ETERNAL PROMISE  【The Origin】




「萌ちゃん、ありがとうね、うん、健ちゃんとは絶対に会えるって信じる。こんなに助けてもらったんだもん。結果はお知らせしなくちゃ。……あの事故からだったな……。これもわたしの運命なのかも……。あの日も、星だけはきれいに見えたなぁ……。今日と違って周りは雪だったけど……」

 満天の星を見て、彼女はあの事故の日を思い出したようだった。

「茜音さん、それは……」

 あの冬に起きた事故は茜音の人生を変えてしまった分岐点だ。これまで自分からその話題には極力触れることはしてこなかった。

「いいの。あの日の夜、日が落ちたら、星がよく見えたんだよ。わたしは、助けてくれたパパを雪の中から掘り出したの。大変だったけど、雪の中なんかには絶対にいさせたくなかった。それが終わったら、ママがわたしを抱っこしてくれた。そして言ったの。これからどんなに辛いことがあっても、これまでの楽しかったことを思い出して、それよりも楽しいことを見つけて生きていきなさいって。幼稚園児だったから、まだ理解できなくて、でも言葉は記憶に残ってた。この歳になって分かることもたくさんあった……」

 夜空を見上げる茜音。幼稚園の茜音には難しすぎる言葉もたくさんあっただろう。

 本来なら茜音が成長していく中で少しずつ覚えさせていくこと。そこまでの時間がないと悟っていた母親が、茜音にできる限りのことを教えたかったのだと。

「ママね、最後に『育ててあげられなくてごめんね』って言ったの。わたし、そのときにね、他には何も要らないって思った。ママとの時間が欲しかった。それからだよ、本当にその人との時間が本当に大切なんだって思ったこと。本当に楽しい時間は一瞬に思えてしまうくらい短いよ。でも、それは誰も奪うことのできない、わたしだけの大切な思い出になるんだ。ママとパパに一緒にいてもらった時間、健ちゃんと一緒にいられた時間。その思い出が今のわたしを動かしているんだ……。結果じゃない。一緒にいる時間を大事にしようってのは、そこから来てるの」

 さっきとは逆で、茜音が泣きたいのをこらえているように萌には感じられた。

「わたし、萌ちゃんとこうした夜も忘れないよ……。わたしの大切な思い出になるんだから……。だから萌ちゃんも、素敵な思い出をたくさん持っているなら、大丈夫だよ。わたしが保証する」

「うん。頑張ります。お姉ちゃんが空で見ていてくれるから……。あのお星様のどれかだって思ってるから」

「そうかぁ。よく、星になるって言うもんね。パパとママもお星様になってるなら、わたしのお願いかなえてくれるかなぁ?」

 二人は空を見上げた。満天の星空を見るためには、この日のように月が出ていては見える星は少ない。それでも周囲が暗いおかげで、普段の星空とは別物のように見えた。




「それ……星に願いを……ですよね?」

 水音だけの世界に、茜音がふと口笛で流した曲に萌が応えた。

「小さい頃にね、ママがわたしを寝かしつけるときによく歌ってくれたの……。初めて覚えた曲がこれだなぁ……。歌詞なんか覚えたのはもっと後だけどね」

 茜音は萌を見て微笑んでいた。

「事故の後、わたしが話せなくなったときも、誰かが偶然に気づいてくれたんだろうね。病院でもわたしの子守歌はこれだったよ」

「でも……」

「うん、本当の両親の事を思い出す歌でもあるよ。でも、それ以上に落ち着いた気持ちになれる……。この曲がアニメ用の歌だって事は分かってるけど、それ以上に思いが込められている気がするなぁ……」

「きれいなメロディですもんね……。私も好き……。茜音さんすごく上手だし……」

「えへ。一応ね、自分のレパートリーの中じゃ一番良く歌えるかなぁ。よし、今度本物聞きに行こうかぁ?」

 照れ隠しのように茜音は笑った。

「いいんですか? でも、美保ちゃんとかついて来そう……」

「だいじょーぶ。うちだって、あの二人がついてくるのは分かってるから」

「菜都実さん、食べてそう……」

「そうそう。この間行ったときも、常になんか食べていたもんなぁ」

 月夜に舞う蛍の光に囲まれて、二人の話はその夜、いつまでも続いていた。




「へぇ、萌ちゃんの写真がねぇ……」

 夏休みも終わって、最初の日曜日。

 結局、そのまま茜音だけでなく佳織もレギュラーでアルバイトを続けることになったウィンディで、茜音の報告にキッチンから顔を出した佳織。

「萌ちゃん、サイトで本当のことを公表したらしいよ。そしたら、逆に励ましのコメントがたくさん来たんだって。それで、思い切ってコンクールに出したら、優秀賞もらったって」

