「いったい、何をしてるんだ!」
 片田の怒鳴り声が廊下にまで響いた。
「やつらを対立させるどころか、手を結ばせるなんて、お前はどこまで無能なんだ!」
 白石はうなだれていた。
「いや……ゴミ捨て場を襲わせれば、やつらもおとなしくなるって思ったんですけど」
「おとなしくなるどころか、感動的な和解だってネットで話題沸騰じゃないか! 影山美晴や真実の党が検索ワードで上位に来てるんだぞ? 革命のアイドルの復活だって、みんな喜んでるじゃないか」
「こんなことになるとは思わなくて」
「もういいっ、お前はほんっとに役立たずだな! ここから先は三橋が陣頭指揮を執ってくれ」
 三橋はうやうやしく、「かしこまりました」と頭を下げる。

「い、いや、待ってください、総理。それじゃ、影山美晴を襲わせますから」
 白石の一言に、「んなことしたら、オレがやったと思われるだろうが! タイミングを考えろ!」と片田は一喝する。
 三橋は口の端に笑みを含んでいる。
「テレビ局や新聞社には、引き続き真実の党を取り上げないように釘を刺しておきました。地方の高齢者は、真実の党の存在を知らない人も大勢いるはずです。後は、都心部の有権者をどうやって取り込むか、ですが」
 よどみなく報告している三橋を横目に、白石はギリギリと奥歯を噛みしめた。


 日曜日、渋谷には大勢の若者が集まって来ていた。いつもの見慣れた休日の光景だ。
 思い思いにオシャレを楽しんでいる若者に混じって、みすぼらしい格好をした若者もいる。彼らは低賃金で朝から晩まで働かないと暮らしていけないのだ。
「ねえ、お腹すいたあ。どっか入ろうよお」
「どこ行く? 並ばずに入れっかな」
 カップルがいちゃついているのを横目に、一人の青年が店の前で呼び込みをしていた。
「こちら、先週オープンしたばかりのハンバーガー屋です。ランチセットは1500円、いかがですか?」
 チラシを配ろうとしても、みんな受け取ろうとしない。
 何人もの若者が、「ジャマ」「そんなところに突っ立ってんなよ」とわざとぶつかっていく。そして、振り返って意地悪く笑うのだ。

 ――こんなの慣れっこだ。貧乏な家に生まれたってだけで、子供のころから、ずっといじめられてきた。今だって、そうだ。大学に通うこともできずに、毎日働いてるのに、お金は全然貯まらない。世の中にはバカにされてさ。オレが悪いのか? オレが何をしたって言うんだ?  

 前を歩いて行くカップルが、こちらを見て笑ったような気がした。

 ――あいつらっ……。

 チラシを投げ捨てて殴りかかろうとした、そのとき。
「あなたは、今の人生に満足していますか?」
 突然、センター街に声が響き渡った。
 見ると、街にあるスクリーンすべてに、女性の顔が大写しになっている。
「あなたは今、幸せですか?」
「え? 何?」
「なんかの宣伝?」
 若者たちは立ち止まってスクリーンを見上げる。

「今、あなたが辛い思いをしてるなら、苦しんでいるのなら、それはあなたのせいじゃありません。あなたは何も悪くない。この国の仕組みが悪いんです」

 チラシを配っていた青年は、心の内を見透かされたようで、ドキリとした。

「私は、皆さんに対して謝りたい。こんな国にしてゴメンなさいって。15年前、私たちが最後まで闘いきれなかったから、この国は若者が希望を持てない国になってしまいました。この15年で、どれだけの若者が命を絶ってきたのか……それを想うだけで、胸が張り裂けそうになります」

