ゴミ捨て場のレイナ

「せ、先生! この動画、ご存じですか?」
 その日、森口は玄関から大声で裕を呼んだ。
 裕が二階から降りてくると、「この動画、今、ネットで話題になってるから見てみたんです」とスマホを見せてくれた。
 それは、美晴の演説動画だった。
「これは……美晴さんじゃないか!」
 裕は驚いて、食い入るように動画を見る。
「そうなんです。私も、ゴミ捨て場にレイナさんを送迎した時に会った方だって気づきまして」
「政治家に立候補するとは、ビックリだな。レイナに知らせないと」
「それで、私、気づきました。この美晴さんは、15年前、本郷怜人と一緒に政治活動をしていた、革命のアイドルって呼ばれていた方です」
「えっ⁉」

「ゴミ捨て場で見かけた時も、どこかで会ったことがあるような気がしてたんですが……影山美晴さんは、本郷怜人と一緒に演説をして回って、国会議事堂を占拠するときも一緒に先導していたそうです。議事堂の騒動の後、姿を消してしまって、一部の仲間からは本郷怜人を置いて逃げたって言われてたんですけど。まさか、レイナさんの母親だったとは。それで、確か、二人はつきあっていたという話もあって」
「つまり、もしかして、レイナの父親は」
「ええ。本郷怜人の可能性がありますね」
 裕は言葉もない、という表情になった。
「とにかく……とにかく、レイナにこれは見せたほうがいいな」


 レイナがスティーブのところに来てから2週間が過ぎた。スティーブもトムも、スティーブの家族も仲間も、みんなレイナに優しくしてくれる。
 レイナは日本にいたころよりも心は軽くなった。だが、声は思うように出てこない。
「時間が解決するのを待つしかありません」と医師から言われた。
「レイナ、裕から連絡が来てるよ。レイナに伝えたいことがあるって」
 スティーブはスカイプで裕と話していた。
「こんにちは、レイナ」
 裕はいつもと変わらず、穏やかな表情で呼びかける。
「こん……」
 レイナは声を出そうとしたが、息が漏れるだけだ。
「ムリしなくていいんだ。レイナ。今日は、レイナに見てもらいたい動画があって、連絡したんだ」
「レイナ、この動画だ」
 スティーブがスマホの動画を見せてくれる。
 一人の女性が、ゴミ捨て場で大勢に向かってスピーチしている。レイナは「……っ!」と声にならない声を上げる。

 ――ママ!

「そうだ。そこに映っているのは美晴さんだ」
 裕がレイナに向かって語りかける。
「美晴さんは政治家に立候補したんだ。この2年の間に、そのための準備をしてたみたいなんだ。仲間を集めてね」
 レイナの目からポロポロと涙が零れ落ちる。

 ――ママ、ママ。やっと、やっと。やっと会えた。ママ、ちゃんと生きてたんだ。よかった……!

「その動画を見ても、美晴さんが何をしているのか、分からないかもしれない。美晴さんは今、闘ってるんだ。君のために。そして、アミやトムのために。ゴミ捨て場で命を落とした、君の大切なタクマ君のために。子供たちがゴミ捨て場に住まなきゃいけない世の中を変えようとしてるんだ。そのために、巨大な権力を持っている片田と闘っている。命を懸けてね。美晴さんは、きっと一日たりとも、レイナのことを忘れてなんかいない。美晴さんはレイナを守ろうとしてる。いつでもね。レイナのために立ち上がったんだよ」

「マ……マ」
 スティーブが目を丸くしてレイナの顔を見る。
「マ……マ、ママ、ママ」
「OH、レイナ! しゃべってるじゃないか!」
 スティーブは感激してレイナを抱きしめる。
「君のお母さんは、素晴らしい人だ。オレも尊敬するよ。そして、そんな強い人の娘である君も、強いんだ、レイナ」
 スティーブはレイナの顔を見つめる。
「レイナ、君はこんなところにいていいのか? 美晴さんのそばにいて、応援してあげたほうがいいんじゃないか?」
「うん。ママ……」
「そうだ、ママに会いに日本に帰る。そうだね?」
 レイナは泣きながら、大きく何度もうなずく。
 裕も画面の向こうで、そっと目頭を拭っていた。


 レイナはピアノの前に座っていた。
 スティーブの家に来てからも、ピアノのレッスンは続けていた。今では、『小さな勇気の唄』をつっかえずに弾けるレベルにはなった。

 ――今まで、たくさんの人と出会ってきた。私と同じように貧しい生活を送っている人もいっぱいいた。その人たちがみんな、みんな、幸せになれるように。私も闘おう。ママだって闘ってる。いつまでも、泣いてるだけなんてイヤだ。でも、私に何ができる?

 ピアノの蓋に映る自分を見つめる。
 やがて、蓋を開け、フェルトのキーカバーをとって、鍵盤に指を置く。
 深呼吸をしてから、前奏を弾きはじめる。

「♪君に一つの花をあげよう」
 掠れてはいるが、声は出た。
 レイナは一つ一つの単語を確かめるように、か細い声で歌う。

 ――私には歌うことしかできない。でも、それでみんなが元気になるなら。勇気が出るなら。ママ、お兄ちゃん。私は歌うよ。みんなのために。もう、どんなことをされても、私は逃げないから。
 二日後、スティーブのプライベートジェットに、トムと一緒に乗り込んだ。
「ライブに間に合ってよかったね」
 トムは最近ハマっているスマホのゲームをしながら話しかけて来る。
「美晴さんがあんなすごい人だなんて、知らなかったよ」
「うん。ママはすごいの。強いの」
「裕は、美晴さんは昔、国会議事堂に乗り込んで、選挙法案を変えるのを止めようとしたんだって話してたよ」
 スティーブの話は難しくて、二人にはよく分からない。
「まあ、日本がメチャクチャになろうとしたのを、体を張って止めようとしたってことだな。そのときはうまくいかなかったけど、もう一度、チャレンジしようとしてるんだ。それはすごいことなんだよ」
「片田のおじさんは先生と笑里さんを傷つけたし、団地を壊しちゃったし、悪い人だよ。ママはその人と闘おうとしてる。だから、私も逃げないって決めたの」
「いいね、レイナ。強い子だ」
 スティーブはレイナの頭をなでる。

 飛行機の中でじっとしてられなくて、レイナは何度も「まだ日本じゃないの?」「まだ?」と聞いた。やがて、疲れてトムと一緒に眠りこけていたら、肩を揺さぶられた。
「レイナ、日本に着いたぞ」
 スティーブが窓の外を指さす。
 見ると、見慣れた羽田空港に着いていた。レイナは飛び起きる。

 だが、飛行機を降りようとすると、職員がずらりと並んでいた。
「影山レイナさんですね? 申し訳ありませんが、上陸許可が下りていません」
「え?」
「どういうことだ? レイナは、日本人だぞ? 日本に戻って来ただけだぞ?」
「日本でよからぬことを扇動する恐れがあるからと、外務省が上陸許可を出していません」
「いったいどういうことだ?」
「とにかく、ここから先は一歩も入れませんので。お引き取りください」
「オレはアメリカ人だ! アメリカ大使館に連絡をしてくれ!」
「スティーブさんは入国できます。ですが、影山レイナさんは入国できません」
「なんなんだそりゃ、クレイジーな!」

 レイナは何とか職員たちの壁を突破しようとするが、押し戻されてしまう。トムがすり抜けようとしても、同じだ。
「じゃあ、外務省の担当者と話をさせてくれ」
「いえ、そういうわけにはいきません」
「君たちは、オレが誰か分かってないんじゃないか?」
「分かってます。歌手のスティーブさんですよね。スティーブさんは上陸許可が出てますので、どうぞ」
「オレだけ入国しても、意味ないんだよ!」
 何十分も押し問答を続けるが、一向に埒が明かない。
 スティーブのマネジャーがアメリカ大使館に電話で相談したが、スティーブは入国できるので、それ以上にできることはないと言われて、方策が尽きた。