「やるなぁ……。誰も萌ちゃんを責められないよねぇ。あそこまで頑張ったんだもん、本当に誉めてあげなくちゃ……」


 夜の時間の仕込みを終わらせて一息をついている茜音が、時計を気にしている。

 カランと音がして、店の扉が開いた。

「いらっしゃいませ。あ、美保ちゃん萌ちゃん!」

 仕事モードだった菜都実の言葉に、茜音がぱっと振り向く。

「こんにちは。お約束の物できましたぁ」

 萌は大きめの箱を抱えていた。

「なんか頼んでたの?」

「あたし知らない。茜音?」

 二人をいつもの奥のテーブルに案内した菜都実は茜音を呼んだ。

「わぁ、待ってたんだぁ」

「たぶんぴったりだと思いますけど……。衣装以外で他の人に作ったことないんで……」

 持ってきた箱を茜音に差し出す。

「もう、茜音ったらそんなの頼んでたのぉ? 一人だけずるいなぁ……」

「見せて見せて!」

「うわ、かわい~!」

「これ、前に萌ちゃんが着ていたのと同じ?」

「一緒に生地を選んで色違いでお願いしたんだぁ」

 ベージュの地に黒、白、赤のチェックが入ったベストと、模様の位置まで合わせて作ってあるスカート。ちょうど秋から着られるような色合いで、やはりところどころに小さく飾り釦やアクセントを取り付けてある。

