夏霄(かしょう)の後宮において、鳳凰(ほうおう)族が住まわせられる一角を彩翼(さいよく)園と呼ぶらしい。五色(ごしき)の翼の鳳凰の住まいに相応しい美しい庭園に、美しい建物が並んでいる。茜華(せんか)が案内されたのも、小ぢんまりとしていながらも瀟洒な殿舎だった。窓も扉も、ことごとく金の柵で囲われ鍵で封じられ、花咲く庭に出ることも、鳥になって池に映る自分の姿を見降ろして楽しむこともできなかったけれど。金の籠に入れられるのは最初だけのことでなく、これからの生活のすべてが「そう」なるらしい。

紅梧(こうご)様がこのような扱いを受けるとは、思ってもいませんでしたわ……!」

 仲良く籠の鳥に収まった侍女は、それでも人の耳を憚って茜華を兄の名で呼んだ。それに倣って男の言葉遣いで応じながら、茜華は肩を竦める。

「まあ、当然の用心だろう。鳳凰と人と、種族は違っても子は()せるのだから」

 (ほう)──雄の鳳凰が彩翼園にいたこともあるのだろうから、後宮の妃嬪(ひひん)との間に不義が起きないように、ということなのだろう。

(でも、一緒に飛べない相手を好きになるなんて、あり得ないんじゃない?)

 鳳凰にとって、好きな相手の羽根の色は、ほかの者とは違って特別に美しく見えるもの。翼を並べて空を舞うのは、男女を問わず憧れるもの。人としての姿がどれほど整っていても、煌びやかに着飾っていても、飛べないというだけで大幅な減点になる。

 もちろん、種族を越えて愛し合った者たちの物語は、いくつも伝わってはいるのだけれど。金の籠に閉じ込められて、珍しい鳥として愛玩されて。かつてここで暮らした鳳凰たちが、そのように扱ってくる者たちに心を寄せたことなんてあったのだろうか。そんな皮肉な感慨はさておき──

「同じ種族でも、子が生せないこともあるかと存じますが……」

 侍女は、()()のことが気になってしかたないらしい。だって、茜華は女。この殿舎のもとの住人である緋桜(ひおう)姫という方も、女。(おう)──雌の鳳凰が二羽そろったところで、卵が(かえ)るはずもない。夏霄の宮廷が望むように、鳳凰の雛の誕生という慶事は決して起きないのだ。

(何が望みか、最初から言えば良かったのに! ううん、兄様じゃなくて良かったかもしれないけど!)

 知らない女性と子を生すよう強いられるなんて。家畜のように、同じ籠に閉じ込められるなんて。ただでさえ病弱な兄、()()()紅梧にそんな心労をかける訳にはいかなかった。無理なものは無理と、分かり切っている茜華のほうがまだ気が楽、かもしれない。

「話して、分かってもらうしかないだろうね。そのつもりではあっただろう? 同族なんだから、助け合えるさ」
「……そのように、願います」

 沈痛な面持ちの侍女を安心させようと、茜華はわざとらしいほど明るく笑った。緊張に強張った声では、演技だと分かってしまったかもしれないけれど。半ば以上は自分に言い聞かせるためにも、楽観的になるのは必要なことだった。

「皇帝陛下も、雛には興味はないって仰せだったし? まずはお近づきに、なれたら良いね」

 あの皇帝の考えなんて分からないけれど。君主の言葉というのは尊重されるはずだ。兄代わりに、という御言葉を盾にさせてもらえば、すぐに()にならなくても責められる筋合いはないだろう。

      * * *

 窓も扉も封じられた豪奢な殿舎──大きな金の鳥籠に閉じ込められているのは、茜華(せんか)や玉泉の里からついてきた侍女たちだけではない。ここには元々の住人──幼い鳳凰の姫、緋桜(ひおう)もいる。顔合わせの席が設けられるのかと思いきや、そんなことはないまま夜を迎えてしまったのは、それが行われるのは(ねや)の中だから、ということらしかった。

(私が女だから良かったようなものの……!)

 彼女に与えられた寝室も寝台もやたらと大きいのは、つまりはふたり分を想定されているからなのだ。赤を基調とした調度は、鳳凰の翼を模してのことか、それとも婚礼、というか初夜の床を意識しているのだろうか。後者だとしたら、夏霄(かしょう)の宮廷の趣味はやっぱりおかしい。

(本当に、家畜扱いじゃない!)