「レイナが入国できるまで、オレはここを動かんぞ」
 職員たちは顔を見合わせて、「ほかの飛行機の到着予定があるので……申し訳ありませんが、格納庫に移動していただけますか」と、まったく申し訳なく思ってない調子で言う。
「格納庫? そんなところで待てるか!」
 スティーブは激怒する。
「いったんアメリカに戻るしかないんじゃないですか。このままここにいても、こいつらは何もしてくれないでしょ」
 マネジャーは肩をすくめる。 
 スティーブはこめかみをピクピクさせて、「お前ら、覚えとけよ? こんな理不尽なマネ、絶対に許さんからな!」と怒鳴りつける。
 レイナは窓に張りついていた。

 ――どうしよう。このままじゃ日本に帰れない。ママに会えない。ライブをできない。

 どんなに焦っても、何も方法を思いつかない。
 スティーブはため息をつきながら、機内に戻って来た。
「レイナ、とりあえずアメリカに戻ろう。アメリカに戻って、何か方法を考えよう」
 レイナの目に悔し涙が浮かぶ。

 ――ダメ。もう泣かないって決めたじゃない!

 ステップがしまわれようとしてるのを見て、「待って!」と出口に駆け寄った。
「レイナ? どうした?」
「私のことを撮って! 早く!」」
 スティーブはレイナが何をしようとしているのか気づいたようだ。スマホを取り出し、レイナに向ける。

「みんな、レイナです。私は今、羽田空港にいます。日本に帰って来たのに、入れてもらえないの。飛行機から降りれないの。だから、アメリカに戻るしかなくって。お願い、私を日本に帰らして。みんなの力を貸して!」
 レイナはカメラのレンズに向かって、訴えかける。
「今、ママが闘ってます。ママと、ママと一緒に闘ってる人たちに、歌を届けたいの。だから、ここで歌います」
 すうっと大きく息を吸う。一拍置いてから、アカペラで歌いだす。

「♪君に一つの花をあげよう」
 ステップの下で聴いている職員はやめさせたくても、飛行機には入って来られない。それに、歌っているだけなら、さすがに止められない。
 レイナは空港をバックにして、全身全霊を込めて歌う。
 機内にいたパイロットやCA、トムやスティーブのスタッフたちは、その迫力に圧倒される。外にいる職員たちも、雷に打たれたように動けないでいた。 
「なんて……なんて切ない声なんだ」
 スティーブが胸に手を当てて、感嘆の声を漏らす。

 ――届いて、ママに。この歌、届いて!


「ねえ、どっかから、歌が聞こえない?」
 飛行機を降りて、空港ビルまで運ぶバスに乗り込もうとしていた乗客が、ふと顔を上げる。
「え? 飛行機でかかってる音楽?」
「違う違う。誰かが遠くで歌ってるみたい」
 その女性は耳を澄ませる。
「すごく哀しい声。泣いてるみたい……」
 レイナが飛行機で歌う動画は、スティーブがSNSにアップすると、瞬く間に世界中に広がった。
「なんて美しく、悲しい声」
「聞いていて、涙が出て来た」
「なんで日本に入れないの? 政府はひどすぎる」
「レイナのママって誰?」
「真実の党の影山美晴だって」
 コメント欄には世界中からメッセージが寄せられている。
 美晴はその動画を何度も見た。
「レイナ……ちゃんと届いてるからね」
 眼の縁に浮かんだ涙を拭う。

 そのとき、陸から電話がかかって来た。
「美晴さん、ゴミ捨て場が放火された!」
 陸が演説をしている時、火炎瓶を投げ込まれた。逃げ惑う住人にも火炎瓶が投げつけられて、大やけどを負った住人もいるらしい。
「なんてこと……」
 美晴はスマホを握りしめる。
「陸君は大丈夫なの? 千鶴さんは?」
「うん、オレには直接当たらなかったから。母さんは離れたところにいたから、巻き込まれなかったし。だけど、このゴミ捨て場にはもう、人が住めなくなる。あいつら……ここまでするなんて、どこまで卑怯なやつらなんだ!」
 陸が怯えるどころか怒り心頭という様子なので、美晴は少し安心した。
「ケガ人は病院に運んで手当てしてもらって。治療費は、本郷家に払ってもらえると思うから。ゴミ捨て場の人たちの住む場所も相談してみる」
「分かった」
「気をつけてね。また襲ってくるかもしれない。たぶん、ここからがホントの闘いになる」

 ゴミ捨て場の放火の様子は誰かが撮影していて、すぐに動画がネットに出回った。
 炎に包まれるゴミ捨て場を、逃げ惑う人たち。
 ゴミ捨て場の住人や演説を見に集まった人たちに、笑いながら火炎瓶を投げつける者もいれば、鉄パイプで叩きのめす者もいる。あちこちで悲鳴が上がる。

「ひどい。彼らを襲っているのは殺人者だ。なぜ警察はつかまえない?」
「日本はこんな暴力行為が許される国なのか」
「ゴミのような人間は、これぐらいのことをされて当然でしょ」
「ゴミ捨て場から出てくんな。ゴミが」

 動画のコメント欄は、犯人を非難する意見と肯定する意見で真っ二つに割れた。その事件を皮切りに、あちこちのゴミ捨て場で放火や暴力行為が相次いだ。


 その日、美晴は大阪のあるゴミ捨て場で、応援演説をしていた。
 そこにはゴミ捨て場の住人や作業員たちが集まっていた。事前に告知していないので、ゴミ捨て場以外から人は集まっていない。
 だが、鉄パイプや火炎瓶を手にした男たちが数人、ゴミ捨て場にずかずかと入って来た。美晴たちが来るんじゃないかと、ゴミ捨て場を監視していたのだろう。
「ゴミ捨て場にゴミがいるぜ!」
 一人の男が火炎瓶を投げつける。住人たちは悲鳴を上げて、散り散りに逃げ惑う。男たちは笑いながら、追いかけていった。
 ある男が、美晴に向かって、火炎瓶を投げようと身構えた。20代ぐらいの若者だ。まわりにいたスタッフが、慌てて美晴をステージから降ろそうとするが、美晴はその手を振り払う。
 美晴は男をにらみ、「投げなさい!」と一喝する。

「私を殺したいなら、殺せばいい。でも、このムーブメントはもう止められない。この国を変えたいっていうみんなの希望の火は、あなたたちにはもう消せない。私がいなくなったら、ますます強く燃え上がるでしょう。だから、私は死ぬことなんて怖くない。レイナや子供たちの未来のために自分が犠牲になるのなら、私は喜んで犠牲になるから!」

 男はその迫力にひるんだ。その様子を、スタッフがためらいながらもずっと撮影している。この演説は生配信されているのだ。

「かわいそうな人。あなたは、権力者の駒に使われるためにこの世に生まれて来たの? あなたは、それを望んでいたの? 権力者にすりよって、いいように使われて、報酬をもらって。それって、正しい生き方ですか? あなたは、そんな生き方を望んでいたの?」
「うるせえっ、うるせえ! お前に何が分かるんだよ!」

「私は13年間、ゴミ捨て場で暮らしてきました。これ以上ないぐらいの極貧生活を送って来た。でも、私には娘がいた。仲間がいた。だから、心までは腐らずにいられた。それがどんなに幸せなことか……。でも、あなたにはきっと、そういう仲間がいなかったんでしょう? だから今、群れになってこんなことをしてる」

「ふざけんな、勝手なこと言うんじゃねえよ」
 男は悪態をつきながらも、そこから動けなかった。

「それは寂しい生き方です。だけど、それはあなただけの責任じゃない。そういう社会にしてしまったのが、今の政治家や官僚たちです。そして、そんな政治家や官僚を野放しにしてきた、私たち大人の責任でもある。だから、私は自分の責任を果たすために、今、こうやってここに立っています」