「茜音ぇ、着てみてぇ!」

「うん!」

 嬉しそうに箱を奥に持っていく。

「あれ作るの大変だったでしょう……?」

「自分のサイズではないので、ちょっと苦労しました」

「そっかぁ、それじゃぁ茜音の3サイズ計ったんだっけ? 貧弱でしょう~?」

 確かに三人を並べてみると、菜都実が一番いいプロポーションをしている。ただし、そんな菜都実が笑い話にするほど茜音が負けているわけでもない。

「本人がいないからってそんなこと言わないの。そりゃ私らの中じゃ菜都実が一番いいんだから……」

 次にその話題が降ってくるのを察してか、佳織が先に予防線を張っておく。

「私も全然ないからいいです。いたっ!」

「も~え~、あたしを置いていったなぁ……?」

 隣から美保がつねったらしい。

「だってぇ、そんなのわかんないよぉ……」

 聞くと去年までは身長、体重、それこそ3サイズまで一緒のまさに双子だったらしい。

 今年の結果でわずかながら萌の方に軍配が上がってしまったため、ちょっと敏感になっているとのこと。しかも、下着のサイズに表れてしまったとなればなおさらだ。

「そうだったの。これは持っていない女の子にしか分からない悩みよね」

 佳織が美保の肩に手をおいて続けた。

「美保ちゃん大丈夫! これからこれからぁ。菜都実だって中学の時は『まな板』だって言われてたんだから」

「言うなぁ~!」

 四人の騒ぎの後ろから、茜音が顔を出した。

「見て~、ぴったり♪」

「あ、よかったです!」

 この日に萌が持ってくるのを見越して、茜音はちゃんと白いカッターシャツを持ってきていたので、びったり決めてきた姿はよく似合っていた。

「さすがオーダーメイドだねぇ……。茜音専属のデザイナーになってもらえばぁ?」

「大丈夫ぅ。今度から二人で作れるからねぇ。あ、萌ちゃん達、せっかくだから新メニュー食べていってよぉ。菜都実、あれオーブンにお願い!」

 せっかくの新品を汚さないように、茜音は菜都実に声をかけて、もう一度奥に着替えに戻った。




「そうか、この二人用だったのか。それで数が合わなかったのね。らじゃ!」

 菜都実が調理場に入り、テーブルには佳織だけが残った。

「なにかあったんですか?」

「茜音の新作なんだ。この間出来たばっかりだけど、本当においしいから食べていってね」

 着替え終わった茜音がカウンターテーブルからお皿を持ってくる。

「はい。新作のシーフードグラタンですぅ。ホワイトソースを粉から作ったから味には自信あるよぉ」

「そうなんですかぁ。いただきます!」

 二人が喜々としてお皿に向かう。

「熱いから気をつけてねぇ」

「どうかなぁ……」

 少し不安そうに二人の顔を見ている茜音。

「これ……、本当に茜音さん一人で作ったんですかぁ?」

 フォークを置いた萌が尋ねる。

「うん……。オーブン料理は昔から作ってるから……。どうかなぁ……」

「美味しいです。新メニューで十分行けると思いますよぉ。でも、これ毎日作るわけにいかないですよね。学校もあるし……」

 美保の顔を見てもやはり反応は上々だった。

「そうなんだよぉ。だから不定期の臨時メニューかなぁって。作るのも1日かかるから……」

「隠しメニューだな……」

「あ、そうだそうだ」

 萌は何枚かの写真を茜音に渡した。

「はえ~、きれいだなぁ」

「この間の風景に似ているところを探してきました。写真の裏に場所が書いてあるんで、参考にしてください」

「ありがとぉ。そうそう、萌ちゃん良かったねぇ。写真もページも」

「はい。今度、ここでオフ会開いてもいいですかぁ?」

「もちろん! だって、あたしもそのメンバーだし」

 佳織が笑って入ってきた。

「日にちが決まったら任せて。店員権限で強制的に休みにするから」

 夕食用にと茜音が作ったおかずを渡して、美保と萌の二人は帰っていった。



 三人で今度の場所について話そうかと思ったとき、また表の扉が開いた。

「いらっしゃいませ~」

「おねーちゃん久しぶり~!」

 入ってきたのは、茜音達よりも小柄の女の子だった。

「ほえ?」

「由香利!! なんであんたがここにいるのよ!? 病院はいいの?」

「はぁ?」

 菜都実が信じられない物を見るように固まっている。

「菜都実……、この子知ってるの?」

 茜音と佳織はその菜都実を振り返って見ている。

「由香利……、私の妹よ……。双子の……」

 菜都実の突然の言葉。茜音も佳織も妹、しかも双子がいたなんてことをこれまで聞いたこともない。

「え~~~~~?? 双子ぉ~~~???」

「ほえぇ~~~???」

 突然のショッキングなカミングアウトに、佳織と茜音の叫びがお店の中に響き渡ったのだった。

【茜音・高校2年・秋・白馬編】



 都会の小さな塾。少人数授業をメインにしているこの塾では先生一人に対して生徒は四人程度まで。カリキュラムによっては事実上の個人授業になることも珍しくない。

 時は半年前の3月、桜はほころびかけようとしているのに、まだ本格的に暖かくなるにはもう少しかかる。

 この日最後の時間の授業が終わり、まだ女子大学生と思われる先生と高校生の男子生徒が後かたづけをしていた。

「ごめんなさいね、手伝ってもらって。この教室も最後かぁ。2年間あっと言う間だったなぁ……」

 他の教室の電気を消しながら、彼女は感慨深げに言った。

「本当に帰っちゃうんすか?」

「そうねぇ。こっちでの就職も決まらなかったし。私みたいな中途半端はダメね。地元に帰ってお仕事を探してみるわ」

「そうですか……」

 その少年は肩を落とす。

清人(きよと)君は私の最初の生徒で最後の生徒になったなぁ」

「そうすね」

 清人と呼ばれた少年は少しぶっきらぼうに答える。

「どうする? 駅まで帰る?」

 そういう彼女も少年が断らないことを知っているかのように尋ねた。

 オートロックの扉を閉め、駅までの暗い道を歩きながら、二人は当たり障りない話をしていく。

