ETERNAL PROMISE  【The Origin】




「失礼します……」

 先にテーブルに着いていた三人にも相席の了承は取っていたのだろうが、そこに案内されてきたのが、茜音と菜都実ということにも驚いてる様子だ。

 すぐに確かめるように、

「おはようございます。昨日も所々でお見かけしましたね」

 と声をかけてきたことからも、お互いに存在が気になっていたことが分かる。


 遠目ではよく分からなかったが、近くで見ると、やはり年齢差がある組み合わせだと分かった。声をかけてきた彼女の方が年上らしい。

「やっぱりそうだったねぇ」

「茜音も目立つからねぇ……。お互いチェックしてたってことか……」

 そのやりとりを聞いていた三人が目を丸くした。

「あ、あのぉ……」

 それまで黙っていたもう一人がおずおずと口を開いた。

「なにぃ?」

「い、今、『あかねさん』て言いましたか……」

「うん。あ、自己紹介してなかったね。わたし、片岡茜音。こっちは友達の上村菜都実だよぉ」

 その名前を聞いて、三人とも顔を見合わせる。

「ひょっとして……、10年ぶりの再会のためにその場所を探してるって……」

「ほえぇ? なんで知ってるのぉ?」

 思いがけず、初めての相手から自分の情報がでてきたことに、茜音の方が驚いた。

「うちの学校では結構有名ですよ。あ、申し遅れました。私、葉月(はづき)美弥(みや)と言います。お二人よりひとつ上の高3です。こっちは妹の真弥(まや)で中3です。その友達で同い年の坂本(さかもと)伸吾(しんご)くん」

 姉の美弥が答える。続けて彼女たちもこの連休と試験休みをつなげてやってきたことを教えてくれた。

「そうなんだぁ。ちょっと恥ずかしいなぁ」

「去年の夏休みにSNSにも登録して、写真を見たりしながら凄いなぁってずっと思ってたんですよ。本当に会えるなんて感激です」

 自分のことをネット上で知ってくれたという人物に会い、茜音は少し恥ずかしい気がしたが、真弥は茜音に会えたことが本当に嬉しいようだ。

「今日は、どんなルートで回られるんですか?」

「そうだねぇ、今日は金閣寺の周りとぉ、後半は茜音の調査が中心になるのかな?」

 明日には横須賀に戻ることにしているので、観光はなるべく早く終わらせ、茜音の時間を多くとれるようにするつもりだった。

「もし……、お邪魔じゃなかったら、一緒に行ってもいいですか……?」

「真弥、迷惑になっちゃうわよ それに伸吾くんはどうするの?」

 美弥が指さしたのを見て、茜音と菜都実は、伸吾が歩行に杖の補助が必要なのだと瞬時に理解した。

「どうする茜音?」

 突然の真弥の申し出に、少し考えていた茜音だが、

「いいよ。でも、他に見たいところがあるなら、そっちを優先してね。面白いものじゃないし、それに道の悪いところも行くから、絶対に無理しないでね。伸吾くんはどうしたい?」

「俺は……、もし邪魔でなければ一緒に行ってもいいですか? 葉月がずっとこのことをいつも話してくれていたんで……」

「茜音、大丈夫? あたしもついていこうか?」

 菜都実が心配そうに聞きてくる。茜音の現地調査は興味本位で行けるものではないことを知ってのことだから。

「ううん大丈夫。そういう場所に行くときは、きっと真弥ちゃんも安全なところにいてもらおうと思うから」

「そっか……」


 もともと茜音は菜都実とは別行動にすることを考えていた。一人で行くことを考えれば、一緒に来てくれる人がいるのは心強いが、場所や状況が通常の観光とは全く違うだけに、せっかくの機会を自分のためだけの時間にしては申し訳ない。


「大丈夫です。もしそれまでに少しでも体調がおかしくなったりしたら行きません」

「分かった。じゃぁ一緒に行こう」

「はい!」

 五人は朝食をそこで切り上げ、1時間後にホテルのロビーに集合することにして分かれた。

「まさかなぁ、こういう展開になるとは思ってなかったわ」

「そうだねぇ。でもいいんじゃないかなぁ。菜都実はその時間ゆっくり観光しておいでよ。昨日の修学旅行の続きだから」

 茜音はそう告げながら、親友の肩を優しくたたいた。




「へぇ、さすが金閣寺は教科書通りだねぇ」

 金閣寺というのは正式には北山鹿苑寺というが、前日回った銀閣のある東山慈照寺とは対照的に、文字通りの堂々たる風格を見せている。オフシーズンに関係ない観光客の多さはさすがの知名度と言うところか。

