——謁見の場にて
重々しい雰囲気の中、勇者は国王と王女に激しく詰め寄っていた。
何故にシスリーを言い分も聞かずに投獄したのか。
彼女はやっていない。
動機が無い。
濡れ衣だ。
国王は答えた。
ならば、王女が虚偽の報告をしたというのか。
生死を彷徨いかけた彼女が。
あり得ぬ。
娘に毒を盛るなど、言語道断。
勇者の連れでなければ、即刻死罪に処していた、と。
王女は答えた。
勇者には命を狙われた私の気持ちが分からないのだ。
深く傷つけられた私の気持ちが。
シスリーを許す気はない、と。
頑なに拒む二人。
説得に失敗したと悟った勇者は、失意の目で2人を見つめた。
そして、シスリーが解放されるまで、魔物討伐は中断すると言い残して、城を出た。
☆★☆
勇者帰宅後、王女は勇者の脅しに動揺する国王に囁いた。
反逆の恐れがある。
次に命を狙われるのは父かもしれない。
相手は魔物をも蹴散らす勇者。
味方の時は心強いが、敵に回すと………。
民からの信頼も今や、王以上ともいえる勇者が次の王になっても何も不思議ではない。
解毒してからまだ日は浅く、まだ体力が万全に回復していない状態。
青白い顔で、怯えた声で胸に顔をうずめて泣きついてくる娘に、王は決心した。
――やられる前にやらなければ。
しかし、意は決したものの、その手段が浮かばない。
国外追放にすれば、民から糾弾されるだろうし、隣国が勇者を放っておくはずがない。
シスリー同様に勇者を牢に入れても、同様。
何より、勇者が黙って捕まる保証などない。
民から非難を浴びず、かつ勇者をこれまで同様に魔物討伐に向かわせる方法などあるのだろうか?
国王が何を考えているのか、見通しているのか。
王女は恐ろしいことを提案した。
——地下牢にて
王女は一人の侍女と共にシスリーの元に出向いていた。
シスリーはここ数日でひどくやつれていた。
それこそ勇者と共に過酷な旅に出ていた時よりも。
食事もろくにとらずに、ただ看守に自分の無実を訴えてるのに声を枯らしていたのだから無理もないが。
そして、王女の姿が目に入るとそれはより一層なものになった。
王女はシスリーと話すと言い、看守に席を外すように命令し、侍女と共に牢の前に立った。
対面する両者。
シスリーは、王女が来るや否や、足元に縋って冤罪を主張した。
王女は侍女と共に、シスリーの話を最初黙って無表情で聞いていたが、当然堰を切ったようにクスクスと笑いだした。
戸惑うシスリーに、王女は言った。
――あなたが私に毒を盛っていないのは知っているわよ。だって、毒を盛ったのは彼女であって、指示を出したのは私だもの。
まるでいたずらっ子がいたずらがバレたかのように、告白する王女にシスリーはしばらく押し黙っていたが、目に見えて動揺の色を隠せなくなり、そしてハッと我に返ったように「病気だというのも………」と声を震わせて聞いた。
シスリーの反応を噛みしめるように唇をぶるっと震わせて、王女は告白を続けた。
――仕方がないじゃない。だって、病気だって言わなければ、彼は城に来ないでしょ。何度も、何度も手紙を送ったのに彼、全然返事してくれないじゃない。
絶句するシスリーに、なおも王女は続けて言った。
――それってかなり失礼な事だと思うの。だから、私もこうするしかなかったの。私の気持ちを踏みにじった彼……いいえ、貴女が悪いのよ。貴方も私の手紙が来ていたの知っていたでしょ? なんで、こうなるまで城に来なかったの?