「あ、あの人、ゴミ捨て場で演説してる人じゃない?」
「ああ、動画見た見た」
 若者たちがざわめく。

「私たちは真実の党です。テレビでも新聞でも、決して私たちを取り上げることはない。それは、政府は恐れているからです。私たちが正しいことをするのを。世の中を正しい方向に変えようとするのを。
 私たちは幸せになるために、この世に生まれてきました。その幸せは、きっと人によって違うでしょう。お金持ちになりたい人もいれば、有名になりたい人もいる。だけど、多くの人は、人並みの暮らしを送りたいって思っているはずです。
 それって、特別なことでしょうか? 豪邸に住みたいわけでもないし、高級車に乗りたいわけでも、ブランドもののファッションに身を包みたいわけでもない。大切な人と、食べるのに困らない程度の暮らしをできればいい。そんなささやかな幸せさえ手に入らない世の中って、何なんでしょう? 
 皆さんは、5年後も10年後も今の生活でいいって思ってますか? 今の生活を変えたいなら、自分たちで変えなければなりません。20代、30代の方は、選挙権がないから自分たちには何も変えられないって、関係ないって思うかもしれません。
 いいえ、変えられます。皆さんの声を聞かせてください。その声が日本中、いえ、世界中に広まれば、きっと変えられます。今、皆さんに必要なのは、ちょっとした行動を起こすためのちょっとした勇気です」

 そこでスピーチは途切れて、MVが始まった。
 青年は夢から醒めたような顔つきになる。まばたきもせずに、そのスピーチに惹きこまれていたのだ。
 見ると、多くの若者がスピーチに釘付けになっていた。流行のファッションに身を包んだ少女たちも、身を寄せ合っているカップルも、くたびれた格好で働いている青年たちも。

「センター街をご通行中の皆さん!」
 そのとき、声が響き渡った。
 一人の若者が道端で、拡声器を片手に立っている。その若者は、緑色の怪獣の帽子をかぶっている。
「僕は真実の党から立候補した、山脇陸です! 僕は今日、皆さんにお願いがあって、ここに来ました」
 通りにいた若者が、「なんだ、なんだ」と集まって来る。

「皆さんもご存じのように、40歳より下の人には選挙権はありません。だから、今回の選挙は無関係だって思ってるかもしれません。でも、それでいいんですか? 40歳以上の大人たちに勝手にこの国の未来を決められてしまって、その結果が、今のこの絶望的な状況です。
 僕は21歳です。僕は正社員として働くことができない。だから、福島で原発の作業員として日雇いで働くしかありませんでした。母もそうです。母は今、がんにかかってます。でも、治療をできなくて……僕は子供の時に父が亡くなって、貧しい生活を送ってきました。中学までは通えたけど、高校は通えなかった。
 生まれた家庭によって自分の人生が決められてしまう。チャンスも何もない世の中で、僕らは苦しんできたはずです。そんな世の中を変えるには、やっぱり選挙しかないんです。だから、周りの大人を説得してください。真実の党に入れてくれって。僕の名前じゃなくていいです。真実の党に入れてくれればいい。
 僕はちっぽけな存在です。僕の言葉で、世の中を変えられるなんて思ってない。だけど、僕自身は変えられない。世の中がどんなに僕を変えようとしても、僕はずっと変わりません。僕はこれからもずっと声を上げ続けます。こんな世の中おかしいって。こんな世の中で生きていきたくないって、僕はずっと言い続けます。だから、」

「おいっ、何をしている!」
 騒ぎを聞きつけた警官が数人駆けて来た。陸はあわてて、「僕らの動画を見てください!」と言うと、人垣を縫って全速力で逃げていった。
 集まっていた若者は、さりげなく警官の行く手を遮って、陸を逃がす。
「今の、なんだったん?」
「さあ」
 若者の多くは、今の騒ぎは何だったのか、理解できないまま散っていく。

「おい、何をサボってるんだ!」
 背後から罵声を浴びせかけられて、青年は我に返る。振りむくと、目を吊り上げた店長が立っている。
「サボってると、時給やらんぞ?」
「すすすみません」
「もういいから、トイレの掃除して!」
「……ハイ」

 ――僕自身は変えられない。世の中がどんなに僕を変えようとしても、僕はずっと変わらない。

 話があちこちに飛んで、つたない演説だった。だが、心をつかまれた。
 青年は胸に熱い何かが沸き上がってくるのを感じた。

 その日の夜、青年は真実の党の演説を動画サイトで見た。
 動画はすぐに政府が消してしまうらしい。だが、世界中の支援者たちが連日投稿するので、いたちごっこになっているのだと、支援者たちのコメントを呼んで知る。
 青年は陸や美晴の演説を聞きながら、いつしか涙を流していた。狭いワンルームの、折り畳みテーブルと布団以外は何もない部屋で。
 やがて、青年はスマホをテーブルに立てると、録画ボタンを押した。

「こんにちは。僕の名前は結城亮です。僕は24年間、ずっと死にたいって思いながら生きてきました。今まで、何一ついいことがなくて……」