ETERNAL PROMISE  【The Origin】




「千夏、帰ってないんですか?」

 夜、昼間の一件をどう千夏に説明すればいいかと和樹が頭をひねっていると、母親が入ってきた。

 夜になっても千夏が一度も学校から帰ってこないし、連絡もないと。

 それどころか持っているはずのスマートフォンに連絡をしようにもつながらない。何か心当たりがないかと彼女の家から連絡が入ったというのだ。

 学校での一件の後はいつもの待ち合わせ場所を含めて何カ所かを回っても姿を見ていなかったのけれど、こんな暗闇の中に自分の恋人が一人でいるかと思うと、いてもたってもいられない。

「千夏んちに行ってくる!」

 すぐに家を飛び出し、夜の道を急いだ。

 見慣れた家に飛び込むと、すでに心当たりがありそうなメンバーへの連絡は終わっていたようで、和樹の登場は逆に「そこでもなかったか」という落胆の空気が強く感じられた。

 まだ学校への連絡や警察沙汰にはしていないらしく、千夏の家族だけが居間で心配そうに集まっているだけだ。

「今日の午後から見ていないんだね?」

 千夏の兄の雅春に尋ねられて、和樹はうなずく。

「そうか……。それじゃどっかに行ったとしたら、かなり遠くまでいけるのか……」

 雅春はうなった。

「なんか、手がかりはあるんですか?」

「千夏の自転車が江川崎(えかわさき)の駅に置いてあった。となると駅からどこかに行ったと思うほうが自然なんだけど、千夏は家出が出来るような度胸のある子じゃない。しかも一人でなにも持たずにだ。どこかに行くあてがあってそこに行ったとしか考えられない。ただ、何も言わずに突然行くには理由がないんだよな……。昔、二人で足摺(あしずり)まで行ったときみたいに?」

 千夏の無断遠出というのは今回が初めてではない。中学3年生のときに、やはり和樹と二人で早朝から二人だけで足摺岬まで出かけていたという前科がある。しかし今回のように一人きりでどこかに消えてしまうということはなかった。

 だからこそ、今回も和樹と二人で出かけているだけだとの希望があったのに。

「原因はきっと俺のせいです……。俺が千夏のこと放っておいたから……」

 和樹はつぶやく。家族がみな自分のほうを向いたので、仕方なくここ数週間のことを話し始めた。

 今日の午後、行方不明になる直前のことを話し終えたとき、雅春は大きくため息をついた。

「なるほど……。あれもとんだ早とちりだな……。しかし、千夏も年頃だ。それならばどこかに行ってしまいたいと考えるなんてこともあり得るだろう……。まったく、心配させるやつだな……」

 事情が見えてくれば、千夏の失踪にも理由がつく。

「ただ問題は、こんな冬場にどこに行くかだ。千夏の性格からして、野宿をしているとは考えにくい。ただでさえ制服姿だ。あてもなくフラフラしてれば駅員や警察に話を聞かれていてもおかしくないのに、その連絡もないと……」

 この事態を一番冷静に分析しているのは妹の性格を知り尽くした兄のようだ。

「行くとしたら……、東京ですか……?」

 ぼそりと呟いた和樹に再び視線が集まる。

「千夏が地元を離れて、駆け込める場所なんかそうそうあるわけありません。となると、今年の夏に来た茜音ちゃんとこが一番可能性が高いんです。よく連絡を取っている話もしていましたし」

「確か茜音ちゃんは横須賀だったな? この時間なら飛行機はもう終わってる。緊急事態だと思えば、あの茜音ちゃんが何も連絡してこないというのはおかしい。そうなると新幹線か夜行か……」

 時計はすでに夜10時半を回っている。高知から東京への飛行機の最終便は7時前。到着が8時だとすれば、何らかの連絡があってもいい。それがないとすればまだ移動中だと考えるほうが自然だ。

