『これが、人類が永遠の眠りに至るまでの過程である』

 そんなエピローグで締め括られた古い映像を見たのは、もうどれくらい前だったろう。
 未だ寝惚けた頭の中、幼き日の懐かしい夢に感化されながら、僕はぼんやりと一人簡素な朝食を口へと運ぶ。
 栄養ばかり満点な、然して美味しくもないゼリー飲料と、味気のないサプリメントと僅かな水。それらを一気に胃に詰め込めば、僕『星野望』の代わり映えしない一日がまた始まる。

 まずは端から端まで僅か十歩足らずで辿り着く狭い室内での軽い運動。寝過ぎて凝り固まった身体をストレッチで伸ばせば、背骨や膝がぼきぼきと小気味良い音を立てた。
 次いで日課の部屋の点検。真っ白な壁は汚れなく、インテリアの一つもないので殺風景だ。何か変わった所はないか、虫の一匹でも入り込んでいないかと、念入りに隅々までチェックした。

 そして一冊のノートとペン。食糧の近くに無造作に落ちていたそれを拾い上げ、日記と呼ぶには乱雑に、とりとめのない夢の欠片や浮かぶ思考を書き殴る。

 最後はこの部屋唯一の調度品とも言える、スマートフォンのチェック。目が覚めてまた眠るまでの間に、一日一回だけ電源を入れて、新着メッセージがないかを確認する。もっとも、今まで一度たりとも新しい情報が増えていたことはないのだが。

 以上が、僕の日課だ。とても簡素で、何の代わり映えもない一日。残りの時間は、眠たくなるまでひたすら何かを考える。
『夕飯に好きなものを食べられるとしたら何がいい』とか『眠る前最後に読んだ漫画の結末はどうなるのだろう』とか、そんな下らないことでも、兎に角真剣に考える。そしてノートにメモを取る。昔からの習慣だった。

 思考のテーマは様々だ。過去の記憶を思い返したり、夢から着想を得たり。親に似たのか、考え事は昔から好きだった。

 嗚呼、そうだ。今日考えるのは、夢に見たこれにしよう。
 ずっと昔に見た、とある映像。
『これが、人類が永遠の眠りに至るまでの過程である』そんな言葉で締め括られた、夢も希望もない壮大な計画。
 けれど永遠の眠りなんて、嘘だった。だって僕は、一人こうして目覚めてしまったのだ。
 生きていた人間は皆、発展したテクノロジーに全て任せて、海の底で安らかに眠っているらしい。

 しかし僕だけ、どうやら海の底には沈めて貰えなかったようだ。
 皆と一緒に永遠を覚悟して眠ったにも関わらず、目が覚めると、そこは見知らぬ真っ白な部屋だった。



*******



 ある日、地球に幾らかの小隕石が降り注いで、幾つかの国が消失した。
 何年もの間隕石の雨は止まなくて、家も森も山も人も燃えていった。
 引力がどうとか、当時幼かった僕には難しくて良く分からなかったけれど、地球が色んな隕石を吸い寄せる磁石みたいになってしまったのだと、科学者だった母、星野夢は言っていた。

 本来小さな隕石は大気圏内に入るだけで燃え尽きるけれど、燃え切らずに地球に飛び込んで来たものだから、小隕石と言っても規模が違う。それが当たり前のように地球全体に降り注ぎ、あらゆるものを一瞬で潰して、砕いて、燃やして、壊した。
 地球外生命体にダーツの的にでもされてるんじゃないかと思うくらいの、まさに地獄の日々だった。

 それからしばらくして、それまでと比べ物にならない程の大きな隕石の衝突が一ヶ月後にあることを、僕達人類は知った。
 最新のテクノロジーや偉い学者さんの計算によって明らかになった、その避けようもない地球最大の危機。
 しかし件の巨大隕石に備えようにも、いつ来るとも知れない軌道の読みにくい小隕石が止むことはなくて。日々この星の命は失われていった。
 地球滅亡予想まで残り三日となった日に、生き残った僅かな人類は、せめて穏やかに眠ることを選んだ。

 そして永遠の寝床には、AIの導き出した計算によって、一番隕石の衝撃が少ないであろう海の底を選んだ。
 それが、通称『ゆりかご計画』。
 すべての命は海で生まれたと聞く。ゆりかごに揺られながら眠り、海に還るのもまた道理だ。
 生き残った人類は、持てる科学の叡知を総動員し、海の底の水圧にも耐えられるゆりかごという名の棺を作った。

