「申し訳ありませんっ」
 ディレクターは楽屋で、また土下座をして謝った。レイナはすっかり放心状態で、椅子に座り込んでいた。
「そういうのはいいですよ」
 裕はうんざりした表情で言う。
「それより、理由を説明してください」
「その、先ほど、レイナさんのライブを、ちゅ、中止してほしいという連絡がありまして」
「どこから?」
「その……かか官邸からです」

 裕と笑里はハッと顔を見合わせる。
「どういうことですか?」
「ぼ、僕も詳しいことは分からないんだけど……うちの社長のところに官邸から電話がかかってきて、レイナのライブを直ちに中止しろって。中止しないと、明日以降のライブを開かせないぞって言われたらしくて」
「それ、官邸を名乗ったイタズラ電話じゃないの?」
 アンソニーの言葉に、ディレクターは大きく頭を振る。
「うちの社長は総理の支援者で、元々官邸とは交流があって……」
 裕は怒りを抑えるために目を閉じた。

「社長も、さすがにそれはムリだって突っぱねたらしいんです。そしたら、自治体のトップから、『明日以降のライブは認められない』って連絡が入って。ステージに穴をあけるわけにはいかないって言ったら、官邸が代わりのアーティストを派遣するって言いだしたらしくて」
「それでヒカリが来たってわけか」
 ディレクターは「本当に……情けないし、悔しいし、僕も何もできなくて」と、涙を拭った。
「せめて、もっと早くに言ってくれればよかったのに」
 笑里の言葉に、「いや、わざとだよ。わざとこのタイミングで中止させたんだ」と裕はつぶやくように言う。

「社長も謝罪をしに来るそうです」
「社長さんに謝罪をしてもらったところで、もうどうにもなりませんよ」
「ステージ料金はお支払いしますので、どうか、どうかっ」
 ディレクターは頭を床に擦りつける。
「お金の問題じゃないですよ」
 裕はため息をつく。
「社長は何か弱みでも握られてんの? 脱税とか?」
 アンソニーの何気ない言葉に、ディレクターは固まる。
「マジなの? そんなことで、4万人ものファンの気持ちを踏みにじるわけ? あんたたち、来年からこのフェスを開けなくなるわよ」

「レイナ、一体何が起きたんだ!?」
 客席にいたスティーブたちが楽屋に飛び込んできた。アンソニーの説明を聞くうちに、スティーブのこめかみはピクピクと動く。
「そんな失礼な話ってあるか? なんで君たちは権力者の言いなりになるんだ! そんな腰抜けなのにロックフェスティバルなんてよく開けるな? 君たちにはロックの魂がないのか! 恥を知れ!」
 スティーブはすごい剣幕でディレクターとスタッフたちを責める。
「あの、英語、分からなくて」
 ディレクターが戸惑っていると、「あんたたちみたいな腰抜け野郎にはロックフェスをやる資格はないって言ってんのよ」とアンソニーが要約する。

「レイナを出さないなら、オレも出ない。こんな腑抜けたフェスに出るなんて冗談じゃない! 今後、二度と出るつもりはないからな!」
「スティーブもライブをやらないって。もう二度とこのフェスには出ないって言ってるわよ」
「そそそんな、困りますっ。スティーブさんは大トリなんですから!」
 ディレクターは慌てふためくが、スティーブは耳を貸さず、「レイナ、行こう。こんなところにいたら魂が汚れちまう」とレイナを促した。
「ちょっと待ってくださいよお」
 ディレクターは悲痛な声を上げる。
 

「はーい、皆さん、落ち着いてぇ。今日は新曲を披露しまぁす。『あなたと永遠に』。えー、この曲は、私が初めて作詞にチャレンジして……」
 観客の興奮は収まらない。ブーイングがまたひどくなり、ヒカリは話すのをあきらめて、バンドに演奏を始めるように促した。
 前奏が始まると、「帰ろ、帰ろ」「ヒカリの唄を聞くなんて、時間のムダ」と観客が続々と背を向けて帰り始めた。
「日曜の午後、今もあなたの背中を探してる私~♪って、ちょっとちょっと! 歌ってるところなんだけど!」
 ヒカリの呼びかけにも振り向かず、「あーあ、せっかくレイナを見に来たのに」「他のステージ、まだ見れるかな?」と観客はあっという間にいなくなった。

 ガランとした芝生が広がるだけの空間になり、ヒカリは「もうっ!」とマイクを床に投げつけた。跳ね返ったマイクは芝生に落ちる。