民館に40代以上の住民が集められた。
200人ぐらいの聴衆を前に、民自党の議員が熱弁をふるう。
「皆さんは今、正社員として働いていますよね? それは我々民自党が皆さんの立場を守っているからなんです。皆さんのようなベテランが、世の中では活躍するべきなんですよ。20代や30代の仕事ができない若者に皆さんの仕事を取られてもいいんですか? 何もできない若造が皆さんと同じ額の給料をもらうことになるんですよ」
その議員は、聴衆が戸惑ったような表情でいることに気づいた。つい一週間前は、同じ話をすると盛り上がったものだ。それで、「これなら今回の選挙もイケる」と手ごたえを感じていた。
議員の演説が終わり、質疑応答に移った。
最前列に座っていた男が手を挙げて、おずおずと立ち上がる。
「あのー、私は55歳で正社員をやってるんですが、そのー、私の子供は28歳と32歳なんですが、二人ともバイトをして食いつないでるんです。それも、時給がものすごく安くて。それで、私と女房の稼ぎで何とか家族4人が暮らしてる状態なんです。で、私は去年、腰を痛めてしまって、本当は仕事を減らしたいんです。でも、それができなくて……だから、私としては、20代と30代も正社員として雇ってほしいなと。自分の仕事を代わってもらいたいぐらいで。選挙権のことはともかく、20代と30代も正社員として働けるようにしてほしいって思います」
議員は言葉に詰まってしまった。
「えー、まあ、腰を痛めてしまったら、働くのはつらいですよね。疾病手当でももらって、ゆっくり休んでください。お大事に。それじゃ、次の人」
次は銀髪の細身の女性が指されて立ち上がる。
「私には30代の娘がいるんです。娘は引きこもりです。バイトの面接はずっと落ち続けて、やっと採用されても、すぐにクビになる。そんなことの繰り返しで、働く気がなくなったって言って……主人だけの給料ではやってけないから、私もパートでフルタイムで働いてます。でも、私たち夫婦が死んだ後、娘はどうなるんだろうって思ったら、不安で不安で、夜眠れないこともあるんです。娘が働けるようになるのが先か、私たちにお迎えが来るのが先か……いつまでこんな生活を続けなきゃいけないんですか? 政治の力で何とかならないんですか?」
女性は静かに涙を流す。議員は言葉が見つからず、「次の方」と一段と高く手を挙げている女性を指した。
会場の隅に座っていた、帽子を深くかぶった女性が立ち上がる。
「あなたにはお子さんはいらっしゃいますか」
唐突に聞かれ、議員は戸惑う。
「ハイ、息子が二人おりますが」
「息子さんは何歳ですか?」
「それを言う必要はないかと」
「30代の息子さんが二人いらっしゃいますね。そして、二人とも官公庁で働いている。官僚として」
「いや、それは」
「民自党の議員のお子さんたちはみな、20代でも30代でも、官公庁の官僚や大企業の正社員として働いてますよね。つまり優遇されてる。仕事には困らないわけです。自分たちの子供の立場はしっかりと守って、私たち国民の子供は見捨てる。それがあなたたちのやってることですよね」
「あなたは、一体?」
女性は帽子をとった。
「真実の党の党首、影山美晴です」
場内がざわつく。
「おいっ、あいつをつかまえろ!」
議員が指示を出すと、次々と聴衆の中から美晴の仲間が立ち上がり、美晴のまわりに立ちはだかる。
「皆さん、気づかれたようですね。そうです。40代以上が優遇されても、結局、困るのは国民全員なんです。20代30代の仕事がなければ、親世代の負担が大きくなる。今は定年も廃止されて年金は75歳にならないともらえません。75歳までずっと現役世代として働かなきゃいけないなんて、ムチャな話ですよね。それに、皆さんのお子さんは、結婚どころではなくなってるんじゃないですか?」
「そうなんだよ!」
「その通り!」
聴衆は身を乗り出して合いの手を打つ。
「まともな仕事に就けないのに結婚なんて、諦めたくなるのは当然です。だから、晩婚化も少子化も、この15年でものすごく進みました。このままじゃ、この国は終わります。だけど、たった一つ、この国を救う方法があります。それは、政権交代です」
「おい、やめさせろ!」
議員やスタッフが美晴にとびかかろうとしても、仲間たちが体を張って止める。
「政治で何も変えられない。皆さんはそう思ってるかもしれません。だけど、その政治が皆さんの生活をここまで苦しくしたんです。だから、その流れを断ち切らないといけない。真実の党が政権をとったら、20代30代も正社員として働ける世の中に戻します。選挙も18歳から投票できるようにする。一部のお金持ちだけが得をするような不公平な世の中を正します。それは、ごく当たり前のことです。みんなが普通の生活をできる世の中にしたい。そのために私たちは立ち上がったんです」
「皆さん、こんなやつの話を聞かないでください! でたらめばっか言ってるけど、こいつは犯罪者ですよ⁉」
喚き散らす議員を、「うるさい!」と聴衆は一喝した。議員はたじろぐ。
「私は一度、この国を変えるのを諦めました。でも、もう諦めません。何が起きても、最後まで闘います」
美晴がマイクを下ろすと、聴衆は次々と立ち上がり、大きな拍手を送る。会場に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。議員は顔を真っ赤にして歯ぎしりしている。
「どうしますか。総理に報告しますか?」
側近に聞かれて、「いや、総理に何にも言うな」と議員は止めた。
「こんなことが総理にバレたら、オレが大目玉を食らうから。なんで途中で止めなかったんだって、しつこく追及されるぞ? あの人のことだから、何か制裁があるかもしれないし。何も起きなかったことにするんだ。いいな?」
側近たちは顔を見合わせるしかなかった。
その会社では、投票日の前々日に社員全員で期日前投票に行くことになっていた。
40代以上の社員がマイクロバスに乗り込むためにエレベーターを降りると、1階のエントランスホールに若者が30名ほど集まっていた。みな派遣されて来たエンジニアだった。
「なんだ、どうした。君たちは投票に行かなくていいんだぞ?」
社長が怪訝な顔をしていると、若者はいっせいに頭を下げた。
「お願いします! 真実の党に入れてください!」
年長の社員たちは「何事か?」という顔で若者を見ている。
「僕らは投票したくてもできないんです! だから、真実の党に入れてください!」
「いや、でも、それはちょっと」
社長は言葉を濁す。
「民自党から投票するように言われてるんですよね? でも、投票用紙に書くときは監視されてないみたいなので、真実の党って書いても大丈夫みたいです」
「いや、そんな簡単なことじゃないんだよ。もし造反がバレたら、会社をつぶされるかもしれないんだから」
「真実の党に入れないのなら、僕らはここを辞めます」
「うちを辞めたって、すぐに派遣先は見つからないでしょ? 今は仕事がなくて困ってる若者が多いんだから。あなたたちは恵まれてるんだからさ、もう少し賢く立ち回らなきゃ」
「僕らは海外に行きます」
リーダーらしい男性はキッパリと言う。
「海外からオファーが来てるんです。だから、このまま民自党が続くんなら、僕らは海外に移住しようって考えてます。だって、僕らはあなたたちよりもずっと働いてるんです。それなのに安い時給しかもらえない。こんな生活、この先もずっと続けたいって思えません。夢も希望もない国で、これ以上、働きたいって思えません。だから、真実の党に僕らは最後の望みをかけてるんです」
「そんなことを言われたってさあ」
若者たちは目配せすると、「真実の党に投票する気ないんですね? それじゃ、これで失礼します」と、ぞろぞろと出て行った。
「ちょちょちょっと待って。そんな急に仕事を投げ出されても困るんだよっ」
社長は慌てて後を追う。だが、若者は誰一人として振り返らなかった。
「っくそ、代わりの者を入れないと。至急、人材派遣会社に連絡して」
「社長、たぶん、ダメです」
人事の男が弱々しく言う。
「一週間前から、人材派遣会社に問い合わせても、若いエンジニアの登録はゼロだって言われて」
「へ?」
「真実の党に入れない会社では働かないって、どこの会社でもボイコットが起きてるらしいんです。代わりの人材を雇おうと思っても、登録している人がいないから、仕事が止まっちゃってるって、あちこちの会社で悲鳴が上がっていて」
「そんなこと言ったら、今進行してるプロジェクトはどうなるんだ! 国からもらった仕事なんだぞ?」