「とりあえず、一番可能性の高い茜音ちゃんに連絡してみましょう。明日から学校はしばらく休みだし」

「そうだな。明日から学校は休みだったよな? 明日いっぱい待ってみて、何も手がかりもなければそこで警察だな……」

 一同はそこで大きくため息をついた。




「はぁ……、これからどうしよかなぁ……」

 自宅が大騒ぎになっているとは知らず、寝台列車の個室から千夏はぼんやりと車窓に流れる夜の瀬戸大橋を眺めていた。

 綺麗にライトアップされている景色を見ていると、ここに一人でいること自体が切なくなってしまう。

 暖かい時期なら、以前に出かけた太平洋側ではなく、この瀬戸内海を見に来てもいいかもしれない。

 ただ、観光地としても名高いこの場所に一人で来るというのも自分の惨めな姿をさらすだけだと思うと、その考えも変わってくる。

 腕時計を見ると、もうすぐ夜の10時。

 和樹に啖呵をきって学校を飛び出したのはいいのだけど、家に帰るのも、それどころかこの町にとどまること自体も今の千夏には嫌に思えた。

 学校を飛び出し、しばらくあてもなく自転車をこぎ、ふと見ると駅前に来ていた。

 そして今に至る。あまり深いことを考えずに列車に乗り、無人駅からの乗車証明を持って、精算するために降りた窪川(くぼかわ)駅の窓口で思わず口にしてしまった……。

「まだ東京に向かう電車はありますか?」

 窓口で切符を買うときに、そこで止められなかったのには、千夏にとって幸い、探す方としては不幸なことに、いくつかの偶然が重なっている。

 まず、2月の金曜日であったことだ。

 金曜日だから、翌日の学校がないこと。また制服であっても、受験シーズン中だから、上京して受験というシチュエーションは普通に考えられること。

 そんな時期に、普段から制服を崩すこともなく整えていて、緊張しつつもはっきりと行き先を告げた千夏をまさか家出人と思う人はいない。

「新幹線だと厳しいけど、夜行寝台なら個室で行くこともできますよ。明日の朝到着になりますが、大丈夫ですか?」

「構いません。それでお願いできますか?」

 これも時間が良かったのか、悪かったのか。高松から1日1本だけ出ている寝台特急に坂出(さかいで)で乗り継ぎに間に合う時間だったので、窓口係員はその経路で切符を作成してくれた。

 料金もそれなりにかかった。偶然にもそれを上回る額を持ち合わせていたので、そのまま家に帰ることもなく出発することに成功していた。

 とにかく、地元から一度離れたいの一心だったから、スマホの電源を最初から切ってしまっていた。これなら位置を見つけだされることもないと……。

 高知駅を通過し、寝台への乗り換え駅である坂出駅に到着したときには、それまでの気持ちも少しは落ち着いてきた。

 東京に行くことはこのまま乗ればいい。

 しかし周りの見立てとは逆で、現地での宿泊などの計画も持ち合わせていない。

 それに、今の自分の服装は制服だ。どんな事をするにも目立ちすぎる。

 列車に乗ってすぐに車掌が来て検札があったけれど、まだ荷物を片付けている途中だったし、これまでと同じように受験生と見られたのか、服装を疑問視されることもなく扉は閉まった。

「仕方ないか……。すぐに帰ることもできるよ……」

 ここまま帰っても何も状況は変わらないし、かえって情けなく見えてしまう気がする。

 慎重な千夏にしては珍しく成り行き任せの選択をすると、乗り換えの時間を利用して購入した夕食代わりの駅弁をお腹に入れ、読みかけの雑誌を読んだりしている内に、時間は過ぎていった。




『はい、片岡です』

「茜音ちゃん?」

『うん、千夏ちゃんだよね。元気だった? どうしたの?』

 耳に当てているスピーカーからいつもの聞き慣れた声が聞こえてきたので、千夏はほっとした。

「ごめんね、こんな遅くに……。あの……、茜音ちゃん、明日の土曜日ってお休み……?」

 車内の放送も終わり、廊下の照明も落とされ、千夏も個室の照明ではなく枕元の明かりだけにしたところで、彼女は東京に近い唯一の友人でもある片岡茜音に携帯から電話を掛けた。