開き直り、自分には非が無いと言い張る王女。
旅路で、たくさんの支援者から勇者宛に手紙がよく来ていたが、シスリーは中身を見ることはほとんどなく、ましてや王女も送ってきていたなど初耳であり、それが王女の逆鱗に触れるとは言われるまで、思いもしなかった。
が、それを加味してもそれだけで罪を被せられるのは、到底納得できない。
再度釈放を求め、認められない場合は看守に言うと王女に告げた。
――そうね。出してあげるわ。私だってそのつもりでココに来たわけだし。
ニコリ、と微笑んで意外にもあっさりと了承。
侍女に指示を出し、牢の鍵は開けられた。
安堵するシスリー。
だが、彼女の緊張の糸がプツンと切れたと同じタイミングで、侍女はその隙を見逃すまいと、手慣れた手つきでカチリとシスリーに鉄の首輪を嵌めた。
その首輪は俗に言う『奴隷堕ち』を強制させるモノだった。
本人の意思とは関係なく、首輪の持ち主の命令に強制的に服従させる、倫理に反する禁忌の小道具。
シスリーから意思が剝奪される前、彼女が最後に自分の意思で発した言葉は「なんで……?」という間の抜けた声だった。
☆★☆
半年後。
勇者は『シスリーが自白した』という一報を受けて、血相を変えて城に乗り込んだ。
再び謁見の場。
室内に一歩足を踏み入れて勇者は心底驚愕した。
玉座には王ではなく王女が座っており、その隣にはシスリーが控えていたからだ。
久しぶりに彼女の姿を目にした勇者は、まず彼女の服装に違和感を抱いた。
侍女と同じ制服姿で、風の噂で聞いていた地下牢の劣悪環境など微塵も匂わさない血色がよい彼女。
とりあえずは彼女が元気そうな姿に胸をなでおろしたが、いくつか引っ掛かるものが。
『違和感』
シスリーの首元に巻かれた黒いチョーカー。
どこか既視感があり、心がひどく掻き立てられるものがあった。
『違和感』は他にも。
何度も彼女に視線を送るが、シスリーは行儀よく両手を前に組み、ただ王女の方に無の表情で視線を送るばかりで、勇者には一度も目を合わせてくれない。
――何故だ。何故、シスリーは俺に目を合わせてくれない。………何故だ――?
サァ――――と全身から血の気が引いていく。
王女は勇者に「それでは」と切り出して、シスリーを一歩前に出るように促した。
そこでようやくシスリーは首を縦に振って、勇者の方に向き直り――ポツポツと自供を始めた。
自分が王女に毒を盛った事。
動機はない。
魔が差した、と。
『違和感』
まるで淡々と他人事のように話すシスリー。
その姿に、勇者は今自分の前に居るのが、シスリーではない誰か別人であるように思えたが、それを口にすることは躊躇われた。
勇者の中で積み重り、膨れ上がり今にも破裂しそうな『違和感』が、激しく彼に警告を出したが、それを口にすることは、破滅を予感させたからだ。
しかし、彼はたとえそれが破滅への道だとしても、言うべきだと決心するより一足早く、勇者の決意を打ち消すが如く、王女は行動に出た。
ただ、シスリーと勇者を交互に視線を送って相槌をうつだけだった王女は、頃合いを見計らうように、咳ばらいをして玉座から立ち上がり、放心状態の勇者に歩み寄り、彼の頬に手を添えて、慈愛に溢れる聖母のように、勇者に対し、『楔』を打ち込んだ。
——最小の罰と貴方様の愛をもって、彼女の大罪を赦しましょう。
王女は、勇者を懐柔すべく言った。
「魔物討伐という国の最重要の難題を勇者様とシスリーにほとんど押し付ける形で背負わせてしまったのは、国王である父を含めて、私にも責任があります。その心労は私には推し量るなど、残念ながら出来ません。しかし、シスリーが暴挙に出てしまったのは、きっとそういう事なんでしょう………えぇ、勿論分かりますよ? 彼女は決してそのような事を普段からするような人ではありません。勇者様が好いておられるのもきっとそのような所でしょう? 目を見れば分かりますよ」
「………」
宥めるように、まるで駄々をこねる子供をあやすような口ぶりの王女に、勇者はしばらく黙って聞いていたが、王女が勇者とシスリーの関係に言及すると、はじめてギロリと睨みつけたが、王女は臆することなく――。
「シスリーは今疲れているんですよ。彼女と二人っきりでお話してみてそう思いました。だから、今回だけ特例ということでシスリーの犯した罪に対して、目を瞑ります。無罪ですよ、無罪」