「さっきのおみくじはどうだったのよ?」

「うぅ、小吉ぃ。凶よりはよかったけどぉ」

「なるほどね。さっさと結んじゃったわけだ」

「いいじゃん~。菜都実は大吉だったんだからぁ」

 伸吾のことも考え、1台のタクシーに乗り合わせ、予定通りの観光ルートを回っている一行だった。

 その間にも、特に茜音に憧れを抱いていたという真弥は折を見てこれまでの話を聞こうと質問を浴びせていた。

「そんなに焦らなくてもあとでゆっくり時間あるでしょ?」

「だってぇ」

「いいんだよぉ。なんか恥ずかしくなっちゃうけどねぇ」

 一通りの拝観を終え、和菓子と抹茶をいただいて一息をついていた。この後は嵐山に向かい、真弥と伸吾は茜音に同行して調査に向かう。菜都実と美弥は引き続き市内の散策となっていた。

「しっかし、今日は雨降らなくてよかったねぇ」

「ホントだね。あんまり予報よくなかったんだよね」

 朝の天気予報が話題に上がったけれど、今の時間は冬の青空がすっきりと広がっている。

「おし、そんじゃ出かけますか」

 菜都実が立ち上がったのをきっかけに、残りの面々も店を後にする。


 タクシーで渡月橋の近くまで乗せてもらい、そこで分かれることになった。

「それじゃ、夕方にみんなでご飯食べよぉ」

「茜音、あんた一人じゃないんだから無理させないのよ?」

「ほぉい。ゆっくりで大丈夫だからねぇ」

 三人が駅の方に歩いて行くのを、菜都実と美弥は見送っていた。

「真弥、本当に嬉しかったのね」

「そうなんですか?」

「あの子、ずっと茜音さんに憧れていたの。その人と一緒にいられるんだから。伸吾君も気の毒に……」

 美弥は苦笑している。

「茜音って、そんなに有名ですか?」

 保津川にかかる渡月橋を渡りながら、並んで歩く美弥に菜都実はたずねる。

「そうですねぇ。結構知っている人は知っているみたいですよ。勝手ファンサイトもできているみたいだし」

「ファンサイトだぁ?」

 目を丸くした菜都実。基本的にはSNSからスタートした茜音の情報収集は、本人の報告はもちろん、その後行った場所を紹介するために佳織の手によってメンテナンスがされている。

 それだけならまだしも、美弥の話ではそんな茜音を応援するためのアカウントがあちこちにできているというのだ。

「あんな茜音でも、やっぱ影響力は凄いんだなぁ」

「私もこういうことは初めてですけど、実際にお会いしてみると真弥が茜音さんを追いかけていたのが分かる気がします。私も見習わないといけないところはたくさんあると思うんですよ」

「あんなのが何人もいたら、周りがたまんないです!」

 普段、茜音のお守り役を自負する菜都実が思わずため息混じりに言うと、二人は顔を見合わせて吹き出した。

「真弥は人見知りが激しいから、ああやって初めての人とすぐに話せるなんて信じられないんですよ」

 三人が行ったほうを振り返る美弥を菜都実はじっと見ていた。

「なんか付いてますか?」

「あ、ううん。真弥ちゃんいいなぁって。ちゃんと見ていてくれる人がいるから……」

 最後の方は顔をうつむけて、小声になった菜都実。

「真弥はこれまで本当に苦労してきたから……。それでも今はよくなってきたけど、まだまだだですし……」

「真弥ちゃん、可愛いですか?」

「もちろん。真弥がいないなんて私には想像できない。体は弱かったからハンデもたくさんあったけど、本当に優しくていい子だから……」

 美弥の言葉には実感がこもっているように菜都実には感じられた。

「そうなんだ……。あたしなんか……、同じ姉として失格です……」

「菜都実さん?」

 立ち止まって橋の欄干にもたれかかった菜都実を美弥は支える。

「あたしは……、妹を助けられなかった……。姉として失格です……。この旅行は、あたしのために茜音が計画してくれて……」

「そうだったんですね……」

 さっきまでとは違い、打ちひしがれたようにおとなしくなってしまった菜都実に美弥は少し時間を置くことにした。




「さぁて、ここから一駅だよ」

 嵯峨嵐山の駅前に着いた茜音と真弥・伸吾の変則チームは山陰本線の普通列車を待っていた。

「3月になるとトロッコ列車が走ってくれるからもうちょっと楽だったんだけどね」

 少し残念そうに言う茜音。その分人が少なくていいかなぁと笑っている。

「トロッコ列車の方がいいんですか?」

「うん、まぁねぇ、その方が橋の上から見ることもできたんだけどぉ。でも大丈夫だよ。歩いていけるはずだから。それよりも二人とも、転んで怪我したりお洋服とか汚さないように気をつけてね。わたしは覚悟してるけど……」