『ほえぇ? うーん、学校は午前中で終わるけど……。どうしたの……』

「そっかぁ……。それじゃ無理だねぇ……」

『ちょっと待って、千夏ちゃん今どこにいるの? なんでこんな時間に列車に乗っている音がするわけ?』

 千夏は思わず苦笑した。さすが全国を駆け回って旅をしている茜音だ。電話越しに聞こえるかすかな線路のつなぎ目の音に気づかれてしまったのだろう。

『千夏ちゃん、ちゃんと教えて? こんな時間だし、今は寝台の中でしょ? たぶんサンライズ瀬戸だよね?』

 とっさに答えられなかったのを茜音は無言の返事ととったらしく、瞬時に千夏が乗りうる列車まで言い当ててしまった。

「うん、茜音ちゃんの言うとおりだよ……」

 茜音に嘘を付いていても仕方がない。千夏は窓から見えた通過駅の名前を言った。

『なるほどぉ。明日からテスト休みなんだぁ、いいなぁ……。こっちでどこに泊まるの?』

 とにかく東京に向かっていることを理解した茜音が尋ねる。

「ん……と、それが……」

『まさか、決めずに出て来ちゃったってわけ?』

 最初、あきらかに呆れかえったような声を出した茜音だが、すぐにくすっと笑うと、

『あはは、仕方ないねぇ……。分かったよ。うちに泊まれるようにしておくね』

 茜音はそれ以上詮索することなく、東京駅から地元への乗り継ぎを教え、連絡する事もあるからスマートフォンの電源を切らないように頼んできた後は「おやすみぃ」と以前と変わらない声で電話を切ってくれた。

「ありがとう茜音ちゃん……」

 千夏は昼間の興奮から来た疲れで、個室のベッドに横になって目を閉じようとした。



 翌朝、熟睡とはほど遠い千夏が目を覚ますと、列車は終点まで1時間を切るところまで来ていた。

 旅行の用意などしてきていない千夏はトイレ以外に部屋の外に出ることなく、備え付けの浴衣からハンガーにかけてあった制服をもう一度着込む。

 昨夜の電話で東京駅からの行き方を教わったメモをもう一度確認した。

 スマートフォンの画面を見ても、大量に来ていてもよさそうな自宅などからの着信表示もない。もし、着信があっても無視すればいいと決めていた。

 茜音の家に厄介になるのであれば、二つ手前の横浜駅で下車した方が早いのだけど、東京駅までの切符を持っていると言うことと、到着する時間が早いので、茜音と合流するまでの時間を地元で潰すのは何かと不便かもしれないと教えてもらい、東京駅まで乗り通すことになった。

 朝の7時過ぎ、定刻で列車が駅に滑り込み、メモを見ながら乗り換えの表示板を確認していると、千夏は後ろから肩を叩かれた。

「千夏ちゃん、おはよぉ。お疲れさまぁ」

「へ? 茜音ちゃん、なんで?」

 昨日の電話では彼女は学校のはずで、午前中の学校が終わり次第合流すると言う打ち合わせだったから、こんな時間に東京駅にいるわけがない。

「やっぱりぃ……。旅行の用意もしてないって言ってたから、ひょっとしてって思ったんだ。制服で一人ウロウロしてるとあとで厄介なことになるかもだし」

「学校休んでくれちゃったの……?」

 この時間に茜音がここにいると言うことは、間違いなく学校には間に合わない。それに制服だけでなく学校用の荷物を持っていないということは、このあと登校する予定もない……、いや、自宅を出るときから自分を出迎える意思表示をしていたことになる。

「1日ぐらいいいよぉ。ちゃんと両親にも話してあるからぁ」

「ごめんね……」

 これで午前中の時間を潰す必要がなくなったし、茜音が一緒ならば方向音痴の自分が迷う心配もない。

 横須賀線で座ることが出来ると、千夏は張りつめていた糸が切れたように茜音に寄りかかって寝てしまった。

「大変だったねぇ……」

 そんな千夏を茜音は微笑ましい気持ちで見ていた。




「千夏ちゃん、もうすぐ降りるよぉ」

 隣に座っている茜音の声でハッと目が覚める。

 電車の中は混雑する区間を過ぎたようで、空席も目立つほどになっていた。

「へ? いつから寝ちゃってた?」

「乗ってすぐに……」

「ごめん!」

 まさかの久しぶりの再会で、電車に乗ったとたんに寝てしまったとは、せっかくせっかく迎えに来てくれた茜音に申し訳ない。

「いいよぉ。疲れたでしょぉ。夜行って緊張してたりすると、かえって眠れないもんなんだよねぇ。それと朝ごはんまだでしょ? うちで用意してもらってるから、一緒に食べよ」

 電車を降り茜音の家への道を歩く。千夏は改めて親友が迎えに来てくれたことを感謝していた。通勤・通学時間を過ぎてしまえば、この辺の学校のものではないにせよ、自分の制服姿は目立ちすぎてしまう。