社長は目をむいてから、「あいつらを呼び戻さないと」と駆けだそうとした。
「社長、真実の党に入れるんですか?」
「入れるって言っときゃいいんだろ? 投票してるところは見られないんだから」
「それが、あいつらは投票所の監視カメラを操ってチェックするらしいんです。どこの党に入れたのかを。それぐらいのこと、朝飯前というか……」
「なんだって?」
社長は呆然と立ち尽くしていた。
「それじゃ、どうすればいいんだ……?」
投票日前日。
その日は、海外特派員協会主催の、党首討論が行われることになっていた。
片田は野党の党首と並んで、長机に座っていた。
会場には、あらゆる国の記者たちが詰めかけて、取材のための準備をしている。
事前に記者たちからの質問を提出してもらっているので、答弁は官僚がすべて考えてくれている。
片田は答弁をプリントした紙を前に、あくびを必死でかみ殺していた。連日、応援演説のためにあちこちに出向いているので、さすがに疲れが出ていた。
――ホントなら楽々勝利のはずなのに、影山美晴のせいで、オレまで走り回らなきゃならん。見つけたら、あいつらは立ち直れないほどつぶしてやる。
その思いだけで何とか自分を奮い立たせていた。
「それでは、討論会を始めたいと思いますが、その前に、1つ予定を変更させていただきます」
司会は協会に所属している日本人ジャーナリストの男性だ。
「本日は衆議院選挙に向けての党首の討論会です。ですが、そこに座っている方々を見て、何か足りないと皆さん感じていませんか? そうです。真実の党の党首が呼ばれていないんです。おかしいですよね、党首の討論会なのに、今や野党で一番の支持率になっている真実の党が呼ばれてないなんて。だから、海外特派員協会では真実の党の党首にも参加していただくことにしました」
あくびを我慢していた片田は、思わず「ふああ⁉」と声を上げてしまった。
「それでは、影山美晴さん、どうぞ!」
司会者は後方のドアに向かって、手を伸ばす。
美晴は扉の前で大きく深呼吸をした。足が震えている。
――お願い、怜人。私を守ってね。
息を吐きながら目を閉じる。
――あのとき、あなたの手を離さなければよかったって、今も思ってるの。あなたの遺体が、どんな風に扱われたのか、私は知らない。捕まってもいいから、最後まで寄り添えばよかったって、私は今でも。
じわっと涙がにじむ。
――あのね、怜人。私、あなたが亡くなった歳を、あっという間に超えちゃった。本当は、あなたと一緒に歳をとりたかった。ずっとずっと、一緒にいたかった。たくさん笑って、一緒に泣いて、たまにケンカして。二人の子を、二人で愛して……。幽霊でもいいから出てきてほしいって、何度も何度も思ったの。あなたと話したかったこと、たくさん、たくさんある。レイナが産まれたとき、あなたと同じ茶色の瞳で、どれだけ救われたか……。
そのとき、「影山美晴さん、どうぞ!」という声が扉越しに聞こえた。
――さあ、行こう。私は、今度は逃げない。最後まで闘えるよう、私を守ってね、怜人。あなたができなかったことを、私が代わりにやり遂げるから。
美晴は扉を押し開けた。
ドアが開き、会場中の視線が集まる。視線の先にいるのは美晴だ。
紅いワンピースにオフホワイトのジャケットを羽織った美晴は、顔を上げて、カツカツと靴音を響かせながら、堂々と会場を歩く。
片田は思わず立ち上がる。
「何の……何のマネだ、これは!」
司会者をにらむ。
「こんな話、聞いてないぞ⁉」
「ハイ、直前まで影山さんとは連絡が取れなかったので、出てもらえるかどうか分からなかったんです。事前にお伝えできなくて申し訳ありません。ですが、討論相手の人数を変更することぐらいで総理に承諾を得る必要もないかな、と思うんですが」
「そういう問題じゃないだろ? あいつは犯罪者だぞ! おいっ、誰か、あいつを捕まえろ! 内乱罪の首謀者で、死刑だっ!」
片田は美晴を震える手で指さす。美晴は動じることなく、片田を見据える。
「お久しぶりです、片田さん。15年ぶりですね」
その声はゆるぎない決意に満ちていた。
「野党の皆さんはどうでしょう。影山さんが参加されることについては」
司会者は野党の党首に話を振る。
「私は構いませんよ」
「僕も、全然。むしろ大歓迎ですよ!」
党首たちは席をずらして、片田から離れた場所に美晴が座るスペースを開けてくれた。ただちに椅子が運ばれて来る。
「ありがとうございます」
美晴はペコリと頭を下げて席に着いた。
「バ、バカバカしい」
片田はわなわなと震えている。
「こんな、こんな犯罪者と一緒に討論会なんてできるか! オレは帰る!」
「あら、逃げるんですか?」
美晴は涼しい顔をしている。その瞳は闘志で燃えていた。
「私を逮捕したいんならすればいいけど、せめて討論会が終わった後にしたらどうですか? この様子は、今、世界中に生配信されてますよ」
片田は会場を見回す。テレビカメラやスマホが、片田に向けられている。
「いや、犯罪者と同席するなんて、私のモラルに反するんでね」
「モラルなんて、よく言いますね。あなたはずいぶん人を殺してきたくせに」
「は? 何を言ってるんだ」
片田は顔をゆがめて笑う。
「仮にも、私は日本の総理大臣なんだぞ? 総理を人殺し呼ばわりするなんて、正気の沙汰じゃないね」
「それじゃあ、この音声を聞いてください」
美晴はスマホを操作してテーブルに置く。
「なんだ、いったい」
片田がやめさせようとすると、「いったい、何をしてるんだ!」と怒鳴り声がいきなり流れた――片田の声だ。
「やつらを対立させるどころか、手を結ばせるなんて、お前はどこまで無能なんだ!」
「いや……ゴミ捨て場を襲わせれば、やつらもおとなしくなるって思ったんですけど」
「おとなしくなるどころか、感動的な和解だってネットで話題沸騰じゃないか! 影山美晴や真実の党が検索ワードで上位に来てるんだぞ? 革命のアイドルの復活だって、みんな喜んでるじゃないか」
「いや、そんなことになるとは」
「もういいっ、お前はほんっとに役立たずだな! ここから先は三橋が陣頭指揮を執ってくれ」
「いや、待ってください、総理。影山美晴を襲わせますから」
「んなことしたら、オレがやったと思われるだろうが! タイミングを考えろ!」
片田はみるみる青ざめていった。野党の党首たちは、「え、これなんですか?」「片田さんの声ですよね」とうろたえている。
だが、会場にいる記者たちは驚く様子もなく、成り行きを見守っている。
片田はようやく、ここにいる記者たちは事前に情報を得ているのだと気づいた。自分がまずい立場に立たされているのだと、悟る。
「次の用事があるから、これで」
会場から出ようとすると、「まあまあ、討論会は始まったばかりじゃないですか」と司会者が押しとどめる。
「これ、片田総理の声ですよね?」
「いや、ちが、違うっ、オレの声じゃない!」
「でも、総理って言われてますよ?」
「知らない、知らない! こんなの捏造だ!」
美晴をものすごい形相でにらみつける。
「お前な、自分が死刑になる身だってこと、分かってんのか?」
「死刑にしたいのなら、すればいいじゃないですか」
美晴は凛として言い返す。
そのまっすぐな目に、片田はぐっと言葉を飲んだ。
「捏造だって言うのなら、これはどうですか?」
美晴は司会者に目配せをした。
会場が暗くなり、背後のスクリーンに何かが映し出された。
片田はそれを見て、顔色を変える。
「片田雄一郎。片田総理の父親の臓器移植のカルテですね。これ、臓器を提供した相手が植物状態だった18歳の男性ってなってますが、どういうことでしょうか? 植物状態の患者から臓器を摘出してもいいなんて法律はありませんよね」
司会者の追及に、片田は「知らん、こんなもの、オレは知らん」と否定するだけだ。
「これがオレの父親だっていう証拠なんか、何も」
美晴は立ち上がり、リモコンで画像を切り替える。
片田雄一郎の顔写真が映し出された後、病院の駐車場を支えられながら歩いている画像になった。あの日、ゆずが危険を冒して撮った画像だ。
「これが当日、病院に入って行くお父様の姿です。写真の日時と手術の日時、同じですよね。これ、顔を拡大した画像ですが、どう見てもあなたのお父様じゃないですか?」
「いやいやいや、オレは何も知らない。何かの間違いだろ」
「手術の書類にはあなたのお父様のサインもあります」
「だから、オレは何も知らないって。親父が勝手にやったんだろ?」
「あら、都合の悪いことはすべてお父様のせいだと」