 基本的にはブラウスを替えただけで、茜音の服装は変わっていない。同行してくれた二人に注意したように、自分はどんな服装をしていたとしても、それは覚悟と目的を持っていてのこと。

 チャコールグレーのダッフルコート、紺のチェックのスカート、紺のハイソックスという出で立ちの真弥は、やはり余所行きの格好であることには違いないし、伸吾もこの展開は旅行前は想定していなかったはずだ。

 真弥はそんな茜音の心配を読みとったのか、首を振って答えた。

「大丈夫です。お姉ちゃんが私を初めて会った茜音さんと一緒に行かせてくれたのは、きっとそういうことになることも考えた上だと思います。私は……、最初からダメな子ですから……」

「真弥ちゃん……」「葉月……」

 ふたりが口を開きかけたところに列車がやってきた。

 隣の保津峡の駅まではほんの数分、その間の景色を楽しむ余裕はない。

 もともと、山陰本線は保津川の縁をへばりつくような路線を走っていた。後に山を掘り抜いた複線のトンネルができあがったため、保津峡の駅は川の上にかけられた橋に作られている。

 その間はトンネルを抜けるために、嵯峨嵐山からトロッコ嵐山の駅までと一瞬トンネルを抜けて川を渡るとき以外景色はない。

 列車を降り立ち、ホームから外を見下ろす。眼下には川が流れ、その川岸を1本の線路が通っている。また直線で数百メートルのところには小さな駅が見える。

「あそこがトロッコ保津峡なんだよ。冬は運行がお休みなんだぁ。あそこの駅から川沿いを歩いていけるはずなんだけど、大丈夫かなぁ……」

 無人の駅舎を抜け、細い道を歩いて約10分。川の反対側にトロッコ保津峡の駅を望む吊り橋の前に着く。幸いにして丈夫な吊り橋には立入禁止の柵もなく、橋は十分に渡れるようだ。

「ここからは危ないところもあるから、絶対に無理しないで?」

「分かりました」

 運行していないトロッコの駅は当然のことながら誰もいない。そんな駅のホームに立って左右を見る。売店の横の細い階段を降り、川沿いの道に当たる。

「ここしか行く道がないんだよねぇ……。もう少し楽なのがあればいいんだけど……」

「茜音さん、いつもこんな道歩いてるんですか?」

 急な坂と川沿いの細い場所を縦に並んで歩きながら真弥が訊ねる。

「そうだねぇ。場所によるけどねぇ。大体普通じゃないところだから」

 伸吾のことを考えて、心配だった足場も問題なかった。

「7歳の夏……。わたしの誕生日が9月だから、表向きは8歳って言ってるけど、そんな頃だから、あんまり危ないところではないと思うんだぁ」

「8歳ですか……。病院とお家のどっちかだったな……」

「真弥ちゃん……、体弱かったの?」

 茜音はふと気になる。先ほど真弥が呟いた言葉が頭の中に戻る。

「はい……。生まれつきで……。去年の夏に手術するまでは学校の遠足にも行けませんでした」

「そうなんだぁ。今日は無理とかしていない?」

 それで納得がいく。彼女を前日に最初に見たときに感じた儚げな印象は見間違いではなかった。

「はい。今回もちゃんと検査は受けてきました。お薬もだいぶ減って、体育もできるようになったんですよ。本当に嘘みたいに」

 川沿いの石の上を一歩ずつ確かめながら進んでいく。出かける直前に軽く調べたところでは、元々は舟曳道と言い、昔はここを京都へ物資を運んだ舟を引っ張りながら上流に向かう道だったらしい。