「先生いなくなったら、あそこもつまらなくなるなぁ……」

「なに言ってるの。もう今年は受験なんだから、ちゃんと勉強しなさいよ?」

「まぁね……」

「私がねぇ、もう少し長くいられたらって思うけれど……。大丈夫、私なんかいなくったって頑張れるわよ」

「そうかなぁ、先生教えるのうまかったぜ?」

「そう、ありがとう。最後にそれを聞けてよかった。本当に不安なときもあったな。清人くんは最後まで変えてほしいとは言わなかった……」

 彼女の話を解釈すると、講師変更の要望もあったという事なのだろう。

「いつ頃引っ越すんすか?」

「そうねぇ……。まだ部屋の片づけ終わってないから、それが終わったらかな。どっちにしても今月中よ」

 二人ともいつもよりゆっくり歩いて来たつもりでも、気がつけば駅はすぐそこまで来てしまっている。

「たまに遊びに来てもいいわよ。本当に田舎町だけど、景色だけは保証してあげる」

「でも、先生地元に戻ったら、彼氏とか出来ちゃうんじゃないすか?」

 彼女は少し恥ずかしそうに答えた。

「さっきの時間で先生はおしまい。そうだなぁ……、彼氏かぁ……。結局上京しても出来なかったなぁ……。こんな田舎娘じゃダメかなぁ……」

「そんなことないっすよ……。俺、先生のこと……」

「ふふふ、ありがと。清人君も珍しいよね。今時の高校生で彼女もいないなんて。その容姿でモテない方がおかしいのに?」

 二人ともお互いの気持ちは汲み取りあえるほどに分かっている。

 でも、この期に及んで気持ちを吐いてしまえば、互いの足かせになってしまうことも理解している。

「大学の合格決めたら、俺、会いに行きます。そんときに先生がフリーだったら告白してもいいすか?」

「えぇ?」

 突然の宣言に理香(りか)は驚いた。

「そっか……。そんだけ本気だったらいらっしゃい。そのかわり、お互いにそれまでにいい人が出来たらちゃんと教えるのよ?」

 二人の電車は反対方向。いつもとは逆に理香が清人を見送るために反対のホームに来てくれている。

「わかった。それじゃ、今日まで出来の悪い生徒面倒見てくれてサンキュ」

 発車ベルがなってドアが閉まる直前、彼はそう言った。

「ええ、頑張ってね。こちらこそありがとう」

「んじゃ、また会おうな」

 ぐっとこみ上げてしまった理香は頷くのが精一杯だった。

 電車のテールランプを見送りながら、彼女はつぶやいた。

「また会いましょう……ね……」

 一人残った理香の頬に光る筋が出来ていた春の夜だった。



「そうかぁ……。菜都実(なつみ)の家も大変だなぁ……」

「まぁね……。うちはもう覚悟してることだったし。確かに双子のなのに一緒に暮らせないって辛いけどさぁ……」

 喫茶店ウィンディでのランチタイムの時間が終わり、片岡(かたおか)茜音(あかね)近藤(こんどう)佳織(かおり)の二人は、店のマスターの娘の上村(うえむら)菜都実(なつみ)の部屋に上がらせてもらっていた。

 久しぶりに来た部屋はサバサバしすぎているくらいにさっぱりしていて、茜音の部屋などに比べれば非常に質素だ。

 半月前、突然菜都実の前に双子の妹の由香利(ゆかり)が現れた。彼女はすぐにまたどこかに行ってしまったけれど、それ以来どうも菜都実の様子が落ち着かない。

 茜音と佳織がそのことを尋ねると、菜都実は自分の部屋に二人を招いたのだった。

「それで由香利ちゃんは治るの?」

「……正直言ってそれも微妙。一応、その時の一番いい治療が出来る病院を探しているんだけどね。手術だけじゃなくて薬の変更も何回もしてるのに、まだ完治できないから……」

「そうなんだぁ。それで菜都実よりも小さく見えるのか……」

「実際小さいんだよ。双子なのに15センチも身長違うんだから。それに双子って言っても二卵性だからこの間の美保ちゃんと萌ちゃんたちとは違うし」

 そこまで言うと、菜都実は疲れたように息をついた。

「そっかぁ……。ちょっとこればかりは私たちじゃどうにもならない話だよねぇ」

「う~ん。ねぇ菜都実、由香利ちゃん自体は旅行に連れていけないとか、遊べないとかあるの? ……でも厳しいかぁ……」

 茜音が何かを思いついたように尋ねる。

「まぁあれだけ出歩いているところを見ると、動けないって訳じゃなさそうだよなぁ。もちろん投薬とか手術の時にはしばらく病院に缶詰になるけどさぁ……」

「なんかいい案でもあるの茜音?」

「うぅー。まだそこまで思いつかないけど……。もし次にどこか行くときに一緒にいけたらなぁって思って……」

「それ意外にいいアイディアかも……」

 苦し紛れに言ったような茜音のアイディアだったのを、佳織は思いついたようにつぶやく。

「茜音の旅ってさぁ、山奥とかじゃん? 空気もきれいだし、気分転換にはもってこいなんじゃないの?」

「確かに景色とか空気はきれいなところだけど、ちょっとスケジュール的に厳しい場合もあるよぉ? 強行軍の場合もあるし……」

 茜音が言うのももっともな話で、少しでも訪問場所を稼ぐために距離的に近い場所などは短い時間の中でハードな日程を組むときもある。もっともそんな時は茜音の単独行動が多い。

「最近行きそうなところで候補はある?」

「んー、まだ萌ちゃんからのリストを見ながら選んでるって感じ……。すぐに出かけられそうなところで、みんなで行けるところだよねぇ……」

 どうやら次回の候補地は四人で回ることに勝手に決まってしまったようだ。

「ちょっと時期とか場所はもう少し考えるから、由香利ちゃんに話しておいてよね」

「ほいほい。まぁ連絡はすぐに付くから大丈夫。さぁて、これからディナー分の仕込みだぞぉ……」

 時計を見ると、もう夜の部の準備を始める時間帯になっている。

 ウィンディではランチとディナーの間に店を閉めることはないが、昼と夜では若干メニューも変わるから、テーブルのセッティングなども変える必要があり、次の行き先選定の話は一度そこで中断となった。




