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「なぁ知ってる?あのうわさ」
「あれだろ、幽霊のやつ」
「やっぱ有名だよな。やばくね?大人もうわさしてんの。本当だったら面白いよな」
「え、何の話?」
「ほら、最近よく聞くだろ、誇神山の上の神社の話。あそこ、幽霊が出るらしいぜ?」
「コガミザン?」
「町の真ん中にある、山なんだけど……」
「えー怖いー。あ、幽霊と言えば、この前観たホラー映画も良かったけど、昨日テレビでやってた映画観た?」
「あー、まじ泣けた。」
「続編っていつ公開されるんだっけ?」
キーンコーンカーンコーン……カーンコーンキーンコーン……
「席に着け―」
花堺町は、多くの町民が集まる古くからの商店街を中心に、田んぼや畑、それから、町を囲むように立つ山と、町の真ん中に立つ山からなる。凪朝は、机に頬杖をつき、静かに大きく佇む入道雲を窓から見上げた。町はかなり大きいのに、コンビニは、一軒だけ。田舎中の、田舎。ミーンミンミンミーン、ミーンミンミンミーン、と繰り返す蝉の声が、今年も響いていた。遠くからは、波打ち際に叩かれる海の音と、その上空を飛び回るカモメらしき鳴き声が聞こえた。
これは、そんな自然豊かな町に暮らす中学生たちの、一瞬であり、長い夏の、物語だ。
花境中の一限の国語の授業は、照りつける太陽の下で、終わる気配のない持久走をしているかのようだった。五十分が永遠に感じられる。教師の声は子守唄と化し、こくんこくんと頭を落とすものが数名でてくる。鳴き始めた蝉の声を聞きながら、後ろの席からそれを見ていると、こちらまで眠くなってきた。
あくびをしかけたその時、不意に、目の前を白い物体がかすめた。
ひゅん、ぱさ。
それはそのまま僕の机に落ちてきた。どうやら国語の授業に飽きた人からの白い紙飛行機が降り立ったらしい。教師の目を盗んでの、尊敬したくなるほど大胆な行動だ。紙飛行機の羽には『なぎさへ』と書いてあるから予定通りの着陸なのだろうけど、それにしても字が汚い。絶対、宙からではないだろう。
小学校からの仲である宙は、長い前髪に黒縁眼鏡という外見通り、引きこもりのゲーム魔だ。かろうじて学校には来ている。不愛想だけれど、人のことをよく考えていて、凪朝とは気が合った。
しかし宙は字が綺麗だし、第一授業中に紙飛行機を飛ばすなどというバレたら面倒くさそうな行為は断じてしないはずだ。この字はマサだろうか。
顔を上げると、斜め前のマサと、その少し前の夏呼が、悪戯を企む子供みたいな顔をして、早く開けろとジェスチャーをしてきた。
マサこと正人は僕の昔からの友達で、よく一緒に遊ぶ。冗談を言い合う仲だけれど一番信頼できるのがコイツだ。
夏呼は、中学で出会った友達で、女子とも男子とも分け隔てなく喋り、皆からの信頼が厚い。それはいいのだが、彼女は時々突飛な言動をすることが、玉に傷なのだ。中学に入学し、夏呼が初めて凪朝にかけた言葉は、「私、ウーパールーパーを飼ってるんだ!」だった。挨拶もなしに言うので、凪朝はそっか、というほかなかった。
変な説明はこのくらいにして、とりあえず二人からの手紙を受取ろう。
恐る恐る、目の前にある紙飛行機を開く。ノートを破ったらしいそれは、放射線状に折り目がついていた。そしてその字は、羽に書いてあったのとは違い、綺麗な字だった。夏呼だろう。『こがみ山に出るっていうゆうれい、私と、正人と、そらと、なぎさで、登って確かめる。そのための作戦会議を昼休みにひらく。屋上手前の階段に来てね。』その後に、文字通りミミズののたうち回ったような字で、余計な一言が記されていた。『P.Sこの前勝手に使われた自転車、覚えてるよな?』