 男は美晴を睨みつけた。火炎瓶は握りしめたままだ。 

「いつまで、私たちは分断されたままなんでしょう。私とあなたは、ホントは憎みあう仲でも何でもない。だけど、そう仕向けられている。私たちが分断されたままじゃ、世の中はずっとこのままです。たとえ私を排除しても、また新たな敵をつくられて、闘わされる。いつか、あなたが排除される側に回るかもしれない。それでいいんですか? あなたはそれで苦しくないんですか?」

 男の手から力が抜け、火炎瓶が転がり落ちる。
 ゴミ捨て場のあちこちで火が上がっている。だが、暴徒は今、立ち尽くしていた。住人も逃げ惑うのを忘れて、演説に耳を傾ける。

「じゃあ、どうやったら、権力に立ち向かえるのか。その答えは簡単です。私たちが団結すればいいだけです。私たちが憎みあうのをやめて手を取り合えば、権力者たちが恐れるパワーが生まれる。あいつらは、それを怖がっているから、私たちを分断させるんです。皆さん、憎みあうのを、もうやめませんか? 一緒に闘いませんか? この世の中を、もっとマシな世の中にするために。あなたが、自分の人生を取り戻すために」

 火炎瓶を投げようとした男は、ぼうっとした目で地面を見つめている。
「自分の人生……?」
 つぶやく。
 美晴はステージを降りた。
 そして、まっすぐにその男のほうに向かう。スタッフは誰も止められなかった。

「さあ、こちらへ」
 美晴は、男に向かって手を差し伸べる。その顔に、穏やかな笑みを浮かべて。
 男は戸惑いながらも、おずおずと手を差し出す。美晴はその手を両手で包み込んだ。
「あなたも手を火傷してるじゃない。手当てしなきゃ」
 その言葉を聞き、男の目から大粒の涙が零れ落ちる。男は子供のように声を上げて泣き出した。
 美晴はスタッフに向かって、「ケガをした人に治療してあげて」と指示する。
 スタッフは我に返り、救急箱を持って、あちこちに走って行った。 
 暴徒も憑き物が落ちたかのように、火災が起きている場所の火を消しはじめる。

「君は」
 美晴の耳に着けていたイヤホンに、岳人の声が突然聞こえた。
「君は……怜人が思い描いていた世界を実現してくれてるんだな」
 岳人は涙声になっている。
 美晴は寂しそうな笑みを浮かべた。
「いったい、何をしてるんだ!」
 片田の怒鳴り声が廊下にまで響いた。
「やつらを対立させるどころか、手を結ばせるなんて、お前はどこまで無能なんだ!」
 白石はうなだれていた。
「いや……ゴミ捨て場を襲わせれば、やつらもおとなしくなるって思ったんですけど」
「おとなしくなるどころか、感動的な和解だってネットで話題沸騰じゃないか! 影山美晴や真実の党が検索ワードで上位に来てるんだぞ? 革命のアイドルの復活だって、みんな喜んでるじゃないか」
「こんなことになるとは思わなくて」
「もういいっ、お前はほんっとに役立たずだな! ここから先は三橋が陣頭指揮を執ってくれ」
 三橋はうやうやしく、「かしこまりました」と頭を下げる。

「い、いや、待ってください、総理。それじゃ、影山美晴を襲わせますから」
 白石の一言に、「んなことしたら、オレがやったと思われるだろうが! タイミングを考えろ!」と片田は一喝する。
 三橋は口の端に笑みを含んでいる。
「テレビ局や新聞社には、引き続き真実の党を取り上げないように釘を刺しておきました。地方の高齢者は、真実の党の存在を知らない人も大勢いるはずです。後は、都心部の有権者をどうやって取り込むか、ですが」
 よどみなく報告している三橋を横目に、白石はギリギリと奥歯を噛みしめた。


 日曜日、渋谷には大勢の若者が集まって来ていた。いつもの見慣れた休日の光景だ。
 思い思いにオシャレを楽しんでいる若者に混じって、みすぼらしい格好をした若者もいる。彼らは低賃金で朝から晩まで働かないと暮らしていけないのだ。
「ねえ、お腹すいたあ。どっか入ろうよお」
「どこ行く? 並ばずに入れっかな」
 カップルがいちゃついているのを横目に、一人の青年が店の前で呼び込みをしていた。
「こちら、先週オープンしたばかりのハンバーガー屋です。ランチセットは1500円、いかがですか?」
 チラシを配ろうとしても、みんな受け取ろうとしない。
 何人もの若者が、「ジャマ」「そんなところに突っ立ってんなよ」とわざとぶつかっていく。そして、振り返って意地悪く笑うのだ。

 ――こんなの慣れっこだ。貧乏な家に生まれたってだけで、子供のころから、ずっといじめられてきた。今だって、そうだ。大学に通うこともできずに、毎日働いてるのに、お金は全然貯まらない。世の中にはバカにされてさ。オレが悪いのか? オレが何をしたって言うんだ?  

 前を歩いて行くカップルが、こちらを見て笑ったような気がした。

 ――あいつらっ……。

 チラシを投げ捨てて殴りかかろうとした、そのとき。
「あなたは、今の人生に満足していますか?」
 突然、センター街に声が響き渡った。
 見ると、街にあるスクリーンすべてに、女性の顔が大写しになっている。
「あなたは今、幸せですか?」
「え? 何?」
「なんかの宣伝?」
 若者たちは立ち止まってスクリーンを見上げる。

「今、あなたが辛い思いをしてるなら、苦しんでいるのなら、それはあなたのせいじゃありません。あなたは何も悪くない。この国の仕組みが悪いんです」

 チラシを配っていた青年は、心の内を見透かされたようで、ドキリとした。

「私は、皆さんに対して謝りたい。こんな国にしてゴメンなさいって。15年前、私たちが最後まで闘いきれなかったから、この国は若者が希望を持てない国になってしまいました。この15年で、どれだけの若者が命を絶ってきたのか……それを想うだけで、胸が張り裂けそうになります」

「あ、あの人、ゴミ捨て場で演説してる人じゃない?」
「ああ、動画見た見た」
 若者たちがざわめく。

「私たちは真実の党です。テレビでも新聞でも、決して私たちを取り上げることはない。それは、政府は恐れているからです。私たちが正しいことをするのを。世の中を正しい方向に変えようとするのを。
 私たちは幸せになるために、この世に生まれてきました。その幸せは、きっと人によって違うでしょう。お金持ちになりたい人もいれば、有名になりたい人もいる。だけど、多くの人は、人並みの暮らしを送りたいって思っているはずです。
 それって、特別なことでしょうか? 豪邸に住みたいわけでもないし、高級車に乗りたいわけでも、ブランドもののファッションに身を包みたいわけでもない。大切な人と、食べるのに困らない程度の暮らしをできればいい。そんなささやかな幸せさえ手に入らない世の中って、何なんでしょう? 
 皆さんは、5年後も10年後も今の生活でいいって思ってますか? 今の生活を変えたいなら、自分たちで変えなければなりません。20代、30代の方は、選挙権がないから自分たちには何も変えられないって、関係ないって思うかもしれません。
 いいえ、変えられます。皆さんの声を聞かせてください。その声が日本中、いえ、世界中に広まれば、きっと変えられます。今、皆さんに必要なのは、ちょっとした行動を起こすためのちょっとした勇気です」

 そこでスピーチは途切れて、MVが始まった。
 青年は夢から醒めたような顔つきになる。まばたきもせずに、そのスピーチに惹きこまれていたのだ。
 見ると、多くの若者がスピーチに釘付けになっていた。流行のファッションに身を包んだ少女たちも、身を寄せ合っているカップルも、くたびれた格好で働いている青年たちも。

「センター街をご通行中の皆さん!」
 そのとき、声が響き渡った。
 一人の若者が道端で、拡声器を片手に立っている。その若者は、緑色の怪獣の帽子をかぶっている。
「僕は真実の党から立候補した、山脇陸です! 僕は今日、皆さんにお願いがあって、ここに来ました」
 通りにいた若者が、「なんだ、なんだ」と集まって来る。

