「えーっと”さすがにQRコードは読めない”じゃなく?」
「あ。……あ、あははー、やだなーもうっ。さすがにQRコードまで読めるわけないじゃないですかー。いくら頻繁に視界に入るものだからといって」
>>ほっ……
>>ビックリした
>>イロハちゃんならありえるかも、と思ってしまったwww
「えーっと、それより日本語もいいよね! ひらがな、カタカナ、漢字と文字が分かれてるからこそ、斜め読みしやすかったり! 漢字だけを点で追っても、きちんとキーワードが拾えて要約できちゃったり」
「そ、そうだよにゃあ! やっぱり日本語だよぉ、うんうん!」
「言語によっては、理解していてものどの使いかたがちがいすぎて発音が困難、なんてこともあるし。そしてなにより――”クオリア”がちがう、とわたしは思うし」
俺は一歩踏み込んだ。
聞きなれない言葉に、参加VTuberのひとりが首を傾げた。
「クオリア?」
「これをなんと説明するかは意見が分かれるところですが、今回の場合は文化や主観と言い換えてもいいです」
「文化かい? そういえば信号機の色も国によって呼びかたがちがうね。日本では緑信号を青色と呼ぶ文化があるよね? ボクの祖国であるイギリスも黄信号を琥珀色と呼んだりするんだけれど」
「言われてみればぁ、どうして”青”信号にゃんだろうにゃあ?」
司会進行役のVTuberが「あー、あれねー」と声を出す。
彼女はしょっちゅういろいろな企画をしている影響で、雑学に詳しいようだ。
「新聞に『緑信号』じゃなく『青信号』って書いちゃったのが理由、だったっけ? ほかにもいろんな説はあるらしいけど」
「そうなんですか。個人的にはさらに、そこにもとからあった日本の文化……緑もまとめて青と呼ぶ習慣が影響したのかなと思います。もっと正確にいえば、もともと”日本には緑という概念がなかった”ことが」
「ぅえぇ!? 緑色なかったんですかぁ!?」
「大昔の話だけどね。日本語にはもともと白と黒と赤と青……この4つしかなかったんだって。だから緑も青に内包されてた。そういうのが今の言葉にも残ってる。『青りんご』とか『青汁』とか『青葉』とか『青々とした』とか」
「うわぁっ、全部、青色だぁ!?」
「って、かなり話が脱線しちゃってますね」
「どーぞどーぞ、続けてね! そういう話が聞きたくてこの企画を立てたんだから!」
「ありがとうございます。では遠慮なく。ひとつ疑問があって。それは――”認識が言葉を作るのか、それとも言葉が認識を作るのか”?」
「……? どういう意味ですぅ?」
「たとえば日本語には”青”を示す言葉は1種類しかない。けれどロシア語だと青を意味する言葉は2種類あるの。すると不思議なことに、ロシア人は青を”見分ける能力”まで高かった」
「ヘー! それスゴイね! 言葉によって、知覚能力まで変わったってこと?」
にわとりが先か、たまごが先か。
それはわからないがそのとおりだ。
「ほかにもオーストラリアで使われているグーグ・イミディル語には、前後左右を意味する言葉が存在しない。かわりにすべてを東西南北で表現している。そして、どこにいても東西南北を知覚できる……言ってしまえば特殊能力を持っている」
「えぇっ、それって超すごい! アチシいっつも迷子になるからそれ欲しいにゃあ!」
「ですよねー。太陽の向きなどから直感的に判断してるらしいですが、わたしにもそんな能力はないです。ほかの言語も、ものによっては数字が存在しなかったり。すると3つと4つならまだいいですが、5つ6つとなると物の数が見分けられないそうです」
「そんなのぉ生活できないじゃぁん!?」
「資本主義社会では、そうですね。けれどそもそも、赤んぼうは数字を3までしか認識してません。わたしと、あなたと、それ以上」
>>赤んぼうって3まで数えられるのか
>>アチシより賢いやんけw
>>どうやって調べたんだ?
>>赤んぼうははじめて見たものを凝視する習性があるから、それで調べたらしいぞ
「だから結局のところ、その言語を完全に使いこなそうとしても、その文化が身についていないと使いこなせない。わたしが本質的にちゃんと使えるのは、結局のところ日本語だけです」
「それがクオリアってこと?」
「わたしはそう考えています」
言語が先か、認識が先か。
いうなれば言語とは”モノの解像度”なのだと思う。
白と黒があったとしよう。
これはどこまでが白でどこまでが黒だろうか?
ちょうど真ん中だろうか?
いやいや、真ん中は灰色だって?
そのとおりだ。
ならば白と灰色の境は? 灰色と黒の境は?
わからない? 俺はそれこそが、言語によって形成されたクオリアだと思う。
「うん。ボクも使う言語を変えると、その国の文化や価値観に引っ張られちゃうことがある。だから今の話も結構、納得感があったよ。けど、そうなるとイロハちゃんはやっぱり特殊だよね」
「え?」
「イロハちゃんは今なお、日本人としてのクオリアだけを持ってるように見える。たとえるならそう、まるで――モノリンガルみたいに」
鋭すぎる質問に、俺は息が詰まった。
そして、そういう指摘こそ俺が求めていたものだ。
「ボクたちはその言語を話すときに、なんといえばいいかな……”脳をスイッチする”んだけど、イロハちゃんはずっと一定に見えるね」
いわゆる英語脳と呼ばれるものだろう。
日本語で考えて英語で話すのではなく、英語で考えて英語で話す。
「普通は言語を変えたら、キャラクターも変わっちゃう人が多いんだけれどね」
日本人が英語を使うと、リアクションがオーバーになる。
陽気で明るいキャラに寄る。
彼が言っているのはそういうことだ。
指摘されて俺はハッとしていた。
いったい俺は今、何語で考えているんだろうか?
これは本当に日本語なのだろうか? それとも……。
答えは今はまだ、出なかった――。
* * *
そうして時間が過ぎる。
秋が終わり、冬が来る。
ハロウィン、クリスマス、大晦日、お正月。
月日はあっという間に流れていった。
そして2月。勝負の月が訪れる。
バレンタインデーの話じゃないぞ。
――受験がはじまる。