 茜音が朝食を自宅に設定したのも、それを考えてのことだと気が付いた。それに、茜音自身もこんな時間に学校に行かないこともあるのか、目立つ大通りを避けているのが分かる。

 駅から歩くこと15分ほどで、二人はマンションの前に到着した。

「ただいまぁ」

 玄関を茜音が開けた瞬間、千夏は一瞬緊張した。もしかしたら、自分を連れ戻しに誰かが来ている可能性があったのをようやく気づいたからだ。

「おかえり茜音。お友達は一緒?」

 しかし千夏の心配は不要で、返ってきたのは親しげな女性の声だけだった。

「いるよぉ。千夏ちゃん、早く上がって」

「お、お邪魔します……」

 茜音に腕を引っ張られて、玄関から部屋に上がった。

「まぁまぁ……、遠いところお疲れさま。すぐに朝ごはんにするわね。茜音、千夏さんの着替えを用意してあげなさい」

「はぁい」

 あまりにも緊張感がなく普通に友達が来客で来たときのような違和感のない会話に、逆に千夏の方が拍子抜けしてしまう。茜音の母親への挨拶もそこそこに、彼女の部屋に通された。

「狭くてごめんねぇ……。千夏ちゃんとこみたいに一軒家じゃないから……」

 茜音はタンスやクローゼットの中からいくつか服を取り出している。

「茜音ちゃん、ずいぶんあちこちに行ったんだね……」

 千夏は部屋を見回して言った。

 机の上や棚、壁にもいくつかフレームが置かれ、その中に各地で撮ってきた写真が収まっている。

 そこに一緒に写っている人物がそれぞれ違うことも、茜音が自分たちの場所に来た後にも各地を駆け回っていることが十分に分かるものだ。

「うん。でもまだ見つかってないんだぁ……。あ、とりあえず服ね。たぶんサイズ合うと思うけど……。下着は新品だから、机の上にハサミ置いておくね。合わなかったらあとで買いに行くからちょっと我慢してねぇ 。着替え終わったら朝ごはんにするよぉ」

 そこまで一気に話し終えて、腕に抱えている一式をベッドの上に置くと、茜音は部屋を出て行った。




 部屋に一人残された千夏が、茜音の選んでくれた服を手に取ってみると、千夏の趣味に合わせた物を選んでくれたようだ。下着も確かにタグが付いたままの新品で、ハサミを用意してくれたのも嘘じゃない。

 サイズ的にもほぼ問題はないとわかり、ようやく制服を脱いで着替えることにした。

「お待たせしました……」

 茜音の服に着替えた千夏が部屋を出ると、家の中にいい匂いが漂っていた。

「わたしもお腹すいたぁ。食べよぉ」

 テーブルには焼き魚や卵焼きなどのの和食が並んでいる。

「ごめんねぇ。急だったから洋食に出来なくて」

「どっちでも大丈夫。突然なのに気を使わないでください」

 昨日の夜は一応食べたとはいえ、緊張の中では空腹をごまかした程度に過ぎなかったから。

 地元を飛び出してから、暖かい食事が出来るとは当初思ってもいなかったことだ。

「あの……」

 一通り皿を空けて一息ついたところで、千夏は二人へと視線を投げかけた。

「大変だったわねぇ。もう落ち着いたかしら?」

 茜音の母親がお皿を片付けながらサラっと聞いてくる。

「はい……」

「大丈夫。実はね……、ちゃんとご両親には連絡が付いてるんだよ……」

「え?」

 千夏は呆気にとられて茜音を見た。

「昨日の夜にね、お兄さんから電話がかかってきてね。千夏ちゃんが向かっているかも知れないって」

「そうなんだ……。なんか言ってた?」

「ううん、とにかく連絡があったら教えて欲しいって」

「それであんな遅い時間だったのにすぐに出てくれたの……」

 千夏は昨晩かけた茜音への電話を思い出す。

 通話履歴から見ても、あの電話をかけたのは日が変わる頃だった。それなのに、茜音はすぐに電話に出てくれた。

「それであの後ね、お母さんたちも起きていたんで、事情を話したらお父さんが千夏ちゃんのお家にかけてくれて、千夏ちゃんのことを預かりますって話してくれたんだよ……」

「そんな……。私、迷惑かけてばっかり……」

 千夏は下を向いた。

「大丈夫。うちは、わたしがいるからねぇ、そのくらいじゃ驚かないよぉ。それで、ちゃんとわたしからも伝えたの。千夏ちゃんが帰るまで一緒にいるって。だからもう千夏ちゃんは旅行中ってみんな安心してるよ。それで今日の学校さぼりも公認だし」

