早朝、菜都実が出発前の準備をしていると、突然スマートフォンの着信音が鳴った。画面を見ると主は佳織である。

「どうした? まだ時間はあるでしょうが?」

「大変! 菜都実早く支度して!!」

 普段は何があっても冷静に判断を下す佳織が相当取り乱しているということが声だけでも分かるほどの慌てぶりで、菜都実は面食らった。

「なんかあったの?」

「いいから早く来て! 茜音がもう一人で出かけちゃったの!」

「はいっ!?」

 寝ぼけていた頭を一気にフル回転させるための一撃としては十分すぎる。

「分かった? すぐに行くからその準備しといて!」

 確かに出発の直前まで行くことには迷っていた茜音。しかし、最終的には約束の場所へ赴くことを約束したし、現地までの足もちゃんと確保できている。それなのに、なぜ茜音が単独行動を取ったのか、今はその疑問でいっぱいだ。

 大急ぎで支度を済ませ、家の外に飛び出したときには佳織を乗せた車はもう到着していた。

「さすがに車は速いわな。目的地はわかってんの? 茜音最後まで教えてくれなかったじゃん?」

 車は菜都実がドアを閉めるやいなや急発進した。

「場所? とにかく今から新潟に向かうわよ……」

「新潟だぁ?」

 思いもしなかった地名にぽかんとした菜都実、佳織は小さく震えている。

「もっと早く気づいてあげるべきだったのよ……。茜音の部屋にあったこの時刻表に……」

 震える手が菜都実に渡したのは、もう数年も前に発行された大型の時刻表の表紙をコピーした物だった。

「どこよここ? それにそれらしい橋は写ってないじゃん?」

 菜都実の指摘通り、それらのコピーには茜音の目的地とおぼしきシーンは写っていない。

「私もそれで気づくのが遅れたのよね……。慌てて地図を見たらそんな地形がゴロゴロしてるじゃん……。間違いなくこの只見(ただみ)線に向かってるはず……。それに……」

 言葉を濁した佳織の表情はさらに険しくなる。

「それになんさ?」

「茜音、書き置きまで書いて行ったのよ」

「なんで?!」

 見つからなかったらいざ知らず、そもそも場所は見つかっているのだ。それに今の情報では茜音は現地に向かっているはずである。彼女自身が責任を感じてしまうような落ち度はないはずだ。

「もし、帰らなくても探さないで欲しいって……」

「それって遺書じゃないよ!? そんな事言われて黙ってるアホがいる?」

 一昨日、お店の後片付けをしている時の茜音の顔を思い出す。昼間の一件もあったが、あの日は先に進むことを決めたはずだ。しかし、よく考えると、何かを思い詰めたような表情を見せることもあった。

 昨夜は携帯に『今までありがとうねぇ』というメールが入っていた。そのときはいつものセリフだと思って適当に返しておいたのだけど、きっとそれはすでに出発してからのものだ。物語の結末によっては最悪の場合に二人への最後のメッセージになることを、分かっていて書いたのかもしれない。

「あのバカ、ずっとそんなこと考えていたのかな」

「わからないよそんなの。とにかく茜音に追いつかなくちゃならないのよ」

「本当に現地に行ったんだろうね?」

 それ以外に選択肢はないと思いながらも、菜都実は聞かないではいられなかった。

「うん、間違いなく出かけたはず。一昨日の服も部屋にはなかった。それに、茜音が本気で思い詰めたとすれば、他に行く場所なんて無いと思うの」

「そうか……」

 二人とも茜音のこんな行動に戸惑いを隠せないが、やはり他の場所に消えてしまうと言うことは考えにくい。しかし、菜都実には消えない疑問があった。

「でもさ、こんな夜中に動いている乗り物なんてあんの?」

 佳織は悔しそうに頷いた。

「終点じゃないから見逃してたわ……。一つだけ方法があったんだよ。新宿から新潟行きの夜行バスがあって。それに乗ると3時過ぎに小出のバス停に停まる。歩き慣れてる茜音の足よ。そこからなら只見線の8時前の始発に歩いても間に合うのよ」

 二人とも時計を見る。順調ならもうすぐバスが小出に到着する時間だ。横須賀からどんなに急いで国道や高速道路を走り抜けたとしても、列車が発車する前に追いつくことは無理だ。

「何はともあれ、茜音を捜し出すのよ。あんな格好の子なんてそうそういるもんじゃない。手がかりを見つけるのは楽よ」

 佳織は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。