「だーかーらー、オレは何も知らないんだって! 親父に聞いてくれよっ」
「お父様は5年前に他界されてますよね」
片田は「フン」と鼻で笑った。
「こちらで調べたんですが、この手術を担当した医師と看護師は、みんな死んでいます。1年以内にね。しかも、そのうちの一人が本郷怜人議員の部屋で見つかった。おかしくないですか?」
担当した医師と看護師の顔と名前、死亡診断書が次々と映し出される。議員宿舎から運び出される、真希の遺体の画像も。それを見るたびに、美晴の胸は締めつけられる。
「知らん、知らん、知らん!」
片田は怒鳴った後に、激しくせき込んだ。
「よくも……よくも、こんなでたらめを」
「ここで、片田さんに会っていただきたい方がいます」
美晴が合図すると、会場のドアが開いた。そこには、車椅子に乗った女性の姿があった。
スタッフが車椅子を押して、片田の前につれてくる。女性はうつろな目をしていて、焦点が合わない。
「この方、どなたか分かりますか?」
「さあ?」
「ここに映っている方ですよ」
スクリーンには、ゆずの友達が病院で写した写真と、手術当日に片田雄一郎の後について病院に入って行く女性の画像が映し出される。
「この方は、臓器移植のコーディネーターです。あなたのお父様と一緒に映ってますね? お父様の手術も、この方が手配されていましたよね」
「だから、何のことだか、知らんって」
片田の声はかすれている。そこに追い打ちをかけるように、音声が流れる。
「第2オペ室はどちらですか?」
「どちら様ですか?」
「すみません、私、移植コーディネートを担当している者で」
「ああ、この扉を入って、右に行ってすぐにありますよ」
「ありがとうございます」
「このご遺体……提供してくださった方ですよね」
「そうです」
「摘出手術は成功ですか?」
「まあ、何とか。後は移植チームの腕次第ってところじゃないでしょうか」
「そうですか、よかったです。この病院は優秀なスタッフさんがそろっていて、信頼してお任せできるって片田先生も話していました」
「片田先生……?」
「あ、すみません、今のは聞かなかったことにしてください!」
音声が終わると、場内はシンと静まり返っている。片田は口の中がカラカラに乾いていた。
「これは、この女性と、殺された看護師の一人、唐沢真希さんとの会話です。片田先生って名前が出てきますね」
「いや、知らん。誰か別の片田だろ!? 勝手にオレだってことにするな!」
「この方を探すのは大変でした。薬の過剰摂取で廃人同様になって、地方の施設に入ってたんですよ。そのお金を払っているのは、不思議なことに、あなたの親族の会社になっています。これが、そのデータです」
「こ、こんなの、どうやって」
スクリーンに映っている銀行口座のデータを見ながら、思わず片田はつぶやいてしまい、慌てて取り繕う。
「こ、これはボランティアだよ。そう、思い出した。知り合いに頼まれたんだ、しせ、施設を紹介してくれって。その人は、し、知り合いの娘さんか何かで。知り合いがお金に困ってたから、代わりに入院代を払ってあげてたんだ。私はその知り合いにはずいぶんお世話になっていて、恩……そう、恩返しのつもりでね」
「じゃあ、どうしてご自分で直接払うんじゃなくて、親族の会社を経由させたんですか?」
「それ、それは、まあ、誤解されたくなくて」
「誤解って?」
「プライベートのことだから、ここで話すつもりはないっ」
「あなたのお父様の臓器移植に関わった人たちが次々と亡くなったり、薬漬けにされたり、ずいぶんと物騒ですよね」
「そんなのぐ、偶然で」
「偶然ですませられないでしょ」
「こんな、こんなの、証拠にあら、証おあうあいあい」
片田は動揺しすぎて、日本語が変になっている。
「じゃあ、これはどうですか?」
また音声が流れる。
「ちち違う、オレは殺してない、ホント、オレじゃなくて、殺し屋がやったんだ」
「殺し屋? 誰が雇ったんだ」
「か、片田さんだっ。すべて、片田さんが考えた計画だったんだ。オレだって、あのときは殺さなくてもいいんじゃないかって言ったよ。そこまでしなくても、政治の世界から追放するだけでいいんじゃないかって言ったんだよ。でも、片田さんは怜人の一族に恨みがあるって言ってた。怜人の父親の秘書をやってたときに、別の秘書をかわいがっていて、片田さんは冷たくされたって……。その秘書はすぐに立候補して、本郷家がバックアップしたから当選できたって。でも、片田さんは支援してもらえなくて、自分の力でやるしかなかったって」
片田は唇が震えて、ヒューヒューと荒い息が漏れている。
「これは、あなたの秘書の声です。あなたが指示を出して、本郷怜人を殺させた。そうですね?」
片田は頭を振って否定するしかできなかった。
「私の腕の中で怜人は冷たくなっていった。首を吊っていて、降ろそうと思ってもできなくて……あの日のこと、忘れたことなんて、ない。怜人の、最期の顔も、あの体の重さも。どんなに呼びかけても、目を開けてくれなくてっ。最期に、最期にどれだけ苦しんだのか……。怜人は、正しいことをしようとしたのに、どれだけ無念だったか……! 私は、私は、あなたを絶対に許さないっ。怜人を殺した、あなたを許さない!」
美晴は声を震わせながらも、片田をまっすぐ見据えて、目を離さない。その頬に涙が伝う。
片田はようやく、「ひゃやく、早く、こいつを捕まえろ!」と美晴を指さす。
それを見て、車椅子に乗っていた女性は急に眼を見開き、耳をつんざくような悲鳴をあげた。
「助けて……私はしゃべらないから、お願い、助けて」
女性はぶるぶると震えて、車椅子を押していたスタッフにしがみつく。
「殺される……殺される」
「おいっ、下手な演技をやめさせろ!」
「この方に、どれだけ怖い思いをさせたんですか?」
「うるさい、うるさあい! 生かしてやっただけでも、ありがたく思え!」
片田は会場中に響く声で怒鳴った後で、我に返った。
「え……生かしてやっただけでもありがたく思えって、どういう意味ですか?」
司会者がすかさず突っ込む。
「いや、これは、言葉の綾で」
ようやく、三橋が警備員を連れて会場に駆け込んだ。
「あの女を逮捕しろ! 内乱罪の容疑者だ!」
警備員が美晴に殺到しようとしたとき、ドローンが次々と会場になだれこんだ。ドローンは警備員にめがけて飛んでくる。警備員たちは叫び声を上げながら逃げ惑った。
「おい、何をしてる!」
美晴が席を立ったのを見て、片田は逃すまいと駆け寄り、美晴の腕をつかむ。
「逃がすか!」
美晴は片田をきっと睨む。
「私のことも殺すつもりですか? 怜人のように」
そのとき、片田の背後から、誰かが首筋に息を吹きかけたような気がした。振り向いても、誰もいない。
ドローンが一機、片田に突っ込んでくる。
「なんだこれ、やめろ!」
振り払おうとしているうちに、美晴は姿を消してしまった。
ドローンの攻撃の的にされて、しゃがんで頭を抱えている三橋に向かって、片田は「おいっ、行くぞ!」と怒鳴る。三橋は這うようにして片田の後を追う。
「総理、逃げるんですか?」
「まだ討論会は終わってませんよ」
「これらの証拠は何なのか、説明してください!」
「うるさい、うるさい!」
車に乗り込むまで記者たちは追って来た。三橋たちスタッフが食い止めている間に、何とか車に乗り込む。
「おい、お前が情報を流したんじゃないよな?」
車が走り出すと、片田は助手席に座った三橋の肩を後ろからつかみ、強く揺さぶる。
「ぼぼ僕じゃありませんよっ。白石じゃないですか?」
「もう誰も信用できん! 全員集めて身体検査をさせろ! 出入りしている官僚も政治家も支援者も、全員を調べるんだ!」
「いや、さすがに支援者までは……あの会話をしていたときにいた人物だけで十分では?」
「お前もいたよな」
「だから、僕じゃありませんって」
「とにかく、出入りしているやつらと、部屋にも盗聴器を仕掛けられてないか、くまなく調べろ!」
「ハハハイ、ただちに!」
三橋は震える手で、スマホで連絡を取っている。
白石は片田の事務所で討論会の配信を観ていた。片田とのやりとりの録音を聞き、「これはマズい」と青ざめた。
――これ、オレが盗み撮りしてたんじゃないかって思われるよな、絶対。そんなことになったら、それこそ殺される。
他のスタッフが「これ、どういうことだ?」「何なの、これ」と動揺しているのをいいことに、こっそりと事務所を抜け出した。
――逃げなきゃ。逃げたらもっとマズいかもしれないけど、とにかく逃げよう。
車で横浜の自宅に戻り、靴を脱ぐのももどかしく、リビングのドアを開ける。