あえて二回言う事で無罪を強調する王女。
勇者はそれでもまだ王女に対して、何か納得のいかない表情を向けていた。
「? 心配ありませんよ。彼女に関しては裁量はすべて私に委ねられているので、他の誰が口を挟もうとこれは覆りません。安心してください。ですが………」
王女がそこまで言うと、勇者は肩をブルッと大きく震わせた。
これからが本番か、勇者は王女が何を言い出すのか聴く心構えをした。
「その代わりといっては何ですが、シスリーはしばらく城で静養させます。さっきも申しましたが、彼女は今とても疲れています。休養が絶対に必要です。心の安定を取り戻すまで、私の侍女という形で、私の傍に置きます」
それだけか、と勇者は即座に問いた。
勇者は王女を信用していない。
彼女の無罪が告げられても、それは温情であり、勇者は未だに彼女が蛮行に手を染めたと思っていない。
自供を聞いたとしても。
それだけは認めない。認めたくない。
何より、勇者はシスリーの目をまだ見ていない。
今も自分ではなくシスリーの方を虚ろな目で見つめている彼女。ふわふわしている。
薄々気がついてきたが、勇者からすれば、今の方がシスリーは疲れている。
――いっその事、このままシスリーを連れて国を抜け出………?
だが、王女に欠損していない左肩を優しく擦られて、思考はそこで遮断された。
「えぇ、それだけですよ。それだけ。私も野暮なことはこれ以上言いません。………勇者様もそのお身体で申し上げるのは言いにくいのですが………魔物討伐………よろしくお願いします。これはお守りです。どうぞ受け取ってください、私からの気持ちです。傷口を癒す効果があります」
「………」
押し付けられるような形で差し出されたのは、黒の指輪。
見た瞬間、嫌悪感がまず全身に駆け巡るような指輪だったが、これを勇者は拒否することはあえてしなかった。
スッと胸ポケットにしまいこもうとしたが、
「………あら? つけては頂けないのですか?」
物哀しそうな王女の声に、勇者の手が止まった。
――結論から言うと、勇者は指輪を嵌めなかった。
例え、王女にどう言いくるめられようが、それだけはしなかった。
指輪なんてものを、王女からしかもシスリーの前で嵌めることなど、勇者は絶対にしたくなかった。
指輪を投げ捨てたい衝動にかられたが、こらえてポケットにしまい込んだ。
そして、目線を合わせないシスリーに近づき、
「元気になったら迎えに来る。いつでも呼んでくれ。……それまで俺は魔物討伐に行く」
強い口調で言い放ち、城を後にした。
王女は、「いつでもお待ちしておりますよ。勇者様。フフ」と微笑を浮かべて勇者を見送った。
☆★☆
シスリーと再び一緒にいる日を夢見て、勇者は魔物討伐を再開した。
だが、半年もの間、討伐を行わなかったため、魔物は雑草の如く各地に繁殖し、国民はその被害に苦しんでいた。
各地から要請を受けて、一つ一つ処理に当たっていたが、ブランクもあり、以前より腕はさらに数段落ちていた。
傷は毎日のように身体のどこかに負い、血を流さない日はない。
おまけに、傷を癒してくれるシスリーも居ない。
だが、勇者に弱音を吐くことは出来なかった。
国民が、魔物に苦しむ民が、勇者に救いを求めていた。
勇者には休暇など無かった。
――弱きを助け、強きを挫く。
彼の信念は、確実に彼を壊していた。
☆★☆
勇者の力が衰える一途を辿る一方で、魔物は繁栄を遂げようとしていた。
進化を遂げ、魔物から魔族へと昇華した種族もいるとかいない、とか。
それらを抑止する力などとうの昔に失せており、国民は魔物に蹂躙され、国土は荒れに荒れていた。
それでも勇者は諦めなかった。
村を巡って、村人に護身術を教え、抵抗する術を伝授するなどをして、策を講じた。
が、まるでそこに狙いを打ったかのように、村は魔物に破壊された。
しかもタイミングはいつも同じで、勇者が村を去った数刻後。
急いで村に引き返した時には、既に遅し。
燃え盛る炎に包まれた村を前にして、勇者は涙を流して、村を当てもなく彷徨った。
生存者を求めて。
――見つけた。
瓦礫の下敷きになり、気絶しているがまだ生きている15に届くか届かないかの少女。
勇者はすぐに瓦礫をどかして、子供を救助した。
(この子の他に生存者は………?)