 三人が店に降りていくと、菜都実の父親でもあるマスターは数人の常連客としゃべりながらコーヒーを煎れていた。

「もう休んでいいよ。しばらく茜音の仕込みだから」

「あいよ」

 マスターはオープンキッチンになっている厨房を外して客席でくつろぐことにしていた。

「茜音ちゃん、今日はあれ出せるの?」

「はぃー。10食分は出来ると思いますぅ」

 マスターの問いに茜音が答える。

「あれ、あっと言う間になくなっちゃうからなぁ……。増やすわけにはいかないんだろうなぁ……」

「はぅ……ごめんなさいです。これ以上量が多くなるとうまく作れないんですぅ」

 あれと言っているのは、普段は店のメニューにも大きくは載せていない茜音手作りのグラタンのことで、茜音が橋探しの協力をしてもらっているお礼にと材料から選んで作っている先月からの不定期メニューだ。

 数あるオーブン物メニューの中でも一つだけ、彼女が一人でソースから仕込み時間をかけて作るため、茜音の仕事が土日など休日で朝から入っているときしか作れない。

 そして1回に作れるのが10食程度という超限定。茜音が手を込めて作っているだけあってその味はホテルのレストランにも負けないと言われ、あっと言う間に口コミで広がってからは、常連でさえなかなか口に出来ないと言うプレミアまでついてしまった。

「佳織はなんか手持ちのレシピはないわけ?」

「茜音のあれを食べちゃったらちょっと勝ち目ないなぁ……。デザート系ならまだ行けるかもしれないけど……」

 佳織も腕が悪いわけではない。マスター不在の時は店のメニューはほとんど作ることもできるし、自分でもおまけ程度に付け合わせなどは即興で作ったりはしている。

「まぁ幻の限定メニューがあると言ってもらった方が店としてはお客さん増やせるし?」

「はぁ……。ごめんなさいですぅ……」

「茜音が謝ることじゃないでしょうが」

 用意した10皿に中身を取り分けて冷蔵庫に入れておく。これで準備は整った。

「いらっしゃい。今日はいるよ」

 マスターが入り口の方に声をかけた。どうやらまた一人お客さんが来たらしい。

「はぅ! テーブルセッティングまだしてないよぉ」

「いけねっ! マスターのんびり構えている場合じゃないっしょ」

 慌てて食器をかかえて空いているテーブルからセッティングを始めようとしたが……、

「いらっしゃいませぇ……って、あれ? 生徒会長ですかぁ?」

「はぁ?」

 茜音の気が抜けたような声につられて、菜都実も思わず振り返る。

「あれ、片岡さんじゃん。なんでそんな恰好してるんだ? バイトは禁止だぜ?」

 生徒会長と呼ばれた方もまさかドタバタ気味の店員が茜音たちだとは気がついていなかったらしい。

 坂口(さかぐち)清人(きよと)、茜音たちも通う桜峰高校の生徒会長を務めている3年生。立場上、堅くしなければならないところはある。

 だからといって周囲に耳を貸さなかったり威張る様子もなく、締めるところだけ締まっていればいいというポリシーなのか、本人の髪型なども、よくスポーツ選手にあるような風になびくようなセットであり、おまけに本当に分からない程度に染めてまでいるという状態。

 顔も眼鏡ではカッコが付かないからコンタクトにしたという話も残っているくらいで、今風にさっぱりしたところが女子などにも人気がある。後からの佳織のコメントでは特定の彼女無しというデータが付け加えられている。

「かいちょー、ここはあたしんちですけど? なにか?」

 菜都実が作業を中断して茜音のところにやってきた。こんなところで変なごたごたを起こしたくない。

「彼女たちは菜都実の手伝いに来てもらってるだけだからね。アルバイトとは呼べないな。それに、そんなことでは君の言っている人たちには会わせられないよ」

 まずい空気になりかけたのを、マスターがうまくフォローしてくれる。

「まぁ、バイトをやるななんて今どき時代錯誤だからね。別にどうするつもりもないすよ」

「さすが会長!」

 菜都実に続いて茜音もようやく表情を元に戻した。

「でも、誰かに会いに来たんですか? こんなお店に来ることなかったはずなのに?」

 テーブルのセットを続けながら佳織が聞いた。佳織と茜音が店を手伝い始めてから3ヶ月近くになる。その間に彼の姿を見ていればもっと前から話題に上がっていても不思議ではない。

