翌日──茜華(せんか)は約束通り、五彩羽衣(ごさいのはごろも)を纏った鳳凰の姿を緋桜(ひおう)に披露した。明るい昼の光のもと、雌の(おう)とは比べものにならない絢爛な飾り羽に、少女の目と口は大きく開き、可愛らしい唇からは讃嘆の声が漏れる。

「──とても綺麗です、せん──紅梧(こうご)兄様! とても、きらきらとして眩しくて、色鮮やかで……!」
「お気に召していただいたようで嬉しいです、緋桜姫」

 鳳凰の鳥籠でありながら、彩翼(さいよく)園にはなんと止まり木がないのだという。玉泉(ぎょくせん)の里なら、屋内にも手ごろな枝や棒があちこちに(しつら)えられているというのに。なのでしかたなく椅子の背を爪で掴んで、それでも茜華は得意だった。軽く翼を羽ばたかせれば、目が眩むような煌めきが室内に満ちる。赤い翼を彩る、鮮やかな青や白や金や銀。人の姿で絹の衣装や宝石を纏うよりもよほど、(ほう)の羽根で着飾るのは気分が良い。

大庁(ひろま)に行ってみましょうか。翼を広げて飛ぶとなお美しいのですよ」
「はい、ぜひ!」

 歓声を上げた緋桜が広げた腕の中に、茜華はそっと収まった。彩翼園の殿舎は十分に広いけれど、さすがに廊下で翼を広げて飛べるほどではない。羽根を痛めないためには、大庁までは抱っこで運んでもらわないといけない。

「まあ、可愛らしい姫君ですこと」
「紅梧様と仲良くなられて、安心いたしました」

 緋桜のはしゃぎようは、新旧の侍女たちも微笑ましく見守っているようだ。宝物のように茜華を抱えた少女が小走りするのを、侍女たちの談笑する声と衣擦れが追う。女だけの穏やかながら華やいだ空気は、けれど、突如響いた低い声によって凍りついた。

「……(さい)紅梧(こうご)、なのか……?」

 後宮において、男は──雄の鳳ということになっている茜華を除けば──本来ただひとりだけ。緋桜たちの道を塞ぐように佇む長身の影は、間違いようもなく夏霄(かしょう)の皇帝、昇暉(しょうき)その人だった。今日は礼服ではなく動きやすい(ほう)を纏い、冠も簡易なものだから、若々しく凛々しい顔がはっきりと見えた。あいにく、茜華がときめくなんてことはまったくなかったけれど。

(来るなら来るって、言ってくれれば良かったのに!)

 羽衣を纏っていて、本当に良かった。もしも(おう)の比較的地味な羽根を見られていたらと思うと、冷や汗が出る。心の中で悪態を吐きながら、侍女たちが慌てて平伏する気配を感じながら、茜華は緋桜の腕から逃れて床に翼を広げ、長い首を垂らした。鳳凰の姿で精いっぱい跪こうとすると、こんな格好をするしかない、と思う。

「はい。この姿ではお初にお目にかかります。鳳凰の羽根を、どうぞご堪能あれ」
「言葉も喋るのか。どこからどうやって声を出している?」

 床にひれ伏す茜華に低い声が近づき、視界の端に絢爛な龍の刺繍の生地が入る。昇暉が床に膝をついて、しげしげと茜華の羽根を眺めているらしい。人の目に、羽衣と本物の区別がつくことはないだろうけれど──落ち着かなさに、茜華は翼をばたつかせた。

「……考えたこともございません。我らは鳥の姿でも言葉を操ることができるのです」
「不思議な生態だな」
「そうでしょうか?」

 この男は、やはり鳳凰を化物の類だと思っているのだろうか。茜華の声に険が宿ったのに気付いたのかどうか、緋桜の細腕が慌てたように彼女を抱き上げた。皇帝の視線から隠しつつ、茜華を宥めるかのように。

「昇暉様。突然いらっしゃるなんて驚きましたわ。何の準備もしていませんのに」
「鳳凰の雄と閨を共にしたと聞いて心配になったのだ。だが──仲良くなったようだな?」
「兄様と呼ばせていただくことにしました。紅梧兄様は、鳳凰について色々と教えてくださいますの」

 緋桜を見下ろす昇暉の眼差しは、それこそ妹を見る兄のようだった。幼い凰を番わせるのは本意ではないというのは真実らしいと、茜華もようやく腑に落ちる。でも、その心配こそ彼女にとっては不本意なものだ。

「幼い姫君に無体を働くはずがございません。話し相手になれとの仰せに従っておりました」
「そうか……」

 首を伸ばして、羽根を逆立てて抗議すると、昇暉は少しだけ表情を翳らせた。驚いたことに、皇帝たる人が反省したらしい。

(悪い人じゃないの? 本当に?)