急いで探索したが、少女以外にはいなかった。
勇者は諦め、少女をおぶって、近隣の診療所まで運んだ。
☆★☆
その少女の名ははカレン。
色白でどこか人間離れした容姿をしていて、将来はとてつもなく美女になるであろう事は想像に難くない。
カレンは、診療所のベッドの上で意識を取り戻した。
勇者は、目を覚ました彼女に体調を気遣う言葉をかけた。
カレンは目をパチリパチリとさせるだけで、状況を飲み込めていない様子だったが、しばらくして、両親の死を直感的に悟ったのか、ワンワン泣き出して、勇者を責めた。
勇者は甘んじてカレンの言葉を黙って聞いていた。
『詐欺師』と言われるまでは。
片手を失った勇者は勇者と呼べない。
一介の兵士に成り下がった。
それなのに、勇者はソレを認めず、意地を張り続け「勇者」だと詐称するから、村の皆は自分も含めて騙された、と。
結果は、このザマ。
村は跡形もなく焼き尽くされ、家族は皆死に、自分だけ生きている。
「全部、アンタのせいだ! アンタが村を滅ぼしたんだ! アンタを詐欺師と言わずして、何と呼べばいいの! この嘘つき!」
真っ赤に目を腫らして、八つ当たりであることは心のどこかで分かっていても、哀しみが絶望が、本来魔物へ向けられるべき怒りが、勇者へと向けられた。
「………俺のせい……。俺は……一体何のために………、なんの……ため?」
別に見返り何て求めていなかった。
偶々、自分が『力』を持っていて、弱者を救いたい一心で行動した先の果てが、恋人一人すら守れず、目の前の少女も救えない。
(………もう……限界だ……)
ただ、じっと彼女の罵倒にじっと耐えていただけの勇者は亡者のように、フラフラとおぼつかない足どりで診療所を出て行った。
目の焦点は定まっておらず、よろめいて何処かへ行ってしまった。
そして――それ以降ばったりと、勇者の行方は分からなくなった。
☆★☆
勇者が失踪して、早半年。
勇者という切り札を失った人々はいよいよ、魔物の侵攻に歯止めがかからなくなり、一時は王都を除いてほぼ国の全域が奪われ、滅亡まで秒読みの段階に入ろうとしていた。
だが、この絶望の状況の中、奇跡とも呼べるタイミングで『魔道具』という革新的な発明が為された。
これは勇者ではない一般人でも魔物並みの武力を手にすることを可能にして、息を吹き返した国防軍は、初めて勇者が居なくとも、魔物に対し、優位に立った。
後、少しで完全に魔物の息の根を止めることが出来る。
再び、魔物に怯えることのない平和な国を築ける。
――そして、そのためには何が足りないのか。何をするべきなのか。
国王には分かっていた。
『勇者』
行方不明とはいえ、依然として人々から高い支持を得ている勇者。
勇者が先導してくれれば、士気も必然的に上がり、この戦に終止符が打てる。
国王は勇者捜索に乗り出すことを宣言した。
首輪には絶対遵守の力が備わっていた。
だが、それはあくまで肉体的なものであり、精神には影響を及ぼさない。
それ故に、シスリーは堕ちても自我を失うことはなかった。
「なんで……」
――なんでこんな事をするのですか?