 茜音は笑った。

 夜中につながるようになったスマホに着信履歴がなかった謎もこれで解ける。

 結局、今回の騒ぎは茜音の家族が全面的なバックアップをすると約束したことで千夏本人の知らぬ間に収まっていたのだと。

 千夏には茜音が全国を飛び回ることにどうしてこれだけ理解が得られているのかが分かった気がした。

 『無茶』をしているようで、決して『無謀』なことはしていない。行動などもきちんとオープンにしているので、大人を心配させていない。

 それに比べれば自分の行動は軽はずみだった。茜音の協力がなければ、きっと警察沙汰になって、周りに迷惑をかけることになったはずだ。

「ありがとう……」

「午後は菜都実と佳織に会うから一緒に来てね。あと、明日は予定空いてる?」

「う、うん……」

 深いことを考えずに飛び出してきてしまった千夏に予定などあるわけがない。

 やはりなかなか熟睡が出来なかった長旅のせいで、疲れが出てきた千夏はその日の午前中、茜音のベッドでようやくゆっくりと休むことができた。




 翌日、千夏と茜音は小さな荷物を持って駅に向かった。

「茜音、遅い!」

 駅には先に到着していた菜都実と佳織が待っていた。

「ごめんごめん。でも遅刻してないじゃんよぉ?」

「ごめんなさい。私の準備が遅かったから」



 前日の放課後、バイト先のウィンディに茜音は千夏を連れて行き、遅ればせながら初顔合わせとなる菜都実と佳織の二人を紹介した。

 昨年夏から始まった茜音の場所探しの最初の旅で出会ってからの交友が始まったことを、当時は居残り組だった二人とも千夏のことは話には聞いていた。

 そんな千夏が突然のこととはいえ茜音の家に来ているというのであれば、実際に会ってみたいというのが当然の反応ではある。

 一方、千夏には幼い頃から人見知りが激しいことを覚えていた茜音は、二人に会う前に大丈夫かを聞いていた。

「大丈夫です。私もいつもお話に出てくるお二人に会ってみたいです」

 快諾した千夏をみて、茜音も千夏がこの半年での成長を感じ取っていた。

 茜音が学校を突然休んだ原因の事を聞いて興奮している二人にも臆することなく接することが出来ていた。

 もっとも、茜音が休んだ表向きの理由が体調不良というものだったけれど、佳織も菜都実もまともに信じていなかったのは、放課後のウィンディに呼び出したということでも分かる。

「ひどいよねぇ。体調不良って言ったってわたしだって女の子の日にお腹が痛くて動けないときもあるよぉ」

「うんにゃ。そういうときは茜音はとりあえず出てきて保健室ってのがお約束だし、明日の予定がキャンセルにはなってなかったでしょ。朝から突然ってのは佳織とも『絶対病気じゃない』って話してたんよ」

「千夏ちゃん、こんな二人だから、本当に遠慮しなくていいからねぇ?」

 こんな三人のやりとりを聞いて吹き出してしまう千夏。

「こんなお二人がついていたんですね。茜音ちゃんのページの更新のスピードとか、内容にも納得です」

 そう、茜音のSNSは記事こそ本人が書いているけれど、写真の加工やアップロードの処理、茜音に来てほしいというようなリクエストに対しての対応などはこの二人も交えて回答を返している。

 結局そのまま夕食までをウィンディで大騒ぎのうちに済ませるころには、茜音の最初の心配もすっかりなくなり、千夏も古くからいるメンバーのようにすっかり打ち解けてしまった。



 佳織から告げられたコースとスケジュールは大船駅から東海道線で西に向かう。

「それにしても、よく飛び出してきたねぇ」

 すっかり旧知のように溶け込んで、今回の事情を知った二人が感心したように千夏を見る。

「そんな……。本当に感情だけで飛び出しちゃって……」

「いや、あたしだってそんなことになったら冷静じゃいらんないって。同じように飛び出してくるかなぁ。しかも、相手ボコボコにしてやってからだけど」

「菜都実じゃないんだから……。でも、気持ちわかるなぁ……」

 菜都実に続き、佳織も千夏に対しては同情的だ。茜音を入れた三人とも、やはり何も言わずに他の子と付き合いだしてしまうという状況には素直に受け入れることは出来なさそうである。