「おいっ、早くっ……」
そこで白石は固まった。片田のSPが二人、リビングにいたのだ。
「パパ―、お帰り!」
息子が白石に飛びつく。
「お前、学校じゃ?」
「今日は創立記念日で休みだよ」
「そうだった……」
「お帰りなさい。三橋さんから電話で聞いたわよ。ビックリしちゃった」
優梨愛がにこやかに話しかける。
「え、何が」
「総理が私たち家族を別荘に招待してくれるんでしょ! あなたがいつもいい働きをしてくれてるから、そのお礼にって。今、荷物をまとめてるから、ちょっと待っててね」
「え、いや、ちょっと」
「白石さん、総理から迎えに上がるように指示を受けてまいりました。ご家族も一緒に官邸までお送りします」
SPが立ちはだかり、冷ややかに言い放つ。屈強な身体のSPに勝てる気がしない。
――ダメだ。逃げられない。
白石はガックリと頭を垂れた。
白石は、SPに半ば引きずられるように執務室に連れて来られた。移動の途中で岳人たちに押しつけられたスマホを捨てようとしたが、とてもそんな隙はない。
執務室に入ると、盗聴器の発見装置がとたんにピーピーと鳴る。
「白石ぃ、お前がスパイか!」
片田は、これ以上は赤くなれないだろうというぐらいに、怒りで顔を真っ赤にしている。
「とんでも、とんでもない、僕は何もしてませんっ」
「でも、音が鳴ったじゃないか!」
「しっ知りません、ホントに何にもやってません!」
「白石を隅から隅まで調べろ!」
SPは白石を取り押さえて、ジャケットをはぎとった。あっという間に、胸ポケットに入れていたスマホが発信源であることが分かった。
「お前、こんな盗聴器をつけて、いつもオレと話してたのかっ。オレをはめたな?」
「違うっ、違いますっ、これはもらったもので」
「もらった? 誰に?」
白石は観念して、美晴たちに会ったことを話した。
「なんで今まで黙ってたんだよ!」
片田はスマホを白石に投げつける。胸に当たったスマホは、跳ね返ってカーペットに落ちた。それを片田は何度も踏みつけて、バキバキに壊してしまった。
白石は苦痛に顔をゆがめながら、「すっ、すみ、すみません。あいつらに協力してるって疑われるんじゃないかと思って」と弁解する。
「結果的に協力してるようなもんじゃないかっ」
「スマホに何か仕込んであるなんて、思ってなくて……」
「要は、白石さんが総理の近くにいるときは、会話がすべてダダ洩れだったってことですね」
三橋が大げさにため息をつく。
片田は白石のネクタイを引っ張る。片田の目はらんらんとしている。
「それだけじゃないよな。お前、影山美晴は、証拠は何も持ってないって言ってたじゃないか」
「し、調べたときは、本当にそうだったんです! ゴミ捨て場の家からは、何も出なくて……」
「じゃあ、あれは何なんだよ?」
「わか、分からないです。どこかに隠し持ってたとしか」
ネクタイを引っ張る力はますます強くなり、白石の顔は赤くなっていった。
「総理、総理、さすがにちょっと……」
三橋が止めに入った。片田が手を緩めると白石は崩れ落ち、激しく咳き込む。
「本郷家も探したんじゃないのか?」
「かっ、家政婦に、探させたん、ですが、何も、出て、来なくて」
「じゃあ、本人がUSB を身に着けてたってことか?」
「おそらく……」
片田は革張りのソファの背もたれを、悔しそうに何度も蹴る。
「お前はほんっと役立たずだな! お前のせいでオレは破滅しそうになってんだよ! どうしてくれるんだよ、この能なしっ」
「……」
白石はもう反論する気力が残っていない。
三橋は片田の半狂乱ぶりに動揺しながらも、「とにかく、弁護士に相談してみたほうがいいんじゃないですか?」と提案した。
「だったら、とっとと呼んで来いよっ!」
片田の剣幕に、「ハイッ」と三橋は飛んで行った。
執務室には片田と白石だけになった。片田は荒い息を整える。
「さて、お前をどうするかな」
「もう、もう一度、チャンスをください!」
白石は片田の足元にひれ伏す。
「チャンスをあげたところで、お前に何ができるんだ?」
「影山美晴の口封じを」
「はあ? 全部ばらされちゃった後で口封じして何の意味があるんだよ! それに、このタイミングでそんなことをしたら、それこそオレがやったって疑われるじゃないか! アホか、お前はっ」
「でででも、怜人の殺人の現場を誰かに目撃されたわけじゃないし、総理は命じただけなんだから、何とか言い逃れできるんじゃないですか? やらされただけだって。山野辺元総理に命じられたとか」
「山野辺はすぐに記者会見を開いて、『自分は何も知らなかった』って言っちゃってるんだよ。あいつ、逃げ足はバツグンに速いからなっ」
「そうなんですか……」
片田は「くそっ」「なんで、オレばっかり」と吐き捨てながら、執務室をグルグルと歩き回る。
やがて、立ち上がれないでいる白石の前でピタリと立ち止まる。片田はしゃがんで、白石の顔を覗き込んだ。その空虚な目。白石はゾクッとした。
「お前さあ、オレにはずいぶんお世話になったよな?」
「ハ、ハイ、まあ」
「高級住宅地に住んで、高級車に乗って、あんな美人な奥さんをもらえて。グラビアモデルの愛人もいるって聞いたよ? そっちにもマンションを買ってあげてるんでしょ? 息子を私立の学校に入れてあげたし、脱税も交通事故ももみ消してあげたし。それは全部、オレのお陰だってこと、忘れてないよね?」
「もももちろんです」
「それじゃ、そろそろオレに恩返しをしてもいいんじゃないかな」
「どういうことですか?」
「自首してよ」
「ハイ?」
「本郷怜人を殺したのは自分だって、自首してよ」
白石は絶句した。
「な? お前が自首すれば、すべてが丸く納まるんだよ。お前はそれぐらいしか役に立てないんだからさ、自首してよ」
「いやいやいやいや、オレ、怜人を殺してないし、片田さんの命令だって言っちゃったし」
「でも、あの時、現場にいたのはお前でしょ? あの時の留置所の防犯カメラの映像、残ってるよ?」
「は?」
「何かあった時のために、取ってあったんだよ。すっかり忘れてた。あれを公表すればいいんだ」
「ちょちょちょちょちょっと、待ってくださいよ。片田さんから怜人を殺せって言われたから、オレ、従っただけですよ? オレが絞め殺したわけじゃないし」
「でも、確かベルトを犯人に渡してたよね? 立派な共犯じゃないか。そうだ。オレはあの場にはいなかったんだから、オレは無関係だな」
「じゃあ、じゃあ、じゃあ、あいつを、怜人を絞め殺したあいつを、差し出せばいいじゃないですか! そうですよ、そうすれば、それこそ丸くおさ」
「納まらないよ。あいつは、とっくにこの世にはいないんだから。あんなやつを生かしておくわけないだろ?」
「そん、そんな」
「決まった。それが一番の方法だな。怜人をねたんで殺した。これで充分だ。影山美晴のことを好きだったんだろ? それで嫉妬したんだな、お前は。それをオレのせいにするなんて、図々しいヤツだな、お前は」
「いやいやいや」
「まあ、死刑にはならないようにしてあげるよ。何年かお勤めを果たしたら、出て来られるようにしてあげるから。刑務所に入ってる間は家族の面倒も見てあげるし、出てきた後の生活の保障もしてあげるよ」
――何を。何を言ってるんだ、この人は。
白石はカチカチと音がすることに気づいた。それは、恐怖で震えるあまり、自分の歯が鳴っていたのだった。
今、別室に優梨愛と息子がいる。白石に何の疑いも持ってない二人が。
もし、白石が片田の申し出を拒めば、二人はどうなるのか……。
白石はカーペットに、「勘弁してください!」と突っ伏した。
片田は鼻で「フン」と笑うと、立ち上がった。
「じゃあ、最後にもう一つ、仕事をしてもらうか」
「仕事って……?」
白石はゆっくりと顔を上げた。
「影山レイナを殺せ。娘を殺されたら、あいつは苦しむだろ? あの子は本郷怜人の娘なんだろ? 本郷怜人と影山美晴、あいつら二人がオレを苦しめて来たんだ。総理の座から引きずりおろされるなら、せめて道連れにしてやる。あいつらがもっとも苦しむことをしてやる」
片田はゆがんだ笑みを浮かべる。
白石は絶望的な気分になり、めまいがした。
とっさに、「おね、おね、がい、ですっ……それ、それだけはっ」と片田の足首をつかんで懇願すると、無情にも振り払われた。
「オレ、子供に手をかけたくないですよおっ」
片田は「ハハハ」とわざとらしく笑った。
「なんだ、お前にも人間らしい感情はあるんだな」
「それに、それにっ、レイナは今、アメリカだし」
「どうせ、明日のライブには戻って来るんだから。どさくさに紛れてやるぐらい、どってことないでしょ」