まじか。なんということだ。ガキくさい探検ごっこになぜか勝手に参加させられている。脅し付きで。
……そういえば、二か月くらい前に、友達の忘れ物を急いで届けるために使った気がする。マサのスマホにメッセ―ジを入れてはいたのだけれど、了承を得ずに使ったことを言っているのだ。まあ、僕が悪いのだけれど。
だから、この余計な追伸のせいで、凪朝は屋上手前の階段へ赴く羽目になった。
一か月ほど前から、ここ花堺町では、幽霊が出るとの噂が出回っている。町の真ん中あたりに位置する誇神山に、着物姿の女の幽霊が、出没するらしい。
尤も、僕はそんな嘘くさいことに興味は無く、それほど詳しくない。情報に疎いわけじゃない。興味がないだけだ。
まあ、僕はそれほど人の話とかに首を突っ込むタイプじゃなくて、幽霊の噂をなぜか知っているのは、種を明かすと、僕には情報通の友達、マサがいるからである。
小学生の頃から親しい仲である彼は、ホラーとか、ミステリーだとかに目がない。それだけに、今回の町に出回っている幽霊の噂もすぐに知り尽くしていた。
マサが言うにはこうだ。
「凪朝は現実主義者だからなぁ。こういうのは楽しむためにあるんだぜ?いいか?目撃者の情報によると、浴衣で、狐の面をかぶってて、ゆらりゆらり歩くんだとか……。んで、面を外すと、黄色の目でこっちを睨んでて、金切り声をあげ突進してきて……挙句、鋭い歯でガブリ……骨も残らない……。ひひっ。な?怖いだろ?」
ふんぞり返って身振り手振り物凄い剣幕で語ってくれた。
マサの話を聞いてからまもなく、周りでも囁かれるのを頻繁に耳にした。
よく都市伝説とか、学校七不思議とかは話題に上がることがあるが、今回の幽霊の話は、異常なほど、噂されている。
まるでその幽霊が、本当に存在するとでもいうように。
本当に、この町を見ているとでもいうように。
それは今から一週間ほど前だっただろうか。
始まりは、朝の教室で、僕の机の周りをマサと宙と何人かで囲み、雑談をしていた時。ゲーム魔の宙が、「その幽霊って本当にいんのかな、見てみたいな」と軽く言った。問題はそこからで、「あっじゃあさっ! 探しに行こうよ! 幽霊。」と、横にいた夏呼が言い出してしまったのだ。
「いいじゃんそれ! 夏だしな! 肝試し、行こう行こう!」
マサがのった。いや冗談だって、と宙が言っても聞く耳を持たない。
「宙と、夏呼と、俺と、他に行く人―?」
「だからおれは行かないって。ゲームのステージ、オールクリアしないと」
宙は迷惑そうにかぶりをふった。
「今ゲーム機没収されてるんじゃなかったっけ?」
「まあそうだけど」
「ハイ決定―、他行く奴いる?」
誰一人として行くとは言わなかった。
「幽霊なんているわけねえじゃん。本気で言ってんの?」
「ガキだわー」
僕も行くつもりなんて毛頭なかった。
「さーて、始めよーぜ、幽霊調査団第一回作戦会議!」
昼休みの、屋上へ続く階段。窓から差し込む陽光は四つの影を作り出す。
「メンバーは、俺、夏呼、宙、凪朝。ミッションは、幽霊の目撃および証明。具体的には、ビデオか写真に収めたい。作戦意義は、自らの知的好奇心の充足。以上!」
「ひゅー!」
人気のない静かな階段に、やる気に満ちた声が響く。ただし、夏呼とマサだけの。なぜこんなことになったのか、自分でも分からない。もう中三だというのに未だ小学生気分が抜けていないらしい二人にひっぱられ、気づいたら幽霊調査団に入団させられていた。