 そもそも、翌日の話は家族で出かけた温泉巡りがすっかり気に入ってしまった佳織の提案で、もともと熱海あたりで息抜きをしようと言うのが予定で組まれていた。

 そこに偶然にも千夏がやってきたのだが、一緒に行かないという選択肢は最初から頭にない。当然のように四人での出発と変更になる。

「伊豆半島じゃ大したことないからなぁ……」

 特に目的がないようなこんな休日であっても、茜音が幼なじみと約束をした再会の場所を探しているということは忘れていないし、菜都実や佳織も外出先の情報は調べてくれている。少しでも可能性のありそうなところは現地を回っておきたいと考えている。

「また明日ね!」

 偶然にも半年ぶりに千夏とコンビで出発できることが楽しみになっていた茜音だった。




 熱海に到着すると、熱海の観光をするという二人と別れて、そこから先のJR伊東線と伊豆急下田までの区間を見てくるという二手に分かれることになっている。

「千夏ちゃんはどっちでもいいよぉ。こっちに行っても遊びに行くわけじゃないから、面白くないかもしれないし……」

 隣のホームにいる下田への直通列車へ乗り換えるとき、茜音は尋ねる。

「ううん、茜音ちゃんと一緒に行く」

 悩む様子もなく、千夏は即答した。

「そんじゃ、あとで温泉で合流ね」

「ほ~い。出発するときにでもメールするねぇ」

 熱海下車組を見送り、列車を乗り換えて窓際の席に陣取る。

「いいの? こっちに来ちゃって……?」

 勝手に一緒に来ることを決めてしまったとは言え、茜音の地味な作業は同行してくれても期待するほど楽しいものではない。千夏もそれは知っているはずなのに……。

「うん。茜音ちゃん大変なの分かってるし……。一人じゃ寂しいでしょ」

「まぁ……、もう……、慣れたけどねぇ……」

 千夏に言われた一言が、茜音に突き刺さった。

 これまでもあちこちに出かけ、菜都実たちとの三人で出かけることも多いのだが、土日などの短時間の調査は茜音が一人で出かけている。

 本来、二人と同年代の女の子であれば、休日は1週間の疲れを取る時間であり、友達と遊んだり買い物に出かけたりできる楽しい時間であるはずだ。

 各地での出会いもあり、景色を楽しんだりと収穫もたくさんあるけれど、肝心の情報を得ることは出来ず、ハードなスケジュールの連続は、さすがの茜音にも疲れが溜まってきていた。

 同時に、この旅を続けていて、本当に目的の場所を見つけ出すことが出来るのか。ターゲットを消化していくうちに、茜音の中に少しずつ自信を持てなくなりつつあった。

「茜音ちゃん、夏に会ったときより疲れた顔してる……。気持ちは分かるけど……」

 向かい正面に座った千夏は、まっすぐに茜音を見ている。

「千夏ちゃんの言うとおりだよ……。なんか肩の荷がどんどん重くなっていくようで……」

 そこまで言ったとき、茜音は突然席を立ち上がった。

「次の駅で降りるね。本当は下田まで行く必要は無かったんだけど……」

 二人が話しこんでいる間に列車はいつの間にか伊東を過ぎ、伊豆急行に入っている。二人は山間の小さな駅に降り立った。海岸までは少し距離があり、駅の周囲は森が取り囲み、近くには小さな集落が見えている。

 駅からの階段を降り、来た方向に戻り始めたところで、また茜音は話し始めた。

「千夏ちゃんが来てくれて、嬉しかったよ……。寂しくないって言えば嘘になるし、でも、誰にもそんなこと言えないしね……」

 茜音はまっすぐ前を向いて歩を進めている。

 SNSをはじめとして、表面上のそんな姿を見ただけでは、今のような弱音を吐くようにはとてもみえない。

 しかし、千夏は違う。偶然だったとはいえ、茜音が年に一度だけ、1年分の寂しさや悲しさを集めて泣く日を知っているし、茜音も彼女にそれを伝えた特別な存在だ。

 そうでなくても茜音の本来の姿を知る者であれば、こんな長期間寂しい思いを抱きながら一人旅を続けること自体がだんだん心を蝕んでいくのは無理もないことなのだから……。



 駅から線路沿いをしばらく引き返しながら、線路は山の中に消えていく。しかし茜音はその山に入る口を見つけると、ずんずんと進んでいく。

「足下気を付けてね」

「うん」

 幼い頃から周囲の自然が遊び場所で、このくらいの山を歩き回ったとしても体力に不安はあまりない千夏でも、多少道が悪い場所もすいすい進んでいく茜音には感心するしかなかった。

