鳳凰は龍を(たす)け、その翼は玉を示す──例の言葉の意味が分かったかもしれない、と。茜華(せんか)の上奏に対する反応は早かった。とはいえ、皇帝である昇暉(しょうき)自身が動いてくれた訳ではない。風雅かつ長閑な彩翼(さいよく)園に現れたのは、あの淳宇(じゅんう)とかいう宦官だった。

「陛下への奏上は真か。でたらめをお聞かせする訳にはいかぬゆえ、まずは(ただ)しに参った。いったい何を根拠に述べたのだ」
「それは──」

 皇帝の歓心を買いたいがための虚言ではないか、と決めつけるような物言いに、茜華は思わず眉を寄せた。淳宇の声は宦官ならではの甲高さで頭に刺さる。尖った槍で突かれてような気分にも、なる。

(この人は、鳳凰のことが嫌いなんだろうし……)

 怪しい存在が怪しいことを言い出せば、声も目つきもきつくはなる、のだろうか。でも、それもきっと皇帝を案じるがゆえんのはずだ。人と鳥の姿を行き来するような怪力乱神の類を嫌うのは、先帝の御代からの倣いだというから。こういう考え方であること自体は、夏霄(かしょう)の宮廷では普通のことなのだろう。

「……先日、私が空を飛びましたでしょう。その時に、気付いたのですが──」

 そして、こういう人だからこそ、茜華の推理を歓迎するだろう。龍の玉璽(ぎょくじ)が見つかれば、皇帝の権威が回復されるのだから。そうして、いつか昇暉が名実ともに輝かしい皇帝として君臨できるなら、良い。

(鳳凰が召し出されることもなくなれば……それだって、良いことのはず)

 茜華自身は性別を偽った咎を受けることになるかもしれないけれど。彼女の行動は、一族のためにもなるだろう。なのにどうして、胸が痛むのか──分からないまま、茜華は低く造った声で、男の言葉遣いで説明を始めた。

「なるほど──」

 聞き終えた淳宇は、髭のない顎をさすりながら唸った。鳳凰嫌いの宦官に対しても説得力がある推理だったようだと確かめられて、茜華の胸は弾み、そして同時に締め付けられる。上奏がもっともと認められれば、昇暉はまた飛べと命じるだろう。茜華の欺瞞が露見する時が、刻一刻と近づいている。

(でも、仕方ない……!)

 自分でもなぜだか分からないけれど、昇暉のためなら良いと、決めたのだ。茜華は毅然と胸を張って、それでは陛下に、とかそんな言葉に頷こうとしたのだけれど──

「よく気付いたものだ。だが、陛下のお耳に入ることはないだろう」

 淳宇の妙に平坦な声と表情に、目を瞠る。一瞬だけ絶句した後、茜華は眉を寄せて相手を問い詰めていた。

「なぜですか? 鳳凰の力を借りるのが問題なら、嫌なら、屋根に人を登らせても良いでしょうに」

 茜華は別に手柄が欲しい訳ではない。時間と手間はかかっても、人の力だって皇宮の鳥観図を描くことはできるはずだ。

「玉璽の発見は、陛下にとっては急務では──」
「だからこそ、だ。今さら皇帝が力を得ては困るのだ。ようやく我らを頼ってくださるようになったというのに」
「え……?」

 思わぬ言葉に、間の抜けた声を漏らした瞬間。茜華の腹に重い衝撃が刺さった。さりげなく歩を踏み出した淳宇に殴られたのだ、と気付いた時には、彼女の身体は(かし)ぎ、頭上からは宦官の高い笑い声が浴びせられる。文官のような姿の癖に──あるいは、皇帝の護衛を務めることもあるのだろうか、淳宇の身のこなしは素早く隙がなく、そして拳は容赦なく鋭かった。

「仮にも男だろうに軟弱な。羽根を見せびらかすしか能がない鳥が本性なだけのことはある」

 男を昏倒させる気で女を殴れば、それは身動き取れなくもなるだろう。決して、鳳凰がひ弱だということではなくて──でも、そんな抗議を口にすることもできず、茜華はただ床に倒れ伏して呻いた。

「な、ぜ──」

 皇帝の側近だと思っていた宦官を見上げると、目線を上げるのさえ気に食わないと言いたげに蹴りで報いられた。淳宇の声も、悪意と嘲りを露にして茜華を打つ。

「先々帝がわざわざ遺した言葉だ。戯言であれば良いが、鳳凰に何らかの力があっては(まず)い。だから少しずつ数を減らしてきたというに。新参の鳳凰が、余計なことに気付きおって!」

 痛みを堪えて丸まった茜華の身体に、人の足音が幾つも伝わってくる。侍女たちの軽いそれではなく、もっと重い──宦官たちだろうか。次いで、今度こそ女の、高い悲鳴が聞こえて茜華は息を呑んだ。緋桜(ひおう)や侍女たちが襲われているのだ。でも、なぜ。何のために? ……答えは、本性を現した淳宇が教えてくれる。