凪朝はやる気は全くないので、とりあえず話し合いを聞いていることにした。そして、凪朝の他にもやる気が全くない奴がいた。
「宙、お前幽霊見てみたいって言ってなかった?」
「現実にいるわけないじゃーん。ま、明日は暇だったから行こうと思ってるけど。昨日から、ゲーム没収されててさ。やる事ないんだよね。」
この阿呆な幽霊探しを止めてくれそうな人はいなかった。
ちなみに、幽霊調査団という名称は夏呼がつけた。肩くらいの黒い髪を揺らして、時折飛び跳ねながら喋っている。
「ねっ、幽霊ってさ、写真とかビデオに、映るの?もし映らなかったら、証明できないね。それはそれで鳥肌もんだけどっ!きゃはっ!」
きゃはっ、じゃないわ!……でも確かにそうだ。というか、幽霊がそこに存在すると前提しての話はまだ早いと思うけれど。まあ、それは行ってみれば分かるだろう。今更止めるのも面倒くさい。いないと分かれば、二人とも、また違うことに興味が移るのだろう。
「んじゃ、その時は俺らだけの秘密ってことで、いいだろ。」
「そうだね!でも、心霊写真って撮ってみたいなあ」
「カメラに映ったら、幽霊じゃなくてゾンビとか、あと、不審者とかも考えたほうがいいかもな。生きている可能性だってあるわけだし。懐中電灯とスマホ、拘束具とか戦えるものとかは各自持参で。それらしいものが確認できたら、幽霊かどうか知るためにもまずカメラを向けることにしよう」
マサの意見にそれいいね!と夏呼が手を打つ。宙は僕の隣で冷めた表情で黒縁眼鏡をくいっと持ち上げた。
「あほらし」
「誰だよ、見たいって言った奴は!」
僕と宙とは反対に、マサと夏呼はものすごく張り切っていた。
このままでは、まずい。僕も本当に行く流れになっていっていそうだ。ここらへんで抜けておかなければ。
「ごめん、やっぱ僕、予定が……」
「えー! 来れないってこと?」
夏呼が不満げな顔をし、こちらに近づいてきた。しかし、ここでひるんでいては行くことになってしまう。
「そう、ちょっと予定が。じゃ、教室戻ってる。幽霊探し頑張って。」
「ちょっと待って。だったら最初から言えばよかったのに。予定ほんとにあるの?」
これだから、夏呼は油断ならない。正直ぎくりとしたのを悟られぬよう、平然を装って返した。
「あるよ」
怖いだけでしょう? と夏呼は覗き込んできた。慌てて目をそらす。
「怖くないし。」
「来るよねえ?」
「行かない。」
「理由は?」
「よ、用事……?」
「……無いんだね。じゃ、来て」
本当に、このままではまずい。必死に頭を回転させる。
「あるよ、従妹が、花境町に来る予定でさ。」
「ふーん。おばさんに確認してみよっかなー」
そういったとたんに夏呼は僕のポケットに入っていたはずのスマホを耳に当て、あっもしもしおばさん? と言い出した。一体いつ掏ったんだ。
「ああーっ、ちょ、ストップ!」
僕の伸ばす手を、夏呼はひらりと避ける。
「あっすみませんおばさん、夏休み前日の午後なんですがあ、」
「ちょいっ」
「——行くの?凪朝。」
「行っ、行……かないけどっ!」
「あのすみませーん、凪朝君の従妹って」
「やめっ、分かったから」
根負けした。したり顔で、行く? と聞く夏呼に、うなずいてしまった。
「行くけれど! すぐ、帰ってくるよ」
「やったー。あ、スマホ返すよ。」
ほい、と渡されたスマホには、通話履歴なんて表示されてなかった。なんてこった。
「てめっ夏呼!」
「カッカッカッカッひゃひゃっ」
マサと宙は、この一部始終を「夫婦喧嘩してんぞ」だとか「凪朝はツンデレだな」だとか言いながら観察していた。お願いだから助けてほしい。
