「さぁて、ここから一駅だよ」

 嵯峨嵐山の駅前に着いた茜音と真弥・伸吾の変則チームは山陰本線の普通列車を待っていた。

「3月になるとトロッコ列車が走ってくれるからもうちょっと楽だったんだけどね」

 少し残念そうに言う茜音。その分人が少なくていいかなぁと笑っている。

「トロッコ列車の方がいいんですか?」

「うん、まぁねぇ、その方が橋の上から見ることもできたんだけどぉ。でも大丈夫だよ。歩いていけるはずだから。それよりも二人とも、転んで怪我したりお洋服とか汚さないように気をつけてね。わたしは覚悟してるけど……」

 基本的にはブラウスを替えただけで、茜音の服装は変わっていない。同行してくれた二人に注意したように、自分はどんな服装をしていたとしても、それは覚悟と目的を持っていてのこと。

 チャコールグレーのダッフルコート、紺のチェックのスカート、紺のハイソックスという出で立ちの真弥は、やはり余所行きの格好であることには違いないし、伸吾もこの展開は旅行前は想定していなかったはずだ。

 真弥はそんな茜音の心配を読みとったのか、首を振って答えた。

「大丈夫です。お姉ちゃんが私を初めて会った茜音さんと一緒に行かせてくれたのは、きっとそういうことになることも考えた上だと思います。私は……、最初からダメな子ですから……」

「真弥ちゃん……」「葉月……」

 ふたりが口を開きかけたところに列車がやってきた。

 隣の保津峡の駅まではほんの数分、その間の景色を楽しむ余裕はない。

 もともと、山陰本線は保津川の縁をへばりつくような路線を走っていた。後に山を掘り抜いた複線のトンネルができあがったため、保津峡の駅は川の上にかけられた橋に作られている。

 その間はトンネルを抜けるために、嵯峨嵐山からトロッコ嵐山の駅までと一瞬トンネルを抜けて川を渡るとき以外景色はない。

 列車を降り立ち、ホームから外を見下ろす。眼下には川が流れ、その川岸を1本の線路が通っている。また直線で数百メートルのところには小さな駅が見える。

「あそこがトロッコ保津峡なんだよ。冬は運行がお休みなんだぁ。あそこの駅から川沿いを歩いていけるはずなんだけど、大丈夫かなぁ……」

 無人の駅舎を抜け、細い道を歩いて約10分。川の反対側にトロッコ保津峡の駅を望む吊り橋の前に着く。幸いにして丈夫な吊り橋には立入禁止の柵もなく、橋は十分に渡れるようだ。

「ここからは危ないところもあるから、絶対に無理しないで?」

「分かりました」

 運行していないトロッコの駅は当然のことながら誰もいない。そんな駅のホームに立って左右を見る。売店の横の細い階段を降り、川沿いの道に当たる。

「ここしか行く道がないんだよねぇ……。もう少し楽なのがあればいいんだけど……」

「茜音さん、いつもこんな道歩いてるんですか?」

 急な坂と川沿いの細い場所を縦に並んで歩きながら真弥が訊ねる。

「そうだねぇ。場所によるけどねぇ。大体普通じゃないところだから」

 伸吾のことを考えて、心配だった足場も問題なかった。

「7歳の夏……。わたしの誕生日が9月だから、表向きは8歳って言ってるけど、そんな頃だから、あんまり危ないところではないと思うんだぁ」

「8歳ですか……。病院とお家のどっちかだったな……」

「真弥ちゃん……、体弱かったの?」

 茜音はふと気になる。先ほど真弥が呟いた言葉が頭の中に戻る。

「はい……。生まれつきで……。去年の夏に手術するまでは学校の遠足にも行けませんでした」

「そうなんだぁ。今日は無理とかしていない?」

 それで納得がいく。彼女を前日に最初に見たときに感じた儚げな印象は見間違いではなかった。

「はい。今回もちゃんと検査は受けてきました。お薬もだいぶ減って、体育もできるようになったんですよ。本当に嘘みたいに」

 川沿いの石の上を一歩ずつ確かめながら進んでいく。出かける直前に軽く調べたところでは、元々は舟曳道と言い、昔はここを京都へ物資を運んだ舟を引っ張りながら上流に向かう道だったらしい。

「あ、あそこだぁ」

 川幅が幾分広がって、河原も開けた場所の頭上に1本の鉄橋が架かっている。

 少し先にもう1本の鉄橋があることが分かっているが、そちらはさっき乗ってきた新線の橋で可能性は薄い上、無理に足を延ばすリスクを考えて最初から対象から外している。

「さて、ちょっと待っててね」

 近くにある平らな岩の上に荷物をおき、真弥と伸吾を待たせる。

 鉄橋の下まで近づき、いつも通りしゃがんで上を見上げる。当時との身長差を考えれば、今の茜音の目線では気付けないというのが彼女の持論だ。

 周囲をしばらく歩き、目を閉じて周囲の気配を読みとるため立ち止まった。