 突然、前方の木々が無くなり、小さな川が流れる沢になっている。

 こんなところに出てしまって、どうするのかと思った千夏の目の前で、茜音はその沢へ降りる急斜面を下り始めた。

「すごいなぁ……」

 思わず口に出てしまう。そもそも今日の茜音の恰好はと言えば、茶色い地にタータンチェックが入ったワンピースと布製のカジュアルスニーカーで、とても山歩きをするような装いではない。

 そんな茜音は千夏が下りてこられないことに気付くと、そこで待っているようにとゼスチャーで知らせてきた。

 周囲を見回すと、近くに人家らしき存在はほとんど見られない。もしこんなところで怪我でもしたら大変だ。

 しかし、そんな心配をよそに、茜音はあっさりとまた急斜面を戻ってきた。

「大丈夫だった……?」

「うん、このくらい平気。さて、みんなの所に戻りますかぁ?」

 特に興奮した様子もなく、元来た道を歩きだした二人。

 しかし、行きに比べると足取りが重い茜音に気づいた千夏。

「違った……?」

「ほえ? うん……、まぁね……。あんまり期待はしてなかったしね……。こんな潮の香りはしていなかったからなぁ。これで海沿いじゃないってことは分かったかな」

 期待はしていなかったと言っているけれど、自分で現地に乗り込むというのは、茜音が多少なりとも可能性を見いだしたという証拠でもある。全く落胆しないということではないはず。

 帰りの熱海への列車の中でも、口数は少なかった。半年前の夏に会ったときには候補が外れた時でももう少し明るく振る舞っていたことを思い出すと、千夏の方が心配になってしまう。

 約1時間後、熱海駅に降り立った二人は、先に菜都実と佳織が向かった温泉を目指すことにした。

「佳織がさぁ……、温泉巡りにはまったらしくてねぇ……。しかも隠れたところを探し出してくるもんだから……」

 幸い、日はまだ高く乾燥した秋晴れ。散歩がてらに歩くにはちょうどいい季候で、二人は途中の土産屋などを覗きながら歩いていった。

 その場所は表通りから少し離れた坂の上にある。昔からの由緒ある熱海の温泉浴場で、佳織が以前一人で温泉地巡りをしたときに見付けておいたイチおしだという。

 受付で料金を払い、畳が敷いてある休憩室を横目で見たとき、見覚えのある顔が横になっているのが見えた。

「ほえぇ~、なに寝そべってんのぉ……」

「あ、お帰り茜音……。このおばかさんのぼせちゃってさぁ……。また後で入りに行くから先行ってて」

 菜都実の顔をうちわであおいでいる佳織。

「すまんっちゃぁ……。目が回ってよぉ……。また後で行くっすー」

 確か、何度か温泉施設には一緒に行っているけれど、菜都実はそれほど長風呂ではなかったはずだと思い出す。

「はぁ……。まぁいいや、千夏ちゃん行こ」

 休憩室の二人を置いて脱衣所へと進んだ。

「あれ……、今日は露天のお風呂は使えないのかぁ……」

 事前に佳織に教わっていた情報ならば、日替わりで男女が入れ替わるので、運が良ければ露天風呂になるとのことだったけれど、残念ながら今日は男性側に設定されているようだ。