 疑り深く、今は黒曜石を嵌めたようにつぶらな瞳を瞬かせていると──昇暉は、腕をぐいと茜華の目の前に突き出してきた。

「その羽根、もっと近くで見たい。ここに来い」
「え──」

 皇帝の腕に止まれ、との命令らしい。畏れ多いし、金糸の刺繍を爪で引っかけてしまいそうだし、何より間近に見られるのは嫌だった。けれど断ることもできないから、茜華は渋々ながら緋桜の腕から飛び立った。足で掴んだ昇暉の腕は意外と逞しく、武術も嗜んでいるのかもしれない、と思う。それと──彼女の羽根をしげしげと眺める皇帝の容貌は、やはり整っている。

「軽いな」
「それは、空を飛ぶのですから……」
「人の姿の時も軽そうだったが、なお軽いのではないか?」

 人の姿と鳥の姿では、確かに明らかに身体の重さが変わる。それもまた不可思議なモノ扱いになるのかと、茜華が警戒していると──昇暉は不意に、彼女の翼を広げさせた。

「翼は、意外と大きいな」
「きゃ!?」

 羽根の内側の、柔らかなところに触れられて、思わず高い声が出てしまう。男としての演技を忘れてしまった失態に、心臓がどきどきと高鳴るけれど──昇暉は何も気付かぬ風に笑っていた。

「女のような声を上げる」
「いきなり触るからです! 鳥の姿とてくすぐったいとは感じます!」

 疑っているのではなく、単に面白がっているのだと気付いて、茜華はどうにか恥ずかしがりながら怒る演技ができた、はずだった。足を踏ん張って、翼を広げての抗議に、昇暉は機嫌を良くしたようだった。子供っぽいとでも思われたかもしれない。

「この大きさの生きた鳥を触る機会など滅多にないからな。大人しくしていろ。乱暴にはしない」
「……御意」

 昇暉の手が、茜華の翼を広げさせて隅々までなぞっていく。翼の先の風切り羽根に、淡い色をした内側のところ。五色が彩る胸の辺り。

(こ、これは恥ずかしいかも……!)

 昇暉は珍しい鳥を触っているつもりなだけだ、と思い込もうとしても、茜華の心は年ごろの娘である。宣言通りに優しく丁寧な手つきだけど──だからこそますますくすぐったいし、落ち着かない。

 と、茜華を奪われた形の緋桜が羨ましそうに声を上げた。

「紅梧兄様。私も触ってよろしいですか? その、ふわふわとしたお腹のところ……!」
「鳥の姿でも男だろう、これは。はしたないことを望むものではない。先ほど抱えていたのも関心しなかった」

 緋桜は純粋に、羽根に触りたかっただけかもしれない。でも、茜華にとっては天からの助けだった。昇暉が手を止めたのを幸いに、その腕から飛び立って、中空で羽ばたきながら訴える。

「御言葉ですが! たとえ同性でも裸を撫でまわすのはいかがなものかと! 私は今、服を着ていないのですよ!?」
「む……」

 飛ぶには狭い廊下で、壁を飾る見事な絵画に何度かぶつかってから、茜華はどうにか手近な燈火台に止まった。緋桜の腕に戻りたかったけれど、男だの裸だの言った後ではできそうにない。
 茜華は足場の悪い場所で翼をばたつかせ、昇暉は痛いところを突かれたように顔を顰める。気まずい一幕を救ったのは、緋桜の軽やかな笑い声だった。

「そうだ、兄様には飛ぶところを見せていただこうと思っていましたの。昇暉様もご一緒に、大庁(ひろま)に参りませんか?」