「皆さんもご存じのように、40歳より下の人には選挙権はありません。だから、今回の選挙は無関係だって思ってるかもしれません。でも、それでいいんですか? 40歳以上の大人たちに勝手にこの国の未来を決められてしまって、その結果が、今のこの絶望的な状況です。
 僕は21歳です。僕は正社員として働くことができない。だから、福島で原発の作業員として日雇いで働くしかありませんでした。母もそうです。母は今、がんにかかってます。でも、治療をできなくて……僕は子供の時に父が亡くなって、貧しい生活を送ってきました。中学までは通えたけど、高校は通えなかった。
 生まれた家庭によって自分の人生が決められてしまう。チャンスも何もない世の中で、僕らは苦しんできたはずです。そんな世の中を変えるには、やっぱり選挙しかないんです。だから、周りの大人を説得してください。真実の党に入れてくれって。僕の名前じゃなくていいです。真実の党に入れてくれればいい。
 僕はちっぽけな存在です。僕の言葉で、世の中を変えられるなんて思ってない。だけど、僕自身は変えられない。世の中がどんなに僕を変えようとしても、僕はずっと変わりません。僕はこれからもずっと声を上げ続けます。こんな世の中おかしいって。こんな世の中で生きていきたくないって、僕はずっと言い続けます。だから、」

「おいっ、何をしている!」
 騒ぎを聞きつけた警官が数人駆けて来た。陸はあわてて、「僕らの動画を見てください!」と言うと、人垣を縫って全速力で逃げていった。
 集まっていた若者は、さりげなく警官の行く手を遮って、陸を逃がす。
「今の、なんだったん?」
「さあ」
 若者の多くは、今の騒ぎは何だったのか、理解できないまま散っていく。

「おい、何をサボってるんだ!」
 背後から罵声を浴びせかけられて、青年は我に返る。振りむくと、目を吊り上げた店長が立っている。
「サボってると、時給やらんぞ?」
「すすすみません」
「もういいから、トイレの掃除して!」
「……ハイ」

 ――僕自身は変えられない。世の中がどんなに僕を変えようとしても、僕はずっと変わらない。

 話があちこちに飛んで、つたない演説だった。だが、心をつかまれた。
 青年は胸に熱い何かが沸き上がってくるのを感じた。

 その日の夜、青年は真実の党の演説を動画サイトで見た。
 動画はすぐに政府が消してしまうらしい。だが、世界中の支援者たちが連日投稿するので、いたちごっこになっているのだと、支援者たちのコメントを呼んで知る。
 青年は陸や美晴の演説を聞きながら、いつしか涙を流していた。狭いワンルームの、折り畳みテーブルと布団以外は何もない部屋で。
 やがて、青年はスマホをテーブルに立てると、録画ボタンを押した。

「こんにちは。僕の名前は結城亮です。僕は24年間、ずっと死にたいって思いながら生きてきました。今まで、何一ついいことがなくて……」
「どうしよう、このままじゃライブに間に合わない」
 レイナはスティーブの家で、裕とスカイプで話していた。
「そうだね。こっちで外務省に問い合わせても、なしのつぶてで」
「なし?」
「ああ、何も返事をもらえないってことだよ」
 裕はフウとため息をつく。
「選挙が終わるまで、レイナを入国させるつもりはないんだろうな」
「そんなあ。それだとライブはどうすればいいの?」
「まだ中止するつもりはないよ。ギリギリまで待とう」
 レイナは不安そうな表情を変えない。

「空港での歌を聞いたよ。あの動画は政府が何度も消してるみたいだけど、すぐにファンがアップしてくれて、世界中に拡散されてるよ」
 後ろでアミがパチパチと手を叩いている。
「よあった」
「アミも感動してたよ。素晴らしい歌声だ。声が戻って、ホントによかった」
「うん」
 レイナは少し元気が出たようだ。
「笑里さんは?」
「仕事を探しに行ってるよ。レイナが歌ってるのを見て、『こうしちゃいられない』って、自分が出られそうな舞台がないか、昔の仲間に相談しに行ったんだ」
「笑里さん、また歌うの?」
「ああ。『私にはやっぱり歌しかない』って言ってたよ」
 裕は柔らかな笑みを浮かべる。

「とにかく、こっちは大丈夫だから、心配しなくていいよ。こっちでも、レイナが入国する手段がないか探してみるけど、スティーブと相談して決めたほうがいい。たぶん、このやりとりも国に監視されていて、国はいろいろ妨害してくるだろう。だから、僕たちと、こういうやりとりはしないほうがいいと思う」
 レイナの後ろで、スティーブも「確かにそうだな」と同意した。
「とにかく、まだあきらめるような段階じゃない。ライブに向けて、レッスンだけはしとくんだよ」
「分かった」
 レイナは力強くうなずいた。


「総理、あの」
 三橋が言いづらそうに片田に話しかける。
「官邸のホームページや総理のフェイスブックに、メッセージが殺到していまして」
「ああ、応援メッセージ?」
「いえ、あの、影山レイナを入国させないなんてどういうことだって、世界中から抗議のメッセージが」
 片田の目が鈍く光る。

「あ、あの、抗議というか、意見というか」
「そんなの、日本以外の国の人が何と言おうと関係ないでしょ。これは我が国の問題だ。とにかく、影山レイナは選挙が終わるまで入国させない。投票日にライブをするなんて、何が起きるか分からないからな。何があっても、それだけは阻止してくれよ」
「かしこまりました」
 三橋は深くお辞儀をする。
「今日の応援演説も、退屈だねえ。早々に切り上げていいんじゃないか?」
「あー、でも、早瀬先生からは、総理の人気で何とかしてほしいって泣きつかれてまして……」
「仕方ないな。落選されても困るしねえ」
 片田は面倒そうに選挙カーに登った。


 ゆずは、山谷のドヤ街にある商店街の入り口で演説をしていた。
 日雇い労働者やホームレスがパラパラと、遠巻きに見ている。ゆずが勤めている診療所の同僚たちが、通りすがりの人に「真実の党の徳永ゆずをお願いします」とチラシを渡していた。
 演説が終わり、次の場所に移動するために後片付けをしていると、その様子をじっと見つめている人がいることに気づいた――白石だった。
 白石はゆっくりとゆずに近づいて来る。

「やあ、久しぶり」
「どうも」
 ゆずは目を合わさず、そっけなく返した。
「あれから15年か。ずいぶん変わっちゃったね」
「……」
「オレ、お前に刺されて、大変だったんだよ? 結構、傷が深くて、右半身がマヒしちゃってさ。リハビリで何とか歩けるようになったけど、今も足を引きずってるし」
「それぐらいで済んでよかったんじゃない? 怜人さんは殺されたんだから。命があるだけ、マシでしょ」
 ゆずは白石をキッと睨む。

「怜人さんはあんたを信頼していたのに。よく平気で殺せたよね。あんたには良心ってものがないの?」
「いやいやいや、オレは直接手を下してないって。片田が頼んだ殺し屋がやったんだよ」
「同じことでしょ? 怜人さんが殺されるのを止めなかったんだから! 人殺しの裏切者っ」
 ゆずの目はメラメラと怒りに燃えている。

「あんた、私から情報を盗んだんでしょ? そのせいで、看護師さんも殺されてたじゃない。あんたのせいで、何人が犠牲になったって思ってんのよっ」
「いや、それは」
 白石はタジタジとなる。以前のゆずなら、白石の言うことは何でも聞いてくれた。きっと、今でも好意を抱いてくれてるんじゃないかと思っていた自分が甘かった。