「どってことありまくりですよ!」
「ライブをされたら厄介だから、その前に処理しといてよ。飛行場とかさ。それで影山美晴がショックを受けたら、選挙どころじゃなくなるしな。国民もおとなしくなる。そうだな、それがいい。真実の党なんて、どうせ影山美晴がいなくなったら、ガタガタになるだろうし。そうすりゃ、民自党に勝ち目はあるな」
片田は満足げに、「うん、いい策だ」とうなずき、「じゃ、サッサと行ってよ」と白石を手で追い払った。
「え?」
「だから、レイナを殺すための準備とかあるだろ? もうここには来なくていいよ。自分で考えてやって」
「え、え、レイナを殺したら、自首しなくていいってことですか?」
片田は何も答えずに、デスクに座った。
――ダメだ。オレはきっと、殺される。すべてをなすりつけられて、それこそ口封じのために消される。もう、何をしても、オレには地獄しか残されてないってことか……。
白石はうつろな目で壊れたスマホを見つめていた。
「ハイ。レイナは本番までに日本に戻ってくる気でいます。だから、ライブを中止するつもりはありません」
裕はライブ会場の支配人と電話で話していた。
「バックバンドのメンバーとも、リモートでリハーサルをしています。もちろん、生で合わせてるわけではないから、準備が完璧とは言えないんですけど。でも、ずっとツアーで一緒に回っていたメンバーなので、たとえぶっつけ本番になっても、何とかなるんじゃないかって思ってます。心配させてしまって、申し訳ないです」
「それじゃ、ライブは予定通り行うってことで、こちらも作業を進めますから。明日は朝から会場を開けといて、リハはいつでもできるようにしておきます」
裕は支配人に何度もお礼を述べた。
「ライブは17時からよね。間に合うかしら」
笑里は裕の隣に座って、やりとりを聞いていた。
「そう祈るしかないな。ゴミ捨て場からの送迎は、森口さんやジンさんたちがやってくれるし。後、こちらでできることと言えば、何だろう」
「そうねえ。ステージ衣装もそろってるし」
そのとき、玄関から森口が「すみませーん」と呼ぶ声がした。二人で行くと、森口が困惑したような顔をしている。
「どうも、アミちゃんに何かあったみたいで……アミちゃんの友達が知らせに来てくれたんですが、ちょっとよく分からなくて」
森口の隣には、アミの友達が泣きそうな顔で立っている。一生懸命、話してくれるが、半分ぐらい聞き取れない。
「かりんちゃんだったね。お母さんなら、何が起きたのか分かるかな」
かりんはうなずくと、家を飛び出した。
「どうやら事故に遭ったというわけではなさそうだな」
「ええ。いない、いない、と何度も言ってるので、遊びに行って、途中ではぐれたのかもしれませんね」
ややあって、かりんは母親を連れて戻って来た。
「かりんから聞きました。アミちゃんと遊んだ帰り道に、アミちゃんのお父さんに声をかけられたそうなんです」
「団地に住んでいたヒロさんですか? 今は、ここにはいないはずですが」
「今日は近くに来てたようなんです。それで、一緒に来るように言われて、アミちゃんは喜んでついていったそうです。でも、団地に住んでたときは、いつもお父さんはアミちゃんに会っても無視してたから、かりんが不審に思って後をつけたら、黒塗りの車に乗り込んだって」
裕と笑里は息を呑んだ。
「かなり立派な車だったそうです。それで、何かおかしいことが起きたんじゃないかって、かりんは心配してるんです」
「そうですか……車に乗っていたのはアミの父親だけでしたか?」
かりんは首を大きく振ると、母親に手話で何かを伝える。
「二人とも後部座席に乗ったら、車は走り出したので、運転手がいたんじゃないかって」
「そうでしたか。分かりました。わざわざ知らせてくれて、ありがとうございます。アミは僕らに何も言わずにどこかに行くことはないので、何かに巻き込まれたのかもしれません」
「警察に知らせたほうがいいかもしれませんね」
「ええ。心配していただいて、感謝します。後はこちらで探してみますので、何か分かったらご連絡しますね」
かりんと母親が帰ってから、「とにかく、ジンさんに知らせよう」と裕は森口に車を出すように頼んだ。
「おい、ヒロはいるか?」
そこはホームレス向けの宿泊所だった。団地を壊された後、ゴミ捨て場の住人の多くはそこで寝泊まりしていた。
裕から話を聞いて、ジンとマサじいさんは宿泊所に裕を案内したのだ。
「さあ。そういや、今日は姿を見てないな」
「あいつ、働いてたっけ?」
「いや、毎日ここでゴロゴロしてたよ」
「誰かがヒロに会いに来たってことはないか?」
ジンの問いかけに、みな首をかしげる。
「どうかな」
「借金取りとか?」
「ヒロは、男の人に連れてかれたわよ」
相変わらずガウンを着てウロウロしているルミが、タバコの煙をけだるそうに吐く。
「男? どんなやつだ」
「誰かは分かんないけど。背は結構高かったわね。高そうなスーツ着て、高級車に乗って、いかにも金持ちって感じの人。そういえば、足をひきずってた」
裕は「片田の秘書か」とつぶやいた。
「片田? 総理か?」
マサじいさんが眉根にしわを寄せる。
「もしかして、明日が投票日だからか? 美晴さんが立候補してるんだろう?」
「ええ。今、真実の党はものすごい勢いで注目されてますから。でも、アミをさらって何をするつもりなのか……。レイナに何て言えば……」
裕は頭を抱える。
「レイナには言わないほうがいいだろ。向こうも、日本に戻れなくて困ってるんだから。これ以上、余計な心配をさせる必要はない」
ジンがキッパリと言う。
「とにかく、オレらで探そう。官邸とか、その秘書の自宅とか、調べられるだけ調べるしかないな」
「分かりました。そうしましょう」
裕は力なくうなずく。
「しかしまあ、次から次へと。よっぽど、美晴さんが怖いんだろうなあ」
マサじいさんは暢気な口調でいう。
「結局、人として間違ったことをしてるやつは、いつも何かにおびえてるもんだ。正しい者に正されるのが、怖いんだろうな。それは自分の全否定になるからなあ。ずっと自分を誤魔化して、自分に言い訳しながら生きている。そんなヤツは、正しく生きている人を憎むものなんだ。自分にないものを持っている人をうらやむものなんだ。だから、自分のいる場所に引っ張り込もうとする。そうすれば安心できるからな」
「また、分かったような、分からんようなことを」
ジンは呆れ気味だ。
「片田がどんなヤツだろうと関係ねえよ。アミを傷つけるようなことをしたら、許さない。それだけだ」
片田は執務室で書類の山に目を通していた。
その日はさすがに残りの応援演説はすべてキャンセルして、官邸にこもることにしたのだ。
しかし、書類の内容は一向に頭に入ってこない。デスクの電話やスマホがひっきりなしに鳴っているが、出る気になれずにずっと無視している。
ノックの音がして、すっかり疲れ果てた様子の三橋が部屋に入って来た。
「総理……アメリカの大統領から、来週の訪日はとりやめたいと連絡がありまして」
「え? ずいぶん急だね。理由は?」
「……総理に会う気がなくなったという理由です」
「はあ? ずいぶん失礼だな。この間も、大量に戦闘機を買ってあげたばかりなのに」
「後、フランスの大統領から、来月の会談は延期したいと申し出が」
「理由は?」
「殺人者と会うつもりはないと……」
「あ~、うるさいうるさいうるさい!」
片田はテーブルを強く叩く。三橋はビクッとした。
「それぐらい、適当に対処できるだろうが!」
「ハ、ハイ、すみません。それで、官房長官と幹事長が、総理にお会いしたいと、ずっと待っていらして」
「どうせ、今すぐ辞任しろって言うんだろ? 明日の選挙で大敗するぞって」
「さ、さあ、ど、どうなんでしょう」
「どうせみんな、自分のことしか考えてないんだから」
片田は書類を投げ出した。
「どうしますか? 具合が悪くて面会できないとお伝えしますか?」
「そうしてくれる?」
「ハイ」
三橋が部屋を出ようとすると、「それと、全国に通達を出しておいてよ」と呼び止めた。
「ハイ?」
「明日の投票は中止だって、全国の自治体に通達を出しておいて」
三橋は目をパチクリさせた。
「い、いくらなんでも、それはどうなんでしょう」
「投票がなければ、大敗することはないんだから。これは民自党のための決断だって、官房長官と幹事長に伝えといて」
「……」
三橋はもう何も言うことはできず、黙って部屋を出た。
――ヤバイヤバイ、ヤバいぞ。総理、完全に壊れてるじゃないか!
