【茜音・高校2年・秋・白馬編】



 都会の小さな塾。少人数授業をメインにしているこの塾では先生一人に対して生徒は四人程度まで。カリキュラムによっては事実上の個人授業になることも珍しくない。

 時は半年前の3月、桜はほころびかけようとしているのに、まだ本格的に暖かくなるにはもう少しかかる。

 この日最後の時間の授業が終わり、まだ女子大学生と思われる先生と高校生の男子生徒が後かたづけをしていた。

「ごめんなさいね、手伝ってもらって。この教室も最後かぁ。2年間あっと言う間だったなぁ……」

 他の教室の電気を消しながら、彼女は感慨深げに言った。

「本当に帰っちゃうんすか?」

「そうねぇ。こっちでの就職も決まらなかったし。私みたいな中途半端はダメね。地元に帰ってお仕事を探してみるわ」

「そうですか……」

 その少年は肩を落とす。

清人(きよと)君は私の最初の生徒で最後の生徒になったなぁ」

「そうすね」

 清人と呼ばれた少年は少しぶっきらぼうに答える。

「どうする? 駅まで帰る?」

 そういう彼女も少年が断らないことを知っているかのように尋ねた。

 オートロックの扉を閉め、駅までの暗い道を歩きながら、二人は当たり障りない話をしていく。

「先生いなくなったら、あそこもつまらなくなるなぁ……」

「なに言ってるの。もう今年は受験なんだから、ちゃんと勉強しなさいよ?」

「まぁね……」

「私がねぇ、もう少し長くいられたらって思うけれど……。大丈夫、私なんかいなくったって頑張れるわよ」

「そうかなぁ、先生教えるのうまかったぜ?」

「そう、ありがとう。最後にそれを聞けてよかった。本当に不安なときもあったな。清人くんは最後まで変えてほしいとは言わなかった……」

 彼女の話を解釈すると、講師変更の要望もあったという事なのだろう。

「いつ頃引っ越すんすか?」

「そうねぇ……。まだ部屋の片づけ終わってないから、それが終わったらかな。どっちにしても今月中よ」

 二人ともいつもよりゆっくり歩いて来たつもりでも、気がつけば駅はすぐそこまで来てしまっている。

「たまに遊びに来てもいいわよ。本当に田舎町だけど、景色だけは保証してあげる」

「でも、先生地元に戻ったら、彼氏とか出来ちゃうんじゃないすか?」

 彼女は少し恥ずかしそうに答えた。

「さっきの時間で先生はおしまい。そうだなぁ……、彼氏かぁ……。結局上京しても出来なかったなぁ……。こんな田舎娘じゃダメかなぁ……」

「そんなことないっすよ……。俺、先生のこと……」

「ふふふ、ありがと。清人君も珍しいよね。今時の高校生で彼女もいないなんて。その容姿でモテない方がおかしいのに?」

 二人ともお互いの気持ちは汲み取りあえるほどに分かっている。

 でも、この期に及んで気持ちを吐いてしまえば、互いの足かせになってしまうことも理解している。

「大学の合格決めたら、俺、会いに行きます。そんときに先生がフリーだったら告白してもいいすか?」

「えぇ?」

 突然の宣言に理香(りか)は驚いた。

「そっか……。そんだけ本気だったらいらっしゃい。そのかわり、お互いにそれまでにいい人が出来たらちゃんと教えるのよ?」

 二人の電車は反対方向。いつもとは逆に理香が清人を見送るために反対のホームに来てくれている。

「わかった。それじゃ、今日まで出来の悪い生徒面倒見てくれてサンキュ」

 発車ベルがなってドアが閉まる直前、彼はそう言った。

「ええ、頑張ってね。こちらこそありがとう」

「んじゃ、また会おうな」

 ぐっとこみ上げてしまった理香は頷くのが精一杯だった。

 電車のテールランプを見送りながら、彼女はつぶやいた。

「また会いましょう……ね……」

 一人残った理香の頬に光る筋が出来ていた春の夜だった。