「それに、みんなバラバラになっちゃって。事務所の人も、何人もつかまっちゃったじゃないの。何年も刑務所に入ってた人もいるし。みんなの人生をあんたがメチャクチャにした。私の人生も、美晴さんの人生もね。あんたは、どうやって罪を償うつもり?」
「そ、それでさ、今更だけど、オレ、みんなの力になりたいなって。オレにも何か手伝わせてくれないかな」
「冗談やめてよ!」
 ゆずは吐き捨てるように言った。

「美晴さんに近づこうとしてるんでしょ? それで? 今度は美晴さんを殺すわけ?」
 白石は引きつった笑いを浮かべる。
「ま、まさか、そんな。オレは純粋にゆずの力になりたくて」
 ゆずの肩に手を置く。ゆずはものすごい力で振り払う。
「帰れっ」
 怒声を浴びせた。
「もう二度と私の前に姿を現さないで!」

「ゆず、どうした?」
 チラシを配っていた同僚たちがゆずの様子に気づいて、走り寄って来る。白石は舌打ちをして、走り去った。
「大丈夫か? あいつに何かされたのか?」
 同僚が顔を覗き込むと、ゆずは涙を手の甲で拭った。
「大丈夫。ちょっと、自分が情けなくて」
 それから無理に笑顔をつくり、「さ、次の場所に行こっか」と言った。
 片田の選対本部は、まるでお葬式のように打ち沈んでいた。
 国営放送が行った世論調査で、民自党の支持率は21%だった。そして、2番目に位置したのは真実の党で19%。ほかの野党を抜いたのだ。
「支持政党なしが50%だけど……この層が真実の党に流れたら……」
 誰かがポツリと言うと、「それ以上は言うな!」と三橋が制する。
「テレビで党首討論をしたらどうですか? そこに影山が現れたら、逮捕するってことで」
 スタッフがおずおずと提案する。
「そんなことをしたら、余計に同情を買うじゃないか。悲劇のヒロインとして、注目を集めるだけだ」
「でも、これ以上、真実の党を無視してるわけにはいかないんじゃ……」
「何かないのか、あいつらが不利になるようなことは」

 みんな、口々に意見を言うが、解決策を思いつかない。
「今回は期日前投票が多いって聞いたんですけど、まさか、みんな真実の党に」
 三橋が睨むと、そのスタッフは口をつぐんだ。
「こうなったら、最後の手段しかないな」
 三橋は大げさにため息をつく。
「投票をいじるしかない」



「えっ、どういうことですか?」
 区役所のロビーに声が響き渡る。
 ロビーの奥に設置された期日前投票のブースで、女性3人が戸惑ったように顔を見合わせている。
「ですので、期日前投票は、事前に決められた人しかできないことになりまして」
 職員が申し訳なさそうに言う。
「事前に決められたって?」
「えー、事前に期日前投票をしたいと申し込んで、審査を受けて認められた人ってことです」
「は? そんな話、聞いたことないですよ」
「投票するのに審査がいるなんて、どういうことですか?」
「とにかく、とにかく、国からそういう通達がありまして」
「日曜は仕事が入っていて、投票に行けないんです。だから、今日、わざわざ投票に来たんですけど」
「申し訳ないんですが、投票日にもう一度来ていただくか、事前の審査に申し込んでいただくしか……」
「事前の審査って、どこで申し込むんですか?」
「えー、それが、まだ決まってなくて」
「はい?」
「本日、国から通達があったばかりで、これから対処するところなんです」
 3人は絶句した。
「本当に、申し訳ないです」
 職員は額に汗を浮かべて、何度も謝る。



 その日の朝も、新橋の駅前はオフィスに向かうビジネスマンやOLが足早に行き交っていた。
 ふいに、「皆さん、おはようございます!」と声が響き渡る。
 20代ぐらいの男性が5人、ロータリーに緊張した面持ちで立っている。そのうちの一人がマイクを握っていた。
「なんだ、選挙の演説か? って思った人もいるかもしれません。僕らは、立候補してません。それに、20代だから選挙権もない。今日は、40代以上の皆さんにお願いがあって来ました」
 いぶかしげな視線を投げかけて、通行人は通り過ぎる。
「どうか、真実の党に投票してください! 本当なら僕らが投票したい。でも、僕らにはそれができません。だから、皆さんに投票をお願いするしかないんです。僕らはっ」
 その青年は、そこで言葉を詰まらせた。代わりに隣に立っていた青年がマイクを受け取る。

「僕らは、5人で一緒に暮らしてます。8畳のワンルームで。バイトの給料が安すぎて、そうするしかないんです。僕らはずっと、貧しいのは自己責任だって言われ続けてきました。でも、どんなに勉強で頑張っても、大学どころか高校に行くお金を親が出せなかったんです。親は二人とも、朝から晩まで働き詰めで、それでもいつも生活はカツカツでした。お金を貯めることすらできない。ボロボロの風呂なしアパートに住んで、三食を食べれないときもあって……給食が唯一の命綱でした。親はずっと、ごめんねって、苦労させてばかりでごめんねって、謝ってばかりで……命を絶ちました。二人で。借金だけが残って、僕は今もそれを返してます」

 いつの間にか、足を止めて青年の話に聞き入る人が増えて来た。

「ここにいる5人はみんな、育った場所は違くても、境遇は似ています。みんなそれぞれ苦労してる。自己責任って何ですか? たまたま、お金持ちの家に生まれたら、大学も通えて、いい会社で正社員になれて、お金に困ることもなくて。そんなの自己責任って言えるんですか? 昔の日本は、貧乏な人にもチャンスはあったって聞きました。そんな世の中にしたいって思うのは、おかしいですか? そのためには政治を変えるしかない。真実の党に投票するしか」

「おいっ、何やってるんだ!」
 警官が数人駆けて来た。
 若者は「まずい」という顔になり、「皆さん、真実の党に入れてください!」と叫ぶと、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 そのころ、全国で同じように若者が真実の党に投票するようにお願いするムーブメントが起きていた。街角でゲリラ的に投票を呼びかけると、あっという間に姿を消してしまう。
 官邸は全国の警察に取り締まるように通達を出したが、あちこちで演説しているので、とても手が回らない。
「おいっ、何とかしろ!」
 片田は側近を怒鳴り散らしてばかりいた。
「若者を止めるのは難しいので、40代以上の有権者に民自党に入れるように仕向けるしかないと思います」
 三橋はやつれた表情で進言する。次から次へと予想外のことが起きるので、最近はまともに寝ていないのだ。
「そのために、多少強引な方法を取るしかないですが」
「いいよ、何でもいいから、できることはやりなさいよ」
 片田は投げやりな感じで言う。
「はい……」
 三橋は力なく答えた。
「ハイ、作業やめー!」
 新築マンションの建設現場に、現場監督の声が響き渡った。
 お昼休みにはまだ早いので、みな「なんだ、なんだ?」という感じで手を止めた。
「昨日連絡したけど、投票用紙は持って来ましたか? これから、みんなで投票しに行きます」
 現場監督の言葉に、作業員はみな顔を見合わせる。
「はあ? 投票って?」
「なんで、仕事中に?」
「今日中に、ここの作業しないといけないんだけど」
 みな口々に不満をぶつける。
「あー、その分の日当を削ったりしませんから」
 その一言を聞いて、「ってことは、休憩時間が増えたのと同じか?」「ならいいか」と、作業員たちは顔をほころばせる。

「それじゃ、バスを用意してるので、乗ってください」
 工事現場の前に、マイクロバスが2台止まっていた。
 ぞろぞろと乗り込むと、スーツ姿の男性が最後に乗りこんで来た。
「皆さん、お仕事、お疲れ様です! これからお弁当を配りますので、投票所に着くまで、そちらでも食べて疲れをいやしてください」
 男性はにこやかに語りかける。
 一人一人に弁当とお茶が配られると、「ずいぶん待遇がいいな」「これ、お金払わなきゃいけないのか?」とみな戸惑っている。
「いえ、お金をいただくことはありませんので、安心して召し上がってください。皆さんが汗水垂らして働いてくださってるお陰で、日本の経済は回ってるんです。これは、ほんのお礼です」
 男性の言葉に、「それじゃ、遠慮なくいただくよ」と、一同は嬉々として弁当の蓋を開ける。
「おおっ、ステーキ弁当か」
「えらい高そうな肉だな」
「うわっ、やわらかいわ、この肉!」
 作業員が興奮している様子を、その男性は不自然な笑みで見守っていた。

