「七海ちゃんってさ、なんで土屋くんと仲良いの?」
 中学校に上がってから、そんなふうに訊かれることが増えた。おもにクラスの女の子から、なんとなく不満そうに。
 訊かれるたび、わたしは決まって同じ答えを返した。
“家が近所で、親同士の仲が良くて、小さな頃からいっしょにいたから“
「それだけ?」
 そう答えればたいてい、そんな言葉が返ってくる。ちょっと眉を寄せた、納得できない、という感じの表情といっしょに。
 だからわたしは困ったように笑って、「それだけだよ」と重ねる。
 だって本当に、それだけ、だから。

 中学の三年間も、かんちゃんにたくさん助けてもらいながら、わたしはどうにか無事に卒業を迎えた。
 あいかわらず校外行事はほとんど参加できなかったけれど、普段の欠席の回数自体はそれほど多くなかった。休んでばかりだった保育園や小学校に比べると、それだけでも格段に進歩したと思う。
 ただ休まずに登校しただけ、なんて、たぶん他の人にとっては当たり前のことなのだろうけれど。それでもわたしにとっては立派な成長なのだと、そう思うことにした。

 体育に参加できない分、勉強は人一倍頑張ったつもりだったけれど、テストの成績は最後までパッとしなかった。それでもかんちゃんの助けもあったおかげで、一度も赤点をとることはなかった。頭の悪いわたしにしてはそれだけでも立派だと、わたしはここでもハードルを下げて、自分を認めてあげた。

 高校受験も、かんちゃんが手伝ってくれた。自分の勉強の合間、わたしの勉強も丁寧に見てくれた。おかげで、どうにかわたしは第一志望の高校に合格することができた。
 校風だとか制服のかわいさだとかより、とにかく交通の便の良さで選んだ高校だった。最寄駅から徒歩三分。毎日のことだから、ここが長いと七海にはきついだろう、というお母さんたちの助言を受けて決めた。

 そして、かんちゃんも。わたしと同じ、その高校を受験した。
 最初に聞いたときは驚いた。かんちゃんはわたしよりずっと成績が良かったし、わたしでも受かるランクの高校なんて、かんちゃんにはどう考えても釣り合っていなかった。当然担任の先生もそう思ったようで、何度かかんちゃんを呼びつけ、本当にそこでいいのか、と志望校の確認をしている姿を見かけたことがある。
 それでもかんちゃんは、変えなかった。
 わたしと同じ、パッとしない偏差値の高校を受験し、もちろん合格した。

「交通の便が良かったから」
 と、かんちゃんは言っていた。
「べつに高校なんてどこでもよかったし。それなら通いやすいところにしようと思って。毎朝長距離歩くの嫌だし」

 かんちゃんの進学先を知って、お母さんはそれはもう喜んでいた。
 心の底からうれしそうな顔で、「よかった」と何度も何度も口にした。
「本当によかった。高校でも、かんちゃんが七海といっしょにいてくれるなんて。私もこれで安心だ」
 噛みしめるようなその口調を聞いていると、そうだなあ、本当によかったなあ、って、わたしもあらためて実感する。

 昔から、お母さんはかんちゃんに全幅の信頼を置いていた。
 小学校に入学したばかりの頃なんて、七海がちゃんと学校までたどり着けるか心配だから、と毎日わたしを学校まで送ろうとしていたお母さんは、かんちゃんが毎日いっしょに学校に行くと約束してくれたことで、家の前でわたしを送り出せるようになった。
「よかった。かんちゃんがいっしょなら、安心ね」
 そのときも噛みしめるような口調で、お母さんは言った。

「かんちゃん、いつもありがとうね」
 そしてその頃から、お母さんはかんちゃんに会うたび、そんなふうにお礼を言うようになった。うれしそうにかんちゃんの手をとって、そのとき持っていたお菓子だとかを渡しながら。
「これからも、七海のことよろしくね。かんちゃん」
 お母さんのそんな言葉に、「はい」と大人びた顔で頷くかんちゃんを見ていると、いつも胸の奥のほうが軽く波立つ。
 まるで、自分が小さな子どもにでもなったかのような気分になって。くすぐったいような、情けないような、よくわからない感情が込み上げてくる。

 そこでかんちゃんが頷いてくれて、うれしいと思う。たしかに心から、そう思う。
 これからもかんちゃんは、わたしといっしょにいてくれる。わたしを助けてくれる。かんちゃんの助けがあるなら、わたしは高校でもきっと大丈夫。中学の頃と同じように、やっていける。
 これ以上にありがたいことなんてない。こんな、なにもできないわたしと、かんちゃんはいっしょにいてくれる。迷惑ばかりかけているのに、ずっと助けてくれる。本当に、うれしい。うれしい、のに。

 心の片隅で、ぴりっとした痛みが走るのは、なんでだろう。
 胸の奥に、薄暗い靄が広がるのは。

「クラス、ちゃんと馴染めるかな、わたし。心配だなあ。かんちゃんとも離れちゃったし……」
「大丈夫だろ。同じ中学のやつもわりといるし、最初はそこで固まっとけば」
 真新しいブレザーに身を包んで、傷ひとつないぴかぴかの指定鞄を肩に掛け、かんちゃんとふたり、電車に揺られる。
 登校初日だけど、こんなふうにかんちゃんと並んで他愛ない会話を交わしているのは、中学までとなにも変わらない。九年間続いてきた、慣れ親しんだ光景だった。

 それがまた、今日からも続いていく。これまでと変わらない日々が、きっと三年間。
 それは本当に、これ以上ない、安心だった。
 そんなふうにして過ごしていけば、きっとわたしの高校生活は平穏だ。中学の頃と同じように。
 ――同じ、ように。

 ふっとまた胸に靄がかかりそうになって、わたしは窓の外へ視線を飛ばした。
 あまり馴染みのない街の景色が、流れていく。だけどすぐに見慣れるのだろう。これから三年間、毎日眺める景色なのだから。
 ――ずっと同じ気持ちで、眺めるのかな。
 ふいに頭の隅をそんな考えがよぎって、わたしは振り払うように目を伏せた。

 それで、なにが悪いのだろう。
 頭も悪い、ポンコツな身体のわたしが何不自由なく生きていけるなんて、それだけで充分すぎるぐらいなんだ。ずっと傍にいて助けてくれる優しい幼なじみがいて、こんなに恵まれたことなんてない。これ以上なにかを望むなんてとんでもない。今、与えられているものを大切にしながら、わたしはわたしにできることだけ、頑張っていけばいい。
 わたしはこれからも、こうして生きていけばいい。それがいい。それがいちばん、幸せなんだ。
 

 ――そう言い聞かせながら始まった、高校生活で。
 樋渡卓くんとはじめて話したのは、最初の体育の授業のときだった。