 ゆりかごなんて赤ん坊をイメージさせる名称なのに、所謂コールドスリープだとか、もしも地球が奇跡的に無事だった場合の未来に希望を託すような、そんなポジティブな物じゃない。何せ冷凍し続ける為のエネルギーすら、いつまで賄えるかわからないのだ。

 何年も降り頻る隕石の雨でぼろぼろの日々を送ってきた人類に、希望なんてものは既になかった。
 求めていたのは、もう隕石に怯えなくて済む、穏やかで静かな終わり。

 そうして僕達はあの日、母の作った安らかな永遠の眠りを叶えてくれる薬を使って、棺に身を沈めた。あとは残された機械が、棺を海の底に沈めてくれると聞いていたのに。

「どうして、僕だけ目が覚めたんだろう……」

 一人呟いたところで、当然返事は無かった。最初に目が覚めたのが、もうどれくらい前なのかも正確にはわからない。日記を書き始めたのは、しばらく経ってからの気紛れだった。あの日も確か、幼き日に見た映像を夢に見て、それに影響されてだった。

 何日、何ヵ月、何年ゆりかごで眠っていたのかも不明だ。ただ唯一、記憶よりも大きくなった掌と、きつくなった洋服だけが時の経過を実感させた。

 そしてこの白く四角い部屋が、海の底にあるのか地上にあるのかすらわからなかった。壁一面が白いこの建物に窓はなく、外の情報が何も得られないのだ。

 あるのはいつ誰が用意したのかわからない、味気のない最低限の食糧と水、何処から取り入れているのかもわからない酸素。手の届かない高い天井の、いつまでも切れない丸い電気。
 それから、肌身離さず持ち歩いていたスマートフォン。
 当然コンセントもなければ電波もなさそうで、日付はとっくにエラー表記。充電も残り僅かで、使い途は無いけれど。

 それでも、内蔵された時計は生きていたお陰で大体の時間のリズムは作れたし、幼い頃に母から貰ったくまの形のストラップを見ては、心が和んだ。
 思春期に男がこんなデザインの物を持ち歩くなんて何となく恥ずかしかったけれど、僕がスマートフォンを手にした中学生の頃には、既に破壊し尽くされた世界でストラップなんていう生活に必要のない品はほとんど売ってなかったし、今こうしてこの何もない空間で狂わずにいられるのは、間違いなくこいつのお陰だ。

 くまのストラップは小さなマスコットで、手触りがいい。柔らかな綿入りだったのに、触り過ぎて潰れてきてしまったのが悔やまれる。今やもう可愛らしかった丸いフォルムは見る影もなく、言うなれば平べったい煎餅布団だ。

『これが、人類が永遠の眠りに至るまでの過程である』


 くまを指先で撫でるように弄りながら、幼い頃に見たゆりかご計画の説明映像を思い返し、ぼんやりと思考する。

 娯楽も刺激も何もない真っ白な部屋では、眠ることと食べること、そして考えることだけが、僕に出来る唯一のことだった。
 僕にはゆりかごに入った日の、十五歳までの知識しかなかったけれど、何もない空間で思考を繰り返す内に、幼い頃の記憶も少しずつ思い出せるようになっていた。

 科学者だった母が、パソコンと睨めっこしながら作っていた薬品関係の資料、片親だったから特別に託児所代わりに良く連れて行ってくれた研究施設。
 そして、ゆりかごプロジェクトの責任者だった、母の最期の大仕事。
 もしかすると、あれは疲れきった僕達を安心させて眠らせるために作った、偽物の計画だったのではないか。

 もしかすると、僕以外にもこうして何処かの部屋に、生き残った人類が居るのではないか。
 もしかすると、母は僕を生かすために、この部屋に入れたのではないか。それなら食糧や水にも説明がつく。

 そんな『もしも』が脳内を駆け巡り、とっくに捨てたはずの希望を生んだ。
 その日は仄かな希望を胸に、考え疲れて眠ってしまった。久しぶりに、心穏やかに眠れた気がする。


*******


 ゆっくりと眠って目が覚めると、いつもより辺りが薄暗かった。
 こんなことは初めてだ。僕は慌てて飛び起きて、唯一の光源たる丸い光を確認しようと天井を見上げる。
 光は、いつもと変わらずそこにある。けれどどうにも、端から少しずつ欠けていくのだ。その様子を呆然と眺めながら、唐突に理解した。