 公民館の駐車場に着くと、男性は「投票所に着きました。皆さん、投票用紙は持って来てますね?」と確認した。
 何人か、「忘れてしまって」と罰が悪そうに申告すると、「それでも大丈夫ですよ。受付で身分証を出したら、投票用紙をもらえますから」と返した。
「それで、皆さんに一つだけお願いがあるんです」
 男性は人差し指を立てて、ぐるりと見渡した。
「投票用紙には、民自党と、民自党の候補者の名前を書いてほしいんです」
 車内は一瞬で水を打ったようになった。

「もう一度言いますね。党名には民自党、候補者の名前のところには、この地区から立候補している桑田健介の名前を書いてください」
「ど、どういうこと、それ」
 一人がためらいながら聞くと、「簡単なことですよね。民自党に投票する、それだけのことです」と男性は笑みを崩さない。
「いや、オレ、民自党に投票する気はないんだけど……」
 その男が小さい声で言うと、男性の顔から笑みが消えた。

「失礼ですけど、お名前は?」
「えっ……それはちょっと」
「この方の名前は?」
 男性は現場監督をキッとにらむ。
「え、あの、斎藤さんですけど」
「この方を現場から外してください」
「えっ、どういうことだよ!?」
 斎藤は思わず立ち上がる。
「あのマンションは、民自党の幹部が住むことになってるんですよねえ。申し訳ないけど、あなたのように反体制の人には現場に入ってほしくないんです。何をするか分からないから」
「は? 何をするか分からないって、どういう意味だよ? オレが何か変なことをするって言うのかよ?」

「まあまあ、斎藤さん、落ち着いて」
 現場監督が間に割って入った。
「斎藤さんはベテランの職人さんなので、外すのは、こちらとしても困るんです。大目に見ていただけませんか」
 男性の顔色を窺い、「斎藤さんも、仕事がなくなったら困るでしょ」となだめた。
「そりゃ、困るけど」
「今回だけですよ。今回だけ、民自党に入れればいいんです」
 斎藤は腕組みをして、どっかとシートに座った。
「分かったよ。入れればいいんだろ?」
「分かっていただけて良かった」
 男性が再び機械的な笑みを浮かべる。
 もう誰も男性に異論を唱える者はいなかった。


 ――気に入らねえ。

 斎藤は投票所で順番を待ちながら、イライラしていた。

 ――民自党のせいで、今、こんな苦しい生活をしてんのに。脅して言うことを聞かせようって姿勢が気に入らねえ。このまま黙って投票する気にならねえな。

 投票をしている仲間たちの様子を見ていると、ブースで記入した後は、投票箱に用紙を入れているだけだ。投票用紙に何を書いたかまでは、誰もチェックしていない。

 ――一か八か、やってみるか。

 齋藤は自分の番が来ると、投票ブースに立った。目の前に、候補者の一覧表が貼ってある。
「ええと、桑田……」
 その表で確認するフリをして、斎藤は鉛筆で投票用紙に「真実の党 影山美晴」と書き込んだ。

 何食わぬ顔をして、投票箱の前に立つ。入り口に立っていた男性をチラリと見ると、こちらをじっと見ている。
 さすがに緊張したが、心臓の鼓動が速くなっているのを悟られないように、用紙を箱に入れる。
 出口で、男性に「これでいいんでしょ?」と言うと、男性は満足げにうなずいた。
 齋藤は会場を出ると、額に浮かんだ汗を袖口で拭った。



 片田はテレビで行われる党首討論に出席していた。
 野党の党首は3つの党から参加しているが、真実の党は呼ばれていない。
 野党も政権交代などできるはずないと、ポーズだけ反対意見を述べているのが、ありありと分かる討論会だった。

 討論会の終わりで、アナウンサーの女性が「それでは、最後の質問です」と党首たちに向き直った。
「真実の党について、どう思われますか」
 4人は固まった。
「えっ、真実の党ですか」
「その話が出るとは思わなかった」
 野党の党首たちは、素直に動揺している。片田はさっきまで余裕の笑みを浮かべていたのが、みるみる不機嫌そうな表情になった。

「真実の党はネットを中心に注目を集めてますし、世論調査では支持率が2番目に多いので、やはり無視できない存在だと思うんですね。皆さんは、真実の党の候補者とは会って話したことはあるんでしょうか」
 アナウンサーの問いかけに、「いやいや」「全然会ったことはない」と3人は首を振る。

「同じ野党として、もちろん頑張っていただきたいと思っています。政権交代を起こせるぐらいの人数の候補者をそろえたところも素晴らしいと思いますし、私も演説の動画をよく拝見していますが、皆さん苦労された方ばかりで、胸を打たれます。本当は、連携して戦えればよかったんでしょうけど、ゲリラ的に演説をやっていらっしゃるので、なかなかネットワークを築けなくて。選挙は後数日ですが、今からでも共闘してもいいと思ってますよ」
 3番目に支持率が高い党の党首がそつなく答える。

「おや、あんな犯罪者が党首をやってる党と共闘するおつもりですか」
 片田はすかさず嫌味を言う。
「あの党首の影山美晴は、15年前に国会議事堂を占拠しようとした人物ですよ。本来なら、内乱罪でつかまっていなきゃおかしいんです。そんな人物と手を組もうとするなら、良識を疑いますね」

「彼女が議事堂を占拠しようとしたのは、選挙法の改正案を通すのを阻止しようとしたからですよね。あのとき、選挙年齢が40歳以上に引き上げられてしまって、その後も、ずっと我々は年齢を引き下げるように訴えてきたのに、受け入れられなかった。彼女は国民のためにあのとき行動を起こしただけです。法的には問題あったかもしれないけど、道義的には彼女の行ったことは正義だと思います」
 
 他の党首は堂々と反論する。片田は「青臭いことをおっしゃる」と鼻で笑った。

「いいですか? 犯罪は犯罪です。神聖な場所である国会議事堂を暴力で奪おうとしたんですよ」
「暴力をふるったのはあなたたちでしょう。武器を持ってない彼女たちをボコボコにしてたでしょ? 連行されていく様子が映像で流れてたけど、あれはひどかった」
「別に我々が取り押さえたわけじゃないし」
「当たり前です。あなたに命じられた機動隊が暴力をふるったんでしょ?」
「私はあの時はまだ総理大臣じゃなかったから」
「お時間が来てしまいました。今日はお忙しいなか、討論会に参加していただき、ありがとうございました」
 アナウンサーが強制的に議論を打ち切ってしまった。

「いったい、どういうことだ! 真実の党のことを聞くなんて!」
 片田がアナウンサーを怒鳴りつけると、「総理、まだマイクが入ってます」と慌ててディレクターが止めた。
 その一部始終はあっという間にネットにアップされ、拡散されていく。


「これじゃ、真実の党の宣伝をしてあげたようなもんじゃないか!」
 片田は帰りの車で、助手席を背後から蹴飛ばした。
「白石に言っとけ、こうなりゃ、影山美晴を消してもいいって。投票日までに絶対に息の根を止めろって言っとけ!」
「ハ、ハイ、伝えておきます!」
 三橋が震える声で応じた。
「いいですか、もしも20代や30代にも選挙権を認めたら、皆さんの仕事がなくなるかもしれないんですよ?」
 その日、ある公民館に40代以上の住民が集められた。
 200人ぐらいの聴衆を前に、民自党の議員が熱弁をふるう。
「皆さんは今、正社員として働いていますよね? それは我々民自党が皆さんの立場を守っているからなんです。皆さんのようなベテランが、世の中では活躍するべきなんですよ。20代や30代の仕事ができない若者に皆さんの仕事を取られてもいいんですか? 何もできない若造が皆さんと同じ額の給料をもらうことになるんですよ」