「あ、あそこだぁ」

 川幅が幾分広がって、河原も開けた場所の頭上に1本の鉄橋が架かっている。

 少し先にもう1本の鉄橋があることが分かっているが、そちらはさっき乗ってきた新線の橋で可能性は薄い上、無理に足を延ばすリスクを考えて最初から対象から外している。

「さて、ちょっと待っててね」

 近くにある平らな岩の上に荷物をおき、真弥と伸吾を待たせる。

 鉄橋の下まで近づき、いつも通りしゃがんで上を見上げる。当時との身長差を考えれば、今の茜音の目線では気付けないというのが彼女の持論だ。

 周囲をしばらく歩き、目を閉じて周囲の気配を読みとるため立ち止まった。




「そうですか……、双子の妹さんを……」

 美弥はテーブルを挟んで座っている菜都実に声をかけた。

「情けない話です。そんなとき、なんもできなかった。双子なのに、姉なのに……。結局あの子の役に立てなかったんです」

 茜音と真弥の二人を見送ったあと、美弥と菜都実の二人は嵐山を回り、市内中心部に戻ってきていた。

 昼食をとりながら、お互いのことを改めて自己紹介した二人。最初に菜都実は美弥に取り乱したことを謝り、これまでのことを自分から打ち明けた。

「そんなことはないと思います。それだけ菜都実さんを慕っていたんですから、いつまでもそれを気にしすぎることはないと思うんですよ」

 自分は家族を亡くしたことはまだないけれどという前置きをした上で続けた。

「みんなそう言ってくれる。でも、あたしは由香利を旅行に連れ出してやることすらできなかった。去年のことだって、言い出したのは茜音。ほんと、茜音は凄いよ」

「私も、真弥に茜音さんのことは教わりました。最初はずいぶん凄いこと考える人だなって思って、まぁ真弥が憧れているだけなら、それはそれでいいかなって」

「それはそうだよねぇ。普通あんな企画考えついたって、テレビ局じゃないんだからまともに考える方がどうかしてるとは思うよ」

 たまたま高校で知り合い、一緒に企画を立てたからこそ、茜音の行動を無条件で応援することができるけれど、客観的に考えたら美弥のような反応が自然だ。

「茜音さんはこれまで、いろんな人と会っているかと思うんですけど、きっと他の人も同じように茜音さんを実際に見るまでは信じられないでしょうね。でも、一目見てしまうと、それまで冗談だと思っていたものがどっか行っちゃうんですよ」

「茜音はいつも誰とでもそう。不思議だよねぇ。誰とでもうち解けられるのは茜音の特技みたい。でもそんな茜音だから……、あたしも世話になりっぱなし。由香利も茜音に会えてよかったってずっと言ってた。まぁ、ちょっと遅かったけど、あたしができたせめてのことかなぁ」

 菜都実は、美弥から視線をはずし、窓の外を見やった。

「美弥さん、会ったばかりで他人で年下のあたしが言うのもなんだけど、真弥ちゃんは幸せだと思う。美弥さんも伸吾くんも大切にしてくれているのが分かるから……。それを無くさないように頑張ってね……」

 美弥は分かっているというようにうなずいた。

「真弥のいない生活なんて考えられません。あの子のことは私が守ります。私も真弥を失いかけたことは何度もあります。そのたびにあの子の存在の大きさに気づかされるんです。真弥は気づいていないかもしれないけど……」

「そうだね。正直羨ましい。あたしは結局由香利になんもできなかったのが、この後もずっと引っ張っていくと思うんだよなぁ……。あたしみたいな後悔はしないようにね」

「はい。気をつけておきます。私は由香利さんにお会いできなかったんですけど、きっと菜都実さんがお姉さんでよかったと思ってるはずです。だから、そんなに自分を責めないでくださいね。私も真弥に今でも言われ続けてるから」