口に出すことさえ許されなかった言葉。
身体は動かない。
手も足も瞬き一つさえ、ままならない。
「貴方のような平民風情が私の邪魔をするなんて許されない事。これは罰よ。罪は償わないと。今日から貴方は私の奴隷。私のために尽くし、私のために動きなさい。分かったら、返事しなさい」
「………ハイ」
愉悦に浸りきった表情を浮かべて。命令を下す王女に、シスリーは首を縦に振って、無機質に返事した。
その胸の内は如何なるものか。
☆★☆
基本的に王女はずっとシスリーを傍に置き、身の回りの世話をさせていた。
平民の彼女に城での立ち振る舞いなど赤子同然。
そのような役割を務めることは、うまく行くはずもなく、手助けしてくれる者もいなかった。
『王女の毒殺を企んだ悪女』としてのレッテルを貼られているシスリーへの周囲の視線は冷ややかだった。
裏で影口を叩く者、中には直接面と向かって暴言を吐く者もいたが、いくら言われても無反応で素っ気ないシスリーの態度は、さらに怒りを買った。
――私が何をしたって言うの? グレン……助けて……
心が捻じ切れそうで、発狂しかけていたシスリーが、ギリギリ持ちこたえていたのは、心の拠り所があったから。
毎日、毎日。
勇者の名前を念仏のように唱えて、救いを求めていた。
そんな日々を過ごす中で、シスリーは王女が最近どうも様子がおかしいのを何となく感じ始めていた。
ソワソワしていて落ち着きがない。
そしてその訳は王女自身が自慢げにシスリーに話した。
「これが何か分かるかしら? シスリー」
見せられたのは、二つの指輪。
片方は真紅に染まりきり、片方はどす黒く漆黒に染まっていた。
王女曰く、この指輪は二つで一セットであり、何よりもその特徴はーー。
「想いを伝え合う素晴らしい指輪! 指輪をつけてもらえば、互いの気持ちを! 私の愛を! 誰よりも理解してもらえる。まさに私にうってつけの宝石だわ。共鳴! コレこそ私が求めたもの! あの方に……あぁ彼が私の所有物になる事を想像しただけで、胸が高鳴るわ!」
(………悪魔)
狂っている。
シスリーはこの時、王女が人間に見えなくなった。
――あぁ、どこかに私にふさわしい男は居ないのかしら……。
絶え間なく私の元に届く縁談話に、あの頃私はうんざりしていた。
王女という身分、恵まれた美貌、政略……。
どの男も邪な考えを持ち、醜い顔をした男共が下心をもって私に近づいてきた。
でも、グレンは違った。
グレンを初めて見た時、私はこの男と結ばれたいと渇望した。
『目』が良かった。
どこまでも透き通っていて、ただ自分の信念をどこまでも貫き通そうとするグレンが好きだった。
初めてだった。
国のどこを見渡しても彼に勝る男なんていない――まさに私にふさわしい男。
そう思うや否や、私はすぐに行動した。
国中を飛び回る彼に初めて恋文とやらを送って、父に彼に私との婚姻話を持ち込むように頼み込んだ。
縁談話を断り続けてきた私が、自分から、しかも相手は平民。
父は目を白黒させていたが、勇者とも呼ばれている彼を王族に迎え入れることに父は賛成してくれた。
☆★☆
だけど、彼の返事はNoだった。
頭の中が真っ白になった。
(私を拒否するの?)