 光がゆっくりと端から遮られ、消えていく光景。あれは、幼い頃一度だけ見た日蝕に似ている。
 ずっと消えない謎の明かりだと思っていた丸い光は、太陽だったのか。

 記憶よりも遥かに遠くて、直視しても眩しくない小さな弱々しい光。しかしあれが太陽だとするのなら、電気もなさそうなこの空間で輝き続けているのにも説明がついた。
 改めて、太陽だと認識して手を伸ばすと、ほんの少しだけ、その光は温かい気がした。
 そして気が付いてしまった。風もない、虫すらいない、宇宙のように何の物音もしない空間。それはこの四方を囲われた部屋の中だからだと思っていた。

 外に出れられれば、その先に何かを見付けられるかもしれないと。……けれど、違った。此処は白い壁に囲まれて、ただそれだけなのだ。漠然と箱のようなイメージをしていたけれど、本当は蓋のない壁だった。
 通りで酸素は運動しても減らないし、天井は幾らジャンプしても手で触れられない。初めから完璧な囲いなど存在しなかったのである。

 そう、初めから、外は見えていた。壁と同じ真っ白な空。寸分たりとも動かない太陽に照らされ続けていた。
 海の底でも宇宙の果てでもない、けれどその世界はもう、僕の知る地球の姿ではなかった。

 やがて小さな太陽が完全に覆われて、暗くなった辺りと同化するように、芽生えたての仄かな希望が潰える。
 だって他に同じ部屋があるなら、存在しない天井部分から、物音や声の一つでも聞こえるはずだろう。他に生き物が居てくれるなら、その気配を感じないはずがない。

 僕は唯一残された、食べることも眠ることも考えることも、放棄した。僕以外のすべてが滅んだというのなら、此処で生きている意味なんて幾ら考えてもあるはずがない。
 ずっと何もなければ、それはそれで良かったのかもしれない。けれど一度希望を抱いてしまえば、それを失うことに耐えられなかった。

 隕石の衝突により地球の場所がずれたのか、自転やら公転やらのシステムが狂ったのか、はたまた太陽の方が遠くに行ってしまったのか。今まで照らされていたのが寧ろ異常なのかもしれない。真っ暗な世界に取り残されて、いつまた光が差すのかもわからない。僕の知る日蝕だとして、色々と狂ったこの環境で再び太陽が見られるようになる確証はない。

 思考を諦めようとするのに、世界を覆う完全な暗闇に、たまらなく恐怖を抱いた。皆が眠った海の底も、こんな暗さなのだろうか。仄かな光だったとしても、それが遮られ、一気に気温も下がったようだ。これまで感じなかった肌寒さを覚える。

 このまま凍死するのなら、それで良い。けれど最期にせめて孤独を和らげたくなって、手探りでスマートフォンを探す。自分の手すら見えないような暗闇でも、直ぐにそれは見付かった。柔らかなくまのマスコットを掴み、手繰り寄せる。

 温存していた電池残量を気にせず、最期は残された写真でも見ながら眠りに就こう。そう考えながら手探りで触れていると、不意に違和感を覚えた。

 この煎餅布団のように潰れたくまの、真ん中にある固さは何だ。
 今まで表面の柔らかさを慈しむばかりで、中心部のほんの僅かな固い異物感に気が付かなかった。
 僕はスマートフォンの電源を入れて、その明かりを頼りにくまの中身を確かめる。
 大切な心の拠り所を自らの手で壊すことに躊躇いがない訳ではないが、今はもう、何にも構っている余裕はなかった。

 くまの首と胴体を引き千切り、中から出て来たのは米粒より一回り大きい程度の、床に落としでもしたらごみに紛れてしまいそうな薄紅色の粒。しかしそれは、見覚えのある錠剤だった。

「これは……母さんの作った薬……?」

 あの日、ゆりかご計画始動時に配られた、安らかに永遠の眠りに就ける希望の薬だった。
 何故、これがこんな所に。
 ずきんと急に痛む頭を抱えながら、待ち受け画面に設定された母と僕が最期に撮った写真が視界に映る。
 紙の上に溢した水が染み渡るように、記憶の奥に仕舞い込んだ、あの日のことを思い出した。



*******


 僕は、母に連れられて小学生の頃まで研究所に出入りしていた。中学に上がる頃には流石に機密事項があるからと部外者の立ち入りは禁止されていたけれど、親譲りの好奇心と知識で、幼い頃からある程度理解はしていた。
 人体に関する数多の研究と、それに附随した苦痛を和らげたり命をコントロール出来る薬の研究、遺体を海の底に沈めておけるゆりかご。