「彼はここ最近、急に来るようになってな。なんか訳ありそうだったんで話を聞いて、今日来るように言っておいたんだ」

 マスターの声が後ろから聞こえた。




 菜都実の父である、マスターからの話を聞いて三人とも意外に思っていた。生徒会長でもある彼が喫茶店に出入りしていることが知れれば、少なからず影響があることは彼自身が一番理解しているはず。

 それでもこの「週末」を狙って来店するということは、それなりの理由があるに違いないから。

「何か情報集めですか?」

「この写真の風景のことを知っている人に会いたくてね。そしたら今日はいるからって言うから」

「ほえ?」「なんだってぇ?」

 壁に掛けられている写真を見て話す清人の言葉に、三人は呆気にとられてしまった。

「ははぁ、そうゆーことか……。かいちょー、この写真誰が撮ったか知ってんの?」

「いや」

 菜都実の質問に答える様子は本当に知らないらしい。

「茜音! 佳織も! かいちょーの相手よろしく。あたしもすぐ行く!」

「ほぇー」

 近くにいた茜音を座らせ、奥にいた佳織も引っぱり出し、菜都実は四人分のグラスに水を入れてやってきた。そして四人掛けの席の空いたところにもコップを置くと、自分もそこに腰を下ろした。

「んじゃ父さんあとはお店よろしこぉ~」

「おいおい……」

 マスターは予想していたらしく苦笑いだ。


「そいじゃ何が聞きたいのか教えてもらいましょうか」

「え?」

「だって、この写真のことでしょ? ほとんど茜音と佳織が撮ってきたんだってばよ。んだからかいちょーが会いたがっている人って言うのはこの二人なわけ」

「そうなのか……?」

 目を丸くした清人に、二人は頷く。

「それじゃ、思い出の場所を探しているっていうのは……?」

「そ、この茜音! 学校じゃひどいあだ名付けられてるけど、そういう理由がある訳よ。それこそ難攻不落にもなる理由がね」

「そうだったのか……」

 佳織の説明ではどう話がずれるか分からないので、茜音は簡単に経緯を話した。そして壁に飾ってある写真についても簡単に場所を話していく。

「なるほどね……。それで学校がある日はほとんどいない訳か」

「でも、会長は何でこの写真とお店が結びついたんですか?」

 佳織が不思議そうに尋ねた。

「ネットで自分も情報を探していたら、どっかのページにいろいろ書き込みがあってさ。この店でヒントが聞けるかもしれないってあってね。まさかそれがみんなだとは思わなかったけど」

「んじゃ、なにかこういう風景のことで問題でもあるんですか?」

「まぁそんなところだな」

 佳織がようやく本題に話を戻したので、彼は1枚の写真を三人に見せた。

「どこなんでしょう?」

 開口一番、茜音は尋ねた。どこか山の上から撮ったのだろう。写真の中心には湖があり、その周囲に集落や家がぽつぽつと建っているのが分かる。

「分かってれば意見をもらいに来ないよ。言ってみれば挑戦状とでも言うべきか……」

「はぁ、挑戦状ですかぁ……」

 茜音から写真を受け取った佳織はじっとそれを見ている。

「菜都実、虫眼鏡ある?」

「えぇ?!」

「菜都実、つり具の修理する道具の中にルーペが入ってるから、それでいいんじゃないか?」

 マスターからの助言をもらって菜都実が目的のものを佳織に渡す。

「関東じゃぁないね……。結構雪が降る場所と見るけどなぁ……」

 その写真をじっと見て、佳織は断言した。理由はそれぞれの家の屋根を見て判断したという。

「つまるところ、これを撮った場所に行かなきゃならんというわけっしょ?」

「ま、手っ取り早く言えばそう言うことだね」

 学校内では問題になりそうな菜都実の口調だけど、ここでは立場が違うし、清人もそれほど気にしている様子ではない。逆に三人が自分の持ってきた写真を見て興味を持ってくれたことに安心したようだ。

「でも、どうしてこの場所に行く必要があるんですか?」

 じっと見ていた写真を再びテーブルの上に置くと、佳織は再び顔を上げた。

「んー、まさか片岡さんたちが相手とは思ってなかったからなぁ……」

「何をぐだぐだ言ってんのよ。あたしたちじゃなかったら話したのにってどういうこと?」

 菜都実の迫力では本当にどっちが年上なのかよく分からない。

 観念した清人は、この写真を入手した経緯を説明し始めた。

 この春まで塾講師をしていた女性との話で、受験の後に会いに行くという約束をしたまではいいのだが、肝心の連絡がなかなか来ない。

 夏休みになって差出人の住所がない彼女からの手紙が来た。彼女の住んでいる場所についての手がかりの写真で、受験が終わったら来てもいいという内容。ヒントになりそうな消印は都内に出てきたときに投函したようで当てにならない。