「お互いダメな姉さんたちだねぇ」

「ほんとです」

 二人は軽く笑って店を出た。




「ふたりとも、お昼を食べよぉ」

「はいっ」

 中学生コンビが待つ岩場に戻ってくると、茜音は途中で買っておいたサンドイッチをあけた。

「ごめんねぇ、こんなとこまで付き合わせちゃって」

「あのぉ……」

 真弥は隣に座って、手にした一切れを口に入れる前に聞いてみたかったらしい。

「あぁ、ちょっとイメージと違ってた。ここもハズレだったね」

「そうだったんですか……」

 自分のことのように落ち込んでしまった二人の肩を茜音はたたく。

「大丈夫ぅ。こんなこと今まで何度もあったんだから。まだ時間はあるし、次を探せばいいんだよぉ」

 本当は茜音が一番落胆しているはずなのにと思うと、真弥は返す言葉をすぐに見つけだせなかった。

「ごめんなさい……」

「なんでぇ真弥ちゃんが謝るのぉ? 1つ候補地を確認して違うって確認しただけだよ。まだ時間も候補地も残っているから大丈夫」

 茜音本人よりも落ち込んでしまった真弥。自分を応援してくれている年下の少女にこれ以上気持ちの負担をかけるわけにはいかない。

「でも……。茜音さんもせっかく京都まで遠出してきたのに……」

「まぁねぇ。でも、今回の旅行の主役は菜都実だもん。わたしは今回はおまけ」

「そうなんですか?」

 実際に、今回の場所への訪問は菜都実の一件がなければ行われなかったかもしれない。

 茜音の中にも暗い記憶として残ってしまっている場所に、一人で行くことはまだできなかっただろう。

 不思議そうな顔をしている二人に、菜都実に話した内容の要点を話すと、真弥は大きくうなずいた。

「私もいつも一人でしたから……。お姉ちゃんしか外で話せる人がいなくて……。でも……、ひとりだけ違ったんです。」

 そこまで言うと、真弥は隣に座る伸吾に視線を向けた。


「今じゃ、完全に立場が逆転しちゃったけどな」

 もちろん、真弥の視線の意図は理解しているだろう。伸吾が続きを受け継いだ。

「葉月はなにも悪いところはなかった。それなのにあまりにも酷い扱いをされていた。それが許せなくて……。それがきっかけでした」

「えー、そうだったの?」

「だって、あれは見てても酷いもんだったしさ。思っていても誰も手を出すことができなかった。でも葉月がお姉さんと話すときの素顔見たらさ、ライバルがいない今がチャンスって」

 伸吾が顔を赤くする。

「ライバルなんて、そんな言葉私には関係ないって思ってた」

 当時はそうだったかもしれない。ただ、こうして出会ったばかりだとしても、茜音の記憶に残ったほどのインパクトはあったわけだし、実際に中学3年生としても美少女の部類にはいるだろう。

「よく、そこで勇気出せたんだね。偉いなぁ」

 そんな真弥の本当の姿を見初めた伸吾が、周囲からの評判を恐れずに彼女の味方についたことはほかの男子には出来なかったことだ。

「でも、葉月から茜音さんの話を聞いたときには正直に『敵わねぇ!』って思いましたよ。結果が見えてるのに、二人で抜け出したんですから。自分はこんな体なので、迷惑ばっかりかけてますけど……」

「迷惑だなんて思ったことないもん! 本当に帰ってきてくれて、嬉しかったんだから。ひとりぼっちに比べたら全然違うもん!」

 茜音が興味を持って聞いていると分かると、真弥はぽつりぽつりと自分のことを話し始めた。




「結局、小学校でできた友達は伸吾くんだけでした……。でも、本当に6年生は楽しかったんです」

 真弥の告白を二人は黙ったまま聞いていた。

「そうだねぇ……。一人でもいれば全然違うもんね。それはわたしも一緒」

 真弥は頷いて続ける。

「中学も一緒に行けるって思ってたんですけど、11月くらいに、中学になったら引っ越しちゃうって聞いて、もうどうしたらいいか分からなくて……。お姉ちゃんと相談して、3年間は二人で一緒に通えるように、附属中学の受験をすることにしたんです。難しいって言われたし、いろいろ言われちゃいました。でも伸吾くんだけはずっと応援してくれて……。合格することができたんですよ。みんな、それで私を見る目が少しは変わったんですけど、結局その頃の私は……、伸吾くんとの別れのことしか頭になくて……。そんな私のために、約束してくれたんです。手術して、元気になったら、真っ先にデートしてくれるって……」

 伸吾に視線を向けると、照れくさそうに頭をかいている。

「そんなこと言ったよなぁ。でも葉月に元気になってもらうには他に思いつく約束の言葉が見つからなくて……」

 真弥は当時を思い出すように、席替えのエピソードを話してくれた。

「いつも、私の席が決まるのは一番最後で。行動も制限されて、休みも多い。クラスのお荷物だった私と隣になった子には申し訳なく思っていました。伸吾くんの隣の席を私が望むなんて、許されないことだったんです」