 そう、少し考えればわかることだ。あんな短期間で、あんな劣悪な環境で、必要なあれこれを作成出来るはずがない。
 計画の説明映像なんて、用意している場合ではなかっただろう。
 恐らく『ゆりかご計画』は、僕が幼い頃から隕石なんか関係なしに計画されていたのだ。

「母さんは、何のためにこんな研究を……?」

 安らかな死が希望となるのはあんな世界だったからで、そうでもないのに眠るように死ねる薬を作っていた母。常に優しく時に厳しく女手一つで僕を育ててくれた、大好きな母。その二つの像が上手く噛み合わず、心が理解を拒絶する。
 これが漫画や映画なら、断片的な情報から推理をし、真実を探しにいくものだろう。
 けれど、手元にあるのは電池が残り僅かなスマートフォンと、死に至る薬と、いつ明けるとも知れない果てのない暗闇だけ。

「……はは、もう、どうでもいいか」

 答えを今更知った所で、もう誰も居ないのだ。もう、何も意味がない。

「母さん、今、僕もそっちに行くから……」

 天国という所があるのなら、そこで話を聞ければ良い。そんな夢物語を想像して、最期の最期まで希望を捨てきれないことに絶望する。何度裏切られても、何度失意の底に沈んでも、結局人は、死の間際まで一欠片の希望を諦められないのだろう。

 そうして全てに疲れ果てて、僕は今度こそ目覚めることがないようにと、仄かな希望を込めてその薬を口にした。



*******



 度重なる隕石の衝突により、人類は滅亡を覚悟した。
 それでも往生際悪く研究を続けようとしていたら、幸運の女神とやらも呆れて認めてくれたのだろう。私の働く研究所付近には、ほんの欠片程度の隕石しか降ってこなかった。

 そして隕石の欠片を採取して、そこに付着していた未知の物質を発見した。それは我々にとって、希望と言える存在だった。その物質を用いることで、研究は当時のテクノロジーを遥かに越えたものへと格段に、飛躍的に進化した。

 本来ゆりかご計画は、星野望が生まれるずっと前から始まっていた。全ては私の目的のために。
 これは人類のためなんて大義名分を被った利己的な計画。

 安らかな永遠の眠りを願う人間の望みをこの薬を使って叶える代わりに、痛みは伴わない条件で人体実験に参加して貰うという非合法なものだった。被験者を集めるのには中々苦労していたから、隕石により世界が混乱したのはいっそ好都合だった。

 そして隕石が降り始めた頃から、お偉方が秘密裏に作っていた、海底シェルターという名の隔離都市。そのシェルターに用いる素材を研究するのも、私達の研究施設の仕事だった。海底の水圧に耐えられて、更には独自に酸素を産み出す建造物。結局完成したそれに避難する前に、依頼主は皆死んでしまったけれど。

 此度の改変された『ゆりかご計画』において、私はそれを拝借しただけだ。
 何も知らない生き残りの人類へ弱めの薬を飲ませ、安楽死ではなく仮死状態にし、シェルターと同じ原理のゆりかごに眠らせる。そしてゆりかごを海底シェルターへと運び込んだ。
 数人の研究所の仲間と、人類復興の名目で集めた協力者とで、海底に投棄する設定だった機械のプログラムを書き換えてその作業を行った。
 ゆりかごに眠る彼等には、まだ利用価値があった。一度は死を受け入れた身だ、人体実験に使われようと文句はないだろう。

「なんだってまあ、海の底でまで研究を続けようなんて、夢さんも大概だよなぁ」

 不意に私の研究室に観測資料を持ってやって来た呆れ混じりの協力者の言葉に、思わず肩を竦める。彼も同じ穴の狢だろうに。

「大事な被験体を、隕石になんてくれてやるものですか。地球が滅亡したって、海の底でだって、宇宙の果てでだって、私は研究を続けるわ……科学者っていうのは、そういう生き物でしょう?」
「はは、違いない。俺は人類復興のためにあなたのクローン技術の進歩の手伝いを。あなたはあなたの目的のために、俺達のシェルター技術を、お互い役立てましょう」
「ええ、そろそろフェーズセブンが終わるわ。引き続きフェーズエイトもお願い」
「ええ。天才科学者、星野夢の仰せのままに」

 海底シェルターに避難して数ヶ月、やがて地球の位置が巨大隕石によりずれたのか、星が歪み何らかの影響が出たのか、しばらくして隕石の衝撃はなくなった。甚大な被害をもたらした隕石は、もうこの星を襲うことはなくなったのだ。