 住所がないので、いったいこれがどこで撮影されたのか見当がつかない。いろいろなサイトで当たった結果、たどり着いたのがこの店だったということだった。




「好きだった先生からの挑戦状かぁ。渋いことしてくれるねぇ」

「これがヒントってことですねぇ……」

「そう言えば受験を終わらせてからってことですけど、今が追い込みの時期ですよね?」

 話の進展を聞くと、それこそ茜音の橋探しとそう大きく違いはない。違うのは茜音はまだ2年生。一方で3年生の2学期の清人は間違いなく追い込み時期だ。

 彼は頭をぽりぽりかいて、

「来週、推薦入試があってさ……。本当はこんなことしている時間はないって分かってるんだけど……」

「はぅ、こんなこと抱えていたんじゃ勉強も身に入らないですよねぇ……」

 ズバリと核心を突く茜音。清人は降参したように笑う。

「他の奴らとは違うな。片岡さんの話も分かったし」

「んでどーする? 茜音の橋探しとは少しずれるけど……。会長の相談に乗ってみますかい?」

 確かに、今回の話は茜音に直接関係のある話ではないし、この写真を見る限り、鉄道の橋がある様子でもない。

「分かりました。受験の結果が出るまでに場所は私たちが探します。先輩はその推薦をさっさと合格しちゃってください」

 何かを考えている様子だった佳織が突然口を開いた。

「ほぇ??」

「本当にいいのか?」

「こう見えても、私たちあちこち出歩いているし、茜音の場所探しに協力してくれている人たちも全国規模です。この場所の割り出しの目安は何とかなります。その代わり条件があります」

 清人だけではなく、茜音と菜都実までが呆気にとられている中、彼女は続ける。

「茜音のこと、なんとかしてあげてください。先輩は2年間かもしれませんけど、茜音は10年です。中身は誰よりも一途なのに、学校じゃひどい言われ方してる。こんなのって不公平です」

「佳織、いいよぉそんなこと……」

 茜音の方が焦る。自分が影でいろいろ言われていることは分かっている。でも、それは彼女なりの理由があってのことだ。

「分かった。場所探しはお願いするよ。学校での話は必ず考える。それでいいかな?」

「分かりました。この写真、お預かりしてもいいですか?」

 佳織の強気の交渉がこの場では清人に勝っていた。彼は例の写真を三人に預けて笑った。

「来て良かったよ。片岡さんも任せて」

「はいぃ。私のはまだ時間ありますから……」

 いつの間にか、時間はディナータイムに突入しており、周りを見ると半分ぐらいのお客も入っている。

「そう言えば、今日じゃないと食べられないメニューがあるって聞いたんだけど……?」

「あぅぅ、そうなんですけど、まだ残ってるかなぁ……」

 人気メニューだけに、普段ならこの時間には既に売りきれとなってしまうのだが。

「茜音ちゃん、出してやってくれぇ」

「あれぇ? あったんですかぁ?」

 マスターに小声で呼ばれると、彼は茜音の前にまだ焼き上げてないお皿を差し出した。

「間違いなく茜音ちゃんのお客だからさ、1皿だけ残して置いたんだ。今日だけ特別だぞ? 本当は予約取り置きしないんだから」

「はいぃ、ありがとうございますぅ」

 オーブンで焼き上げている間に、さっきまでのテーブルをもう一度セットした。

「もう少し待っていてくださいねぇ。限定メニューですから。佳織なにやってんのぉ?」

 仕事に復帰した菜都実と茜音をよそに、佳織だけは地図のサイトをいくつか確認して、どこかに電話をかけていた。

「それじゃ、明日よろしくね」

 佳織は電話を終えると不思議そうにのぞき込んでいる二人を見た。

「だいたい候補地がいくつか絞られそうです。先輩の合格が早いかあたしたちが探し出すのが早いか競争ですね」

「もう?」

「まさか……萌ちゃん?」

 目を丸くした清人だったが、茜音の頭の中には一人の少女の名前が挙がっていた。

「そ、二つ返事でOK。明日の放課後に会いに行くからね」

「うわぁ」

「相変わらずやること早いわね佳織。かいちょー、茜音の特別メニューお待たせ」

 菜都実はオーブンから取り出したばかりのグラタン皿を持ってテーブルにやってきた。

「この味に文句言ったら、場所探し取り消しだかんね」

「おいおい……」

 菜都実の脅迫(?)もあって、恐る恐る一口目を口に入れた。

「ど、どぉかなぁ……」

「これ、本当に片岡さんが作ったのか?」

 驚いた顔で茜音を見つめる。

「はいぃ……。シーフードはお口に合いませんでしたかぁ……?」

「謝る必要はないんじゃないか? マジでうまいぞこれ? クラスの女子に食わせてやりたいくらいだ」

「や、やめてくださいぃ!」

 茜音たち2年生も調理実習はある。ただしあえて共同作業にはあまり手を出さないようにしていたからだ。本意ではなくとも目立ってしまうのに、料理の腕まで騒がれてしまうのは得策ではないと考えたからだ。