 小学校最後の席替えで、条件はなく自由だったという。

 真弥は最後に空いた席になるからと、最初から話題には入っていなかったという。

『葉月、おまえが来い』

 浮ついた空気の中で、伸吾が真っ先に放った一言がクラスの中で強烈な一撃となったのは想像に難くない。

「勝手に熱を上げてくる奴が隣になるより、最初から葉月を隣にしておく方がいいって思ってたしな……」

「なんだか、どこでも同じようなことやってるんだねぇ」

 茜音もこういう話になると、自らの経験もあるだけに、いっそう親身になって話に乗れてしまう。

「そうですね。結局1年生の夏に手術しました。すごい長くて、夜中までかかるものでした。成功しても今度はリハビリで、大変だったけど言われたとおりにしました。半年経って、もう大丈夫って言われて……。でも、伸吾君とはずっと会うこともできなくて。そんな私のこと見て、お姉ちゃんが探してくれたんです……。でも、そこで伸吾君が事故の後ずっと眠ったまま入院中だってことが分かって……」

「あうぅ……。それを知るのもきついよねぇ……」

 茜音の脳裏に、その事実を突きつけられた時の真弥の様子が想像できた。ただでさえ儚いイメージで、伸吾との再会を望んでいた彼女に、昏睡状態にある彼の状況を飲み込めという方が酷というものだ。

「はい……。もうどうしていいか分からなくて……。最初のうちは泣くだけでした。でも、みんな優しくしてくれて……。でも、決めたんです。どんなに時間がかかっても、目を覚ましてくれるまで待つって」

「そうなんだ……。よく決められたね」

「はい……。あのときに涙も枯れちゃいましたけど。そのあと伸吾くんは目を覚ましてくれて。そのあとはこうしてリハビリを一緒にしていて、でもなかなか最初は思うように行かなくて、二人とも焦っちゃって……。茜音さんのことを知ったのは、そんな去年の夏のことでした……」

 俯いていた顔を上げ、茜音を見つめる真弥は不思議なほど穏やかな表情だった。




「それって、去年の夏のことだよね?」

 真弥が茜音の投稿に気づいたのが半年前ということは、ちょうど予定の日を1年後に控え、全国から情報を集めはじめ、最初の候補地に飛んで、河名千夏と一緒に四万十川周辺を走り回っていたころだ。

「そんな状態の真弥ちゃんに暗い話で、よく美弥さんが許してくれたね」

「最初は心配していました。でも、私は伸吾くんが帰ってきてくれたから、そうじゃなかったんですよ。逆に応援したくなって……。お姉ちゃんも分かってくれました。何か役に立ちたいなって思ってて。でも、実際に探すって、私が気軽に言えることじゃないんですよね……。結局何もできません……」

「いいの。真弥ちゃん。その気持ちが一番嬉しい。そう思ってくれる人がいるだけで、頑張らなくちゃって思えるから」

 真弥がしょげ込んでしまったからではなく、それが茜音の本心だ。

「わたしも事故で両親を亡くしてる。だから真弥ちゃんの気持ち分かるよ。それで、わたしも健ちゃんに助けてもらった。もしかすれば健ちゃんには今の生活があるかもしれない。それはそれで責めるつもりはないけど、あの時のお礼ぐらいは言いたい。でも、今どこにいるか分からないから、結局頑張って探すしかないんだよ」

「茜音さん……。いいんですか、そんな謙遜しちゃって……。ちゃんと好きになってもらわなくちゃ」

「ううん、いいの。もし、健ちゃんがあのときと同じ気持ちでいてくれたら、わたしもそのときは答えをもう言えるかなぁ。でも、無理にとは言うつもりないんだ」

「そうなんですかぁ」

 真弥は意外そうな顔を隠せなかった。彼女は後で冷静に考えて、それは茜音が本当に彼のことを第一に思っているからだということに気づいたけれど、そのときは意外性の方が先行してしまった。