 その議員は、聴衆が戸惑ったような表情でいることに気づいた。つい一週間前は、同じ話をすると盛り上がったものだ。それで、「これなら今回の選挙もイケる」と手ごたえを感じていた。
 議員の演説が終わり、質疑応答に移った。
 最前列に座っていた男が手を挙げて、おずおずと立ち上がる。

「あのー、私は55歳で正社員をやってるんですが、そのー、私の子供は28歳と32歳なんですが、二人ともバイトをして食いつないでるんです。それも、時給がものすごく安くて。それで、私と女房の稼ぎで何とか家族4人が暮らしてる状態なんです。で、私は去年、腰を痛めてしまって、本当は仕事を減らしたいんです。でも、それができなくて……だから、私としては、20代と30代も正社員として雇ってほしいなと。自分の仕事を代わってもらいたいぐらいで。選挙権のことはともかく、20代と30代も正社員として働けるようにしてほしいって思います」

 議員は言葉に詰まってしまった。
「えー、まあ、腰を痛めてしまったら、働くのはつらいですよね。疾病手当でももらって、ゆっくり休んでください。お大事に。それじゃ、次の人」
 次は銀髪の細身の女性が指されて立ち上がる。

「私には30代の娘がいるんです。娘は引きこもりです。バイトの面接はずっと落ち続けて、やっと採用されても、すぐにクビになる。そんなことの繰り返しで、働く気がなくなったって言って……主人だけの給料ではやってけないから、私もパートでフルタイムで働いてます。でも、私たち夫婦が死んだ後、娘はどうなるんだろうって思ったら、不安で不安で、夜眠れないこともあるんです。娘が働けるようになるのが先か、私たちにお迎えが来るのが先か……いつまでこんな生活を続けなきゃいけないんですか? 政治の力で何とかならないんですか?」

 女性は静かに涙を流す。議員は言葉が見つからず、「次の方」と一段と高く手を挙げている女性を指した。
 会場の隅に座っていた、帽子を深くかぶった女性が立ち上がる。
「あなたにはお子さんはいらっしゃいますか」
 唐突に聞かれ、議員は戸惑う。
「ハイ、息子が二人おりますが」
「息子さんは何歳ですか?」
「それを言う必要はないかと」
「30代の息子さんが二人いらっしゃいますね。そして、二人とも官公庁で働いている。官僚として」
「いや、それは」

「民自党の議員のお子さんたちはみな、20代でも30代でも、官公庁の官僚や大企業の正社員として働いてますよね。つまり優遇されてる。仕事には困らないわけです。自分たちの子供の立場はしっかりと守って、私たち国民の子供は見捨てる。それがあなたたちのやってることですよね」
「あなたは、一体?」
 女性は帽子をとった。
「真実の党の党首、影山美晴です」
 場内がざわつく。
「おいっ、あいつをつかまえろ!」
 議員が指示を出すと、次々と聴衆の中から美晴の仲間が立ち上がり、美晴のまわりに立ちはだかる。

「皆さん、気づかれたようですね。そうです。40代以上が優遇されても、結局、困るのは国民全員なんです。20代30代の仕事がなければ、親世代の負担が大きくなる。今は定年も廃止されて年金は75歳にならないともらえません。75歳までずっと現役世代として働かなきゃいけないなんて、ムチャな話ですよね。それに、皆さんのお子さんは、結婚どころではなくなってるんじゃないですか?」
「そうなんだよ!」
「その通り!」
 聴衆は身を乗り出して合いの手を打つ。

「まともな仕事に就けないのに結婚なんて、諦めたくなるのは当然です。だから、晩婚化も少子化も、この15年でものすごく進みました。このままじゃ、この国は終わります。だけど、たった一つ、この国を救う方法があります。それは、政権交代です」
「おい、やめさせろ!」 
 議員やスタッフが美晴にとびかかろうとしても、仲間たちが体を張って止める。

「政治で何も変えられない。皆さんはそう思ってるかもしれません。だけど、その政治が皆さんの生活をここまで苦しくしたんです。だから、その流れを断ち切らないといけない。真実の党が政権をとったら、20代30代も正社員として働ける世の中に戻します。選挙も18歳から投票できるようにする。一部のお金持ちだけが得をするような不公平な世の中を正します。それは、ごく当たり前のことです。みんなが普通の生活をできる世の中にしたい。そのために私たちは立ち上がったんです」

「皆さん、こんなやつの話を聞かないでください! でたらめばっか言ってるけど、こいつは犯罪者ですよ⁉」
 喚き散らす議員を、「うるさい!」と聴衆は一喝した。議員はたじろぐ。
「私は一度、この国を変えるのを諦めました。でも、もう諦めません。何が起きても、最後まで闘います」
 美晴がマイクを下ろすと、聴衆は次々と立ち上がり、大きな拍手を送る。会場に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。議員は顔を真っ赤にして歯ぎしりしている。

「どうしますか。総理に報告しますか?」
 側近に聞かれて、「いや、総理に何にも言うな」と議員は止めた。
「こんなことが総理にバレたら、オレが大目玉を食らうから。なんで途中で止めなかったんだって、しつこく追及されるぞ? あの人のことだから、何か制裁があるかもしれないし。何も起きなかったことにするんだ。いいな?」
 側近たちは顔を見合わせるしかなかった。


 その会社では、投票日の前々日に社員全員で期日前投票に行くことになっていた。
 40代以上の社員がマイクロバスに乗り込むためにエレベーターを降りると、1階のエントランスホールに若者が30名ほど集まっていた。みな派遣されて来たエンジニアだった。

「なんだ、どうした。君たちは投票に行かなくていいんだぞ?」
 社長が怪訝な顔をしていると、若者はいっせいに頭を下げた。
「お願いします! 真実の党に入れてください!」
 年長の社員たちは「何事か?」という顔で若者を見ている。
「僕らは投票したくてもできないんです! だから、真実の党に入れてください!」
「いや、でも、それはちょっと」
 社長は言葉を濁す。

「民自党から投票するように言われてるんですよね? でも、投票用紙に書くときは監視されてないみたいなので、真実の党って書いても大丈夫みたいです」
「いや、そんな簡単なことじゃないんだよ。もし造反がバレたら、会社をつぶされるかもしれないんだから」
「真実の党に入れないのなら、僕らはここを辞めます」
「うちを辞めたって、すぐに派遣先は見つからないでしょ? 今は仕事がなくて困ってる若者が多いんだから。あなたたちは恵まれてるんだからさ、もう少し賢く立ち回らなきゃ」
「僕らは海外に行きます」
 リーダーらしい男性はキッパリと言う。

「海外からオファーが来てるんです。だから、このまま民自党が続くんなら、僕らは海外に移住しようって考えてます。だって、僕らはあなたたちよりもずっと働いてるんです。それなのに安い時給しかもらえない。こんな生活、この先もずっと続けたいって思えません。夢も希望もない国で、これ以上、働きたいって思えません。だから、真実の党に僕らは最後の望みをかけてるんです」 
「そんなことを言われたってさあ」
 若者たちは目配せすると、「真実の党に投票する気ないんですね? それじゃ、これで失礼します」と、ぞろぞろと出て行った。
「ちょちょちょっと待って。そんな急に仕事を投げ出されても困るんだよっ」
 社長は慌てて後を追う。だが、若者は誰一人として振り返らなかった。