 他のリゾート温泉などとは違い、これと言って楽しむアトラクションなどは設置されていない。その分静かな雰囲気が良かった。




「あ~~~、あったかぁい……」

 先に浴槽に入っていると、後から千夏が隣に並んで座る。

「お疲れさま。久しぶりのオフロードはきつかった?」

「千夏ちゃんの地元ではあのくらい普通だもんね。今日くらいならまだまだかなぁ……。疲れてるときは、足がガチガチになっちゃうよ」

 お湯の中で伸ばした足をさすってみせる茜音。病気ではないけれど、昔から疲れが溜まった時には、筋肉が硬直し痛くて動けなくなるといった癖がある。

「そうかぁ……。でも、凄いよねぇ……」

 仮にそんなものを抱えていることを知らなくても、初めて会ったときから茜音の細い足を見れば、山奥の悪路を長期間歩き回るには向いていないことぐらい容易に予想はつく。

「この夏まで動けばいいかなぁなんてね……。その後は車椅子になるかもしれないけどぉ」

「まさか?」

「冗談だって。調べてもらったけど、特に骨が折れやすいとか、壊れやすいとかいうのは聞いていないから」

「ならいいけど。茜音ちゃん……、ごめんね……」

「ほぇ?」

 千夏は申し訳なく思っていた。自分は茜音の尽力もあって和樹と進むことが出来ている。一方の親友はまだ一人でゴールに辿り着くことが出来ずにいるのだから……。

「そんなこと気にしないのぉ。そうかぁ……、千夏ちゃんうまく行ってたんだもんねぇ。なんか夏に会ったときより大人っぽくなったみたいね……」

「そかな?」

 隣に座る千夏は半年前に見た時よりも、数段大人びたように見える。

「ごまかされないぞぉ~。プロポーションよくなってるでしょぉ? やっぱ彼が出来ると幼児体型って訳にはいかないかなぁ……」

 水面の下に隠れているとは言え、滞在していた数日間は一緒のベッドで寝ていたこともある。数ヶ月前に比べ、明らかに出るべき所は成長しているのは脱衣所で服を脱いだときから一目見れば分かる。

「でもねぇ……。いくら頑張っても香澄には勝てないよ……。もともとが違うから……」

 千夏は視線を下ろして胸元に手を当てる。

「和樹君はなんて言ってくれてるの?」

「うん……、別に張り合う必要はないって言ってくれてるけど……。香澄なんか『小さいのは小さいなりに需要がある』って……」

「ははは、それわたしも菜都実に言われたことあるよ。それって慰めてないよねぇ」

「ほんとにねぇ……」

 思わず笑顔になったが、すぐに思い出したようにまたうつむいてしまった千夏。

「ご、ごめん……。嫌なこと思い出させちゃった……」

「いいよ……。私に魅力がないなら仕方ない……」

 言葉少なくなってしまった千夏から視線を外し、膝を抱えて茜音は考え込んだ。

 成り行きが分かり、きちんと彼女の自宅に連絡は付けてあるとはいえ、自分に救いを求めてきた千夏に大したフォローもせず連れ回してしまった。

 本当なら千夏はもっと自分とじっくり話したかったのではないだろうか……。

 彼女をいつどうやって高知に帰すかはまだ決めていない。

 帰りたいと言えばいつでも手配できる準備にはしてあるが、その前に千夏の気持ちをきちんと聞いておく必要は絶対にある。

 自分がなにも分からない土地にいきなり飛び込んだときに、人見知りという恐怖感がありながらも精一杯もてなしてくれた千夏には何かの形で恩返しが必要だと考えていたからだ。


 どれくらいの時間が過ぎたのか、いつの間にか、横にいたはずの千夏の姿が見えないことに気づく。

「あれ……?」

 脱衣所に戻ったのかと思って見てみても、千夏が脱衣かごを置いたところには中身が入ってるのが見える。

「外が見えるほうに行っちゃったのかなぁ……」

 露天風呂になっていない方でも、隅の一角に天井が開放されている区画があり、そこなら露天気分は味わうことが出来る。茜音がのぞいて見ても千夏の姿は見えない。仕方なく戻るとすぐ隣がサウナだ。

「千夏ちゃん……?」

 ドアを開けてみると、室温よりも湿度重視のタイプだ。表からはすぐに見えない端のほうに千夏が座っているのが見えた。

「ずいぶん長く入ってるよぉ?」

 手をかけると、千夏はそのまま自分の方に倒れこんでくる。

「ちょ、ちょっと、大丈夫? しっかりしてぇ!!」

 サウナから千夏を抱え出し、とりあえず浴室角の安定したところに座らせる。

「菜都実、佳織! 力貸してぇ!」

 茜音はバスタオルを巻き付けたままの姿で休憩室の二人の元に走った。