 会ったばかりで、もう閨を共にさせようだなんて。侍女に見せた笑顔はどこへやら、茜華の頬は憤りによって引き攣った。でも──

「あの……紅梧、様……?」
「はい。玉泉の里から参りました。(さい)紅梧と申します。貴女は──緋桜姫でいらっしゃいますね?」

 おずおずと、高く細い声に呼びかけられて、慌てて微笑を纏い直す。緋桜姫も、(つがい)の名だけは教えられているらしい。それに、この震える声の調子からして、同じ寝室に押し込められた理由も、だろう。

「え、ええ……。あの、私──」

 鳳凰は、一応は貴重な献上品として扱われているのは間違いないらしい。(しとね)は見た目にもひんやりとした極上の絹、寝台は精緻な細工で彩られ、敷物も足を乗せるのが怖いくらいに煌びやかな金糸銀糸が使われている。ほかにも、釉薬が艶めく磁器の壺に、椅子や卓は黒檀に美麗な象嵌が施されて──そんな調度の数々をほんのりと照らすのもまた、豪奢極まりない白玉(はくぎょく)の燈火台だった。透けるほどに薄く削られ、花蝶の彫刻を施された玉は、内に抱えた蠟燭の灯りをほど良く透かす。その柔らかく仄かな灯りが照らし出すのは、まだ十二とかそこらの年ごろに見える華奢な少女だった。彼女こそが、茜華──が、名を借りた兄、紅梧と番わせられようとしていた緋桜姫に違いない。

(こんな子を、男と同じ閨に押し込んだなんて……!)

 この殿舎にも元から侍女なりがいるのだろうけれど、幼い主を不憫に思う者はいなかったのか。頼りない夜着に細い身体を包み、愛らしい頬を強張らせ肩を縮こまらせる緋桜を目の当たりにすると、茜華の腹は怒りにふつふつと煮え滾る。でも──そんな感情を、怯える少女に見せる訳にはいかなかった。

 だから、笑顔が引き攣ってしまう前に、茜華は初めて会う同族にそっと手を差し伸べた。

「どうか怖がらないで。お友達になりたいだけなのです。──ほら、姫と同じ羽根でしょう?」

 人の姿から鳳凰の姿に転じるには、心の中でそう念じるだけで済む。茜華が言い切る前に、室内には翼がはばたく音が響き、燃えるような絢爛な色彩を帯びた赤が、真昼の太陽のように薄闇を払う。着ていた衣服が床に落ちた時には、茜華は五色《ごしき》の翼を部屋いっぱいに広げていた。

「わ、綺麗……!」

 緋桜姫の声が明るくなったのは、喜ぶべきことだった。ぱたぱたと軽い足音がして、とりあえず卓の上に着地した茜華を、小柄な少女が覗き込む。きらきらと光る目に宿る憧れや讃嘆の眼差しも、嬉しい──のだけれど。

(あれ……?)

 何かがおかしい、と思った。

(ほう)というのは、こんなに綺麗な羽根をしているのですね……?」

 だって、緋桜姫は、鳳凰の羽根を初めて見るかのような口振りだったから。鳳と凰──雌雄の羽根の豪華さは、まるで違うものなのに。ひと目見れば、茜華が実は()だと、分かってくれると思ったのに。

「いえ……あの、緋桜姫と同じだと、思うのですが……?」

 予想が外れた動揺に、茜華は落ち着かず羽根をばさばさと動かした。雌雄の羽根の違いは、雛のころから現れるもの。鳳凰族なら間違ることはないと思うのだけど。でも──愛らしい少女は、不思議そうに首を傾げるだけだった。

「え……?」
「その……私は、(おう)──女、なので」

 少し迷ってから、茜華は床に落ちた衣装を(くちばし)(くわ)え、宙に放り投げた。同時に、胸に念じる。先ほどとは逆に、翼を腕に、鳥から人へ、と。
 一瞬の後に、茜華は娘の姿に戻っていた。素肌に、内衣(したぎ)を羽織っただけの格好で。胸の膨らみや腰のくびれも、すべて晒して。

 「同じ」の意味をやっと分かってくれたのか、緋桜姫は目をまん丸くして口を手で覆っていた。