「っくそ、代わりの者を入れないと。至急、人材派遣会社に連絡して」
「社長、たぶん、ダメです」
 人事の男が弱々しく言う。
「一週間前から、人材派遣会社に問い合わせても、若いエンジニアの登録はゼロだって言われて」
「へ?」
「真実の党に入れない会社では働かないって、どこの会社でもボイコットが起きてるらしいんです。代わりの人材を雇おうと思っても、登録している人がいないから、仕事が止まっちゃってるって、あちこちの会社で悲鳴が上がっていて」
「そんなこと言ったら、今進行してるプロジェクトはどうなるんだ! 国からもらった仕事なんだぞ?」
 社長は目をむいてから、「あいつらを呼び戻さないと」と駆けだそうとした。

「社長、真実の党に入れるんですか?」
「入れるって言っときゃいいんだろ? 投票してるところは見られないんだから」 
「それが、あいつらは投票所の監視カメラを操ってチェックするらしいんです。どこの党に入れたのかを。それぐらいのこと、朝飯前というか……」
「なんだって?」
 社長は呆然と立ち尽くしていた。
「それじゃ、どうすればいいんだ……?」
 投票日前日。
 その日は、海外特派員協会主催の、党首討論が行われることになっていた。
 片田は野党の党首と並んで、長机に座っていた。
 会場には、あらゆる国の記者たちが詰めかけて、取材のための準備をしている。
 事前に記者たちからの質問を提出してもらっているので、答弁は官僚がすべて考えてくれている。
 片田は答弁をプリントした紙を前に、あくびを必死でかみ殺していた。連日、応援演説のためにあちこちに出向いているので、さすがに疲れが出ていた。

 ――ホントなら楽々勝利のはずなのに、影山美晴のせいで、オレまで走り回らなきゃならん。見つけたら、あいつらは立ち直れないほどつぶしてやる。

 その思いだけで何とか自分を奮い立たせていた。
「それでは、討論会を始めたいと思いますが、その前に、1つ予定を変更させていただきます」
 司会は協会に所属している日本人ジャーナリストの男性だ。

「本日は衆議院選挙に向けての党首の討論会です。ですが、そこに座っている方々を見て、何か足りないと皆さん感じていませんか? そうです。真実の党の党首が呼ばれていないんです。おかしいですよね、党首の討論会なのに、今や野党で一番の支持率になっている真実の党が呼ばれてないなんて。だから、海外特派員協会では真実の党の党首にも参加していただくことにしました」
 あくびを我慢していた片田は、思わず「ふああ⁉」と声を上げてしまった。
「それでは、影山美晴さん、どうぞ!」
 司会者は後方のドアに向かって、手を伸ばす。


 美晴は扉の前で大きく深呼吸をした。足が震えている。
 ――お願い、怜人。私を守ってね。
 息を吐きながら目を閉じる。

 ――あのとき、あなたの手を離さなければよかったって、今も思ってるの。あなたの遺体が、どんな風に扱われたのか、私は知らない。捕まってもいいから、最後まで寄り添えばよかったって、私は今でも。

 じわっと涙がにじむ。

 ――あのね、怜人。私、あなたが亡くなった歳を、あっという間に超えちゃった。本当は、あなたと一緒に歳をとりたかった。ずっとずっと、一緒にいたかった。たくさん笑って、一緒に泣いて、たまにケンカして。二人の子を、二人で愛して……。幽霊でもいいから出てきてほしいって、何度も何度も思ったの。あなたと話したかったこと、たくさん、たくさんある。レイナが産まれたとき、あなたと同じ茶色の瞳で、どれだけ救われたか……。

 そのとき、「影山美晴さん、どうぞ!」という声が扉越しに聞こえた。

 ――さあ、行こう。私は、今度は逃げない。最後まで闘えるよう、私を守ってね、怜人。あなたができなかったことを、私が代わりにやり遂げるから。
 
 美晴は扉を押し開けた。


 ドアが開き、会場中の視線が集まる。視線の先にいるのは美晴だ。
 紅いワンピースにオフホワイトのジャケットを羽織った美晴は、顔を上げて、カツカツと靴音を響かせながら、堂々と会場を歩く。
 片田は思わず立ち上がる。
「何の……何のマネだ、これは!」
 司会者をにらむ。
「こんな話、聞いてないぞ⁉」
「ハイ、直前まで影山さんとは連絡が取れなかったので、出てもらえるかどうか分からなかったんです。事前にお伝えできなくて申し訳ありません。ですが、討論相手の人数を変更することぐらいで総理に承諾を得る必要もないかな、と思うんですが」
「そういう問題じゃないだろ? あいつは犯罪者だぞ! おいっ、誰か、あいつを捕まえろ! 内乱罪の首謀者で、死刑だっ!」
 片田は美晴を震える手で指さす。美晴は動じることなく、片田を見据える。
「お久しぶりです、片田さん。15年ぶりですね」
 その声はゆるぎない決意に満ちていた。

「野党の皆さんはどうでしょう。影山さんが参加されることについては」
 司会者は野党の党首に話を振る。
「私は構いませんよ」
「僕も、全然。むしろ大歓迎ですよ!」
 党首たちは席をずらして、片田から離れた場所に美晴が座るスペースを開けてくれた。ただちに椅子が運ばれて来る。
「ありがとうございます」
 美晴はペコリと頭を下げて席に着いた。

「バ、バカバカしい」
 片田はわなわなと震えている。
「こんな、こんな犯罪者と一緒に討論会なんてできるか! オレは帰る!」
「あら、逃げるんですか?」
 美晴は涼しい顔をしている。その瞳は闘志で燃えていた。
「私を逮捕したいんならすればいいけど、せめて討論会が終わった後にしたらどうですか? この様子は、今、世界中に生配信されてますよ」
 片田は会場を見回す。テレビカメラやスマホが、片田に向けられている。

「いや、犯罪者と同席するなんて、私のモラルに反するんでね」
「モラルなんて、よく言いますね。あなたはずいぶん人を殺してきたくせに」
「は? 何を言ってるんだ」
 片田は顔をゆがめて笑う。
「仮にも、私は日本の総理大臣なんだぞ? 総理を人殺し呼ばわりするなんて、正気の沙汰じゃないね」
「それじゃあ、この音声を聞いてください」
 美晴はスマホを操作してテーブルに置く。
「なんだ、いったい」
 片田がやめさせようとすると、「いったい、何をしてるんだ!」と怒鳴り声がいきなり流れた――片田の声だ。

「やつらを対立させるどころか、手を結ばせるなんて、お前はどこまで無能なんだ!」
「いや……ゴミ捨て場を襲わせれば、やつらもおとなしくなるって思ったんですけど」
「おとなしくなるどころか、感動的な和解だってネットで話題沸騰じゃないか! 影山美晴や真実の党が検索ワードで上位に来てるんだぞ? 革命のアイドルの復活だって、みんな喜んでるじゃないか」
「いや、そんなことになるとは」
「もういいっ、お前はほんっとに役立たずだな! ここから先は三橋が陣頭指揮を執ってくれ」
「いや、待ってください、総理。影山美晴を襲わせますから」
「んなことしたら、オレがやったと思われるだろうが! タイミングを考えろ!」

 片田はみるみる青ざめていった。野党の党首たちは、「え、これなんですか?」「片田さんの声ですよね」とうろたえている。
 だが、会場にいる記者たちは驚く様子もなく、成り行きを見守っている。
 片田はようやく、ここにいる記者たちは事前に情報を得ているのだと気づいた。自分がまずい立場に立たされているのだと、悟る。

「次の用事があるから、これで」
 会場から出ようとすると、「まあまあ、討論会は始まったばかりじゃないですか」と司会者が押しとどめる。
「これ、片田総理の声ですよね?」
「いや、ちが、違うっ、オレの声じゃない!」
「でも、総理って言われてますよ?」
「知らない、知らない! こんなの捏造だ!」
 美晴をものすごい形相でにらみつける。

「お前な、自分が死刑になる身だってこと、分かってんのか?」
「死刑にしたいのなら、すればいいじゃないですか」
 美晴は凛として言い返す。
 そのまっすぐな目に、片田はぐっと言葉を飲んだ。