レイナはステージ衣装を着替える気力もなく、とぼとぼと駐車場に向かっていた。その後を裕や笑里たちが、かける言葉もなくついていく。
「まったく、信じられない! こんなドタキャンを起こされたら、アメリカじゃ訴訟もんだぞ?」
 スティーブが一人、怒りを抑えられない。
「レイナ、元気出せよお」
 トムがレイナに腕を絡める。
「だい……じょぶ?」
 アミも心配そうに手をつなぐ。
「あれっ、アミ、しゃべれるの?」
「学校で発声法を習って、簡単な言葉はしゃべれるようになったのよ」
 笑里が教えると、「へ~、すげえ!」とトムは興奮する。

「レイナ、もうあきらめるの?」
 ふいに、美晴の声が聞こえた気がした。
 レイナが文字の読み書きや算数の計算で「分かんない」とギブアップすると、美晴はいつもそう言うのだった。
「そこであきらめちゃったら、一生できないまま終わるわよ」
「だって、レイナ、学校通ってないから分かんないんだもん」
 そういうと、美晴は悲しそうな顔になる。
「そんなの関係ない。学校に通ってても、自分から学ぼうとしなかったら、何にもできないまま終わるの。レイナはずっとゴミ捨て場で暮らすつもり? 勉強したら、ここから抜け出せるのよ」
 レイナには、勉強したらゴミ捨て場から抜け出せるという意味は、よく分からなかった。
 でも、あきらめるのも悔しくて、またテキストを広げると、美晴は嬉しそうにしていた。
 美晴は勉強でも何でも、レイナが分からなくても根気よく教えてくれた。だけど、レイナが投げ出そうとすると怒るのだ。

「まだあきらめないよ、ママ」
 レイナはつぶやく。
「ねえ、私、歌いたい」
 レイナは裕と笑里に向かい合った。
「私、ここに歌いに来たんだもん。みんなのために歌いたい」
「歌うって言っても、どうやって?」
「分かんない。どこか、歌える場所、ないかな?」
 トムがレイナの言葉をスティーブに伝える。
「OH、レイナ、レイナ、レイナ。そうだよ。俺たちはどこでも、歌いたい場所で歌えばいいんだ。俺たちは自由なんだ!」
 スティーブは顔を輝かせる。
「何かアイデアを考えよう」

 メインステージの裏手に、野原を切り開いてつくった駐車場がある。
 バックバンドの楽器を運んできたトラックの荷台部分は、側面が鳥の翼のように跳ね上がる仕様になっていた。そこを簡易ステージにして、レイナは駐車場で歌うことにした。
 バックバンドは、あわただしく楽器を出して準備する。コーラスのメンバーも、一緒にステージに上がって歌ってくれることになった。
 駐車場に戻って来ていたファンたちは、「何、何?」「え、まさか、レイナ、ここで歌うの?」とざわめいている。
 準備が整った。
「さあ、行こう」
 裕がレイナの背中を軽く押す。
 レイナは荷台に上がると、「こんばんはー、レイナでーす!」とマイクで呼びかける。

「私は今日、ここに歌いに来ました。だから、今、ここで歌おうと思います!」
 レイナの声が夜空に響き渡る。まわりにいたファンから大歓声が上がる。
「やった、やった!」
「ウソウソ、レイナ~」
「アツシたちを呼ばないと! 電話、電話!!」
 みんな大興奮しながらスマホをレイナに向ける。
 レイナは、さっき最前列にいた少女たちにも歌が届くようにと、バレッタを触って祈る。あのキラキラした瞳。

 ――みんなが元気になりますように。私は、みんなのために歌うんだ。

 バックバンドが演奏を始める。
 レイナは大きく息を吸った。


 レイナの歌声は、他のステージに向かっていた観客にも届いた。
「えっ、この声、もしかして」
「レイナじゃね?」
「えっえっ、レイナ歌ってんの? どこで?」
「もしもし? えっ、駐車場? レイナ、駐車場で歌ってんの!?」
 観客は次々と駐車場に向かって走りはじめた。


 その少女二人は、泣きながら森を歩いていた。
「せっかく、レイナちゃんの歌を聞きに来たのに」
「ひどい……こんなの、ひどすぎるよお」
 ふと、その耳に歌声が届く。それは、ずっと待ち望んでいた歌声だった。
「えっ、これって」
「レイナちゃん?」
 二人は顔を見合わせる。その顔に、みるみる喜びの光が射していく。
 それから、全速力で走る、走る、走る。
 歌声が、二人を導いてくれる。まっすぐ、まっすぐに――。


 そこには華やかなステージの照明は届かない。
 裸電球の灯りがわずかに照らしているだけの駐車場。レイナを撮影しているファンのスマホの灯りが、まるでステージのライトのようにレイナを照らし出す。
 駐車場はあっという間に大勢のファンで埋め尽くされていた。
 一曲歌い終えると、大きな拍手と歓声が起きる。
「みんな、ありがと~、まだまだ行くよー!」
 わあっと歓声がはじける。

「あっ」
 あの二人組の少女が、森から出て来たのが見えた。
「ここだよー、ここ!」
 レイナはジャンプしながら、大きく手を振る。二人の顔は涙でグシャグシャになっていた。
「よかった、あなたたちに会えて! あなたたちに歌を聞いてもらいたかったの!」
 まわりの観客が、「ほら、前へ行って!」「あっちのほうが、よく見えるよ」と二人に場所を譲ってくれる。

 笑里とアンソニーはその様子を見ながら、感極まって泣いている。
「あの子は本当に……っ」
 アンソニーはしゃくりあげる。
「素敵な奇跡を起こすんだから」
「不思議だ」
 裕はひとりつぶやく。
「パワフルで切ない声が持ち味だったけど……優しさが加わっている」