片田に長く仕えて来たスタッフも、片田の父親の手術のことや、本郷怜人の一件は知らなかった。側近で知っているのは白石だけかもしれない。
政治はそもそもキレイごとではない。それは分かっていても、殺人に手を染めているとは思わなかった。
三橋は、急に片田という人物が恐ろしくなった。自分も、何らかの理由で追い込まれるかもしれない。そうなる前に逃げたほうがいいのではないか――。
そんな迷いが生まれていた。足が鉛のように重い。
深夜の歌舞伎町。
一人の酔っ払いがキャバクラから放り出された。
「なんだよっ、金ならあるんだぞ!?」
男は路上に座り込んで、ボーイに向かって抗議する。
「なら、売春婦でも買って遊べよ。その辺で客引きしてるんだからさ。うちの店の女の子たちに触りまくるんじゃないよ。二度とここには来るな!」
ボーイは荒々しくドアを閉めた。
「なんだよっ」
男はブツブツ文句を言いながら、立ち上がる。お酒の飲みすぎで、まっすぐに立てない。
右にフラフラ、左にフラフラしながら歩いていると、「やっぱりここか」と誰かが前に立ちはだかった。見上げると、ジンが仁王立ちしていた。
「なんだ、ジンか」
「なんだじゃねえよ。お前、アミを売ったな?」
「なんのことか、さーっぱり」
「誤魔化すんじゃねえよ。こんな高級キャバクラで遊ぶだけのお金を、お前が持ってるはずないだろ? 誰かに大金をもらったんだろ?」
ヒロは何も答えずに、右に左に揺れている。
「おい、アミはどこに行った?」
「知らねえ、よ。アミ、なんて」
「おいっ、お前の娘だろうが!」
ジンはヒロの胸倉をつかんだ。
「なんで売ったんだ? あいつらに何されるか分かんねえんだぞ?」
「知らない、なんのことだか」
「なんでお前、たった一人の家族に対して、そこまで非情になれるんだよ。アミは、お前みたいな父親でも慕ってんのに。お前だって、分かってるだろ?」
「知らねえよっ、んなことっ。離せ、離せよっ」
ジンが手を離すと、ヒロはへたりこんだ。
「オレ、オレなんかのそばにいないほうがいいんだよっ」
「……おい、何て言われたんだ?」
ジンはしゃがんで、ヒロの顔を睨みつける。
「アミを売ったヤツに、何て言われたんだ?」
「アミを引き取りたい夫婦がいるって。子供がいない金持ちの夫婦で、小さな娘を欲しがってるんだって。アミはしゃべれないって言ったら、しゃべれるようになる手術をさせるんだってさ」
「お前……」
ジンはガックリと頭を垂れる。
「それは大ウソだぞ……ウソだって分かってたんじゃねえか?」
「分かんねえよ、なあんにも。何でもいいよ、あいつがちゃんとしたとこに引き取られるんならさ」
「西園寺の夫婦が面倒見てくれてるじゃねえか!」
「どうせ、一生じゃないだろ? レイナだっていつかあの家から出てくだろ? そしたら、アミも用なしだ」
「用なしとか、そんなレベルでアミやレイナのことを考えてねえよ、あの夫婦は!」
ヒロはフンと鼻で笑った。
「どうだか。金持ちの考えてることなんて、オレには分かんねえよ」
「いいか、アミを買いたいって言ってきたヤツは、足を引きずってたか?」
「まあ、そうかな」
「そいつは片田の秘書だ。総理大臣のな。片田はレイナの父親を殺したらしい。美晴さんの夫をな。美晴さんは、片田と闘ってるんだよ、今。だから、美晴さんのまわりにいるレイナやアミにまで危害が及んでるんだ。美晴さんを止めるために、アミに何をするか分からんぞ? 殺されるかもしれない」
だが、ヒロはジンの言葉を聞いても、何の感情の変化も見せない。ポツリと「喉、乾いた」とつぶやいた。
「お前っ……」
ジンは胸倉をつかんだが、殴るのはかろうじて堪えた。
「じゃあ、アミがどこに連れてかれたか、知ってるか?」
ヒロはゆっくりと横に首を振る。
「もういいっ」
ジンは舌打ちして立ち去ろうとした。
「あいつに言ってくれ」
ヒロはつぶやくように言う。
「アミに、オレを忘れろって。二度と戻ってくんなって言ってくれ。オレはもう死んだんだ。とっくの昔に死んでるんだ」
ヒロの背中は小刻みに震えている。
ジンはしばらくヒロを見つめていたが、それ以上、何も言わずに立ち去った。
「ママは闘ってる……」
レイナは、討論会の動画をタブレットで見ていた。
美晴と片田の話は半分ぐらいしか分からないが、どうやら自分の父親の死にも片田は関わっているらしいことは理解した。
――会ったことのないパパ。ママは、パパのことをまだ愛してるって言ってた。ママの目の前でパパは死んだんだ……。
脳裏にタクマが亡くなったときの光景がよみがえる。
レイナは髪のバレッタに触る。
――お兄ちゃん。私は今日、お兄ちゃんと同じ歳になるよ。お兄ちゃんが死んだときと同じ歳。一緒にゴミ捨て場を抜け出そうって言ってた歳になったよ。
「レイナ、そろそろ日本に降りる準備をしろって」
トムが伝えに来た。
「うん。行こう」
レイナは立ち上がる。
――こんな世の中じゃなければ、お兄ちゃんもパパも死ななくてすんだんだ。そうでしょ? ママ。私もこれから、闘いに行くからね。
今日は12月14日。レイナの15歳の誕生日だ。
日本は朝から気持ちいいぐらいの青空が広がっていた。
「ちょっと待って」
羽田空港で、外国人男性が職員に呼び止められた。
「その荷物は?」
「楽器ですよ」
「開けてみせて」
職員は機材の運搬用のボックスを指す。人一人が入れるような大きさだ。
男は、仲間と顔を見合わせる。
「開けられません。僕らは運んでるだけなんで」
男が難色を示すと、職員の顔色が変わる。
「おいっ、こっちこっち!」
仲間を呼び寄せて、「この荷物、怪しくないか?」とボックスを指す。
「まさか、中に?」
「早く開けて! 中を見せて!」
「ちょっと、乱暴に扱わないでくれ!」
押し問答が続き、職員は強引にボックスを開けてしまった。
中から、音響用の機材が出て来た。男たちは「NO~!」とおおげさに騒いでみせる。
「これで満足かい? この機材は最新式なんだよ。手荒く扱ってたけど、もし壊れたら、あんたたちが弁償してくれるんだろうね?」
男が不満をぶつけると、職員たちは決まり悪そうに顔をそらす。
男たちが去ると、
「なんだ、アメリカからのVIPで、ミュージシャンって言うから、てっきり……」
「なあ。スティーブの関係者かと思ったよなあ」
「レイナが入ってると思ったのに」
「そんな分かりやすいことは、さすがにしないんじゃないか。ビジネスマンを装って入国するとか」
と、職員は集まってボソボソと話す。
男らは到着ロビーに出ると、ニヤリと笑って親指を立てた。
本牧埠頭に一隻のクルーズ船が停泊していた。豪華な客船で、アメリカの富豪がチャーターしたものだ。
いかにもセレブらしい華やかなファッションに身を包んだ乗客が、スーツケースを持って次々と降りて来る。
「横浜で1泊のご予定ですね」
税関の職員は一人一人のパスポートを確認しながら、入国者の顔を見る。
「あ、あなたは、もしかして」
金髪で青い眼をした女性がパスポートを差し出して、ニッコリとほほ笑む。
「歌手のアリソン・ルイスですよね?」
「ええ。今回はお忍びで来たの。私が日本に来てることは内緒にしておいてね。ファンに騒がれると困るから」
「もちろんですっ」
「今回はいとこの子も一緒なの。フェイ、挨拶して」
「HAI!」
フェイと呼ばれた少女は、長い黒髪で赤い縁の眼鏡をかけている。
「この子、かわいいでしょ? 目元が似てるってよく言われるの」
アリソンはフェイの肩を抱き寄せる。
「いとこの方は、日系で……?」
「いいえ、いとこの旦那さんがアジア人なの」
「なるほど、そうですか」
職員はパスポートをざっと見て、二人のスーツケースを調べる。
「問題ありませんね。日本を楽しんでください」
「ありがとう」