持ち物だとか、日時だとかいったことをやる気のあるマサと夏呼の二人が一通り話し終えると、じゃあまとめるけど、と夏呼が片手をあげて今までの会話を確認した。
「計画決行日は、明日。参加する人は私含めここにいる四人。目的は幽霊を見ること。ついでに撮れたら写真を撮る。学校が終わったら家に帰ってすぐ荷物をまとめて、商店街の一番端っこの手芸屋の裏あたりに集合。田んぼの間を通って皆で誇神山に入る。遅くなるようなら連絡を取り合おう。あ、私スマホ持ってないや。まあ、さすがに夏休み前は部活もないと思うから、すぐ来れるよね。持ち物は水、お菓子、お賽銭、十字架、ロープ、戦える物、懐中電灯……それくらいだっけ。」
「ああ。格好は、一応運動できる服のほうがいいよな」
「そうだね。誇神山はあんまり手入れされてないらしいから。あっ、虫よけとかもあった方がいいかも。じゃあ、こんな感じで。明日の放課後ちゃんと来てね。……とくにそこ二人!」
階段の手すりにもたれかかっていた宙と僕は、はーい、と間延びした返事をした。
授業開始五分前のチャイムが鳴り、解散になった。僕は階段を下りた。夏呼が職員室前に用があるというので三人残り、僕は少し静かになってから気づく。
……心配だ。とてつもなく。
なんなんだ、この持ち物「十字架」だとか「戦える物」だとかは。そんな物たちは使うことにはならないだろう。そうであることを願う。
どうせ行ったって、幽霊は見られない。分かり切っていることだ。幽霊なんて存在しない。それを確かめに行くことが、そんなに楽しいのか。
自転車のせいでここには来たけれど、正直、誇神山に行く気は起きなかった。でも、考えてみると夏休み前日の放課後なんて僕も暇だ。ついていくだけならいいか。
僕は、少し用があるから、と言って二人と別れた。でも、別に用事なんて無かった。
ひとけのない、四階の廊下を歩く。
少し遠回りをして教室に戻ろう。
廊下の窓からはよく澄んだ青空がのぞき、つんざくような蝉の鳴き声があたりを包んでいた。
静寂。
……閑さや 岩にしみ入る 蝉の声、それをなんとなく理解させる空間だった。まだ七月だというのに、汗で髪が首筋にへばりついている。延々と続く、頭を乗っ取るような鳴き声。
あの時も、こんな空だった。おぼろげに、あれは夢だったんじゃないかとさえ思う。
あの夏の空と、蝉の鳴き声だけが、やけにはっきりと脳裏にこびりついて取れない。
歩きながら、長い息を吐き出した。
この蝉の声を聞いていると、時間が止まっているように感じる。暑さのせいもあるのだろうが、少し頭がぼうっとする。それでもゆっくり、廊下を進んだ。首筋から汗が滴るのを感じてそれを拭いながら、廊下に目を落とした。気を紛らわすように、歩を進めた。教室に向けて歩くのを止めてしまうと、足の裏から、淡い緑色の廊下に、染み込んでいきそうだった。
幽霊は、信じられない。ゾンビも、悪魔も、神様も、そういったものは信じていない。どんなに考えたって、科学的に、存在し得ると思えない。それは単に、僕に霊感が無いせいだろうか。もしくは、やはり存在しないのだろうか。中学生ともなった男子が、本気で考えるのも我ながらかっこ悪いと思うけれど、それでも、確かめたい理由があった。……死んだ人の魂は、この世に存在するのかどうか。幽霊がいて欲しいとは思わないけれど、もし。
もし、死んだ人の見えない魂が、この世に存在するのなら、僕は霊感が、欲しい。
凪朝は屋上から覗く大きな入道雲を窓から見上げ、それから静かに教室に戻った。教室はにぎやかだった。