恥をかかされたと思った。
私が、私から歩み寄ったのに、あろうことか彼は私の申し出を無下にした。
(何で? ありえない、ありえない、ありえない――ッ!)
でも、冷静になって考えれば分かる話。
私が目を付けたほどの彼に、恋人がいないはずなんかなかった。
グレンに金魚の糞のようにくっつく女――シスリー。
グレンは、私には決して見せない顔を彼女に見せていた。
(あの女のどこが言い訳? 容姿も教養も私の方がはるかに優れているじゃない!)
理解しがたい。
生まれて初めて味わった失恋の味は私には耐えがたいものがあった。
悔しい。
悔しい、悔しい悔しい悔しい悔しいッ!
手に入らないのがこんなに辛いなんて。
1週間、私は悩んだ。
グレンの事はもう忘れよう。
何度もそう思った。
だけど、忘れる――諦める何て絶対無理。
悩みぬいた末に私はある事にたどり着いた。
私とグレンとの間にある障害を取り除こう。
そのためなら、私は何だってする。
グレンの隣に居るべきなのは私しかいないのだから。
☆★☆
綿密な計画を立てた。
致命傷に至るか至らないかのギリギリの量の毒薬を予め用意して、病を偽装した。
そして、シスリーに診療させ、彼女が治療用に処方した薬草に混ぜて、罪を着せて、地下牢に入れた。
二人の仲を裂くために。
グレンは激しく抗議してきたが、強気な彼の行動の中に、私には彼の心が確実に弱ってきているのが目に見えて分かった。
コレでいい。
私は完全に二人の関係に終止符を打つべく、彼女を手にかけて、グレンが私を無視できないように策を講じた。
自供させるのは造作もなかった。
必死に彼女を擁護するグレンに、シスリー自身の口で「いかに自分がクズな女」であるかを台本通りに言わせ、その彼女を赦す私。
完璧じゃない?
『恩赦』という貸しをでっちあげ、代わりに魔物討伐に行かせてーー。
魔物討伐をボイコットされてはたまらない、と嘆いていた父も、「この件を全て任せる。やりたいようにやれ」と言って、この案に賛成したわ。
欲を言えば、私>シスリーという認識を植え付けたかった。
これが計画だった。
――だけど。
彼は腐っても勇者。
いくら真実であるように見せかけた『嘘』も、私が惚れ込んだあの『透き通った目』の前では、カムフラージュにもならなかった。
シスリーの自供を聞いたグレンは、しつこく「嘘だと言ってくれ!」「僕の目を見て話してくれ!」を何度も何度も大声で……。
まぁ、シスリーに彼と自由に意思疎通させる許可を与えていなかったから、いくらグレンが叫んでも無意味なのだけど……嘘って分かるんでしょうね。
しばらくして、糸がプツンと切れたように黙って、右足が一歩シスリーの方に前へと出かけたグレンを見た瞬間、察したわ。
(逃げる気?)
ずっと彼の事を思い続けていたかしら。
グレンが何を考えているかなんて手に取るように分かるの。グレンよりもね。
グレンを見るに、彼は自分がこれからどう行動するべきか、まだ彼の中で纏まり切ってなさそうに見えたわ。
これはラッキーね。
彼に心の余裕や時間があれば、未来はまた変わったのかもしれないけれど、私はそんな未来を望んでなかった。
私は、彼が行動に出る前より先に行動に出た。
時に早口、時に囁くように、巧みな話術を使って、彼の駆け落ちを阻止した。
彼も言いたげな様子だったけど、もう遅いわ。
主導権は私にあるの。
そして、最後に私は彼に用意していた指輪をプレゼントした。
その指輪は、隣国から入手した、二つで一セットのペアリング。
妖しく、眩く光を放つ紅と黒の鉱物が填め込まれたこの世に二つとない指輪。
そして、何よりもその特徴は、どこに居ても持ち主は相手の持ち主の位置が分かる事。