フェイと手をつないで税関を去ろうとしたアリソンを、「あの!」と職員が呼び止める。アリソンは警戒しながら振り向く。
「僕、あなたの大ファンで……サインしていただけませんか?」
「いいわよ、喜んで」
職員とアリソンが盛り上がっているのを横目に、フェイは「あっちで待ってるね」とさっさと税関を抜ける。
建物の前には白いワゴン車が待っていた。運転手がフェイに目配せをする。フェイは後部座席に乗り込んだ。既に後部座席には男性と男児が乗っている。
「車を出してくれ」
その男性――スティーブが命じる。
「ふうっ、ドキドキしたあ。バレたらどうしようって思った!」
フェイはかつらと眼鏡をはずした――レイナが変装していたのだ。フェイとそっくりになるように特殊メイクもしていたが、気が付かれたらどうしようと気が気ではなかった。
「職員がアリソンのファンでよかったな。ほとんど上の空で、アリソンばっか見てたからな」
スティーブはニヤニヤしている。
「オレとスティーブは、名前を変えただけでも全然疑われなかったよ。オレって、日本じゃ全然知られてないんだな」
トムが残念そうに言う。
「まあ、日本人には外国人の区別はつかないしな。オレらがアジア人はみんな同じに見えるように」
「アリソンって、すっごく優しくて、素敵な人!」
「ああ。アリソンはレイナのファンで、今回の話を持ちかけたら、喜んで協力してくれたからよかったよ。自分のライブに出てくれるならって条件つきだけど」
「アリソン、いい匂いしてたな……」
「トムはずっとアリソンのそばでデレデレしてたよね」
「こいつ、後10年待っててほしいって、アリソンにプロポーズしてたんだぞ?」
「マジ⁉」
無事に日本に上陸できたので、3人のテンションは一気に上がっていた。
「このメイク、落としてもいい?」
「何が起きるか分からないから、お台場に着くまでは、そのままでいたほうがいいな」
「その顔のまんま先生たちに会ったら、驚くんじゃないの?」
「それも面白いかも!」
3人は弾けるように笑う。
ワゴン車は東京に向かって快調に飛ばす。
各地の投票所の前には、開場時間の前から行列ができていた。
みな、高揚した様子でおしゃべりに興じている。
「昨日の動画、すごかったよな。片田がさ、とんでもない犯罪をやってきたってことだろ?」
「そうそう。本郷怜人も殺したって。本郷怜人って、国会議事堂を占拠しようとして失敗して、その日のうちに自殺したってことになってたよな。誰かを殺したって話じゃなかったっけ?」
「看護師だろ? 別れ話がもつれたとか言われてたよな」
「それが全部、ウソだったってこと?」
「だとしたら、怖えよな。国のトップが人殺しなんてさ。ロシアか中国の話みたい」
男たちが盛り上がっている横で、女性陣も興奮気味に話している。
「影山美晴の子供がレイナなんでしょ? ってことは、レイナの父親って、本郷怜人だよね」
「だとしたら、ハリウッド映画みたい! すっごいドラマチックじゃない?」
「影山美晴の昔の動画観たけど、美人だよねえ」
「今もキレイでしょ」
「本郷怜人もカッコよかった~。殺されたなんてもったいない!」
そのとき、スーツ姿の役人らしき人物がぞろぞろと建物から出て来た。
「え~、投票所にお集まりの皆様、本日はご足労いただき、ありがとうございます。え~、実は、昨晩、国から通達がありまして、え~、その~」
一番年配の男性が、誰とも目を合わさないまま、ボソボソと話す。
「え~、結論から言いますと、本日の投票は中止となります」
行列に並んでいた人たちはみな、「?」という顔になる。
「え~、本日の投票は中止となります。別の日に振り替えになるのかどうかは、今のところは分かりません。せっかく足を運んでいただいたのに、申し訳ありません」
役人はいっせいに頭を下げる。
「え、何、どういうこと?」
「投票が中止? そんなのあり得んでしょ」
「誰が決めたの、そんなこと」
「え~、国から言われたんですが、私たちも状況がよく分からなくて……」
「なんだよ、片田が投票させないようにしてるのかよ。選挙で負けるから」
誰かが言った一言が的を射ていたらしく、役人は黙り込んでしまう。
「ふざけんなよ、そんなの冗談じゃねえぞ?」
「総理が片田のままだったら困るでしょうがっ」
「国民の権利を奪う気かよっ」
「真実の党に入れさせてよ!」
みんながワッと詰め寄り、役人たちはタジタジとなる。
「簡単には屈さないと思ったけど……まさか、投票を中止するとは」
岳人は苦笑する。
ここは首相官邸のすぐ近くにある高級マンションだ。1年前から岳人はここを拠点にして、片田たちの行動を見張っていた。
「それで、どうする?」
「抗議するしかないでしょうね、官邸前で」
美晴はまったく動じていない。
「あれ以来、デモは行われてないんでしょ? 15年ぶりのデモってことになるのかしらね」
岳人は、「やつらは君を逮捕しようって手ぐすねを引いて待ってるんじゃないの?」と、心配そうに言う。
「美晴さんがつかまらないよう、僕が全力で守ります」
リモートでやりとりしていた陸が、力強く言い切る。
「僕も母さんも、最初からそのつもりで、覚悟はできてます」
「いいねえ。若者は勢いがあって」
「昔は、はにかみ屋で、私と話すときは顔を真っ赤にしてたのにねえ」
岳人と美晴が軽く茶化すと、陸は「そういうの、やめてくださいよ」と照れた。
「陸は美晴さんが初恋の人だったのよね」
「母さんっ、余計なこと言わないで!」
千鶴が横から顔をのぞかせると、陸は慌てて押し戻す。
「おーい、私も行くよお」
ゆずも手を挙げる。
5台のパソコンの大画面には真実の党の候補者全員の顔が映し出されている。
候補者は次々と、「私も行きます!」「僕は北海道だから、行くのが遅れるけど」と、参加を表明する。
「ありがとう。それじゃ、最後の闘いに行きますか」
「うおー!」「よーし!」「行こう行こう!」
みんな思い思いに叫ぶ。
「岳人さんはここで全体を見ていてください。危なくなったら、またドローンで助けてくださいね」
「了解」
裕と笑里は眠れない夜を過ごした。
思いつく限りの場所を探したが、アミは見つからない。ジンも一緒に探してくれていたが、ゴミ捨て場の住人を茨城まで迎えに行くために、朝方、東京を出た。
「やっぱり警察に届けたほうがいいんじゃないかしら」
「警察も何もしてくれないだろう。片田が手を回してるだろうし」
「それじゃ、どうすればいいの?」
裕と笑里が憔悴しきっていると、玄関のベルが鳴った。二人は思わず顔を見合わせる。
「もしかして」
「アミが帰って来た?」
小走りで玄関に向かい、ドアを開けると、門のところに外国人の女性が立っている。二人はあからさまにガッカリしてしまった。
「ハイ、なんでしょう」
裕が門まで出ると、「ハーイ、あなたはユタカ、サイオンジ?」とカタコトの日本語で話しかけられた。女性はサングラスを取る。
「あっ、あなたは……アリソン・ルイス?」
「そうよ。スティーブから伝言を頼まれたの」
アリソンはニッコリ笑う。
「レイナとトムは、私と一緒にクルーズ船に乗って、無事に横浜に着いたから。レイナは予定通り、ライブに出るって伝えてくれって」
「そうですか……」
裕は心から安堵のため息をついた。
「笑里、来てくれ!」
手招きすると笑里も門のところに出て来て、「あらっ、歌手のアリソン?」と驚く。
裕が簡単に説明すると、「あなたがレイナを助けてくれたんですか。感謝の言葉もありません」と、握手した。
「いいの。悪者の目を欺くなんて、面白いもの。私も楽しませてもらったわ」
アリソンは茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべる。
「電話やメールだとあいつらに気づかれるから、私が直接メッセージを伝えに来たの」