「きっとね、大丈夫だと思うよぉ。でも、その前に会うための場所をちゃんと見つけておかなくちゃねぇ」

「茜音さんなら大丈夫ですよ。必ず探し出してくれると思ってます。そのときにはちゃんとお祝いしますから」

「そうだねぇ。そう言ってくれているのは真弥ちゃんだけじゃないから、ちゃんと報告はしなくちゃならないんだよぉ。あと5ヶ月あるからどうにかなると思う……。ほえぇ?」

 突然茜音は空を見上げた。

「あ、雪ですね。帰らないと」

 真弥も空から落ちてきた白いものに気づく。まだ1月。朝の天気予報はあまりよくなかったことを考えれば、逆によくここまで持ったほうだ。

「早く帰ろう。こんなところで閉じこめられたら大変だよぉ」

 まだ落ちてくる雪は、ちらちらの程度だが、これからどうなるか分からないし、間違いなく冷え込んでくる。

 来たときの道を大急ぎで戻る。滑りやすくなった吊り橋を伸吾の両腕を支えながら渡り、JR線の保津峡駅のホームに着いたときには、地面がうっすら白く変わっていた。

「大丈夫ぅ?」

 二人が一緒にいるので、走ることはしない。真弥の体力や伸吾の足元の安全が最優先だ。

 ホームには屋根もないから、列車の到着までは改札の小さな駅舎で待機する。

「はい、これぇ……。みんなバラバラだけどごめんね……」

 この時期は駅前の自販機も毎日補充しているわけではないのだろう。品切れになっていなかったお茶、コーヒー、ミルクティーを買ってきて、先に二人に選んでもらう。

「ありがとうございます。天気予報どおり寒くなりましたね」

 白い息を両手にかけて、肩をすくめる真弥。

「ごめんねぇ。寒いところに長々とつきあってもらっちゃって。伸吾くんは足の方は大丈夫?」

「大丈夫です。雨の中とかでも普通に歩きますから」

「そっかぁ。リハビリは真弥ちゃんとしているんでしょう?」

「病院を退院してからは、放課後と休日がメインです」

 自分が目覚める前から、真弥が献身的に様子を見に来てくれていたことを聞き、彼女にはすっかり頭が上がらないとのこと。

「茜音さん、私たちがついてきて、お邪魔じゃなかったですか?」

 二人は、急に同行者を増やしたことを気がしている様子。

「ううん。全然逆。いつも一人で歩くから寂しくなかったよ」

 暖かい車内の席に座って京都駅を目指す。そこで菜都実と美弥と合流して夕食の約束をしている。

「本当に、ありがとうね……」

「え……?」

 並んで座っている茜音はつぶやいた。

「一緒に来てくれて……。応援してくれて……」

「私は茜音さんに会えて嬉しかったです。これからも頑張ってくださいね」

「うん……。頑張るよ」

 茜音は二人の手をしっかり握りしめた。




 駅ビルの中で夕食も済ませ、雪の中をタクシーで戻った五人は、互いの連絡先を交換しあったあとそれぞれの部屋に戻った。

「明日帰りだねぇ。菜都実の気分転換になったかどうか……」

「そこは心配無用ってとこ。それより、結局茜音に無駄足させちゃったなぁ」

 昨日とは違い、窓の外には白い世界が広がっている。

「ううん。確かに場所は探せなかったけど……。菜都実と真弥ちゃんたちに一緒に来てもらって、修学旅行のやり直しできたよ。ありがとぉ」

「本当に、ポジティブでいい子だね、茜音は……」

「それ誉めてる?」

 茜音は、少しふくれた顔をしたが、真顔に戻り菜都実の向かい側に座った。

「少しは元気になれたみたいだねぇ。顔も良くなったし」

「茜音……」

「朝までよりも、すっきりした顔してるもん。美弥さんと話して気分が晴れたのかなぁ?」

 今日のメインはほぼ別行動となってしまったし、茜音の本来の目的は果たされなかった。それにも関わらず、茜音は自分の様子をしっかり見ていた。

「茜音、ありがとなぁ」

「ん? 菜都実も佳織もいつも助けてくれる。少しはお礼しなくちゃ。わたし、二人に出会えていなかったら、今頃なんにもできていなかったと思う。一人でずっとウジウジ考えて、考えるだけで行動なんかできなくて……」

「茜音はそういう子じゃないでしょうが?」

 しかし茜音は首を横に振る。

「ううん。昔のわたしはそうじゃなかった。あの話もみんなに言えば笑われて、自信も持てなくて。なにもできなかった。だから誰にも話さないようになった。菜都実と佳織に会えて、初めてこの話も信じてくれて、応援してくれて……。嬉しかったよ。それにいつも迷惑かけてたからねぇ。だから、今回はいても立ってもいられなくて……」

 仕方ない話なのかもしれない。茜音が経験してきた世界は同年代の子の普通の生活からはかけ離れている。そのことも茜音自身は理解している。

「そっか……。うちなんか今まで平和すぎて、今回のことでようやく本当に茜音の気持ちが少し分かった気がするんだよ。由香利も茜音のこと好きだったから、あたしが変わったのは喜んでくれるんじゃないかな」

 昨年の秋、それまでほとんど誰にも紹介することがなかった双子の妹を菜都実は茜音と佳織に紹介した。

 そのことがきっかけとなり、それまで殻に閉じこもりがちだった由香利も、この四人の時は心配がなくなった。

 茜音のアイディアで、この旅に同行してもらって以来、何度か一緒に買い物に出るなど、普通の生活も経験できた。菜都実から聞いた話では先が長くないことを知っていながら普段通り付き合ってくれた姉の友人二人には最後まで感謝していたという。

