その男は民から勇者と呼ばれていた。
国中の村々が魔物に襲われ、人々がそれに対抗する手段が武力的に圧倒的に無かった時代で、唯一といっても過言ではない程、彼ぐらいしか魔族に対抗できる力を持っている者はいなかった。
元々、彼は高貴な身分という訳ではなく、平民だった。
彼は別段、自分から勇者などになりたかった訳ではなかったが、彼の信念に基いた行動が人々に崇められて結果的にそうなった。
弱きを助け、強きを挫く——彼の信念だった。
☆★☆
彼の名声が国中に浸透し始めたころ、彼は国王に呼び出された。
用件は、やはり魔物に関してだった。
長らく国民の生活を脅かす存在である彼らを根絶やしに――。
さずれば、褒美として王女を妻として与える――。
平民の彼に対する破格の申し出。
だが、彼には恋人がいたので、魔族討伐の件だけを引き受けて、褒美はいらないと申し出た。
国王は彼の返答に心を打たれたが、王女は酷く憤慨した。
彼女は自分の容姿にも絶対的な自信を持っていたし、何より身分が高いことも誇りにしていた。
だからこそ、最初彼の言っていることが理解できなかった。
平民の分際で、自分との婚姻話を退けるなんてあり得ない、私が拒否することがあってもされることはない、と。
何より王女は勇者の容姿に一目惚れをしていた。
屈辱の極み。
王女は腹が煮えくり返る思いだった。
そして決意した。
彼を恋人から奪うと。
勇者には恋人がいた。
名をシスリーといった。
シスリーは薬師だった。
勇者も人の子である。
幾多の戦場を駆け巡り、戦闘後に負傷した彼を癒すべく、シスリーは薬草をバッグに入り切れない程に詰め込んで、彼と共に魔物討伐の旅路に同行していた。
シスリーは王女と比べると決して容姿が勝っているとは言えなかったが、勇者同様に心優しき乙女だった。
優しすぎたともいえるが。
困っている人がいるとどうしても見過ごすことが出来ず、それが原因で悪人に嵌められることも多々あり、勇者に注意されることもあった。
だけど、そんな所が勇者は好きだった。
勇者もシスリーの事が好きだった。
☆★☆
城に呼び出されてから半年が経過した頃。
勇者とシスリーは、息のつく暇もないほど、魔物との戦いに明け暮れていた。
勇者はやはり「勇者」という名に恥じず、絶対的な力を持っていて、次々と魔物を駆逐していったが――数が多すぎた。
いくら倒してもキリが無く、肉体的な疲労よりも心が疲弊していた。
この戦いに終わりはあるのか、と。
モチベーションも次第に低下し、それが影響して、勇者は格下の魔物に右腕を持っていかれてしまった。
深手であり、とてもとても完治させるのはシスリーには不可能だった。
出血をどうにかして抑え込むのが精一杯。
勇者はその日から利き手ではない方の腕のみで、魔物と戦わざるを得なくなってしまった。
これは明らかに戦闘に影響を及ぼし、今まで容易に倒してきた相手でも、一苦労することになり、腕を失う前の半分も力をふるうことは出来なくなっていた。
今まで、勇者のサポートしかせず、戦闘には一切関与してこなかったシスリーも、戦いに介入するようになった。――主に、自分の身を守るために。
じりじりと身は削れていく。
一度休息を……。
タイミング良くというべきなのか、二人の元に一通の手紙が届いた。
――王女が病にかかった。至急、城に戻るべし。
床に臥す王女の看病をシスリーに求める内容が延々と連ねられており、二人は半年ぶりに城に帰還した。
☆★☆
王女の病状は余程重いのか、面会謝絶ということでシスリーだけが王女の部屋に呼ばれた。
勇者は仕方がないので、その間部屋の外で待っていたが、どうにも視線が痛い。
「………」
『違和感』
その目線は、決して羨望や尊敬といった類のものではない。
――片腕を失った勇者への同情。
気持ちが悪い。
シスリーが看病を終えれば、直にでも城から立ち去りたい。
そう考えていた勇者だが、突然断末魔のような王女の悲鳴が聞こえた。
何があった、と思う間もなく体が勝手に反応し、周囲の制止も無視し、王女の部屋に乗り込んだ。
――ベッドの上で激しく咳き込む王女と、何人もの侍女らに床に組み伏せられるシスリーが。
事情を呑み込めない勇者だが、先に足を向けたのは押しつぶされているシスリーの方だった。
侍従らからシスリーを引き離し、彼女を助け、侍女に事情を聞いた。
その内容は、シスリーが王女の看病に用いた薬に毒が混入していたという、俄には信じがたいものだった。
シスリーも、涙で顔をクシャクシャに濡らして「私はやってない!」と勇者に必死に訴えた。
勇者も彼女がそんな事をするなんて、これっぽっちも考えておらず、何かの間違いだと弁護した。
しかし、聞き届けられることはなく、シスリーは王女暗殺未遂の疑いで、城の地下牢に投獄され、そして形ばかりの裁判で永久に幽閉されることが決まった。