「そこまで考えてくれて、本当に、本当にありがとう」
裕は深々と頭を下げる。
「いいの。今度、レイナには私のライブに出てもらうから。今夜のライブ、私も観に行くわね。楽しみにしてるから!」
アリソンは手を振りながら、黒塗りの車に軽やかに乗り込むと、去って行った。
「これは、いいニュースだな」
「そうね。レイナちゃんにやっと会える」
笑里はもう涙ぐんでいる。
「とにかく、私たちは会場に行こう。芳野さんにここでアミを待っててもらえるよう、頼んでみる」
裕の表情も明るくなっていた。
レイナたちを乗せた車は渋滞にハマっていた。
「高速道路を使うと監視カメラに引っかかるって思って、一般道を選んだんですけど」
運転手は申し訳なさそうに言う。アリソンが日本の知人を介して、信頼できる運転手を手配してくれたのだ。
「どれぐらいかかるんだ?」
「普通だったら1時間半ぐらいで着くんですけど……2時間は超えるかもしれません」
「まあ、どんなに遅くても午後には着くだろう。少しでもリハをできれば、それでいい」
スティーブは呑気に言う。
レイナはタブレットでニュースを見ている。
「あれ、ニュースにママが出てるっ」
「え、どこ?」
トムが覗き込む。レイナはタブレットの音声を大きくした。
「こちら官邸前です。真実の党の党首の影山美晴さん、そして候補者が集まり、官邸に抗議の声を上げています」
男性レポーターが神妙な面持ちで解説している。カメラがその背後に向けられた。
「投票中止、反対!」「投票所、開けろ!」
集まった人たちは官邸に向かって叫んでいる。その最前列にいるのは美晴だった。
「失礼します、影山美晴さんですね」
レポーターは群衆に割って入り、美晴にマイクを向けた。
「ハイ、そうです」
「少しお話を伺えませんか」
「いいですよ」
美晴はカメラに向き合う。
「これ、これ、今、ママがここにいるってことだよね?」
スティーブに見せると、「ああ、そうみたいだね。レイナのママは闘ってるんだ」と肩をやさしく叩いた。
――ママ。ママ。もうすぐ会える!
「昨日の討論会が話題になっていますが、今日、官邸前で抗議活動をされているのは、どうしてなんですか」
「投票が中止になったからです。今、全国の投票所が閉鎖されて、投票するために集まった有権者を中に入れない事態が起きています」
「どうしてそんなことが起きてるんでしょう」
「それは民自党が惨敗するのを避けるためでしょうね。政権交代されると困るからでしょう」
「それで、ここに集まっている皆さんは、真実の党に入れてもらうために投票所を開けさせようとしてるんですか」
「違います。政権交代するしない以前に、投票をさせないというのは民主主義に反しますよね。私たち国民には投票をする権利がある。それを権力者が、自分たちに都合がいいときは投票させて、都合が悪いときには投票させないなんてことは許されません。総理に、まっとうなことをしなさいって言ってるだけです」
「はあ……それじゃ、投票所が開いたとして、民自党に入れる人が大勢いたとしたら?」
「どこの政党の誰に入れるかは、一人ひとりが考える問題です。それは私たちが口出しすべきことではありません」
「そうですか。片田総理大臣もテレビの中継を見ているかもしれないので、何か言いたいことはありますか」
「国民のために投票所を開けてほしい。ただそれだけです」
美晴がデモに戻ろうとすると、なおもレポーターはマイクを向ける。
「片田総理は、昨日の討論会では、かなりの悪事を働いていたんじゃないかと思われますが、それが世の中に知れ渡って、今、どんなお気持ちですか」
「それより、あなたのところはちゃんと報じたんですか?」
そばでやりとりを聴いていた陸が、会話に割って入る。
「あなたたちメディアはずっと片田の言いなりになって、民自党に都合のいいことしか報道してこなかったじゃないですか。昨日、なんで海外の特派員協会であんなことをしたんだと思いますか? あなたたちは政権にベッタリで信用できないからですよ。だから海外のメディアに情報を提供するしかなかった」
レポーターは「それは……」と言葉に詰まる。
「あなたたちは国民の味方じゃない。権力者の味方でしょ? いや、手先って言うのかな。権力者の手先。民自党の広報担当。権力者の操り人形になってる自分を恥ずかしく思わないんですか? 全力で闘ってるオレらを見て、どう思うんですか?」
「陸君、それぐらいで」
ヒートアップした陸を、美晴はやんわりと止める。
レポーターは震える声で、「えー、官邸前からでした……」と何とか締めくくった。
「あれっ、何かやってる」
運転手がつぶやいた。
多摩川を渡る六郷橋手前の409号線の交差点で、大勢の警官が誘導棒を振り回して何かを叫んでいる。
警官の一人がこちらに走って来て、「ただいま六郷橋は封鎖されてます。渡れないので、右か左に曲がってください!」と大声で呼びかける。
「えっ、何だ、それ?」
運転手が窓を開けて、警官を「すみません」と呼び止める。
「あの、どういうことですか? 六郷橋を渡れないって」
「封鎖されて、東京には入れないようになってるんです」
「それじゃ、他の橋に行けってことですか?」
「他の橋からも入れませんよ。東京につながる道路はすべて封鎖されて、都内に入れないんです」
運転手は訳が分からないという表情で、「え、え、入れないって……じゃあ、どうやって都内に入ればいいんですか?」と聞く。
「だから、東京には入れないんです」
「埼玉まで出るとか?」
「それもダメです。神奈川だけじゃなく、埼玉も千葉も、東京につながる橋や道路はすべて封鎖されたんです」
「え、え、え、なんで? なんでそんなことに?」
「僕らも分からないんですよ。警察庁から、とにかく封鎖して車を一台も通すなって言われて、僕らもパニック状態で……あー、ちょっとちょっと、そこの車、直進できないってば!」
警官は車を追いかけて走って行く。
「いったい、何が起きてるんだ?」
状況が分かってないスティーブに、運転手は英語で説明する。
「それが原因じゃないの?」
トムがレイナのタブレットを指す。
「どういうこと?」
「だって、美晴さんがカンテイってところで、総理をディスってるんでしょ? そこに人が集まらないようにしてるんじゃないの?」
「賢いな、トム。多分その通りだ」
スティーブは感心する。
「じゃあ、どうすればいいの?」
レイナはたちまち不安になる。
「車じゃ入れないのなら、電車で行くしかないんじゃないですかね」
運転手はカーナビで調べて、「すぐ近くに川崎駅があるから、そこに行きましょう」とハンドルを切った。
川崎駅周辺は既に多くの車が詰めかけて、渋滞が起きていた。大勢の人が駅に向かって走っている。
「ダメだ、電車が止まってる!」
レイナたちが車を降りると、叫びながら走り抜けていった人がいる。
「え? 電車も止まってる?」
運転手が駅から来た人をつかまえて話を聞く。
「電車も東京方面は封鎖されて、折り返し運転しかしていないそうです」
運転手は弱りきった声を上げた。
「それじゃ、どうやって東京に入ればいいんだ?」
「他の電車は通じてるのか……」
運転手はスマホで調べる。
「ダメです。どこの路線も、東京には入れないようです」
「なんてこった。じゃあ、どうやって東京に入ればいいんだ?」
「徒歩ですかね? 東京に入れば、車も電車も動いてるだろうし。えーと、歩いて渡れる橋は……」
「歩いても渡れないみたいですよ」
通りすがりの中年男性が教えてくれた。
「今、うちの息子から連絡があって、歩いて渡ろうとしたら警官に止められたって言ってました。まったく、仕事があるのに、どうしてくれるんだか」
ため息をつきながら去って行く。
「……じゃあ、どうすればいいの?」
4人は途方に暮れるしかなかった。