 もちろん個人での実技などでは逆に一切の妥協はないから、クラスの間では茜音の家庭科の成績は謎の1つと言われている。

 結局、清人を送り出した三人も、そこで当日の仕事を終えた。




 放課後のホームルームが終わると、佳織は菜都実と茜音を引っ張ってそのまま駅に向かっていた。

「こんなに早く行ったって萌ちゃんいないんじゃない?」

「大丈夫。中間テスト明けで早いんだって」

 電車にゆられて目的の駅に到着する。

 改札口は東西の2カ所。佳織はためらわずに東口に向かう。改札の外では見慣れた顔の少女が三人を待っていた。

「こんにちはぁ。萌は先に帰ってなんか準備しているそうです」

「だから美保ちゃん制服だったのね? 学校終わってずっと待っていてくれたの?」

 彼女は大竹美保と言い、地元中学の2年生だ。本当なら彼女の妹の方に用事があるところを、姉を佳織たちの出迎えによこしたらしい。

「部活寄ってきたんでずっと待っていたわけじゃないですよ」

 夕方に入りかけた商店街を抜け、以前にもお邪魔した家に着いた。

「ただいまー。萌、みなさん来てくれたよ」

 最初からリビングまで通すことを言われていたらしく、美保はキッチンに向かって声をかけると三人をリビングに通した。

神無(かんな)、片づけておきなさいって言ったでしょうがぁ!」

 美保は学校の用意を置きっぱなしにしていたらしい小学4年の妹を呼びつける。

「いいんですよぉ。気にしないで……」

「神無、片づけちゃいなね。お待ちしてました」

 飲み物とお菓子を持って現れた萌は美保の一卵性の双子の妹の方で、見た目は全く一緒だ。

 茜音の場所探しの過程で知り合い、一緒に現地まで案内してくれただけでなく、茜音などは服を仕立ててもらったり一緒に料理を勉強したりと、深い交友が続いている。

「ごめんね、突然押し掛けちゃって……」

「いいですよ。とにかく資料探しだけはしておきました。それに時間取っちゃって……。お姉ちゃんの部屋全部ひっくり返したから……」

 萌が笑う。実は彼女は今やすっかりネットの写真家たちの間では次のホープとして有名人だ。

 風景写真を撮っていた姉の亡き後を継ぎ、今は姉が立ち上げたサイトに自らの作品を掲載している。夏休みに一緒に旅行した後、茜音たちに勧められ雑誌投稿した作品がいきなり新人賞を取ってしまうなど華々しいデビューを飾っている。

「とにかく写真と場所のことなら萌ちゃんだし。ちょっと見てくれる?」

 佳織はそう言って萌に例の写真を見せる。

 佳織が彼女を指名したのにはもちろん理由があった。

 萌と彼女の姉の作品には駅などの鉄道に関係した写真も非常に多く、二人の作品をあわせればその場所はほぼ本州を網羅している。

 自動車の免許を持っていない二人の女子がこれだけの場所を知っているというのは、その場所まで鉄道で旅行しているということを意味する。佳織はそこに賭けた。

「これ……、ですかぁ……」

 渡された写真を持って萌は考えていた。

「まぁ、直接は茜音のとは関係しないんだけどねぇ……」

 萌は何かに気がついたらしく、ルーペを持ってきた。

「どうかしたのぉ?」

「これ……、駅ですよねぇ……」

 写真では砂粒のように小さく見える建物を見て、萌がつぶやく。そしてやはり佳織と同じように地図帳を持ってきた。

「山にこれだけ囲まれて、湖があって……、駅があるんですね……」

「あうぅ、あんまりよく分からないぃ……」

 茜音がぼやくのも無理はない。例の写真は恐らくスマホの遠景写真をプリントアウトしたもので、何かにピントを合わせて撮った物ではないからだ。

「私も気になる場所があるのよ。ちょっとネット使えるかな?」

「いいですよ。部屋が散らかってますけど……」

 佳織は萌に続いて2階に消えたいった。