 安全が確認されてから、私は協力者数名と、あの子の……星野望の眠るゆりかごを連れて、地上へと戻った。何もなくなった、まっさらな土地。実験にはぴったりだった。
 そうして、ゆりかご計画の次の段階、新たな計画が幕を開けた。

「……フェーズセブンの全被験体の終了を確認。それぞれ日記のノートは回収して、精神分析班に。食糧の補給と、スマートフォンも充電しておいて」

 私はまっさらで広大な土地を見下ろしながら、それぞれ音も届かない程遠く離れた場所に設置された幾つもの四角い部屋、新しいゆりかごへと、順に視線を向ける。

「……ええ、『ゆりかごA』のストラップは修復して……中にまた薬を入れるのを忘れないで。……そう、今回は偶々見つけたみたいだったから、もう少し分かりやすくして頂戴。あくまで自分の判断で飲めるように」

 私は数人の協力者へと、直ぐに指示を飛ばす。望が目覚める前に、次の実験の準備をしなくては。

「『ゆりかごB』の方はスマートフォンは持たせてないから、代わりに与えた本を初期位置に戻しておいて。落書きされたものが幾つかあったから、その本は回収。次はCDを置いてみましょう。音楽は情操教育に良いわ」

 それぞれの白い部屋には、条件を変えて生活する同じ顔の被験体が何人も居た。

「『ゆりかごC』は先週既に薬を飲んで撤収済みだから、別条件で部屋の設置を。被験体Cは海底シェルターで眠っているから、連れてきておいて。フェーズエイト開始と共に部屋に戻して目覚めさせるわ」
「了解です、他の各ゆりかごの『星野望』はどうしますか?」
「適当に布団に寝かせておいて。先に薬を飲んだ子達も、半日もすればまた目が覚めるわ。あの薬は死をもたらすものじゃないもの。……あの子には、まだ生きていて貰わなくちゃ……あの子は私の大事な、被検体だもの」

 私は、不完全なままゆりかごに眠る、望にそっくりの少年を見下ろす。硝子の棺に閉じ込めた美しい人形のように、眠ったまま目覚めることのない、私のたった一人の宝物。私の最愛の息子、希。

 隕石なんて考えたこともなかった頃、汚れた世界で心を病んで、苦しみの果てに眠りに就いた希。
 自らの手で安楽死出来る薬なんてものを生み出したのも、彼への歪んだ愛情からだろう。私は、愛する希を生き返らせるために、死をコントロールする薬や禁忌とされる人のクローン技術や記憶の移植にまで手を出した。

 隕石が壊してくれた、汚れた世界。真っ白な世界は、この子がまた生きるのに相応しい。幸運の女神は何処までも私の味方だ。
 そしてこの子の代わりにここまで育てた望は、きっと希が生きるための役に立つ。地球滅亡くらいで死なれては困るのだ。


*******


 弱い効力の薬により半日の仮死を経て、副作用として短期間の記憶を欠落させながら、安全な白い箱庭の中、望は終わりの先の世界で、再び目を覚ます。

 フェーズセブン最後の生き残り『ゆりかごAの望』の死因は暗闇がトリガーになったものの、他に生き物が居ないことが大きな要因だったらしい。対人関係で心を病んだ希のクローンなのだから、人から遠ざけようとしたのが仇となったようだ。

 だから今度はAの近くに、同じ部屋を置いてみた。中にはゆりかごに眠っていた他の被験体。互いに姿は見えずとも気配や声はするだろう。仲間が居れば、生きることを諦めないのか。それとも、敵対して罵り合い傷付くのか。

 死の先を生きる望は、未来の希だ。彼の思考パターン、健康状態、心理状況、死に至る過程。すべて徹底的に調査する。いつか希の肉体を生き返らせたとして、心がまた死んでしまっては意味がない。心身同時に、あらゆる検証が必要だった。そのための、気の遠くなるような実験。

 海底のシェルターではクローン技術により人類復興に尽力しているのだから、地上で多少好き勝手しても許されるだろう。

 何が彼を絶望に導くのか、何が彼にとって害なのか。何度だってやり直して、安全なゆりかごという箱庭で繰り返し見極める。
 科学者の意地なのか、母としての愛なのか、もうわからない。けれどこの実験は、この希望は、最期の最期まで潰えることはないだろう。それが、人間の性というものなのだ。

「此処は……?」

 ぼんやりと目を覚ました彼は、きっと初めて薬を飲んだ日の夢を見たのだろう。死を望むとリセットされるこの実験で、毎回日記の始まりの一行はこうなのだ。

 これが、人類が永遠の眠りに至るまでの過程である。


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