「陛下には、鳳凰どもが謀反を企んだとお伝えしよう。不敬にも高みから皇宮を覗いて、他国に情報を売り渡そうとしていたのだと。証拠も、そのように揃えてある」

 緋桜の両親をはじめ、後宮にいた鳳凰たちは殺されていた。淳宇の言葉が本当なら、玉泉(ぎょくせん)の里にも累が及ぶだろう。でも、それよりも何よりも──

「……させない」

 昇暉の傍に、忠臣(づら)した悪人い続けるのが耐えられなかった。そんなことは嫌、の一念を支えにして、茜華は強く念じる。翼を求め、空へ翔けようと。

「悪あがきを……!」

 淳宇の舌打ちを置き去りにして、茜華は羽ばたいた。しなる翼の先で、宦官の顔を打ってやると、怯む気配がする。殿舎を閉ざす金の檻は──宦官たちの出入りのために、今は、開いているだろう。

「射落とせ! 弓を、早く……!」

 淳宇の怒声を後ろに、壁に何度もぶつかりながら、淳宇が引き連れた兵たちを羽根で突き飛ばしながら。茜華は必死に飛んだ。鳳凰の姿に慣れていないのは彼らも同じだ。きっと、先日の矢も彼の手の者が放ったのだろうけど──人の姿をした者を捕らえるのに、弓矢は携帯していないと思いたかった。

「助けを呼んでくるから! 待っていて!」

 緋桜たちに希望を与えるため、そして、淳宇たちの注意を惹き付けるため。茜華は声高く叫ぶと、殿舎から飛び出した。そして、空高く舞い上がる。
 助けと言っても、どこに行けば信頼できる相手がいるのかは分からない。だから、思い切り目立ってやるつもりだった。鳳凰が勝手に飛んでいると、昇暉のもとに報告が行くように。そうすれば、彼はきっとここに来てくれるだろう。

(私が射落とされれば、なおさら放っておけないはず……!)

 彩翼園の上空を旋回して、皇宮を見下ろす。矢の届く範囲は知らないけれど、囮を務めるつもりなら高く飛び過ぎても良くないだろう。紅の羽根の輝きを見せつけるように、敵への挑発も兼ねて飛びながら、茜華は殿舎の並びに目を凝らした。この際、先々帝が遺した言葉を読み解く手がかりを見つけておきたかったのだ。

(本当に、綺麗……)

 淳宇がこちらを指さし、弓を構えた者も姿を見せ始めているけれど。眼下に広がる皇宮の眺めは、ひたすら美しかった。飛ぶことに集中していた先日とは違って、意識してじっくりと見れば、釉薬に輝く瑠璃瓦が一幅の絵画を表しているのは明らかだった。雲や花に神獣や神鳥。殿舎の形や庭園の地形も利用して、遠近感まで演出されている。……その中に、紅い翼の鳳凰も描かれているのが、茜華の目についた。

(鳳凰の翼が、玉璽の在り処を示すなら……!?)

 巨大な鳳凰の絵が誇らかに翼を掲げる先に目を向ければ──四方を高い壁に囲まれた、(ほこら)があった。壁のどこにも扉は見えず、つまりは空からでなければ行けない場所。先々帝の御代では、まだ皇宮の空を鳳凰が飛びかっていたはずで。それなら、彼らに玉璽を託して隠させることもできたはず。

 祠のほうへ方向を変えた──目的をもって飛び始めた茜華の動きは、地上からも見て取れたのだろう。淳宇の焦った声が届いた。

「何をしている! これ以上飛ばせるな……!」

 目の端をかすめた(やじり)の鋭い輝きに、茜華は首を竦めて翼に力を込めた。外れた矢は皇宮の建物を傷つけるかもしれないのに、お構いなしだった。彼女の軌道を読んでか、矢が風を切る剣呑な音が執拗に追いかけてくる。でも、聞こえる音はそれだけではない。

「これは何ごとだ!? 後宮で矢を放つとはいったいいかなる了見だ!?」
「陛下──これは、あの鳳凰めが逃げようとしたためで……」

 昇暉がかけつけてくれたのを察して、茜華は微笑んだ。鳥の嘴では笑えないから、心の中で、だけど。彼はきっと、淳宇の主張を鵜呑みにはしない。茜華が祠に降り立てば、調べようとしてくれるはず。

「あれが、彩紅梧なのか? 姿が違うようだが……」
「悪巧みの証拠もございます! 仔細は、後で必ずご説明しますゆえ、まずは仕留めませんと……!」

 羽衣を失った、雌の地味な羽根に気付かれて。動揺した茜華の翼に鋭い痛みが走った。矢にあたってしまった。

(でも、大丈夫……!)

 祠はもう目の前だ。着地できずとも、堕ちるのでも良い。たとえ罪人でも、死体は回収しなければならないだろうから。

 祠の場所を示すべく、翼を大きく羽ばたかせて。羽根よりなお赤い血を飛沫(しぶ)かせて。茜華は、出口のない壁に囲まれた一角に墜落した。