「今回着てきたコートさぁ、あれ自分で買ったんじゃないんだ……」

「あのグレーのやつ? 確かに今回初めて見た」

 ドア横のクローゼットにかけてあるコートを指さした。

「そう。11月の終わりに茜音が出ていた時だった。あの日は由香利が一時退院させてもらったんだよねぇ。そしたら一緒に買い物に行こうって言われてさぁ」

 立ち上がって窓際で話す菜都実は、じっと窓の外を見ながら先日の事を思い出しているようだった。




「由香利、今日は天気が悪くなるって。それでも行く?」

 前日、病院から戻ってきた由香利は、楽しそうに外出の用意をしながら当然のようにうなずく。

「だって、せっかくの外泊だし? 今日行けなかったら、体調次第で行けなくなっちゃうかもしれないから」

 わずか数日の外泊許可であるし、寒くなる前にと茜音たちと調査に出かけることも多かった休日が続いたから、この日は珍しく完全なオフ日だ。

「わかった。すぐ用意するわ」

 姉妹で買い物に出かけるなんてことも滅多にできないため、地元を離れ、元町やみなとみらい周辺を歩いたあと、横浜駅周辺まで少し足を延ばす。

「菜都実姉ちゃん、ちょっと付き合ってもらっていいかなぁ?」

「ん? どっか行きたいところある?」

 由香利は菜都実の手を引いてデパートの中へ入っていく。普段行くようなカジュアル系のフロアではなく、どちらかといえば婦人向けのフロアで由香利は足を止める。

「やっぱり菜都実姉ちゃんはこっちの方が似合うかな」

 そう言って手に取ったのは、柔らかいカシミアを使ったチャコールグレーのコートだった。

「ちょっと着てみてよ」

 言われるままに菜都実はそれを手に取り、自分のコートと取り替えてみる。由香利の言ったとおり、サイズや雰囲気も自分にぴったりのものだった。

「お姉ちゃんも、こういうの持っていてもいいと思うよ」

「それはいいんだけどさぁ……、あたしの手持ちじゃ買えないわぁ」

 すると、今度は由香利の方がとんでもないと首を振る。

「いいの。これは私がお姉ちゃんへのプレゼントとして買うんだから」

「はい? あたしにそんな気を使わなくていいのよ?」

「大丈夫。菜都実姉ちゃんにはずっとお世話になったし。これからもきっとそうだから、お礼ってことで」

「でもさぁ」

 由香利の気持ちはありがたいし、むげに断ることもできない。

 しかし問題はその値段であって、菜都実が普段の小遣いや貯金で買えるような代物ではない。

 同じようなものは茜音が持ってるのを知っているけれど、普段着ではなく特別な用事用だと言っていた。

「本当はね……、ずっと悩んでた。どうやったらこれまでの分をお返しできるかなって」

 由香利に押し切られ、菜都実はそれを手にフロアを後にした。

 帰りがけ、一休みに立ち寄った喫茶室の席に腰を下ろし、由香利は小さな声で言った。

「お返しなんて、どうだっていいのに……。姉妹なんだよ。それに時間はいっぱいあるのに」

「ううん……」

「え?」

 寂しそうに首を振った由香利にドキッとする。

「お父さんにもお母さんにもまだ言ってない……。もしかしたら先生が話しているかもしれないけど……。もうそんなに時間がないんだって……。一時帰宅も結構無理言って」

「なんでそれを最初に言わないのよ?」

「言ったところで、お姉ちゃんどうにかできた? 逆にオロオロ考えるだけで無駄な時間を過ごしちゃうだけだと思った。だから先生に、『1日分だけ』って強いお薬もらって、今日はそれを使ったの。でも、ちゃんと話してから病院に戻るって決めてたよ。ごめんなさい。酷いこと言っちゃった」

「ごめん……。あたしこそ、由香利の気持ち、もっと知らなくちゃいけなかったのに」

 本当はそれを知らされている妹の方がどんなに辛いはず。体調だって薬を使わなければ、こんな笑顔でいられる状態ではないのだろう。

「ううん。菜都実お姉ちゃん、本当に優しかった。だから、それは今までのお礼。あと……、私がいなくなっても寂しくないように……ね……。受け取って?」

「大切に、使わせてもらうわ……」

 由香利はすでに現実を受け入れているようで、目を潤ませながら微笑んで頷いた。