「なにはともあれ、これであたしの心配はなくなったわけだ」

「あーあ、とうとう千夏を持って行かれたか……」

「お兄ちゃん、恥ずかしいからそんなこと言わないでぇ」

 暗くなった千夏家の庭先。昼に消費するはずだった食材をバーベキューにしての夕食。話題はひとつしかなかった。

「それにしてもひどいよぉ……。みんな見てたなんて……」

 あの後、気がつくと雅春たち三人が階段の上から見下ろしているのが分かって、それこそ全身が真っ赤になってしまった二人を、みんなは歓声で迎えた。

 後で気がついたけれど、三人が階段のところにいてくれたおかげで、他の邪魔が入らなかったということまで分かって、帰りの車の中では、香澄の突っ込みにただただ小さくなる二人だった。

「だって、あんたたち、ああでもしなくちゃ!」

 香澄は大笑いだが、雅春は気にかけていた妹が新しい一歩を踏み出したことに、寂しさと安堵の混じった様子だ。

「でも、お兄さん、ずっと千夏ちゃんのこと心配してたじゃないですか?」

 茜音に言われ苦笑するも、ちゃんと和樹に注文することも忘れなかった。

「千夏のこと、泣かすなよ?」

「はい。もし泣かしたら千夏はあきらめます」

「お兄ちゃん、和樹? 私が涙もろいの知ってぇー!」

「大丈夫。うれし泣きは加算しないから。ね? 香澄ちゃんという見張り役もいるし」

 そう言った茜音の顔が少しゆがんでいたのに気づいたのは千夏だけだった。

「ねぇ和樹。千夏のファーストキスの感想は?」

「えっ! 言わなきゃだめか?」

 全く前触れもなく襲撃した香澄に、和樹は全く防戦しようがなかった。

「そりゃぁ、千夏が大事にしてきたものをもらったんだもんねぇ。そのくらいは言えよ」

「おまえがもてないのが分かったよ……」

 香澄以外が吹き出すと、和樹は顔を赤らめている千夏の手をつないだ。

「あれ、ホントにそうだったのか?」

「うん。間違いなく私のファーストキス。お兄ちゃんにもあげてないもん」

「そうかぁ、しょっぱかったぞぉ」

 一人拗ねていた香澄も吹き出した。

「もう、雰囲気ぶちこわしぃー。和樹のバカぁー」

 千夏は持っていたお皿を縁側に置き、もう一度和樹の前に立った。

「もうしょっぱくないから……」

 千夏は少し背伸びをして、彼女の唇を和樹のそれに合わせた。




「茜音ちゃん、ありがとう……」

 すべてを片づけ、雅春が二人を送り届けに行くと、あたりにはまた静寂と虫の声だけが残った。

 翌朝の出発準備を済ませ、ぽつんと窓から外を見ている茜音。

 お風呂から上がってきた千夏は、その背中に手をついて言った。

 部屋を暗くして、窓を開けているので夏の天の川がきれいに見える。

「茜音ちゃんがいなかったら、きっと今日みたいに出来なかった。ありがとう……」

「うん。本当によかったね。わたしも嬉しい……」

 千夏は茜音の声が震えているのに気がついた。

「茜音ちゃん?」

「今日はね、わたしと健ちゃんが離ればなれになった日なんだ……」

 茜音は抱きしめていた写真を見せた。9年前の今日の日付がプリントされている。あの最後に撮ってもらった写真を見ながら、茜音は続けた。

「あの日は朝から何もしゃべれなかった。でも、健ちゃんが笑ってくれたから、笑顔で写ってる……」

 茜音は自分とは違い、一番そばにいてほしい人の居場所が分からない。

 千夏は喜んでいただけの自分を振り返って申し訳なくなった。茜音はこの旅行で自分の目的は達成できていない。そんな茜音が自分へのプレゼントをしてくれたのだから。

「茜音ちゃん泣いてる……」

「毎年、この日はいつも一人で素直に泣ける日。だから本当は誰とも会わないの。どんなに寂しくても、辛くても泣かないって決めてるんだ……」

 さっき、和樹と雅春が千夏を泣かせないと言ったとき、茜音の表情がゆがんだのを思い出した。

「千夏ちゃん、和樹君と離れちゃだめだよ。もうわたしたち、自分で決めることも出来る歳になったんだ。わたしみたいなこと、しちゃだめだよ?」

「茜音ちゃん、きっと見つかるよ。茜音ちゃんも絶対に幸せになれるよ」

「頑張るね。きっと千夏ちゃんにいい報告できるようにするから」

「ずっとお友達でいてね。私、お友達少ないから……」

「うん。また遊びに来るから」

 千夏は茜音をそっと手を握った。

 その夜、千夏は再び茜音を自分のベッドに招き、涙ぐむ茜音をずっと抱きしめていた。